グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
太郎山と女峰山の旅②
女峰山(2483m)
地図:国土地理院1:25000日光北部、男体山
昭文社・山と高原地図⑬日光
6月8日(日)晴
4時、目覚まし時計で起き、弁当とお湯入りポットをピックアップして5時に出る。老主人が見送ってくれた。昨日の道 を走って行き、ゲートをチェック。今日は開いていなかった。足立ナンバーの車をちょっと前に出してもらって駐車する。
5時40分、出発。シロヤシオツツジの花を見過ごし、 左手に大真名木山を見ながら歩く。
足立組2人に追いつき、馬立で追い抜く。沢に降りて弁当を食べる。オニギリ2つにタクアンや蕗、お茶缶がついていた。食後、しばらく我慢したが、水場が見えてきたところで脇に入り、雉を打つ。
7時40分、沢で休憩。登りだすとパイプから水が出ていた。更に登って行くと無人の唐沢小屋に出る。中は食事できるテーブルと椅子があり、両脇と2階で休めるようになっていた。タワシや箒も用意されていた。急登を続ける。途中、追悼版が立っていた。鈴木君享年19歳、明大ワンダーフォーゲル部のOBが作っていた。シゴキの犠牲にあったのだろうか。山頂前の祠で若いグループが休んでいた。
9時5分、女峰山登頂。昨日とは打って変わって見晴らしが良い。
男体山、大真名子山、小真名子山と続き帝釈山の背後に太郎山がはっきり見えた。
20分後、足立組の後を追ってヤセ尾根を降りていく。一度登り返すと地蔵があった。
更に登り返すと帝釈山に出る。ここからの女峰山は、いい形をしていた。平安初期から日光連山は二荒山と呼ばれ、二荒神は男体(男体山)と女体(女峰山)の二神であった。
10時20分、帝釈山登頂。
丁度、青年が反対側から登ってきた。朝、志津小屋から縦走して女峰山から日光に降りていく。脚力が違う。小真名子山頂に見える看板のようなものは反射板だった。ハイマツや樅の林の中をストックを使って降りていく。残雪が道を塞いでいた。高度2200m以下になってようやく普通の道を降りる。
11時20分、富士見峠に出る。
一息入れてガレ道を歩く。車は通れない。砂防工事現場には八興建設の小屋と仮設トイレがあった。砂防用植木には鹿防止の網を囲っている。先は道も整備されていた。右にコメツガ林、左に女峰山を眺めながら歩く。白樺林は新芽で清々しい。
12時25分、登山口手前の芝生広場で食事。お湯を沸かす間、モロキュウを食べてもらう。お湯を焼きそば、トマト、緑野菜、高野豆腐にかけて水切りし、食べる。鹿の糞が一面に残っていた。
13時35分、車に戻って冷えた缶ビールを飲む。バイクがやって来たが、通過出来ないとわかって戻ってしまう。湯元温泉に戻り、「はるにれの湯」に入る。窓はなく、外の新緑風景が見えた。「立ち上がらないで」と書いてあったが、女湯が見えてしまうようだ。泉質無色透明と謳っていたが、濁っていた。温度も熱くなかった。次々と男衆が入って来て混みあう。風呂上りにビールを飲んでから出発する。華厳滝入り口まで道が混んでいたが、後は順調にドライブ。
16時40分、佐野SAで精算を済ませる。
19時、王子駅前で別れる。
Nyohousan(2483m) in Tochigi pref. 200Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better. Tohoku,nikko/utsunomiya expressway KiyotakiIC→national road120,Uranantai logging road, Shidu logging road,gate
2.Information:Nikko city tourist section(0288-54-2111)
3.Season:Jun to Oct
Records:Jun8
5:40-6:30 walk from gate to Umatate junction.
6:35-7:40 climb among hemlock woods to stream.
8:00-9:05 climb rubble area to peak.
9:25-10:20 down narrow ridge and up to Taishaku san(2455m)where is Hakusan rhododendron.
10:30-11:20 down to Fujimi pass.
11:25-13:35 walk old logging road and Shizu logging road to car.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2003年6月29日~7月1日
2.利尻レンタカー:2日間 ¥34065
3.参加者:H、M兄弟、A
4.航空機:エアニッポン(ANK)6月29日491便SPK/RIS
7月1日 492便RIS/SPK
5.利尻富士温泉:¥400(島外者)
地図:国土地理院1:25000鷲泊
昭文社:山と高原地図①利尻・羅臼
6月29日(日)小雨
ニセコアンヌプリでの同期会旅行を終えて、千歳空港で解散し、ANAゲート3Bから利尻行きのB737機に搭乗する。満席。登山者もいた。
13時50分、離陸。飴のサービスがあった。35分で利尻空港に着陸。
預けた荷物を取り、利尻レンタカー三菱車を借りる。「ライフショップふくおか」でキャンプ用ガスを買い、コンビニで食料を調達。登山口にある利尻北麓野営場に行く。トイレと水場が完備していた。
16時30分、奥の広場にテントを設営。ビールを飲みながら、湯を沸かし、カレーライスの具にホウレンソウやモヤシを使って食べる。
雨がぱらついていたが、しばらくして止む。テントの中でラジオを聞いていたら、ロシア語放送が聞こえた。
6月30日(月)
3時30分、起床。湯を沸かしてポットに入れ、パンを食べながらコーヒーを飲む。
5時15分、3合目(標高270m)から出発。すぐに日本名水百選の甘露泉に出る。水量は少なかった。ポン山への道と分かれ、針葉樹林の中を徐々に登っていく。ダケカンバの枝に頭をぶつけて目が覚める。
6時30分、5合目(610m)で休む。日差しが出てきた。富山からのグループを抜いて、ハイマツ帯の尾根を登っていく。アキノキリンソウが見えた。
7時50分、八合目、長官山(標高1218m)に出ると頂上が見えた。ウコンウツギが咲いている。次々と高山植物が現れる。エゾノシモツケ、エゾノツツジ、チングルマ、キバナノコマノツメ。
エゾノシモツケ
チングルマ
9時5分、9合目。岩礫の急登になり、ザレ場はすべるのでガニマタや蟹スタイルで登る。右手にローソク岩を見ながら進む。
10時、頂上に立つ。
眼下は1200m付近の雲海が覆っていた。25分後、下山。
11時30分、8合目でテルモスに入れたお湯をカップラーメンに入れて食べる。
30分後、出発。ボタンキンバイが咲いていた。
13時30分、テント場に戻って着替え、車で温泉場に向かう。利尻富士温泉の露天風呂に入って生ビールを飲みながら、枝豆、和布サラダを摘まむ。港を見物、料理店が開いていたので入る。佐藤萬さんの店。旭川の酒「男山」を熱燗にして飲みながら、主人から話しを聞く。利尻島は2万人いたが、今は8千人。子どもが激変している。かっては焚き木を海岸に運び、火にあたってから海水浴をしていた。今の昆布は夏に乾して秋から売り出す。稲の北限は名寄だった。ウニ丼を食べてから、テント場まで戻って泊まる。
7月1日(火)
3時30分、雨がテントにあたる音で目を覚ました。薄明るくなっている。
5時過ぎ、洗面をしてから湯を沸かし、味噌汁にホウレンソウ、韓国海苔を入れ、ご飯と一緒に食べる。食後、テントをたたみ、余ったガスボンベを管理人に渡す。
9時20分、出発。姫沼を一周する。ここの水温は10℃以下、氷河期の生き残りオショロコマ(ミヤベイワナ)が棲む。大木に蔦紫陽花がからんでいた。
島を一周(約60キロ)する。まず野家岬に行って、ラナルド・マクドナルド上陸記念碑を見る。吉村昭が揮毫していた。著書「海の祭礼」に詳しく書かれているが、マグドナルドはスコットランド出身の父とチヌーク族酋長の娘だった母との混血児で、人種差別に苦労して船員になり、奴隷船に乗ったりした。日本からの漂流民の話を聞いて日本に興味を持ち、ホノルルで捕鯨船プリムス号に乗船。香港から済州島に上陸して飲料水を確保。1848年3月に日本海に入り、鯨油が一杯になり、宗谷の手前で船長のヨットを利尻島南西8キロ地点で下してもらう。漂流した格好で島民に助けられていた。
1848年6月2日ラナルド・マクドナルド上陸記念碑
10時50分、利尻島郷土資料館に入る。大正2年に建立、村役場だったところ。考古資料や明治以降の漁具や生活民具を展示していた。雲がかかっているが利尻山が見えるので、オタトマリ沼を周りながら眺める。リシリトウウチソウが咲いていた。
リシリトウウチソウ
次に自然水族館に寄る。アザラシが泳いでいた。近くで雲丹をさばいている。
近くにある利尻町立博物館に寄ったが、新しくできたばかりか、鰊漁具や舟、動物剥製の他、変わりばえしない。
海岸沿いに走っていると礼文島が見えた。
12時過ぎ、利尻町の「ナベちゃん」で日替わり定食を食べる。ホッケかニシンの選択、烏賊刺し、蟹入り鍋、摘みと多彩。女将は岩内出身、息子は利尻高校生で息子の友達2人が食べに来た。先月、屋久島に行ったことを話していたら、以前、交流していた。
時間があるので、空港の近くにある本泊漁港の「会津藩士の墓」に寄る。ここに松前藩の出先機関「運上屋」があり、1807年6月4日、ロシア艦船2隻が碇泊していた幕府官船や松前船を襲っている。以後、幕府は会津藩に命じて警備させたが、寒さと野菜不足による水腫病で多数の死者を出していた。
武力を背景に交渉する国が今でもあるのに、尖閣諸島周辺の漁船衝突事件などの政府対応は当時の幕府と大して変わらない。侵されず、脅かされない防衛戦略を持ってほしい。
道路ではお祭り行事をやっていた。
13時30分、レンタカーを返し、チェックインを済ませてから2階のコーヒー店で待つ。エアニッポンの飛行機が旋回してから着陸し、駐機するまで眺める。案内に従って外に出てステップを使って機内に入る。
15時5分、定刻に出発。離陸して利尻島を眺め、天塩平野の田んぼを見た後、雲上人になる。
50分後、千歳空港に着陸。トイレで夏向きの服に着替えてから、預けるバッグに詰め込む。六花亭のバターサンドを三つ買ってから日本航空に乗り込む。
18時20分、着陸。千葉県人3人と別れて家に向かう。
Rishirizan(1721m) in Hokkaidoo 100Famous mountains in Japan
1. Access:Rishiri airport→Rishirihokuroku camp site
2. Facilities:Rishirihokuroku camp site(0163-82-2394 )300yen
3. Information::Rishirifuki town office(0163-82-1111)
4. Season:Jun to midSep
Records:
Jun30 Washidomari route
5:15-6:30 walk and climb among coniferous forest to the 5th stage.
