グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
北アルプス縦走の山旅②
大天井岳(2922m)、燕岳(2762.9m)
1.2012年7月25~26日
2.単独
3.宿泊:燕山荘テント¥500 夕食¥2700 朝食¥1300
4.温泉:湯原の湯¥700
5.バス:中房温泉―穂高駅¥1700
6.地図:国土地理院1:25000有明
昭文社・山と高原地図37上高地・槍・穂高
7月25日(水)
2時、ヘッドランプを持って外に出る。広いところまで上がり、満天の星を眺める。星の名前を同定することより、流星が通るのを待ち、先月19日に旅立った友を偲ぶ。ゼミの同期生で、他のグループだが年賀状のやり取りはしていた。彼の親友と食事をした折りに、そろそろ会おうと思っていた矢先、帰らぬ人となる。今度の山旅は、元気な内にやっておかなければならないことの一つだった。
流星のごと友逝きし夜深し
4時半、皆が起き出して下に降りていく。近くにニコンのデジカメがあった。隣りの青年に見せたが、彼のではないので、カウンターに届ける。ここのトイレは6つとも洋式だった。
5時、朝食。食券を見せて席に案内され、食べながら槍を眺める。
6時、常念小屋を出発。
広場に出て、富士山と南アルプスの一部を撮ってから登る。
50分後、横通岳の脇を通過。ハイマツが尾根に生えていた。岩の上に雷鳥が立つ。
雷鳥や岩より望む槍ヶ岳
メモをとっていると、年輩のハイカー(先生)が行き過ぎる。先生は一眼レフを持つほか、デッサンもしていた。話が長くなりそうなので、先に行く。1時間に1回くらい、岩稜を通る。
7時50分、風もおだやかになり、岩の窪地で先生と話す。山歴は40年以上、途中、大腸癌に始まり、口腔癌、骨髄炎、食堂癌を経験。山の霊気と気力で生きながらえているのだろうか。右手に八ヶ岳方面が見えた。
なだらかに登って行き、残雪を踏んで東天井岳の下を超える。コマクサとイワツメグサが咲いていた。
デジカメの画面が明るすぎるのでバッテリーを替えたら治る。コバノコゴメグサとチシマギキョウを撮る。
風景が変わり、薬師岳方面が見えてきた。槍ヶ岳の小槍も見える。単独の若い女性ハイカーに会う。
10時前、ヘリが槍ヶ岳に向かっていた。一本立てていると、小さな花に蜜蜂がやってきていた。後ろには富士山が見える。
10時35分、大天荘。小屋脇のベンチで風が来ないように長椅子にガスを置いて湯を沸かしパック米とカレーを温めて食べる。先生がやって来た。
「老眼と乱視の入った眼鏡を、どこかに置き忘れてきた」
「時間はたっぷりあるので一度、戻ったらどうでしょう」
戻っていく。高校山岳部20人がやって来て、ここの料理を注文していた。
食後、空身で頂上まで行く。
登り15分、下り10分かかった。
12時10分、下山。30分後、槍ヶ岳への喜作新道との分岐点に出る。
女性が単独で向かっていた。更に降りて高度2500m切ったところで登り返す。ペア、3人組とルートを辿る。
13時5分、一本立てる。鉄梯子を登り、やせ道を通る。モミジカラマツが咲いていた。
コマクサの保護地の間を通る。道が曲がる前に振り返ると、登頂した大天井岳や槍ヶ岳が良く見える。
アオノツガザクラを見つけた。
岩稜に出る。足元に注意して通る。降りて登り返して蛙岩を通過。
山荘から空身で来ている親子に先を越される。前方に燕山荘が見えてきた。
15時35分、燕山荘。ここにも中学生が来ている。ぎゅう詰めは充分経験した。夕食2700円、朝食1300円、テント場代500円を払い、食券とテント用プラスチックカードを渡されてテント場に向かう。
良い場所は既に張られていて、奥のトイレに近い段で一番離れたところにザックを置き、シュラフを出して広げる。ストックを持ち、水ポットを携帯バッグに入れて担いで燕岳に向かう。
花崗岩の岩頭の間を通り、奇岩を登っていく。
16時30分、燕山登頂。長野放送のスタッフが撮影に来ていた。頂上には名前を書いた石版しかない。
大天井は、下からできた雲が上空の雲に合流して隠れてしまう。かって登った裏銀座の峰々を眺めてから戻り、1時間ほど休む。
18時半、レインウェアを着て燕山荘に行き、立って生ビールを飲みながら、夕食を終えた人と一緒に赤沼健至さんのホルン演奏と話しを聞く。安曇野の中学生を応援していた。登山の仕方や高山病対策に梅の効用を説き、マッキンレー登山でも生かされたという。宿泊者からの賀状には10年送っている。ドイツ人グループも撮影していた。
彼は創業者赤沼千尋氏の3代目で出身地の有明荘、昼食時の大天荘、明日、通る合戦小屋といった燕山グループの代表だった。山と渓谷社の雑誌によると、一番好きな山小屋日本一に選ばれている(2007年)。
19時からの夕食に参加。奥に座る。流石に美味い。向かいに還暦を迎えた群馬県のオッサンが隣りの若い同行者に自慢話しをしながら酒を飲み食べている。30分後、赤沼さんの演奏と話しが始まっているのに、しゃべっている。「聞きませんか」と声をかけると、大人しくなった。内容は、毎回変わらないようだ。
帰りにお湯をプラティパス容器に半分入れる。トイレも使わせてもらってから、テント場に帰り、残った焼酎のお湯割りを飲む。下の段では親子のテントと若者の二組が騒いでいたが、やがて静かになる。足元が冷えてきたのでフリースの中に足を入れる。今夜も星が出ていた。眺めながら寝る。
7月26日(木)
2時、トイレに行った後、靴を履いたまま寝る。
4時半、上の段にいた若手ハイカーはテントをたたんで出発。朝焼けの風景を眺める。
洗面具を持って山荘に行く。ここもトイレは洋式だった。
4時45分、食券を見せて席に案内される。未だお腹の方は起きていない。味噌汁を飲みながら食べる。お茶を何杯も飲む。雲の上から朝日が出る。外に出ると、今回、一番晴れていた。
テント場に戻ってパッキングして出かける。赤沼さんが、大型の三脚を持って撮影から帰って行く。燕山荘にテント使用カードを返す。
5時55分、下山。バッグが軽い。ヘリが槍の方に行き、人らしきものを吊って降りる。今度は荷物を運んでいた。
有明山は、ここから見ると上が台形のようになっていて名山には見えない。
6時半、合戦小屋。高度2370m。ここがヘリの拠点だった。ケーブルで運んだものを次々と2人のスタッフが用意していた。
水は出ないし、スイカは未だ販売していなかった。樹林の中を降りていく。
6時55分、富士見ベンチで一本立てる。確かに良く見える。
シャツを脱ぎ、半ズボンになる。どんどん登って来る人が増えてきた。登り優先なので待たされることが多くなる。カップルと一緒に降りると、相手が単独だったり、年輩者だと待ってくれることもある。
汗かいて登る人待ち山降りる
休憩している高校生グループがいた。引率している先生に「燕山荘は混んでます」と言うと、テント泊だった。
8時、一本立てる。後は一気に降りる。
9時、中房温泉立寄りの湯「湯原の湯」。9時35分に乗合バスが出るが、風呂を優先。脇のテントにザックを置いて入る。かけ流しの露天風呂。5日振りに身体を洗い、風呂に浸かる。同行した男もやって来る。2回目は胸下まで浸かる。
風呂から上がってベストを除き、今まで着ていない衣類と靴下を履く。食堂で生ビールを飲みながら、地元の鶏を使ったカレーライスを食べる。肉らしきものは入っていない。ここにはバスドライバーも食事をとりに来ていた。
11時半、余り油を売っていられないのでザックを置いてあるところに行き、ザックからゴミを出せるようにしておく。高齢ハイカーも風呂から出て来た。次のバス出発は12時35分発だが、バス乗り場に行っておく。するとオッサンが声をかけて「今から出発するから」と言って手前のマイクロバスに案内する。既に4人乗っていた。白バス。最後部、高齢ハイカーと座る。彼は上高地から同じコースを、同じ小屋に泊まっていた。これから松本に出て高速バスに乗って新宿経由で横浜に帰る。中房川に沿ってクネクネと走り降りる。有明山は下から見ると、信濃富士と言われるだけあって鋭角の立派な200名山だった。ドライバー曰く、地元では小学高学年から学校行事で山に登っていた。「教育県だったが、今は最低。親が過保護で、生徒達の先輩後輩の関係がなくなり、おかしくなっている」と嘆いていた。途中、携帯が使えるようになったので従兄弟に連絡、予定より30分早く着くことを伝える。穂高西中学の横を通過。
12時50分、穂高駅。ここには道祖神を祀っていた。
広場の向かいには安曇野市観光協会案内所がある。待つ間、近くのソバ屋で抹茶ソフトクリームを食べる。
13時20分、従兄弟が日産Xトレイルを運転して来た。未だ新しい。カーナビもいろんな装置がついている。この時間ETCの割引が効かないので、韮崎まで一般道を走る。国道19号から20号、諏訪湖では県道を走行、途中、山梨県に入ったところにある道の駅でトイレタイム。序に桃やトマト、ゴーヤを買う。中央高速に入って、通り雨に遭遇、順調に走行したが、八王子過ぎて渋滞、高円寺まで14キロ渋滞だった。SAに寄らずに走行。時速40キロで行けた。
18時20分、高円寺で降りて、渋滞中の環状8号を走行。駅の近くで赤信号になったところで、後ろの荷物をピックアップして別れる。京王電鉄で渋谷行きに乗り、山手線も通勤客が一段落したせいか、新宿から座っていけた。
19時40分、帰宅。まずバッグから洗濯物を出して、シャワーを浴びる。
Otenshoudake( 2922m) in Nagano pref.
