グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

             大山(1709.4m)

1.1999年8月10日~11日

2.単独行

3.交通:広島―米子(特急)4940+¥1150 バス:米子=大山¥1720 米子―広島¥3800

4.宿泊:ホテル真田¥4000

5.地図:国土地理院1:25000伯耆大山

     昭文社・山と高原地図53大山・蒜山高原

8月10日(火)

 宿泊所広島プリンスホテルは、6日の原爆記念日式典に参加した小渕首相が泊まっていた。5年前、宇品島の中に建ち、橋一つで繋がっているので警備上、安全なリゾート風ホテル。

 13時半にチェックイン。シャワー、洗濯をすませる。20分置きに出ているバスに乗って広島駅に向う。八丁堀など市内の目抜き通りを走っていくので時間がかかった。

 16時、駅前に着き、取りあえず近距離最長切符を買って入る。10分、快速スーパーらびっと号四両編成は7番線ホームに入ってきた。三原駅までノンストップ、検札の時に米子までの追加料金を支払う。

 17時50分、福山で、孫2人を連れたお祖母さんが隣に座ってきた。兄妹は仲良くタコ焼きを食べ、ポカリスウェットを飲み、お祖母さんは「午後の紅茶」を飲みながら岡山までの駅名を延々と教えている。岡山からバスに乗って孫たちをジジババの家に連れて行く。倉敷駅で降りて新見まで鈍行に乗り継ぐ。待つ間に米子駅近くの宿泊先に電話、グリーンホテル米子は満室、ホテル真田には一室残っていたので予約する。各駅電車は通勤用で通勤、通学客で一杯だった。リュックを網棚に置き、何とか座らしてもらう。耳栓をつけて本を読む。夜の一人旅は、景色に誘われることなく読書に集中できる。途中、対向車や特急の通過を待つ。

         夜汽車乗り一人書を読む夏の旅

 20時11分、新見駅。電車は折り返し岡山に向う。5分後に特急「スーパーやくも25号」がやって来た。お客は殆ど休んでいる。走る響きが心地よい。

 21時17分、米子駅に着き、大通りに面したホテル真田に入る。部屋は奥にあり、テレビ、バス、トイレ付きで山小屋より格段に良い。缶ビールを飲んで休む。

8月11日(水)

 7時、チェックアウト。駅に行って大山寺行きのバスを確認する。

9981101.JPG米子駅

 2つの会社が運営していて7時40分発があった。駅内のコンビニで登山用の食糧を買い、ざるソバを食べる。鮭寿司が売りの店「米吾」に入って昼食用に鮭寿司を買っておく。バスに乗り込むと、年配のハイカーが前に座る。東京発の夜行バスで7時に着き、登山後は玉造温泉に入って帰る。日本の山と温泉を歩きまわっておられる。利尻から屋久島まで、いろいろと顛末を聞く。バスは国道24号線を走っていく。

 8時40分、大山寺。先輩と別れ、広島行き高速バスの時刻を確認しておく。米子発は15時30分と18時10分があった。観光センターに寄って登山情報を得、序に洗面具や本をバッグに入れて預からしてもらう。

 9時、出発。旅館街を抜け、川を渡り、石畳の参道に入る。志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した場所、蓮浄院は荒れていた。

9981102.JPG蓮浄院

 参詣道に入っていく。左側の水路に水はけがよくなるように道が傾斜していた。杉林の中、学生が山に向って走っていく。合宿で運動しているようだ。行者谷からはブナ林をジグザグに登っていく。1時間後に見晴らしの良いところに出る。

9981103.JPG

 眼下では砂防工事を大々的にやっていた。家族が多い。小学生の女の子が「オハヨウゴザイマス」と挨拶する。福山から祖父母と一緒にやって来たという。6合目避難所を通るとホソバノヤマハハコや薊、紫陽花の花が咲いていた。

9981104.JPGホソバノヤマハハコ

 11時5分、8合目を過ぎると尾根に出る。高度1600m、冷風が気持ち良い。

9981108.JPG

 見慣れぬ花がどんどん現れる。おばさんハイカーに名前を聞く。「どっちだったかしら」と迷っていたら、避難小屋からオジサンがマイクを使って教えてくれる。「紫色のがウツボグサ、白がホソバノヤマハハコ、黄色がコオトハナ」

