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グランパの山歩き


奥武蔵①:橋本山(321m)・スカリ山(435m)

 

  1. 2019年7月21日(日)曇  

2.単独 24040歩

3.交通機関 山手線:駒込=池袋 西武池袋線・秩父線:池袋=飯能=東吾野

4.資料 山と高原地図22奥武蔵・秩父

          分県登山ガイド10埼玉県の山

 

6時20分、出発。途中の中里公園ではラジオ体操の準備をしていた。夏休みの一週間ボランティアの人が持ち込んだデスクにいる。駅前のコンビニは一軒、他の店になっていて近くの7イレブンが生き残っている。非常食のサンドウィッチを買っておく。

6時31分、駒込駅出発。7分後、池袋駅で降りて西武線乗り場に向かう。準急飯能行き、5番ホームの8両編成に乗る。日曜日なのか夏休みだからなのか。

6時49分、出発。石神井公園から各駅になり、保谷(ほうや)で特急通過待ちする。

7時41分、飯能駅着。2番線に行って西武秩父線三峰口行きの電車を待つ。52分発の電車の一両目に乗って出発。山間に入ってから小学生と一緒に運転席の見える場所と前方の景色を眺める。

 8時8分、東吾野駅で降りる。標高130m。改札口は最後部の方だった。まずトイレに寄って排便。広場に20人位のハイカーが集まっている。

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              東吾野駅

 10分後、行き先を係員に確かめて線路沿いから右折、国道299号を渡り、駐在所の前を右にとる。吾那神社に行く階段を登って本殿に行く。

 脇にある登山口からジグザグに登って行く。足元に茸が生えていた。

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      登山口

 ゆるやかに上って行くと、左手、福徳寺からのルートをオバサンがいて後ろを歩いて上って来る。8時45分、杉の森の中を通りぬけると視界が開け、送電塔の下を通る。ウグイスが鳴いていた。再び森の中を歩く。「西川林業地をみぐる道」や虎秀ヤマメクラブが「虎秀雨乞塚」と書いた立て看板があった。

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 男坂を登る。9時10分、橋本山に出る。ベンチがあった。尾根を上り下りする。ユガテ広場にトイレがある。

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 標高315mにもベンチがあった。降りていくと林道が二股になっていて標識どおりに右手をとる。途中、緑青のような色の筋が入った岩の前を越えていく。降りていくと「西川木楽会・森のテラス」の倉庫が左手に続いていた。30分後、簡易トイレが建っていた。

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 名前を知らない花が咲いていた。

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 舗装道路に出て右手の標識を見つけて登山道に入る。左手の樹林からジョッガーが小走りに走っていて近くに休憩所らしきところで歓談しているのが聞こえる。途中、緑幾つか尾根の山を登り、鋭鋒が見えたのでピークにリュックを置いてストック1本とペットボトルをベストに入れて降りていく。エピカ坂に標識が立っていた。

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   ジョギング・イベント

10時過ぎ、一息入れて一気に登る。25分後、スカリ山。三等三角点とベンチがあるだけで近くの山が少し見えただけだった。

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   エピカ坂           スカリ山頂上

降りて戻る。ところがリュックを置いたところを登らずに行き過ぎて、林道近くまで戻ってしまう。丁度、5人のパーティに出会い。事情を伝えておく。二つ目のピークに置いてあった。「ミツカリマシタ」と大声をあげて戻る。舗装した林道に出てルート入口を撮っておく。

DSC00936.JPG林道からのルート

右にとり、ひたすら降りて行く。ところどころ地震による割れ目が見えた。サイクリストやジョッガーに会う。二股の道では幅が狭いが舗装してある道を降りていく。

12時10分、女性ジョガーに会う。トップをとって走っていく内にルートを外していた。手持ちの地図を見せて鎌北湖への道を案内する。ユガテの森は深い。松倉ヤツの谷の途中で渓流に降りて頭を突っ込みタオルを水に浸けて絞り頭に巻く。カメラはバッテリ切れしていた。冷えているウーロン茶を飲み、アンパンを食べて歩く。左足の親指の爪が靴にひっかかるので靴の紐の先を緩めてから歩きだす。樹木の下に蝉の抜け殻を見つける。

 

       空蝉や森の閑かさここにあり

 

12時半、新田に出る。虎秀入口の案内がある。既に1万7千歩歩いていた。近くにホタル生息地の看板が出ている。ここでも鶯が鳴いていた。所沢ナンバーの車が次々と降りていく。トヨタ車が多い。昭和61年12月吉日、飯能市長名の「道路改修記念碑」が立っていた。道脇に冬場の凍結に備えた塩カルの置場が、間隔をあけて置いてある。30分後、左手に「西川みんなの昼市」があり、残った枝豆を100円で買う。第三日曜日に開いていた。奥でヘルメットを被った人がたくさんいるので行ってみる。ロッククライミングの訓練中で、現場が濡れているのでここでやっていた。女性が過半数をしめていた。国道に出て左折、駅前に右折して改札口を通過、ベンチに座っていると白人女性が隣りに座る。ロスアンゼルスからコンピューター科学を学びに来ていた。

午後1時15分、乗車。高麗駅からハイカー3人が隣りに座る。飯能駅から22キロ、3万歩、歩いていた。次回、ウォーキングに行きたくなった。序でに駅近で食べる場所を聞いて別れる。17分後、飯能駅。時刻表を見ておいてから中華料理店に入る。自家製生ビールを飲み、冷やし中華を食べる(1200円)。

2時14分発の急行池袋行きに乗って帰る。

 

おわりに

今回、ネットで「奥多摩・奥武蔵日帰り歩き」を読んでおいたが、行ってみると目標の越上(おがみ)山も行かれずに終わった。しかし大地と鬱蒼とした森林に魅かれて多くの人が来ていることに納得する。機会があれば吾野駅から県道61号を歩いて目指したい。

いろんな所で「西川木材」が出てきたので、これもネット検索する。江戸時代、西方の川から運ばれる木材を「西川材」と呼び、高麗川・入間川・越辺川流域を西川林業地としていた。以来、この材木は強度も高く優良材とされている。記憶が不確かな点もあり、間違っている点をご指摘いただければ幸いです。

                               完


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グランパの山歩き


        伊豆ヶ岳(850.9m)・高畑山(695m)

 

  1. 2019年9月7日(快晴)

  2. 単独 

  3. 交通:西武秩父線 池袋―飯能―正丸¥669、西吾野―飯能―池袋¥627         

  4. 資料:山と高原地図22奥武蔵・秩父2018年版

はじめに

 梅雨入り前の前日の天気予報では快晴、気温は19℃から31℃。今年初めて山に行く。

 5時半、起床。オニギリ2個食べてから出発。

 6時16分発の山手線に乗って7分後、池袋駅で降りる。西武線の改札口を過ぎて右手に特急券売り場の隣りに案内コーナーがあったので確認する。飯能からの各駅電車7時53分発に乗るには準急と特急でも変わらなかった。待つ間に、読み捨て用のクララ・シューマンの生涯を書いた文庫本を読み出す。

 6時34分発の準急飯能行きに乗る。入って来た方に戻って出発。練馬、石神井公園から各駅停車になる。

 7時半、飯能駅。係員に聞く。「階段の前方で待つと、車両2ドアの電車がやって来る。1時間に2本、4両編成です」16分後、やって来た。4席向かい合わせの窓側に座ると、向かいの通路側に白髪のハイカーが座る。

 7時53分、出発。向かいの男はオニギリを食べ、日経新聞を読み出す。高麗駅では女性3人組のハイカーが降りていく。東吾野でも。短いトンネルを越え、高麗川と鉄道、国道299号が正丸駅まで続いていた。

 8時25分、正丸駅(標高290m)。改札口の時刻表をメモしていたら、係員が小さなリストをくれる。これで他の駅の到着時刻の検討がつく。トイレに行っておき、近くの土産店に行って近くにコンビニがないとわかり、菓子パン2種類を買って出発。

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     飯能駅ホーム           正丸駅

 一度、国道に出て右折したが、おかしいので戻り駅員に確かめ、15分後、案内に従って急階段を降りて右手にある線路の下のトンネルを行く。右手に安産地蔵尊の社があった。解説によると、古来から懐妊すると仏前の旗をいただき、腹巻にして出産の日を待ったと云われる。この大蔵山地区ではお産で命を落とした人はいないと伝えられている。毎年4月24日には大祭が地区全体で行われる。

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    左手に案内版           安産地蔵尊

 民家にある紫陽花は未だ花芽を出したところだった。9時10分、左手に登山口があった。曲がった右手に馬頭観音がある。

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       登山口             馬頭観音

 杉の森に入り、左手に小川と小さな滝を見ながら登って行く。「蜂に注意」と書いた看板が木に巻きつけてある。涼風が吹いていて気持ち良い。大きな岩の脇を通過し、ジュラルミン製の橋を渡る。高度を上げていくと、せせらぎの音が聴こえなくなる。35分後、稜線に出る。標高620m。広葉樹の中で5分休む。右手は正丸峠だが、左手の伊豆ヶ岳に向かう。再び杉の県営林の中を登る。小鳥の鳴き声が澄んでいた。やがて子供たちの声が聞こえだす。

 

           今朝ほどの鳥の声聞く茂りかな

 

 10時20分、女坂口に生徒がいた。

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 ロープがかかっているけれども男坂に挑戦する。鉄鎖を使って岩場を登って行く。途中から左端でも木の枝や根を使って登れるルートがあるので行ってみた。しかし最後になって狭くなり、一歩一歩絶壁を抱くようにして辿る。二度と来るところではない。

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 再び生徒達の声が聞こえて20分で登り切る。生徒も私を覚えていた。近くの入間小学校5年生で、緑色の5年用帽子を被っている。この後キャンプ場で一泊する。

 

           学童の登頂すませキャンプ地へ 

 

 三々五々座って、お婆さんが握ってくれたオニギリなどを食べていた。頂上の三等三角点や標識を撮る。

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 ここには山の名前の由来を案内していた。突峰状のことをアイヌ語で「イズ」と云う説、頂上から伊豆半島が見えた説、柚の木が多かった説、麓の湯ノ沢に温泉が出たから湯津ヶ岳と呼んだ説とまちまちだった。少し降りて、適当な場所でアンパンとパン二つを食べ、紅茶を飲む。標高50mほど降りて分岐点で高畑山に向かう。    

