グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
紀伊半島の山旅④
奥駆古道その2
5月17日(土)晴
4時、目覚まし時計が鳴って起きる。Ⅰは既にトイレに行っていた。レインウェアを着て洗面所に行く。空には明けの明星だけ輝いていた。昨夕、食べたところで日の丸オニギリを食べる。5時、出発。昨日、歩いた道を戻り、本堂を通過。献金した人を彫った看板が堂の脇に並び立つ。聖地も、金次第の大きさの塔や看板に幻滅。降りはじめ、地蔵岳の頂上を左に巻く。朝日が昇り、原生林の中、立ち枯れた木が目立つ。
6時5分、小笹の宿。小屋の中を見ると3畳ほどの寝場所にヤカンとコンロがあった。赤い行者堂と不動明王像があり、大きな岩の下に、修験道を再興した当山派の祖、理源大師聖宝像が祀ってあった。
下に川が流れ、一帯に坊舎があったが、今はキャンプ地。ここで西行が詠んでいる。
いほりさす草の枕にともなひてささの露にもやどる月かな
上田秋成「葛篭(つづら)冊子(ぶみ)」によれば、西行が歩いた釈迦ヶ岳から三重ノ滝まで辿ろうとしたが、ここから洞辻を経由して洞川に下りている。
小鳥が斉唱する中、ブナの森の尾根を歩く。30分後、阿弥陀が森の女人結界門を通過。女人禁制のことを英語でも説明していた。平成4年5月に外国人女性2人が突然、山頂に現われたため柏木に下ってもらったことがあり、英文の掲示が追加された。柳田国男によれば、古来女性の神秘な霊力を畏怖することからタブーができたようだ。
阿弥陀が森はモミの木々が多い。普賢岳の左手は絶壁。降りて脇宿に着く。モミの大木の下に碑伝といわれる板の標識が並んでいた。森羅万象の中、とりわけ目立つ岩や木に潜む神を祀っているのだろう。根こそぎ倒れた木の根っこは現代美術になる。明王ヶ岳を過ぎると石楠花が増える。
焦げ茶の小鳥が鳴きながら飛び去った。行者にならって「サンゲ(懺悔)サンゲ、六根清浄」と唱えながら登る。
7時45分、小普賢岳。遠く法螺貝の音が聞こえる。大普賢岳の下10mのところを右に巻いていく。水太覗から眼下にブナの原生林が広がっている。日当たりの良いところのミツバツツジと石楠花は既に咲きだしていた。
日当たりや先に咲く花蜂来たり
8時48分、国見岳で休む。ここから先は鎖場が多くなる。稚児泊りを通過、七ツ池から登る。
9時55分、七曜岳。長い木の梯子(はしご)を下りていく。5人組ハイカーが弥山からやって来た。10分後、和左又山への分岐点を通過。「みなきケルン」が立っていた。1965年5月1日、大阪工業大学体育会ワンダーフォーゲル部2回生の田畑南樹君が吉野から入山、ここで全員の手当ての甲斐なく亡くなる。重い荷物を背負わされ、疲労困憊していたのだろう。冥福を祈る。新緑の木々の下、バイケイソウが群生。行者還岳に向かう道をとらず左に降りていく。役行者が諦めて帰ったというだけあって急だった。梯子を何度も降りていくと、大阪から来た夫婦2組が行者還岳を目指してやって来た。西行は宗南坊行宗を先達として大峯修行をしており、この辺で詠んでいた。
屏風にや心を立てて思ひけむ行者はかへりちごはとまりぬ
11時30分、行者還小屋に着いて奥の庭で食べることにする。ここは天川村の米田富太郎氏が2003年完成させたいた。
日の丸オニギリと甘カンを食べる。焚き火の跡で燃やせるものを全て燃やしてリュックを軽くする。小屋にはトイレもあり、中は2階になっていた。12時、出発。弥山や八経ヶ岳が近づいて見えた。バイケイソウが群生した尾根を歩く。
13時20分、避難小屋で1本立てる。行者還小屋で食事していた単独の男がやってきた。トンネル西口に降りて帰るという。歩き出すとシロヤシオの木が増えてきた。トンネル西口からの分岐点を過ぎるとハイカーが増える。世界遺産になったせいか標識も5年前より格段に増えていた。
14時10分、石(いし)休場(やすば)跡で休む。陽がかげってきたので、修験道当山派の祖聖宝(しょうぼう)坐像の奥でシャツを着、ズボンのスソ部分を付け加え長ズボンにする。段々とハイカーも減り、代わって鳥が鳴きだす。木段を登っていく。行者還岳を眺めながらジグザグに行く。
登り詰めると立ち枯れたシラビソ林の先に八経ヶ岳が見えた。役行者が法華経8巻を埋納したところだ。15時50分、弥山小屋。平成6年に建てかえられている。
鉄山ルートから来た関西13人と5人のパーティが着いていた。オカマ風小屋案内人がリュックは廊下に置くなど小屋のルールを伝えて、2号室に3組押し込む。13人が1階、我々とシニア2人が2階にアサインされた。
17時、食堂で夕食。ポットにお湯を入れてもらうと100円かかる。ビール350ccが600円。食後、サンダルで外に出てみる。平成2年6月14日に来られた皇太子の行啓記念碑が立っていた。大町桂月が大正12年夏に詠った歌碑もあった。
目に近く弥山を見つつ峯々を終日こゆる奥がけの道
トイレを済ませて早々と床につく。Ⅰが明日の朝食・昼食分を確保してくれていた。
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