グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

         北アルプス縦走の山旅②

              大天井岳(2922m)、燕岳(2762.9m)

1.2012年7月25~26日

2.単独

3.宿泊:燕山荘テント¥500 夕食¥2700 朝食¥1300

4.温泉:湯原の湯¥700

5.バス:中房温泉―穂高駅¥1700

6.地図:国土地理院1:25000有明

    昭文社・山と高原地図37上高地・槍・穂高

7月25日(水)

 2時、ヘッドランプを持って外に出る。広いところまで上がり、満天の星を眺める。星の名前を同定することより、流星が通るのを待ち、先月19日に旅立った友を偲ぶ。ゼミの同期生で、他のグループだが年賀状のやり取りはしていた。彼の親友と食事をした折りに、そろそろ会おうと思っていた矢先、帰らぬ人となる。今度の山旅は、元気な内にやっておかなければならないことの一つだった。

          流星のごと友逝きし夜深し

 4時半、皆が起き出して下に降りていく。近くにニコンのデジカメがあった。隣りの青年に見せたが、彼のではないので、カウンターに届ける。ここのトイレは6つとも洋式だった。

 5時、朝食。食券を見せて席に案内され、食べながら槍を眺める。

110.JPG常念小屋から

6時、常念小屋を出発。

111.JPG

広場に出て、富士山と南アルプスの一部を撮ってから登る。

113.JPG右、横通岳

50分後、横通岳の脇を通過。ハイマツが尾根に生えていた。岩の上に雷鳥が立つ。

127.JPGハイマツと雷鳥

    雷鳥や岩より望む槍ヶ岳

メモをとっていると、年輩のハイカー(先生)が行き過ぎる。先生は一眼レフを持つほか、デッサンもしていた。話が長くなりそうなので、先に行く。1時間に1回くらい、岩稜を通る。

7時50分、風もおだやかになり、岩の窪地で先生と話す。山歴は40年以上、途中、大腸癌に始まり、口腔癌、骨髄炎、食堂癌を経験。山の霊気と気力で生きながらえているのだろうか。右手に八ヶ岳方面が見えた。

119.JPG

なだらかに登って行き、残雪を踏んで東天井岳の下を超える。コマクサとイワツメグサが咲いていた。

121.JPG

122.JPGコマクサと槍ヶ岳

デジカメの画面が明るすぎるのでバッテリーを替えたら治る。コバノコゴメグサとチシマギキョウを撮る。

125.JPGコバノコゴメグサ

126.JPGチシマギキョウ

風景が変わり、薬師岳方面が見えてきた。槍ヶ岳の小槍も見える。単独の若い女性ハイカーに会う。

10時前、ヘリが槍ヶ岳に向かっていた。一本立てていると、小さな花に蜜蜂がやってきていた。後ろには富士山が見える。

128.JPG

10時35分、大天荘。小屋脇のベンチで風が来ないように長椅子にガスを置いて湯を沸かしパック米とカレーを温めて食べる。先生がやって来た。

「老眼と乱視の入った眼鏡を、どこかに置き忘れてきた」

「時間はたっぷりあるので一度、戻ったらどうでしょう」

戻っていく。高校山岳部20人がやって来て、ここの料理を注文していた。

136.JPG大天荘

食後、空身で頂上まで行く。

129.JPG大天井岳頂上130.JPG

 134.JPG右、表銀座縦走コース、左、高瀬ダム湖

登り15分、下り10分かかった。

12時10分、下山。30分後、槍ヶ岳への喜作新道との分岐点に出る。

138.JPG

女性が単独で向かっていた。更に降りて高度2500m切ったところで登り返す。ペア、3人組とルートを辿る。

13時5分、一本立てる。鉄梯子を登り、やせ道を通る。モミジカラマツが咲いていた。

142.JPGモミジカラマツ

コマクサの保護地の間を通る。道が曲がる前に振り返ると、登頂した大天井岳や槍ヶ岳が良く見える。

143.JPG右、槍ヶ岳、左、大天井岳

 アオノツガザクラを見つけた。

145.JPGアオノツガザクラ

岩稜に出る。足元に注意して通る。降りて登り返して蛙岩を通過。

146.JPG蛙岩

山荘から空身で来ている親子に先を越される。前方に燕山荘が見えてきた。

147.JPG

15時35分、燕山荘。ここにも中学生が来ている。ぎゅう詰めは充分経験した。夕食2700円、朝食1300円、テント場代500円を払い、食券とテント用プラスチックカードを渡されてテント場に向かう。

