グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

          中信州3座の山と美術館の旅

                 美ケ原・霧ガ峰・蓼科山

1.2002年10月9~11日

2.家内同行

3.自家用車:582キロ 57リットル ¥6470 高速料金¥7600

4.宿泊 美ケ原高原ホテル・山本小屋:12食¥9000

     ペンション舞留優夢(bloom)12食¥8500

施設:佐久市立近代美術館¥500 小諸高原美術館¥500 小山敬三美術館¥200 

白樺高原美術館  伊東近代美術館¥500

10月9日(水)

 6時10分、出発。雨は止んでおり、関越自動車道から上信越自動車道に入ると道は空いていた。甘利SAでトイレに行き、佐久ICで高速を降りる。まず佐久市立近代美術館に向う。駒場公園の中にあり、外はヒンヤリしていた。8時50分に着いたが、開館は9時半。公園を歩きながら車に戻る。ゲートボール球によるミニゴルフ場や野外彫刻が点在していた。図書館は整理期間中だった。美術館には開館と同時に入る。

DSC00046.JPG佐久市立近代美術館

 ここは昭和58年、佐久出身の油井一二美術年鑑社長が収集したものを中心に開設している。正面に池田満寿夫の陶壁画「佐久讃歌」がかかっていた。2階は素描展で大津英俊、佐藤忠良、杉山寧、中島千波と続く。3階は絹谷幸二の発砲スチロール作品「りんごの思い」から始まった。展示室の方は著名作家の初期の作品で囲まれていた。高山辰雄「映」、内田あぐり「三態」、中島千波「形態」、郷倉和子「満月」等を鑑賞して出る。

 国道141号線で小諸に行き、高台にある飯綱山公園の市立小諸高原美術館に向う。駐車場から階段を登って入る。

DSC00047.JPG小諸高原美術館

 白鳥映雪の作品が中心だった。ここからは小諸市と千曲川が一望出来た。次は懐古園の中にある小山敬三美術館。藤村記念館の奥にあった。瀟洒な建物は村野藤吉設計による。

DSC00048.JPG小山敬三美術館

 作品は浅間山、白鷺城、肖像がテーマ。一通り観てからロビーでビデオを観る。小山敬三は小諸に生まれ、小諸義塾の教師だった島崎藤村に励まされて渡仏、フランス人と結婚している。館の崖下に千曲川が流れていた。

DSC00049.JPG

 アトリエのあった記念館に寄る。

DSC00050.JPG小山敬三記念館

 国道18号線に出て、道路沿いの食事処でラーメンを食べる。昔の味。食後、国道152号線に入り、武石から美ヶ原に向う。ところが「ビーナスラインに入れない」という標識があった。途中、地元の人に聞いてみる。「通れるけど、通りにくい」という。大事をとって戻り、142号線を走る。上和田で「美ヶ原高原」の標識を見つけ、右折。

 別荘地を通った後、峡谷を登って行く。1車線で赤い車と向き合う。バックしてもらったが、危なっかしい。運転は女性だった。黄葉した山を登って行く。トラックが来た時は丁度スペースがあった。

 突然、ビーナスラインに出る。観光バスの後ろについて登って行く。山本小屋に行く分岐点でバスと別れ、高原美術館に向う。少し登ると濃霧だった。ライトを点けて走る。右手にボンヤリと彫刻作品が見えていた。駐車場に行き、土産コーナーに行って土産を買っておく。ワインとジャム。外は冷え込んでおり、見学を諦める。丁度、3時の鐘が鳴った。車を走らせ、山本小屋に出る。登山客が戻ってくる砂利道をゆっくりと走り、美ヶ原高原ホテルに行く。2階建てだった。チェックイン。美ヶ原の開拓者で小屋の創立者山本俊一の像があった。