200Famous mountain in Japan
Tsubakurodake( 2762.9m) in Nagano pref.
200Famous mountain in Japan
1.Access:Car is better.Nagano expressway ToyoshinaIC→ pref.road57,25,327, Nakafusa onsen
2.Accommodation:Enzansou(0263-32-1535)one night two meals 9500yen
Jyonengoya(0263-33-9458) one night two meals 9500yen
3.Information:Azumino city Hodaka branch(0263-82-3131)
4.Season:midJul to Oct
Records:Jul25
6:00-6:50 Climb ridge and traverse Yokotoushidake(2767m) .
6:50-10:35 Walk ridge up and down to Otensho lodge and take meal.
11:25-12:00 Climb to Otenshoudake and back to lodge.
12:10-13:05 Down to junction and turn right and go on.
13:15-15:35 Up and down ridge using ladder, pass Geeroiwa(frog lock) to Enzansou(2712m).
16:00-16:30 Climb from Enzansou to Tsubakurodake.
16:45-17:00 Back to Enzansou and stay camp site. You can enjoy scenery and dinner at Enzansou hearing alp horn performance by owner.
Records:Jul26
5:55-6:50 Down to Kassengoya(2350m) and Fujimi bench where you can see Mt.Fuji.
7:00-7:55 Down zigzag among forest.
8:00-9:00 Down to Nakafusa gate and take spa.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
北アルプス縦走の山旅①
蝶ヶ岳、常念岳
1.2012年7月23日~24日
2.単独
3.交通:バス(新宿ー島々)詳細は「徳本峠越え」をご覧ください。
4.宿泊:蝶ヶ岳ヒュッテ1泊2食¥9000
常念小屋1泊2食¥9500
5.地図:国土地理院1:25000穂高岳
昭文社・山と高原地図37上高地・槍・穂高
蝶ヶ岳(2644m)
山名は安曇野から見て稜線左端の雪が4月半ば頃から白い蝶が羽根を広げたように残ることによる。
7月23日(月)
5時半、同室の1人は既に出かけていた。乾燥室の衣類は乾ききっていない。
7時、朝食。食後、弁当をピックアップ。テルモスに湯を入れてもらう。Tとは部屋で別れ、Hにはザックが重いと言われながら外で別れる。
7時50分、出発。道脇に利用者の数を集計する機械があった。
和歌山県立向陽高校の男子生徒10人が大きなザックを背負って同じ方向を歩いていく。トイレの前で先生が待っていた。
8時55分、徳沢園。収容しきれない場合に備えてなのか、大きなテントを繋げていた。 ここは上高地牧場が閉鎖される際に番小屋を登山者のための休憩所として建てて使うようになったのが始まりだが、今や瀟洒な宿泊地になっている。
一度、靴ひもを締め直して樹林帯に入っていく。白人カップルが軽装で抜き去っていく。50分に10分休む調子で登る。大きくジグザグに登るルートがあるので助かる。降りてくる人は、常念から来ていて雨が降ったのでルート変更していた。
9時50分、高度1810mで一本立てる。思いついた句をメモする。
夏山や樹林にもある風の道
山ガールが降りてきた。燕山から来ていて、天気が良くなった今朝、降りなければならないのを悔しがっていた。未だチャンスがありますと言って別れる。
10時50分、高度1975m、大木の切り株に座る。赤テープに代って木の幹に赤丸が描かれるようになった。ゴゼンタチバナの花が増えてきた。
11時50分、高度2235m。足元に尺取り虫が動いていた。
12時50分、高度2425mで昼食。大きなオニギリに漬物や卵料理、煮物を食べる。近くに岩鏡が一輪咲いていた。
40分後、出発。近くに小さな池があり、蚊が多いことがわかった。間伐を終えたところを通過。切株を見ると虫によるのか面白いデザインができていた。
ここからの標識は幹に赤ペンキの丸印に変わっている。孔雀蝶がいた。
14時、長塀山。三角点があった。
降りて登り返す。その後はなだらかなので1時間強、休まずに進む。道がぬかるんでいてストックを使って棒や板の上を超えて行く。池を通過。
いろんな花、残雪が現われる。
視界が開けてくると、遠くに、目指すヒュッテが見えた。
蝶ヶ岳の頂上に立つ。穂高連峰が近くに見えた。
15時35分、チェックイン。2階の奥に案内される。同年輩の隣りにザックとストックを置く。福岡空港からフジドリームエアで松本空港からやって来ていた。静岡に住む友人が機長をやっているので、どんな様子か聞く。座席は76ある。街の浸水被害のことを聞くと、今は雨水調整池や浸透施設が出来て解決していた。
やがて若い人が隣りにやって来た。S氏、山は始めたばかりで近くの山を登ってからやって来た。確かにウェアやザックなど新しい。それまではサーフィンでオアフ島のノースショアやオーストラリアまで行っている。やっていると背中に痛みが走るという。MBAを持つインテリで話しが面白いので夕食まで話す。玉川温泉の北投石が癌に有効であることが注目されていることや、知床のオシンコシンの滝の話しを聞く。
17時30分、夕食には、カツ、ワカメ、ホウレンソウ、コンニャクなどの料理と味噌汁とご飯を食べる。食後、外に出て景色を眺める。雲の間に槍ヶ岳が見えていた。
常念岳(2857m)
地図:国土地理院1:25000穂高岳
昭文社・山と高原地図37上高地・槍・穂高
山名は雪形からで僧侶の姿が雪解けの時期に常念岳東側の稜線に現れる。
7月24日(火)
4時半、洗面とトイレを済ませ、外に出て、穂高から槍ヶ岳、今日行く山々を見る。
5時、8人組と一緒に朝食をとる。福岡からフェリーで大阪に出て車2台でやって来た。横尾に降りて上高地から下呂温泉で宿泊して帰る。
6時20分、出発。右くるぶしに痛みがあり、ゆっくり歩いていく。南アルプスと富士山が見える。
高度2600m以上の稜線を、穂高連峰や槍を見ながら歩く。ご神体の明神岳、穂高岳はハイマツの緑が上に伸び、雪渓と対比していた。足元には竜胆が咲いている。
35分後、横尾に降りる標識が現われる。
聴こえるのは眼下の梓川のせせらぎと鳥の声。周りはハイマツが緑豊かに彩り、その新芽が薄緑、リンドウの青、シナノキンバイの黄色が添える。石楠花の花は白い。厳しい自然だからこそ映える。高度2530mまで降りて登り返す。曇っていて歩くのには良いが、上り下りが結構ある。還暦過ぎた男性2人が抜いていく。感じが良い。ピークで休んでいたので聞くと、名古屋の会社が同じで年齢は少し違うが、気が合うので一緒に登っていた。再び一人になって行く。
クォクォと音が聴こえたので、良く観るとハイマツの中に雷鳥がいた。近くの子雷鳥を呼んでいた。4羽いた。
雷鳥の子を呼び寄せし親の声
北穂から南岳の間の大キレットが良く見えた。
枯れたハイマツの枝に鳥が止まっていた。
8時、夫婦を抜いてニッコウキスゲが咲いているところを登り終えて一本立てる。
高度2592m。降りて登り返す。今まで歩いてきたところを眺める。
風景も見飽きたのか、2日間、きつかった疲れが残っているのか、気合いを入れ直して50分歩いて10分休むペースで進む。草むらにハクサンフウロの花が顔を出し、先に行くとリュウキンカが咲いていた。
岩稜帯に入ると、慎重になるので更に時間をとる。振り向くと稜線を境にして東側はガスで見えない。
12時、常念岳。若い人と写真を撮り合う。
頂の下で、ガスを使って湯を沸かしラーメンを食べる。近くに休んでいた人は常念小屋のテント場に住んでいた。エベレストトレック代表のM氏。夏のヒマラヤは雨季なので、ここでトレッキング案内をしていた。この後、大天井に行くのは厳しいので常念小屋で泊まるのを勧められる。14年前に逆コースで来た時よりペースが遅かった。年輩の男は、常念小屋に泊まるのか、のんびり過ごしている。
12時50分、ルートを間違えないように降りていく。岩の間に咲くキバナノコマノツメに足がとまる。
今度は松本の丸の内中学生グループに遭遇。揃いのジャージーに校章だろうか雪結晶のマークを付けていた。先生の指示でルートを避けてくれるが、ここでも時間がかかってしまう。
14時5分、常念小屋にチェックインできた。早速、外で携帯を使って大天荘に連絡したが、繋がらない。スタッフの古山さんに事情を伝えると、裏のカバーを開けて白いところを操作。繋がった。ありがたい。早速、大天荘に連絡、事情を言ってキャンセル。「連絡ありがとうございます」
他に、白馬にいる従兄弟に一日遅れることを伝える。26日、携帯が使えるところで連絡することになった。中学生が2階、関係者と一般登山者は屋根裏のような3階にアサインされる。1階のベンチで生ビールを飲む。ここから槍が良く見えた。夕食まで一休みする。目を覚ますと、隣りの白髪男から「良く寝てましたね」。同年齢。福井在住、現役の時は東京で都市計画の仕事をしていた。話は大飯原発のことになり、再開させた知事の姿勢を評価。知事は福井工業大学での技術者養成に積極的だった。明日は徳尾に出て平湯から乗鞍岳を登って帰る。17時から中学生の食事が始まり、我々は19時からだった。常念岳で会った老人は缶ビールを飲みながら黙々とカツを食べている。食後、明日の仕度をしてヘッドランプ、水、を近くに置いて寝る。
Chougatake( 2644m) in Nagano pref.
