グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
湯殿山神社から月山、羽黒山へ
1.1996年7月15日~16日
2.単独行
3.宮城交通バス:仙台駅―山形駅¥1840 山形交通バス:山形駅―湯殿山ホテル¥2000
庄内交通:羽黒センターー鶴岡¥940、鶴岡ー仙台¥2500
4.宿泊:湯殿山参籠所1泊2食¥7000
7月15日(月)
仙台は、どしゃぶりの雨だった。
8時過ぎ、バスで駅前まで行き、山形駅行きのバスに乗り込む。出発後、車内の学生や老人は熟睡していた。駅の方は小降りになっていた。鶴岡行き高速バスは2分遅れでやって来た。
既に乗客がいた。2、3ヶ所、停まってから、山形蔵王ICで高速に入る。車内放送で「湯殿山ホテルでトイレ休憩します」と案内していた。
寒河江で国道112号線に入る。寒河江ダムと月山湖を通過する。
このダムは1990年に完成したロックフィルダムで、土砂を固めている。トンネルを越えると、片道直行になっていた。月山が見え、スキー場だろうか、雪がたくさん残っていた。長さ2620mの月山第一トンネルを通過。
11時半、湯殿山ホテルに寄って10分トイレ休憩をとる。
釣り場があり、虹マス釣り用の練餌を用意していた。長さ1530mの月山第2トンネルを過ぎると、雲行きが悪くなってきた。ブナ林が続く。
14時過ぎ、注連寺前で降りる。拝観料を払ったオバサンに部屋を案内してもらう。
森敦「月山」の舞台。彼は35歳頃、女房が酒田の病院に入院している間、義母に勧められて夏をここで過ごす。寺守の門脇守之助さんに「月山の雪を見るまで」「十王峠が白くなる迄」と言っている内にバスが通らなくなり、翌春までになる。古い和紙の祈祷簿で蚊帳を作って八畳に住む。
繭のような中で天の夢を見て、後年、作品「月山」に紡がれて最長年(62歳)での芥川賞を受けている。寺には鉄門海上人の、木食による即身仏(ミイラ)も保存されている。境内には森敦文庫が出来ていた。
再びバスに乗って戻る。
18時、赤い大鳥居を通って湯殿山参籠所に着く。鳥居には4億円かけていた。
案内役の小林さんに挨拶する。長年、神官を務め、60歳定年で今の仕事についている。まず、風呂に入る。夕食後、同宿の皆と話す。目黒からベンツ車でやって来た夫婦。主人は大津出身。比叡山の僧侶は生臭が多く、祇園町にくりだし、酒も飲むという。Nさん、目黒不動の酒屋の娘だが26歳から巫女の修行をしている。Sさんとやって来たNさんは国鉄機関士だったが、民営化を機に釜焚きからクリーニング業、Sさんは、そのお客さんだった。
山口神官の話しを伺う。出羽三山は、かって鳥海山や葉山をいれたりしていたが、ここ百年で定着した。4年前から、山伏の2泊3日コースが7月と8月に2回ずつやっている。8割がた変人、男性は内向型、女性は外向型が多い。滝修行ではオバサンが肘で押しのけて場所とりをする。明日の登山に備えて先に床につく。
月山(1980m)
地図:国土地理院1:25000月山
昭文社・山と高原地図⑧鳥海山・月山
7月16日(火)
7時、朝食。食後、湯殿山神社に向かって歩き出す。
8時25分、神社に着いたら、巡礼バスが到着。朝食を一緒だった4人が降りてくる。
ご神体の岩に温泉が流れている。撮影禁止だった。胎蔵界大日如来と崇められ、恐れられている赤い大きな岩。鶴岡を出た行者は注連寺に泊まり、ここにやってきて更に月山、羽黒山と進んだであろう。そう思いながら登る。沢には雪が残っていた。
今は紅葉の秋以外の色が揃っていた。雪と新芽と夏の空だが、梯子や鎖を使って登る。
9時20分、尾根の装束場に着く。下界に湯殿山神社が見えた。雪から立ちのぼる水蒸気が雲になって山あいを登っていく。
10時半、日が差してきたが、風も吹き出して冷たい。20人ほどの白装束隊が棒を持って降りていく。カジ小屋付近ではミヤマキンバイが咲いていた。
1時間後、登頂。
残雪の上を歩いているのに頭の方がポカポカしている。首回りが日焼けしたせいだろうか、タオルを首に巻く。近くの月山神社に500円奉納して参拝する。なだらかな尾根を歩く。
13時半、弥陀ヶ原。頭髪が少ない男が歩いて来た。奥さんは目が不自由な障害者。車で全国を旅している。修行者にも会う。
14時10分発のバスに乗って羽黒山ビジターセンターで降りる。有料道路の先から参道になって、大きな杉並木が続く。誰もいなかった。「いしい」で地鶏ソバ(600円)を食べてから、吹越峰中堂に行く。
15時15分、読経が25分続く。途中、羽虫がたかってきたので退却。
16時半、三神合祭殿。
祭壇では巫女が舞い、やがて神官が祝詞をあげていた。鏡池を通過。出羽三山の開祖、蜂子皇子の御陵の前に立つ。
五重塔には寄らずに戻る。芭蕉像と句碑が立っていた。
涼しさやほの三日月の羽黒山
17時、鶴岡行きのバスに乗車。1時間後、到着。庄交モールにはスーパー・ダイエーがあり、ビール、地酒「なまいき」と寿司を買う。18時20発の仙台行きバスに乗り込む。出発後、買ってきたものを食べてから休む。
Gassan(1840.5m) in Yamagata pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access:MiyagiKoutu bus(022-771-5310) from Sendai station to Kattadake peak
2.Accommodation:Yudonosansanroujyo(0235-54-6131)one night two meals7000yen
3.Information:Tougatta onsen tourist center(0224-34-2725)
4.Season:midMay to Oct
Records:Aug26
8:00-8:25 Walk from Yudonosansanroujyo to Yudonosan shrine(920m).
8:25-9:20 Climb to Shouzokuba.
9:25-11:30 Climb to peak.
11:45-13:30 Walk and down to Midagahara.