6:35-7:50 climb to Mt.Choukan81218m).
8:00-9:00 climb to the 9th stage.
9:10-10:00 climb scree to peak.
10:25-11:30 down to the 8th stage and take meal.
12:00-13:30 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2003年6月25~28日
2.幌尻岳:単独行
3.幌尻岳:レンタカー2日間¥13912 走行290キロ ガソリン25.48L¥2675
高速料金:千歳=厚真¥1200
幌尻山荘:¥1000
ビジネスホテルびらとり:¥5600(夕食のみ)
4.JAL501便:羽田―新千歳
幌尻岳(2052m)
地図:国土地理院1:25000幌尻岳
昭文社:昭文社・山と高原地図③大雪山
6月25日(水)晴
4時40分、家内の目覚まし時計で目覚める。急いで支度して出たため、携帯電話を充電したままで忘れて来てしまった。外は雨。バッグにカバーをつけて駅まで歩く。
5時19分、山手線で浜松町へ、モノレールで羽田空港に行き、カウンターで手続きをとる。セキュリティでペットボトルの有無を確認していた。中国で事故があったためだ。札幌行き始発便は7番ゲートからだった。
8時50分、新千歳空港着。レンタカーの待ち合わせ場所は別棟だった。15分待ってから2組と一緒にリムジンに乗ってセンターに行く。カーナビは会員の場合無料だった。
9時15分、デミオを運転して出る。高速に入って時速120キロを出しても余裕だった。厚真ICから235号線を走る。高速と変らないスピードで走る。富川で237号へ左折、平取のJA販売所でガスを買おうとしたがない。富川の「ハッピー1」なら手に入るという。戻る前に近くのビジネスホテルに行って明日の予約をしておく。一気に富川まで戻り、ハッピー1でガスバーナーを購入、手前のダイエーで刺身弁当、リンゴ、野菜、水を調達して出る。1時間ロスしていた。
11時45分、振内支所で幌尻山荘使用料を払う。
今日の宿泊者は少ない、川の水が冷たいと教えてくれる。しばらく237号を走ってから標識のあるところで右折、山に向かう。途中、キタキツネがひき殺されていた。638号線から林道になると砂利道になる。牧場の脇や林の中を突っ切っていく。前方でキタキツネが咥えるように横切っていく。山間になると崖に沿って走りながら登っていく。
12時45分、登山口。7台駐車していた。
方向を変えて停め、弁当を食べ、20分後、ゲートを通る。右手はるか下に川が流れていた。左手にヒメウスバシロチョウが群れていた。ひたすら歩く。
13時35分、橋を渡ると日陰になり歩きやすくなる 。
崖下を歩けば涼し山の道
ひたすらリズムをつけて歩いていると前方からハイカーがやって来た。おたくで5人目という。一度川沿いに出て登り返す。
14時15分、取水施設に出た。
いよいよ登山道になる。左手の道を歩く。羊歯が生えていた。
岩壁の下はヌカビラ川、靴を頼りに通る。2回、壁に挑戦する。中年女性は怖気づいてロープのある方を登っていく。大岩の脇や倒木を幾つか通って行く。
15時、渡渉が始まるところで連れが待っていた。別のルートを歩いていると思っていた。東京からで、渡渉用の靴はスニーカーだった。地下足袋の底にフェルトがついた靴に履き替えたところで女性がやってきた。
先に行く。ここは体調が悪ければ危険だ。滑らないように摺り足で渡る。冷たい。
幌尻や膝上までの雪解水
枝に掛かるビニールリボンと岩に描かれたマークを頼りに進む。岩海苔を口に入れてみたが、味はない。最初、渡渉の回数を数えていたが、緊張が続いて忘れてしまう。シラネアオイやスミレが咲いていた。
山道を登っていくと、山荘が見えた。最後の渡渉を終える。
16時45分、山荘に着く。ここは21日から使えるところだった。
地下足袋靴、靴下を脱ぎ、ズボンをはきかえてから中に入る。東京、甲府から来た女性の2人組がいた。1人は百名山踏破を目指しており、同じ位登っていた。この後、羊蹄山に向かう。部屋にはストーブがあり暖かくなっていた。炊事場には流しっぱなしの水道が引かれ、床に毛布、奥にトイレがついていた。ブランディを一杯やってから外のテーブルで夕食にする。春菊を入れた味噌汁、コロッケ、葱入りカレーライスを食べる。川を越えたところにストーブ用だろうか切った木を積み重ねてカバーされていた。携帯ラジオで天気予報を確認、明日の日高地方は降水確率30%。7時過ぎてもスニーカー夫婦はやって来なかった。
19時30分、2階に陣取り、毛布を4枚重ねた上にシュラフを置いて、中に潜り込む。暖気があり、シュラフカバーを使わずに寝る。
6月26日(木)晴のち雨
3時から階下の音がして目覚める。お湯を沸かしコーヒーを飲みながらパンを食べる。外は晴れていた。衣類やシュラフなど不要なものをまとめて置いていく。
4時45分、トイレを済ませてから一足先に出る。針葉樹林の中、急登を続け高度を上げていく。口を開けて息をしていたら、虫が喉まで入ってしまう。吐き出そうとしたがムリだった。ツバメオモトの花を見つけ、ダケカンバの木立になってから白いタニギキョウの花を見つける。
5時50分、稜線に出る。尖った戸蔦別山が見えた。
エゾキスゲ
エゾキスゲが咲いていた。残雪が現れた。30分後、「命の泉」(標高1497m)と書いた標識に出る。降りていくと、崖下の奥にそれらしきところがあった。雪渓の下まで降り、2ℓ入れて崖下を通って戻る。女性2人組が現れたので水場ルートを案内して登る。ダケカンバの林の中をくぐって行く。
岩にすがりつくようにゴゼンタチバナが咲いていた。
7時、再び稜線に出た。高度1740m。幌尻岳が見える。アイヌ語で「大きい山」。北カールの中央に聳えていた。眼下に青テントとヒトが見えた。熊と住んでいるのだろうか。カールの底の残雪の先に池塘ができていた。
後ろを見ると遠くトムラウシや十勝岳が雲海から抜け出ていた。
手前にはハイマツの下にイソツツジの白い花が群れて咲いていた。ハイマツの間を登りながら高山植物を観賞し、デジカメに収めていると、2人組に追い抜かれる。白色のチングルマ、ハクサンイチゲ、ミヤマトウキ、黄色のキンバイ、ミヤマアズマギク、紫色のチシマフウロ、赤紫色のヒダカイワザクラ、ショウジョウバカマ、薄紫色のエゾノツガザクラが咲いていた。
岩場にナキウサギの穴を幾つか見つけ、岩礫帯を通って行く。
8時20分、登頂。南側は雲海に日高の山々が見えていた。眼下に幌尻湖がひそむように見えた。2人組と写真を撮り合う。
リンゴを切って差し上げる。2人は今日中に千歳に戻るようで、早々に降りて行く。風が吹いて来ないところで湯を沸かし、キムチラーメンに野菜を入れて食べる。青テントは消えていた。百名山に1人居るのもいい。
8時50分、下からガスが立ち上ってきたので出発。カールの端で山荘から来たハイカーとカール下から登ってきた3人に会う。3人が一息入れたところで話す。帯広畜産大の人と援助者でカールに出来た池で水生昆虫の生態を調査していた。昨晩は熊が横切り山を越えて行ったという。先に降りていく。
10時15分、命の泉で休んだら、3人組があっという間に去っていく。雨がポツポツ落ちてきた。こちらも休まずに2本のストックを使って降りる。30分経つと川の音が聞えて来た。
11時15分、山荘に戻る。3人は外で食べていた。まず川に出てタオルで汗をふき取ってから、写真に撮った虫の名前を教えてもらう。山荘にいた黒い虫がオサムシで、稜線で見つけた多色の虫がオオルリオサムシだった。
2階に上がって荷物を整理、レモン汁を紅茶に入れて飲む。2人組はストーブを閉めて先に出ていく。カール上で会った人の荷物が置いてあった。一応、窓を閉めて、渡渉用の格好になる。
12時過ぎ、出発。本降りになっていた。途中、1人、2人と出会う。水量は昨日より増えており、膝上が続き勢いがあった。一度、登った跡のある陸上を這い上がったが、笹藪を降りるとなると尻餅をついてしまい、危険だった。腰まで浸かりそうなところを渡っていく。流れが速くなければ大丈夫だった。5人のパーティと会う。草の臭いが立ち込める道を進む。川に沿った岩伝いのところは避けて、山の方を選びロープを使って降りる。
14時20分、取水施設の庇を借りて着替える。一通り出し入れして一服したら、30分かかってしまった。傘を差し、ストックをしまって歩く。
霧雨の山路暗し鳥の声
16時、登山口に着く。他の車は入れ替わり、4台停まっていた。車についたホコリが雨で洗われていた。一息入れてから、小雨の中、元の道を走っていく。エゾシカに出会ったが、直ぐ隠れてしまった。舗装道路を突っ走る。
