グランパの山歩き
今倉山(いまくらやま)、二十六夜山(にじゅうろくやさん)、菜畑山(なはたけうら)の旅
1.2014年10月2日~3日
2.同行者:I
3.交通手段:I車
4.宿泊:民宿「北の勢堂」0554-52-2102一泊二食¥6804
5.地図:国土地理院1:25000都留
昭文社・山と高原地図27高尾・陣馬
6.ガイドブック:新・分県登山ガイド山梨県の山
参考文献:田中澄江「新・花の百名山」(二十六夜山)
7.総経費:¥14000
10月2日(木)曇のち晴 今倉山、二十六夜山
ルート 道坂トンネル(1000m)9:00→10:30今倉山(1470.3m)10:45→11:30松山(1450m)11:40→12:50二十六夜山(1297.3m)13:20→14:20道坂トンネル
6時、四ツ谷駅3番出口の北でI車に乗り、中央自動車道を走行、談合坂SAでトイレ休憩を兼ねて30分充電する。
7時55分、都留ICで降りて、道志に向かう。一度、国道139号から左折仕損じ、戻って県道24を走行、くねくね道を上って行く。
8時50分、道坂トンネルの手前にある駐車スペースに車を停める。
10分後、登山口から広葉樹と赤松の恩賜林の中を登って行く。小さな花が咲き、茸を見つける。
15分で尾根に出る。
御正体山へのルートと反対の道を取って引き続き急登を行く。ここは都留市と道志村の境界線になる。
ブナと栗の木が多くなっているのが、どんぐりと栗の実でわかる。
行く秋や手をひろげたる栗のいが 芭蕉
ミミズがいた。その先から猪が土を掘った後が続く。花や苔を撮りながら登って行く。
キバナアキギリ リンドウ
9時55分、標高1300m地点で一本立てる。
足元にはホタルブクロが、頭上には赤い実が生っていた。
ホタルブクロ
稜線に出た。右に行くと直ぐに今倉山の東峰に出る。山梨百名山と書いた標識に立って写真を撮り合う。
15分後、稜線を歩いて西峰に向かう。樹林の中、木漏れ日が差してきた。
15分で西峰登頂。僅かではあるがロープを使って降りて稜線を進む。ここでもいろんな花が咲き、赤い実をつけていた。
高度90m降りて西ヶ原に出る。10年前の「山と高原地図」には記載されていなかったが、ここからパラジマ沢に沿ってルートが出来ていた。
登り返して行く。マムシグサは赤い実がとれると黒くなっていた。
松山(赤岩)に出る。
樹林の上に今倉山が僅かに見えた。
展望盤には、富士、南ア、北ア、八ヶ岳、雲取山、箱根・金時、丹沢そして御正体山などが案内されていた。「リニア実験線」まで書かれている。中央自動車道にかかる所はガスで見えなかったが、眼下に少し見えた。
リニア実験線
二十六夜山は低かった。
富士は見えない。再びロープを使って降りる。
ブナやミズナラの中、鳥がピー、ピッ、ピッ、ピーと鳴いている音だけ聴こえる。先月、飯舘村農地の放射線測量で荒れた畔を歩いた時に何度も野バラの棘で苦労していたので、野バラは直ぐ目に入り、除けて行く。ツキヨタケや、足元にギンリョウソウを見つける。
ツキヨタケギンリョウソウ
12時35分、舗装道に出る。
標識に従って右手に100m歩いてから登山道に入る。こちらでも茸や菫の花がある。
15分で二十六夜山に着いてしまう。田中澄江がこの山を「新・花の百名山」に選んだ理由に菫を挙げているが、彼女が述べているように唐沢尾根の方こそ、花の百名山に相応しい。
ここで昼食をとり、30分後、戻る。樹木の下に猪の糞らしきものが溜まっていた。
林道に出て降りて行く。崖を13か所、コンクリで堅め、パイプの穴を幾つも出していた。すぐ詰まってしまうのか、一か所しか水や泥が出ていない。雇用対策なのか無駄な税金が使われているところを歩いて行く。
萩や黄色の花が咲いている。
萩の花
トラック一台が峠に向う。南西斜面の樹木を刈り取って栽培した後が残っている。工事中の為、通行止めにしたゲートの脇を通って県道24に出る。
14時20分、駐車場。未だ時間があるので、明朝、挑戦するルートを下見する。唐沢から国道413に出て曙橋から左折、舗装道を上って行く。養豚場を通ると、作業している夫婦がいたので、確認する。急な曲がりなので一回で通れないところが多い。その内、岩が落ちていたり、枯木の大きな根が道脇にあって、動かして通れるようにする。曙橋から高度500mほど上ったところにテレビ中継塔があり、広場になっていた。
ここから山頂まで35分で着いてしまう。今から登ると、帰りの道は暗くなって危険。明朝は6時半に出発して明るくなった頃に上り、途中、標高1000m付近にあった車が交差できるようにしたスペースに駐車してから登ることにする。帰りも岩のある箇所は私が降りて誘導する。
