グランパのwalking
東京・鶴見案内
はじめに
今年の1月8日から3月9日までタイに滞在、中でも1月31日から3月1日まで東北タイのブリラム県ランプライマットにあるウィチャン校に滞在して、日本語と日本文化を話題に、生徒の質問に応えながらの授業をしてきた。その校長がソンクラーンというタイ正月を利用してテー夫人及び次男チュー君と一緒に東京にやって来た。チュー君は日本語を習っていて一人で秋葉原、高井戸と自分の行きたい所に夢中。ウィチャン氏は、かねてから禅のほか築地魚市場に関心があった。これは滞在中、3日間ご夫妻を案内した記録です。
4月14日(火)曇のち小雨のち曇 築地、皇居 12264歩
9時前、総武線両国駅西口近くのパールホテル両国に行く。
スカイタワーが見えた。
ここには東北から来た中学校の修学旅行生やニトリが泊まっていた。ロビーにいるとウィチャン夫妻が現れる。忘れずにタイ語で書かれた地下鉄路線図2部を渡す。最近出来たばかりで東京の名所も載っている。国技館、江戸東京博物館の前を歩く。
国技館
江戸東京博物館
地下鉄大江戸線の駅に降りて、築地市場駅まで行く。改札口近くに片岡球子の浮世絵2点を大型陶板にしたものが壁にあり、2人に彼女について説明。他に富士山シリーズの絵もあり文化勲章(order of culture)を受賞していることを伝える。
ウィチャン夫妻 片岡球子作品
9時45分、A1から外に出て魚市場に向かう。巨大な建物へは小型運搬車「ターレー」に注意しながら歩く。夫人は、早々と1つ千円のワサビを買う。
山葵
漬物やマグロ荒ら節を機械で削り節にして売っていた。淡泊だと言う。
鮪荒ら節と機械
寿司屋には行列ができていた。一皿4千円台のは一人分とわかり、諦める。
早朝のセリは終わって、観光客の中にはフランス語を話す人たちが目立つ。新鮮な魚を見る目つきが違う。魚、貝類がハッポウスチロールの箱に入っている。
生牡蠣を6杯買うと氷を入れてくれた。
10時40分、野菜・果物市場に行く。白苺「雪うさぎ」や熱帯果物、キワノ、アテモノなどは初めて見る。完熟マンゴー「太陽のタマゴ」は宮崎産だった。野菜は豆、ピーマンなどがある。
10分後、大通りに戻る。雨が降っているのでタクシーはつかまらない。幸いに、道を隔てた先に朝日新聞社があり、よく見るとタクシーが並んでいた。乗り込んで皇居に行く。晴海通りに出て途中、歌舞伎座を通る。
二重橋前で降りる。助手席にいた夫人が払ってしまう。雨は殆ど降っていなかった。観光客と一緒に石橋、更に二重橋を撮る。
ウィチャンは高層ビルと皇居との対比に関心を払う。2人といると、その気づきが新鮮だった。二重橋濠を眺めてから砂利の上を歩いて坂下門に行く。
近づくと宮内庁の職員がうさんくさそうに見ている。車が来て身元を確認してから通させていた。我々は和田倉門から地下道を歩いて東京駅に向かう。壁に世界各地の観光地を写真で案内している。その中にタイの保養地ホアヒンがあった。
駅の案内デスクに行って寿司屋を教えてもらう。「築地 寿司清」に並んで入り、カウンターで食べる。3人の板前が声を掛け合っていた。夫人は生魚を受け付けないので穴子5個食べる。待っている内に後から座った客に出すので、問いただすと忘れていた。「あがり」もこちらから言わないと持ってこない。
12時25分、ここも御馳走になって出る。早く来た京浜東北線に乗って秋葉原駅で降りる。総武線船橋方面乗り場の最後部まで行ってから別れる。
4月15日(水)晴 渋谷、原宿、代々木 12302歩
9時前、両国駅西口に行く。横綱の大きな額を飾っていた。
改札口の手前で会う。昨日、伝えた通り、1人220円払って切符を買っていた。代々木駅で山手線に乗り換えて渋谷駅最後部で降りて、渋谷のシンボル、ハチ公像に行く。デート・スポットであること、東京帝国大学教授だった飼い主が亡くなってからも8年待ち続けていたことを話す。外国人も来ていて写真を撮っている。
10時、都電車両に入って座席に座ってパンフを読む。英語の「city newsSHIBUYA」やNHKスタジオパークの案内書が置いてあった。待ち合わせ場所の桜ヶ丘の喫茶店「ルノアール」まで歩いていく。NKG東京第二ビルにあった。
10時半過ぎ、ノージェス氏と内海昭徳氏がやって来た。全員揃ったところで、私がジェス氏の話を英語で、内海氏が日本語でウィチャン氏の話をジェス氏に通訳する。