DSC00057.JPG山本俊一像

 部屋は211号室。温度は13度なので石油ストーブを点けたが、臭うので止める。しばらく休む。

 18時、夕食。ジンギスカン料理だった。他にヤマメや刺身、椎茸の和え物、土瓶蒸しと盛り沢山。好感の持てる青年と東南アジア系の青年とオバサンが給仕していた。

 19時45分、スライド上映会に参加する。他にオバサン2人組や夫婦2組が来ていた。幼児を連れた若夫婦は、幼児がぐずつき出したので部屋を出る。説明する人は、ここの当主、山本孝さん。今年の5月5日に81歳。70年ここに住んでいる。昭和5年に父親俊一さんが建てたのを継いでいる。今の建物は昭和38年に建てたもので、資材は担いで持ってきた。当時は20キロ歩いたという。話は達人の域にあった。美ヶ原の位置についてから始まる。東西南北に松本、諏訪、佐久、上田城があること。牧場としては日本で一番高いところにあること。その内、質問して来る。関西以西に2千m以上の山はあるか、九州で一番高い山は何か。誰も答えないので正解を言う。スライドを見せながら話していく。約百万年前の火山噴出により出来た。牧場はかって戦争に使う馬を放牧していた等。時に、無限と空間の話や、Mのゼロ乗は一と言ったり、煙に巻く話を入れ込む。

 一段落して話す。「両手を膝の上に乗せ、右手で鼻を摘まみ、左手で口を閉じてみて下さい。それで何かわかった人は手を離して下さい。わからない人はわかるまで考えて下さい」

手を離した。息が吸えないことは、空気、気のことと思った。答えは、我々は生かされていることに気づくことだった。自然の恵みに感謝し、自然を大切にしてほしいと述べて話は終る。皆が部屋を出て行ったので話し掛ける。

「環境の変化はここでは何がありましたか」「居なくなったのは、蛭と兎」

 いろんな団体や官庁に話に行っている。今は催眠術に凝っている。話が尽きないのでお礼を言って部屋に戻る。一風呂浴びて寝る。

     美ヶ原・王ヶ頭(2034m)、霧ガ峰・車山(1925m)

地図:国土地理院1:25000山辺、和田(美ヶ原)霧ヶ峰

昭文社:山と高原地図33美ヶ原・霧ヶ峰

10月10日(木)晴                            

5時半、外を見るとすっかり晴れていた。家内を起こして仕度。

 6時10分、出発。ヒンヤリして目が覚める気持ち。美しの塔に行く。塔には尾崎喜八の詩が記されていた。

「登りついて不意に開けた眼前の風景にしばらくは世界の天井が抜けたかと思ふ」

後ろには開山者、山本さんの父親のレリーフがあった。

DSC00052.JPG美しの塔

DSC00053.JPG電波塔

電波塔に向って歩く。道端にマツムシソウが一輪咲いていた。放牧された牛がゆっくり降りてくる。澄み切った空を背景に牛が一列になって立っている高原風景は絵のようだった。

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後ろに蓼科山、八ヶ岳、更に富士山が霞んで見えた。従業員を乗せたミニバスが王ケ頭ホテルに向かって先に登って行く。

 7時、ホテルの先にある王ケ頭頂上に着く。北アルプスは雲が横切っており、既に新雪が見えた。眼下には松本市が見える。

DSC00055.JPG頂上DSC00056.JPG

ホテル界隈に居る人は皆カメラをぶらさげていた。

 7時40分、宿泊ホテルに戻り、朝食をとる。ミルクが美味い。アルミホイルにバターを溶かしてハム&エッグを作る。コーンスープ、ゴボウのマヨネーズ和え、ヨーグルト、サラダ。ソフトロールが2つずつあったが、お代りする。ひと登りしてきたので、よく食べた。

 8時40分、出発。昨日、走った道を戻ったところで、老人に道を聞かれる。ビーナスラインを走りながら景色を堪能。三峰駐車場で停まり、霧ヶ峰を撮る。

DSC00058.JPG左手、ビーナスライン

 9時45分、肩の駐車場に着く。7人のパーティの後について車山を目指す。家内のペースで登る。蓼科山が近くに見えていた。

 10時25分、車山登頂。

DSC00059.JPG車山頂上DSC00062.JPG気象レーダー

1999年秋に建設された気象レーダー観測所には直径4mのパラボナアンテナがビル上にあった。日本一高い気象レーダー。リフトの先に白樺湖が見える。アスピーテ型火山の溶岩流で出来た起伏が八島高原の鎌ガ池の方まで続いていた。

DSC00061.JPG左、蓼科山

 家内の体調次第で3つのルートから選ぶことにする。車山乗越まで車道から降りたが、階段式の登山道が出来ていた。車山湿原を突っ切って蝶々深山まで真っ直ぐに登っていく。枯草の中に紅葉したツツジが点在、肩口の黒い屋根のコロボックルヒュッテと周囲の防風林の濃緑との色のコントラストが見事だった。