Records:Jul23
7:50-8:55 Walk from MyojinKan to TokusawaEn.
9:00-9:50 Climb zigzag among forest.
10:00-10:50 Climb to 1975m high.
11:00-11:50 Climb to 2235m high.
12:00-12:50 Climb to 2427m high and take meal.
13:30-14:00 Climb to Mt.Choubeiyama(2565m).
14:00-15:15 Down and up slowly to Mt.Chougatake(2644m).
15:15-15:35 Down to Chougatake hut and stay.
Jyonendake( 2857m) in Nagano pref.
100Famous mountain in Japan
Records:Jul24
6:20-12:00 Climb ridge from hut to Jyonendake(2857m) enjoying to see North Alps,
beautiful flowers and grouse.
12:50-14:05 After taking meal,down to Jyounen lodge and stay.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2012年7月21日~22日
2.同行:徳本峠H、T
3.バス:新宿ー島々¥5700
4.宿泊:明神館1泊2食¥8400
5.地図:昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
明治24年、ウォルター・ウェストンがガイド嘉門次を連れて島々谷から徳本峠を越えて穂高岳を登り始めたのが日本アルピニズムの端緒と言われている。14年前、本格的に山を登り始めた時のメンバーで峠越えをすることになった。
7月21日(土)
22時、新宿駅西口から地下道を歩いて7分、京王プラザホテルの先を左折すると都庁大型バスセンターがあり、都市間バスを運営しているオリオンバスの隣りにサンシャインツアーセンターの受付けがあった。スタッフが「さわやか信州号」と書いたシャツを着ている。
別のバスを予約しているHとTに会い、スタッフに降車地を確認する。
上高地行きは22時30分集合。15分後、横浜から到着。乗り口に座席表と名前を確認して座る。カップルは相席になるが、単独のせいか隣りは空いていた。
23時、スタッフが車内に入って行程案内、2人が交代して運転することを伝えて降りてから出発。
7月22日(日)
諏訪南SAでトイレタイムをとる。
4時15分、新島々。15分後、島々で降り、預けたザックをピックアップ。既に明るい。
安曇農産物加工センターの裏に立派なトイレがあったので行っておく。HとTが現われ、Hを先頭にして島々谷林道を歩く。発電所や砂防ダムを通過。
ゲートがあるが、鍵がかかっていなかった。
6時、二股。戦国落人の悲話と折口信夫の歌が書いてあった。松倉城主三木秀綱は秀吉勢に降伏、奥方と別れて逃避。奥方は徳本峠から島々谷に入ったところで木こりに殺される。
折口信夫は谷川に流死したように詠んでいた。
上高地入りの途次ことにかかりをとめ子の心さびしも清き瀬に身は流れつつ人恋ひにけむ
ここから左手の登山道に入る。木製の「行き橋」で川を渡り、戻り橋を通過。
土砂が流れたところや水の流れを超えていく。敗戦後に使われていた炭焼き窯が残っていた。
瀬戸下橋、島々谷南沢では水量の多い川を渡る。
コンクリ製の橋桁が倒れて橋を降りて梯子を上っていく。
一帯には額紫陽花が多く咲き、羊歯が生えている。
新しい木橋ほど滑りやすく、ゆっくりと歩く。
8時40分、ベンチで一休みする。歩きだして間もなくTが滑って膝を打ち、しばらくその侭で様子をみる。大丈夫だった。引き続き、最後に歩きながら、ゆっくり行く。蘭のような花が咲いていた。
10時20分、岩魚留橋を渡り、岩魚小屋でオニギリを二つ食べる。
Hは持ってきた包帯をTの左膝に巻いて手当。何とか行ける見通しがついた。6人組がやって来て、ガスを使ってお湯を沸かし食べだす。徳本峠小屋に2泊、霞沢岳を登って上高地に出て帰る。30分後、出発。ひたすら足を前に運び、川を渡って行く。6人が先に抜いていく。
夏山や雨後の川音轟けり
峠沢を登る前、丸太を束ねた橋が最後だった。一気に高度を上げていく。脇に水場があった。
ゴゼンタチバナが咲き、色付きの良いサルノコシカケを見つける。
ジグザグに登って行く。鶯が鳴いているのを聞きながら峠に出る。
鶯や徳本小屋に人の声
14時35分、2人にコーヒーと紅茶をサービスすべくテルモスを探す。ザックの中をひっくり返してみたがない。最初に出して後ろに置いていた。Tに「14年前と変わらない」と冷やかされる。2人に先に降りてもらい、ザックに収納してから降りる。峠でも携帯が通じなかった。Tにゆっくり降りてもらう為、宿泊先に先に降りて行く。
霞沢岳を登った時の道なので思い出しながら降りていく。峠沢と同じようにゴゼンタチバナやクルマユリが咲いていた。
16時、明神館。事情を伝えておき、中のレストランで靴を脱いで館のスリッパを履き、持参の焼酎を水で割って飲みながら待つ。白人家族が寄っていた。20分後、2人が着いたところでチェックイン。2階の相部屋に入る。12人収容できた。まず風呂に入り、衣類を洗って、乾燥場で乾しておく。同室の0氏は同年齢、各務原在住で岐阜城登りで鍛えている。現役の時、夫人が乳癌で入院、看病していたが食道に転移、4年前に逝去。子どもや孫と過ごしている。家内の場合のことを話す。
18時、相部屋の5人と食堂で夕食。生ビールを飲みながら食べる。一般の旅館と同じようにたくさんの品数が出てきた。食事が終わる頃、主人の梨子田満さんが中央に立って、当旅館とご神体である明神岳と穂高岳について説明する。
「ここの神様は海神(わだつみ)で、アマヅミ、安曇(あづみ)、渥美(半島)、熱田(神宮)、熱海は何れも海神と繋がっている。人の名前でも海部、安住、和田は同系。3~4世紀にかけて藤原氏は日本風土記を編纂しているが、そこでは彼らを抹消しようとしている。安曇一族は志賀島一帯から全国に移住していた。明神館では毎年10月8日10時に御舟祭を行う」
食後、2階の壁にある手書きの案内を読む。
「江戸時代、当館のある一帯はトクゴウと呼ばれていて樵小屋は徳本小屋と呼ばれ、松本藩の役人宿だった。明治になって牛の番小屋になり、ウェストンも峠を越えてここで泊まっている」
すっかり観光化した上高地も、こうした謂れを聞くと面白くなる。
Tokugo Touge hike in Nagano pref.
This route was the only way to Kamikouchi until road was constructed in1933.
.W.Weston(Japan alps pioneer) hiked in 1893 with guide Kamonji.
1.Access:Bus is better. Highway bus reservation(0261-72-8255)5700yen
Nagano expressway MatsumotoIC→national road158,Shimashima
2. Accommodation:TokugouTouge lodge(need reservation090-2767-2545) one night two meals9000yen
MyojinKan(0263-95-2036)one night two meals8400yen
3. Information:Matsumoto city Azumi branch(0263-94-2307)
4.Season:Jul to Oct
Records:Jul22
4:30-6:00 Walk from Shimashima(724m) to Futamata(930m).
6:05-10:20 Walk cross river many times to Iwanadome lodge and take meal.
10:50-14:35 Climb to TokugouTouge lodge(2135m).