17時40分、平取のビジネスホテル前に駐車。
現金を払って205号の和室に入る。布団やタオルなどは2人分用意されていた。まず風呂に入る。夕食はバイキング。2家族が食べていた。10品の内、餃子は空になっていた。ビールを飲みながら思いっきり食べる。部屋に戻ってみると、洗面所のドアは閉鎖、トイレ、洗面の他、お湯お茶も共用だった。暖房をつけてみたが、臭うので止める。テレビを観ているうちに寝てしまう。一度、目を覚ましテレビを消して寝る。
ニセコ・神威岬の旅
6月27日(金)晴
3時過ぎ、トイレに行き、序に洗面を済ませておく。目蓋がはれていた。外は既に明るい。
6時、玄関が開くと同時に出る。雨もあがっていて気持ち良くドライブ。235号線では、しばらくダンプ5台の後ろを走る。厚真から高速に入り、沼の端料金所を通過、未だ7時だった。千歳の手前にあるPAでトイレに行き、休む。
8時前、出発。コスモ石油で満タンにして車を返す。
8時30分、リムジンバスに乗って空港に行く。行きつけの考五郎ラーメン店でラーメン餃子を食べ、立松和平「日高」を読む。
10時、混んできたので、店を出て到着口の椅子に座り、耳栓をつけて読み続ける。振内営林所に電話して無事下山したことを伝える。
13時過ぎ、館内呼び出しで名前を呼ばれ、総合案内所に行くとM幹事以下皆が待っていた。4人は機内でスーパーシートに座って来た。Iが予約担当に交渉して満席の中、座席を確保してくれていた。トヨタエースに乗り込む。同期8人が揃った。
苫小牧東から高速に入り、伊達ICで降りる。ここは伊達藩の人が作った町。昭和新山の近くまで寄っていく。蒸気をあげたところから出来たての赤い岩山が見える。
岩絵の具を使って画いてみたくなる風景だった。洞爺湖に出てトイレ休憩。湖畔に米坂ヒデノリの彫刻が立っていた。
有珠山に向かい、駐車して歩く。国道230号線の地盤が隆起、沢が堰きとめられ雨水がたまって沼地になっている。
西洋風の西胆振消防組合本部建物が水に浸かっていた。
町道が70m隆起して断層になり、折れた電信柱が残っている。
2000年3月31日13時7分、最初に噴火した火口が見えた。
そこらじゅうで地熱の蒸気が噴き出している。粉砕を浴びた菓子工場が残っていた。枕木道を一回りして戻り、ウィンザーホテルに行ってみる。ガスがかかっていた。ハウステンボスの経営者が高台に建てた豪華ホテル。業績不振で、経営者が変わっている。コンシェルジュ長の原島氏の話ではSARSで急にお客が増えていた。
230号線から66号線に入り、細川たかし記念碑に行く。土産屋の前で駐車。銅像の前で写真を撮る。脇に手を触れると「北の宿」の歌が流れてくる。
真狩湧水の里に寄って、水をポットに入れる。ここでは豆腐を作っていた。
16時45分、ニセコアンヌプリホテルに到着。各部屋にチェックイン。貸し切りの宴会場に行き、シャンペンで乾杯。幹事とI総支配人の挨拶の後、ビール、赤ワインを飲みながら料理を堪能。雲丹、帆立、鮪トロに始まり、キンキアスパラ巻、真ガレイ、そして牛ヒレ、フォグラと続く。炊き込み御飯と吸い物が付き、果物と杏仁豆腐でしめる。食後、大浴場に行って体重を量ったら、元に戻っていた。洗濯物をコインランドリーに入れてから風呂に入る。洗浄させている間に幹事の部屋に寄って皆とだべる。乾燥を終えて寝たのは零時前だった。
6月28日(土)晴
7時、起床。バイキング朝食を済ませる。
9時過ぎ、Uを除き、7人がニセコアドベンチャーセンターのバスに乗る。センターに着いて、編成を決め、リーダー格で長身のナッシーが我々のガイドとなった。
参加者は我々を除いて若者達。カメラ等見回り品と荷物を預け、ツナギの防水ウェアを着込み、地下足袋を履く。オールとヘルメットを持ってバスに乗り込む。走行中、かすれ声の女性ガイドが元気一杯ラフティングの要領を説明する。
「川に落ちた時はラッコスタイルになり、川下に足を向けること。テトラポットや木に引っかからないようにすること・・」
羊蹄山の麓を走って豊岡で降り、尻別川の川辺まで皆でラフトを持っていく。一級河川の中では日本一の清流。片足はベルトにかけて落されないようにして漕ぐ。岩で狭まり流れが速くなったところを通る。
ナッシーは回転させたり、岩に乗り上げたり、いろんな経験をさせる。一度、バックもやってみる。他のラフトでは、川に入って浮かんでいた。彼も勧めるので、私だけ川に入る。ラッコスタイルで浮かびながら流されていく。額平川で感じた冷たさはない。浮遊感覚が気持ち良い。
胴衣着てラッコのごと浮ぶ夏の川
ご挨拶と言ってオールで他のラフトに水をかけることが許されている。相手のガイドが放つショットは勢いがあった。途中、流れの速いところを漕いでいるシーンを丘から撮っていた。春、雪解けの時は水量が1m以上高く流れも速い。砂洲も毎年移動していると言う。流れが緩くなったところで再び川に浮かぶ。テトラポッドに近づいたので離れる。ラフトから離れたところでナッシーがロープを投げた。掴むと、引っ張られラフトに近づき乗り込む。1mあるイトウという魚は見つからなかった。倶知安の近くで陸にあがり、ラフトを担いでいく。トラックに4個ずつ積み重ねていた。バスでセンターに戻り、着替えを済ませる。先ほど撮っていた写真(上記)を1枚840円で販売していた。
13時20分、ホテルに戻り、全員でイクラ丼セットを食べる。窓からパラグライダーが見えた。
14時30分、今度は小型バスで積丹半島に向かう。昆布温泉を通り、湯本温泉の大湯沼で車を止める。硫黄の色をしていた。自然休養林で駐車。木道を歩いて神仙沼まで行く。ミズナラ、ナナカマド、トドマツ、ハイマツの木々の下に笹が茂っていた。
車に戻ってニセコパノラマラインを降りていく。左手に岩内岳、前方に日本海と岩内港と町が見えてきた。この町は昭和29年9月26日、失火が原因の火事が台風15号の風で3分の2が焼かれてしまった。水上勉「飢餓海峡」は、ここを舞台にしている。かって鰊で栄えたが、今はスケソウダラの鱈子が特産。アスパラガス発祥の地の記念碑が左手に立っていた。港近くの平成9年建立の木田金次郎美術館に寄っていく。
有島武郎が小説「生れいづる悩み」で書いた画家木本は彼がモデルだった。有島に諭されて上京しないで描き続ける。岩内大火で1600枚の絵を焼失した後も、海や岩内山、茂岩を描いていた。カタログを買って車に戻る。
国道229号線を北上、海岸線の道は、次々と新しいトンネル で通りやすくしている。泊村には原子力発電所があった。鰊御殿があったところだ。途中、2回片側通行で待たされる。幸田文が40数年前に旅した時には、赤石で不通箇所があって引き返し、余市の方から訪ねている。18のトンネルを通り、幾つかの奇岩を見ながら岬方面の駐車場に着く。キタキツネがいた。
17時10分、女人禁制と書いた古い門をくぐって遊歩道を歩いていく。ニッコウキスゲや浜茄子の花が咲いていた。強風時には通行止めになる道を昇り降りして歩く。黒帯の灯台の先が神威岬だった。海に神威岩がそそり立っている。自然の造形に圧倒される。
神威岩
40分後、車に戻り出発。40分走って盃温泉「もいわ荘」に入る。廊下の壁に木田金次郎の絵が飾ってあった。露天風呂に入って汗を流し、30分で出る。一路、元の道を走って帰る。Iは運転しながら ホテルと連絡。今日、ニセコのペンション・モーツァルトで閉鎖パーティを開いていたところ、ベランダにいた26人が重みで壊れ怪我したと言う。ホテル宿泊支配人も参加していたが、丁度階下で写真を撮っていて難を逃れた。
20時、戻って直ぐバイキングの夕食。食後、例の如く集まって酒を飲んで寝る。
Poroshiridake(2052m) in Hokkaidoo 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is essencial. Sinchitose airport→Hidaka expresswayAtsumaIC, national road235,237,Dou road 638,car park space
2. Facilities:Poroshiri lodge(01457-3-3838 morning weekday)no meal1000yen
3. Information::Hiratori town furenai branch(0145-3-3211)
4. Season:Jul to Sep
Records:
Jun25
13:05-14:15 walk logging road from car park to water gate plant(750m).
