グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

                     富士山(3776m)

.2001年8月5~7日

2.同行者:大学同級生AYK

3.自動車:距離411キロ ガソリン51.23 高速代¥7000.

4.宿泊:箱根保養所¥4500 頂上富士館¥7000

5.温泉:市民温泉会館¥500

8月5日(日)

 13時、京浜東北線上中里駅でKをピックアップ。首都高速羽田線から横浜に向かい、高速K1からK3を経由して横浜横須賀線に入る。港南ICで降り、直ぐ左折、しばらく走ってファミリーマートに入る。AYは既に待っていた。奥さんと久しぶりに会う。15年以上前、パリ郊外のレストランに一緒に行って以来だった。

 14時10分、出発。元国道16号線だった有料道路で、東名町田に入る。厚木小田原道は狭いなんて言いながら走っているうち、厚木を通り過ぎてしまう。秦野中井で降りて西湘バイパスを走る。

 16時25分、元箱根の保養所。早速、部屋で富士登山駅伝番組を観る。例年8月第1日曜日に行われる。明日登る御殿場コースを往復3時間26分で走っていた。風呂に入ってから夕食。今晩は芦ノ湖で花火大会があり、納涼船に乗る人達は、早く食事を済ませて出かけていた。 食後、部屋からも花火が見えていた。

8月6日(月)

 5時5分、出発。芦ノ湖に沿って走行、千石原からユングフラウ(乙女)峠を越えて御殿場に入り、コンビニに寄って食糧を調達。県道23号で陸上競技場の近くを走る。ここは自衛隊滝ヶ原の本拠地だった。これでは駅伝に負ける訳に行かない。太郎坊で右折、御殿場口に車を停める。4台停まっていた。トイレに行って準備体操しておく。高山病で調子をくずしていた青年に写真を撮ってもらう。

DSC00357.JPG御殿場登山口

 6時45分、鳥居をくぐって出発。ヤマホタルブクロが咲いていた。すぐ大石茶屋に着く。高度1440m。2人は金剛杖を買って持っていく。砂礫の斜面を登っていく。

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 しんがりを務め、40分に5分休みながら登る。先頭のAYは、背筋を立て、しっかりとした歩調で登っていく。歩幅が広かったので、高度が上がってきたら狭くするように言っておく。紅紫色の大きな薊の花が、トゲのある葉を放射状に広げて点々と咲いていた。

DSC02868.JPG富士薊

         富士薊砂礫に点座山守る

 下山道に人が現われてきたが、登山道の方は我々だけ。昨日、富士登山駅伝だったのにゴミはない。黄色い花のオンタデが続いていた。日差しが強くなり、帽子をかぶり、タオルで首を覆う。荷物のせいで足が喰い込み、登りにくい。青年に抜かれる。

 11時45分、7合目の日の出館に着く。高度3100m。

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 我々が登ってくるのを見ていたオッサンが「良い登り方している。それなら頂上まで登れる」と言う。登っている間に次の休憩で何をするか考えておくことなど、出だしに注意しておいたことと同じだったので意を強くする。ここの主人で勝又さん。頑固一徹の趣き。富士の山小屋についての話を聞きながら、オニギリを食べる。

 DSC00359.JPG7合目小屋主人と

 山頂の浅間神社奥の院には、高齢登山者の番付があり、横綱は103歳で大きく書いてあるが、70歳だと読めないくらい小さいという。

 隣りのオバサンは気分が悪くなり、ここに宿泊、同行者が降りてくるのを待っていた。座間から来ていた。2年前、近くの玄倉川で濁流にのまれて13名死亡したことを話してくれる。地元の人達が前日から避難勧告していたのに、無視して起きたことだった。未だに復旧していないという。小屋に入って食事をしだした主人に挨拶して登り出す。

