グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
鳥海山(2236m)
1.2003年7月30~31日
2.単独行
3.レンタカー:2日間¥11550 高速代:往復¥8200 走行456キロ
ガソリン:36.14リットル¥3816
4.宿泊:鉾立山荘:含む布団、ガス代¥1995
5.温泉:あぽん西浜¥350 ねむの丘90分¥350
6.地図:国土地理院1:25000鳥海山
昭文社・山と高原地図⑧鳥海山・月山
7月30日(水)
12時30分、仙台東急ホテルにチェックインして直ぐマツダレンタカーに行き、会員カードとクレディットカードを預けておく。登山準備後、コンビニで食糧を調達して戻り車に乗る。雨が降っていた。
13時35分、出発。仙台宮城ICから東北自動車道を走行、村田JCTから山形自動車道を走る。笹谷トンネルを越えると晴れ間が見えてきた。月山から国道112号になる。高脚の上を走り、トンネルを何度も越え、湯殿山ICから高速に戻る。鶴岡、酒田を迂回し国道7号を走る。
16時、遊佐の道の駅「ふらっと」に駐車。
海産物売り場で雲丹と岩牡蠣を捌いて売っていた。オバサンがナイフで岩を割っている。一つ食べてみると、肉厚で新鮮さが口から喉、胃にしみわたっていく。レストランで牡蠣丼を食べる。トマトや漬物を買い、半切りの西瓜を買おうとしたら、「これ持っていきなさい」と、皆で食べた残り半分をいただく。
吹浦の町に入り 「あぽん西浜」で汗を流す。「あぽん」とは「母親と幼子が一緒に風呂に入る」という意味の方言だった。屋外に無料の「湯の足」施設があり、足を湯に浸かっている人がいた。
1973年に開通した鳥海ブルーラインを登っていく。途中、観光バスと擦れ違う。
18時過ぎ、鉾立山荘。管理人阿部晃さんに2階の一室を案内される。カメラ好きのようで日没風景を撮りに近くの見晴台に行くので付き合う。遠くに鳥海山が見え、日本海と象潟が見えた。
60万年前の噴火から始まり、日本海から12キロの頂上までの山を造って来た。大阪からの カメラマンが車から出てカメラを担いでやって来た。
19時、NHKニュースを観ながらレンジで暖めたものを食べる。阿部さんは今年から働いている。それまで石工や出稼ぎをしていた。麓の関村出身で、出勤時、元滝伏流水の近くから水をポリ容器に入れて飲めるようにしていた。さっき帰って行った観光バスは山口県のハイカーで、仙台空港に行き飛行機で帰る。午後まで雨が降っていたという。昨日は救助ヘリコプターが出動したそうだ。カメラは数年前から始めており、いろんな写真集が置いてあった。写真家青野恭典さんは今朝、白神山地に向かったそうだ。彼が寄贈した写真集2冊を観る。東京出身だが、東北地方に入れ込んでいた。
登山に際して注意すべき箇所を聞いておく。視界が悪い時は戻る勇気も必要だった。鳥海山が何故山形県のみかを教えてくれる。幕府側だった秋田県を官軍側についた山形県が分捕った経緯があった。
20時、布団を敷いて寝る。他には泊まっていなかった。
7月31日(木)
3時30分、布団をたたんで階下に降り、お湯を沸かしてポットに入れ、菓子パンとコーヒーで朝食を済ます。外に出て洋式便器で排便。車に泊まっていたお兄さんがトイレにやって来た。日の出の写真を撮るためなのだろうか。
車に不要なものを置いていく。薄明るくなってきた。
4時30分、登山届を書いてから登る。階段式の遊歩道を登ると展望台に出る。そのまま通り過ぎ、幅の広い平坦な石畳の道をどんどん歩く。足元に花を見つけるとカメラを向ける。チングルマが咲いていた。休んでいたハイカー2人に会う。24時間営業の「あぽん西浜」で仮睡してきたと言う。犀ノ河原を過ぎ、やや登っていく。前方はどんどん霧が晴れていく。ハクサンシャジンやイワヒゲ、クルマユリ等花が増えてきたところで小屋が見えてきた。
5時55分、御浜小屋の脇を通る。外に出ていたオバサン達は東京から団体で来ていた。花畑で一休みする。扇子森まで登り、御田ヶ原に降りていく。ニッコウキスゲが一面咲いていた。再びゆるい傾斜を登っていくと足元にウスユキソウが、草原にコバイケソウが咲いていた。無言で追い抜いていった青年の後に続く。