001.JPG

良い場所は既に張られていて、奥のトイレに近い段で一番離れたところにザックを置き、シュラフを出して広げる。ストックを持ち、水ポットを携帯バッグに入れて担いで燕岳に向かう。

151.JPG燕岳

 花崗岩の岩頭の間を通り、奇岩を登っていく。

16時30分、燕山登頂。長野放送のスタッフが撮影に来ていた。頂上には名前を書いた石版しかない。

148.JPG

大天井は、下からできた雲が上空の雲に合流して隠れてしまう。かって登った裏銀座の峰々を眺めてから戻り、1時間ほど休む。

18時半、レインウェアを着て燕山荘に行き、立って生ビールを飲みながら、夕食を終えた人と一緒に赤沼健至さんのホルン演奏と話しを聞く。安曇野の中学生を応援していた。登山の仕方や高山病対策に梅の効用を説き、マッキンレー登山でも生かされたという。宿泊者からの賀状には10年送っている。ドイツ人グループも撮影していた。

彼は創業者赤沼千尋氏の3代目で出身地の有明荘、昼食時の大天荘、明日、通る合戦小屋といった燕山グループの代表だった。山と渓谷社の雑誌によると、一番好きな山小屋日本一に選ばれている(2007年)。

19時からの夕食に参加。奥に座る。流石に美味い。向かいに還暦を迎えた群馬県のオッサンが隣りの若い同行者に自慢話しをしながら酒を飲み食べている。30分後、赤沼さんの演奏と話しが始まっているのに、しゃべっている。「聞きませんか」と声をかけると、大人しくなった。内容は、毎回変わらないようだ。

155.JPGランプの下のホルン演奏

帰りにお湯をプラティパス容器に半分入れる。トイレも使わせてもらってから、テント場に帰り、残った焼酎のお湯割りを飲む。下の段では親子のテントと若者の二組が騒いでいたが、やがて静かになる。足元が冷えてきたのでフリースの中に足を入れる。今夜も星が出ていた。眺めながら寝る。

7月26日(木)

2時、トイレに行った後、靴を履いたまま寝る。

4時半、上の段にいた若手ハイカーはテントをたたんで出発。朝焼けの風景を眺める。

157.JPG

 洗面具を持って山荘に行く。ここもトイレは洋式だった。

4時45分、食券を見せて席に案内される。未だお腹の方は起きていない。味噌汁を飲みながら食べる。お茶を何杯も飲む。雲の上から朝日が出る。外に出ると、今回、一番晴れていた。

158.JPG浅間山付近からのご来光

 テント場に戻ってパッキングして出かける。赤沼さんが、大型の三脚を持って撮影から帰って行く。燕山荘にテント使用カードを返す。

5時55分、下山。バッグが軽い。ヘリが槍の方に行き、人らしきものを吊って降りる。今度は荷物を運んでいた。

165.JPGヘリによる搬送

 有明山は、ここから見ると上が台形のようになっていて名山には見えない。

162.JPG右、有明山

6時半、合戦小屋。高度2370m。ここがヘリの拠点だった。ケーブルで運んだものを次々と2人のスタッフが用意していた。

166.JPG合戦小屋

 水は出ないし、スイカは未だ販売していなかった。樹林の中を降りていく。

6時55分、富士見ベンチで一本立てる。確かに良く見える。

168.JPG富士見ベンチから

 シャツを脱ぎ、半ズボンになる。どんどん登って来る人が増えてきた。登り優先なので待たされることが多くなる。カップルと一緒に降りると、相手が単独だったり、年輩者だと待ってくれることもある。

