グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

            徳本峠越え

1.2012年7月21日~22日

2.同行:徳本峠HT  

3.バス:新宿ー島々¥5700       

4.宿泊:明神館1泊2食¥8400     

5.地図:昭文社・山と高原地図38乗鞍高原

 明治24年、ウォルター・ウェストンがガイド嘉門次を連れて島々谷から徳本峠を越えて穂高岳を登り始めたのが日本アルピニズムの端緒と言われている。14年前、本格的に山を登り始めた時のメンバーで峠越えをすることになった。

7月21日(土)

 22時、新宿駅西口から地下道を歩いて7分、京王プラザホテルの先を左折すると都庁大型バスセンターがあり、都市間バスを運営しているオリオンバスの隣りにサンシャインツアーセンターの受付けがあった。スタッフが「さわやか信州号」と書いたシャツを着ている。

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 別のバスを予約しているHTに会い、スタッフに降車地を確認する。

上高地行きは22時30分集合。15分後、横浜から到着。乗り口に座席表と名前を確認して座る。カップルは相席になるが、単独のせいか隣りは空いていた。

23時、スタッフが車内に入って行程案内、2人が交代して運転することを伝えて降りてから出発。

7月22日(日)

 諏訪南SAでトイレタイムをとる。

4時15分、新島々。15分後、島々で降り、預けたザックをピックアップ。既に明るい。

003.JPG徳本峠入口

 安曇農産物加工センターの裏に立派なトイレがあったので行っておく。HTが現われ、Hを先頭にして島々谷林道を歩く。発電所や砂防ダムを通過。

004.JPG発電所006.JPG

 ゲートがあるが、鍵がかかっていなかった。

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 6時、二股。戦国落人の悲話と折口信夫の歌が書いてあった。松倉城主三木秀綱は秀吉勢に降伏、奥方と別れて逃避。奥方は徳本峠から島々谷に入ったところで木こりに殺される。

 012.JPG秀頼夫人遭難の碑

 折口信夫は谷川に流死したように詠んでいた。

上高地入りの途次ことにかかりをとめ子の心さびしも清き瀬に身は流れつつ人恋ひにけむ

ここから左手の登山道に入る。木製の「行き橋」で川を渡り、戻り橋を通過。

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土砂が流れたところや水の流れを超えていく。敗戦後に使われていた炭焼き窯が残っていた。

018.JPG炭焼き窯

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 瀬戸下橋、島々谷南沢では水量の多い川を渡る。

024.JPG瀬戸下橋

 コンクリ製の橋桁が倒れて橋を降りて梯子を上っていく。

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 一帯には額紫陽花が多く咲き、羊歯が生えている。

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 新しい木橋ほど滑りやすく、ゆっくりと歩く。

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8時40分、ベンチで一休みする。歩きだして間もなくTが滑って膝を打ち、しばらくその侭で様子をみる。大丈夫だった。引き続き、最後に歩きながら、ゆっくり行く。蘭のような花が咲いていた。

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10時20分、岩魚留橋を渡り、岩魚小屋でオニギリを二つ食べる。

031.JPG岩魚留小屋

Hは持ってきた包帯をTの左膝に巻いて手当。何とか行ける見通しがついた。6人組がやって来て、ガスを使ってお湯を沸かし食べだす。徳本峠小屋に2泊、霞沢岳を登って上高地に出て帰る。30分後、出発。ひたすら足を前に運び、川を渡って行く。6人が先に抜いていく。

032.JPG

     夏山や雨後の川音轟けり

 峠沢を登る前、丸太を束ねた橋が最後だった。一気に高度を上げていく。脇に水場があった。

037.JPG水場

ゴゼンタチバナが咲き、色付きの良いサルノコシカケを見つける。

038.JPGゴゼンタチバナ

039.JPGサルノコシカケ

 ジグザグに登って行く。鶯が鳴いているのを聞きながら峠に出る。

         鶯や徳本小屋に人の声

040.JPG徳本峠小屋

 14時35分、2人にコーヒーと紅茶をサービスすべくテルモスを探す。ザックの中をひっくり返してみたがない。最初に出して後ろに置いていた。Tに「14年前と変わらない」と冷やかされる。2人に先に降りてもらい、ザックに収納してから降りる。峠でも携帯が通じなかった。Tにゆっくり降りてもらう為、宿泊先に先に降りて行く。

041.JPG霞沢岳との分岐点

霞沢岳を登った時の道なので思い出しながら降りていく。峠沢と同じようにゴゼンタチバナやクルマユリが咲いていた。

044.JPGクルマユリ

 16時、明神館。事情を伝えておき、中のレストランで靴を脱いで館のスリッパを履き、持参の焼酎を水で割って飲みながら待つ。白人家族が寄っていた。20分後、2人が着いたところでチェックイン。2階の相部屋に入る。12人収容できた。まず風呂に入り、衣類を洗って、乾燥場で乾しておく。同室の0氏は同年齢、各務原在住で岐阜城登りで鍛えている。現役の時、夫人が乳癌で入院、看病していたが食道に転移、4年前に逝去。子どもや孫と過ごしている。家内の場合のことを話す。

 18時、相部屋の5人と食堂で夕食。生ビールを飲みながら食べる。一般の旅館と同じようにたくさんの品数が出てきた。食事が終わる頃、主人の梨子田満さんが中央に立って、当旅館とご神体である明神岳と穂高岳について説明する。

「ここの神様は海神(わだつみ)で、アマヅミ、安曇(あづみ)、渥美(半島)、熱田(神宮)、熱海は何れも海神と繋がっている。人の名前でも海部、安住、和田は同系。3~4世紀にかけて藤原氏は日本風土記を編纂しているが、そこでは彼らを抹消しようとしている。安曇一族は志賀島一帯から全国に移住していた。明神館では毎年10月8日10時に御舟祭を行う」

食後、2階の壁にある手書きの案内を読む。

「江戸時代、当館のある一帯はトクゴウと呼ばれていて樵小屋は徳本小屋と呼ばれ、松本藩の役人宿だった。明治になって牛の番小屋になり、ウェストンも峠を越えてここで泊まっている」

すっかり観光化した上高地も、こうした謂れを聞くと面白くなる。

                        

              Tokugo Touge hike  in Nagano pref.

This route was the only way to Kamikouchi until road was constructed in1933.

.W.Weston(Japan alps pioneer) hiked in 1893 with guide Kamonji.

1.AccessBus is better. Highway bus reservation(0261-72-8255)5700yen

Nagano expressway MatsumotoICnational road158,Shimashima

2.          AccommodationTokugouTouge lodge(need reservation090-2767-2545) one   night two meals9000yen

                          MyojinKan(0263-95-2036)one night two meals8400yen

3.          InformationMatsumoto city Azumi branch(0263-94-2307)

4.SeasonJul to Oct

RecordsJul22

4:30-6:00    Walk from Shimashima(724m) to Futamata(930m).

6:05-10:20   Walk cross river many times to Iwanadome lodge and take meal.

10:50-14:35  Climb to TokugouTouge lodge(2135m).

14:45-16:00  Down to Kamikouchi MyoujinKan(1500m) and stay.


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