  11時45分、標高830mの古御岳に出る。「関東ふれあいの道」の稜線を登り下りする。再び登って行くと足元に緑色の幼虫が蟻に襲われていた。

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              山道に幼虫襲ふ蟻群れて

 

一山超えると、ベンチで中年男が休んでいた。川越からでシフト勤務している。3年前から屋久島や他の山にも登っている。一緒に行く。大柄で一気に登るけれど休むので、40分で5分とか50分で10分休むようにペース配分をすることを勧める。

12時半、高畑山(標高695m)に出る。広場に長いベンチが4個置かれていた。5分後、出発。視界が開け、送電塔が立っていた。

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端には数十本の若い樹木にカバーをかけている。20分後、中ノ沢ノ頭。その先の杉の幹に注意書きがある。「ツキノワグマ目撃情報」2年前の4月31日「イナグモ頭」の側道で目撃されていた。

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標識もあって道も整備されている。更に20分後、天目(アマメ)指峠に出る。天目とは豆柿、指は焼畑のことだった。林道の脇の登山道を歩く。ある時は合流して分かれる。

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午後1時55分、5分休憩。再び急登と下りが続く。ここは健脚ルートであった。山域の最終地「子の権現」へ足を運ぶ。

 

          梅雨時の稜線伝ひ権現へ

 

愛宕山に登って行くと小さな祠が見えた。2時40分、権現様の大きな本堂が見えて脇を通ると鳥居が立っていた。神仏習合である。

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「子の権現」正式には天台宗大鱗山雲洞院天龍寺と言い、911年創建。案内板によると、832年、紀伊の国天野郷で生まれ7歳で仏門に帰依、比叡山や湯殿山で修行、山頂で般若経を天高く投げて経ヶ峰に落ち、光明が放っていた。麓の吾野に住んでいたところ、山賊が山に火を放ち、火の中で念ずると天龍が現れて豪雨を降らす。腰を痛め、腰下に悩む者に「能除一切苦」を祈っていた。

ゆるやかに降りて仁王像の間を通る。昭和11年、花井深嶺によるもので悪霊を払い、仏法を護っている。

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    奥に本堂             仁王像

吾野に向かう彼はベンディング機械で水分を補給するので、ここで別れる。

この先で登山ルートに注意すれば良かった。そのまま舗装道路を歩いてしまう。T字路を左折して歩いたがどうみてもおかしい。しかし人は通らないし、たまに通る車に呼びかけても過ぎてしまう。犬が鳴く家に声をかけると婆さんが手を招く。耳が遠かった。反対側を3キロ歩いていた。ひたすら戻る。畑にいた女性に聞くと「後2.4キロ歩くと国道299号に出るので右折、しばらく歩けば駅への道へ左折しなさい」と言う。

4時10分、国道に出ると、スタジオジブリの共同設立者で監督の高畑勲の展覧会ポスターがあった。来月から10月まで東京国立近代美術館で開催する。彼は伊勢出身なのに、先祖と関わるからか高畑山との繋がりがあるか気になった。途中、野苺を見つける。

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更に日陰のある道脇を選んで歩く。駅入り口と書いた信号を左折。最後、炎天下での坂道がきつかった。西吾野駅(標高250m)に着き、ベンディング機械でコーヒー1リットル壜を飲み干してトイレに行っておく。秩父行き電車が止まり、3人の生徒が降りて来て待っていた車に乗っていく。ホームのベンチに座ると右の靴底が取れかかっていたので取ってしまい、袋に入れておく。靴も暑い舗装道路で限界を越えていた。4時59分、4両編成の電車に乗る。

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 国道299号線からの左折地点      西吾野駅ホーム

 5時27分、飯能駅到着。向かいで待っていた快速池袋行きに乗る。1分後出発。再び、「真実なる女性」に取っ組み、興味ある箇所に線を引く。練馬から先は音もなく走っていく。

 6時27分、池袋到着。行き違う群れの中、人の後ろについてJR改札口に向かい、エスカレーターを使ってプラットホームに出る。

 7時過ぎ、帰宅。万歩計には32592歩と出ている。シャワーを浴びてから体重計を見ると4キロ減っていた。ビールを飲む。美味かった。

 

おわりに

 何とか無事に帰られたが、いくつか反省点がある。まず事前準備。階段歩きや2万5千分の1地図などの資料、ネット情報の収集。スマホでのGPS活用。

                                完

 

 


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グランパのwalking

鎌倉散策2017 

  1. 12月2日(土) 晴 

  2. 主な案件:御成小学校昭和29年卒6組同級会参加

  3. 交通機関 山手線:駒込駅→新橋駅、横須賀線:新橋駅→北鎌倉駅

         横須賀線:北鎌倉駅→大船駅、東海道線:大船駅→上野駅

  4. 費用:交通費(Suica)¥1836

       鎌倉山下飯店¥2600

行程: 葛原ヶ岡ハイキングース、源氏山公園、高浜虚子墓、鎌倉山下飯店、あら珠 15737

 今回は、いつもの時間に朝食をとってから行く。横須賀線には新橋から乗ることにする。ホームへは地下深く降りて行く。北鎌倉駅の出口は先頭にあるので、15両の1両目で待つ。9時3分発は空いていた。14分後、多摩川を渡る。釣り師が結構いた。普段、乗る山手線と違って、一駅の距離が長く、真っすぐなのでスピードが違う。北鎌倉に着く前、スピードが落ち、停まる。車内放送で前の電車が駅を出ていないと案内。結局、5分遅れて着く。

DSC00481.JPG前の電車が出た北鎌倉駅ホーム

 ホームには未だ前の電車から降りた人でいっぱい。皆、円覚寺方面なので端を歩いて線路を渡り、トイレに寄ってから改札口を出る。

DSC00483.JPG北鎌倉駅

 10時7分、出発。鎌倉街道の車道も車が渋滞していた。東慶寺の前を過ぎ、雪堂美術館では小野田雪堂の書と画による「金子みすず・山頭火の世界」を展示している。明月院の角に「五山第四・浄智寺」と「鎌倉・江の島七福神」の標識が立っていて、浄智寺の方に右折する。

 寺案内によると臨済宗円覚寺派で、北条時頼の三男宗政が29歳で亡くなり、菩提を弔うために創建。1966年に国指定史跡になっている。反橋の脇を通り、「寶(ほう)所在近」と書かれた惣門を進む。「宝のある所は近くに在る。立派な僧侶になるための努力をせよ」と諭している。2007年再建の鐘楼門を過ぎてから脇のハイキングコースを歩く。

DSC00486.JPGDSC00490.JPG鐘楼門

 右手、境内の銀杏や紅葉が色づいていた。左手は孟宗竹が続く。

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 舗装道路から、ゆるい石段になり、登山道を行く。中高年グループを抜き、昇り降りして天柱峰(標高97m)に出る。ルート標識があった。

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 ここには浄智寺を開いた一人、宋出身の竺僊梵僊(ごったんふねい)和尚の顕彰碑と五重塔が立っていた。

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     顕彰碑           五重塔

 分岐点に立つ標識には日・英・韓の文字で書かれている。階段を降りる。ここでも他のグループがいた。10時40分、こもれび広場に出ると大きな銀杏が立っていた。

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こもれび広場から眺める。

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 葛原岡神社に行く。後醍醐天皇に仕え、建武の中興を計画した日野俊基が北条高時に捉えられ1332年6月3日に斬首された地で、明治天皇の思し召しにより明治21年、創建されている。辞世の歌を詠んでいた。

 

   秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん

DSC00502.JPG葛原岡神社の鳥居

DSC00504.JPG右、男石、左、女石

男石と女石があり、縁結びの神様でもあった。帰り道で宮下翠舟の句碑を撮る。

DSC00505.JPG葛原岡神社

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     鎌倉に雪ふる雛の別れかな  翠舟

 

 日野俊基の墓を通って行く。葛原ヶ岡公園では太極拳のレッスンを始めていた。

DSC00512.JPG日野俊基の墓

 ここから先頭が濃緑色の旗を掲げたグループが大仏へのルートをとり、私は化粧坂をゆるやかに降りて行く。「吾妻鏡」(1251年)には「気和飛坂」(化粧坂)と書かれていて、交通の要衡であり、境界の葬送の地であった。幹回り2m80の楠を通る。源氏山公園の中に源頼朝像が立っていた。1180年10月、頼朝が鎌倉入りして800年を記念して建立したもの。

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 紅葉したモミジの下を歩いていくと、ヘルメットを被ったグループが集まっている。「かまくら・緑のレンジャー」と書いたベストを着た男達が伐採や下草を刈り取っていた。

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 11時15分、太田道灌の墓があった。水戸徳川の子孫・英勝寺住職が再建していた。

DSC00522.JPG太田道灌の墓

 約束の時間が近づいていたので、急ぎ足で寿福寺に出る。ここは頼朝が亡くなった翌年、妻の北条政子が栄西を開山に招いて建立している。

DSC00525.JPGDSC00526.JPG寿福寺

 一度、山門を出て近くの人に高浜虚子の墓を聞いて、戻り、寺の脇の緩い坂道を歩いて左折し、突き当たって右折して行くと広い墓場に出る。作業員に確認すると、親切に虚子の墓まで案内してくれた。今年から句会に入ったこともあり、墓前で合掌する。

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DSC00529.JPG高浜虚子の墓

 15分後、わき目もふらず速足で駅に向かい、線路下の通路から東口に出て若宮大路に行き左折してホテル鎌倉moriビルの地下に降りて山下飯店に集合時間丁度、間に合った。中に入って探したが、いないので係員に聞くと個室に案内される。入ろうとしたら、大学ゼミ同期生H が声をかける。歩く会で来ていた。部屋を間違ったせいで奇遇を楽しめた。

