グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年6月29日
2.単独
3.自家用車 ①ガソリン代:¥3290 ②高速代:¥2750(練馬-前橋)
4. 地図:国土地理院1:25000赤城山
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
6月29日(木)
4時半、出発。関越自動車道に入るのに手間取った。その後、時速100キロ以上で走行。高崎ICを過ぎて、前面に赤城山系がドーンと鮮明に見えてきた。
6時前、前橋ICから県道4号線に入って間もなくセブンイレブンを見つける。大事をとって食糧を調達。赤城大鳥居を潜り、一気に高度1400m迄登っていく。展望台を過ぎると大沼が見えた。地図を頼りに運転、ビジターセンターの手前を左折、湖畔に沿って走る。直ぐ、啄木橋が見えた。一度、そこの駐車場に行ったが、観光客が通る所なので、先の方の駐車場に行く。木陰の所に停めて準備していたら、初老夫婦ハイカーが歩き去っていく。
7時10分、出発。5分で黒檜山北登山口に出る。看板には「頂上迄1時間半、高度差450m」と書いてある。樹林の中を登っていく。20分で猫岩を通過。膝を庇って、枝や根、岩を掴んで登る。頭上の林から日がちらちらと見えてきた。羽虫や虻が多い。鳥や蜩が鳴いている。見晴らしが良い所に出ると火口湖大沼が箱庭のように見える。
空の青、水の青、ミズナラの葉の緑が眩しい。山ツツジが咲き、樅の新芽が伸びている。
8時25分、尾根に出、左に向かい10分後、登頂。石祠と「御黒檜大神」と書いた鳥居が立つ。黒檜(くろび)山と言われていることがわかる。山岳信仰のご神体の山であった。
さっきの夫婦が休んでいた。神奈川からやってきており、2回目で前回、天気が良くなかったのでやって来た。今年既に百名山14座踏破している。「百名山には、こだわっていない」と言っているが、そうは思わない。 九州、中国、近畿とドライブしながら、一日で2座(大山と大台ガ原)を登ったりしている。 東側は雲海。頂上からは、見晴らしは良くない。ザックを置いて展望台に向かう。スパッツをつけたが、膝上の方に笹や枝葉の水滴がかかり、ビショビショになる。笹に覆われた道を歩いて行く。残雪の谷川岳と右手に朝日岳が見えた。
9時10分、戻ってみるとザックにマダラヒカゲ蝶が止まっていたので、離れるまで待つ。
次に駒ヶ岳に向かう。木の葉にアサギマダラが休んでいた。
木製の階段を降りて、笹と樹木の大ダルミという鞍部を通過、少し登って駒ヶ岳(1685m)に出る。
10時、下山。尾根を降りてから右に曲がり、樹林帯の中に入って鉄製の階段を3回降りてジグザグの道を通り、県道に出る。大沼に向かい、朱塗りの橋を渡って小鳥ヶ島に行く。
赤城神社に寄り、拝殿で無事登頂したことを感謝する。昭和45年に移築されていた。
大沼には鴨の親子が水面をのんびりと泳いでいる。
11時30分、車に戻り、時間があるので覚満淵という高層湿原に寄る。覚満淵という名前は、平安時代の比叡山高僧覚満がここで仏教を説いたからと言われている。車をビジターセンターの駐車場に停めて木道を歩いて一周する。
羊歯類が繁茂していた。
12時20分、センターに戻り、鳥居峠で覚満淵風景を眺める。
県道14号を走って赤城神社の大鳥居を通過、国道462号から本庄児玉ICに出て関越自動車道に入って帰る。
Akagiyama(1827.6m) in Gunma pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Kanetsu expressway MaebashiIC→Pref. road4,gate of
Kurobisan.
2.Information:Fujimi tourist association(027-288-2211)
3.Season:May to Nov
Records:Jun29
7:10-8:35 Climb to peak.
9:10-9:55 Down and up to Komagatake(1685m).
