グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2005年5月26~27日
2.同行:I、Y
3.交通:I車
4.宿泊:喜楽荘1泊2食¥7000 総経費¥14000
守門岳(1537m)
地図:国土地理院1:25000守門岳、穴沢
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月26日(木)晴のち雷雨
5時10分、予定より早くI車が家の近くの集合場所に着き、落ち合う。首都高速5号線から外環に入り、関越自動車道を走行。前方の空は曇っていた。Y氏とは始めてなので車内で登山歴や現状を話し合う。
7時、赤城高原SAで20分、休憩。その間、天ぷらソバとオニギリを食べる。清水トンネルを抜けると残雪の山々が見えてきた。
8時15分、小出ICを降りたが、右折したためルートを見失い、地元の人に聞きながら国道252号に出る。破間川とJR只見線に沿って山間に入っていく。水田は田植が終ったばかりだった。窓に雨粒があたってきた。大白川で左折し、大原スキー場の2つのゲレンデの脇を通り、除雪間もない狭道を走って登山口に出る。丁度、雨は止んでいた。ライトバンと長岡ナンバーの軽自動が駐車していた。西側の空は雨雲に覆われている。
9時40分、レインウェアを着、スパッツを付けて先頭を歩く。放牧場からブナ林の中を登る。20分後、通り雨にあったが、段々と明るくなって来る。2mはある蛇が隠れていく。汗が出るようになったので、レインウェアとウールの長袖シャツを脱ぐ。岩鏡が咲き誇っていた。
緊張がほぐれ、便意が強くなり、大きな岩場の陰で済ます。ブナ林の先には残雪深い渓谷が見えた。
老鶯(オウ)の真近に鳴いて山深し
高度1130mでアイゼンを装着して登る。雪の重みで横倒しになった木や折れた木が多い。太い幹を跨ごうとしたら、ネズミ捕りのように幹が跳ね上がる。稜線を登り終えて雪原に出る。雪庇を避けて内側を歩く。潅木の下にリュックが2つデポしてあった。やがて上半身裸の青年と中年男が降りてきた。武蔵村山からライトバンを運転、三条市の青年登山家と佐武流山、白砂山を登ってきていた。今朝は雨にだいぶ降られていた。この先はアイゼン不要と言う。
12時30分、ガスを使える場所でお湯を沸かし、わかめ等の具にニンニク、鶏肉缶詰を入れたⅠ特製のラーメンをご馳走になる。飲み物は私が担当する。
13時25分、ストック1本持ち、Ⅰの折りたたみリュックにポットを入れてもらって出発。右手に浅草岳が見えた。
足跡のついた雪上を歩いた後、カタクリやキクザキイチゲが咲く道を登る。頭上にタムシバが咲いていた。
カタクリ
14時、守門岳登頂。北側は日本海がぼんやり見え、青雲岳、大岳が少しずつ高度を下げて連なっていた。
明日登山予定の浅草岳は、ネズモチ平の方は雪で覆われていた。方位盤で見える山々を確認する。八海山や巻機山も見えていた。キアゲハが飛んで来る。
14時25分、下山。20分でデポ地に戻る。遠くの雷鳴が聞こえたので休まずに降りて行く。残雪の上を降りていくのは、方向が定まらず、苦労する。
さっきの2人が見え、アイゼンを外すところで追いつく。東電で働いていて、青年は越後の山に精通、年配者は大企業の自家用発電機材や、離島の設備にも立ち会っていた。2人は先に降りていく。
布引ノ滝に行く分岐点で一息入れていたら、現われ、コシアブラの新芽を差し出す。天プラにすると美味いという。
雷の音が近くなって来た。ストックを使って一気に降りる。牧場に出たところで雨に降られ、傘を指して車に駆け込む。
16時40分、ピカッと光り、ドスンと響く。近くに落ちた。大粒の雨が雹に変わる。それでも10分過ぎると小止みになったので出発。元の道を戻り、携帯で大白川の民宿、喜楽荘に連絡しておいてから、浅草岳の登山口まで行ってみる。雪除けシェルターの中を走り、破間川ダム湖の奥にある大自然館まで行く。その先は通行止めになっていた。雪崩の危険があるからだそうが、先に施設がないと山開きするまで仕方がないようだ。予定を変更、明日は巻機山の前衛、金城山に登ることにする。
17時30分、民宿に入り、2階の大部屋に案内され、風呂に入る。顔と首筋が焼けていた。浴衣に着替えて別室に用意された山菜づくしの料理を食べる。他にヤマメの塩焼き、天ぷら、豆腐、椎茸の煮込みなど盛り沢山。ご飯はたっていた。金曜の夜、建設業界の集いがあり、家族以外にお手伝いに来てもらっていた。残った焼きオニギリを部屋に持っていく。部屋でブランディを飲みながらしゃべっている内、就寝予定9時を大幅に過ぎてしまう。あわてて布団にもぐりこむ。
金城山(1369m)
地図:国土地理院1:25000六日町