 参加者は5人。私は欠席者リストに載っている。来る筈のTを待ったが、20分経っても来ないので頼んでおいたレディース・コースを持って来てもらう。隣りのNさんと老酒を一緒に飲むので徳利一本温めてもらう。心臓血栓の手術後でストックを持つA幹事が参加者リストを配布。欠席者の消息を教えてもらう。フカヒレスープから始まり、選んだ料理を食べる。白菜と貝柱の煮物、牛肉とチンゲン菜の炒めに、あんかけ焼きそば。デザートは、いちご豆乳プリン。接客してくれた女性は昭和29年生まれの御成小学校卒だった。これも奇遇と言える。今は進学校として気合いが入っているという。

 戦後の給食に出た脱脂粉乳やロースハム、ジャガイモが多いコーンビーフが話題になる。Fの先祖は度会一族で伊勢神宮の外宮の祠官を世襲していた。Sと高校同級生Nが慶応義塾大学コーラス部で一緒だったことや、つながりの話が続く。稲村ケ崎在住のSが8月19日に催行した七里ガ浜夏祭り40回記念50mリレーについて話す。8時間以内で1485人参加を達成、ギネス担当者から認定されて新聞に載っていた。

 午後2時半、時間となり、来年の予約をして別れる。Nさんの作品展示会を見に行く。若宮大路を歩いていると変わった自動車が渋滞で止まっていた。

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 雪の下の季節料理店「あら珠」の入口にはNさんの個展を案内している。

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 中に入り、店の主人に案内されてN文人画家の作品を鑑賞する。「紫富士」。「山中湖凧のあがれる小春かな 素十」の句と大富士の素描を見て、高野素十の「凧の糸一筋よぎる伽藍かな」を思い出す。

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 床の間にかけた二幅と兜と陶磁器の取り合わせ、インド布を使った額装に書を描いた作品と続く。

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 書画一致の精神を存分に楽しんでいた。

 北鎌倉まで歩くことにして別れ、鎌倉街道に出て鶴岡八幡宮の脇を通る。道元禅師顕彰碑がここにあるのが不思議で、階段の先に「只管打座」と彫った石碑が立っていた。県立近代美術館鎌倉別館は休館中。巨福呂坂(こぶくろ)坂トンネルを歩く。

DSC00565.JPG曹洞宗高祖・道元禅師顕彰碑

DSC00567.JPG居福呂坂トンネル   

 電車通過のため踏切が降りて待たされるので、近くの建仁寺まで行って外から眺める。

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 線路に沿って歩いてから渡って改札口からホームに行って電車に乗ったが満員だった。大船で東海道線に乗り換えて座り、本を読む。上野駅で降り、山手線で駒込まで行って帰る。満月だった。

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おわりに

 年一回の小学校同窓会を機に鎌倉を歩いているが、今回は同級生との座談や、文人画家の作品を鑑賞しながら対話を楽しむことができた。参加人数も減り、物故者も増えていく中、なんとか続けていきたい。

 


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グランパのwalking

市川散策・大町駅から大野駅へ

 

  1. 2017年11月23日 午前中・小雨、午後・曇のち晴 

  2. 同行者・K

  3. 交通機関 山手線:駒込駅→日暮里駅 京成電鉄:日暮里駅→青砥駅

     北総線:青砥駅→大町駅

     武蔵野線:市川大野駅→西船橋駅 総武線:西船橋駅→秋葉原駅

     山手線:秋葉原駅→駒込駅

行程:大町自然公園(鑑賞植物園、もみじ山)、駒形大神社、礼林寺、法蓮寺、浄光寺、大野城跡(第五中学)、万葉植物園

 

 出発前、同行するKに電話すると風呂に入っていた。

 9時40分、家を出て近くのコンビニに寄ってオニギリを温めてもらって買う。店員はネパール人だったのでダンネバード(ありがとう)、ナマステ(さようなら)と言って別れる。山手線で日暮里駅から京成電鉄の改札口に行く。スカイライナーで成田空港から着いた外人達がどっと向かって来る。やって来た特急に乗ると、英語・中国語・韓国語でも放送していた。次の停車駅青砥で降りて各駅電車の印旛日本医大行きを待つ。電車到着時間の標示には英語でも案内している。

DSC00186.JPG青砥駅ホーム

10時15分、乗車。次の高砂で4分停車する。乗ってから面白かったのは駅名。山がないのに秋山。松戸飛行場の滑走路があった松飛台の名前がある。予定より25分前に大町駅に着いてしまい、ベンチに座って俳句の本「名人×名句×名評」を読んで時間をつぶす。改札口の近くにあるパンフ「ほくそう×里山のチカラ」には、これから行くコースも案内していた。

11時、Kが現れる。朝風呂に入ったせいか風邪気味で、近くのコンビニに寄ってマスクとティッシューを買う。小雨の中、信号のある所で左折。右手には梨園があった。千葉県は全国一、中でも市川や松戸は特産地と言う。

DSC00190.JPG梨園

30分後、大町自然公園に入る。長田谷津と呼ばれる谷間へ階段で降りて行くと、森林の中に入る。

DSC00192.JPG長田谷津

谷に出ると、奥に休憩小屋や竹林が見えた。左手に「ありのみコース」の案内があり、行ってみると雨のせいか閉まっていた。戻って整備された歩道を歩く。尾瀬ヶ原より幅広で人が交差できるが、天気のせいで誰も来ない。一部、すっかり紅葉していた。

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湧き水が小川になったところでは、夏になればヘイケボタルが見られるという。新たに観察路を作っていた。川にはクチボソやホトケドジョウなどが生息している。

12時、観賞植物園の温室に無料で入る。サボテン温室では、まずメキシコ産のダシリリオンを始めて見る。灌木に葉を1mほど四方に伸ばしていた。夏になると花茎を4m以上高く伸ばして小さな黄褐色の花をつける。

DSC00202.JPGダシリリオン

近くに自生地が限られているメキシコ産の「金鯱(しゃち)」が幾つかある。

DSC00203.JPG金鯱

南アフリカ産の「雪波」はアロエ風で小さな白い花を咲かせていた。

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熱帯植物の大温室に入る。大きなアボカドや実をつけたコーヒーの木、タイでは、そこじゅうにあるプルメリアが咲いていた。ボルネオに多いネペンテス・ウツボカズラを見つける。食虫植物で蟻などの虫を中に落として消化液で溶かしてしまう。ツボは葉の先が変化して出来る。

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    コーヒーの木     ネペンテス・ウツボカズラ

ブラジル産でパイナップル(アナナス)科のエクメア・ファッシアータの花を観賞する。

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マダガスカルの近くにあるマスカリン諸島の椰子に、形から「トックリヤシ」と命名していた。バナナ科の「旅人の木」は、温室の屋根に届くような高さでマダガスカル産だった。葉鞘に溜まった水を旅人が飲んで渇きを癒したことに由来している。2階は生き物コーナーで、周辺の川や池の魚を水槽に入れて展示していた。

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    トックリヤシ         旅人の木

 ホールに戻り、休憩室で持ってきた物を食べ、ポットのお湯を使ってKにコーヒーをサービス。彼からピクニック用菓子セットをもらう。

 13時半、ホールでは明日催行の盆栽展の準備をしていた。中には実をたくさん付けた柿の木を活けていた。

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外は予報通り晴れ渡り、紫式部が咲いていた。

DSC00287.JPG観賞植物園入口                    

 池の脇を通って「もみじ山」に行く。ここも階段があり、人にも会う。登り終えて行くと長細い竹棒を持ったオジサンが来る。事情を聞くと、紅葉の葉に絡んだ杉の葉を落とすためだった。土日、観光客が景観を楽しめるようにしていた。モミジの一部はすっかり赤色になっている。

DSC00220.JPGもみじ山

降りて行くと、空は晴れ上がっていた。時間の都合で動植物園は素通りする。

DSC00221.JPG動植物園

歩きながら近在の人に行き先を確認して駒形大神社の裏に出る。馬頭観音があり、奥に忠魂碑が立っていた。

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       馬頭観音

拝殿は1921年に造営、2015年に改装している。拝殿では土木関係の会社だろうか20人位の人が宮司のお祓いを受け、代表3人が供え物を神殿に奉じていた。

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 ここの御霊神社は、桓武天皇の末裔にして豪傑の鎌倉景政の御霊を祀っている。

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神輿庫には神輿が納められていた。参道の石段を降りて行く。道の向かいの工場では餅つきが終わったところで、少女はお餅を食べ終わっていた。大野町四丁目の中を歩いて、27分後、礼林寺の境内に入る。本堂の他、観音像が立っていた。

DSC00233.JPG礼林寺

 15時前、カートを押して歩いている婆さまに尋ねたりした20分後、四丁目の法蓮寺に出る。

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第五中学校を探す。丁度やって来た生徒達に聞くと、スマホで見つけてくれる。柏中学のサッカー部員だった。しかしそこは一度通った第五中学の運動場だった。Kが持って来た二万五千分の一地図のコピーでは道路も不明、会う人に聞いても地元を知らない人が多い。その内、法蓮寺に出る。1277年、日蓮が開山。江戸時代に住職が平将門の夢を見たことで合祀、駒形大明神としている。         

一度、教えてくれていた第五中学の校舎が見えていたので向かう。

運よく生協のスタッフがお客に対応していた。その後、質問すると、浄光寺への道を具体的、正確に教えてくれる。教わった通りに歩くと大野山浄光寺に出る。ここも日蓮宗の寺院だった。

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       浄光寺山門                 本堂

第五中学に向かう。学校は旗日なので深閑としていた。記念碑を探したが、校庭の奥の茂みに何も書かれていない石碑があっただけだった。事務室だろうか、電気が点いているので行って入口に入る。そこへ事務員だろうかやって来た。事情を言うと裏口に案内板があると言う。行ってみると裏門の脇に立っていた。1981年10月に市川市教育委員会が説明している。

「この台地は城山と呼ばれ、大手門、領主館、米倉、馬場、外堀といった中世を偲ばせる地名が残されている。伝承では関東を征服すべく天慶の乱を起こした平将門が下総国の西南部を鎮圧するために築城したという。しかし、1969年及び10年後、この地域を発掘調査した結果では将門伝説と結びつけることは無理で、中世戦国時代に相当する城跡かと言われている」

