グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
背振山(1055m)
地図:国土地理院1:25000背振山
山と高原地図55・福岡の山々
1.2003年6月14日
2.単独行
3.西鉄バス:南薬院―早良営業所―椎原¥760
椎原―早良営業所―赤坂門¥770
6月14日(日)曇
前日、福岡西鉄バス総合案内所でバスの時刻を確認しておいた。天気予報では、ところにより雨だったが曇っていた。一応、レインウェアと傘を持っていく。
9時8分、4分遅れで17番バスがやって来た。乗客は2人だけ。
9時30分、早良営業所に着く。バスターミナルだった。西鉄タクシーも駐車している。快速バスからハイカーが2人降りて来た。
9時52分、椎原行きのバスに一緒に乗り込む。脇山小学校から谷あいを登って行く。一ツ田でハイカーが降りて行く。ここからだと金山に向かうようだ。
10時15分、椎原に着く。同年輩のハイカーと舗装した林道を歩く。雨が降らないとわかっているせいか軽装だった。どんどん歩いて行く。大井手橋、中の尾橋を通り、石垣の脇を通る。ハイカーの車が幾つか駐車していた。車谷コースとの分岐点でハイカーと別れる。
予定より15分早い。林道通行止めの地点から登山道を歩く。落葉広葉樹のイヌシデやアカシデの混じる林の中を歩く。背振山が見えた。
林道を横切り、落葉性針葉樹のメタセコイア林の中を登っていく。2組追い越す。水場があったが、顔をぬぐうだけにする。背の低い林の中になるとゆるくなった。椎原峠に出ると、中年夫婦がベンチで食べている。鬼ヶ鼻岩が見えていた。
一服してから九州自然歩道を歩く。カシやコナラの林をぬって行く。時々ツツジの花が残っていた。アサギマダラ蝶を見つける。エゴノキの木がたくさん花を咲かせている。
「唐人の舞」への道があったが、寄らずに真っ直ぐ歩く。何人かと擦れ違う。林道に出ると近くに気象台レーダーがあった。バスで一緒だったハイカーに会い、コースの状況を話し合って別れる。ブナ林の中では木道になり、水場から登って行くとキャンプ場に出る。航空自衛隊の鉄条網沿いに登っていくとレーダー用ドームの右手に背振神社が見えた。レーダー施設の中に修験道の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の石像がある。
13時、背振山登頂。弁財天を祀った神社の脇に標識が立っていた。
家族や中年女性3人組達と一緒にベンチでオニギリをぱくつく。ベンチに天道虫がいた。金山まで良く見える。油山の先に福岡市街と福岡湾が霞んで見えた。佐賀橋まで自然歩道を歩くことも考えたが、バスの便数が少ないので椎原に戻ることにする。あっという間に北側を雲が覆ってしまう。ホイホイ降りて行く。
14時、矢筈峠には、道端に標識が置いてあった。
ロープを使って降り、沢を何度も渡る。ワサビが栽培されていた。このルートは羊歯や茸が多い。林道に出ると「椎原まで急ぎ足で50分」と書いてある。バスは1時間置き に出ていて15時18分に間に合わせるため急ぐ。
15時前、林道に戻る。走っては歩き、走っては歩いて出発5分前に停留所に着いた。私だけ乗せて走り出す。早良営業所の近くで、ビールを飲みながらラーメン餃子を食べる。
15時55分、快速バスに乗って天神前の赤坂門で降り、歩いて西鉄グランドホテルに戻る。
※背振の由来:諸説紛々。国の中心地や都を意味する朝鮮語ソフルという説。新羅の原号であったソの村フルから来ている説。百済からきた七福化編みの一人弁財天の馬が背を振った説。秦の始皇帝の命により、徐福が不老不死の薬草、千振(せんぶり)を山中に求めた説。
Sefuriyasan(1055m) border of Fukuoka pref. and Saga pref.
300famous mountain of Japan
1.Access:Bus is available by Nishitetsu. Hakata bus terminal-Shiihara
2.Information:Fukuoka city office(092-711-4111)
3.Season:Mar to Dec
Records:Jun14
10:15-10:45 walk from Shiihara to Kurumatani.
10:45-11:40 climb among Inushide, Konara, Metssequoia woods to Shiihara pass.
11:50-13:00 walk Kyushu nature trail to peak and take meal. There is huge radar dome.
13:40-14:00 down to Yahazu pass.
14:00-15:15 back to starting point by other route.
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