グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年11月18日~19日
2.単独行
3.交通機関:マツダレンタカー1300cc 2日間¥13000走行距離:498キロ 高速料金:いよ西条―美馬¥2250 美馬―松山¥3300
ガソリン代:¥2997
4.宿泊:白石ロッジ1泊2食¥7500
石鎚山(1982m)
地図:国土地理院1:25000石鎚山、面河渓
昭文社:山と高原地図③
11月18日(日)
6時20分、羽田空港に着き、カウンターに行く。混んでいて受け付け3番目、荷物は持ち込み、セキュリティを通って8番ゲートで待つ。エコノミーの最前席に座る。機内では寝不足を解消しておく。
8時20分、定刻に松山空港に着陸。到着ロビーのレンタカー専用電話を使って呼び出し出口で待つ。ほどなく迎えの車が来て、レンタカーの事務所にいく。費用はカードで支払い、石鎚山への道を確認して出発。距離的には、国道11号線から行った方が近いが、道路状況から国道33号線から遠回りして行く。まずコンビニに入って食料を調達してから、高度600mまで登って降りていく。久万町を過ぎると「石鎚スカイライン」の標識があらわれてきた。落合で左折、美川村の御三戸でも左折、石鎚スカイラインを走っていく。面河(おもご)川を遡っていくと紅葉真っ盛り、通りの名前も「もみじ通り」と書いてあった。モミ、ツガ、イロハカエデなどの暖地性の樹木が、ここの森を構成している。やがて左手前方に石鎚の鋭鋒が現われた。1500万年前の噴火で出来たものだ。
車が繋がっていた。先頭はバス。土小屋まで、のんびり登っていく。ロータリーに沿った階段の上に岩黒レストハウスと白石ロッジが並んで建っていた。
手前で駐車、階段を登って挨拶しておく。登り終えて主人に挨拶していた人がロッジの下に駐車していた車に乗って帰っていく。その後に車を停める。
11時20分、バスでやってきた20人の団体より先に行く。神社の下を通る舗装道から登山口に入っていく。頂上まで4.6キロ。ウラジロモミの中を歩いていくと、国民宿舎への道と合流する。笹原に立つブナの林の中を歩く。尾根に出ると休憩地があった。休むことなく歩く。2人の軽装中年男性を追い抜き、登っていく。笹に雪が残っていた。
小学生を連れた家族や若い女性2人を追い抜く。つるつるした幹のリョウブが立っていた。階段を降りるのでストックを使う。随所に木製の階段や橋が出来て歩きやすい。それも行き交う幅になっていた。
霧氷が枝から落ちて音をたてていた。針葉樹「シラベ」だった。頂上はガスっていて見えない。
12時45分、二つ鎖小屋でオニギリを食べる。鎖場のある方は滑りやすいので、迂回道を登っていく。残り500m。雪が積もり、凍っていて滑りやすい。道脇にあるロープや鎖を頼りに登っていく。家族は諦めて戻ってきた。
13時20分、弥山に登頂。その先は神域で撮影禁止になっていた。
山名を書いた標識はない。近くにヘリで運んだ建設用の小型トラクターやキャタピラーそして砂利袋が15個置いてあった。山頂小屋を建てていた。かって石鎚山岳信仰としての面影は何もない。一度降りてから、よじ登って登頂する。2人立つのがやっと。ここは「日本霊異記」にも書いてあるように神霊として崇められていた。
雪積もる石鎚峰に鏡あり
弥山に戻り、高知から来た4人と写真を撮りあう。
ガスの中、鎖場を降りて岩稜尾根を一歩一歩降りていく。鎖場を降り、はいつくばって天狗岳に辿り着く。小さな祠があるだけ。寒く、何も見えないので直ぐ戻る。弥山にも誰もいない。降りていく。中年男が1人登ってきた。「あとどのぐらい」日本語が覚束なかった。釜山から来ていた。知っている韓国語を使い、元気つけて別れる。雪を少しかぶった地蔵さんに合掌。
15時、青空が一部見えた。五葉松は片側が枯れていた。今回は生物と言えば小さなベージュ色の蛾しか見なかった。前に歩く団体を追い越していく必要もないので、ゆっくり歩く。