裏道から県道9号に出ると丁度、万葉植物園の表示があり、まっすぐ道を越えて進み、陸橋を過ぎて道なりに行くと入口に出た。

15時40分、閉園まで20分。係員のオバサン達に挨拶して、専ら万葉集の歌と合わせて植物を撮る。

DSC00274.JPG万葉植物園内

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花を咲かせている植物もなく一気に終える。ここには約155種類の草木が栽培されていた。入口に戻る。

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近くの大野駅まで階段を降りて行く。ホームに出ると、ほどなく電車がやって来た。武蔵野線に乗って二つ目の西船橋駅で降りて構内にある「SoupStockTokyo」に入って地ビールを飲み、ピクニック用ビスケットを摘まみながら、今日を振り返る。計画した行程を消化、いろんな光景や人に出会えたことに満足する。市川市に感謝して、来年の春に別の所を散策することになった。江戸川を渡り、小岩駅で別れ、秋葉原で山手線に乗り換えて帰る。

 

後日、日本古典文学大系「万葉集」(全4巻)に収録されている高橋虫麻呂による(市川)真間の歌を確かめる。葛飾でなく勝鹿と書き、手児奈(テゴナ)は真間あたりにいた少女の名前であった。山部赤人は葛飾と書いて詠っている。他、詠み人知らずだが真間を詠っていて当時から中央に知られていたことがわかる。

勝鹿の真間の井を見れば立ち平(ナラ)し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(巻9-1808) 

葛飾の真間に入江にうちなびく玉藻刈りけむ手児奈し思ほゆ 山部赤人(巻3-433)

葛飾の真間の真間の手児奈をまことかもわれに寄とふ真間の手児奈を(巻14-3384) 

葛飾の真間の手児奈がありしかば真間の磯辺(オスヒ)に波もとどろに(巻14-3385)

鳰鳥(ニホドリ)の葛飾早稲(ワセ)を饗(ニヘ)すともその愛(カナ)しきを外(ト)に立てめやも                                                            (巻14-3386)

足(ア)の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋(ツギハシ)やまず通はむ(巻14-3387)

                               完

 

 

 


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グランパの山歩き

                 群馬・栃木4座の旅
  1. 2017年11月1日~2日

  2. 同行者:I

  3. 交通手段:I車・三菱アウトランダー

  4. 宿泊:(とう)(せい)館・一泊一食6200 ℡0277225421

  5. 地図:山と高原地図20赤城・皇海

  6. 諸経費:¥13000

 

11月1日(水)快晴 荒神(こうじん)624m)、(なる)(かみ)980m) 13373

5時25分、家を出る。南北線西ヶ原駅5時47分発の地下鉄に乗って王子で降りる。

6時、王子駅北口の三井住友銀行裏で待っているI車に乗る。王子北から首都高速に入り、東北自動車道路を走行する。佐野SAでトイレ休憩。

6時53分、佐野SAでトイレ休憩。

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15分後、出発。岩舟JCTで北関東自動車道に入り、2.5kmのトンネルを通過。専ら山岳地域を走行する。猪注意のマークがあった。

7時半、太田桐生ICで降りて王子から続いている国道122へ右折、(ただ)(かり)を左折、広沢町1丁目を右折、県道66を北上する。途中、ファミリーマートで昼食を調達。渡良瀬川にかかる「黒保根大を越えて案内板を確認、登って行く。

DSC00056.JPGくろほね大橋と荒神山

9時前、登山口(高度480m)に出る。登山や群馬テレビ黒保根中継所の案内がある。登山靴に履き替えて15分後、登って行く。左手、展望台への道を横目にして、手造り広場を通過。

DSC00064.JPG手造り広場

 南側に杉林、赤松や広葉樹の中を通って20分で頂上に着く。

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視界が悪いので、写真を撮って直ぐに展望台に寄って行く。近くに石の祠が残っていて信仰の山であることがわかる。

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 展望台から赤城山の全貌や右手に袈裟丸山の前後峰が見えた。

DSC00065.JPG赤城山

DSC00066.JPG袈裟丸山

黒保根村案内板には地元出身の星野長太郎、新井領一郎兄弟が明治時代、日米生糸貿易の創始者として活躍したことを伝えている。

10時20分、駐車場に戻って出発。次の目標に向かう。県道66を北上、県道343に入ろうと走って行く内に信号を見過ごして梅田湖が見えてしまい、戻って行く。舗装されているが、地対向車が来たら動きがとれない。大滝登山口の駐車場が樹徳高校大滝山荘の私有地で一般車は駐車出来ない。高沢川を更に遡ってコツナギ橋登山口に行く。2台既に停まっていて後1台のところに駐車できた。

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12時5分、出発。渓流に沿って杉の森の中を登っていく。

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4本の木を合わせ、歩きやすく細い板を取り付けている橋で渓流を渡る。

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25分後、単独ハイカーが降りてきた。更に20分後、犬を連れたハイカーも。これで車の持ち主が釣り師ではなかったことがわかる。

13時13分、カッコソウの保護地帯を行く。

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生えている木の上部を切って彫り、紫色の帽子を被せ、赤い布を巻いていた。

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 ひと登りして(くぬぎ)田峠(850m)に出る。

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カッコソウの保護への賽銭箱に献金してから昼食にする。

13時35分、ドングリや栗の実が落ちているルートから始まり、登っていくと、第2、第1展望と続き、14時、頂上に出る。赤く小さな鳴神神社の下、石で三方を囲んだ中に標識がある。

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周り込んで上に行くと石の祠があった。大展望からは紅葉の木々の奥に赤城山が、左奥に雪の浅間山が見えた。

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一帯のアカヤシオの木には白テープを巻き付けて鹿の食害から護っている。

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帰りは一気に降りて行く。渓流の音がリズミカルだった。

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15時15分、駐車場。10分後、ホテル桐盛館の電話番号をカーナビにセットして出発。県道66に沿って街に入ると、群馬大学工学部の脇を通る。話題が2年前、前橋市にある医学部附属病院で腹腔鏡手術を受けた患者が相次いで亡くなったケースになる。審査を受けない単独医師の判断と能力というより、組織の問題ではないか。

16時、桐生の末広町にある旅館の駐車場に車を停める。先に宿泊代を払ったが、領収書は、こちらから言わないと出さない。2階のツイン部屋で飲んでから、健康効果のある麦飯石の風呂に入る。両毛線のガードの先にあるファミリーマートで明日の朝食分を買いに行ったが、酒と湯上りでいい気分になって帰り道を忘れてしまい、マートに来た人に教わって帰る。

18時半、夕食。他に若者が2人来てそそくさと食べて戻る。我々も部屋に戻る。ここでは一番広かったが、東横インと同じスタイルで狭苦しかった。

20時、就寝。

 

11月2日(木)快晴 根本山(1199m)、熊鷹山(1168m) 18831

4時起床。お湯を沸かしてポットに入れ、更に、ここで飲むお茶用に沸かす。洗面後、冷蔵庫に入れておいた朝食を食べる。NHKは4時半にニュースと天気予報を流していた。5時過ぎに出る。車で昨日のコンビニに寄って昼食を買っておく。店員の話だと群馬大学の学生もコンビニでバイトすると残飯を食べられるので食費を浮かせるメリットがあった。

再び県道66を走行、梅田大橋の手前で分かれて県道337を北上する。空は朝日を浴びて薄赤く染まっていたが青空になる。桐生川に沿って徐々に高度を上げていく。3000ccの車ぎりぎりの所も無事、通過。ガードレールのない箇所は慎重に走る。

6時半、三境林道と車止めゲートのある登山ルートとの分岐点の手前にある駐車用スペースに停める。小用を済ませ、ストック1本用意して10分後、出発。

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徒歩6分で登山口(570m)が現れる。左手に根本山瑞雲倶楽部による根本山参詣路の歴史遺産についての詳細な案内図があり、右手に中尾根コースを案内していた。徒歩5分で林道との分岐点に出る。

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道標に従って歩いていくと耳型天南星の実を見つける。

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7時7分、登山口に熊除けの鐘があったので鳴らす。

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最初から急登だった。桧の森の中、呼吸を整えて足を運ぶ。

7時35分、石祠で一本立てる。再び根本山瑞雲倶楽部による鐘があった。

 

       鐘鳴らし熊潜むらし山奥へ

 

傾斜地のルートは注意して進む。右手の峡谷からの水音だけが聴こえる。25分後、急角度の山に取りかかりロープがあったが、ストックを使って登る。

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右手に5千本の桧の植林が続く。

8時40分、桧林と別れ、紅葉しだした広葉樹を見ながら登る。10分後、中尾根十字路を通過。樹林の間から、西側の三橋山に続く稜線の下の色が横に茶色くなっている。伐採の後だろうか。アカヤシオの木々の中を進む。

9時5分、根本山登頂。視界がないので休まずに降りて行く。

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20分後、雑木林の中に十二山、根本山神社に出る。小柄な白御影石の御社殿や鳥居が建っていた。

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神社沿革を彫った碑によると、明和8(1771)年、根本山神、大山祗神、薬師如来を祀る山岳信仰があり、文化3(1806)年、小野清典が本地仏薬師如来を守る12神将を納めて以来、十二山と呼ばれるようになった。明治29年から昭和2年まで祀職永澤宗次郎親子が居住したが、翌年、社殿を焼失していた。昭和61年、永澤家達の有志が石宮奉納碑銘を立てている。近くに参拝者記帳簿函があり、留め金を外して中にあるノートに日付け、日本山岳修験学会会員と名前を書いて納める。

DSC00112.JPG参拝者記帳簿函

松の多い雑木林の中を降りて登り返す。

9時50分、氷室山との分岐点(1140m)。

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再び降りてアップダウンを繰り返す。足元に黄金虫を見つける。

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ルートは落ち葉で見えなくなっているが稜線を行く。やがて後ろから人声が聞こえて来た。

10時半、登頂。お互いの写真を撮り終わった後、3人のハイカーが現れる。

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館林からで大体近辺の山を登り尽くしていた。一緒に展望台に上がり、山を同定する。筑波山や富士山が見えたが、デジカメでは写らない。登って来た根本山や男体山は良く見えるが、男体山の左奥に見える雪を被った白根山もはっきり映らなかった。

DSC00122.JPG根本山

DSC00121.JPG男体山、左手前、十二山

20分後、下山。彼らはここで食べて行く。ルートは落ち葉でクルブシまで埋まってしまう。

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 下り行く落葉埋もれる山道を

 