14:45-16:00 Down to Kamikouchi MyoujinKan(1500m) and stay.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1996年11月26日(火)
2.単独行
3.交通:近鉄名古屋―四日市―湯ノ山温泉¥810
バス:湯ノ山温泉―三交湯ノ山温泉¥260
4.温泉:BIRD IN湯ノ山¥800
5.地図:国土地理院1:25000御在所岳
昭文社・山と高原地図44御在所・霊仙・伊吹
7時31分、近鉄名古屋駅から急行松坂行きに乗る。四日市で湯ノ山行きに乗り換える。大きな駅でホームは12番まであり、登校生で混んでいた。
8時13分、四日市を出発 、左手に鈴鹿山系が見えてきた。菰野駅でジャケットスタイルの制服を着た高校生がどっと降りていく。ここは、かって大石内蔵助が訪れていたところだ。30分後、湯ノ山温泉駅に着く。
今度はバスに乗って温泉まで行く。貸切だった。三滝川に沿って、紅葉のきれいな峡谷を登っていく。
温泉には10分で着いてしまう。この温泉は約1300年前、薬師如来のお告げにより発見されたという。標識は専らホテル案内で、「キンコンカン」というペンションの入り口には3つの鐘があった。
県道577号線を登っていく。シロモジの黄色い花が鮮やかだった。
一ノ谷茶屋で登山登録を書こうとしたら、オバサンが手を横に振っていたのでやめる。随所に砂防提があり、下の穴から水が流れていた。一気に花崗岩を登っていく。大きな岩の間を登り、鎖を使う。「単独登山要注意」の案内に身が引き締まり、ゆっくり登る。遠くから、三滝川のせせらぎと滝の音が聞こえていた。
9時55分、真上にロープウェイが見えた。空のゴンドラが1分置きに通っていく。
紅葉の木はなくなり、ツゲや常緑樹だけになる。
10時10分、2枚の大きな花崗岩が突き出ているところで休む。「おばれ石」、赤子を背負った姿から呼ばれている。
尾根が狭くなったところを登る。地蔵岩の脇を通って奇岩を登っていく。
曇ってきた。向い側の鎌ヶ岳は既にガスが立ち込めていた。
10時35分、急な岩場に出、鎖を使って降りる。鞍部から再び登り返す。急に熊笹に囲まれ、苔や羊歯類があった。ガスの中に入り、足元しか見えない。朝陽台に出る。
11時30分、山上公園。ロープウェイを使ってやってきた団体がワイワイやっていた。駅に寄る。片道1000円、全長2159m、12分かかる。高度差780m、出来た時には世界一を誇っていた。雨量観測所があった。車はロープウェイで吊るして持ってきたという。120キロ周囲の雨量をレーダーで観測する。電波を雨に向けて発射して測る。ツツジ科のアカヤシオの芽が赤くなっていた。5月に開花する。
頂上に行くと「滋賀県と三重県の県境」と明示されていた。
山口誓子の句碑が立っていた。
雪嶺の大三角を鎌と呼ぶ
風が冷たいので早々に引き上げ、カモシカセンターに入る。カモシカの写真を撮ると「山の哲学者認定証」が発行される。近くの藤内壁は、六甲ロックガーデン、山梨の三ツ峠と並んで日本3大岩登り練習場になっている。カモシカは5400万年前から、馬、牛、猪と分科していく。年2回、夏毛と冬毛に切り替わる。ゴーラルというカモシカの一種がタイの切手になっていた。
アゼリアレストランで茸ソバを食べる。
12時40分、国見峠に向けて降りる。雨が降ると砂礫の道が川になるようで、ぬかるみになっていた。20分後、沢を横切って峠に出て、さらに降りていく。
沢から聞こえる水の音が気持ちいい。青い羽根の鳥が見えた。右手に藤内壁が屹立していた。
岩に書いてある矢印や枝についている赤テープを目印に降りていく。水場で一息入れる。途中、佐藤君遭難地と書いた立て看板があった。段々、紅葉した木が増えてくる。
15時5分、藤内小屋。犬に吠えられながらベンチに座る。「おすわり」と言ったら座ったので、スナックパンを切ってあげる。ギターをかかえたオッサンと若い女性がやってきた。ここで泊まるという。更に歩いていくと日向小屋に出る。人影はないが、クライミング教室のポスターが貼ってあった。鈴鹿スカイラインの下を通って湯ノ山温泉に戻る。温泉案内所に入って、入浴できるところを教えてもらう。バス停前の「BIRD IN湯ノ山」に入って料金を払うと、タオルをもらう。浴場に1人いたが、やがて出てしまう。ゆっくり浸かって出る。
17時4分、バスに乗って駅に行く。17時16分発の電車に乗り、26分後、四日市に着く。近鉄名古屋駅に着いたのは18時38分だった。
Gozaisho(1212m) border of Mie pref. and Shiga pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access:Nagoya-Yokkaichi-YunoyamaOnsen by Kintetsu
Bus YunoyamaOnsen-SankouYunoyamaOnsen
2.Information:Komono town tourist branch (059-391-1129)
3.Season:Feb to Nov
Records:Nov26
9:00-9:50 Walk from YunoyamaOnsen(280m)and cross under ropeway.
9:50-10:10 Climb to Obareishi.
10:10-11:30 Climb to Sanjyou park(1180m) and peak. Go to Azalea restaurant and take noodle.
12:40-13:10 Down to Kunimi pass(1084m).
13:10-14:45 Down to Tounai lodge.
14:50-15:45 Down to Yunoyama Onsen and take bath.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
藤原岳(1120m)
1.2001年12月30日(日)
2.単独行
3.近鉄名古屋―近鉄富田¥540 三岐鉄道:富田―西藤原¥500
4.地図:国土地理院1:25000篠立、竜ヶ岳
昭文社:山と高原地図44霊仙・伊吹・藤原
7時、ホテルの近くで納豆定食を食べる。勤務明けの青年達が人の噂をしていた。地下鉄で名古屋駅に行き、近鉄の急行に乗る。7時51分に出発、富田に8時18分到着。
トイレに行こうとしたが、西藤原行きの三岐鉄道が直ぐ出るので諦める。
8時22分、出発。車掌が車内を通ってきたので精算する。平津駅で中学生達が自転車を持ち込んできた。うるさい。耳栓をして休む。北勢中央公園で降りていった。電車は4両編成、何時の間にかワンマン運転になっていた。途中、雨が窓にかかってきた。
9時15分、西藤原駅に着く。帰りの出発時刻をメモしようとしたら、年配の係員が時刻表の紙をくれる。トイレに行ってスッキリしてから出発。雨はやんでいた。表登山道口を左折していく。大貝戸道だ。砂防堤工事のため近道を登る。東方は雲が切れて青空が見えてきた。しかし雪がちらつく。ミズノキ、ツゲの中を歩く。天気予報通り、日が差し、風が強くなってきた。ヒノキが揺れていた。ジグザグに登っていく。
年の瀬や鈴鹿の山に一人行く
10時15分、5合目を通過。一歩一歩登っていくと雪が積もっていた。手袋をする。8合目で、聖宝寺からの道と合流する。
すっかり雪道になったところを登っていく。始めて人に会う。この先に女性が登っていますと教えてくれる。やがて前方に完全武装のピンク色のウェアにカバーをかけたザックを担いだ2人が見え、追い越していく。藤原山荘に辿り着き、写真を撮ってから藤原岳に向う。
一度、降りる。笹が積もった雪の重みで道を塞いでしまって通りにくい。帽子を被り、ストックを使って進む。誰も通らないので、下を見ながら歩く。
11時50分、展望丘。高度1120mある。
石に新聞紙を敷いて座り、カップ緬にお湯を入れて食べる。雪が冷たい風と共に身体にあたる。南の空は、雪雲が山近くまで迫っていた。
伊勢湾の方は晴れている。ハープ茶を飲んでから立ちあがる。手がかじかんできたので手袋の中にインナーグローブを入れる。30分後、戻る。
12時30分、藤原山荘に入ってみる。8人が昼食をとっていた。さっき会った女性が空いているところを案内してくれる。今日はここまで来て帰るという。ここに管理人はいないがトイレも別にあり、2階は休めそうだ。メモをとってから外に出る。帰りはストックを2本使って一気に降りる。8合目から裏登山道にする。雪に残った足跡を辿って行ったら、行き止まりだった。小用に行った跡だった。ロープと赤テープを頼りに降りる。踏んだ時に出来た雪玉がコロコロと転がっていくさまがかわいい。裏道は日が差さないせいか、6合目まで雪道だった。
13時35分、5合目で一服。更に雑木林の中を降りていく。桧林を過ぎ、涸れ沢に降りる手前で「第四九回県体山岳競技コース」と書いた看板を見つける。雪がパラパラ落ちてきた。
14時20分、長命水。苔の生えた壁から水が落ちていた。ぬるかった。ストックを洗っておく。こちらでも砂防工事をしていた。聖宝寺に出る。
若い外人カップルがタイマーを使って写真を撮っていた。ここの庭園は藤原時代の築園で「もみじの庭園」として知られている。伊勢巡礼29番の札所として僧兵700人がいたという。臨済宗妙心寺派で禅堂もあった。小学生にも時々座禅を指導している。何段もの石段を降りて道に出る。
駅舎内には鈴鹿の昆虫や植物標本が展示されていた。
15時16分、西藤原駅を出発。近鉄富田に向う。中央公園駅で再びチャリンコ団が乗り込んできた。富田で急行に乗り変えて名古屋に向う。
Fujiwaradake(2599m) border of Mie pref. and Shiga pref.
300Famous mountains in Japan
1. Access:Nagoya sation→Tomita station by Kintetsu,Tomita→NishiFujiwara by Sangi
Tetsudou
2. Information::Inabe city office NourinShoukou branch(0594-46-6306)
Sangi rail Nishifujiwara station(0594-46-2806)
3. Season:Mar to Nov
Records:Dec30 Ohgaido route
9:25-10:15 Walk from Nishifujiwara station (140m)and climb zigzag among Hinoki,Box woods to 5th stage.
