グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

                    茶臼岳(2604m)光岳(2591m)

地図:国土地理院1:25000光岳、上河内岳

   昭文社:山と高原地図44塩見・赤石・聖岳

9月18日:晴                          

 4時30分、洗面に行く。星と月、そして流星がヒュッと山に落ちていった。飛行機のライトが点滅しながら東南方向に高く移動していく。

 5時前、食堂で朝食。味噌汁、缶詰の魚等。ご飯が美味い。原田さんに緊急事態ケースを伺う。ハイカーが大河内岳の頂上でラーメンを作っている時、お湯を太腿にかけてしまい、小屋に着いた時には、ただれていたので静岡県警のヘリが出動したことがある。ここではホバリングして救助した。

「一刻を争う時なのに、怪我人の名前、住所、年齢を無線で連絡する。それも確認しながらやっていた」

 5時35分、富士山の左裾野からの来光を眺める。一部、雲があったので煌めくダイヤモンド富士は見られなかった。

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 5時40分、出発。光岳日帰りのハイカーに抜かれる。稜線にある方向指示盤に出て茶臼岳を目指す。

DSC00089.JPG稜線、奥、聖岳

 赤い石が混ざった岩を登って35分後、茶臼岳に達する。DSC00090.JPG茶臼岳DSC00091.JPG

 尾根を歩いていくと空身の原田さんに抜かれる。ハイマツ等に囲まれた仁田池に出る。

DSC00092.JPG仁田池

 テント禁止の看板が立っていた。しばらく木道を歩く。次の目標、希望峰は平坦だった。徐々に高度を下げ、シラビソ林と羊歯の群落の中を歩く。易老岳を過ぎると、立ち枯れの木が目立ってくる。倒木の近くにベニテングダケを見つける。

DSC00093.JPGベニテングダケ

 9時50分、三吉平に出る。昔は蝮や蛭がいたところだ。寒くなってきたせいか羊歯も変色していた。涸れた沢を登り返す。左手は崩壊した岩が迫っていた。原田さんに会う。

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 2時間30分で光小屋に行き、情報交換しての帰りだった。標高差300m登ったところに静高平と書いた看板があった。センジガ原に出て木道を歩く。

DSC02895.JPGセンジガ原

ここも亀甲状土に草が生えていた。ひと登りすると光小屋に出る。

DSC00100.JPG光小屋

 11時10分、素泊まりの料金を払って、お茶をいただく。2週間にわたって工事していた。バイオトイレ小屋の建設や小屋内のヌレーン板敷き。今日は聖平小屋から近ツリ団体17名が泊まるという。入り口にリュックを置いて光岳に登る。

DSC00101.JPG光岳

20分で光岳登頂。

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展望はきかないが、10m先に行くと見晴らしがきいて、双峰の池口岳が見えた。

DSC00097.JPG池口岳

 二百名山だが、高度が低いので迫力に欠けていた。足元の先が石灰岩の光石だが、近づけない。

DSC02893.JPG光石

    出典:NHK総合テレビ「美しき日本の山々」

眼下には原始林が広がっていた。

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 12時前、小屋に戻る。寝る場所が空いたのでリュックを運びこむ。3人分のスペースを2人で使えた。食堂の方でお湯を沸かして、缶ビール(600円)を飲みながら力うどんを食べる。書棚には南アルプス関連の本が並んでいた。写真集を見た後、近田文弘と今野丘志の本を借りて外に行き、ベンチのあるところで読む。大倉喜八郎は大井川上流の山林を入手、東海パルプの前身となる会社を設立していた。

 15時に戻ると、既にヌレーンは両側とも出来ていた。後4、5日かかるようで、オバサンはそれまで残る。主人は20年ここの管理をしていた。近ツリの女性ガイドがやって来た。東京からの集客で、明朝、光岳を登って易老渡に出る。同じルートだ。