 頭上に横長の小屋が見えた。ジグザグに登っていく。途中、砂走り館を通過。山梨県側の上空に雲を作って飛んでいく飛行機があった。雲海が近くまで迫ってきた。

         雲海の奥に台風富士の峰

 下山者からAYが酸素をいただく。彼は頂上付近で98歳のハイカーに会い、写真を撮らしてもらったという。次々に下山者に会う。ローザンヌから来たカップルにも会う。

 13時35分、赤岩8合目。高度3300m。水を飲んでから出発。頂上が良く見えているが、かなり登りがきつくなる。左の方にトラバースしながら、ゆっくり歩をすすめる。赤茶けたジグザグ道を幾度か息を整えながら登る。段々と冷えてきた。

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 15時40分、銀明水。鳥居を越えたところで長袖を着てKを待つ間、火口を眺める。

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 やがて疲れ果てたKがやってきた。銀明館は閉まっている様子。左手の道を行くと浅間大社奥宮があった。祭神は平安時代から木花咲耶姫(このはなさくやびめ)とされている。2人は金剛杖に焼印を押してもらっていた。隣りに郵便局があったが、絵葉書を売っていないので諦める。

 「頂上富士館」にチェックイン。大部屋、布団2つに3人、奥から押し込まれる。Kは手足が冷たいと言って布団に潜り込む。AYと2人で剣が峰に行く。三島岳の脇を通り、通行止めのブルドーザー道入り口を過ぎ、鉄柵を頼りに登りつく。ガスが充満してきて、虎岩や火口は見えなかった。奈良時代には噴煙が出ていたところだ。

 16時55分、剣が峰に立ち、ビールを開ける。気圧のせいで、泡が吹き出る。小屋にはビールを売っていなかったので、頂上まで持ってきた甲斐があった。

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DSC00364.JPG剣ヶ峰

DSC00365.JPG富士山三角点

 隣りは測候所だが閉鎖されていた。レーダードーム建設にまつわる物語、新田次郎「芙蓉の人」の舞台だ。NHKプロジェクトX「巨大台風から日本を守れ」では、ヘリでドームの骨格を空輸したチームのことを放映していた。来月5日から解体され、富士吉田市に引き渡される。

DSC00366.JPG解体前のレーダードーム

 展望台に行くことも、お鉢巡りもやめて小屋に戻る。

        富士詣還暦前に果たすかな

 17時30分、夕食は弁当と吸い物。隣りの青年と一緒に食べる。青年は四日市から車で富士宮まで来て登ってきた。コンビニにあるようなものを食べて、入れ物を返す。部屋には続々と人が入り込んでいた。白髪の小柄な老人が、隅に入ってきた。「食事は今、喉に通らない」と言っている、その声もかすれていた。今生を富士で終える覚悟の様子。耳栓をつけて横になる。

8月7日(火)

 午前零時以降、1時間置きに時計を見る。

4時過ぎ、AYが起きて薬を飲み、頭越しのオバサン達が話し出す。

 4時20分、ライトが点き、「朝食の人は荷物を持って食堂に来て下さい」と男が言う。

食事は、味噌汁にご飯、フリカケにチーズ。食べ終わった頃、「後5分以内に行かないと日の出は見られません」との案内。しかし外は曇っていて見えなかった。夜、未だスペースがあって客が泊めてほしいといっているのに断っており、ここは山小屋ではない。外は、昨夕より暖かった。見晴岩は人で埋まっていた。岩の下で待つ。未だ薄暗い。トイレに行っておく。しかし、小屋の中は、新しい団体が入り込み、部屋への道は閉ざされていた。「トイレは外に廻って下さい」

 5時20分、ようやく雲の中から太陽が現われる。写真では撮りにくい明るさだった。

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 四日市の青年と別れて降りていく。Kは記念に石をリュックに入れていく。途中、長袖シャツを脱いだりして、学生3人組と抜きつ抜かれつしながら降りる。

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 ザックが軽くなったせいか、砂礫のところも余りめり込まない。