まずウィチャン校でスピリチュアルをベースとしたカリキュラムの内容と生徒の質問力の高さについて体験したことを紹介、ご両人の共通点として宇宙観であるヒトツ学(oneness)、教育者、そしてアセアンを含めたアジアにルネッサンスをもたらすビジョンを持っていること、何よりも天才同士の出会いから、新たな発想、企画が生まれることを期待できると述べる。
ノージェス氏は最近まで韓国での集中研修を行った結果、80人中、50人が覚醒していること、6月19日からの研修に是非招待したいと提案する。1週間レベルで滞在可能かどうか検討することになった。今後、ジェス氏の著作、特に「日本の和と心」の英訳が完成すれば、タイ、シンガポールを手始めに浸透させていけると提言する。
ウィチャン氏は瞑想により内なる知恵を、数学と問題解決方法により外なる知恵を育てていた。アセアンルネッサンスへのメッセージとして「お互いに尊敬(respect)し合う」ことが大事と指摘する。12年前からの教育研修を通して国内1万人の教員が受講を終えていたので、このネットワークを活用できた。知識人は問題解決するが、天才は問題を未然に防ぐことを実感できた。
右から内海氏、NohJesu氏、Wichian夫妻
11時半、別れて東急プラザで食べようと行ってみたが、再建中だった。近くの讃岐うどんの店「はなまるうどん」に入って食べる。セルフサービス式で具も好きなだけ入れられる。スープがさっぱりしていた。食後、原宿駅で降りる。対称性を感じ取ってもらう為、先に表参道からラホーレで左折して竹下通りを歩いて戻る。好奇心旺盛なテーさんは盛んにスマホで撮っていた。24種類のクレープに圧倒される。
竹下通り
ナイキ社のサッカー用品店が出来ていた。
12時40分、明治神宮の大鳥居を通るときに「ここから別世界」と宣言する。係員が玉砂利の南参道に落ちた葉を吹き飛ばしていた。
ここは1915年、朝鮮、台湾を含め全国から12万本植えている。右手に日本酒の樽が奉納、左手にブルゴーニュ地方の醸造元からワイン樽が奉納されていた。
うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ 明治天皇
天皇みずから静寂の世界を感じ取っていた。鳥居を通って広場に出て、左手の手水舎で手と口を清める。本殿に向かう手前、両側に大きな楠が立つ。ご神木の夫婦楠には女性が縁結びだろうか祈っていた。
お参りの仕方が英語でも書かれていた。夫妻も2礼2拍手1礼する。
13時15分、武道場・至誠館に向かう。人が途絶え、森林の中を歩く。NHKスペシャル「明治神宮・不思議の森」によると、本多静六・林学博士たちによって針葉樹と常緑広葉樹を競わせて究極の森を100年後に実現させていた。
視界が開けて左手の建物に寄って、見学できるか尋ねると、弓道の訓練をしていると教えてもらい、竹棒で塞がれている所を外して通り、元の状態にして観覧席に座る。3人の女性が、1人ずつ白足袋を履き、弓矢を持って隙のない動作で並ぶ。20メートルほど先の3つの的に向かって一人ずつ射る。1回目は全員外れたが、3回目には当たり、1人は中心に刺さる。
部屋には香取神宮、鹿島神宮と書いた掛け軸や、睦仁様の書があった。
訓練終了後、辞去。宝物館に行く。入場料金500円払って見学する。建物は奈良・正倉院の校倉造りを模している。
館内は写真撮影禁止。明治天皇の事跡、御祭神にゆかりの深い御物、日常に使われた机、文房具、書籍、厳かな馬車、その他の調度品を陳列。他に宮廷装束が特別展示されていた。 館外に出ると日章旗が立ち、国歌で歌われている細(さざれ)石が置かれていた。
細石 日章旗
北池の前の芝生広場には亀石がある。パワースポットとして知られている。近くでカップルが休んでいた。
一通り歩いたので、北池を渡って北口を出て俗界に戻る。山手線に沿って代々木駅に入り、秋葉原駅の総武線船橋方面のホームで別れる。
4月17日(金) 曇り後、晴 鶴見・総持寺 10215歩
今回は両国駅で東京駅までの切符を買ってもらってから改札口を通ってもらう。9時前、予定より早く現れる。秋葉原で京浜東北線に乗り換えて、そのまま鶴見駅まで行く。品川駅で3人一緒に座られた。9時40分、鶴見駅で降りて総持寺に向かう。分岐点を左手にとり上がって行くと工事中で通れない。人に聞いて左手の階段を降りて行くと、正門に出る。出だしの道が間違っていた。三門の両脇に金剛力士像が睨みをきかせている。