10:20-11:50 Climb to peak(observatory place) and take instant noodle.
12:20-13:35 Down to Fujiwara lodge(1060m) and 8th stage.
13:40-15:00 Take Shoubouji route to station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2005年5月26~27日
2.同行:I、Y
3.交通:I車
4.宿泊:喜楽荘1泊2食¥7000 総経費¥14000
守門岳(1537m)
地図:国土地理院1:25000守門岳、穴沢
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月26日(木)晴のち雷雨
5時10分、予定より早くI車が家の近くの集合場所に着き、落ち合う。首都高速5号線から外環に入り、関越自動車道を走行。前方の空は曇っていた。Y氏とは始めてなので車内で登山歴や現状を話し合う。
7時、赤城高原SAで20分、休憩。その間、天ぷらソバとオニギリを食べる。清水トンネルを抜けると残雪の山々が見えてきた。
8時15分、小出ICを降りたが、右折したためルートを見失い、地元の人に聞きながら国道252号に出る。破間川とJR只見線に沿って山間に入っていく。水田は田植が終ったばかりだった。窓に雨粒があたってきた。大白川で左折し、大原スキー場の2つのゲレンデの脇を通り、除雪間もない狭道を走って登山口に出る。丁度、雨は止んでいた。ライトバンと長岡ナンバーの軽自動が駐車していた。西側の空は雨雲に覆われている。
9時40分、レインウェアを着、スパッツを付けて先頭を歩く。放牧場からブナ林の中を登る。20分後、通り雨にあったが、段々と明るくなって来る。2mはある蛇が隠れていく。汗が出るようになったので、レインウェアとウールの長袖シャツを脱ぐ。岩鏡が咲き誇っていた。
緊張がほぐれ、便意が強くなり、大きな岩場の陰で済ます。ブナ林の先には残雪深い渓谷が見えた。
老鶯(オウ)の真近に鳴いて山深し
高度1130mでアイゼンを装着して登る。雪の重みで横倒しになった木や折れた木が多い。太い幹を跨ごうとしたら、ネズミ捕りのように幹が跳ね上がる。稜線を登り終えて雪原に出る。雪庇を避けて内側を歩く。潅木の下にリュックが2つデポしてあった。やがて上半身裸の青年と中年男が降りてきた。武蔵村山からライトバンを運転、三条市の青年登山家と佐武流山、白砂山を登ってきていた。今朝は雨にだいぶ降られていた。この先はアイゼン不要と言う。
12時30分、ガスを使える場所でお湯を沸かし、わかめ等の具にニンニク、鶏肉缶詰を入れたⅠ特製のラーメンをご馳走になる。飲み物は私が担当する。
13時25分、ストック1本持ち、Ⅰの折りたたみリュックにポットを入れてもらって出発。右手に浅草岳が見えた。
足跡のついた雪上を歩いた後、カタクリやキクザキイチゲが咲く道を登る。頭上にタムシバが咲いていた。
カタクリ
14時、守門岳登頂。北側は日本海がぼんやり見え、青雲岳、大岳が少しずつ高度を下げて連なっていた。
明日登山予定の浅草岳は、ネズモチ平の方は雪で覆われていた。方位盤で見える山々を確認する。八海山や巻機山も見えていた。キアゲハが飛んで来る。
14時25分、下山。20分でデポ地に戻る。遠くの雷鳴が聞こえたので休まずに降りて行く。残雪の上を降りていくのは、方向が定まらず、苦労する。
さっきの2人が見え、アイゼンを外すところで追いつく。東電で働いていて、青年は越後の山に精通、年配者は大企業の自家用発電機材や、離島の設備にも立ち会っていた。2人は先に降りていく。
布引ノ滝に行く分岐点で一息入れていたら、現われ、コシアブラの新芽を差し出す。天プラにすると美味いという。
雷の音が近くなって来た。ストックを使って一気に降りる。牧場に出たところで雨に降られ、傘を指して車に駆け込む。
16時40分、ピカッと光り、ドスンと響く。近くに落ちた。大粒の雨が雹に変わる。それでも10分過ぎると小止みになったので出発。元の道を戻り、携帯で大白川の民宿、喜楽荘に連絡しておいてから、浅草岳の登山口まで行ってみる。雪除けシェルターの中を走り、破間川ダム湖の奥にある大自然館まで行く。その先は通行止めになっていた。雪崩の危険があるからだそうが、先に施設がないと山開きするまで仕方がないようだ。予定を変更、明日は巻機山の前衛、金城山に登ることにする。
17時30分、民宿に入り、2階の大部屋に案内され、風呂に入る。顔と首筋が焼けていた。浴衣に着替えて別室に用意された山菜づくしの料理を食べる。他にヤマメの塩焼き、天ぷら、豆腐、椎茸の煮込みなど盛り沢山。ご飯はたっていた。金曜の夜、建設業界の集いがあり、家族以外にお手伝いに来てもらっていた。残った焼きオニギリを部屋に持っていく。部屋でブランディを飲みながらしゃべっている内、就寝予定9時を大幅に過ぎてしまう。あわてて布団にもぐりこむ。
金城山(1369m)
地図:国土地理院1:25000六日町
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月27日(金)
5時5分、弁当をピックアップして出発。只見線に、乗客ゼロの2両が山間に向けて走っていた。曇り空の下、小出ICから関越自動車道に入り、八海山を眺める。六日町ICで降り、魚野川を渡って大月トンネルを抜けてT字路に出る。金城山登山口の案内板があり、右折して行けるところまで走行。杉林に入ったところに軽自動車が2台停まっていた。車内で弁当を食べていたら、隣りに中年夫婦が駐車して来た。周りの山菜を採ってからリュックを背負って滝入コースを歩いていく。
7時、登山道案内図で確認してから歩き出す。狭い鉄橋を渡り、皆沢川に沿って歩く。
山菜夫婦に会うと既にリュックを膨らませていた。2合目を過ぎると雪解け水が二股の滝となって豪快に落ちている。
その内、残雪が登山道を覆ってしまい、ルートがわかりにくい。山菜夫婦について行く。夫婦は小千谷市に住んでおり、花火のことや、山菜のことを聞く。巻いた新芽でも毒のあるものもあって素人には無理だった。ワラビ、ゼンマイ、ウドなどを見せて食べ方まで教えてくれる。雪渓の上には泥や枯れ枝があってアイゼンがなくても歩けた。流れのある川を岩伝いに渡ったり、枝を頼りによじ登り、地震で崩れた道を進む。滝の傍を通ると冷風にあたり気持ちいい。
山道を登りだして直ぐ、鹿の毛と頭の骨とヒズメが散らばっていた。熊の餌食になったようだ。沢向いでは、別のヒトが山菜採りをしていた。ゼンマイは束になっていることを教わったので、後から来たお母さんに確認すると当たっていた。ブナやナラの森の中、主のようなブナが立っていた。半分は削られているが、瘤をつくり彫刻のように存在感があった。
8時50分、5合目に出る。高度は未だ700m。一息入れて急登に取りつく。鎖を使いながら30分かけて6合目まで登りつめる。ここは大月からの道との分岐点だった。日差しを受け、尾根に沿って歩いていくと、足元に釣鐘の形をした赤薄紫色のホタルブクロがひっそりとたれていた。
Yはデジカメでショウジョウバカマ、サンカヨウといった花に近づいて撮っていく。石楠花も咲いていた。
7合目の先の木陰にリュックをデポして登る。8合目から、小屋のような岩のある頂上が見えた。未だ先がある。
10時35分、9合目で山菜夫婦に追いつく。リュックに入りきらずビニール袋を腰に下げていた。出発前に食べたのがオニギリ1つでシャリバテ気味だったが、羊羹とポカリスウェットを飲んで休んだら息を吹き返す。イワウチワが咲いていた。
200m強の高度を、鎖や枝を頼りに登る。
岩峰群の一角に辿り着いてみると金城山登山道頂上と書いた標識が立っていた。
11時15分。切り立った岸壁の下からガスが立ち込め、その中から残雪の巻機山が現れていた。
山菜夫婦は一旦降りて登り返した先にある避難小屋で食事して水無コースを辿るようで、手を振って別れる。
足元に注意しながら降りていくと、前橋から来た3人組や単独行に会う。8合目から六日町一帯が良く見えた。
デポに戻り1時間かけて焼きソバを食べる。
13時20分、出発。雪渓も柔らかくなって、滑らずに降りて行けた。クーラーの効いた部屋にいるようだ。遠くに黒犬だか熊が死んでいるように見えたが、近づくと雪穴。一息入れ、融けたばかりの清水を飲み、タオルを水につけて頭に巻く。あとは一気に降りて行く。鉄橋手前で川に靴を浸して汚れをとり、汗をぬぐう。
15時20分、車に戻り仕度して出る。六日町でガソリンを補給、高速に入り、途中、赤城高原SAで休憩。精算を済ませ、同じ道を走って帰る。
Sumondake(1537m) in Niigata pref. 200Famous mountains in Japan
1.Access:Kanetsu expresswayKoideIC→national road17,252,pref346,Ohshirakawa
2.Accommodation:Minshuku(family run)Saishichi(02579-6-2540)one night two meals6000yen
3.Information:Sumon village(02579-7-2311)
4.Season:May to Oct
Records:May26 need crampon on May~Jun
9:40-10:40 Climb to Eden
10:50-12:30 Climb to Koeboshi(1280m).
