グランパの山歩き
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2017年11月1日~2日
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同行者:I
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交通手段:I車・三菱アウトランダー
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宿泊:桐盛館・一泊一食¥6200 ℡0277・22・5421
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地図:山と高原地図20赤城・皇海
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諸経費:¥13000
11月1日(水)快晴 荒神山(624m)、鳴神山(980m) 13373歩
5時25分、家を出る。南北線西ヶ原駅5時47分発の地下鉄に乗って王子で降りる。
6時、王子駅北口の三井住友銀行裏で待っているI車に乗る。王子北から首都高速に入り、東北自動車道路を走行する。佐野SAでトイレ休憩。
6時53分、佐野SAでトイレ休憩。
15分後、出発。岩舟JCTで北関東自動車道に入り、2.5kmのトンネルを通過。専ら山岳地域を走行する。猪注意のマークがあった。
7時半、太田桐生ICで降りて王子から続いている国道122へ右折、只上を左折、広沢町1丁目を右折、県道66を北上する。途中、ファミリーマートで昼食を調達。渡良瀬川にかかる「黒保根大橋」を越えて案内板を確認、登って行く。
9時前、登山口(高度480m)に出る。登山や群馬テレビ黒保根中継所の案内がある。登山靴に履き替えて15分後、登って行く。左手、展望台への道を横目にして、手造り広場を通過。
南側に杉林、赤松や広葉樹の中を通って20分で頂上に着く。
視界が悪いので、写真を撮って直ぐに展望台に寄って行く。近くに石の祠が残っていて信仰の山であることがわかる。
展望台から赤城山の全貌や右手に袈裟丸山の前後峰が見えた。
黒保根村案内板には地元出身の星野長太郎、新井領一郎兄弟が明治時代、日米生糸貿易の創始者として活躍したことを伝えている。
10時20分、駐車場に戻って出発。次の目標に向かう。県道66を北上、県道343に入ろうと走って行く内に信号を見過ごして梅田湖が見えてしまい、戻って行く。舗装されているが、地対向車が来たら動きがとれない。大滝登山口の駐車場が樹徳高校大滝山荘の私有地で一般車は駐車出来ない。高沢川を更に遡ってコツナギ橋登山口に行く。2台既に停まっていて後1台のところに駐車できた。
12時5分、出発。渓流に沿って杉の森の中を登っていく。
4本の木を合わせ、歩きやすく細い板を取り付けている橋で渓流を渡る。
25分後、単独ハイカーが降りてきた。更に20分後、犬を連れたハイカーも。これで車の持ち主が釣り師ではなかったことがわかる。
13時13分、カッコソウの保護地帯を行く。
生えている木の上部を切って彫り、紫色の帽子を被せ、赤い布を巻いていた。
ひと登りして椚田峠(850m)に出る。
カッコソウの保護への賽銭箱に献金してから昼食にする。
13時35分、ドングリや栗の実が落ちているルートから始まり、登っていくと、第2、第1展望と続き、14時、頂上に出る。赤く小さな鳴神神社の下、石で三方を囲んだ中に標識がある。
周り込んで上に行くと石の祠があった。大展望からは紅葉の木々の奥に赤城山が、左奥に雪の浅間山が見えた。
一帯のアカヤシオの木には白テープを巻き付けて鹿の食害から護っている。
帰りは一気に降りて行く。渓流の音がリズミカルだった。
15時15分、駐車場。10分後、ホテル桐盛館の電話番号をカーナビにセットして出発。県道66に沿って街に入ると、群馬大学工学部の脇を通る。話題が2年前、前橋市にある医学部附属病院で腹腔鏡手術を受けた患者が相次いで亡くなったケースになる。審査を受けない単独医師の判断と能力というより、組織の問題ではないか。
16時、桐生の末広町にある旅館の駐車場に車を停める。先に宿泊代を払ったが、領収書は、こちらから言わないと出さない。2階のツイン部屋で飲んでから、健康効果のある麦飯石の風呂に入る。両毛線のガードの先にあるファミリーマートで明日の朝食分を買いに行ったが、酒と湯上りでいい気分になって帰り道を忘れてしまい、マートに来た人に教わって帰る。
18時半、夕食。他に若者が2人来てそそくさと食べて戻る。我々も部屋に戻る。ここでは一番広かったが、東横インと同じスタイルで狭苦しかった。
20時、就寝。
11月2日(木)快晴 根本山(1199m)、熊鷹山(1168m) 18831歩