14:10-14:40 From 8th stage(1380m),take Shounai koutuu bus to Hagurosan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
蔵王山(1840.5m)
1.1996年8月26日~27日
2.単独行
3.宮城交通バス:仙台駅―蔵王刈田山頂¥2210 青根温泉―白石駅¥1060
JR:白石―仙台¥720
4.地図:国土地理院1:25000不忘山
昭文社・山と高原地図⑦蔵王
8月26日(月)
8時30分、蔵王刈田山頂行きのバスに乗る。乗客は登山と温泉目的で8人いた。蔵王案内のテープが流れる。1300年前は山岳仏教の地だった。これから遠刈田温泉まで停まらない。仙台南インターから高速に入り、村田インターで降りる。トウモロコシ畑が多く、茄子などの野菜の他、リンゴやナシが実をつけていた。道路工事で一方通行になった道を通り、段々登っていく。
9時40分、遠刈田温泉に着く。昔、行者達が浸かったところだ。軽装のオバサンとオジサンが6人乗り込む。蔵王エコーラインに入ると、一気に登り出す。この道は昭和37年11月に開通、平成6年に無料となった。表登山口で8人が降りる。名号峰を往復すると言っていた。大黒天を過ぎると、ガスがかかっていた。刈田峠から有料になり、蔵王ハイライン2.5キロをくねくね登っていく。蔵王山頂で降りて、レストランで山菜ソバを食べてから刈田岳まで登っていく。
山頂からの眺めは素晴らしい。南蔵王の山々が見え、下には御釜、えぐられた火口にエメラルド色の池が見えた。硫黄の臭いが風に送られてくる。崖は鉄分を含んだ地質層で、さまざまな色合いになっていた。五色岳というだけある。この地層を鑑定した結果、4000年前のものだった。
戻って熊野岳に向う。馬の背を、御釜を見ながら歩く。頭上に飛行機雲が出来ていた。光線のせいで薄青色と茶色と緑色の雲が見えた。熊野神社を過ぎて頂上の標識に立つ。
山形方面の盆地が見える。ロープウェイがあり、リフトが動いていた。休むことなく、山頂の東端から名号峰に向う。途中、斎藤茂吉の歌碑が立っていた。
みちのくをふたわけざまにそびえたまう蔵王のやまの雲の中に立つ
岩礫地を降りていくと、カラマツが増えてきた。冬になると霧氷になる。
12時30分、追分に着く。ここから峨々温泉への道と上室沢を経て山形市に出る道そして名号峰への道と分かれる。しばらく歩くと、さっき通ったエコーラインと不帰滝が見えた。既に紅葉した木もあった。
潅木林の中を登り降りしていく。なだらかな登りの後、名号峰に着いてしまう。
高度1490mあった。夏休みなのに誰もいない。黄色い花に蜂が群がっている。北蔵王縦走コースの先に雁戸山が見えた。山道は樹林に覆われて見えない。宮城県側は一面ブナ林、山形県側は杉林だった。
石影から突然、栗鼠と鼠の間の子のようなオコジョが現われる。茶色の毛をして下腹は白い。目と尻尾の先が黒い。警戒しながらも、しばらく石の間をチョコチョコ動いている。どうやら餌がほしいようだ。
青根温泉に向けて降りていくと、ハイカーに会う。 群馬からドライブ、峨々温泉で泊まり、登ってきたという。枝に付いた赤テープを頼りに白樺と笹の中を降りていく。湿地に出るとトンボがたむろしていた。
14時25分、猫鼻に着く。延々とブナと笹が続く。蜘蛛の糸が顔にかかり、額に虫に刺されたりしながら藪道を進む。一度、前方に黒いものが見えた。熊かと思い笛を鳴らす。良く見ると黒い枯木だった。ヤブコギを続けながら斜面を降りていくと、川の音が聞こえてきた。
16時過ぎ、県道に出る。物見岩を過ぎ、しばらく歩いていくと看板が立っていた。「青根―峨々間、路面決壊のため当分の間通行止めに致します」確かに車は通っていない。古賀政男詞碑の前の石に座ると、音楽が流れてくる。彼は大沼氏との友情で青根温泉に投宿している。横浜から来た夫婦がいた。長く緊張して降りてきたせいか左足がおかしくなってしまう。
公衆電話を見つけ、東北学院大学セミナーハウスの石川大さんに連絡する。奥さんが迎えに来てくれた。
主人の大さんは民生委員の仕事で帰りは夜になる。2階の部屋「五色」に案内され、早速、風呂に入る。温泉で左足を温めたら、良くなった。今日からサッカー部20人の合宿が始まり、上級生から風呂に入ってきた。
やがて大さんが帰ってきた。ビールと酒を飲みながら話す。やはり、降りてきた道には熊が出るところだった。春、新芽が出た後や秋になって冬眠する前になると民家にやってきてトウモロコシや野苺、果物を食べるという。今日から宮城県の小・中学校は学校が始まるので家族で蔵王に行っている人は県外の人だった。
夕食はサッカー部員と一緒にとる。食後きちっと皿洗いまでやっていた。大さんは野球監督をやったことがあり、東北各地に行って高校生のスカウトもした。ほか戦後の仙台の歴史を教えてくれる。
22時過ぎ就寝。
8月27日(火)
6時30分、目覚ましで起き洗面を済ます。
8時、朝食をいただく。出来たての豆腐、炊きたてのご飯が美味い。食事中の話しは、セミナーでのこと、遠刈田温泉のこと、青山学院のことと続く。東北学院の学長は就任後、必ずフィラデルフィアの本部に行きガウンをもらって来て、卒業式などに使う。食後、しばらくしてから挨拶して辞去する。
9時28分、白石行きのバスに乗る。
10時21分、白石駅。7分後、小牛田行きの電車に乗って仙台に帰る。鈍行なので仙台に着いたのは11時20分だった。
Zaousan・Kumanodake(1840.5m) border of Miyagi pref. and Yamagata pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:MiyagiKoutu bus(022-771-5310) from Sendai station to Kattadake peak
2. Information:Tougatta onsen tourist center(0224-34-2725)
3.Season:midMay to Oct
Records:Aug26
10:35-10:50 Climb from Kattadake peak bus station to Kattadake(1758m).
10:55-11:30 Down and up to Kumanodake(1840.5m).
11:35-12:30 Down to Oiwake.
12:35-13:00 Climb to Myogouhou(1490m).
13:05-14:10 Down to Nekohana.
14:15-15:50 Down to Aoneonsen.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
鳥海山(2236m)
1.2003年7月30~31日
2.単独行
3.レンタカー:2日間¥11550 高速代:往復¥8200 走行456キロ
ガソリン:36.14リットル¥3816
4.宿泊:鉾立山荘:含む布団、ガス代¥1995
5.温泉:あぽん西浜¥350 ねむの丘90分¥350
6.地図:国土地理院1:25000鳥海山
昭文社・山と高原地図⑧鳥海山・月山
7月30日(水)
12時30分、仙台東急ホテルにチェックインして直ぐマツダレンタカーに行き、会員カードとクレディットカードを預けておく。登山準備後、コンビニで食糧を調達して戻り車に乗る。雨が降っていた。