14:20-16:45 walk and ford Nukabira river 29times to Poroshiri lodge(955m).
Jun26
4:45-5:50 climb hard among conifenous forest to ridge.
5:55-7:00 down to get water and back to ridge(1740m).
7:00-8:20 climb ridge to peak.
8:50-11:15 back to lodge and take meal.
12:00-14:20 back to water gate.
14:45-16:00 back to car park space.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
太郎山(2368m)
1.2003年6月7~8日
2.地図:国土地理院1:25000男体山、日光北部
3.交通:I車
4.宿泊:実之屋¥10650
5.温泉:はるにれの湯¥500
6月7日(土)曇
6時20分、王子駅。三井住友銀行前には、既に2人が待っていた。Yが町田からやや遅れて到着。王子北で高速に入り、東北自動車道を走る。ゴルフ場行きの車が多かった。佐野SAでトイレタイム。清滝インターで降り、第2いろは坂を登る。戦場ヶ原の三本松から裏男体林道を走って 湯殿沢橋を左折、林道出会に着く。
新緑が瑞々しく気持ち良い。既にハイカーの車が幾つか停まっていた。
9時50分、登山口から直登が始まる。白樺の芽吹きと石楠花が鮮やかだった。1時間登って休む。再びひたすら登っていく。岩鏡が咲いていた。
林を抜けるとガレ場に出る。足元に気をつけながら通り抜ける。お花畑に出た。
噴火口のようだった。雪が木陰に残っていて、小野竹喬の絵「山湖」を思い出す。
静謐とした新緑風景に山頂が見えていた。一気に登る。
12時30分、太郎山登頂。隣りの小太郎山も見えないほど視界が悪かった。
テントが張れそうな場所でマットを広げて湯を沸かし、ラーメンを食べる。保冷剤で冷やして置いたメロンが好評だった。ポットのお湯を使って飲み物を提供、レモンティーにウィスキーを垂らして飲む。
13時30分、下山。直ぐに霰が降って来た。その後しばらく雨に降られる。山茶花が咲いていた。
一度休んだが、足元に注意しながら降りて行く。
15時30分、車に戻る。早速、ビールを飲む。韓国原産「うましぼり」。帰りに、明日の登山に備え、どの位まで車で行けるか確認する。湯殿沢橋から志津小屋を通過、ゲートにやって来た。近くに車を止めていたハイカーが言う。
「今朝、道具を用意していた人が鍵を開け、通れるようにしていた」
確かにゲートを動かせる。4駆でないと走れない道を通り、馬立で折り返す。これだと片道1時間以上歩かなくて済む。5、6台来ていた。元走った道を戻り、湯元温泉に行く。湯の湖では釣り師が膝上まで入って立っていた。
17時、実之屋に着く。コリーが入り口にいた。撫でていると、突然動き出す。お婆さん「鹿の臭いを嗅ぎ取ったようです」。西欧風建物の奥に消えていく。庭に咲く紫や白色の花の名前を教えてくれた。クリーン草。
208号室にチェックイン。写真がそこらじゅうに展示されていた。バッグを部屋に置いて風呂に入る。身体を洗い、内湯で身体を温め、露天風呂と入っていく。露天の方は熱かった。じっとしている。
18時、食堂に行く。ビールで乾杯。山菜料理や、豚肉と茸を直火で暖めた容器に浸けて食べる。ここにも主人の写真が飾ってあった。コリーの写真を見る。名前はジュリー、10歳。今は太ってしまっているが、かっては絵になっていた。「たくさん食べさせてしまいました」
食後、改めて写真を観賞。Tは夕闇の華厳滝が気に入り、主人に購入を申し出る。「販売用ではないんですが、何とかします」結局原価計算をしてから5千円を提示。ケースに入れて郵送することになった。
私は月光の下、白く浮いた滝が気に入った。しかし現像しかなく諦め、湯之滝とツツジの絵はがきを買う。主人は大類正照氏、ここの専務で、20年写真をやっており、雑誌にも掲載されていた。栃木出身の松本哲男画家のことを聞いたら知っていた。日本画の岩絵の具は、硫黄に酸化して変色するのでここでは使えないという。
21時まで酒を飲みながら話し、トイレに行ってから寝る。
Tarosan(2367m) in Tochigi pref. 300Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better. Tohoku,nikko/utsunomiya expressway KiyotakiIC→national road120,Uranantai logging road
2.Information:Nikko tourist association(0288-54-2496)
3.Season:Jun to Oct
Records:Jun7
9:50-12:30 climb screes and flower field from Rindodeai to peak.
13:30-15:30 down to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
背振山(1055m)
地図:国土地理院1:25000背振山
山と高原地図55・福岡の山々
1.2003年6月14日
2.単独行
3.西鉄バス:南薬院―早良営業所―椎原¥760
椎原―早良営業所―赤坂門¥770
6月14日(日)曇
前日、福岡西鉄バス総合案内所でバスの時刻を確認しておいた。天気予報では、ところにより雨だったが曇っていた。一応、レインウェアと傘を持っていく。
9時8分、4分遅れで17番バスがやって来た。乗客は2人だけ。
9時30分、早良営業所に着く。バスターミナルだった。西鉄タクシーも駐車している。快速バスからハイカーが2人降りて来た。
9時52分、椎原行きのバスに一緒に乗り込む。脇山小学校から谷あいを登って行く。一ツ田でハイカーが降りて行く。ここからだと金山に向かうようだ。
10時15分、椎原に着く。同年輩のハイカーと舗装した林道を歩く。雨が降らないとわかっているせいか軽装だった。どんどん歩いて行く。大井手橋、中の尾橋を通り、石垣の脇を通る。ハイカーの車が幾つか駐車していた。車谷コースとの分岐点でハイカーと別れる。
予定より15分早い。林道通行止めの地点から登山道を歩く。落葉広葉樹のイヌシデやアカシデの混じる林の中を歩く。背振山が見えた。
林道を横切り、落葉性針葉樹のメタセコイア林の中を登っていく。2組追い越す。水場があったが、顔をぬぐうだけにする。背の低い林の中になるとゆるくなった。椎原峠に出ると、中年夫婦がベンチで食べている。鬼ヶ鼻岩が見えていた。
一服してから九州自然歩道を歩く。カシやコナラの林をぬって行く。時々ツツジの花が残っていた。アサギマダラ蝶を見つける。エゴノキの木がたくさん花を咲かせている。
「唐人の舞」への道があったが、寄らずに真っ直ぐ歩く。何人かと擦れ違う。林道に出ると近くに気象台レーダーがあった。バスで一緒だったハイカーに会い、コースの状況を話し合って別れる。ブナ林の中では木道になり、水場から登って行くとキャンプ場に出る。航空自衛隊の鉄条網沿いに登っていくとレーダー用ドームの右手に背振神社が見えた。レーダー施設の中に修験道の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の石像がある。
13時、背振山登頂。弁財天を祀った神社の脇に標識が立っていた。
家族や中年女性3人組達と一緒にベンチでオニギリをぱくつく。ベンチに天道虫がいた。金山まで良く見える。油山の先に福岡市街と福岡湾が霞んで見えた。佐賀橋まで自然歩道を歩くことも考えたが、バスの便数が少ないので椎原に戻ることにする。あっという間に北側を雲が覆ってしまう。ホイホイ降りて行く。
14時、矢筈峠には、道端に標識が置いてあった。
ロープを使って降り、沢を何度も渡る。ワサビが栽培されていた。このルートは羊歯や茸が多い。林道に出ると「椎原まで急ぎ足で50分」と書いてある。バスは1時間置き に出ていて15時18分に間に合わせるため急ぐ。
15時前、林道に戻る。走っては歩き、走っては歩いて出発5分前に停留所に着いた。私だけ乗せて走り出す。早良営業所の近くで、ビールを飲みながらラーメン餃子を食べる。
15時55分、快速バスに乗って天神前の赤坂門で降り、歩いて西鉄グランドホテルに戻る。
※背振の由来:諸説紛々。国の中心地や都を意味する朝鮮語ソフルという説。新羅の原号であったソの村フルから来ている説。百済からきた七福化編みの一人弁財天の馬が背を振った説。秦の始皇帝の命により、徐福が不老不死の薬草、千振(せんぶり)を山中に求めた説。
Sefuriyasan(1055m) border of Fukuoka pref. and Saga pref.