600m進み、標識を確認して降りて行く。

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テープが信頼できた。20分で石鴨林道に出たので一本立てる。

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2本のストックを洗っていたら、3人が先に行く。10分後、石鴨林道を歩き出す。一帯は十二山国有地だった。Iがスピードアップして3人の先を行く。左手に流れる川がずっと下にあったのが滝になって近づく。渓谷美を満喫する。やがて石組みしている個所や砂防が現れ、治水が行われているのがわかる。

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滝が続いていた。

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一般道路通行禁止のゲートを通過。

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左手に曲がりくねった木を見過ごす。

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12時35分、駐車場。川が見える所で水の音を聴きながら食べる。

13時15分。出発。2回、対向車に会ったが、対向車が我々の車が来るのを見ていたのか待っていてくれた。25分後、CAINS HOMEの市場で里芋、隠元、山芋、春菊を買っておく。一時期は8人雇っていたが、今は老夫婦で営んでいた。街に入る。本町4丁目には金光教桐生教会があった。

14時半、太田桐生ICから高速に入り、岩舟JCTから東北自動車道を走行。

15時10分、薄田SAが満車なので手前の羽生PAに入って水を飲みながら精算を済ませる。ここは池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の舞台を再現、江戸時代モードで統一している。立ち食い処、「本所さなだや」の蕎麦処などが軒を連ねていた。外国人も来ているが、我々も惹きつけられる。

DSC00133.JPG羽生PA

25分後、出発。川口から中央環状線に入って渋滞、荒川にかかる橋を眺めると都会に帰ってきた実感が沸く。

16時50分、王子北で降りて集合場所で別れる。30分後、帰宅。

 

        里芋や買うて妻への旅土産

 


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グランパの山歩き

                    群馬百名山3座の旅
  1. 2017年10月25~26日

  2. 同行者:I

  3. 交通手段:I

  4. 宿泊所:常盤館一泊二食 11800円+税

  5. 地図:山と高原地図21西上州
  6. 総経費:2万円

 

10月25日(水) 曇り時々小雨  天狗山(670m)、稲含山(1370m) 12050

群馬県甘楽郡の天気予報:降雨確立30%、気温12~19℃

 4時半、起床。昨夕、買っておいたオニギリを食べる。

 5時半、出発。小型リュックを担ぎ、首にかけられるバッグをかけて出発。地下鉄南北線の西ヶ原駅まで歩く。既に薄明るくなっていた。15分で着く。始めて来た。

DSC09974.JPG西ヶ原駅改札口

 5時47分発に乗り、2分で王子駅。4番出口から地上に出て三井住友信託銀行の裏の待ち合わせ場所に行くとI 車が既に来ていた。王子北ICから首都高速に入る。対向車線は既に渋滞していた。圏央道、練馬から関越道を走行、藤岡ジャンクションで上信越自動車道へ左折、吉井ICで降りる。国道254に入り、甘楽町の7イレブンで昼食用の弁当を調達する。

 8時15分、赤い天狗像のあるところを左折する。

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 雨が少しフロントガラスにあたる。10分で白倉登山口に駐車。15分後に歩き出す時には雨もやんでいた。足元には痩せ細った蛙や蜘蛛を見つける他、生き物は我々だけだった。大木を3本繋げた橋を渡って行く。

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 8時50分、標識のある所を通過。

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 湧き水が岩の間から出ている「かなごの滝」には紙垂(しで)を木と木の間に垂らしている。

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 大木に赤ペンキが塗ってあるが、近くは倒木などで歩きにくく、緩やかな渓流を行く。

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 意外とルートが取りにくく、時間がかかった。登山道になってからは、左手に渓流を見ながら石蔵や幅広の滝を通る。

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 9時40分、新しい鳥居を通過。

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 刈り取った大木の跡一面に苔が生えていて中から水が流れていた。

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 水場を過ぎて登って行くと廃小屋が見える。20分後、天狗像が現れる。左手に烏像、右に団扇を持った像が我々を睨んでいる。

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 白倉神社の前を通り、昭和34年、建立の皇太子記念碑を過ぎるとコルに出て右に行く。

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 10時10分、登頂。早速、証拠写真を撮り合う。地元の人は「お天狗さま」「金光山」とも呼ぶ。信仰の山だった。

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 連なった芒の穂の下、轟登山口に白いボックスカーが見えた。5分後、下山。同じルートを2本のストックを使ってホイホイ降りて1時間で駐車場に戻る。車で小幡地区から県道46号に出て左折、織田家7代の墓など、一度訪ねている所を横目にして「秋畑地域交流センター」等「秋畑」の名前を見ながら進む。

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 22日の衆議院選挙の後で「小渕優子」のポスターが残っている。遅れを取り戻すために茂垣峠まで出て稜線を昇り降りして、旧秋畑稲含神社には寄らないことにした。ジグザグに上って行く。時々、でこぼこした所もあり、余りスピードは出せなかった。

11時半、高度1060mの柴垣(旧鳥居)峠は広かった。登山案内図で確かめる。雨模様なので車内で弁当を食べる。

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12時10分、出発。分岐点を通過。

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 25分後、鳥居を通過。ジグザグに登って行く。

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 朴(ほお)や馬酔木、雑木林の中を登る。

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 ロープや石段、鞍部には両脇に木製の手すりがあり、良く整備されている。

13時15分、展望が開ける。ベンチも用意されていて下仁田町の集落が眼下に見える。

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急な所にはチェーンも用意されている。

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10分後、分岐点を右に取り、子育て石仏を左手に見る。

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13時37分、稲含神社。1990年に建てている。8分後、登頂。いなふくみ山。ここは下仁田町栗山地区だった。方位版があっても曇り空、風も吹いているので写真を撮って直ぐ神社に降りて休む。

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神社の許可を得て置かれた82冊目のノートには、昨日来た人が「展望、最高」と記し、2時間前、岩井実氏が889回目と書いていた。毎年5月3日に大祭が行われ、在所の人々が参拝にやって来る。いろんな校歌を防水のケースに入れて壁に貼ってあった。地元の小学校から高校まであり、生徒が登れるようにし、木々の名前を案内していたのも納得する。小さな木を呑み込んでいる木があり、解説している。

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ウリハダカエデという木の名前を学んだ。

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14時40、駐車場。我々を待っていたかのように雨が降り出す。傘をドアと車体の間に差して靴を履き替えて助手席に座る。20分後、出発。植えた木を一本一本保護していた。

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未舗装の道なのでゆっくりと走行。栗山地区から高倉川に沿って降りて行き、人家が現れると舗装道になる。カーナビの画面に現在地が映り、清流荘の前を通過。

15時45分、下仁田町の中心にある常盤館に着き。狭い駐車場に入れる。中に入って名乗り、宿帳に名前を書いて、秋畑という姓の人がいないか聞いてみた。いないが、主人の名は「進」で同じ、誕生日は昭和16年12月6日。真珠湾攻撃の前なので進軍とは関係なかった。東京から山好きのグループも利用していると言う。

昭和初期に竹久夢二が宿泊、宿賃の代わりに絵を描いていたようで、そこらじゅうに複製がかかっている。本物は伊香保の記念館に所蔵されている。

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17時、入浴。大正時代からの家だが、風呂やトイレは新しくしていた。

18時、我々2人だけで、ビールを飲みながらコンニャクの刺身、地元の具材を使った料理を食べる。食後、精算し、朝食用オニギリをもらって廊下隅に置いておく。

 21時、就寝。

 

10月26日(木)快晴 物語山(1019m) 16543歩(登山10648歩)

 4時、起床。洗面後、お茶を飲みながら、大きなオニギリを二つ食べる。

 5時半、出発。国道254(信州街道)に出て西に向かって12キロ、サンスポーツランドへ左折。登山案内図で確認してから駐車場(高度395m)に停めて準備。公演内のトイレで排便を済ます。

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 6時20分、橋を渡り、林道を歩きながら徐々に高度を上げて行く。峡谷に沿って歩く内に滝が見えて冷風を感じる。

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 足元にミミガタテンナンショウの実を見つける。

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7時間25分後、登山口。(高度680m)

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沢を越えて、杉の森の中をジグザグに登る。15分後、広葉樹林の中を登る。やがて「頂上まで75分」の標識が現れる。一帯がスレート状になり、ガレ場を滑らないように注意しながら行く。右手に炭焼き窯が残っていた。

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案内標識が5分毎に、後55分まで置かれていた。単調な登りの中、励ます意味があるのだろう。

8時32分、鞍部に出て右に取る。

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ロープも幾つかあって、使いながら登る。

 

         秋の山誰にも会はず頂へ

 

8時50分、登頂。

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樹林の中、裏妙義山が見える。

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物語山という名前は、近くのメンベ岩に財宝を埋めたという物語があるからだった。ここも5分で下山。西峰に行けば浅間山が良く見えるのだが、帰る途中、何とか撮れた。

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帰りは、慎重に降りて行く。雨天では来ない所だ。

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高度800mで鳥の鳴き声が聴こえ、更にせせらぎの音がする。滝が現れた。更に湧き水を見つける。

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登山口に出て歩くと、濡れていた箇所も乾いて歩きやすかった。

10時55分、駐車場。地域の管理人がいて、枝払いのノコギリを持っていた。20分後、出発。国道254を走行、途中、下仁田の道の駅に寄る。アスパラ菜や里芋、胡瓜を土産にする。下仁田ICから高速道に入る。

12時40分、高坂SAで電気充電を30分にセットしてから昼食をとる。

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中国語を話す家族がいたが、注文後、画面に現れる番号がわかるので、数字が現れれると取りに行かれるので日本語がわからなくても問題なかった。ここには「蕎麦湯」もポットに入れてサービスしていた。旅の精算を済ませて出発。練馬付近や圏央道もスムース。

14時半、集合場所に戻り、次回も同行することを確認して別れる。完


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グランパの山歩き



                         房総半島5座の旅

1.2016年11月30日~12月2日

2.同行:家内

3.交通機関:自家用車 全走行距離366km

  有料料金:首都高速¥720、アクアライン¥800、館山自動車道¥730、鋸山登山自動車道

  +駐車料金¥1000、洲崎駐車場¥200、館山・京葉道路¥850、首都高速¥410

4.宿泊:館山休暇村0470-29-0211 一泊二食¥13000

     小湊・三水別邸0470-95-3333 一泊二食¥21075

5.施設:鋸山拝観料¥600、館山城及び市立博物館¥300

11月30日(水)晴 鋸山(329m)、富山(349.5m)