 7時、宝永山に近づく。

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 荷物を置いて火口に寄ってみる。まだガスが立ち込めていたが、火口に立った時、一瞬、火口の全景が見えた。1707年、宝永4年の噴火で生じたもので、新井白石も「折たく柴の記」に記している。地震の後、白い灰、次に黒い灰が江戸に降ってきたという。火口壁は鉄分で赤くなっていた。

DSC00372.JPG宝永山火口

 荷物を置いたところに戻り、大砂走りを一歩で2m以上進んで一気に降りる。雨が降り出し、持ってきた傘を使う。砂泥は湿っているので、埃が立たず、AYが用意してくれたマスクは使わなかった。ブルドーザーの跡は固まっているので、跡を降りていく。

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 広大な液状大雪崩の傷跡はキリマンジャロを思い出す。

 8時20分、大石茶屋に戻る。茸茶をご馳走になり、土産に買う。店の爺さんも勝又といった。日の出館のことを話したら、甥だった。

 駐車場に向かう。車は無事だった。売店の脇に水場があり、ズボンと靴、ストックを洗って車に入る。下りは、太郎坊にあるBOAC遭難碑に寄っていく。小雨の降る中、碑の前に立つ。献花が置かれていた。碑の後ろに事故のことが書かれている。

DSC00374.JPGBOAC遭難碑

 1966年3月5日、14時15分、御殿場上空、高度約4900mで乱気流に遭遇、124名全員死亡。エンジン等主要部分が太郎坊付近に落下している。当時の晴天乱気流の速度は毎秒20mを超えていたと言われている。この年は全日空羽田沖事故から始まって5件墜落事故が起きていていることでも衝撃的だった。冥福を祈って車に戻る。

 途中、ガソリンを入れて乙女峠に向う道を走って、市民温泉会館の中の駐車場に車を入れる。年配者が既に玄関にいた。その内、車がどんどんやって来る。バスまでやってきた。

 10時、2時間券、500円を払って入る。貴重品をロッカーに入れ、浴場でも下着類をロッカーに入れて風呂場に行く。前面は大きなガラス窓があり、晴れていれば富士山の絶景が眺められる。汗を流した後、大広間でビールを飲む。隣りでは小学校の同窓会が行われていた。70前後の老人が男女に分かれて座っている。いろいろと持ち寄ってきたものを食べていた。寡黙だが、和やかな空気が漂っていた。

 ここで一休みするわけにいかず、出る。ビールを飲まなかったAYが運転。東名高速に入ってから、ぐっすり寝てしまう。AYに起こされた時は、東京の料金所。横浜横須賀高速への道は、東名に繋がっていなかった。第三京浜で横浜に戻る。対抗車線は事故で渋滞。ニュースでわかったが、トラックを追い越した乗用車が、白い車から銃弾を受けていた。

 横浜料金所に入る前のパーキングでトイレに行き、運転を交代して港南ICで高速を降り、AYを自宅近くのコンビニで降ろして、戻る。Kは田端駅前で降り、無事、家に帰る。

 

Fujisan(3776m)  border of Shizuoka pref. and Yamanashi pref.

                                                            100Famous mountains in Japan

Gotenba route

1.    AccessToumei expressway GotenbaICnational road138,246,

                   pref.23

2.    FacilitiesFujikan lodge(need reservation0544-26-1519)one night two meals7000yen

3.    Information:Gotenba city commerse&tourist section(0550-82-4622)

4.    SeasonJul to Aug

Records

Aug6

6:40-7:40    climb from gate(1440m)to Jiroubou(1900m).

7:40-11:55   climb zigzag every 50minutes climb 510minutes rest pace to 8th stage(3300m).

12:10-15:10  climb to summit Torii and checked in Fujikan lodge.

16:00-16:55  walk to peak. There is Radar dome not used.

17:05-17:35  back to lodge and take dinner and sleep narrow space.

Aug7

4:30-5:10    wake up and try to see sun rise,but not successful.

5:15-7:05    down to Mt.Houei.

7:10-9:00    down to monument of BOAC accident happened 1966.

9:10-9:45    back to starting point.


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