13時35分、出発。仙台宮城ICから東北自動車道を走行、村田JCTから山形自動車道を走る。笹谷トンネルを越えると晴れ間が見えてきた。月山から国道112号になる。高脚の上を走り、トンネルを何度も越え、湯殿山ICから高速に戻る。鶴岡、酒田を迂回し国道7号を走る。
16時、遊佐の道の駅「ふらっと」に駐車。
海産物売り場で雲丹と岩牡蠣を捌いて売っていた。オバサンがナイフで岩を割っている。一つ食べてみると、肉厚で新鮮さが口から喉、胃にしみわたっていく。レストランで牡蠣丼を食べる。トマトや漬物を買い、半切りの西瓜を買おうとしたら、「これ持っていきなさい」と、皆で食べた残り半分をいただく。
吹浦の町に入り 「あぽん西浜」で汗を流す。「あぽん」とは「母親と幼子が一緒に風呂に入る」という意味の方言だった。屋外に無料の「湯の足」施設があり、足を湯に浸かっている人がいた。
1973年に開通した鳥海ブルーラインを登っていく。途中、観光バスと擦れ違う。
18時過ぎ、鉾立山荘。管理人阿部晃さんに2階の一室を案内される。カメラ好きのようで日没風景を撮りに近くの見晴台に行くので付き合う。遠くに鳥海山が見え、日本海と象潟が見えた。
60万年前の噴火から始まり、日本海から12キロの頂上までの山を造って来た。大阪からの カメラマンが車から出てカメラを担いでやって来た。
19時、NHKニュースを観ながらレンジで暖めたものを食べる。阿部さんは今年から働いている。それまで石工や出稼ぎをしていた。麓の関村出身で、出勤時、元滝伏流水の近くから水をポリ容器に入れて飲めるようにしていた。さっき帰って行った観光バスは山口県のハイカーで、仙台空港に行き飛行機で帰る。午後まで雨が降っていたという。昨日は救助ヘリコプターが出動したそうだ。カメラは数年前から始めており、いろんな写真集が置いてあった。写真家青野恭典さんは今朝、白神山地に向かったそうだ。彼が寄贈した写真集2冊を観る。東京出身だが、東北地方に入れ込んでいた。
登山に際して注意すべき箇所を聞いておく。視界が悪い時は戻る勇気も必要だった。鳥海山が何故山形県のみかを教えてくれる。幕府側だった秋田県を官軍側についた山形県が分捕った経緯があった。
20時、布団を敷いて寝る。他には泊まっていなかった。
7月31日(木)
3時30分、布団をたたんで階下に降り、お湯を沸かしてポットに入れ、菓子パンとコーヒーで朝食を済ます。外に出て洋式便器で排便。車に泊まっていたお兄さんがトイレにやって来た。日の出の写真を撮るためなのだろうか。
車に不要なものを置いていく。薄明るくなってきた。
4時30分、登山届を書いてから登る。階段式の遊歩道を登ると展望台に出る。そのまま通り過ぎ、幅の広い平坦な石畳の道をどんどん歩く。足元に花を見つけるとカメラを向ける。チングルマが咲いていた。休んでいたハイカー2人に会う。24時間営業の「あぽん西浜」で仮睡してきたと言う。犀ノ河原を過ぎ、やや登っていく。前方はどんどん霧が晴れていく。ハクサンシャジンやイワヒゲ、クルマユリ等花が増えてきたところで小屋が見えてきた。
5時55分、御浜小屋の脇を通る。外に出ていたオバサン達は東京から団体で来ていた。花畑で一休みする。扇子森まで登り、御田ヶ原に降りていく。ニッコウキスゲが一面咲いていた。再びゆるい傾斜を登っていくと足元にウスユキソウが、草原にコバイケソウが咲いていた。無言で追い抜いていった青年の後に続く。
七五三掛(シメカケ)で一服してひと登りしてから千蛇谷コースを降りていく。梯子を降りると雪渓に出る。
年配の人に会う。2回、雪渓を渡った後、登っていく。黄色いミヤマキンバイや紫色のヨツバシオガマに出会う。
暗闇青年に追いつき追い越す。ジグザグに登って御室に着く。休むことなく岩場に取り付き、矢印を頼りに登る。一度、割れ目になった岩底に降りて登り返す。「世界人類平和」といった落書きが煩わしい。
8時15分、鳥海山登頂。しばらくしてやって来た暗闇青年に証拠写真を撮ってもらう。青年は直ぐ降りてしまう。
狭い岩場でオニギリとトマトを食べ、お茶を飲む。風もなく日差しが強くなって来た。周りは雲海で覆われていた。20分後、出発、御室に戻り、外輪山コースをとろうと、大物忌神社の神官に確認すると「通行止め」と言われる。荒ぶる神様に登頂御礼のお参りを済ませ、逆らわずに元の道を戻る。しばらくして御浜小屋からの団体が休みをとっていた。リーダーらしき人に通行止めの理由を聞いてみた。「崩壊箇所ができたが、迂回すれば大丈夫」今更戻るわけにいかない。スイカをいただく。
雪渓をホイホイ降りていく。シラネニンジンだろうか白い花が草原から顔を出していた。
9時40分、カメラマン達が雪渓を撮っているところで一休みする。青野氏のことは良く知っていた。雪解け水に西瓜を浸して冷して食べる。
七五三掛に戻ると御浜小屋の方まで良く見える。続々とハイカーが登ってくるが、日差しが強いので早朝のような具合にはいかない。扇子森で振り返ると雲一つない空の下、鳥海山の全貌が見えた。
「鳥ノ海」池を左手に見ながら御浜小屋に着く。小屋はモヌケの殻だった。
犀の河原の奥で残飯を食べる。半ズボンになって降りていくと、中高年3人に抜かれる。お腹が落ち着いたところで抜き返す。後は一気に降りていく。雲海の下は涼しかった。
12時15分、下山届を書いて山荘に行く。年配の管理人に挨拶して冷しておいた西瓜を食べる。15分後、車に乗り込み象潟に向かう。道の駅「象潟」に駐車。4階の「眺海の海」に行く。飛島が見える風景は雄大で身も心も洗われる。
夏の海飛島眺めし湯浴みかな
入浴後、枝豆を食べながら生ビールを飲み、青々した象潟の九十九島と鳥海山の麓を眺める。
14時過ぎ、ローソンの角を左折、線路を越えて蚶満寺(カンマンジ)に入る。
猫が5、6匹たむろしている。本堂は葬式の準備中だった。
左手から奥に行く。北条時頼が植えた樹齢700年のツツジ、西行法師の歌桜、そして舟つなぎの石を見て行く。
水田の前方、島だったところに松の木が生えていた。1804年の大地震で一帯が隆起してしまったのだ。芭蕉句碑は寺院の近くに立っていた。1763年建立。この寺には西行の他、一茶や正岡子規も訪れている。
象潟の雨や西施がねぶの花
国道7号に出たが、遊佐に入る前で渋滞にはまる。20分以上かかって道の駅「ふらっと」に行き、トイレを使う。序にラーメンを食べて渋滞の中、10分かけて工事中の道を抜け出る。仙台のレンタカーに戻ったのは18時15分だった。
Chokaizan(2236m) border of Yamagata pref. and Akita pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Yamagata expressway SakataIC→national road7.pref210
(Choukai blue line),Hokodate lodge
2.Accommodation:Hokodate lodge(090-3124-2281)no meal with Futon,Gas1995yen
3. Information:Yusa town(0234-72-3311)
4.Season:Jun to Oct
Records:Jul31
4:30-5:55 Climb from Hokodate lodge(1150m) to Ohama lodge(1700m).
6:00-7:00 Climb to Shimekake(1820m).
7:10-8:15 Climb to peak.