12:30-13:25 Take meal
13:25-14:00 Climb to peak.
14:25-16:35 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2004年8月9~11日
2.単独行
3.自家用車 走行距離:314km 高速料金:練馬―高崎¥2600 館林―浦和¥1350
4.宿泊ほか:庚申山荘¥2000 かじか荘入浴料¥600
5.施設:富弘美術館¥300
6.地図:国土地理院1:25000足尾、袈裟丸山、皇海山
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
8月9日(月)曇のち雨
5時30分、出発。一般道路を走って30分、関越自動車道に入る。順調だったので途中、上里SAで30分休憩。高崎ICで降り、県道27、40号から小島田町で国道50号を走り
西久保で県道73号、大間々で国道122号に出た後は渡良瀬川を遡っていく。
9時、富弘美術館の看板があったので駐車したが、人気がない。その先に移っていた。星野富弘氏の文章が中学国語教科書に載っていた。初めてサインペンを口にくわえて書いた文字が壁に書いてあり、詩画が展示されていた。薊と朝顔の描写が良い。ビデオ「ひまわりの中から甲子園の歓声が聞こえる」を見てから庭に出る。草木湖の上に、10年前、皇太子夫妻が行啓された時の記念碑が立っていた。
花壇には作品に描かれた花が多く、ひまわりも咲いていた。庚申山荘管轄の足利役場に電話しておくと、管理人はいないと言う。
10時30分、出発。切幹で左折、県道293号を走行。時折、狭くなる。銀山平公園に寄ってみたが、店には誰もいない。町営国民宿舎「かじか荘」に駐車。レストランで生ビールにモツ定食をとって力をつける。スタッフに聞いた通り、上の広場で駐車。
12時、通行止めゲートの脇から舗装道路を歩いて行く。水場にいたハイカーに聞くと、午後から雷雨になるというので庚申山を登って帰ってきた。曇ってきたので歩きやすい。足元にクワガタムシがいた。
天狗の投石は、そこだけ瓦礫が積み重なっていて不思議な光景だった。
12時55分、一の鳥居に出る。赤い鳥居の真ん中に猿田彦神社と書いてあった。
水場で一息入れてから登り出す。参拝道のせいか道や橋が良く整備されている。40分後、鏡岩で休む。後からやって来たオッサンは66歳、桐生からきてここから戻る。雷の音が遠くからするので、ザックカバーを付けて歩く。直ぐ降り出した。登山道は川になってしまう。脇道をとったら、カップルが降りてきた。彼等も庚申山だけだった。スパッツを持ってこなかったので靴の中が濡れてしまう。猿田彦神社跡を左に分けて行く。
14時30分、庚申山荘。
階段を登ってドアを開け、声をかけたが誰もいない。2千円を料金箱に入れ記帳する。8月になって6人目だった。一通り濡れたものを洗って乾す。炊事場の水の2つは泥水、1つはきれいだった。一度雨が止んだが、直ぐ降り出す。山荘は2階建て、1階の畳部屋に荷物を運ぶ。80人は収容できる。大きなテーブルと椅子が8つあるコーナーの壁には、名前を書いた庚申講の奉納板がかけてある。昭和28年から平成4年まであった。炊事場でカレーライスを作り、海草サラダと一緒に食べる。窓を開けても虫は入って来ない。小川の音が聞こえるだけ。部屋で動いているのは、掛け時計の針と出しっぱなしの水だけだった。
19時、横になったが、2時間後、起きてしまう。雷雨が続いていた。携帯ラジオで天気予報をチェック。明日も山岳方面に雷雨が発生するという。雷が光ると雑音が入る。明日が気になって良く寝られない。24時前になっても雷の音は聞こえないが光っていた。明日は行けるところまで行くことにする。
8月10日(火)曇のち雨
2時過ぎ、小用をもよおし、外に出る。三日月の夜空にW型のカシオペア座、柄杓の小熊座が見えた。これなら行ける。布団に入ったがウトウトするだけだった。
3時30分、お湯を沸かしてポットに入れ、焼きオニギリを食べ、未だ乾いていないズボンとTシャツを乾したままにし、コッフエルやガスを袋に入れて、レインウェアのズボンをはいて出る。林の中は薄暗かったが、どんどん明るくなってヘッドランプは要らなかった。登りだして直ぐ滝に出会う。朝シャンのように飛沫を受けながら通る。南総里見八犬伝に出てくる「胎内くぐり」の大岩の間を抜けていくと、お山巡りへの道に繋がっていた。一歩一歩登っていく。
5時50分、庚申山に登頂。約1200年前、勝道上人が開山し、猿田彦命を祀ったところだ。視界は利かない。
その先に展望台があり、行って見ると皇海山が近くに見え、日光白根山や勝道上人が開山した男体山まで見えた。
目標がはっきりし、尾根を歩く。御岳山からは笹ヤブを漕いで行く。木の根や石でつまずかないようにストックを使い、足元を見ながら歩く。茸が結構生えていた。
6時40分、駒掛山。
再びヤブ漕ぎ、今度は身の丈あった。ルートを間違えないように慎重に進む。渓雲山、地蔵岳と続き、大きく下降して登り返す。
7時30分、薬師岳。山場に備え、パンを食べ、コーヒーを飲む。
石楠花や樅の木が多くなっていた。ストックをしまい、鎖とロープ、梯子を使って降りて登る。
8時25分、熊野岳。15分後、左側から剣ノ山に出る。
いよいよ鋸山が目の前に現れ、鎖を使って降り、岸壁の左手から取り付く。冷や汗をかいているので、風がくると気持ちいい。
8時55分、鋸山。雲が少しずつ皇海山を通って行く。
下りもロープが幾つかあり、思ったより時間がかかった。シラビソの尾根を進み40分後、不動沢のコルに出る。登ってきた鋭鋒が見えた。
気合を入れ直して皇海山に向かう。皇海橋から登って来たハイカーが7人別々に降りて来る。登山口で車内泊していた。青銅の剣を過ぎる。
10時30分、皇海山登頂。
写真を撮った後、靴下を乾かし、大きなオニギリを食べる。やがて1人登って来た。宇都宮の人で庚申山には今月1日に登っており、今回は林道を通って来た。三脚を持って撮影場所を探すが、視界は良くない。ゆっくり出来ないので別れる。一気に降りて登り返す。ロープを使って登っていると鶯が近くで鳴いていた。
12時40分、鋸山に戻る。下からどんどん雲が上がって来た。雷が出る前に降りた方がいい。20分後、雨が降り出した。レインウェア、ザックカバーで武装して降りて行く。笹が刈り取ってあり通りやすい。走るように降りていく。女山から
13時30分、六林斑峠に出る。小降りになり、山の中腹をくねくねと歩く。単調なので沢を渡る回数を数える。4回目の渡渉で左足を滑らせドボン。靴下を絞って履き直す。雨も上がりウェアを脱ぐ。5回目の沢は、丸太棒三本並んでいた。ロープが横に張ってあり無事通過。ブナ林から雑木林になり、ダケカンバが交じっていた。11回目の沢では、直ぐ上に大きな岩が今にも崩れてくる。頭に木が生えていてどこかユーモラスだった。カイタカラコウが和ませてくれる。
15回、沢を超えて、ようやく「天下の見晴」への分岐を通る。
16時30分、山荘に戻る。誰もいなかった。このまま帰るのも惜しくなり、泊まることにする。レインウェアや靴下を洗っていたら、ドアが開く音がする。2人に近づくと「管理人さんですか」と聞かれる。「いいえ」「良かった」
無銭宿泊者だった。1人は上尾のオッサン。足尾電鉄に乗り最寄りの駅からタクシーでやって来た。もう1人は京都。車通行止めの手前で駐車。2人でやって来た。京都人は30歳から山をはじめて20年、百名山は70を超えている。昨日から6日間休みで、次は女峰山を登る。一段落したところでコースの注意点、感想を伝える。
17時30分、夕食準備。味噌汁にオニギリの残りを入れて炊き込む。上尾氏は火を使わず、缶詰めとパック入り酒。缶ビールを一口いただく。無料講習を受けるのが趣味で沢や岩や雪山のレッスンを受けている。今回も20mのロープを持ってきていた。還暦前で髪の毛は少ない。管理人の仕事を3人で交代してやっている。話は登山から関東人と関西人の違いになる。関西では整列乗車はしないし、他人のすることに口出ししないが陰で言うらしい。
19時30分、一部屋一緒に寝る。上尾氏はイビキをかきだし、耳栓をして寝る。
8月11日(水)
4時30分、ガサコソと音がして目覚める。トイレに行っておく。2人は5時20分に出て行く。上尾氏は枝2本持っていた。散歩がてら「天下の見晴」に行こうとしたが、靴が乾いていなかった。お粥にお茶で朝飯を済ませ、朝日を浴びながら階段に座って池内紀「一人旅は楽し」を読む。共感することが多い。トンボが手すりに並んで日向ぼっこしていた。
7時、靴も乾いたので水だけ持って出る。20分で「天下の見晴」に着いてしまう。最後に新しい鎖を使って登る。庚申山の絶壁、鋸山から袈裟丸山に続く尾根、小法師岳、原野が鬱蒼としていた。
尾根下から既に雲が湧き上がっている。岩には2mはある蛇が日向ぼっこしていた。山の神様に出会った。
7時40分、山荘に戻り、排便してから出発。往きの風景とは異なり、鏡岩の手前まで川の水は流れていなかった。
隠居組の男1女4のパーティや夫婦に出会う。庚申山を目指していた。庚申七滝に寄って、一つを見ておく。
一の鳥居からストックをしまい、「一人旅」を読みながら歩く。車は来ないし時間はたっぷり。しかし一昨日の豪雨で2ヶ所、土砂が道をふさいでいた。日差しを浴びながら読んでいると、トンボがページに止まる。
10時30分、広場に戻る。靴とズボンを履き替えてから「かじか荘」に行く。携帯が通じなかったので公衆電話で家に連絡、留守録に無事を伝えておく。入浴代払って風呂に入る。全身を洗い、歯を磨き、髭を剃ってから内湯そして露天風呂に入る。虻が来るので蝿叩きが置いてあった。とまったところを叩いたがいずれも失敗。下半身を浸かりながら本を読み終える。レストランで天ぷら定食にジョッキビール。食後、休憩室で一休み。
12時40分、隣りの話し声で目を覚ます。お茶を飲んでから出る。国道122号に出て、富弘美術館の近くのドライブインで水沼特産のうどんを買う。県道78号から国道50号、354号に出て館林ICから東北自動車道を走行。浦和料金所から再び国道122号を走って帰る。
17時過ぎ、家に着いてシャワーを浴びて出たら、家内に背中の3ヶ所が赤くなっているといわれる。虻にやられていた。
Sukaisan(2144m) border of Tochigi Pref. and Gunma pref.