300famous mountain of Japan
1.Access:Bus is available by Nishitetsu. Hakata bus terminal-Shiihara
2.Information:Fukuoka city office(092-711-4111)
3.Season:Mar to Dec
Records:Jun14
10:15-10:45 walk from Shiihara to Kurumatani.
10:45-11:40 climb among Inushide, Konara, Metssequoia woods to Shiihara pass.
11:50-13:00 walk Kyushu nature trail to peak and take meal. There is huge radar dome.
13:40-14:00 down to Yahazu pass.
14:00-15:15 back to starting point by other route.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
越後・会津4座の山旅④
8月21日(木):曇ときどき晴
6時、起きて洗面を済ませ、朝風呂に入りに行く。
6時30分、ラジオ体操の放送が流れ、生活改善センター前の小さな広場で小学生らしき女の子2人が並んで体操していた。
二人してラジオ体操村の夏
雑貨屋は既に開いていた。川縁に降りていくと2人上がってきた。岩風呂には夫婦入れて5人いた。風呂に入りながら西根川を眺める。緑深い木々の分け入るように流れていた。風呂から上がって祠に寄っていく。「古峯神社」の札が貼ってあった。
宿に戻ると、日当たりに登山靴が乾かされていた。朝食をいただく。鱒の甘露煮やゼンマイに似たカクマに卵料理。古峯神社のことを聞く。鹿沼の古峯ヶ原にあり、日本武尊を奉っている。出産、受験、就職の前にはお参りに行ったと言う。
8時過ぎ、朝刊「福島民生」が配達される。最近は新聞をとらない人も増えている。
9時前、見送られながら出発。桧枝岐に戻り、「アルザ尾瀬の湯」に駐車。10時開業だが、清掃のため12時からだった。車内で本を読み、近くのレストラン「水芭蕉」でザルソバを食べる。
12時過ぎ、露天風呂に浸かる。打たせ湯もあった。
のんびり過ごした後、缶ビールを飲みながらプールを眺める。車で桧枝岐を過ぎ、ミニ尾瀬公園の大駐車場に車を停める。
山の神橋を渡って、武田久吉メモリアルホールに入る。
小島烏水らと日本山岳会を創り、尾瀬の自然保護に尽力した足跡を紹介していた。その後、池を周って白旗史朗尾瀬写真館を見学。いずれも新しく、今は無料になっていた。
15時、出発。50分で平ヶ岳登山口に駐車する。下山して来た人に状況を聞く。朝は雨がやんでいたが、湿原で降られた。道のむかるみが凄いと言う。
17時、お湯を沸かしてハヤシライスを食べる。ドアを開けると蚊が侵入して来た。雨が降りだす。懐中電灯を使って明日の仕度をしておく。携帯ラジオでは良く聞き取れなかった。時たま車が通り過ぎ、2、3台が駐車して来た。
平ヶ岳 (2140m)
地図:国土地理院1:25000平ヶ岳、尾瀬ヶ原、会津駒ヶ岳
昭文社:山と高原地図⑭尾瀬、又は⑮越後三山
8月22日(金):晴
零時過ぎ、小用のため外に出る。星空だった。
3時30分、車2台やって来た。仕度する。
4時過ぎ、ヘッドライトを点けて出る。少し登ってからブナ林を通り、下台倉沢を渡り、杉林の中を右折する。尾根を登っていくと、段々と明るくなって来た。蜘蛛の巣がかかっていて、今日最初に通るとわかる。
5時、前坂で休憩。五葉松が立っていた。向かう先はガスがかかっていて、下から段々上がっていた。ヤセ尾根を登って行く。砂礫の急な登りが続く。
6時30分、下台倉山(標高1604m)。雀蜂が飛んで来たので早々に出る。雨が止んだせいか、蟻の群や蛇に出会う。茸も多い。ガマズミの花が咲いていた。
南に向かい尾根道を進む。台倉山(1695m)の頂上は広場になっていた。テント泊帰りの5人に会う。
7時45分、台倉水場に出た。水場には降りていかなければならないので、休むだけにする。樹林帯の中、ドロドロになった道が続く。ストックを使って通る。
泥溜まり跳びそこねせし登山靴
白沢清水(1711m)で岩間からの水を補給。笹と針葉樹の中を歩く。ヤセ尾根に出て、ロープのある岩場を登っていく。幾度もロープを使って尾根を登って行くと、急に視界が広がり手前に池ノ岳、左手に平ヶ岳が見えた。草原に横になってリンゴを齧りながら眺める。
白髪の男性が現れ、キャノンの一眼デジカメで盛んに撮って去る。後を追って池ノ岳まで稜線を登る。
10時、見晴らしの良いところで追いつく。ドコモ携帯使用可と書いた杭が立っている。生憎、車に置いてきてしまっていた。彼のを貸してもらったが、家内は不在だった。池塘が広がっている。姫ノ池の先の平ヶ岳は近くなった。
池ノ岳を過ぎ、ハイマツや石楠花の中に伸びる木道を歩いていく。木道は厚生年金国民年金積立還元融資で出来ていた。玉子石への分岐を左にとり、オオシラビソの林を抜けていく。
10時45分、脇道に入って平ヶ岳登頂。
尾瀬の山と会津駒ケ岳を眺めながらベンチでパンを食べる。八王子からの夫婦が隣りにやって来て食べる。
11時20分、出発。25分で池ノ岳に戻る。
姫ノ池を歩いてから降りる。新潟の高校生17名と擦れ違う。軽装だった。
タテヤマリンドウや見慣れぬ花が咲いていた。
再び白髪男性に会い、話しながら降りていく。奈良在住、機械用ロボットを開発し、70人位従業員のいる会社を経営していた。しかし不況になってから大会社が進出したり、海外委託でコストを維持できなくなり、会社をたたんで特許料で食べている。奥さんはダイビングに夢中、しょっちゅう海外に行っている。娘はスカイダイビングでオーストラリアにとそれぞれ分野が違う。今回はトヨタRAVAを北海道迄フェリーで運び、幌尻岳に行こうとしたが、台風15号で通行止めになる。そこで東北の山に登り、温泉に入りながらやって来た。途中、携帯で仕事の相談にのっている。地獄を経験したせいか白髪だが、還暦にはいっていない動き。第2の人生を満喫していた。
白水清水で別れる。湧水を補給したが、炎天下を歩くと直ぐ汗になってしまう。木陰で半ズボンになっていたら、八王子夫婦に抜かれてしまう。しなびた足指が疲労を訴えていた。一度に4つの百名山を踏破するのは限界のようだ。
下台倉山に出ると、テント持参の青年がいた。水の状況など教える。前坂を過ぎた頃、高校生が抜いていく。クロスカントリースキー部の部活だった。挨拶もきちっとしていたし、トップとしんがりは流石に貫禄があった。
東向きに降りているので日差しを浴びなくなり、身軽になったせいか、足の運びもスムースになる。ホイホイ降りていく内に八王子組を抜き返す。沢で靴とストックを洗っておく。
16時過ぎ、登山口に戻る。高校生達は体操した後、バスで尾瀬に向かって行く。こちらは反対側を走る。奥只見湖を右手眼下に、曲がりくねった道が延々と続く。水が道に溢れた箇所があるとスピードを落とし、水を飛び散らせながら通る。銀山茶屋に駐車してソフトクリームを食べ一服する。
日光橋を渡り、トンネルに入り、奥只見シルバーラインを突っ走る。トラックの後ろにつくと、左矢印を出して追い越させてくれた。途中、外に出ることもあったが、真っ直ぐに伸びたトンネル内、ポタポタ地下水が落ちてくるのをワイパーで拭いながら走る。
トンネルを出たところのガソリンスタンドで20ℓ補給しておく。入浴できる温泉名を聞いて出たが、見つからなかった。高速近くの道の駅は土曜日で休業していた。レストラン「かたつくり」で生ビールを飲み、天ぷらソバを食べる。帰りに魚沼コシヒカリを買う。2キロ1700円だった。
19時、出発。国道17号線で六日町まで走り、高速に入ってすっ飛ばして帰る。
Hiragatake(2133m) border of Fukushima pref. and Niigata pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is essencial.Kanetsu expresswayKoideIC→national road232, pref.232,national road352,Shiori touge(pass),Hiragatake gate
2.Information:Uonuma city commerce,tourist association(025-792-9754)
3.Season:midJun to Oct
Records:Aug22
4:05-5:00 climb to Maesaka(1197m).
5:05-6.30 climb among beech woods to Mt.Shimodaikura(1604m).
6:40-7:45 climb to Mt.Daikura(1695.3m).
7:55-9:20 down and up to Ikenodake(1903m).
9:30-10:45 climb among Abies mariesli woods and tree way to peak.