8:35-12:15 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
栗駒山(1628m)
1.1997年6月28日(土)
2.交通:JR仙台―石越\1280 栗原田園鉄道:石越―栗駒¥880
宮城交通バス:栗駒―イワカガミ平¥1220 須川温泉―一ノ関¥1450
JR一ノ関―仙台¥1620
3.地図:国土地理院1:25000栗駒山
昭文社・山と高原地図⑥栗駒・早池峰
6時30分、仙台東急ホテルを出て早足で駅まで行く。7番線ホームで一ノ関行きを待つ間、立ち食いソバを食べる。
6時51分、出発。車内放送で前2両が一ノ関と案内していたので前に移る。小牛田で10分停車。その後は車掌もいなくなり、乗り降りは手動でやる。瀬崎で「カナン宮城TRACK&FIELD」と書いたジャケットを着た高校生がどっと降りていく。
8時8分、石越駅で栗原田園鉄道に乗り換える。8分後、ワインカラーの車両一両が出発。前方が入り口で、バスと同じように料金表と整理券、運賃箱がおいてあった。
8時45分、栗駒駅に着き、トイレに行っておく。
9時10分、バス出発。車内にはハイカーが1人いた。テープによる栗駒解説を聞く。
「複式コニーデ型の火山で古くからの信仰の山です。山の名前は、残雪が馬の形をしていること、麓で栗毛の駒(馬)を飼っていたことから栗原郡の駒ヶ岳という意味で付けられました。水芭蕉と岩鏡など高山植物の宝庫で、一帯には熊、カモシカ、駒鳥、仏法僧、オオルリなどがいます」
20分ほどして登りに入る。栗駒ダムを過ぎてからは一車線となり、対向車が来ると交差できるところまで移動する。ダムは昭和25年から11年かけて建設、貯水池はまだ高さ4、5m余裕があった。高さ20mある行者滝を通る。この山も山岳信仰の山で、現在、ここはパワースポットになっている。
山間には靄が上っていく。この辺の高原ではナメコ、苺、大根を栽培している。途中、駒の湯温泉まで寄り道してから登っていく。何度も曲がって高度を上げる。
10時20分、イワカガミ平で降りて東栗駒コースをとる。
藪の中の小道で溝状を登っていくと、運良くハイカーが降りてきたので挨拶し、注意点を聞く。
「大きな沢に出たところでわかりにくいけど、しばらく沢に沿っていくと右手に道が見えます。いつもは水量が少ないけど、今日は気をつけた方がいいです」
鴬の鳴き声が聞こえていた。段々と霧が晴れてウラジオヨウラクの花が見える。
11時、沢を越え、潅木帯からハイマツの交じる砂礫帯を登る。30分後、東栗駒山に出る。ハイマツやトドマツは風下に向って枝を伸ばしていた。鐘の形をしたアカモノの白い花が可憐だが、葉がたくましい。左手に栗駒山を見ながら、広い尾根を周っていく。一帯は秋になると真紅に色づくドウダン類、黄色に変わるカエデ、ハイマツの緑で紅葉が日本一と言われるところだ。
途中、笊森コースとの分岐点を過ぎ、一気に登る。
12時30分、登頂。
団体のハイカーがいた。仙台からの日帰りツアーで、昼食・温泉付きで7500円、須川から登ってきた。この山は岩手県側では須川岳、秋田県側では大日岳と呼んでいる。レインウェアを着てオニギリを食べる。食後、天狗岩を過ぎ、須川コースを降りていく。
昭和19年の爆発で出来た昭和湖で人に会い、写真を撮ってもらう。
イワカガミが群落していた。名残ヶ原の湿原を通っていく。
13時40分、須川温泉が見え、お婆さん2人に会う。塩釜から一週間湯治にやってきたけど、ふやけてしまったので歩いてきたという。団体に紛れて温泉に入る。お湯が熱いので15分で出てしまう。靴を履こうとしたら、イワカガミ平までのバスで一緒だったハイカーに会う。中央コースをとって登ってきたという。
14時45分の急行バスに乗る。8人の乗客の内5人が会社の同僚。谷あいはガスに包まれひっそりとしている。砂防ダムを通過、国道342号線をくねくね曲がりながらブナ林の中を降りていく。後ろに車が続くようになると、脇に止まって追い越させていく。矢びつ温泉で一度停まる。30キロ走って巌美渓を過ぎていく。1時間後、田んぼが見えてきた。
16時30分、一ノ関駅。
16時42分発、仙台行きの電車に乗る。小牛田で車両を連結。松島駅で、荷物カートを転がしてきたオッちゃんが近くに座り、携帯電話を使って家に連絡。新幹線を予約させ、ホームで会う手筈をとっていた。その内、トンネルに入り聞こえにくくなったせいか、「コラお前、耳が悪いんか、頭が悪いんか、良くキケ!」と怒鳴り出す。
18時28分、仙台駅。ホテルに戻り、テレビを観たら、神戸の小学生殺人犯が逮捕された。中学3年のAだった。
Kurikomayama(1627m) border of Iwate pref., Miyagi pref., Akita pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access:Sendai-Ishikoshi by JR,Ishikoshi-Kurihara by Kurihara denen
Tetsudou, Kurihara-Iwakagamidaira by Miyagi koutuu bus(0228-45-1615)
SugawaOnsen-Ichinoseki by Iwate koutuu bus(0191-23-4250)
Ichinoseki-Sendai by JR
2.Information:Kurikoma city Denenkankouka(0228-22-1151)
3.Season:May to Oct
Records:Jun28 HigashiKurikoma roue and Sugawa route
10:25-11:30 Climb from Iwakagamidaira(1100m) to HigashiKurikomayama(1434m).
11:35-12:35 Climb broad ridge to peak and take snack.
13:00-14:20 Walk ridge to Tengu rock and down to Shouwa lake(1285m), Nagori marsh (1160m)and Sugawa Onsen(1120m).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
早池峰山(1913.6m)
1.1999年7月30日
2.単独行
3.仙台―新花巻(新幹線)¥5040 新花巻―河原坊(バス)¥1340 河原坊―花巻(バス)¥1450 花巻―仙台(JR)¥2520
4.地図:国土地理院1:25000早池峰山、高檜山
昭文社・山と高原地図⑥栗駒・早池峰
7月30分(土)
5時過ぎに起きて仕度。6時のニュースで天気予報を確認してから出る。仙台駅で新幹線に乗ったら、自由席は満席。土曜日のせいか。それでも栗駒高原駅で座れた。
9時16分、新花巻駅着。駅前のバス停留所でしばらく待っていると、大型バスがやってきた。花巻から十人程乗っていたが、座って行けた。山中に入ると、ニホンカモシカの挨拶を受ける。河原坊に着く。
深田久弥「日本百名山」によると、昔、快賢という僧が早池峰に詣で、ここに寺を建て河原ノ坊と呼んだ。その後、洪水で寺は流失したが、その名前が残っている。宮澤健治の詩碑があった。彼は、ここから早池峰山に登っている。
「おお青く展がるイーハトーボのこどもたち グリムやアンデルセンを読んでしまったら
じぶんでがまのはむばきを編み、經木の白い帽子を買って、この底なしの蒼い空氣の渕に立つ巨きなお菓子の塔を攀ぢよう」
11時、登山口を出発。1時間ほど川に沿って登る。サラシナショウマが咲いていた。
岩場に出ると日差しが強く汗が吹き出てくる。霧に覆われていた山が頭上に現れた。4、5人に追い抜かれていくが、マイペースで登る。ハヤチネウスユキ草にも会えた。
岩石の間に生えている葉は厚みがあり、したたかさを感じる。スイスに咲くエーデルワイス(高貴な白)に似ているが、ここでは薄雪色の花を咲かせる。ここの岩は蛇紋岩の仲間カンラン岩で、酸化マグネシウム分が多く含まれて栄養分が少ない。日本でも最も古い地層だ。
盛岡から来た小学生の一団を抜いていく。一山越えたが、更に登る。鎖場を過ぎ、巨岩の間を登る。
13時40分、早池峰山登頂。
風も冷たい。レインウェアを着て、オニギリをパクツク。やがて小学生達も辿り着き、弁当を食べ、写真を撮って降りて行く。3人の女性がやってきた。祠の前に並んで立ち、手帳を取り出して歌を歌い、中年男が法螺貝を吹き出す。
興味深げに近寄って聴いていたら、一冊のパンフレットを出して教えてくれる。東京自由大学夏合宿のコースで参拝にやってきた。目を通していると、見覚えのある名前、K先生があった。「この人の本を読んだことがある」と言ったら、本人だった。髪の毛を無造作にしていて、動きも若々しい。着ているTシャツはチェンマイで買ったもので、胸の緑色の草は大麻を描いていた。