        湿原や躑躅(つつじ)の紅葉牛のごと

 11時30分、母娘に続いて蝶々深山に着く。反対側から団体がやって来たので早々に降りて行く。途中、養護生と看護士3組と擦れ違う。家内の体調もいいので八島高原まで歩くことにする。道は粘土質ですべりやすい。足元に注意しながら登る。

 12時、物見石で休憩。奥霧小屋と鎌ケ池が見える湿原も絵になっていた。何時の間にか雲が頭上にかかってきたが、雨雲ではない。ゆるやかな下り道を降りていく。途中、トイレ小屋があった。段々湿原らしくなってきたところで奥霧小屋に達する。車山頂上で写真を撮りあった2人が弁当を出していた。車でビジターセンターまで来て歩いてきていた。鎌ケ池の方には食事するスペースがないというので、行かずに砂利道を戻る。ここまで車が入り戻っていく。しばらく歩き、道から離れた草原で食事にする。お湯を作ってコーン入りラーメンにする。刻みネギを入れて食べる。芒野に囲まれてピクニック気分を楽しむ。

 13時45分、出発。再び快晴になった空の下、砂利道を歩く。途中、御射山史蹟の案内板が立っていた。室町時代の御射山祭をしのんだ金刺盛久の和歌が書いてあった。

  をばなふくほやのめぐりの一むらにしばし里あり秋のみさ山

  沢渡でビーナスラインに近づいた。家内を待たせ、車を取りに行くことを考えたが、もう一登りする。名古屋からの定年夫婦が追いついて来た。これから松本の浅間温泉に入って帰るという。

 14時40分、肩口に戻る。白樺湖を過ぎて白樺高原美術館に行く。樹林帯の中を走って探したが通り過ぎてしまう。戻って見るとソバ作りの建物の中にあった。3階にあり、無料だった。山岳画家牧潤一のヒマラヤ作品だが、塗りたくっただけで雪山の冷厳さが伝わって来ない。白樺湖に戻り、ローソンで目覚まし時計の電池を買っておく。

 16時、ペンション舞留優夢に着く。主道路から入って4軒目。庭に兎の置物があった。波多野夫人に202号室に案内される。ここは築17年になる。早速、活性化温泉風呂に入る。サウナに洗濯した衣類を持ち込んだが効果なかった。部屋に戻って明日の山登りの仕度をしておく。窓から夕焼けの北アルプスが見えた。電線が邪魔だった。

 18時過ぎ、食堂に行く。自家製ブランデー漬け梅酒で乾杯。コース料理だった。付け出しは冷ローストサラダ、魚のフライ、アスパラと山芋の豚肉巻そしてデザート。自家製チョコレートケーキが美味かった。1歳過ぎの孫を連れた家族が一緒だった。波多野夫妻の親戚で奈良から来ていた。

 20時30分、長男に電話、誕生日を祝ってから休む。

            蓼科山(2530m)

地図:国土地理院1:25000蓼科、蓼科山

昭文社:山と高原地図32八ヶ岳・蓼科

10月11日(金)                           

4時10分、目覚ましで起き、30分後出る。星空だった。車の窓は霜で凍っていた。エンジンをかけて温め、拭きとってから出発。登っていくとライトに鹿2匹が照らされていた。工事で一車線になったところを通過、一の鳥居で車を停める。登山口には貸し出し用のストックがあった。

5時10分、ヘッドライトを点けて出発。お山参りの参道はわかりやすかった。20分後、明るくなりライトを消して登る。標識があり、まだ高度400m登る。

DSC02973.JPG

分岐点で一息入れて登る。鹿の糞だろうか、石の上に赤い種が消化されずに残っていた。

6時15分、蓼科山荘に着く。人の気配はない。ベンチも広場も霜が降りていた。ここは奈良時代、征夷大将軍坂上田村麻呂が戦勝祈願したところとして将軍平と呼ばれている。ヒュッテからは更に岩塊を越えていく。岩に書いてある矢印の通り登っていく。

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6時45分、登頂。富士山が八ヶ岳に隠れていたが、南、中央、北アルプスが新雪を被って一望出来た。更に妙高山地、浅間山、越後山系、絶壁のある荒船山、秩父連峰と続いていた。御巣鷹山に向って合掌する。古い成層火山の上にのった安山岩の岩場でパンとチーズ、コーヒーを飲んでおく。溶岩で埋めつくされた直径400mある岩場の凹んだ真中に鳥居と祠がひっそりと建っていた。

