グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
雲取山の山旅①
三峰神社・白岩山から雲取山荘へ
1.2012年10月11日~12日
2.単独
3.交通:西武池袋―西武秩父レッドアロー号7:30-8:58¥1370
西武観光バス 西武秩父―三峰神社9:10-10:25¥900
4.宿泊:雲取山荘1泊2食¥7500
5.地図:国土地理院1:25000雲取山、三峰
昭文社・山と高原地図25奥秩父1
6.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑫東京都の山
雲取山へは12年前、「三条の湯」を経由して水無尾根から登頂、同じルートを戻っている。今回は三峰神社からのコースを登り、奥多摩の石尾根を下りて奥多摩駅に出ることにした。
10月11日(木)
前日の天気予報では雨だったが、降っていない。それでも雨仕度をして、靴も雨でも問題ないものを履いて出る。コンビニで非常食や昼食を買う。駒込駅のスタンドでは日経かスポーツ新聞を並べていた。
6時59分、山手線内回りに乗る。既に通勤客で混んでいて、ザックを下ろして立つ。池袋駅の地下道では人が足早に動いていく。西武池袋線のホームに電車が着くと、若い女性が走り、他の人は堰が開いた川の流れのように改札口に向かって行く。特急乗り場は別にあった。
7時24分、特急到着。
お客は別の改札口に行き、係員が車内のカーテンを直した後、座席方向を隔列毎に自動操作で反転。出発3分前に改札口が開いて4Dに座る。前後の客はゴルフ談義。飯能で8人が一緒に降りていく。残った客は座席を反対側にしていた。ここで向きが変わって出発。横瀬駅に停まって武甲山を見ると、石灰岩で削られた崖が段差をつけて植物らしき緑色をしていた。
8時58分、定刻に西武秩父駅に到着。駅員に確認して6番バス乗り場に行く。外人女性が座っていた。未だ時間があるので観光案内所に寄ってバス時刻表をもらう。
9時10分、秋晴れだが、雨の予報のせいか我々2人だけを乗せて出発。彼女の名前はメラニー、ベルギーのブラッセル出身。10日間の日本旅行で、大輪で降りて三峰神社に行く。既に日光や富士山を眺めに河口湖に行き、この後、鎌倉に行く。案内の紙に英語でマークしていたが、日本語は通じない。
2年前、三峰神社で嘉悦短期大学のK教授と俳句同好会の生徒と一緒に句会に参加、妙法ヶ岳に登り、翌日、神官に案内されて清浄の滝での禊ぎを体験して大輪まで降りたことがある。思い出しながらルートを解説する。英語の他、全然使っていなかったフランス語も浮かんできたので、話すと通じた。ブールージュに行った時のことを話す。
途中、登ったことのある熊倉山が良く見えた。
三峰口駅前で時間調整している間、ドライバーが山の状況を教えてくれる。最近、熊が出没。特に5月、桜の実を食べに麓にも現われると言う。神官が禊ぎに行く途中で熊に襲われて怪我したこともあり、熊狩りをしていた。メラニーに伝え、前方の道が曲がっていたり、坂を登り終える前には、声を出すように言う。ソニーの一眼デジカメで私を撮り、送りたいというので、メールと携帯番号を書いた名刺を渡し、何か困ったことがあれば連絡するように言って大輪で別れる。
バスは一方通行のトンネル前で2分間停車。ドライバーの後ろに座って話す。彼は時計バンド作成の会社勤務の後、タクシー運転手となり、今の仕事に就いて6年になる。週末や観光シーズンになると利用者も多く、臨時バスを運行することもある。三峰神社の方で、路線の赤字を補填していた。年輩者の利用が多いせいか車内の携帯電話や財布の忘れ物が多いと言う。二瀬ダムを渡り、ジグザグに登って行く。秩父湖の水は僅かだった。ヘリポートを通過して広いバス乗り場に着く。神社内の興雲閣に泊まっていた年配者のグループが待っていた。ここから正面に和名倉山が見える。
秋空や予報外れの山日和
階段を上がると左手に雲取山、右手に飛竜山が見える。