10:00-11:30 Down ridge and take iron steps to road and walk back to gate.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年6月16日(金)
2.単独行
3.自家用車
4.地図:国土地理院1:25000両神山
昭文社・山と高原地図25雲取山・両神山
3時半、起床。4時過ぎ、出発。八王子まで高速道路を使い、国道16号線を北上、多摩川を渡っていく。トラックが連なり、排気ガスが漂っている。小谷田で左折、国道299号線に入り、飯能を通過、西武池袋線に沿って谷あいを登って行く。正丸トンネルを過ぎると、下りになり秩父三四ヶ所の8番寺を通って街に入る。秩父鉄道、荒川を越えて尾田薪のコンビ二でオニギリ等食糧を調達、両神小鹿野線道路を遡っていく。どんよりした天気で山は見えない。山里の村を次々と通過して日向大谷に着く。
7時25分、民宿「両神山荘」の脇から登っていく。「山頂迄5.6キロ」「犬は連れ込まないで下さい」という表示があった。森の中に入ると右手に鳥居と観蔵行者像が奉られていた。石像や石碑が続く。足元を見ながら歩いていると、蝮が半分、道に出ていた。ツツジが咲いていた。
七滝沢分岐点を過ぎると、川に出る。冷風が気持ち良い。
山腹に切った道が斜めになっており、昨日迄降っていた雨のせいで滑りやすい。朝の日差しが段々と強くなってきた。
8時半、ハイカーが降りてきた。「ツツジの花は咲き終わっている。人が来ないので気持ちいい」序に休みをとる。その間に下から登ってきたハイカーが通り過ぎる。風のせいか動物なのか、ザワザワした音が谷の奥から聞こえてきた。再び登りだすと、杉の大木が道に沿って立ち、修験道の趣きだった。仏法僧の鳴き声が響き渡る。
9時10分、「弘法の井戸」に着く。パイプから水がチョロチョロ出ていた。急登もジグザグになっているので登りやすい。「ブッポウソウ」と鳴くコノハズクの声が聞こえてきた。20分後、清滝小屋に出る。
清滝小屋
先行したハイカーは、今朝前橋から白井差口から登ろうとしたが、所有者の事情により閉鎖されていたので、日向大谷まで車でやってきたという。登山者のためのトイレを県と環境庁に申請したが、受け入れられなかったためだそうだ。鎖場が続く。
9時50分、一位ガタワの尾根に出る。ここに「白井差への道を廃止するー土地所有者:山中豊彦」と書いた看板がかけてあった。
羽虫のまといつきたる顔の汗
蛇のごと土より這ひし樹根かな
尾根伝いに歩いていき、左手に「のぞき岩」への道を降りていく。絶壁の下には原生林が山稜を覆い、はるか下からセセラギの音が耳に届いてくる。山ツツジの花をはじめて見る。ホウノキや栂の樹林の中を歩いて両神神社奥社を通り過ぎる。狼の狛犬像が一対座っていた。
前方に関越自動車道から見えた両神山が現れる。
一反、降りて富士見坂を登る。更に鎖場を登って頂きに達する。
岩に立つ石碑や、奥の院の銅製祠があった。ここにも狼信仰の名残、狛犬が立つ。遠く、残雪の富士山が霞んで見えた。手前に雲取、甲武信の尾根が続いている。狭い頂上でオニギリを食べながら、太田から来たハイカーの話を聞く。三四ヶ所巡礼を3回に分けて成就、その締めくくりとしてやって来た。
12時5分、年配のハイカーや若者がやってきたところで下山。しばらくして駐車場にいたカップルに会う。両神神社の先、鈴ヶ坂から七滝沢道を降りていく。最初に現われた滝で、水しぶきを浴びながら水筒に水を補給、頭を突き出し、汗をふき取り、さっぱりする。鎖を使って断崖を降りる。
苔茂る岩肌に水が滴っている。絶壁を滝が飛び降りるように細長く落ちていく。
谷向いの山は絶壁で、原生林が岩にまといついていた。この道は今日一日人間が通っていなかったようで、蜘蛛の糸に引っかかる。
蜘蛛の糸はらいて降りし山一人
14時、木々を切り開いた広場に出る。真新しい木製テーブルとベンチが置いてあった。天武将尾根を仰ぎ見る。一服して、ぐんぐん下降する。「増水時、悪天候時は通行禁止」という看板が立っていた。確かに雨が降ったら、この道は通れない。ベージュ色の蛙以外、生き物には会わなかった。
14時45分、再びベンチに出る。周囲は原生林。残っているチョコ、チーズを食べ、水を飲む。リュックも軽くなった。杉林に変わったところで会所に戻る。
15時20分、駐車場。汗を拭き、靴下や衣類を着替えて出発。帰りは三峰口の方に行き、国道140号線に出て長瀞から熊谷を通り、国道17号線で家に帰る。途中、周波数1620で高速情報を聴くと関越自動車道が渋滞していたからだが、17号線も混んでいて、家に着いたのは20時を過ぎていた。
*山名の由来
イザナギ、イザナミの両神を祀った山説。日本武尊が東征の折り、この山を8日間も見ながら旅を続けたところから「八日見山」と名づけ、宗教的な竜王と結びつけ竜神となり、両神に転化した説がある。
Ryokamisan(1723m) in Saitama pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway HachioujiIC→national road16,299,pref.279,Hyugaooya
2.Information: Ryougami tourist association(0494-79-1100)
3.Season:Apr to Nov
Records:Jun16
7:25-9:10 Climb from Hyugaooya (630m) to Koubounoido.