 6時、出発。首都高速に入り、川崎浮島ジャンクションからアクアラインで平均水深27.5mを約10km走行。

 7時、「海ほたる」に出て駐車。トイレ休憩。東京湾のド真ん中からの景色を眺める。

DSC08680.JPG海ほたる

      DSC08681.JPG                                          

 20分後、出発。今度は約4.4km海上の橋を渡って料金所を通過。木更津南ICで国道127(内房なぎさライン)に出て南下、浜金谷を過ぎ、明鏡トンネルを通って直ぐ、左折。料金を払ってジグザグに登り、山頂駐車場に停める。階段上りがきつい家内は休む間、浅間神社まで上る。世界救世教「天啓聖蹟」碑が立っていた。ここで岡田茂吉教祖が1931年6月15日未明に祝詞を奏上、1935年に本教を創立している。百尺観音に圧倒される。

DSC08693.JPG百尺観音

DSC08706.JPG百躰観音

 山頂展望台では係員が工具を使って枯葉を吹き飛ばしていた。西国観音、二天門、坐禅石、四国・坂東・秩父観音を合肥した百躰観音、あせかき不動と千五百羅漢道を通り、維摩窟から聖徳太子像を下から仰ぎ、天台石橋を越えて水量僅かの不動滝を見て戻る。

DSC08720.JPG聖徳太子像 

DSC08725.JPG不動滝

 車で大仏口に移動。大仏前参道を下りて行く。「鋸山日本寺案内図」でわかったが、大仏広場の近くまで無料の鋸山観光自動車道が出来ていた。団体がやって来る。徳島県から羽田まで飛行機で来てバスをチャーターして「いわき」にあるハワイアンセンターを訪問しての帰りだった。彼らは近くのトイレに行ったり、集合写真を撮ってすぐ戻る。大仏は宇宙全体が蓮華蔵世界の浄土であることを現わし、人間の本性の限りない解脱の自由と世界平和の象徴として1969年に再現されたもので高さ31m日本最大の磨崖仏。広場からは浦賀水道と浮島が見える。

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DSC08734.JPG浦賀水道、浮島

    秋うらら海に向かって磨崖仏

 車に戻って国道127を南下、二部を左折して県道89に入って高速道路の手前にある道の駅「富楽里(ふらり)とみやま」で家内を降ろして別れ、富山に向かう。DSC08767.JPG

 県道89を走行、右手に見える富山を見て麓に行く道へ入って細い道を行くと、西ノ沢地区に出て、みかん園の駐車場案内が見えたので、そこに駐車。みかん園で収獲している人に確認して歩く。ここから伊予ガ岳が良く見えた。

DSC08738.JPGみかん園

DSC08737.JPG伊予ガ岳

              房総の蜜柑畑の迷ひ道

 森林の手前で電気関係のトラックが戻るのを待っている人がいた。道を進むとトラック2台に会う。

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 11時35分、富山北峰に登頂。電波塔も建っていた。1999年2月5日に散策された皇太子夫妻の記念碑がある。展望台には一眼レフカメラを持った男がいた。天気が良ければ、富士山が見える。

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      皇太子雅子妃記念碑

 10分後、来た道を確認しないまま、降りたのが間違い。おかしいので戻って別のルートをとる。これも違う。樹齢約300年の巨木が立つルートで中年夫婦に会い、福満寺口から来たと言うので、そのまま降りる。国道258に出て歩いていると、麓からやって来た車に会い、事情を話す。「これから、そちらに行くので、どうぞ」天の助け。道の駅を通過して戻り、西ノ沢で停まってもらう。ハンドバッグに寸志を置いて細い道を歩いて駐車場に戻る。午後1時過ぎ、道の駅で家内と人気ラーメンを食べる。ここには千葉駅の他、東京、新宿駅へのハイウェイバスが来ていた。食後、宿泊先の館山休暇村に向かう。

午後2時15分、時間があるので、城山公園と市立博物館に寄る。黄葉の銀杏並木と落葉、ツワブキの花が彩っていた。

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ツツジや桜の木の先に日本庭園があり、万葉の径には詩碑がそこかしこに立っている。八犬伝博物館がある館山城に入る。1580年、里見義頼が築城したが、1614年に廃城。1982年、再建されて今日に至る。錦絵など里美八犬伝に関する資料を見ながら階段を上がる。最上階では全国の天守閣を案内していた。望楼から四方を眺めてから降りる。彫刻の径(みち)を歩く。現代彫刻9基あり、青木三四郎作「光と風と夢」が良かった。博物館本館の近くに佐藤忠良と舟越桂の作品もある。

DSC08791.JPG光と風と夢

DSC08793.JPG市立博物館

館内には、里見氏に関する資料、甕棺、舟棺などの出土品、安房地方の歴史資料や2階には昔の民家を再現していた。八重山諸島と同じ形態で黒潮の流れに沿って伝わっている。他に、地元に住んだことがある水墨画家岩崎巴人(1917-2010)の記念室があった。        午後3時35分、出発。日の入りを見に洲崎(すのさき)灯台に行く。15分後、最初にあった駐車場に停めて灯台に向かう。東京湾に出入りする船舶の目印として1919年12月15日から点灯、建物は有形文化財に登録されている。

三浦半島が近くに見えるのはわかるが、伊豆大島が大きく見えていた。

DSC08827.JPG伊豆大島

上空に鳶(とんび)が飛び交い、眼下にお台場海浜庭園が見え、近くにマーガレットを咲かせていた。

DSC01099.JPG洲崎灯台

 DSC08823.JPGマーガレット

一度日差しが薄く見えたが、雲行き悪く、日の入りを諦める。駐車場管理人に鳶のことを聞くと、地引き網で残った小魚などをねらっていた。一路、来た道を走行。

        地曳網残りの餌待つ鳶かな

午後4時50分、休暇村303号室にチェックイン。波打ち際に近く、空がどんよりしているのが残念だった。早速、汗を流してから温泉に浸かって5時半からの夕食に間に合わせる。ビュッフェスタイルで和食を中心にとる。頼んでおいた伊勢海老の刺身を食べる。未だ髭が動いている。

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 明日の天気予報は雨80%。覚悟して寝る。

12月1日(木)雨のち曇  伊予ガ岳(336.6m)、御殿山(363.9m)

 6時半、起床。1時間後、朝食。家内は9時24分、バスに乗り、JRで鴨川に行き、送迎バスに乗ってシーワールドで過ごし、午後2時前後に落ち合うことにする。

DSC08833.JPG館山休暇村

 8時20分、雨支度、傘を差して車に行き、カーナビをセットして出発。県道257から踏切を越えて北条で国道128に入り、地域医療センターの角を左折、県道88を一路北上。1時間後、道の駅「三芳村」鄙(ひな)の里に寄ってトイレタイム。平久里中の天神郷で鳥居を潜って登山者用の駐車場に停める。雨用の登山靴に履き替える。ここの天神社は菅原道真を主祭神としていた。鳩山一郎内閣総理大臣銘の忠霊塔が立っている。左手の道を歩いていく。

 9時57分、登山口通過。案内板によると、山名の由来は、阿波斎部氏の故郷四国の石鎚山、別名伊予の大岳からで、天神社と共に天狗伝説が語りつがれている。6分後、登山道に入り、竹林の中を歩いて富山との分岐点を右にとる。

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 小降りだった雨もやんでいて助かる。道は整備されていて、コンクリ製で年輪まで作った丸太で危険防止箇所に立ててチェーンで繋いでいたり、階段を作っている。最後はロープを使って登る。

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 10時43分、登頂。晴れていれば富山の双耳峰が見えるが、ガスの中なので直ぐ降りる。

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 薊が咲いていた。小屋で小憩。

 11時20分、駐車場に戻り、登山靴のまま御殿山に向かう。県道89を走行、10分後、山田地区に登山道案内があり、細い道を入っていく。遊歩道看板の近くに駐車。林道を歩いて行く。

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 登山道になった先に「大黒様」の案内がある。行ってみると祠に鎮座していた。

眼下に里がよく見える。

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            里山の大黒様も冬めいて

 16分後、大日山・宝篋山方面と分かれて頂上へ高度30mほど登っていく。

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 12時20分、登頂。奥にある小屋で日差しを浴び、コーヒーを飲みながらパン、ミカン、バナナを食べる。富山、伊予ガ岳を眺める。至福の時だった。

DSC08873.JPG御殿山頂上

DSC08877.JPG左、富山、右、伊予ガ岳

 20分後、雲が出てきたので下山。車に戻って靴を履き替え、携帯で家内に午後2時前後に着くと連絡してから出発。国道410に出て長狭中前で県道34、長狭街道を平均時速60キロ以上で走行、長狭高で国道128へ左折する。鴨川シーワールドの先の道路脇で待つ家内を乗せて行く。薄桃色の巨大な亀田総合病院の前を通過、いくつものトンネルを越えて小湊に出る。日蓮で国道を離れてホテル、土産店を通り、指定駐車場に停める。

 午後3時10分、三水別館にチェックイン。3階の部屋に案内される。カードには結婚45周年を祝うメッセージが書かれていた。案内してくれたメグミさんから過ごし方の説明があり、大和芋を使った饅頭を食べながら、お茶を飲んで一服する。道を隔てて日蓮宗の誕生寺があるので境内を散歩する。総門から入り、両側に真新しい石灯篭が並んでいる参道を歩く。誕生寺仁王門を通る。1758年の火事では、ここだけ焼失を免れた。

DSC08884.JPG総門

 DSC08885.JPG仁王門

  両側に松崎法橋作の金剛力士像が睨んでいる。

DSC08888.JPG左、吽形像

DSC08887.JPG右、阿形像

1276年、日蓮の弟子日家が誕生寺を建立。1498年、1703年の大地震で水没、現在の祖師堂は1842年建立のものだった。手前に松の木が保護されながら、枝を四方に延ばしている。