100Famous mountains in Japan
Mt.Koshinzan route
1.Access:Car is better. Kanetsu expressway TakasakiJCT→Kitakanto expreeway OotakiryuIC,National road122(Omama),Pref road293, Kajika-so at Ginzandaira
2.Accommodation:Koshinsanso(Kajika-so0288-93-3420)no meal 2000yen
3.Information:Sukaisan route is risky in rain weather.
4.Season:Jun to Oct
Records:Aug9
12:00-12:55 walk from gate to No1 gate (Torii)of shrine(1030m).
13:05-13:45 climb to Kagamiiwa.
13:55-14:30 climb to Koshin lodge(1490m) and register note,pay 2000yen into box.
Aug10
4:50-5:50 walk looking waterfall,through big rocks and climb to Mt.Koshinzan.
5:55-6:40 down and up over ridges to Mt.Kurakakeyama(1808m).
6:45-7:30 down and up Mt.Ukigumoyama,Mt.Jizodake,Mt.Yakushidake.
7:40-8:55 down and up to Mt.Kumanodake,Mt.Nokogiriyama (1998m)using chain, rope,ladder .
9:00-9:40 down to Fudosawa col(1860m).
9:45-10:30 climb to Mt.Sukaisan.
11:00-12:40 back to Mt.Nokogiriyama.
12:45-13:30 down to Rokurinpan pass(1806m).
13:30-16:30 walk and cross valley river 15 times to Koshin lodge and stay.
Aug 11
7:00-7:40 viewing at Tenka no Miharashi(observatory).
8:00-10:30 back to starting point. You can enjoy spa at Kajika-so(600yen).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
蒲生岳、会津朝日岳、浅草岳の山旅②
浅草岳(1586m)
1.地図:国土地理院1:25000只見、田子倉湖、守門岳
9月12日(月)晴
4時、起床。テルモスに湯を入れて出発。星が出ていた。30分後、登山口の広場に着く。浅草岳と書かれた大きな碑に座ってオニギリ弁当を食べる。今日は暑くなるので半ズボンにし、朝露に備えてスパッツを付ける。
5時40分、先頭に立って木道や鉄板道を通る。斜めになった板が濡れていて滑ってしまう。眼が覚め、足元に注意しながら歩く。片方に手すりのある橋を渡っていくとブナ林になり、ゆるやかに登っていく。幽ノ倉沢を通過。
6時20分、大久保沢。最後の水場。倒れた大木の枝が置かれていて水場に行きにくい。単独のハイカーがやって来て、そのまま行き過ぎる。川水を2ℓ入れ、沢を越えてからジグザグに登っていく。朝の登山は気持ちいい。風があり、景色の良いところで休んでいく。尾根に出ると山頂が遠くに見えている。沢向こうに「鬼が面山」が絶壁を連ねていた。段々と潅木が少なくなり、尾根もヤセてくる。剣ヶ峰を過ぎると、浅草岳が前面に見える。
左手の沢から冷風が来る。沢には雪渓が残っていた。今年は雪が多かったせいだろうか。いろんな花が咲いていたが、今日もデジタルカメラは動かず撮れない。重右ヱ門岩を過ぎると、ロープを使う箇所が増える。振り向くと田子倉湖が広がっていた。
駐車した広場も見えた。残り200mの標識に励まされて登る。
10時、浅草岳登頂。360度見えた。長岡市や米山の先には日本海が見え、今まで登った山々や、2か月後に登る予定の御神楽岳、粟ケ岳がきれいに見えた。
テルモスのお湯を使って皆でコーヒーやお茶を飲み、15分で下山。早く降りるというリーダーの判断は正しく、日差しが強くなっていた。ロープを頼りに降りていく。青年が登って来た。木陰で一息入れながらNを待つ。
12時20分、Nは使い古されたロープが切れて私の方に倒れてくる。ズルズルとしゃがんで何とか停まった。そのまま動かないように言う。頭を打ち、右肘を擦りむいて血が滲んでいた。鳥打帽をとると、ぷっくりはれ上がっていた。救急袋から消毒ガーゼ、包帯、レスタミン軟膏を出して応急処理。しばらく黙想してもらい、はれ上がったところからの痛みがないことがわかり、立ち上がってもらう。
それまで離れていたが、2m間隔でゆっくりと降りていく。今まで雑談しながら降りていたが、黙って足元と枝に注意しながら進む。
13時25分、大久保沢で非常食を食べる。ブナ林の中は落ち着く。
14時30分、駐車場。Aが登山届の紙にロープの件を書く。
17時10分、赤城高原SAで休憩、山菜ソバを食べる。Ⅰが諸経費を計算して精算。所沢でトラックと乗用車の接触事故があり、渋滞に会う。
19時30分、練馬区役所の手前でAと一緒に降り、練馬駅で別れる。
Asakusadake(1585m) border of Niigata pref. and Fukushima pref.
300Famous mountains in Japan
1.Access:KanetsuexpresswayKoideIC→national road252,gate
2.Information:Tadami town office(0241-82-5280)
3.Season:Jul to Oct
Records:Sep12
05:40-06:20Walk from gate(518m)to Ohkubosawa where we can supply water.
06:25-10:00Climb ridge, using rope to peak. You can see a lot of mountains and Japan sea.
10:15-13:25Down to Ohkubosawa and take meal.