16時半、民宿「北の勢堂」専用の駐車場に停めて入る。
女将の山口かおるさんに迎えられる。先月末から来る筈が週間天気予報で3回目に実現した。2階の奥、一番眺めの良い8畳の部屋に案内される。窓から刈入れ前の黄金色の田んぼが見える。
歯磨きなどアメニティはない。我々だけのせいか娘さんが浴衣を持ってきてくれた。
まず身体と髪を洗って風呂に入る。パイプからミネラル湯が勢いよく出てくるので、足裏やフクラハギにあてると疲れがとれた。部屋に戻りコタツに座って、持ち寄った焼酎を飲み、ツマミを食べる。夕食までコイン入りのテレビを見て明日の天気を確認、新たに発生した台風12号は5日頃まで問題なかった。
18時、1階の大広間には長押に、「伊香保」「天橋立」「足尾銅山」と書いた色とりどりの提灯を飾っていた。
ビールを飲みながら、我々だけで食べる。ネットにも出ていたが、横浜市の中学生が体験学習に使われていて田植えなどをやっている。裏の長押には杉並区井萩小学校の少年野球部や横浜市立平戸中、新田中、大綱中など中学2年生が寄せ書きした色紙を飾っていた。
食後、部屋で明日の仕度をした後、ボランティア活動からゼミ仲間のこと、現代経済学と続く。21時になるので、打ち切って寝る。
10月3日(金)晴 菜畑山
ルート 駐車場(1000m)7:00→7:20登山口(1130m)→8:00菜畑山(1283.3m)8:35→9:00登山口 →9:20駐車場9:35→9:50曙橋
5時、起床。青空が見える。洗面を済ませた後、布団を畳んで押入れに仕舞い、テレビや炬燵のコードを外して食堂に行く。朝食が用意されていた。ご飯と味噌汁はお代わり、漬物は食べないが他の料理はきれいに食べ終える。精算を済ませ、ここの流儀に沿ってトレーに乗せて厨房に持っていく。
部屋でお茶を飲んでから、先にリュックを担ぎ、カバンを持って降りて車に荷物を入れてから玄関に行く。壁に女将についての新聞の切り抜きなどが展示していた。2008年、農村漁家民宿おかあさん百選に選ばれていた。
隣りに建つ茅葺の家に行く。ここには囲炉裏もある。
庭には苔で覆われた石に水が流れていた。庭の角、木々に囲まれた中に立派な碑が立っていた。日露戦争に参戦した山口豊吉陸軍一等兵で、裏には良く読めないが乃木大将の名が刻まれている。
6時半、見送られて出発。昨日、辿った道を上って行く。前回の学習から曲がるのも大きくハンドルをとって一回で回り、30分で着く。登山口に履き替えて出発。20分でテレビ塔。樹林帯の中、登山道を登って行く。
急登から始まり、マムシグサの実やサワシロギクの花を見つけながら登る。
13分後、ゆるやかになる。生徒が作った巣箱が木にかかっていた。いづれも生徒がかけているので、鳥が使うのには低すぎるようだが。
再び急登になって足元の花を見ながら登る。
セキヤノアキチョウジ
登りきると、標識があり、右手に東屋が見えた。
後ろを振り向くと富士山が見える。朝日を浴びていた。
山梨百名山と書いた標識に立つ。
東側には山梨百名山の大室山で、何れ登ることになる。
ここに来た甲斐があった。朝日山へのルートの方にも巣箱がかかっていた。
持ってきたポットからコーヒーをIに、私はお茶にして飲みながら眺める。30分余り楽しんだところで戻る。リュックにスズメ蜂がとまっていた。大きな薊にもいる。
降りて行くと、往きでは気が付かなかったが、何度も配線が見える。良く見ると最初はコンクリートでカバーされていた。
アナログテレビで使われていたのが、デジタル式になってテレビ塔が敷設されて不要になったのではないか。名前がわからない花がある。
登山口から駐車場へと歩いて戻る。途中にも花が咲いていた。
帰りの運転も緊張の連続だったが、無事、通過。曙橋に着いたところで、Iの奥さんから電話、ホームに入っている92歳の母堂が心臓発作で入院されていた。
医者に任せるしかないが、10分程やりとりしてから出発。都留はリニアと学園の街を標榜していた。 10時半、都留ICから中央自動車道に入る。陸橋はリニア線で車両が停まっていた。
談合坂SAで30分充電する間に、トイレに行き、無料お茶を飲みながら精算を済ませ、野菜売り場で買って車に乗り込む。八王子過ぎて高円寺以降の渋滞が2キロ、新宿―三宅坂が11キロ渋滞だった。しかし順調に走行、新宿から少し渋滞したが予定通り外苑で降りて四ツ谷の出発地に戻る。
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