11:20-11:45 back to Ikenodake.There is plenty of small pond where is full of weed.
11:45-16:05 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
越後・会津4座の山旅③
会津駒ケ岳(2133m)
地図:国土地理院1:25000会津駒ヶ岳、桧枝岐
昭文社:山と高原地図⑭尾瀬
8月19日(火):雨
5時過ぎ、バスが登っていく。お湯を沸かせて梅粥を食べる。ザックカバーを探したが見つからない。レインウェアの下にバッグを担ぐ。ミニバンの夫婦は群馬から来ていて先に行く。
6時30分、出発。直ぐ上にトヨタレンタカーのバスがエンジンをかけて駐車していた。パジェロの先にゲートがあり、押してみると通れる。工事中の道を降りていくと木の枝に赤いリボンを見つける。林の中を入って降りて行く。方向といい、百名山のルートにしては、おかしい。藪の先に駐車場が見え、降りる。左手は竜ノ滝への道だった。元に戻って地図を確認すると、「取付に木の階段」とある。パジェロの反対側に階段があった。
7時20分、気を取り直して階段を上がり、ブナ林の中を登っていく。しかし一度諦め気分になったせいか、歩くリズムがつかめない。3度目の雨中登山で身体が拒否反応を示しているのか、急登のせいか、何度も息を整えて進む。
8時20分、小憩中、駒ノ小屋管理人に会う。小屋は完全予約制で金曜日に帰る。髭面だが愛想が良い。ぬかるみもあった。10分後、水場入口に出る。水場は3分降りた所だった。そのまま通過、緩やかになった道を登っていく。その後は40分置きに休み、ビタミン入り水を飲みながら登る。オニアザミが咲いていた。
オオシラビソの林で団体客と擦れ違ったが、年配者のせいか疲れていた。ダケカンバが現れる。ハリフキが赤い実をつけている。足元に茸を見つける。
高度2000mになると木道になり、湿原が現れる。一息入れて行くと駒ノ小屋に出た。
山頂まで700m、木道を歩いて中門岳方面に向かう。標識のある所で右折、階段を登っていく。
10時45分、会津駒ケ岳登頂。霧が深い。丁度、群馬夫妻に会い、写真を撮っていただく。
雨は止まず、中門岳まで歩くのを諦めて小屋に戻る。小屋の中は人が多く、レインウェアを脱ぐのも面倒なので、駒ノ大池のベンチで傘を差しながら食べる。隣りにいたベトナム風帽子を被ったオッサンは百名山を82終わっていた。やはり平ヶ岳は諦めていた。
11時50分、出発。先に降りていた群馬夫妻に追いつき、一緒に休む。館林に住んでおり、3月になると山を登る。同郷に向井千秋さんがいた。少年サッカーチームも盛んだそうだ。一足先に降りていく。雨はやんだ。竜胆がみずみずしい。
13時30分、車に戻り、靴下を履き替えてサンダルで運転。国道352号に戻り、観光協会に電話、露天風呂の近くの民宿「あづま」を紹介してもらう。そこは、川窪橋を渡って右折して直ぐだった。少し離れた空き地に駐車して205号室に入る。廊下の壁に横浜の岩崎中学校生徒の写真が飾ってあった。
15時、公衆浴場「燧の湯」に行って、民宿から預かった無料カードで入る。
露天風呂に入ると、下に舟岐川が流れていた。雀蜂が寄って来たので水鉄砲で応戦する。
18時、食堂に行く。地酒を飲みながら、岩魚の塩焼き、裁ちソバ、天ぷら、けんちん汁、そして豚肉とシメジを火で暖めながら食べる。他に2人分用意されていた。福島テレビを観る。特集で昨日の歌舞伎を放映していた。デザートは、ここの特産「はっとう」。そば粉で作った菓子で、ごま味でさっぱりしている。食後、部屋で横になりながらテレビを観る。外は雨だった。
8月20日(水):曇のち晴
5時過ぎ、檜風呂に入る。6時の天気予報では、日本の中で新潟県と福島県だけ雨マーク。今日は平ヶ岳登山を諦め、木賊温泉で待機する。
6時30分、戸外でラジオ体操の音楽が流れる。朝食案内があり、降りていくと釣り人2人が食べていた。前夜、寄居から一般道を使って10年振りにやってきた。ここの裁ちソバと山菜料理が目当てだった。山女のキャッチアンドリリースで楽しむ。日光への道を聞くと、片側通行が多いという。帰りは小出に戻った方にする。
80歳のお祖母さんが1人で世話していた。今日から3日休業、娘が孫娘の夏休みの思い出作りに東京に行っている。5年前まで、中学生が民宿に分散して泊まっていたが、不景気で来ないと言う。
9時30分、出発。途中、JA農協に寄ってリンゴや缶詰、ビールを調達。村を出て、沼田街道を右折、見通川に沿って尾瀬小繋ラインを走行。トンネルを越え、舘岩村に入る。対向車があらわれてほっとする。宮里集落に入り、民宿を探す。福本屋など2、3軒あたったが、休業だったり、満室という口実?で断られる。「みやさと荘」は大丈夫だった。昼過ぎに来ることにした。
時間つぶしに「少年自然の家」に向かったが、部外者立ち入り禁止。橋の近くに駐車して本を読む。埼玉ナンバーのバスが少年を乗せて帰って行った。ツマミを食べながらビールを飲む。
13時30分、木賊(とくさ)温泉の露天風呂に行く。道脇の駐車場に車を停め、西根川べりに降りていく。入り口の箱に200円入れる。
馴染みの客が洗濯していた。帝釈山越えの道を聞くと栃木県側が工事中で通行止めと言う。岩風呂は熱く、30分で充分だった。
岩風呂の熱さに耐へし夏日かな
風呂後、道に出て直ぐの酒屋で売れ筋の酒「平泉」を買う。宿に戻って、洗い場で登山靴の泥をとっておく。ミヤマカラスアゲハがペチニアの花にやってきた。
女将さんがやって来て2階の部屋に案内される。
今日は貸切りのようだ。既に布団が敷いてあった。横になって高校野球を観戦する。
18時、夕食の案内があり、降りて行くと主人が待っていた。楠定秋さん。長らく林野庁に勤め、定年後、失業保険をもらってから再び契約で働いている。趣味は木工作り。玄関には自作の置物が飾ってあった。差し出されたお茶の茶托は栃の木に南天を彫っていた。話を聞きながら山菜料理を食べる。祖先は源氏系。息子は東北電力に就職、福島の社宅に住んでいる。娘は田島に嫁いでいる。舘岩村には小・中学校はあるが、高校は廃校になった。
岩風呂は400年前からあり、上にある祠は温泉の神様が祀ってある。神様は鶏を嫌うので、この村では飼っていない。村の人が交代で10日毎に掃除しており、今日は終わったばかりだった。もう一つの広瀬の露天風呂はボイラーで沸かしていると言う。
民宿に泊まると、いろんな話が聞ける。部屋に戻って明日の仕度をして寝る。
AizuKomagatake(2133m) in Fukushima pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:Car is better.Touhoku expresswayNishinasushiobaraIC→national road400,352,Hinoemata
Toubu railway:Asakusa-AizukougenOzeguchi station,AizuBus to Hinoemata
2. Information:OzeHinoemata onsen tourist asociation(0241-75-2432)
3. Accomodation:AizuKomanokoya(080-2024-5375)located near peak no meal 3000yen(need reservation)
4.Season:Jun to Oct
Records:Aug19
7:00-7:30 climb to logging load from gate(930m) to the end(1100m)
7-30-8:35 step up wood stair and climb among beech woods to water place gate(1670m).
8:35-10:00 climb and walk tree way to KomanoKoya lodge(2050m).
10:05-10:25 walk tree way and climb to peak.
10:30-10:45 back to lodge and take meal.