13:40-14:30Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2005年9月10~12日
2.交通:I車
3.宿泊:「季の郷・湯ら里」¥10150 「いわぶち」¥6800
4.会費:¥25000
蒲生岳(828m)地図:国土地理院1:25000只見
9月10日(土)晴
5時、駒込駅新宿方面始発の山手線で池袋に行き、西武池袋線で練馬駅に着く。南口に出ると、ボランティアの人たちが駅周辺を清掃していた。男性に場所を確認して区役所の大きなビルを目安にして待ち合わせ場所に行く。既に3人が立っていた。
挨拶して乗り込む。リーダーのⅠがN、Aを紹介。Nは信託銀行で1年先輩、中央線沿線や奥多摩の山をハイキングしていた。Aは大学同期、ワンゲルに所属。関越自動車道を平均時速100キロで走行。途中、谷川岳PAでトイレタイム。小さなところで早朝には何もなかった。
8時15分、小出ICを降りる。国道352号を走ってしまう。戻って252号を走行。只見線に沿っていき、会津マッターホルンと呼ばれる蒲生岳の麓の駐車場に車を停める。
隣りは春日部ナンバーの車2台。中高年ハイカーが降りて準備していた。案内板があり、道を隔てたところに公民館のトイレが使えた。
10時30分、Aを先頭に出発。国道から左に入り、線路を越えて二荒神社への階段を登って樹林帯の中を歩く。
先行の春日部グループを抜いて炎天下の露岩帯を登る。30分後、一本立てる。眼下に只見川が蛇行し、里山の風景が見えた。
民家の屋根は青く、稲穂は実って黄色い。登りだして15分後、夫婦松を通過。2本の松がからまっていた。
分岐点から右手の鼻毛通しルートをとる。Nのテンポが遅くなってきた。花を撮る。
道標「あと200m」が2回、「あと100m」が2回あった。風穴の脇を通っていく。
12時25分、登頂。西側岸壁ルートをとった春日部グループの数人が既にいた。潅木の下でラーメンを食べる。頂上からは、只見川を越えて鷲ガ倉山や柴倉山、更に会津朝日岳が見えていた。
13時35分、来た道を降りていく。途中、1回休む。樹林帯に入ったところで、遠くから雷鳴が聞こえた。駐車場に戻り、Ⅰが保冷箱のビールなどを取り出し、皆で乾杯。春日部グループは昭和村で泊り、明日は博士山を登ると言う。
15時20分、出発。明日の登山に備えて「いわなの里」まで行く。途中、只見町のコンビニに寄ってNは軍手、私は地酒「花泉」を買っておく。国道289から左折、ソバの花が一面に咲いていた。雨の中、「いわなの里」は閑散としていた。駐車料金1日千円の看板を見て戻る。国道に出て右折し、宿泊地「湯ら里」に行く。8年前に建てられたが、未だ新しかった。対応も丁寧。209号室に荷物を置いて、温泉に入る。露天風呂の他、泡風呂やサウナもあった。靴下や下着を洗っておく。
18時30分、食堂に行き、生ビールで乾杯。山菜料理を食べる。食用のヒイロガサだろうか赤い茸を始めて食べる。土曜の夜、家族やカップルが来ていた。食後、部屋でチリー産の赤ワインやウィスキーを飲みながら、今日の反省と明朝のことを話して寝る。
会津朝日岳 (1624m)
1.地図:国土地理院1:25000会津朝日岳
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
9月11日(日)晴
4時、起床。共同トイレに行ったが、電気がつかない。身障者用のトイレは通路灯で薄明るく何とか使えた。ポットのお湯をテルモスに入れ、昨晩届いていた弁当をリュックに収納して出る。雨は降っていなかった。
4時45分、出発。「いわなの里」の手前に車を停めて車内で弁当を食べていたら、「いわな亭」からマイクを使って何やら言っていた。「登山なら、もっと先まで行ける」
しばらく走ると道の脇に駐車スペースがあり、既に車が2台停まっていた。奥にテントを張っている。中から男が出て来て「練馬ナンバーの黒クルーガーの持ち主が昨日、山に行ったまま帰らないことを宿泊予定の旅館から警察に連絡があり、警官がここに来て登山中に何かあったら連絡してほしいと頼まれているのでよろしく」と言う。
5時45分、スパッツを付け、リュックカバーをかけて先頭を歩く。朝露を払い、道に被さるススキや枝を折り、道に落ちている枝を脇に除ける。赤倉沢を2回渡っていくとジグザグに登っていく。40分から50分毎に休む。黄色や紫色の花や白色のガクアジサイが咲いていた。小さな蛙が飛び跳ねる。三吉ミチギの水場で水を補給。重くなったリュックを担ぎ、ブナ林の中、傘を差しながらジグザグに登る。人見の松で視界が開かれた。
ゆるくなった尾根を登っていくと「叶の高手」に出る。ケヤキの大木が枯れていた。目標の山の全容が現れた。
下って行く。平地には水がたまっていたり、泥沼になっていて、置いてある切り株を頼りに渡る。ナナカマドが赤い実をつけている。湿気にやられたのか、内ポケットに入れたデジカメが作動しない。
9時30分、登り返して間もなく熊ノ平避難小屋に出る。中には蛙以外誰もいないし、使った形跡がない。レインウェアを着て不用なものを置いて頂上に向かう。ジグザグなので昨日の山より登りやすかった。樹林帯を抜け、バイウチノ高手、小幽沢カッチを通り、ロープを使って岩場を登る。ピークの先に行くと方位盤があった。
10時30分、会津朝日岳登頂。
蛇が隠れていく。50m位降りたところにニホンカモシカがじっとこちらを見ていた。駐車場にいた男2人女1人がリュックをもたずにやって来た。遭難していた人に会っていた。40mほど滑落し、じっとしていたそうで自力で帰ったと言う。3人は日立市から来ていて、直ぐ降りていく。我々も降りる。
11時30分、避難小屋に戻り、ヤキソバを食べる。ここには蛇の抜け殻があった。50分後、出発。50分後、人見の松を過ぎて間もなく急傾斜の道の枝に帽子がかかっていた。滑落した人のようだった。
14時30分、三吉ミチギで水を補給。増水して川を渡るのに苦労する。Nは滑って水浸しになる。靴を脱いで靴下を絞ってから歩く。
15時50分、車に戻る。旅館に行く前に明日の登山口を確認。国道252に出て只見線田子倉駅まで行く。会津側から行くと登山口への看板が良く見えた。塩沢駅まで戻って旅館に行く。
17時40分、旅館「いわぶち」。今晩の宿泊は我々だけ。風呂に入って台所に近い部屋で食事する。鮎、ウグイ、馬刺、朝鮮人参のテンプラ、山菜と盛り沢山。ビール、酒を飲み終わった頃、手打ちソバとマイタケ入りの汁を持ってくる。途中から主人が酒を持って話に来る。主人は岩渕家16代目。塩沢は幕府の直轄領で、ここは代官が山の見回りにやって来るときに使われた宿。今は専ら釣り宿として使われていた。
昨晩は間に寝たが、今夜は上段の間の奥に寝る。
Aizuasahidake(1624m) in Fukushima pref. 200Famous mountains in Japan
1.Access:KanetsuexpresswayKoideIC→national road252,289,Iwananosato
2.Information:Tadami town office(0241-82-5280)
3.Season:Jun to Oct
Records:Sep11
05:45-07:00 Cross Akakurasawa two times from Iwananosato(530m)and climb to Miyoshimitigi water spot(1000m),keeping pace of 40~50mnts and 5mnts rest.
07:00-09:30 Climb zigzag to Kanounotakate(1430m),down to Kumanotaira refuge lodge(1360m).
09:30-10:30 Climb to peak.
10:45-11:30 Down to Kumanotaira refuge lodge and take meal.
12:20-14:30 Back to Miyoshimitigi.
14:30-15:50 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
白石山(2036m)
地図:国土地理院1:25000雲取山、雁坂峠
昭文社・山と高原地図25雲取・両神
5月25日(金)雨
4時、目覚ましが鳴り、布団をたたんで仕度。ポット用のお湯は100円かかった。別室で朝食をとりながら主人と話す。壁に7つの感謝状がかかっていた。その内、1人は亡くなっている。遭難原因は殆ど、谷あいに降りてしまったため。戻ることが肝心。ヘリ救助ケースもあるが、警察のものは無料のせいか、平気で要請してくる。あげくには民間しか使えず有料だと言うと断ってくる。YとⅠが先週、登った両神山では低血糖になった人がヘリで運ばれていた。
5時15分、仕度が出来たところで出発。今日は雨を覚悟する。山ノ神土から右に折れていくと、スズタケが増え、豆桜が咲いていた。上り下りが続きリンノ峰を巻いていく。
東側は薄明るいが西側は雨雲、ポツポツ降ってきた。
7時5分、10分かけて雨仕度。石楠花が咲き出していた。
7時35分、東仙波。ここで90度北側に降りて尾根伝いに歩く。太いワイヤーが放置され、周りに大きな切り株が苔をつけていた。石楠花が瑞々しく咲いている。
枝に巻かれた赤いテープを頼りに尾根を歩く。
8時40分、小憩。二瀬分岐点を右にとる。アケビが咲いていた。
9時17分、唐松林の中、木に和田倉山(白石山)と書いた標識が巻きつけてある。
あっけなかった。雨も小止みなので一息入れて紅茶を飲み、Iからのリンゴを食べる。
9時40分、下山。雨の中、足を動かしながら、句を作ってみる。
鶯や只管歩く尾根の雨
鹿の角木肌剥がせし跡無惨
11時15分、傘をさして休む。周りの風景しか見えないので、歩くだけだった。
12時40分、山ノ神土。一休みして登山口に向う。唐松に鹿害防止の網が巻かれていた。踏みやすい道だが、雨で濡れているので注意しながら降りていく。途中、林道に合流して歩く。
14時、みはらし小屋。オバサンに食事を頼んで、豆ご飯と味噌汁を食べる。トマト、薄切り大根の煮シメも昨日と同じく出てきた。先ほど18人のパーティが将監小屋に向い、明日、秩父湖まで縦走すると言う。車に乗る前にホースを借りて靴を洗っておく。
14時40分、出発。小雨の中、走る。車には殆どあわない。柳沢峠の店も閉まっていた。高円寺で高速を降りて環7に入り、小田急代田駅前で別れる。
Wanagurayama(Shiroishiyama)(2036m) in Saitama pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access:Car is essential. Chuo expresswayKatsunumaIC→national road411,
Miharashigoya
2.Accommodation and information:Shoukan lodge(0553-34-2029)
one night two meals7000yen
3.Season:Jul to Oct
Records:May24
12:40-14:40 From Miharashigoya (1260m)to Shoukangoya(1740m).
14:40-16:45 Climb to Karamatsuoyama(2109m) and back to lodge.
May25
05:15-07:35 Climb to Higashisenba.
07:40-08:40 Walk ridge to Hutase junction.
08:40-09:17Climb to Wanagurayama(Shiroishiyama).
09:40-12:40 Down to Yamanokando(1872m).
12:50-14:00 Back to Sannnose gate:Miharashigoya.