4時起床。お湯を沸かしてポットに入れ、更に、ここで飲むお茶用に沸かす。洗面後、冷蔵庫に入れておいた朝食を食べる。NHKは4時半にニュースと天気予報を流していた。5時過ぎに出る。車で昨日のコンビニに寄って昼食を買っておく。店員の話だと群馬大学の学生もコンビニでバイトすると残飯を食べられるので食費を浮かせるメリットがあった。
再び県道66を走行、梅田大橋の手前で分かれて県道337を北上する。空は朝日を浴びて薄赤く染まっていたが青空になる。桐生川に沿って徐々に高度を上げていく。3000ccの車ぎりぎりの所も無事、通過。ガードレールのない箇所は慎重に走る。
6時半、三境林道と車止めゲートのある登山ルートとの分岐点の手前にある駐車用スペースに停める。小用を済ませ、ストック1本用意して10分後、出発。
徒歩6分で登山口(570m)が現れる。左手に根本山瑞雲倶楽部による根本山参詣路の歴史遺産についての詳細な案内図があり、右手に中尾根コースを案内していた。徒歩5分で林道との分岐点に出る。
道標に従って歩いていくと耳型天南星の実を見つける。
7時7分、登山口に熊除けの鐘があったので鳴らす。
最初から急登だった。桧の森の中、呼吸を整えて足を運ぶ。
7時35分、石祠で一本立てる。再び根本山瑞雲倶楽部による鐘があった。
鐘鳴らし熊潜むらし山奥へ
傾斜地のルートは注意して進む。右手の峡谷からの水音だけが聴こえる。25分後、急角度の山に取りかかりロープがあったが、ストックを使って登る。
右手に5千本の桧の植林が続く。
8時40分、桧林と別れ、紅葉しだした広葉樹を見ながら登る。10分後、中尾根十字路を通過。樹林の間から、西側の三橋山に続く稜線の下の色が横に茶色くなっている。伐採の後だろうか。アカヤシオの木々の中を進む。
9時5分、根本山登頂。視界がないので休まずに降りて行く。
20分後、雑木林の中に十二山、根本山神社に出る。小柄な白御影石の御社殿や鳥居が建っていた。
神社沿革を彫った碑によると、明和8(1771)年、根本山神、大山祗神、薬師如来を祀る山岳信仰があり、文化3(1806)年、小野清典が本地仏薬師如来を守る12神将を納めて以来、十二山と呼ばれるようになった。明治29年から昭和2年まで祀職永澤宗次郎親子が居住したが、翌年、社殿を焼失していた。昭和61年、永澤家達の有志が石宮奉納碑銘を立てている。近くに参拝者記帳簿函があり、留め金を外して中にあるノートに日付け、日本山岳修験学会会員と名前を書いて納める。
松の多い雑木林の中を降りて登り返す。
9時50分、氷室山との分岐点(1140m)。
再び降りてアップダウンを繰り返す。足元に黄金虫を見つける。
ルートは落ち葉で見えなくなっているが稜線を行く。やがて後ろから人声が聞こえて来た。
10時半、登頂。お互いの写真を撮り終わった後、3人のハイカーが現れる。
館林からで大体近辺の山を登り尽くしていた。一緒に展望台に上がり、山を同定する。筑波山や富士山が見えたが、デジカメでは写らない。登って来た根本山や男体山は良く見えるが、男体山の左奥に見える雪を被った白根山もはっきり映らなかった。
20分後、下山。彼らはここで食べて行く。ルートは落ち葉でクルブシまで埋まってしまう。
下り行く落葉埋もれる山道を
600m進み、標識を確認して降りて行く。
テープが信頼できた。20分で石鴨林道に出たので一本立てる。
2本のストックを洗っていたら、3人が先に行く。10分後、石鴨林道を歩き出す。一帯は十二山国有地だった。Iがスピードアップして3人の先を行く。左手に流れる川がずっと下にあったのが滝になって近づく。渓谷美を満喫する。やがて石組みしている個所や砂防が現れ、治水が行われているのがわかる。
滝が続いていた。
一般道路通行禁止のゲートを通過。
左手に曲がりくねった木を見過ごす。
12時35分、駐車場。川が見える所で水の音を聴きながら食べる。
13時15分。出発。2回、対向車に会ったが、対向車が我々の車が来るのを見ていたのか待っていてくれた。25分後、CAINS HOMEの市場で里芋、隠元、山芋、春菊を買っておく。一時期は8人雇っていたが、今は老夫婦で営んでいた。街に入る。本町4丁目には金光教桐生教会があった。
14時半、太田桐生ICから高速に入り、岩舟JCTから東北自動車道を走行。
15時10分、薄田SAが満車なので手前の羽生PAに入って水を飲みながら精算を済ませる。ここは池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の舞台を再現、江戸時代モードで統一している。立ち食い処、「本所さなだや」の蕎麦処などが軒を連ねていた。外国人も来ているが、我々も惹きつけられる。
25分後、出発。川口から中央環状線に入って渋滞、荒川にかかる橋を眺めると都会に帰ってきた実感が沸く。
16時50分、王子北で降りて集合場所で別れる。30分後、帰宅。
里芋や買うて妻への旅土産
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