9:10-9:50 Climb to Kiyotaki lodge(1280m) and Ichiigatawa.
10:00-11:15 Down and up ridge to peak and take meal. You can see Mt.Fuji if it’s fine.
12:05-15:20 Down to Ryougami shrine and to Kiyotaki using chain,
take Nanatakisawa route and back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
雲取山の山旅②
雲取山(2017.1m)
1.地図 国土地理院1:25000雲取山、武蔵日原,奥多摩湖
昭文社・山と高原地図23奥多摩
2.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑫東京都の山
3.交通:JR奥多摩15:43-16:23青梅16:26-16:57立川17:02-17:39新宿17:42-18:00駒込¥1210
10月12日(金)
4時過ぎ、物音で目覚める。水場付近のテーブルにテント場の人が集まって湯を沸かしていた。外に出ると三日月と星が瞬いていた。
オリオン座と北斗七星は直ぐわかった。洗面の後、排便を踏ん張って済ます。
5時に食堂へ行くと皆集まっていた。若いカップルの隣りに座って食べる。生卵、沢庵、海苔、梅干し、フリカケに味噌汁とご飯。女将さんは、ご飯のお代わりを待つ間、雪が積もった時、アイゼンを使って歩くのが楽しいと言う。どこか田部井淳子さんに似た明るい性格で我々を元気づける。お湯サービスがあったのでテルモスに入れる。食後、寝具を整え、ザックと靴を持って階下に降りて、ご来迎を待つ。地平上に雲がかかっていた。
5時50分、雲間から赤い太陽が見えた。
ほどなく階段を上がり、原生林の中を登っていく。
ジグザグに登った後、鎌仙レリーフルートをとる。鎌仙とは富田新道の先駆者で1959年に亡くなるまで雲取山荘の主人でもあった、富田治三郎の愛称。岸壁にレリーフがはめ込まれていた。
頂上に向かうと、身軽な青年が先に行く。
6時25分、雲取山登頂。テントの青年もやって来た。土日出勤もあるので、来ることが出来たという。富士や和名倉を眺め、撮り、空気を吸う。
10分後、団体が現われたので、避難小屋に降りる。ここには便所もあった。
ストックを使って降りていく。富士見の通りだった。
足元にヤスデが群れをつくっている。異臭を出すので踏まないように行く。
富田新道分岐点から富士に向かって一気に降りて樹林帯に入る。鳥獣保護区域なので鳥が多い。青い羽根の小鳥ルリビタキが前にいたが、藪の中に消えていく。
7時15分、奥多摩小屋では富士の下に雲が湧き出て来て、覆われてしまうのも時間の問題だった。
ヘリポートにもヤスデが群れていた。
ブナ坂で鴨沢に降りていく道と分かれて登っていく。
標高100mほど登っていくと七ツ石山に達する。三角点はヤスデが占拠していた。
天高し三角点にやすで群れ
雲取山を眺めていると、反対側から男がやって来る。昨夕、奥多摩駅から峰谷行き最終便に乗り、暗闇の中を登り、鷹ノ巣山避難小屋に泊まってやって来た。巻道を勧められる。降りて行くと、左手に七ツ石神社と大きな石がある。七つあるのだろうか。
巻道をとり、高丸山をパス。ずっと笹の脇を歩く。鳥の巣箱を幾つか木にかけている。
テンナンショウが実をつけていた。赤くなる前のは始めて見た。
真新しい木橋がかかっていた。
途中、日陰名栗峰へのルートに近づいたので登って行く。尾根ルートは幅広く木々が刈り取られていて防火帯になっている。羊歯は枯れているが、苔は朝露で生き生きしている。頂上でも大きな木を切ったばかりだった。
鷹ノ巣山が近くに見えてきた。
高度170m降りて巻道と合流する。
9時50分、鷹ノ巣山避難小屋。新しいが、ここの水場は200m離れている。
登って行くと、日原から登って来た男に会う。小屋迄行って戻るという。25分後、鷹ノ巣山に登頂。風が冷たいのでレインウェアを着る。
爽籟や頂に立ち羽織るもの
降りたところから水根山、ブナ林の中の城山と尾根を歩く。カラ沢尾根に入る手前で、さっきの男に会い、ルートを間違えないように後を追って右に急角度で降りていく。標識が出ていてホッとする。なだらかな道に出て大股で歩き、再び一気に下り、尾根の左手下を、彼を追って速歩で進む。薊が咲いていた。
11時40分、六ツ石山への分岐点。予定より30分早いので、昼食にする。
食後、ザックを置いて山へ登る。5分で着いてしまう。
12時10分、六ツ石山の頂上は原っぱ。ツガの木が周りを囲んでいた。
曇って来て視界が良くないので降りる。さっき夢中で降りて来たせいか、左足がおかしくなっていた。ストック2本を使い、ザックを担いで石尾根を歩く。ずっと防火帯が続いていた。大事をとって林道に出る道を選ぶ。杉の森の中へジグザグに降りて高度1000m台になってから延々と真っ直ぐ歩く。杉は間伐されていた。
13時35分、高度950m、森の中にあるベンチで、残りの稲荷寿司を食べ、お茶を飲む。再びジグザグに降りて杉の森を抜け出て木橋を超えると、また杉森。トロッコ用の一本線路に沿って杉の中を降りていく。
14時15分、高度770mで林道に出る。トロッコの終点だった。
眼下遠くに車が走っている。御前山が良く見えた。