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          秋深し雲海動く峰の下

7時10分、出発。ヒュッテのはずれに雪隠画廊と書いたトイレがあった。使用料200円。ホイホイ降りて行くと、年配ハイカーに会う。これから頂上で一日過ごすという。分岐点を過ぎたところでは所沢からの夫婦に出会う。木陰から突然バサッという音がした。雉だろうか、鳥が森の中に飛んでいった。往きと違い、僅かな栄養分で育つ針葉樹林や苔が良く見えた。八ヶ岳にかけて400種以上の苔があるという。

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DSC02937.JPGDSC02940.JPG

8時45分、登山口に戻る。トイレに行ってから出発。一方通行の道には「GO」という合図が出ていたので通り抜ける。対向車線にバス3台が待っていた。10分で戻り、風呂で汗を流す。それから朝食。ホットサンドウィッチ、サラダ、リンゴにコーヒー。主人とも挨拶する。冬になると零下15度以上、凍った道を通るのが難儀。鹿と衝突したこともあるという。

9時40分、出発。白樺湖から国道152号に出て金山に出る。そこから八ヶ岳山麓を迷走、「三井の森」別荘地に出たかと思えば、中央高速道路のガードを潜って諏訪南の方まで行ってしまう。八ヶ岳を色んな角度で見ながら走る。鉢巻道路に出てようやく落ち着く。樹林帯の中を走っていく。

11時40分、伊東近代美術館に着き、広い駐車場に停める。

DSC02976.JPG伊東近代美術館

誰も来ていない。岡倉天心像や六代目菊五郎の鏡獅子像を見てから入る。造り酒屋で成功した伊藤充が収集した作品館。大山忠作の作品は鯉の他、印度石佛、五百羅漢、薔薇、翔などがあった。鏑木清方、伊東深水、岩田専太郎、更に横山大観の絵巻物まで展示されていた。東山魁夷「冬の旅」小倉遊亀「枝柿」奥田土牛「精進湖」橋本明治「舞妓」などを観る。中央の部屋に平櫛田中の作品がまとめてあった。

12時15分、出発。小淵沢に向う。前方に甲斐駒ケ岳が屹立していた。途中、手打ちそば処「藤亭」で蕎麦を食べる。コシがあって美味い。鳥のモツ煮込みも美味かった。食後、国道20号線を走る。途中、道の駅でリンゴとブドウを買う。

13時40分、甲府昭和で高速に入り家に帰ったのは16時過ぎていた。

Utsukushigahara(2034m) in Nagano Pref.   100Famous mountains in Japan

1.AccessCar is better. Kanetsu,Jyouetsu expressway ToubuYunomaruIC

             Pref.road81,national road152,Pref.62,464,Yamamoto koya

2.AccomodationYamamoto koya(0268-86-2011)one night two meals9000yen

3.InformationMatsumoto city tourist spa section(0263-34-3000)

4.SeasonMay to Nov

RecordsOct10

6:10-7:00  walk from hotel to peak by way of Uruwashi Tower(1961m).

7:05-7:40   back to hotel.

Kirigamine(1925m) in Nagano Pref.   100Famous mountains in Japan

5.AccessCar is better. Yamamoto koyaVenus line, Kataguchi            

6.InformationSuwa city office(0266-52-4141)

7.SeasonMay to Nov

RecordsOct10

9:45-10:25   climb slowly from Kuruma kataguchi(1800m) to Kurumayama(1925m).

10:30-11:30  down and up to Chochomiyama(1836m).

11:40-12:00  down to Monomiishi(1792m)

12:10-12:50  walk to Okugiri lodge and take lunch.

13:45-14:40  back to starting point.

Tateshinayama(2530m) in Nagano Pref.   100Famous mountains in Japan

1.AccessCar is better. Chuo expressway SuwaICnational road152,

             Yumenotaira logging road,Ichinotorii

2.AccomodationPension Bloom(0267-55-6866)one night two meals(8500yen

3.InformationSuwa city office(0266-52-4141)

4.SeasonMay to Nov

RecordsOct11

5:10-6:15   climb from Ichinotorii to Tateshina lodge.

6:20-6:45   walk to peak.

7:10-8:45   back to starting point.


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