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日蓮の御幼像もある。12歳、善日麿と称していた時に清澄山に修行出家した時の姿という。谷あいに墓が続いていた。

DSC08894.JPG日蓮幼像

DSC08897.JPG祖師堂

 帰りは道路に出て小湊神社を横目にして漁港に出る。鯛をねらって釣りをしている人がいるが成果は出ていない。海に沿って歩いて行くと大小の弁天島が見えた。波しぶきがひどくなるまで行って戻る。三日月ホテルが内浦湾を睥睨していた。三水ホテル別邸に戻る。

DSC08905.JPG左、小弁天島、右、大弁天島

DSC08909.JPG三水別邸

 部屋にはベランダ、洗面の奥に温泉風呂があった。

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 浴衣に着替えて本館の浴場に行き、汗を流す。肩と足の筋肉を良くほぐす。午後5時半、指定した部屋に行って、会席料理を楽しむ。果実酒に始まり、刺身の五種盛り、伊勢海老造り、フカヒレの茶碗蒸し、和牛たたき、箸休めはシャーベット、海鮮豆乳シャブシャブ、煮物、酢の物、海藻の浜汁、真鯛の炊き込み、そして水菓子は手作りトコロテンの自家製餡蜜。厚めの座布団を二つ重ねたので楽だった。

DSC08914.JPG刺身盛合せ

DSC08915.JPG茶碗蒸し

DSC08917.JPG炊込みご飯、浜汁

 2時間近く楽しんだ。WIFIの利用は諦め、テレビを見て寝る。

 12月2日(金)晴 高后山(315m)

 6時起床。部屋にある温泉に入って筋肉をほぐす。仕度を済ませ、サービスのビールをカートに入れる。7時半、本館の311号用の部屋に行く。水、お茶、オレンジジュースをテーブルに置く。9マスの皿二つに漬物、鰯、昆布、蒲鉾などの料理が置かれていた。他に半熟卵、揚げ魚、鯛漬けに味噌汁と炊き込みご飯を食べる。8時半、精算を済ませて車に行き、シルクヴィラ・ホテルにカーナビをセットする。近くで舟を引き上げるべくロープを使って回していた。

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 昨日、来た道を戻り、長狭街道で長狭中前を右折して国道410を北上、山域を走行、君津市に入り、トンネルの手前で左折して坂を上がって目的地に着いて家内に待ってもらう。一帯は「ロマンの森共和国」というリゾート地で、子どもが一日遊べる施設があった。

 奥畑に高后山への標識が小さく立っていた。細道を入って間もなく車進入禁止の標示が見え、手前の三差路にある一画に駐車。靴を履き替えて行く。杖代わりに傘を持つ。

 9時40分、登山口から登り始める。樹林帯の中、整備された道を緩やかに登っていく。

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 25分後、八良塚との分岐点にベンチがあるので一本立てる。関東ふれあいの道をひたすら歩く。分岐点には必ず標識があるので、それに従う。

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 キロ数が段々減るのが楽しみになる。昨日の雨でぬかるんでいるところは慎重に進む。曲がりくねり、高度220ⅿ~240m台を降りたり登ったりが続き、更にぬかるみのルートを降りて行くので不安になった。

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 11時10分、山頂への標識を見つけてホッとする。残り300m。今度は一気に登る。コンクリ丸太の階段を登り、ロープを使う。

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 13分後、登頂。房総半島のド真ん中にいるようで山稜しか見えなかった。写真を撮って直ぐ戻る。

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 一度、ベンチのある所でいっぽん立てる。歩き出して間もなく初老夫婦に会う。千葉市在住、天気が良いと房総の山を登っている。

「富士山見えましたか」「もう少し早ければ見えたと思います」

 12時45分、車に戻る。靴を履き替えていたら、上空に飛行機が飛んでいた。

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 家内に電話。15分後、ホテルで待っていた家内を車に乗せ、近くで食べられるという露天風呂「白壁の湯」に行ったが誰もいなかった。自宅まで一般道路でいくようにカーナビをセットして出発。国道410から465、東栗倉で県道92、房総スカイラインを北上する。

 午後1時40分、君津市大井戸の「ゆめ一茶」に入る。鶏肉入りカレーうどん定食(960円)を食べたがボリューム、味とも満足する。建物も古風な感じを出していた。

DSC08942.JPG「ゆめ一茶」

 食後、国道127、16に入り、片道2車線を走行。袖ヶ浦、市原を通過したが、度々渋滞情報が入る。

 午後3時過ぎ、蘇我ICから館山自動車道に入り、カーナビをセットし直して時速100キロ平均で走行。錦糸町ICで降りてスカイツリーの真下を通り、不忍通り、本郷通りを走行。夕食を買って帰る。完

DSC01126.JPGスカイツリー








グランパの山歩き [登山mountaineering]



            雷山(955.3m)

1.2016年10月26日2.単独3.交通機関:レンタカー4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山、国土地理院・2万5000分の1雷山

はじめに

 魏志倭人伝や邪馬台国に関わる場所を旅する中で、神功皇后が登られたという層々岐山(雷山)を登ることにした。皇后は糸島市前原から伸びている県道564に沿った三坂神社で休まれた後、山に向かい、下山後も休まれたことが伝えられている。私は前日、吉野ヶ里遺跡を訪れ、温泉で汗を流した後、松梅街道で三瀬峠を越えて三坂から同じルートを走行、前夜、国際キャンプ場の先、標高約570mで車内泊した。 

10月26日(水)晴

 5時40分、薄明るくなり、小用を兼ねて周囲を歩くと広場があった。車を移動させ、ウーロン茶を飲みながらオニギリ一つとミカンを食べる。

 6時35分、ストックをリュックに差して出発。道路を歩くこと15分、標高約670m地点で全面通行禁止の看板の先は道路が陥没していた。

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 左手に梯子が出来ていたので昇り、歩いて、梯子を降りて進む。崖陥落工事のキャタピラーはレンタルだった。

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 7時18分、左手に登山口があり、杉林の中を一気に高度を上げる。

DSC08129.JPG登山口

 5分後、雷神社上宮に出る。石の祠が3つ、主祭神は層々岐明神。

中宮には水火雷電神を祀っているので、山名がついたのだろうか。

雷山自然歩道と合流しているが、下の分岐点近くにある千如寺は、

インド僧清賀上人が建立したという。ピークハンターの癖というか

時間の都合で諦める。

DSC08130.JPG雷神社上宮

 標識には「山頂まで524m」とか自然歩道への距離を案内していた。

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 木段に白い茸が群生。

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 出発後、1時間経ったところで5分休む。ガスっているので葉の雫が落ちて来る。

DSC08134.JPGDSC08134.JPG

 苔のついた岩と熊笹の間を歩き、稜線に出て間もなく頂上が見えた。

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 8時、登頂。ガスの中、大きな岩の傍に座ってオニギリ、チョコバーを食べる。

DSC08140.JPG DSC08139.JPG

 標識には西の長野峠、東の井原山(いわらやま)を案内している。

 車で来なければ縦走したいルート。20分後、ストックを伸ばして下山。

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15分後、登山口。歩いていると眼下に糸島市が見える。

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崩落ヶ所を除けて通った先に「危険」案内の看板が立っていた。車に戻り、アンダーシャツとパンツを着替える。

 9時、出発。雷山国際キャンプ場が見え、来た道を下りて、魏志倭人伝に出て来る伊都国について学ぶため歴史博物館に向かう。

DSC08148.JPG雷山国際キャンプ場






グランパの山歩き [登山mountaineering]



基山(きざん)(404.5m)



1.2016年10月23日(日)



2.単独



3.交通機関:レンタカー



4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山・山と渓谷社



     国土地理院2万5000図・二日市





はじめに



 元気な内に北部九州の歴史探索の旅に出た。古代人の遺跡巡りや魏志倭人伝に出てくる史跡を辿るのが趣旨。その中で663年、白村江の戦で敗れた大和朝廷は、山城の大野城と対にして基山にも朝鮮式の山城を築いた。偶々、近くの小郡市に住む友人の家に泊まったので、登ることにした。山名は「きざん」と呼ぶが、町名などは「きやま」と呼んでいる。



10月23日(日)晴 丸林コース



 8時20分、朝食をいただいてから出発。国道3号を北上して基山駅手前を左折、線路下を通過して信号のある秋光を右折、県道300を走行し宮浦ICの下を通過して丸林集落を通過して登山口「基肄城水門跡」に着く。

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 8時55分、出発。水門は城の南側にあり、高さ1.4m、幅1m、奥行き9mある。樹齢約240mのタブノキがあり、その上の広場には高さ8.5m、長さ26mの石垣があった。

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 ルートを歩いていると右手に水場があったので口を濯ぎ飲んで行く。

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 6分後、分岐点にさしかかり、右手の史跡めぐりコース歩道を歩く。脇の藪にはジョロウグモが幾つも蜘蛛の糸を張り、頭上にもあった。18分後、案内地図があり、木段の登山道に入る。

DSC07808.JPGDSC07812.JPG登山口

 桧植林の中を進み、丸尾礎石群、礎石群の石を眺めていく。

DSC07814.JPG丸尾礎石群

DSC07816.JPG礎石群

 倒木に茸が群がっていた。

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    切り株の縁に群がる白茸



 9時38分、北帝門跡への標識を通過すると視界が開け、山頂が見える。基肄椽城跡の

碑が立っていた。

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DSC07822.JPG基肄椽城跡

 辿り着き、汚れた方位盤で山名を確かめる。先端に立つ塔まで行く。途中、右手の眼下に    草スキー場と標高320mの登山口が見えた。15分前後で登れてしまう。「いものがんき」という標識が立っていた。