開祖は瑩山、1322年、後醍醐天皇から紫衣を拝領して曹洞宗の大本山になった。明治時代の焼失により、1911年、能登からここに移っている。境内には学校があり、生徒が行き来している。右手には開祖と2祖峨山禅師の御両尊大遠忌引法会の看板が立っている。
その先に建つ香積台(こうしゃくだい)という総受付に行く。「おさすり大黒」像があり、一さすりで福を招き、二さすりで徳を授かり、三さすりで満足を戴くという。
靴を下駄箱に入れて、檀家だろうか年配グループの後ろについて行く。廊下を何度か通り、説明を聞く。迎賓館や檀家の人と接見する「相見の間」、茶室、禅師の住まいを案内していた。床の間に達磨禅師の絵が飾ってあった。
本堂客殿の太祖堂に辿り着く。20人の内9人は椅子に座り、我々は一般席に座る。シャンデリヤのような煌びやかな飾りが中央天井から下がっている。永平寺もそうだが、高祖道元禅師が見たら、どう思うだろうか。
風が線香を立てる灰を吹きあげていたのでドアを閉める。あわてて黒装束の若僧がやって来て手伝い、窓も閉める。50人ほどの僧侶が脇に整列した後、桐の紋が入った僧衣を着た江川辰三貫首がお付きを従えて現れる。僧侶全員、腹の底からの斉唱(ここでは相承というらしい)が、大広間に響き渡る。法要後、貫首が先に、僧侶達は来たところに帰っていく。檀家集団と共に帰ろうとしたが、どこかで接待されるようで、僧侶が我々を出口まで案内する。ここには鶴見大学があり、生涯学習セミナーでは源氏物語、百人一首、論語、歌舞伎、俳句の他、外国語、ヨガを講習していた。
境内を歩いていた若僧に坐禅道場の場所を聞くと、「ついて来てください」と言われ、廊下を歩いていく。他に誰もいないことを確かめてから禅堂を見せてくれた。一畳が生活の場でもあり、前に丸い座蒲(ざふ)後ろに棚があって食べられる。
彼の出身は福島県伊達市で3年修行、後2年居る。合掌して玉兎門から別れる。
休館の立札がある宝物館の手前に、坐禅中の僧と、その後ろで警策(きょうさく)を構えた僧、更に編笠をかぶった3人の虚無僧が立つ青銅像があった。
広場の先、神社を探しに三宝大荒神の旗が続いている階段を上っていく。
途中、ラッド博士の碑があった。(帰宅してネットで調べると、アメリカの心理学者で明治期、帝国大学での講演の他、伊藤博文への助言者、教育者として朝鮮やインドで講演活動している。遺族によって遺灰の一部がここに埋葬されていた)
更に大きな観音像が立っている。山折哲雄の銘文によると、2008年、北村西望の原型に基づいて造られた聖観世音菩薩だが、東日本大震災により現貫首が被災地方向を望む丘に再建して「平成救世観音」と命名。被災物故者への慰霊供養と復興祈願をこめていた。
平成救世観音像
三宝殿の前に立つ。仏・法・僧の三宝を守護する三宝大荒神を祀っていた。これでウィチャン氏に日本の神仏習合の姿を案内できた。大きな鐘は1913年に鋳造されたものだった。
帰りは総門から駅に向かう。街に入ると、学僧だろうか、僧衣を着たまま歩いていた。駅ビルのシアル鶴見に行って屋上に行く。エレベーターを出たところの壁に水を流して清涼感を出していた。
日本庭園「清風苑」と奥の枯山水「坐月庭」を案内する。総持寺で修行した桝野俊明という禅僧が作庭したもの。京都竜安寺の石庭とは比較にならないが、空の雲との対比はここならではのものだった。
6階に降りてレストラン街をチェック。蕎麦屋「永坂更科」に入る。同じ店が高校時代、学校の近くにあり良く食べに行っていた。220年の歴史があり、今や全国に22店舗あった。お品書きから2人は天蕎麦を注文。私は消化の良い玉子とじうどんにする。「昨日、一日置いた生牡蠣があたって今朝は絶食していた」と言うと、ウィチャン氏はリュックから薬袋を出し、タイの胃腸薬IOREDAを勧める。いただいて食後、飲む。ウィチャン氏がコーヒーを飲みたいというのでドートルに寄る。その間、テオさんはどこかに行っていた。待っていると現れる。袋からタイ産マンゴー6個を見せて「どうぞお土産です」という。
13時41分発の快速に乗り秋葉原駅で降りて両国方面のホームで別れる。完
コメント 0