グランパの山歩き


        伊豆ヶ岳(850.9m)・高畑山(695m)

 

  1. 2019年9月7日(快晴)

  2. 単独 

  3. 交通:西武秩父線 池袋―飯能―正丸¥669、西吾野―飯能―池袋¥627         

  4. 資料:山と高原地図22奥武蔵・秩父2018年版

はじめに

 梅雨入り前の前日の天気予報では快晴、気温は19℃から31℃。今年初めて山に行く。

 5時半、起床。オニギリ2個食べてから出発。

 6時16分発の山手線に乗って7分後、池袋駅で降りる。西武線の改札口を過ぎて右手に特急券売り場の隣りに案内コーナーがあったので確認する。飯能からの各駅電車7時53分発に乗るには準急と特急でも変わらなかった。待つ間に、読み捨て用のクララ・シューマンの生涯を書いた文庫本を読み出す。

 6時34分発の準急飯能行きに乗る。入って来た方に戻って出発。練馬、石神井公園から各駅停車になる。

 7時半、飯能駅。係員に聞く。「階段の前方で待つと、車両2ドアの電車がやって来る。1時間に2本、4両編成です」16分後、やって来た。4席向かい合わせの窓側に座ると、向かいの通路側に白髪のハイカーが座る。

 7時53分、出発。向かいの男はオニギリを食べ、日経新聞を読み出す。高麗駅では女性3人組のハイカーが降りていく。東吾野でも。短いトンネルを越え、高麗川と鉄道、国道299号が正丸駅まで続いていた。

 8時25分、正丸駅(標高290m)。改札口の時刻表をメモしていたら、係員が小さなリストをくれる。これで他の駅の到着時刻の検討がつく。トイレに行っておき、近くの土産店に行って近くにコンビニがないとわかり、菓子パン2種類を買って出発。

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     飯能駅ホーム           正丸駅

 一度、国道に出て右折したが、おかしいので戻り駅員に確かめ、15分後、案内に従って急階段を降りて右手にある線路の下のトンネルを行く。右手に安産地蔵尊の社があった。解説によると、古来から懐妊すると仏前の旗をいただき、腹巻にして出産の日を待ったと云われる。この大蔵山地区ではお産で命を落とした人はいないと伝えられている。毎年4月24日には大祭が地区全体で行われる。

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    左手に案内版           安産地蔵尊

 民家にある紫陽花は未だ花芽を出したところだった。9時10分、左手に登山口があった。曲がった右手に馬頭観音がある。

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       登山口             馬頭観音

 杉の森に入り、左手に小川と小さな滝を見ながら登って行く。「蜂に注意」と書いた看板が木に巻きつけてある。涼風が吹いていて気持ち良い。大きな岩の脇を通過し、ジュラルミン製の橋を渡る。高度を上げていくと、せせらぎの音が聴こえなくなる。35分後、稜線に出る。標高620m。広葉樹の中で5分休む。右手は正丸峠だが、左手の伊豆ヶ岳に向かう。再び杉の県営林の中を登る。小鳥の鳴き声が澄んでいた。やがて子供たちの声が聞こえだす。

 

           今朝ほどの鳥の声聞く茂りかな

 

 10時20分、女坂口に生徒がいた。

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 ロープがかかっているけれども男坂に挑戦する。鉄鎖を使って岩場を登って行く。途中から左端でも木の枝や根を使って登れるルートがあるので行ってみた。しかし最後になって狭くなり、一歩一歩絶壁を抱くようにして辿る。二度と来るところではない。

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 再び生徒達の声が聞こえて20分で登り切る。生徒も私を覚えていた。近くの入間小学校5年生で、緑色の5年用帽子を被っている。この後キャンプ場で一泊する。

 

           学童の登頂すませキャンプ地へ 

 

 三々五々座って、お婆さんが握ってくれたオニギリなどを食べていた。頂上の三等三角点や標識を撮る。

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 ここには山の名前の由来を案内していた。突峰状のことをアイヌ語で「イズ」と云う説、頂上から伊豆半島が見えた説、柚の木が多かった説、麓の湯ノ沢に温泉が出たから湯津ヶ岳と呼んだ説とまちまちだった。少し降りて、適当な場所でアンパンとパン二つを食べ、紅茶を飲む。標高50mほど降りて分岐点で高畑山に向かう。    