一緒に降りながら、東京自由大学のことや文化人類学、山口昌男先生のことを話す。彼も一時、静岡大学の口があったが、派閥の関係で行けなかった。(2008年から京大教授)東京自由大学には、丸紅の課長とか教員等奇人変人が集まる。同行のIさんは、大学レターの編集を担当している。以前、中央大学でN教授のゼミにいたが、生徒を馬鹿呼ばわりし、言動についていけないので、実践派のK門下に入っている。来年には、奨学金でブリティッシュコロンビア大学の大学院に留学、イロクォイインディアンについて研究する。小柄だが元気溌剌として、話も面白い。民族紛争を解決する手立てを見つけたいという。鉄梯子を降り、木道や岩場を歩く。
見晴らしの良い所でK先生が法螺貝を吹く。岩肌にミヤマオダマキが咲いていた。
オオシラビソの樹林帯に入ると道も緩やかになる。
16時、小田越峠。大鳥居の前で法螺貝を吹き、二拍して一礼する。
見上げると、山容が現れていた。休憩中、先生の足裏をタイ式でマッサージする。思い出しながら壺を押さえていったが、余り効果はなかったようだ。30分後、歩き出す。Iさんは、かって一週間ほど河原坊の山荘でアルバイトしたことがあり、湧き水のことを知っていた。ブナ、ダケカンバの中の舗装道路を歩く間、ずっと蜻蛉と付き合う。
峠越え神楽舞台に蜻蛉舞ふ
早池峰や神楽の祭り霧の中
17時20分、バスに乗って帰る。I先生が法螺貝を吹いて見送ってくれた。メンバーは、この後、峰南荘に泊まり、明日、早池峰神社例大祭を見学する。国の重要無形民族文化財になっている神楽だ。
20分後、早池峰神社の前を通る。見物客で混んでいた。ここはかっての妙泉寺で明治維新の神仏分離によって廃寺にされてしまったところでもある。早池峰山は霧に隠れていた。北上川を渡っていく。
新花巻で客の半分が降り、花巻駅には18時52分に着いた。帰りは鈍行。一ノ関まで行き、乗り継いで仙台に戻る。22時半だった。
Hayachinesan(1913.6m) in Iwate pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus is available from ShinHanamaki staion(Shinkansen) to Kawaranobou by Iwatekenkoutu(019-651-3355)
2. Information:Hanamaki city office(0196-24-2111)
3.Season:Jun to Oct
Records:Jul30
11:00-11:50 Climb from Kawaranobou(1050m) to Koubegouri(1440m).
11:55-13:40 Climb to peak and take meal.
14:10-16:00 Down to Odagoe(1240m). Take bus to Hanamaki station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
岩木山(1624.7m)
1.1999年9月9~10日
2.単独行
3.交通手段:長距離バス 仙台=弘前\8000 弘前―神社¥620 リフト\410 岳温泉―青森銀行記念館前¥840 青森銀行記念館前―弘前¥140
4.宿泊:弘前プリンスホテル¥6200 青森銀行記念館¥200
5.地図:国土地理院1:25000岩木山、十両沢、種里、枯木平
昭文社・山と高原地図④八甲田・岩木山
9月9日(木)
12時半、仙台東急ホテルにチェックイン。直ぐ弘前行きのバスと宿泊先を予約しておく。近くのコンビニでビールや行動食を調達。シャワーを浴びて登山準備してから出かける。
16時、広瀬通り、平安閣の向い側に宮城交通の高速バス発券場があり、往復切符を購入。出発10分前にバスが来て乗り込む。
16時30分、出発。広い窓、高い位置からの眺めは格別。芭蕉が辿った時とは異なり、リクライニングを倒しながら、夕焼けに写る景色を眺める。稲穂の田んぼ、山の輪郭、ピンク色の雲。風速ゼロ、気温25度の中を走る。途中、前沢サービスエリアでトイレタイム。オニギリ弁当を食べて休む。
20時20分、弘前に着き、駅に近い弘前プリンスホテルに泊まる。朝食は7時からなので、抜きにする。408号室にはテレビ、風呂のほか湯沸器がついていた。ビールを飲んで寝る。
9月10日(金)晴
6時前に目が覚め、カーテンを開けると岩木山がドーンと見えた。7時20分発のバスに乗って岩木山神社で降りる。
白半纏を着た参拝者が大勢いた。神社は大己貴(オオナムチ)命が降臨し、土地の女神と夫婦となって国を治め、アソベの森に宮を建てたのが始まりと言われる。国宝建造物になっている赤門の手前の脇に登山道入り口があった。
8時、杉木立の参道から桜林を抜けて陸橋の下を通り、百沢スキー場に出る。既に日差しが強い。中年女性ハイカーを抜き去る。石切沢を渡ってから急な登りになる。次第に彼女が近づいてきた。「カラスの休場」で一息ついていたら、先に登っていく。しっかりとした足取りは素人ではない。財布をリュックに入れ、水を補給してから登る。今朝は、やたらと下山者が多い。3日間の行事が終り、御来光を拝んできたという。鼻コクリの急坂を登ると視界が開け、姥石に出る。女人禁制の時代には、ここまで女性が登れたところだ。
姥石から再び急登になり、汗を拭きふき登る。途中で出会った中年夫婦は、昨晩、仙台から車で来て、お神楽の演奏を聞き、早朝登山の帰りだった。主人は登山暦40年、既に百名山を登りきっていた。
10時、焼止りヒュッテ(標高1067m)。薊やミチノクコザクラの木が目につく。沢を登っていく。「坊主ころがし」ではアルミ製の梯子を登っていく。風が気持ちいい。錫杖清水が右手にあった。水を補給する。
炎天下岩木の水に生きがえり
大沢を登りつめると小さな池に出る。かって種蒔苗代と呼ばれていた。その年の豊凶を占うため、紙に包んだ米をこの池に投げ、沈めば豊作になると言われている。ジグザグに登って鞍部に達する。ブロック造りの鳳鳴ヒュッテが建っていた。
ここには、8合目まで車でやってきたような身軽な人たちがたむろしていた。オニギリを食べてから一山登る。浮石が多く登りにくい。
12時40分、登頂。
展望は良いが、八甲田山の方は靄っていた。帰りの時間が気になり、直ぐ降りていく。ヒュッテから10分、リフトに乗ってバス乗り場に降りる。
今月まで臨時バスが出ていて13時45分発がある。それまで一休み。ベンチで休んでいる人は、朝方追い抜いていった女性ハイカーだった。東京から夜行で来ていた。百名山の内これで88登ったことになるという。流石だ。
他に地元のオバサン達グループがいた。最初、韓国人かと思ったが津軽弁。日本海に面した車力村の人達で、ゴヘイ餅をご馳走になる。美味い。津軽弁でメジャーと言った。写真を一緒に撮って別れる。
バスでは、運転手の後ろに座る。昭和40年に出来た津軽岩木スカイラインをジグザグに降りていく。昭和39年1月に遭難した大館鳳鳴高校生6名のことを想う。樹齢百年以上のブナ林が続いていた。体育の日を過ぎるとこの辺も雪が降り出すという。
14時10分、嶽温泉。ここから15分後に弘前行きのバスが出ている。雪隠と書いたトイレがあった。
道路脇で蜂蜜、ニンニク、小ナス等を売っていた。リンゴは1個百円。
バスに乗って弘前に向う。岩木山が見えた。
りんご園が続き、向日葵が見事に咲いていた。いつの間にか岩木山には雲がかかっている。青森銀行記念館前で降りて入る。記念館は第59銀行本館だったところで国の重要文化財。明治37年、堀江佐吉が設計施工したルネッサンス風建築で、壁は素焼きの瓦の上に漆喰を塗り重ねて防火の工夫がされている。
窓枠には板木があり、板木に付けた分銅がぶらさがっていて、これで開閉できた。館内には江戸、明治時代の貨幣や渋沢栄一の青森地区銀行設立趣意書などが展示されていた。再びバスに乗って弘前駅に行く。
16時45分、宮城交通の長距離バスが出る。国道7号線から高速に入り、途中、岩手山SAで休憩。仙台駅前には予定より15分早く、20時50分に着いた。
Iwakisan(1625m) in Aomori pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus is available from Hirosaki station. Kounan bus(0172-36-5061)
2.Accommodation :Hirosakiprince hotel 6200yen
3.Information:Hirosaki city Iwaki chousha(0172-82-3111)
4.Season:midJun to Oct
Records:Sep10
8:00-9:00 Climb from Iwakiyama shrine(170m) to Karasunokyuujyou.