休憩地で団体が休んでおり、先に歩く。高度1700mを切ると、下界が見えてきた。その内、雨が降り出し、傘を差しながら降りていく。
16時15分、土小屋に戻る。ロッジの玄関ではクライマーがザイルをたたんでいた。石鎚山北壁を登る人がザイルを使って、ここの屋根を修理していた。中に女性1人おり、これから松山に帰っていく。まず、食堂で暖かい甘酒をいただく。残った2人とロッジの主人に明日のルートを相談する。早明浦ダム脇の道は崖崩れが多く通行禁止になっていることが多いし、国道439号線も山道、そこで西条から高速に乗り、徳島自動車道の美馬から国道438号線で見ノ越に出ることにする。生ビールを飲み終わったところで風呂に入る。3階の2号室に荷物を置いてタオルと着替えを持っていく。
1階まで降り、大風呂の奥、角を仕切った中にステンレス製の家庭用風呂に入る。湯加減は丁度良かった。入浴後、部屋で大相撲を観戦。
18時、食堂に行く。若者が食堂を手伝っていた。同宿者は年配の画家。しばらくして隣りのテーブルにやってきた。長らく法政一高校の美術教師を務め、定年後、画家として作品を出している。現在、秦野に住んでいるが、実家が宇和にあり、松山の画廊に石鎚山の絵を出品する。白髪、温厚な人で、話は長谷川潔、岡鹿之助から猪熊弦一郎、福井良之助と続く。山の絵として高橋俊雄の作品を持っていると言ったら、彼のことを知っていた。山の画家として足立源一郎と金山平三を教えてもらう。「今は川合玉堂のような描写ではなく、高山辰雄のように個性がないと評価されない」
食事は山の幸が多い。岩茸(いわたけ)は岸壁に張り付くもので乾燥すると黒くなっていた。山女の佃煮や野菜の煮物を食べる。デザートは大きな伊予蜜柑だった。
毛糸のベレー帽をかぶり、髪を肩から前に出している若者も面白かった。地元の高校を卒業。東京の美容学校に通ったが、銀座のバーでアルバイトをしている内、辞めてしまう。7年前から、ここの手伝いをしている。29歳、釈迦が解脱した年にインドを旅する。ホテルに泊まろうとしたらドライバーの家に連れていかれ、泊まらせられる。その内、下痢になりアメーバ赤痢になって10キロ痩せて帰り、知合いの医者から抗生物質をもらって治す。
「ここのところ毎年、パタヤに行っています。月8千バーツのアパートに住んでタイ人と生活。パタヤから全国にバスが行っているので旅をする。いつも行くところはドイステープ。大麻を吸うと感覚が自由になり、次々と妄想が広がっていく」
段々話しが取り留めなくなっていく。時計は8時を過ぎていた。電話がかかってきたところで腰をあげる。部屋は6畳、電気炬燵があるので布団を出し、足を炬燵に入れて寝る。
Ishizuchisan(1982m) in Ehime pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Matsuyama airpoirt→national road33,pref.12,Ishizuchi skyline,
Tsuchigoya
2. Accommodation:Kokuminshukusha Ishizuchi(0897-53-0005)no meal 2550yen
3. Information::Saijyo city(0897-56-5151)
4. Season:midJun to Oct
Records:Nov18
11:20-12:45 walk from Shiraishi lodge to FutatuKusari lodge(1810m).
12:50-13:20 Climb to Misen (1974m)using chain.
13:25-13:50 Down and up to peak.
13:55-14:15 Back to Misen.
14:25-16:15 Back to starting point.