七五三掛(シメカケ)で一服してひと登りしてから千蛇谷コースを降りていく。梯子を降りると雪渓に出る。
年配の人に会う。2回、雪渓を渡った後、登っていく。黄色いミヤマキンバイや紫色のヨツバシオガマに出会う。
暗闇青年に追いつき追い越す。ジグザグに登って御室に着く。休むことなく岩場に取り付き、矢印を頼りに登る。一度、割れ目になった岩底に降りて登り返す。「世界人類平和」といった落書きが煩わしい。
8時15分、鳥海山登頂。しばらくしてやって来た暗闇青年に証拠写真を撮ってもらう。青年は直ぐ降りてしまう。
狭い岩場でオニギリとトマトを食べ、お茶を飲む。風もなく日差しが強くなって来た。周りは雲海で覆われていた。20分後、出発、御室に戻り、外輪山コースをとろうと、大物忌神社の神官に確認すると「通行止め」と言われる。荒ぶる神様に登頂御礼のお参りを済ませ、逆らわずに元の道を戻る。しばらくして御浜小屋からの団体が休みをとっていた。リーダーらしき人に通行止めの理由を聞いてみた。「崩壊箇所ができたが、迂回すれば大丈夫」今更戻るわけにいかない。スイカをいただく。
雪渓をホイホイ降りていく。シラネニンジンだろうか白い花が草原から顔を出していた。
9時40分、カメラマン達が雪渓を撮っているところで一休みする。青野氏のことは良く知っていた。雪解け水に西瓜を浸して冷して食べる。
七五三掛に戻ると御浜小屋の方まで良く見える。続々とハイカーが登ってくるが、日差しが強いので早朝のような具合にはいかない。扇子森で振り返ると雲一つない空の下、鳥海山の全貌が見えた。
「鳥ノ海」池を左手に見ながら御浜小屋に着く。小屋はモヌケの殻だった。
犀の河原の奥で残飯を食べる。半ズボンになって降りていくと、中高年3人に抜かれる。お腹が落ち着いたところで抜き返す。後は一気に降りていく。雲海の下は涼しかった。
12時15分、下山届を書いて山荘に行く。年配の管理人に挨拶して冷しておいた西瓜を食べる。15分後、車に乗り込み象潟に向かう。道の駅「象潟」に駐車。4階の「眺海の海」に行く。飛島が見える風景は雄大で身も心も洗われる。
夏の海飛島眺めし湯浴みかな
入浴後、枝豆を食べながら生ビールを飲み、青々した象潟の九十九島と鳥海山の麓を眺める。
14時過ぎ、ローソンの角を左折、線路を越えて蚶満寺(カンマンジ)に入る。
猫が5、6匹たむろしている。本堂は葬式の準備中だった。
左手から奥に行く。北条時頼が植えた樹齢700年のツツジ、西行法師の歌桜、そして舟つなぎの石を見て行く。
水田の前方、島だったところに松の木が生えていた。1804年の大地震で一帯が隆起してしまったのだ。芭蕉句碑は寺院の近くに立っていた。1763年建立。この寺には西行の他、一茶や正岡子規も訪れている。
象潟の雨や西施がねぶの花
国道7号に出たが、遊佐に入る前で渋滞にはまる。20分以上かかって道の駅「ふらっと」に行き、トイレを使う。序にラーメンを食べて渋滞の中、10分かけて工事中の道を抜け出る。仙台のレンタカーに戻ったのは18時15分だった。
Chokaizan(2236m) border of Yamagata pref. and Akita pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Yamagata expressway SakataIC→national road7.pref210
(Choukai blue line),Hokodate lodge
2.Accommodation:Hokodate lodge(090-3124-2281)no meal with Futon,Gas1995yen
3. Information:Yusa town(0234-72-3311)
4.Season:Jun to Oct
Records:Jul31
4:30-5:55 Climb from Hokodate lodge(1150m) to Ohama lodge(1700m).
6:00-7:00 Climb to Shimekake(1820m).
7:10-8:15 Climb to peak.
8:35-12:15 Back to starting point.