9:05-10:00 Climb to Yakedomari hut(1067m).
10:05-11:00 Climb to Tanemakinawashiro pond.
11:05-11:45 Climb to Ohdatehoumei hut(1440m) and take meal.
12:10-12:40 Climb to peak.
12:45-13:15 Back to Ohdatehoumei and down to lift station and take lift to 8th stage(1250m) .
13:45 Take bus to Hirosaki city.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
羊蹄山(1898m)
1.2000年8月15日
2.レンタカー:18リットル(¥1928)+¥14516(一日¥13500+保険)
3.その他:有島武郎記念館¥420
4.地図:国土地理院1:25000羊蹄山
昭文社・山と高原地図②ニセコ・羊蹄山
前日午後6時半、マツダレンタカーに寄って車を確保しておく。夏休み、車は1台しか残っていない。マニュアル式のファミリア1500ccで2100キロしか走っていない。明日の準備をして床についたが、午前零時迄ウトウトしていた。
8月15日(火)
3時半に起き、4時に出発。 陸橋を越え、直線を走る。前の車が時速80キロから100キロにスピードアップしたが、そのまま80キロで走る。国道276号に出て支笏湖畔に出る頃から薄明るくなった。美笛峠のトンネルを過ぎると霧雨になり、しばらくワイパーを動かす。喜茂別町で左折、230号線を走り、留寿都村で道々66号へ右折、真狩村に入る。果てしなく続く緑の世界を区切った道を走って、自然公園入口で右折、キャンプ場は既に朝を迎え、テントから人が出てきていた。砂利道になったところで登山者用の駐車場があった。
5時40分、入山届を書いて出発。 鬱蒼とした森の中、柔らかな土を踏みしめながら登る。蝦夷松、椴松の他、落葉樹が交ざっている。登山道はクワガタムシの通りだった。2合目からシラカバ林に変わる。
6時半、3合目で水入り。再び霧雨になってきた。ジグザグ道を登る。笹原を過ぎて大木に4合目の看板がかかっていた。
レインウェアを着ていたら、下からカップルがホイホイやってきた。後についていくことにする。
7時40分、5合目で一緒に休む。
男の名前はアン・パサン、ネパールのシェルパだった。日本に14年前にやってきて7年間、世田谷、他に大阪等に住んでいた。ヒマラヤ観光の宮原さんを知っている。10月には仕事でネパールに帰る。同行者は札幌のフィットネスクラブのインストラクター。足腰がしっかりしているわけだ。彼女の運転で前日、自然公園に泊まっていた。
引き続き樹林の中をジグザグに登っていく。途中、大きなイワベンケイの写真を撮っていたら、タイツ姿の青年に追い抜かれる。
やがて展望が開け、岩場に出る。瓦礫にはウメバチソウ、イワギキョウといった花が咲いていた。
頂上と避難小屋との分岐点を過ぎると9合目。雨が振り出し、風も強くなってきた。
9時45分、火口壁に出ると、風雨が強く、視界も悪い。雨具を用意していない2人は戻っていく。岩場経由の登頂は危険なので、距離の遠い反対側を行く。風に吹き飛ばされないように登っていく。山小屋の跡、コンクリの残骸が残っていた。かって気象観測所だった所だ。風を除けて完全武装し、オニギリを食べ、お茶を飲んで身体を暖める。
一反、降りてしまい、道なりに歩いて外輪山に達する、その後は、更に視界が悪い。
10時半、登頂。1893m。巨岩が積み重なっていた。
奥130mに最高峰があった。2万年前の火山活動を想う。15分経っても誰も来ない。帰りは外輪山尾根に沿って行く。イワギキョウ、イワウメが咲いていた。
夏風や羊蹄山頂花盛り
尾根を降ると、寒さも和らぐ。ナナカマドが赤い実をつけていた。
軽装の父子と擦れ違う。次第に明るくなってきた。ダケカンバの木と枝が曲がっている。
その一つ、座り易い木に腰掛けて食べる。
12時半、6合目通過。時折、微風が通ると葉に溜まった雫がパラパラと落ちてくる。
夏の山虫さんざめき耳鳴りす
4合目を過ぎたところで、娘を連れた若夫婦に出会う。捕虫網を持ったパパが蝶や虫を探していた。濡れ道になり、ストックを使いながら降りて行く。
15時前、登山口に戻り記帳する。今日は、ここから8組が登っていた。キャンプ場の水場で靴を洗い、水を補給して出発する。
15時半、有島武郎記念館に着く。羊蹄山が半分見えていた。
中に入ると、影響を受けた人達、家系等の展示の中に、映画「或る女」に出演している長男森雅之の写真があった。 孫がJALに勤務していることを思い出す。
16時、出発。今度は羊蹄山を回って行く。倶知安に入る手前を右折、 近道を通る。途中、新しい温泉場があったが通過。余り時間もないし、気持ち良くなって疲れが出て運転に差し障りがあっても良くない。 単調な道を70キロ台で走っていると眠くなる。歌を歌ったり、口をパクパクさせながら、苫小牧に辿りつき、三菱ガソリンスタンドで満タンにして返す。
Youteizan(1898m) in Hokkaido
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. From Chitoise city Dodo16,national road 276,230,dodo66,right to Makkari Nature park
2. Information:Makkari village office(0136-45-2121)
3.Season:Jul to Sep
Records:Aug15 Makkari route
5:40-6:30 Climb from gate(398m) to 3th stage.
6:35-8:00 Climb to 6th stage.
8:00-9:45 Climb to crater wall where is different weathter.
9:45-10:30 Walk to peak.
10:35-12:30 Back the same way ,take meal and down to 6th stage.
12:30-14:55 Down to starting point.