 16時前、団体到着、2階に14人、1階にガイドが泊まる。騒然としている中、食堂でお湯を沸かし鮭入りカレーライスを食べ、ワカメ入り味噌汁を飲む。数人が話しているのを聞くと、ストックの使い方やら他人の悪口を言い合っている。隣に白髪氏が寝る。Hが同じルートなので、車の同乗を勧めた。ペースが遅いのでと言って固辞される。帽子をかぶっていると若く見えた。

 18時、シュラフにもぐりこむ。耳栓をつけたが効果なし。ラジオを聞いて寝る。

9月19日:晴

 1時30分、小用のため外に出る。トイレまで常夜灯が道についていた。月は、どんどん満ちていた。その分、星が霞んで見えている。

 4時前、ごそごそ音がして目覚める。こちらも仕度。団体は朝食をとりに食堂に行く。

 4時30分、電気が点いた。パンに蜂蜜をつけて食べる。食後、トイレに行って排便。

 5時15分、イザルガ岳からのご来光を観るためHより先に出る。ヘッドライトを点けて木道を歩き、分岐点にリュックをデポして行こうとしたら、作業員が手ぶらで登っていく。後について登ること10分、風が強いが曇っていて見えない。

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 5時40分、Hの後ろについて歩く。2時間後、易老岳に達する。

DSC00104.JPG易老岳

 降下開始、やせ尾根を慎重に降りる。急坂が続き、高度1500mで休憩。川の流れが聞えてきた。落葉樹はまだ青々としていた。

 高度1125m、ジグザグ道の角に供養の花が四束そなえられていた。合掌する。心臓麻痺かなんかで亡くなったようだ。確かに ここも急だった。一息入れてザレ場を降りる。

 11時10分、吊り橋を渡って易老渡に出る。木陰にリュックを下ろし、Hは駐車場まで歩いて車をピックアップして来る。水場で歯を磨いていると、白髪ハイカーが、やって来た。光小屋で配車を13時に頼んでいた。団体迎え用のリムジンが2台やって来た。彼らも所属が同じ松尾タクシーで、無線で早く来るように連絡をとっていた。座りながら白髪氏と話す。町田在住、70歳、登山歴50年、30~40代は仕事で忙しかった。これで百名山を99座登った。最後は男体山になる。これから近くの温泉旅館に泊まって帰るという。

 12時前、Hが運転して来た。底をゴトゴトさせながら走り、橋を渡ってから舗装道を登っていく。

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 砂利運送のトラック3台の後ろについて上橋まで出る。国道152号から飯田市内に向かい、途中、薬局に寄って湿布を買っておく。

 14時25分、飯田ICの手前にある健康ランド「ゆーみん」に駐車。

DSC00105.JPG湯~眠

 ジャグジーで足裏をマッサージしたり、ミストサウナで汗を噴出させ、露天風呂に入る。舟風呂や檜風呂にも入ってみたが温い。風呂から出て中華レストランで生ビールを飲んで野菜ラーメンを食べる。食後、リクライニングシートに横になって休む。

 16時40分、出発。高速に入る前、「りんごの里」に寄って里芋、茸、リンゴ、梨を買う。

 17時過ぎ、高速道に入る。途中、談合坂SAでトイレタイム。ゴミも処分。

 20時過ぎ、新宿駅南口で別れる。今年はじめて雨に降られなかった。

Tekaridake(2591m) border of Shizuoka pref. and Nagano pref.

                                     100Famous mountains in Japan

Chausudake(2604m) border of Shizuoka pref. and Nagano pref.

                                     300Famous mountains in Japan

Sep18

5:40-6:15 Climb from Chausu lodge to Mt.Chausudake(2604m).

6:20-8:30   Down and pass Nittaike, Kibouho,climb to Mt.Iroudake(2354m)among

Veitch’s silver fir and fern.

8:40-9:50   Down to Miyoshidaira.

10:00-11:10 Climb and walk tree way to Tekari lodge.

11:15-11:35 Climb to Tekaridake.

11:40-11:55 Back to lodge.

Sep19

5:40-7:40  Back to Mt.Iroudake.

7:45-11:10 Down to Iroudo among hinoki cypress and deciduous oak.


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