11:50-13:30 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
越後・会津4座の山旅②
燧ケ岳(2346m)
地図:国土地理院1:25000駒ヶ岳
昭文社:山と高原地図⑭尾瀬
9月18日(月):雨のち曇
5時30分、洗面を済ませ、軽く食べてから食堂に行ってお湯をポットに入れてもらう。不要な荷物を車に入れ込んでおく。
7時45分、国民宿舎尾瀬御池ロッジを出発。有料大駐車場の奥が登山口だった。
登山者数を機械で計っていた。小雨の中、登り始めると軽装のハイカーが降りてきた。ぬかるみの道や木の根の上を歩く。高度を上げて行くと木道が現れ、広沢田代の湿原に出た。
黄色いオタカラコウの花畑に紫色のヒメシャジンがアクセントをつけている。
木道を歩いた後、樹林帯を登っていく。オオシラビソの木々に石楠花の木が交じっていた。木道を通ると熊沢田代が広がっている。2つの池塘の間を行く。オトギリソウが咲いていた。
4人のパーティと擦れ違う。階段状の木道を通ってからジグザグに登る。川のようになった道を登る。水が音を立てて流れ落ちていた。左斜めに登っていく。石楠花の木が現れたところで中年女性2人に会う。これから会津高原に出てバスで帰るという。頂上には誰もいなかったという。大岩の間をぬって登っていく。雨も止んできた。
11時10分、燧ケ岳俎嵓に着く。尾瀬ヶ原の方から登ってきた年配夫婦に会う。
フィルムが切れていたので代わりに写真を撮り、メール先をメモしておく。京都の人で10年振りにやって来た。来月には屋久島、開聞岳に登ると言うので体験を話す。
11時30分、健闘を祈って別々に降りていく。原見岩の方に降りてしまったが、戻って降りなおす。風が来ない場所で、お湯を入れてラーメンを食べる。ハイマツ、石楠花、ダケカンバに囲まれていた。
12時10分、出発。1時間後、熊沢田代で小雨の中、一息いれる。木道が滑りやすいので専ら足元を見ながら歩く。
15時20分、戻る。御池休憩所に寄ってみる。土産物はどこも変わらない。缶コーヒーを飲んで出る。20分後、出発。道路整備の車について桧枝岐に向かう。村に入り、ガソリンを補給しておく。リッター当たり10円高いので20リットルだけ入れる。裏に駒の湯温泉があった。自動販売機で入浴券を買って入る。衣類と身体を洗ってから1人、風呂に入る。年配の人がやって来た。秋田に生まれ、日本橋の会社に38年、63歳まで働き、今年から故郷に住み、山仲間と登っている。今回は大清水に車を停めて燧を登ってバスで来た。今晩の歌舞伎は必見という。徒歩5分、行き先を聞いて別れる。
17時過ぎ、車は駐車したままにして、板倉集落の通りに出ると会場に向かう人が続いていた。
左手に、柱や釘を使わない板製の倉が保存されていた。蒸篭造りと呼ばれ窓がなかった。反対側には地蔵が6体立っていた。
国道から脇道に入ると出店が並んでいる。案内書を買ってマットを借りて広場に行く。既に眺めの良いところは人で埋め尽くされ広場の真中の空いているところに座る。
報道陣やカメラマン達は石垣の上に陣取っていた。年3回興行されるもので、偶然だった。260年前からの歌舞伎で、伊勢神宮への参拝帰りに江戸歌舞伎を観劇し、村に伝えた。大正時代に現在の一座が出来て県の重要無形民俗文化財に指定されている。茅葺き屋根の舞台の下に献金者の名前と金額を書いた紙が洗濯鋏で吊るされていく。
17時30分、開演。星ヨシヒサ村長の挨拶に引き続き、幟旗贈呈式が行われる。東北電力、福島民報、福島テレビ各社長が壇上にあらわれて代表者に渡される。
18時、一之谷嫩(ふたば)軍記・須磨浦の段が始まる。玉織姫は幼稚園の先生だった。
色々な見せ場を演じながら進んでいく。一幕終わった時は19時を過ぎていた。多くの観客と共に辞去する。ちらしをもらっておく。来年3月には東京国立小劇場で有料公演する。
酒屋でビールとツマミを買って車に乗り込む。地図を見ながら会津駒ケ岳の登り口に向かう。道は真っ暗、滝のように水が流れているところを通ったり、溝があるようなところに出る。黒いゴム状のものが出ていた。左手の広場にミニバンが停まって明かりを点けていた。サーチライトを持って近づく。窓を開けて教えてくれる。この上に登山口があり、明日登るという。少し離れて駐車。お湯を沸かして食べてから寝る。
Hiuchi(2356m) in Fukushima pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:Car is better. Touhoku expresswayNishinasushiobaraIC→national road400,352,Hinoemata,Oike
Toubu railway:Asakusa-AizukougenOzeguchi station,AizuBus to Oike
2. Information:OzeHinoemata onsen tourist asociation(0241-75-2432)
3. Accomodation:KokuminshukushaOike lodge(0241-75-2350)
4.Season:Jun to Oct
Records:Aug18
7:45-8:35 climb from Oike lodge to Hirosawatashiro moor.
8:40-9:25 climb to Kumazawa moor.
9:30-11:10 climb to peak.
12:10-15:20 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
越後・会津4座の山旅①
越後駒ケ岳、燧ケ岳、会津駒ケ岳、平ケ岳
1.2003年8月16~22日
2.単独行
3.自動車:高速料金¥11650 ガソリン76L¥9034
4.宿泊:尾瀬御池ロッジ・素泊まり¥7000
桧枝岐民宿あづま・1泊2食¥7000
木賊温泉民宿みやさと荘・1泊2食¥6800
その他:湯之谷温泉「ゆぴお」入浴料¥500 桧枝岐駒の湯入浴料¥500
8月16日(土):雨のち晴
11時、出発。関越自動車道に入るまでは時間がかかったが、対向車の渋滞を横に見ながら雨の中をすいすい走る。土曜日だが、天気が悪いせいか車は少ない。赤城SAでトイレタイム。長い関越トンネルを越えて新潟県に入ると晴れていた。正面の山はスキーが出来るが頂上は鋭角になっていた。
13時30分、小出ICで降り、国道352号線を右折する。山間に入り、奥只見シルバーラインとの分岐点を右にとる。お祭りをしていた。
14時、湯之谷村交流センター「ユピオ」に駐車してピラミッド型の施設に入る。
土曜日のせいか家族で来ている人が多い。温泉で汗を流した後、2階に行って休む。休憩室がレストランを兼ねていた。冷酒八海山を飲みながら深山定食を食べる。ロビーで野菜を売っていたので葱とトマト、それに土産用に缶入りケンチン汁と茸汁を買って車に入れる。これだけでは自炊に不足しているので、大湯温泉街に行き、コンビニストア「大黒屋」でペットボトルの水、バナナ、レモン、序に限定清酒「越後桜」を買う。向かいの松阪食堂に入ってラーメンを食べる。明日は近くの熊野神社でお神輿を担ぎ、夜は花火大会があると言う。遠く駒ヶ岳が見えた。
17時15分、出発。山を登って行き、駒ヶ岳を右手に見ながら、30分で枝折峠に着く。
奥にテント組がいてワイワイやっていた。ここにはトイレもあり、ドコモの携帯が使えたので、家に電話しておく。携帯ラジオは聞き取りにくいので、車のラジオをかけて天気予報を聞く。明日は悪化する。車内天井ライトをつけて明日の準備をしておく。後部座席にマットを敷き、シュラフを入れた袋を枕にして休む。
越後駒ケ岳(2003m)
地図:国土地理院1:25000駒ヶ岳
昭文社:山と高原地図⑮越後三山
8月17日(日):曇のち雨
4時30分、月が出ていた。5時の天気予報では、前線が北上して雨になると言う。お湯を沸かし紅茶を飲み、パンとバナナを食べる。いざ出発しようとエンジンをかけて窓を閉めようとしたがエンジンがかからない。バッテリーを使い切ってしまっていた。
6時前、群馬ナンバーの車が近くに駐車、登山の準備をしていた。事情を話し、コードを使って充電する。しかし幾らエンジンをふかしてもかからない。携帯電話でJAFに連絡をとって場所を告げる。群馬の人にお礼を言って別れる。ロードレース型の自転車で登ってきた兄さんに事情を話す。車を押したら下り坂だしエンジンかかるかもと言う。彼は一休みしてブレーキをチェックしてから戻っていく。
7時25分、バスがやってきた。10分後、銀山平に向けて降りていく。
7時40分、JAF車がやって来た。太いコードを繋いでエンジンがかかる。バッテリーは殆どゼロに近かった。1時間近くエンジンをかけておいた方がいい。用紙に署名するだけでJAF会員は無料。長岡を6時30分に出発して来た。ありがたい。本を読んで時間をつぶし、50分経って一度エンジンをかけ直す。大丈夫だった。しかし、窓の一つは完全に閉まらなかった。雨も降り出したのでビニール袋を使いテープを張って雨が中に入らないようにしておく。
8時40分、登山計画書を箱に入れて出発。観音像を過ぎたところでハイカーが降りてきた。小屋泊まりの人達だった。緩やかに登っていくと、前方に目指す駒ケ岳が雲間から見える。明神堂を通る時、一礼する。
10時、道行山を通過。1時間後、小倉山(標高1378m)で駒の湯からのルートと合流。雨のせいか蛙が現れる。ヒメシャジンが下を向いて咲いていた。
ダケカンバの樹林の中をゆっくり登って行く。
百草(モグサ)ノ池を過ぎてから岩場になる。鎖場を過ぎると駒の小屋に着く。13時だった。不要な物を置いて高山植物を見つけながら登っていく。イワイチョウが草の中から咲いていた。
13時20分、越後駒ケ岳登頂。祠があったような跡と標識が立っていた。越後三山の一つ平ヶ岳への標識もある。
雨の中、何も見えないので写真を撮って直ぐ降りる。小屋に戻り、レインウェアを脱いで管理人に挨拶して中に入る。前夜13人泊まっていたと言う。畳1畳に2人の間隔で39番まで書いてあった。カップラーメンにお湯を入れて食べる。
14時30分、出発。ひたすら降りていく。ハクサンフウロが雨に濡れてしおれ、蛙がいた。
3時間で駐車場に戻る。雨はやんでいた。祈る気持ちでエンジンをかけて見ると、かかった。
隣のミニバンからツルッパゲのオッサンがドアを開けて「窓開いとるぞ」。
事情を伝える。純関西人、街で会ったら敬遠してしまう風貌だが、山で会うと違う。小出から会津駒、燧と登り、今日平ヶ岳を登って来た。明日は天候次第で休養し、ここの山を登る。帰りに苗場山を登る予定。平ヶ岳は道がぬかるんで歩きにくかったと言う。
17時50分、健闘を祈って別れる。しばらく走って窓の開閉操作をしたら閉まる。銀山平を過ぎ、奥只見湖を左手に走る。鷹ノ巣を通る頃はすっかり暗くなっていた。平ヶ岳登山口を確認しておく。道に沿って駐車場があった。
小沢平を過ぎてから曲がりくねりながら登っていく。対向車がないので助かる。
20時20分、尾瀬御池に着く。有料駐車場のゲートは閉まっていた。車を駐車する場所はロッジ宿泊者用しかない。雨も降り、夜なので ロッジに泊まることにする。素泊まり。部屋でガスが使えないと言うので、車内で湯を沸かして食べる。
21時、チェックインを済ませ3階にあがり、階段の近くの部屋に行く。温泉は21時迄となっていたが、未だ入れると言うので、早速入る。一人のんびりと汗を流せた。未だ新しいので部屋もきれいだった。テレビを観てから寝る。
EchigoKomagatake(2003m) in Niigata pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better.Kanetsu expresswayKoideIC→national road232, pref.232,national road352,Shiori touge(pass)
2.Information:Uonuma city commerce,tourist association(025-792-9754)
3.Season:midMay to midOct
Records:Aug17
8:40-10:00 climb from Shiori touge(1065m) to Michiyukiyama(1298m).