グランパの山歩き [登山mountaineering]
福岡・若杉山(681m)
1.2004年2月10日
2.単独行
3.バス:薬院=博多¥360 JR:博多―城戸南蔵院前¥360 篠栗―博多¥360
4.地図:国土地理院1:25000篠栗、大宰府
昭文社・山と高原地図64福岡の山々
5.ガイドブック:新・分県登山ガイド39福岡県の山
2月10日(火)晴
6時35分、バスに乗って博多駅に行き、9番ホーム、直方行きの電車に走り込む。
7時2分、出発。乗客は目をつぶってじっとしている。篠栗から山間に入っていく。
7時31分、城戸南蔵院前駅で下車。駅員に若杉山への道を確認すると、篠栗から登る道しか知らなかった。ここには篠栗88ヶ所霊場の1番札所、南蔵院があった。分県登山ガイドを見ながら国道201号線に沿って歩く。林道を左折、JRとバイパスの下をくぐり、74番札所から53番の円通寺を通過、子安観音から階段を登ると55番札所に出る。更に林道を歩いて登っていくと特別養護老人ホームが終点だった。係員に聞くと、「ここら一帯は私有地で道はない、戻るしかない」。軽自動車が納入にやって来ていた。
8時30分、55番に戻り、腹ごしらえする。来た道を戻っていくと、若杉山への標識を見つける。見落としていた。63番から29番への遍路道を辿る。65番の三角寺を通り、杉林の中を登っていく。
山の名前は、神宮皇后が戦勝を香椎神社に祈願して鎧にさした杉の枝をこの山に植えたという伝説に基づくという。残雪が現われた。
9時45分、夫婦杉に出る。
黒田藩が48村の大庄屋に24万本植樹させた中で残ったもの。
再び林道に出て登っていく。林道蛇谷線開設記念碑が建っていた。セメント道を登る。遍路道が続いていて小さな石堂があった。
三郡山への道に出て左折して頂上に向かう。
女性2人が地蔵様に向かって合掌していた。
奥の院への分岐点を左折、無線中継所に向かう。
10時15分、登頂。ここから三郡山を経て宝満山まで5時間かかる。奥の院に行き、店のオバサンに「はさみ岩」への道を訊ねる。昨日まで残雪で車が通れなかった、今日は大阪からの人も来ていた。
太祖神社を歩いてから階段を降りていく。弘法大師が修行したと伝えられる岩窟には、しゃがんで通る。
はさみ岩は、横向きになって太い鎖を使って通る。
上宮から戻る。道の脇には、願紙のついた串が林立していて異様だった。
オバサンが古いものを回収して束ねていた。「芽が出ると浮き出て危なくなるんです」
奥の院の下から楽園への遊歩道を降りて行く。雪が凍っているのでストック2本を使う。本道に出てからも膝を痛めないように降りて行く。
楽園には金剛頂院があった。弘法大師ゆかりの寺だが、キッチュな感じで馴染めない。
女性信者向きなのだろうか。九州88ヶ所霊山になっていた。歩道を降りていくと、急に視界が開け、志賀島と能古島が見えた。
高度270mまで降りていた。車道に出て歩いていたら、電線の補修をしている車が停まっていた。頂上で見た車で青年が立っていた。声をかけて通る。
山間に「若杉の湯」があり、車が10台位駐車していた。
未だ新しい温泉場、あと1時間余裕があれば寄っていけたが、通過する。途中、軽自動車や犬を連れて散歩している老夫婦に聞きながら駅に向かう。右手に溜池を確認し、いくつかの道を横断、線路脇の道を右折して駅に戻る。
12時17分発の電車に間に合った。単線なので柚須駅では快速電車の通過で4分待たされる。
12時38分、博多駅到着。黒田節を舞う銅像の近くで11番バスに乗る。ホテルに戻って直ぐ風呂を沸かして入り、荷物をパッキングする。福岡空港に着いて出発前に、ここから見える山を眺める。近くの油山から脊振山、宝満山、若杉山、今日は見えなかったが福智山。低山ではあるが、それぞれ由緒があった。
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
トムラウシ山・大雪山縦走②
忠別岳(1962.6m)
地図:国土地理院1:25000トムラウシ山
昭文社・山と高原地図③大雪山
7月24日(土)
外は突風と雨だった。朝食をとって6時に出る。20分かけて尾根に戻り、広い尾根を登っていく。
7時45分、忠別岳登頂。
吹きすさぶ中花見つつ忠別越え
可憐な花が突風にもめげないでいるのを見ると励まされる。タカネオミナエシ、ヨツバシオガマ、チングルマなどを見つけながら歩く。忠別沼を過ぎると、右手の方に崖が続き、雪渓も残っていた。
9時45分、平ヶ岳の脇を通る。崖下に群青色の沼が点在していた。秘境のおもむき。
コーヒーを飲んで身体を温めてから歩く。
横なぐる風に耐へ行く夏の尾根
続く高根ヶ原は徐々に登っていき、ひたすら足を前に進ませるだけで通り過ぎる。平たい岩を敷き詰めたスレート平を通過。雨も強くなる。斜めに登っていく。
11時40分、白雲岳避難小屋。2階の16~18の番号に座る。身体一つのスペースだった。2階だけで33人泊まれる。水場は30m先と言われたが、とんでもない距離。冷雨の中、ロープに沿って降りて確保。ラーメンを食べた後、一休みする。
夕食時、明日の行動を決めるのに情報を集める。旭岳温泉へのゴンドラは工事中。黒岳方面のリフトは風が強いと運行しない。明日の天気も回復しそうもない。白雲岳、旭岳登頂は諦め、一番近いルート、赤岳を登って銀泉台に降りることにする。
大雪や三笠新道熊の道
大雪山赤岳(2078m)
地図:国土地理院1:25000層雲峡、白雲岳
昭文社・山と高原地図③大雪山
7月25日(日)
3時30分、仕度を整える。ようやく便意をもよおし快通。外は風雨激しい。しばらく様子を見てから歩き出す。小泉岳から赤岳へと広い稜線を歩く。
5時20分、赤岳登頂。
標識と一緒に撮るだけで、雪渓を降りていく。一瞬、バランスを崩して転んでしまう。左足を痛めた。今度はストックを使って、慎重に降りていく。駒草平から第2花園、第1花園と、晴れていれば一帯は花園だが、ガスっていて何も見えなかった。ハイマツとダケカンバ帯を抜ける。
7時40分、銀泉台。ここから層雲峡観光ハイヤーの下谷さんの車に乗る。大きな蓮が道脇に生えていた。層雲狭を通過、旭川を経由して天人狭のホテル天人閣に行く。我々の同期入社で、退職後、旭川ホテルの支配人をしているMがやって来て一緒に泊まる。まず風呂に入る。岩風呂もあった。浴衣の恰好で日本の滝百選の「羽衣の滝」を見にいく。七段に流れ落ちていた。
食事中、Mから旭川とホテル事情を聞く。インドネシアのリゾートホテルでも支配人を経験していた。温泉で温めたせいか足がむくんでしまい、冷やして寝る。
7月26日(月)
足のむくみはとれていた。朝食後、Mの車に乗って旭川の「雪の美術館」に行く。
ビザンチン建築様式の建物で、中に入り螺旋階段で地下に降りていく。氷の回廊を通り、音楽堂に入る。天井には「北の空」が描かれていた。ホール全体が白と青の世界だった。Mと軽く食事をとってから、旭川駅で別れる。
13時半、ライラック号に乗って札幌に向かう。札幌で新千歳行きに乗り換える。
16時40分、羽田行の飛行機に乗って帰る。
おわりに
後半は風雨の中の山行となった。当初、エスケープルートとして化雲岳から天人峡温泉に降りていくことを予定していたが、問題なかったので通過。しかし翌日には天候が悪化、白雲岳避難小屋から最短ルートをとって下山した。大雪山には夏と冬しかないと言われるが、夏でも残雪があり、風が強いと体感温度は零度以下になる。
今回、アイヌの人がカムイコタン(神の住む場所)として崇めてきた山を歩いて来た。
彼らは「山(キムン)は山の神(カムイ)が支配する場所。熊は山の神からの授かり物」と信じている。熊の他、人間が作れないものは全て神の所有物で、それを感謝していただき、その魂を天に送り返している。いわば、エコロジーが身についている。