          汗かいて登る人待ち山降りる

 休憩している高校生グループがいた。引率している先生に「燕山荘は混んでます」と言うと、テント泊だった。

8時、一本立てる。後は一気に降りる。

9時、中房温泉立寄りの湯「湯原の湯」。9時35分に乗合バスが出るが、風呂を優先。脇のテントにザックを置いて入る。かけ流しの露天風呂。5日振りに身体を洗い、風呂に浸かる。同行した男もやって来る。2回目は胸下まで浸かる。

172.JPG湯原の湯

 風呂から上がってベストを除き、今まで着ていない衣類と靴下を履く。食堂で生ビールを飲みながら、地元の鶏を使ったカレーライスを食べる。肉らしきものは入っていない。ここにはバスドライバーも食事をとりに来ていた。

11時半、余り油を売っていられないのでザックを置いてあるところに行き、ザックからゴミを出せるようにしておく。高齢ハイカーも風呂から出て来た。次のバス出発は12時35分発だが、バス乗り場に行っておく。するとオッサンが声をかけて「今から出発するから」と言って手前のマイクロバスに案内する。既に4人乗っていた。白バス。最後部、高齢ハイカーと座る。彼は上高地から同じコースを、同じ小屋に泊まっていた。これから松本に出て高速バスに乗って新宿経由で横浜に帰る。中房川に沿ってクネクネと走り降りる。有明山は下から見ると、信濃富士と言われるだけあって鋭角の立派な200名山だった。ドライバー曰く、地元では小学高学年から学校行事で山に登っていた。「教育県だったが、今は最低。親が過保護で、生徒達の先輩後輩の関係がなくなり、おかしくなっている」と嘆いていた。途中、携帯が使えるようになったので従兄弟に連絡、予定より30分早く着くことを伝える。穂高西中学の横を通過。

12時50分、穂高駅。ここには道祖神を祀っていた。

173.JPG

 広場の向かいには安曇野市観光協会案内所がある。待つ間、近くのソバ屋で抹茶ソフトクリームを食べる。

13時20分、従兄弟が日産Xトレイルを運転して来た。未だ新しい。カーナビもいろんな装置がついている。この時間ETCの割引が効かないので、韮崎まで一般道を走る。国道19号から20号、諏訪湖では県道を走行、途中、山梨県に入ったところにある道の駅でトイレタイム。序に桃やトマト、ゴーヤを買う。中央高速に入って、通り雨に遭遇、順調に走行したが、八王子過ぎて渋滞、高円寺まで14キロ渋滞だった。SAに寄らずに走行。時速40キロで行けた。

18時20分、高円寺で降りて、渋滞中の環状8号を走行。駅の近くで赤信号になったところで、後ろの荷物をピックアップして別れる。京王電鉄で渋谷行きに乗り、山手線も通勤客が一段落したせいか、新宿から座っていけた。

19時40分、帰宅。まずバッグから洗濯物を出して、シャワーを浴びる。

Otenshoudake( 2922) in Nagano pref.

                  200Famous mountain in Japan

Tsubakurodake( 2762.9) in Nagano pref.

                  200Famous mountain in Japan

1.AccessCar is better.Nagano expressway ToyoshinaIC→ pref.road57,25,327,       Nakafusa onsen

2.AccommodationEnzansou(0263-32-1535)one night two meals 9500yen

Jyonengoya(0263-33-9458) one night two meals 9500yen

3.InformationAzumino city Hodaka branch(0263-82-3131) 

4.SeasonmidJul to Oct

RecordsJul25

6:00-6:50    Climb ridge and traverse Yokotoushidake(2767m) .

6:50-10:35   Walk ridge up and down to Otensho lodge and take meal.

11:25-12:00  Climb to Otenshoudake and back to lodge.

12:10-13:05  Down to junction and turn right and go on.

13:15-15:35 Up and down ridge using ladder, pass Geeroiwa(frog lock) to Enzansou(2712m).

16:00-16:30  Climb from Enzansou to Tsubakurodake.

16:45-17:00  Back to Enzansou and stay camp site. You can enjoy scenery and dinner at Enzansou hearing alp horn performance by owner.

RecordsJul26

5:55-6:50    Down to Kassengoya(2350m) and Fujimi bench where you can see Mt.Fuji.

7:00-7:55    Down zigzag among forest.

8:00-9:00    Down to Nakafusa gate and take spa.


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