9981107.JPG

 木道が山頂まで続いていて自然が保護されている。ダイセンキャラボクという樅に似たイチイの変種の木が地を這うように枝を伸ばし青々としていた。かって山頂一帯が禿山になって雨水による侵食が進み、地元の人が登山者に呼びかけて麓から石や苗木を山頂に運ぶ「一木一石運動」を展開した成果だ。

 11時35分、弥山に登頂。雲海の上に立ち、清々しい。

9981105.JPG大山頂上

 剣が峰への道は通行止めだった。

9981106.JPG中央、剣ヶ峰

 蜻蛉が気持ち良く飛び交っている。停まる姿は、尾を高くあげているのもいたり、いろいろだった。

         雲上の伯耆富士山蜻蛉舞ふ

 背中にあてたタオルを絞ったら、汗水がドッと出てくる。気圧のせいでパック入りインスタントソバがパンパンに膨らんでいた。お湯を入れて食べる。

 12時半、出発。今度は石室を経由して降りる。梵字ヶ池は枯れあがっていた。右も左も瓦礫、下からガスが立ち込めてきた。元の道に戻る。バスで一緒だった先輩が休んでいた。

9981110.JPG

 夜行で来たので、やはりかなり疲労している様子だった。ストックを使って降りる。

 5合目で行者コースをとる。木棒で出来た階段が続く。ハイカーは、いなくなる。その内、堰堤工事現場に着く。

9981111.JPG

 ここには元谷避難小屋もある。炎天下から見上げた風景は、上高地から望む穂高連峰に似ていた。ブナ林を降りていく。一息ついて横になって休む。空というキャンパスに無数の葉が埋まっていた。

         昼寝時ブナの葉模様天に画く

 大神山神社が下に見えてきた。

9981112.JPG大神山神社

 遠回りして「僧人コース」を降りていく。参道には「日本一長い自然石の参道」と書いてあった。参道の土産店でビールを買って飲んでいたら、福山から来た家族に会う。

 14時40分発のバスに乗り込む。米子発15時30分に間に合うかどうか、運転手に聞くと、上手くいっても丁度その時に着くので無理という。諦めて途中の米子市美術館前で降りる。ところが水曜日は閉館。近くの米子市立山陰歴史館に入る。ここは15年前まで市庁舎だった。米子城の築城から代々の城主のことや、明治時代の人力車やだるま式自転車が陳列してあった。館長がかってミャンマー日本人学校に赴任していたため、ミャンマーの資料も展示されていた。面白かったのは大日本金満家リスト。明治36年では、大関に小西新右衛門、本間光郷。関脇に三井源右衛門、三井守之助。別格に毛利、前田、島津など元大名家の名前が書いてある。昭和4年になると、横綱は岩崎家、大関に住友家、小結が野村徳七。2.26事件の西田税は米子市の出身だった。

9981114.JPG山陰歴史館

 外に出て、星座をあしらった街路を歩いて駅に行く。広島バスセンターで切符を買っておく。食事を済ませトイレでシャツを着替え、バスの中で汗臭さがないようにしておく。

 18時15分、予約客が乗ってから出発。座席は倒せるし、居心地が良い。しばらく川に沿って登っていく。2時間近く一般道路を走ってから中国自動車高速道路に入る。七塚原サービスエリアで10分休憩。その間にキツネソバを掻きこむ。

 21時25分、広島バスセンター着。タクシーでホテルに戻る。

Daisen(1709.4m)  in Tottori pref. 

           100Famous mountains in Japan

1.AccessBus: from Yonago station to Ohyamaji.

2. InformationOhyama town Ohyama branch(0859-53-3311) 

3.SeasonMay to Nov

RecordsAug11

8:45-9:00   Walk from Ohyamaji bus station(770m) to gate.

9:00-10:20  Climb to 6th stage(1411m).

10:25-11:05 Climb to 8th stage.

11:05-11:35 Climb tree way among Daisen taxus cuspidata to peak and take meal.

12:30-14:30 Down to starting point.


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。