  11時45分、標高830mの古御岳に出る。「関東ふれあいの道」の稜線を登り下りする。再び登って行くと足元に緑色の幼虫が蟻に襲われていた。

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              山道に幼虫襲ふ蟻群れて

 

一山超えると、ベンチで中年男が休んでいた。川越からでシフト勤務している。3年前から屋久島や他の山にも登っている。一緒に行く。大柄で一気に登るけれど休むので、40分で5分とか50分で10分休むようにペース配分をすることを勧める。

12時半、高畑山(標高695m)に出る。広場に長いベンチが4個置かれていた。5分後、出発。視界が開け、送電塔が立っていた。

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端には数十本の若い樹木にカバーをかけている。20分後、中ノ沢ノ頭。その先の杉の幹に注意書きがある。「ツキノワグマ目撃情報」2年前の4月31日「イナグモ頭」の側道で目撃されていた。

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標識もあって道も整備されている。更に20分後、天目(アマメ)指峠に出る。天目とは豆柿、指は焼畑のことだった。林道の脇の登山道を歩く。ある時は合流して分かれる。

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午後1時55分、5分休憩。再び急登と下りが続く。ここは健脚ルートであった。山域の最終地「子の権現」へ足を運ぶ。

 

          梅雨時の稜線伝ひ権現へ

 

愛宕山に登って行くと小さな祠が見えた。2時40分、権現様の大きな本堂が見えて脇を通ると鳥居が立っていた。神仏習合である。

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「子の権現」正式には天台宗大鱗山雲洞院天龍寺と言い、911年創建。案内板によると、832年、紀伊の国天野郷で生まれ7歳で仏門に帰依、比叡山や湯殿山で修行、山頂で般若経を天高く投げて経ヶ峰に落ち、光明が放っていた。麓の吾野に住んでいたところ、山賊が山に火を放ち、火の中で念ずると天龍が現れて豪雨を降らす。腰を痛め、腰下に悩む者に「能除一切苦」を祈っていた。

ゆるやかに降りて仁王像の間を通る。昭和11年、花井深嶺によるもので悪霊を払い、仏法を護っている。

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    奥に本堂             仁王像

吾野に向かう彼はベンディング機械で水分を補給するので、ここで別れる。

この先で登山ルートに注意すれば良かった。そのまま舗装道路を歩いてしまう。T字路を左折して歩いたがどうみてもおかしい。しかし人は通らないし、たまに通る車に呼びかけても過ぎてしまう。犬が鳴く家に声をかけると婆さんが手を招く。耳が遠かった。反対側を3キロ歩いていた。ひたすら戻る。畑にいた女性に聞くと「後2.4キロ歩くと国道299号に出るので右折、しばらく歩けば駅への道へ左折しなさい」と言う。

4時10分、国道に出ると、スタジオジブリの共同設立者で監督の高畑勲の展覧会ポスターがあった。来月から10月まで東京国立近代美術館で開催する。彼は伊勢出身なのに、先祖と関わるからか高畑山との繋がりがあるか気になった。途中、野苺を見つける。

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更に日陰のある道脇を選んで歩く。駅入り口と書いた信号を左折。最後、炎天下での坂道がきつかった。西吾野駅(標高250m)に着き、ベンディング機械でコーヒー1リットル壜を飲み干してトイレに行っておく。秩父行き電車が止まり、3人の生徒が降りて来て待っていた車に乗っていく。ホームのベンチに座ると右の靴底が取れかかっていたので取ってしまい、袋に入れておく。靴も暑い舗装道路で限界を越えていた。4時59分、4両編成の電車に乗る。

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 国道299号線からの左折地点      西吾野駅ホーム

 5時27分、飯能駅到着。向かいで待っていた快速池袋行きに乗る。1分後出発。再び、「真実なる女性」に取っ組み、興味ある箇所に線を引く。練馬から先は音もなく走っていく。

 6時27分、池袋到着。行き違う群れの中、人の後ろについてJR改札口に向かい、エスカレーターを使ってプラットホームに出る。

 7時過ぎ、帰宅。万歩計には32592歩と出ている。シャワーを浴びてから体重計を見ると4キロ減っていた。ビールを飲む。美味かった。

 

おわりに

 何とか無事に帰られたが、いくつか反省点がある。まず事前準備。階段歩きや2万5千分の1地図などの資料、ネット情報の収集。スマホでのGPS活用。

                                完

 

 


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