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月27日(金)
5時5分、弁当をピックアップして出発。只見線に、乗客ゼロの2両が山間に向けて走っていた。曇り空の下、小出ICから関越自動車道に入り、八海山を眺める。六日町ICで降り、魚野川を渡って大月トンネルを抜けてT字路に出る。金城山登山口の案内板があり、右折して行けるところまで走行。杉林に入ったところに軽自動車が2台停まっていた。車内で弁当を食べていたら、隣りに中年夫婦が駐車して来た。周りの山菜を採ってからリュックを背負って滝入コースを歩いていく。
7時、登山道案内図で確認してから歩き出す。狭い鉄橋を渡り、皆沢川に沿って歩く。
山菜夫婦に会うと既にリュックを膨らませていた。2合目を過ぎると雪解け水が二股の滝となって豪快に落ちている。
その内、残雪が登山道を覆ってしまい、ルートがわかりにくい。山菜夫婦について行く。夫婦は小千谷市に住んでおり、花火のことや、山菜のことを聞く。巻いた新芽でも毒のあるものもあって素人には無理だった。ワラビ、ゼンマイ、ウドなどを見せて食べ方まで教えてくれる。雪渓の上には泥や枯れ枝があってアイゼンがなくても歩けた。流れのある川を岩伝いに渡ったり、枝を頼りによじ登り、地震で崩れた道を進む。滝の傍を通ると冷風にあたり気持ちいい。
山道を登りだして直ぐ、鹿の毛と頭の骨とヒズメが散らばっていた。熊の餌食になったようだ。沢向いでは、別のヒトが山菜採りをしていた。ゼンマイは束になっていることを教わったので、後から来たお母さんに確認すると当たっていた。ブナやナラの森の中、主のようなブナが立っていた。半分は削られているが、瘤をつくり彫刻のように存在感があった。
8時50分、5合目に出る。高度は未だ700m。一息入れて急登に取りつく。鎖を使いながら30分かけて6合目まで登りつめる。ここは大月からの道との分岐点だった。日差しを受け、尾根に沿って歩いていくと、足元に釣鐘の形をした赤薄紫色のホタルブクロがひっそりとたれていた。
Yはデジカメでショウジョウバカマ、サンカヨウといった花に近づいて撮っていく。石楠花も咲いていた。
7合目の先の木陰にリュックをデポして登る。8合目から、小屋のような岩のある頂上が見えた。未だ先がある。
10時35分、9合目で山菜夫婦に追いつく。リュックに入りきらずビニール袋を腰に下げていた。出発前に食べたのがオニギリ1つでシャリバテ気味だったが、羊羹とポカリスウェットを飲んで休んだら息を吹き返す。イワウチワが咲いていた。
200m強の高度を、鎖や枝を頼りに登る。
岩峰群の一角に辿り着いてみると金城山登山道頂上と書いた標識が立っていた。
11時15分。切り立った岸壁の下からガスが立ち込め、その中から残雪の巻機山が現れていた。
山菜夫婦は一旦降りて登り返した先にある避難小屋で食事して水無コースを辿るようで、手を振って別れる。
足元に注意しながら降りていくと、前橋から来た3人組や単独行に会う。8合目から六日町一帯が良く見えた。
デポに戻り1時間かけて焼きソバを食べる。
13時20分、出発。雪渓も柔らかくなって、滑らずに降りて行けた。クーラーの効いた部屋にいるようだ。遠くに黒犬だか熊が死んでいるように見えたが、近づくと雪穴。一息入れ、融けたばかりの清水を飲み、タオルを水につけて頭に巻く。あとは一気に降りて行く。鉄橋手前で川に靴を浸して汚れをとり、汗をぬぐう。
15時20分、車に戻り仕度して出る。六日町でガソリンを補給、高速に入り、途中、赤城高原SAで休憩。精算を済ませ、同じ道を走って帰る。
Sumondake(1537m) in Niigata pref. 200Famous mountains in Japan
1.Access:Kanetsu expresswayKoideIC→national road17,252,pref346,Ohshirakawa
2.Accommodation:Minshuku(family run)Saishichi(02579-6-2540)one night two meals6000yen
3.Information:Sumon village(02579-7-2311)
4.Season:May to Oct
Records:May26 need crampon on May~Jun
9:40-10:40 Climb to Eden
10:50-12:30 Climb to Koeboshi(1280m).
12:30-13:25 Take meal
13:25-14:00 Climb to peak.
14:25-16:35 Back to starting point.