DSC07824.JPG眼下の登山口

DSC07826.JPGいものがんぎ

 防衛上、尾根を切り取っている。塔は1933年に建立した、太宰府防衛の為この山城構築を命じた天智天皇の欽定之碑だった。

DSC07829.JPG天智天皇の欽定之碑

 眺めていると、中年男性がやって来て

脇の大岩について説明してくれる。(たま)々石と呼ばれ、荒穂神社のご神体で神が降臨する岩だった。

DSC07828.JPG霊々石

 南側にぼんやり見えたのは普賢岳だった。

DSC07831.JPG左上、普賢岳

 筑紫野に住んでいて、時間がとれると山に来ている。真っ直ぐ降りる道を教えてくれて別れる。



10時、折り畳みストックを伸ばして下山。只管足元を見ながら降りて行く。高度330mで水の音が聴こえた。

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25分後、分岐点に戻り5分後、車に戻る。




グランパの山歩き


       群馬県百名山:御飯岳・鼻曲山登山の旅

1.2016年10月3日~4日

2.同行者:I

3.交通手段:I車・三菱アウトランダー

4.宿泊:ペンション「アンデルセン」℡267-46-2522素泊まり2人¥7000

5.地図:山と高原地図 17志賀高原・草津、19浅間山・軽井沢

6.諸経費:¥13000

10月3日(月)曇り時々小雨 御飯岳(おめしだけ)2160m)13373

 6時、王子駅北口の三井住友銀行裏にI車が到着。乗り込んで王子北から首都高速に入り、環状道路から関越自動車道路を走行。雨天の中を通過することもあった。アウトランダー車は自動的にワイパーが動いて滴を拭き取る。

7時半、上里ICでは雨に降られず、車に電気を30分充電する。カードを機械が読み取り、太い管を車に差し込む。作動したところでトイレに行き、無料のお茶を飲みながら、テレビで天気予報を観る。今日はところにより雨が降るが、明日は晴れる。近くにある給茶機や育児室を英語と中国語、韓国語で案内していた。

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8時5分、出発。20分後、渋川・伊香保ICで降りて国道291を走行。途中のコンビニ「SAVE ON」に寄って山で食べるものを買う。ここは前橋に本社があり、群馬県を中心に展開していた。我妻川と鉄道を見ながら遡上、Iは温泉好きの奥さんと四万温泉などに来ている。

9時半、八ッ場ダムの工事が再開していた。国道145号から144になると、反対車線にトラックが増える。長野県上田市に通じる道路のせいだろう。東電の出力7.4MWの今井発電所の脇を通過。笹平で22キロある万座ハイウェーに入り、料金所で1050円払う。天気も良くない月曜日、すれ違う車はない。万座に出て硫化水素ガス危険地帯を通過、プリンスホテルの方へ道をとり、県道466から112号へ左折、一車線の道を走行して毛無峠に着く。標高1823m。一台の車が破風岳の方に停まっている。

DSC07341.JPG破風岳

眼下の小串硫黄高山跡だけ鼠色になっていた。

DSC07343.JPG中央、小串硫黄高山跡

10時50分、靴を履き替え、ストック1本を用意して出発。熊笹とハイマツのある岩場の道を登って行く。

DSC07372.JPG毛無山DSC07373.JPG

最初は脇道に行ってしまい、頂上を目指す。ここにはハクサンイチゲなどの食草がないので雷鳥は生息していないようだ。30分かかってケルンのある頂上に出る。

DSC07345.JPG毛無山頂上

前方の景観を眺めてから、高度50mほど降りて登り返す。DSC07346.JPG

熊笹から針葉樹林の中に入り、ひたすら稜線を歩く。足元に次々と茸を見つける。視界がない分、楽しめた。

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DSC07352.JPGDSC07353.JPG

13時10分、登頂。写真を撮ってから、オニギリ二つ食べ、ポットのお湯を使ってIにコーヒーを、私はお茶を飲む。尾根の先に黒湯山と万座山が見えた。

DSC07355.JPG御飯岳頂上

DSC07356.JPG右から万座山、黒湯山

30分後、下山。ガスの中を降りていく。両脇を草刈機で刈ってあるので安心して降りられる。ナナカマドの実が生っていた。

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やがてガスがなくなり、右手下に小布施町が見えて来た。

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14時50分、車に戻る。20分後、宿泊所の電話番号をセットして出発。帰りは草津経由で北軽井沢を目指す。途中、ロープウェーが作動していたが、お客が乗っているようには見えなかった。

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殺生河原の近くは素通りして下りる。草津の街を通過、高度を下げて大津を左折、すぐ羽根尾で右折して国道146を南下する。北軽井沢は未だ群馬県だった。

17時15分、中軽井沢にあるペンションに着く。標高1045m。1階が中華料理店だった。男性1人で運営、先に宿泊料を払い、2階210号室に入る。我々以外に客はいない。ポツポツ雨が降っているので、階下で食べる。大ジョッキのビールで乾杯後、2品とってシェアーして食べる。食後、温泉ではない風呂に入ってから部屋で持参の焼酎を、お湯割りで飲む、テレビでは大隈教授のノーベル生理学・医学賞受賞に沸いていた。21時、就寝。

10月4日(火)晴 曲山(はなまがりやま)(1655m) 18310

5時起床。20分後、鍵を1階の置き場に入れて出発。近くのコンビニに行ったら、6時開店。首都圏や繁忙期とは違う。軽井沢駅の方に出てセブン・イレブンの駐車場で3分待って入る。シラス入り弁当を温めてもらって車内で食べる。食後、店内の選別ゴミ箱に空を捨てる。中国語でも案内しているので店長に聞くと、「中国人が利用する。英語は近くの修道院関係が多い」と言う。観光地はどんどん国際化していた。

6時45分、出発。Iはスキーをやるので冬にも来るが、軽井沢アウトレットはゴルフ場を使った広大な敷地だった。近くを走る新幹線は5両の内、2両の色が違っていた。長日向の登山口に向かう。最初は豪壮な別荘に圧倒され、日光街道のように道の間にカラマツ並木が続いていた。

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小瀬の料金所で400円払って通過。係員に確認すると橋を渡って直ぐという。地図上、別荘地の脇だが、新入禁止の看板が出ているので、他を探す。「竜返しの滝」案内があるので更に奥に行って、確認。やはり別荘地の先に行くしかなかった。別荘地には丁度、車が停まっていた。地図を持って声をかけると網戸越しに聴こえて男性がやって来て教えてくれる。地図通りゲートまで行き、右手の看板に薄く「亀曲山」と書いてあるのを見てもIは逡巡している。彼は単独で山梨百名山に挑戦する中、道迷いなど苦労していたようだ。駐車できる場所まで戻って停め、支度して行く。

8時17分、出発。ゲートの左手には「熊注意」の看板がある。

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2人して鈴をリュックにかけ、車が通れる道をゆっくりと登って行く。猪が掘った跡、栗のイガやドングリの実が落ち、大羊歯が両脇に生えていた。

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植林されたカラマツ林が続く。

DSC07386.JPG唐松林

 9時、林道とクロスした所の日陰で一本立てる。その先で分岐点があり、どっちともとれるテープがある。地図に巻き道と書いてあるのを忘れて真っ直ぐの道を選ぶ。以前にできた道らしきところを登り、土塁のようなところは上を歩く。磁石で方向を確かめながら登る。今日も足元に茸を見つける。倒木などに生えていた。

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 右手にルートを見つけて登る。赤テープの先は視界が開けた。

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 再び雑木林に入り、長いロープを使って登る。

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登り終えると長日向ルートの標識があり、右手が頂上だった。

 10時3分、登頂。三角点はあるが、標識は朽ちている。鉄棒に取り付けた真新しい板に「熊野修験」「奉修行上野・信濃國鼻曲山」「十月吉祥日・那智山青岸渡寺」などと書いてある。他の文句は良く読み取れなかったが、ここが修験の山であることがわかった。*(末尾参照)

DSC07401.JPG 頂上の修験碑

 西側の樹間に浅間山、東側に角落山の岸壁、南東に大天狗が見えた。

DSC07405.JPG浅間山

DSC07403.JPG角落山

 15分後、下山。スロープを使って降りる。分岐点に戻って赤テープを巻き道の枝に吊るす。林道の交差点で休憩中、タイツを脱ぎ、ジッパーを外して半ズボンにする。
 11時40分、ゲート通過。今日も誰にも会わなかった。20分後、出発。旧軽井沢に入ると重要文化財の旧三笠ホテルには人が集まっている。天気が良いので街にも、いろんな人が散策している。若い青年は中国人だろうか。軽井沢駅前で左折、高速のインターチェンジは遠いので碓氷峠を越えていく。181曲がりある。センターラインを車が越えないように曲がる箇所に出っ張りがある。紅葉の時は、身動きができないルート。途中、熊ノ平地区では左手に旧鉄道のトンネルが幾つか見え、大きな碓氷橋が見えた所へは「アブトの道遊歩道」が通じていて、見物に来ている。

DSC07416.JPG碓氷橋

 松井田妙義ICから高速に入って富岡を通過する。

13時40分、ハイウェーオアシスに入る。SAとは違い公園風にして中央広場に小川を流し、周りに花の交流館、レストラン、直販店が建つ。

DSC07420.JPG ハイウェーオアシス

「道の駅ららん藤岡」でもあり、一般道からも入れた。蕎麦屋を見つけて入る。木の香りがするような新しい雰囲気だった。Iが今回の精算をしている間、トレーを運んだり、下げたりする。宿泊代が安く済み、半分以上が高速料金だった。食後、別れて土産品を買う。私はイチジク、里芋、茄子、春菊を買う。
 14時20分、出発。順調に走行したが川越IC5キロ前から渋滞。事故多発地帯の看板が立っている。30分に1キロレベルで動く。左の低速車線の動きが速いのに気づくのが遅かった。

15時50分、左、一車線通行になり、事故現場を通る。軽自動車は横転、運転手は病院に行っているだろう。トラックの方は前方を少し破損しているだけだった。

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Iは時速100キロで走るが、他の車は遅れを取り戻すべく、ビュンビュン追い抜いて行く。35分後、新板橋で首都高速を降りて飛鳥山公園の手前で別れ、自宅まで歩いて帰る。年齢の割に歩き過ぎたのか、臀部の筋肉通が残った。


 

*翌日、メールで日本修験学会会長鈴木正崇先生に不明な点を教えていただく。

「那智山青岸渡寺」の御本尊は如意輪観音です。西国三十三所観音霊場の第一番、ここを根拠地にして活躍する修験がいます。鼻曲山の近くにある桂木観音は行基が修験の霊場の葛城山に似ているので名付けたという由緒があり、巡拝したのかもしれません。




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