10:05-11:00 down and climb to Ogurayama(1378m).
11:10-13:00 down and climb rock to Komanokoya lodge using chain.
13:00-13:20 walk to peak. Take meal at lodge.
14:30-17:30 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
茶臼岳(2604m)光岳(2591m)
地図:国土地理院1:25000光岳、上河内岳
昭文社:山と高原地図44塩見・赤石・聖岳
9月18日:晴
4時30分、洗面に行く。星と月、そして流星がヒュッと山に落ちていった。飛行機のライトが点滅しながら東南方向に高く移動していく。
5時前、食堂で朝食。味噌汁、缶詰の魚等。ご飯が美味い。原田さんに緊急事態ケースを伺う。ハイカーが大河内岳の頂上でラーメンを作っている時、お湯を太腿にかけてしまい、小屋に着いた時には、ただれていたので静岡県警のヘリが出動したことがある。ここではホバリングして救助した。
「一刻を争う時なのに、怪我人の名前、住所、年齢を無線で連絡する。それも確認しながらやっていた」
5時35分、富士山の左裾野からの来光を眺める。一部、雲があったので煌めくダイヤモンド富士は見られなかった。
5時40分、出発。光岳日帰りのハイカーに抜かれる。稜線にある方向指示盤に出て茶臼岳を目指す。
尾根を歩いていくと空身の原田さんに抜かれる。ハイマツ等に囲まれた仁田池に出る。
テント禁止の看板が立っていた。しばらく木道を歩く。次の目標、希望峰は平坦だった。徐々に高度を下げ、シラビソ林と羊歯の群落の中を歩く。易老岳を過ぎると、立ち枯れの木が目立ってくる。倒木の近くにベニテングダケを見つける。
9時50分、三吉平に出る。昔は蝮や蛭がいたところだ。寒くなってきたせいか羊歯も変色していた。涸れた沢を登り返す。左手は崩壊した岩が迫っていた。原田さんに会う。
2時間30分で光小屋に行き、情報交換しての帰りだった。標高差300m登ったところに静高平と書いた看板があった。センジガ原に出て木道を歩く。
ここも亀甲状土に草が生えていた。ひと登りすると光小屋に出る。
11時10分、素泊まりの料金を払って、お茶をいただく。2週間にわたって工事していた。バイオトイレ小屋の建設や小屋内のヌレーン板敷き。今日は聖平小屋から近ツリ団体17名が泊まるという。入り口にリュックを置いて光岳に登る。
20分で光岳登頂。
展望はきかないが、10m先に行くと見晴らしがきいて、双峰の池口岳が見えた。
二百名山だが、高度が低いので迫力に欠けていた。足元の先が石灰岩の光石だが、近づけない。
出典:NHK総合テレビ「美しき日本の山々」
眼下には原始林が広がっていた。
12時前、小屋に戻る。寝る場所が空いたのでリュックを運びこむ。3人分のスペースを2人で使えた。食堂の方でお湯を沸かして、缶ビール(600円)を飲みながら力うどんを食べる。書棚には南アルプス関連の本が並んでいた。写真集を見た後、近田文弘と今野丘志の本を借りて外に行き、ベンチのあるところで読む。大倉喜八郎は大井川上流の山林を入手、東海パルプの前身となる会社を設立していた。
15時に戻ると、既にヌレーンは両側とも出来ていた。後4、5日かかるようで、オバサンはそれまで残る。主人は20年ここの管理をしていた。近ツリの女性ガイドがやって来た。東京からの集客で、明朝、光岳を登って易老渡に出る。同じルートだ。
16時前、団体到着、2階に14人、1階にガイドが泊まる。騒然としている中、食堂でお湯を沸かし鮭入りカレーライスを食べ、ワカメ入り味噌汁を飲む。数人が話しているのを聞くと、ストックの使い方やら他人の悪口を言い合っている。隣に白髪氏が寝る。Hが同じルートなので、車の同乗を勧めた。ペースが遅いのでと言って固辞される。帽子をかぶっていると若く見えた。
18時、シュラフにもぐりこむ。耳栓をつけたが効果なし。ラジオを聞いて寝る。
9月19日:晴
1時30分、小用のため外に出る。トイレまで常夜灯が道についていた。月は、どんどん満ちていた。その分、星が霞んで見えている。
4時前、ごそごそ音がして目覚める。こちらも仕度。団体は朝食をとりに食堂に行く。
4時30分、電気が点いた。パンに蜂蜜をつけて食べる。食後、トイレに行って排便。
5時15分、イザルガ岳からのご来光を観るためHより先に出る。ヘッドライトを点けて木道を歩き、分岐点にリュックをデポして行こうとしたら、作業員が手ぶらで登っていく。後について登ること10分、風が強いが曇っていて見えない。
5時40分、Hの後ろについて歩く。2時間後、易老岳に達する。
降下開始、やせ尾根を慎重に降りる。急坂が続き、高度1500mで休憩。川の流れが聞えてきた。落葉樹はまだ青々としていた。
高度1125m、ジグザグ道の角に供養の花が四束そなえられていた。合掌する。心臓麻痺かなんかで亡くなったようだ。確かに ここも急だった。一息入れてザレ場を降りる。
11時10分、吊り橋を渡って易老渡に出る。木陰にリュックを下ろし、Hは駐車場まで歩いて車をピックアップして来る。水場で歯を磨いていると、白髪ハイカーが、やって来た。光小屋で配車を13時に頼んでいた。団体迎え用のリムジンが2台やって来た。彼らも所属が同じ松尾タクシーで、無線で早く来るように連絡をとっていた。座りながら白髪氏と話す。町田在住、70歳、登山歴50年、30~40代は仕事で忙しかった。これで百名山を99座登った。最後は男体山になる。これから近くの温泉旅館に泊まって帰るという。
12時前、Hが運転して来た。底をゴトゴトさせながら走り、橋を渡ってから舗装道を登っていく。
砂利運送のトラック3台の後ろについて上橋まで出る。国道152号から飯田市内に向かい、途中、薬局に寄って湿布を買っておく。
14時25分、飯田ICの手前にある健康ランド「ゆーみん」に駐車。
ジャグジーで足裏をマッサージしたり、ミストサウナで汗を噴出させ、露天風呂に入る。舟風呂や檜風呂にも入ってみたが温い。風呂から出て中華レストランで生ビールを飲んで野菜ラーメンを食べる。食後、リクライニングシートに横になって休む。
16時40分、出発。高速に入る前、「りんごの里」に寄って里芋、茸、リンゴ、梨を買う。
17時過ぎ、高速道に入る。途中、談合坂SAでトイレタイム。ゴミも処分。
20時過ぎ、新宿駅南口で別れる。今年はじめて雨に降られなかった。
Tekaridake(2591m) border of Shizuoka pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
Chausudake(2604m) border of Shizuoka pref. and Nagano pref.
300Famous mountains in Japan
Sep18
5:40-6:15 Climb from Chausu lodge to Mt.Chausudake(2604m).
6:20-8:30 Down and pass Nittaike, Kibouho,climb to Mt.Iroudake(2354m)among
Veitch’s silver fir and fern.
8:40-9:50 Down to Miyoshidaira.
10:00-11:10 Climb and walk tree way to Tekari lodge.
11:15-11:35 Climb to Tekaridake.
11:40-11:55 Back to lodge.
Sep19
5:40-7:40 Back to Mt.Iroudake.
7:45-11:10 Down to Iroudo among hinoki cypress and deciduous oak.