今年4月27日にリニューアルしたビジターセンターに寄る。動植物を案内していた。奥秩父には鹿、猿、猪、狐、狸、熊の他、穴熊、がいる。時間があるので前回行かなかった秩父宮記念三峰博物館に入る。ニホンオオカミの毛皮を展示、秩父宮殿下が焼かれた菓子皿や蒔絵絵箱、資料がある。神社では神様のお使いとして狼を祀っていた。三峰とは、前回登った妙法ヶ岳と、これから行く白岩山、雲取山のことだった。参道を歩いて行くと、杉の苗木を30万、5万と寄進した人の碑が並んでいる。本殿には寄らずに日本武尊の銅像に挨拶してから戻って登山口に行く。
役行者が修業して以来、宗教的な自然感覚が続いていて、参道を通って鳥居を過ぎてから雲取山への道に入る。
杉林の中、妙法ヶ岳への分岐点を右にとり、徐々に登っていく。
栗のイガは落ちているのに実が見当たらない。熊の可能性もあるので、鈴を鳴らし、ストックを1本延ばしていく。
11時45分、二股桧にテーブルとベンチがあり、一本立てる。15人のパーティが降りて来た。先に行くと左手に炭窯跡がある。土と石で造り、白炭を焼いていた。
烟(けむり)たえてやく人もなき炭がまの跡のなげきを誰かこるらむ 藤原信頼
少し登ったところで平坦な道に戻る。45分後、地蔵峠に出て登って行く。
秩父宮ご夫妻のレリーフが岩壁にあった。
その先へ行くと、秩父宮命名の霧藻ヶ峰に出る。休憩舎とトイレがあり、見晴らしが良いので昼食にする。
両神山が良く見えた。
休憩舎一帯には、サラサドウダンの木がある。
13時、出発。雲が多くなる。お清平を通過。
白岩山まで登って降りてきた年配者に会う。足元に苔や茸、3cm位のムカデみたいなヤスデがいた。
14時、前白岩の肩。コメツガの木が生えていた。20分後、前白岩山。
前方に白岩山が見える。良い山だ。高度50mほど降りて登り返す。白岩小屋を通過。
15時15分、白岩山登頂。テーブルとベンチがあり、この先は11月から4月にかけて路面凍結による滑落事故が多発しているという注意の看板が立っていた。
降りていくと木段が続く。脇にトリカブトやゴマナの花が咲いていた。
コメツガは鹿にやられないように網で巻いていた。大ダワで日原からの道に合流。日原からのルートは崩壊により通行止めになっていた。
ここにもテーブルとベンチ等ハイキング向けにグループで休める施設を用意していた。
16時、陽の当たらない緩やかな道を登っていくと、倒木に苔と茸が生えていた。
先方に団体がいる。「山歩きブナの会」の人達で1人が足を攣っていた。「山荘に18人が遅れると伝えてください」と言われて先に行く。雲取ヒュッテを上に見ながら歩いていく。
テントで休んでいる青年に会う。テント場代300円で水とトイレを使えるのは安い。大きなテントも設営されていた。
16時半、雲取山荘に10年振りにチェックイン。
女将さんに1泊2食代を支払う。2階の3-1号室。今のところ1人だが、予約なしでやって来る人が泊まるかも知れないという。単独者用の部屋は十畳あり、屋根が高く、真ん中に炬燵があって温かい。足を揉んでおく。
端にザックを置いて、言われたように布団を敷いておく。階下のロビーには、皇太子殿下と雅子妃殿下が来られた平成7年11月9日の写真と皇太子殿下が来られた平成19年10月22日の写真が壁に飾られていた。
皇太子ご夫妻と新井信太郎氏(雅子妃の左)
何れにも新井信太郎主人が写っている。主人は77歳、山荘には来なくなっている。明日の日の出は5時45分、朝食は5時と案内している。部屋で持参の焼酎に、余ったお湯を入れて摘まみながら飲む。
18時、食堂。団体以外のテーブルに案内されて座る。隣りは横浜と東京のOL。年輩者男2人に励まされてやって来た。サラダ、山菜、ハンバーグ等に味噌汁とご飯。ご飯はお代わりできる。女将さんと青年2人で応対。
食後、外に出て水場で歯を磨く。トイレは男性用にも洋式便座が2つあった。タオルに水を湿らして全身の汗を拭いておく。部屋は結局1人で使うことになった。山小屋で、これほど広い部屋を使うのは初めてだった。消灯20時半前に寝る。
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