大雪山系に限らず、山は天候次第で天国にも地獄にもなる。去年から本格的に山を始めたが、多くのことを学び、山の奥深さを体感できた。
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1999年7月21~26日
2. 同行者:H、M
3. 交通機関:JL531便(羽田-帯広) タクシー 帯広-新得\28670
旭川-新千歳¥5580 JL516便(新千歳-羽田)
4. 宿泊:東大雪荘テント代¥250 南沼キャンプ場、忠別岳避難小屋(無料)
白雲岳避難小屋¥800 天人峡温泉天人閣¥12600
7月21日(水)
羽田空港まで、一汗かいて荷物をかついでいく。
14時半、JL531便は帯広空港に着陸。空港到着ロビーではミルクをサービスしていた。荷物をピックアップしてタクシーに乗り込む。運転手は女性。最近の空港ビルは一律化しているが、それとは異なりレンガ造りで、黒川紀章デザインによるものだった。
三井建設によるシロスホテルはドイツ風。ジャガイモの紫の花が咲き、黄金色した小麦やビート畑が続く。酪農牛舎があり、札内川を越えると刑務所がある。ここは覚醒剤関連、因みに網走は一般刑、旭川は重刑者が収容されているという。道の両端に除雪車用の標識がぶら下がっていた。
15時半、芽室で右折、国道38号を走る。十勝川を渡って北上、日高山脈を見ながら新得に向い、屈足から十勝川を遡る。左側に折りたたみ式雪シェルター、右側に防風林で守られた道。岩松ダム、十勝ダムを通る。この辺は紅葉になれば絶景になる。崖沿いのトンネルを走行、ダム湖を過ぎると牧草が生えた高原になる。曙橋を越えると砂利道になり、谷あいに入っていく。
17時、国民宿舎・東大雪荘前で降りる。
テント利用代を払い、10分歩いてキャンプ場に着く。お湯を沸かして夕食にする。アブやヤブ蚊も多かった。川の流れが聞こえる。
19時30分、ようやく暗くなる。隣のパーティは下山したところで、夕張メロンにウィスキーをかけて食べていた。新潟から小樽までフェリーでトムラウシ登頂後、苫小牧から八戸までフェリーで帰る。
トムラウシ山(2141.2m)
地図:国土地理院1:25000トムラウシ山
昭文社・山と高原地図③大雪山
7月22日(木)
0時、トイレに立つ。キャンプ場を照らす灯には蛾や羽虫が飛び交っていた。頭上の星を見上げると、ライトに照らされた虫が星をつまんでいるようだった。
2時、テントを叩く音で目が覚める。女の声で「トムさんじゃないですか」。こんな時間に声をかける非常識に呆れる。それから寝られなくなる。
3時、Hが動き出した。上空は薄明るくなっていた。
4時40分、出発。25キロのバッグを担いでいく。白樺林の中を尾根に取りつくまで急登が続いたが緩やかになって2時間、林道からの登山コースと合流する。50分経って休み、40分登って休む。何も考えず一歩一歩登る。降りてくる人達は軽装だった。道端に、6葉に4枚の花弁のゴゼンタチバナが咲いていた。
8時15分、カムイ天上に登りつく。
次は斜面をゆるやかに登っていく。何度かカムイサンケナイ川を渡渉しながら遡っていく。(現在、通行不可)
9時50分、水場で休憩。雪解け水が冷たい。靴を洗い、頭を川の源流につけ、タオルで汗をぬぐう。今度は急登になる。ペンキの目印を頼りに登る。
12時、ガスを使って昼食にする。天気良好。遠くにトムラウシ岳が見えてきた。
コマドリ沢を登る。岩礫の急斜面だった。
14時、前トム平。尾根の奥は雲がおおっていた。反対側から帰って来る人の話では、この先、登り降りが続き雪渓もあるという。ハイマツの緩い斜面を一歩、一歩たどる。先頭のHは、熊除けのため声を出しながら歩く。バッグが重いため予定よりも遅れていた。
16時、ケルンのある尾根を降りて南沼キャンプ場に着く。霧がかかっているので、トムラウシ山は明日に延ばす。雪解け水を沸かせて料理。食後、用を足そうと岩陰に行ったら、使用済みの紙が散らばっていた。
7月23日(金)
3時30分、Hの持つラジオの天気予報によると、霧は出るが問題ない。テント場付近は頭上が晴れているが、ガスが横に動いている。雪解け水は昨日より勢いがなくなっていた。
5時40分、出発。頂上への道を誤り、20分後、登り直す。岩だらけが続く。
6時40分、トムラウシ山登頂。
身体がふらつくほど風が強いので、写真を撮って直ぐ降りる。左手に北沼がある岩原を歩き、高度1995mの山を越える。
8時20分、枯山水の庭園のような所を通る。天沼を過ぎてハイカーに出会う。近くのヒサゴ沼小屋に泊まっていた。岩道からハイマツ道に変わり、「神遊びの庭」を通る。確かに高山植物の花が一面に咲いていた。アイヌの人が「花の多いところ」という意味の「トムラウシ」を山名につけたことがわかる。
11時、広い台地に大岩を乗せたような化雲岳に達する。左手は雲に隠れているが、右手には石狩岳、手前の五色ヶ原が見える。トムラウシ山には雪渓がかかっていた。ハイマツにからまれながら降りていく。
五色岳を通り過ぎる。視界が悪くなり、ペンキの目印を目当てにひたすら足元と前方を確認しながら歩いていく。左手は絶壁のようだが、良く見えない。忠別岳避難小屋への道を降りて行く。
13時過ぎ、小屋に入ると男性が1人いた。埼玉からで女満別から利尻、礼文島、羅臼、斜里と登ってきた。阿寒岳は火山活動のため登山中止だった。この後、帯広空港で家族と落ち合い富良野を廻っていくという。全日空でハイジャックが発生したことをラジオが報じていた。やがて雨になり、1人入り込む。忠別岳の方は雷なので予定を変更して来た。ボランティアで登山道の整備にあたっている。
その内ここも雷が鳴り出す。家族連れや高齢者ペアが続々と避難して来る。雷が通り過ぎたところで雪渓を降りて水場から冷水を容器に入れて戻る。途中、若い2人連れがテントを張り、雪の中にビールを突っ込んでいた。美味そう。雪渓にはキツネの糞があった。
これでは、水を煮沸しないと危ない。ソーメンを食べて一休みする。
17時30分、夕食。小屋の2階も一杯になり、数えたら19人いた。お互いに情報交換する。
Tomuraushiyama(2141.2m) in Hokkaido
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Obihiro airport→national road236,38,doudou718, Higashidaisetsuso
2.Accommodation:Higashidaisetsusou (0156-65-3021)one night two meals7100yen
3.Information:Shintoku town office(0156-64-5111)
4.Season:Jul to Sep
Records:Jul22
4:40-8:15 Climb from Higashidaisetsusou(654m) to KamuiTenjyou(1270m).
8:20-9:50 Climb to water place.
10:00-12:00 Climb steep slope.
12:40-14:00 Climb to MaeTomDaira(1730m).
14:10-16:00 Climb to Minaminuma Camp(1960m) and set tent.
Jul23
5:40-6:40 Climb to Tomuraushiyama.
6:45-8:20 Down and walk to Kamiasobi garden.
8:30-11:00 Walk and climb to Kaundake(1954.3m).
11:10-12:20 Walk to Goshikidake(1868m).
12:25-13:05 Down to Chubetsudake refuge lodge(1630m).