歩いて行くと右手に奥多摩駅の表示があったので、再び山道を降りていく。
足は限界。これが最後と気合いを入れて進む。道は狭いが、迷いやすいところには案内版が立っていた。
舗装道路に出て曲がって行くと工事現場に出る。作業員に確認すると、奥多摩駅まで徒歩20分。ひたすら足を運ぶ。坂を降りて行くと、駅まで7分と書いた近道があった。駅に出て電車の出発時刻を確認してから、看板の出ている「もえぎの湯」を探す。聞いてみると徒歩10分。諦めた。この駅は1944年に開業、1971年まで氷川駅と呼ばれていて貨物列車で石灰石を輸送していた。木造2階建て、山小屋風で風情がある。
青梅行きの最前列の車両に乗り、人がいない所で長袖下着を脱いでタオルで汗を拭いてから着替える。
15時43分、出発。御岳駅でもハイカーが乗り込む。青梅駅で同じホームの立川行きに乗り換え、更に快速東京行きに乗って18時に帰る。
秋嶺に日の暮れて行く街の駅
Kumotoriyama(2017.1m) border of Tokyo to, Saitama pref. ,Yamanashi pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Seibu Ikebukuro-Seibu Chichibu by Seibu railway
Seibu Chichibu-Mitsumine Jinjya by SeibuKanko bus(0494-22-1635)
Okutama-Oume-Tachikawa-Shinjyuku by JR
Escape route of Kumotoriyama-Kamosawa
Kamosawa-Okutama by NishiTokyo bus(0428-83-2126)
2.Accommodation:Kumotori Sansou( 0494-23-3338)one night two meals7500yen
3.Information:Ootaki tourist association(0494-55-0707)
Okutama town office (0428-83-2111)
4.Season:Jul to midOct
Records:Oct11
11:10-12:35 Climb from gate to Kirimogamine(1523.1m) and take meal.
13:00-14:20 Climb ridge to MaeShiroiwayama(1776m).
14:25-15:15 Down and up to Shiroiwayama(1921.2m).
15:20-16:30 Down and up to KumotoriSanso(1840m) and stay.
Oct12
5:55-6:25 Climb to Kumotoriyama.
6:35-7:15 Down to Okutama lodge(1813m).
7:15-8:00 Down and up to Nanatsuishiyama(1757.3m)
8:05-10:15 Down and take easy route and up to Takanosuyama(1736.6m).
10:20-11:40 Down ridge and steep slope and walk to below Muttsuishiyama
and take meal.
12:05-12:10 Climb to Muttsuishiyama(1478.8m).
12:15-13:35 Down and walk below Mitsukidoyama and take rest 950m high.
13:45-15:30 Down to Okutama station(343m).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
雲取山の山旅①
三峰神社・白岩山から雲取山荘へ
1.2012年10月11日~12日
2.単独
3.交通:西武池袋―西武秩父レッドアロー号7:30-8:58¥1370
西武観光バス 西武秩父―三峰神社9:10-10:25¥900
4.宿泊:雲取山荘1泊2食¥7500
5.地図:国土地理院1:25000雲取山、三峰
昭文社・山と高原地図25奥秩父1
6.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑫東京都の山
雲取山へは12年前、「三条の湯」を経由して水無尾根から登頂、同じルートを戻っている。今回は三峰神社からのコースを登り、奥多摩の石尾根を下りて奥多摩駅に出ることにした。
10月11日(木)
前日の天気予報では雨だったが、降っていない。それでも雨仕度をして、靴も雨でも問題ないものを履いて出る。コンビニで非常食や昼食を買う。駒込駅のスタンドでは日経かスポーツ新聞を並べていた。
6時59分、山手線内回りに乗る。既に通勤客で混んでいて、ザックを下ろして立つ。池袋駅の地下道では人が足早に動いていく。西武池袋線のホームに電車が着くと、若い女性が走り、他の人は堰が開いた川の流れのように改札口に向かって行く。特急乗り場は別にあった。
7時24分、特急到着。
お客は別の改札口に行き、係員が車内のカーテンを直した後、座席方向を隔列毎に自動操作で反転。出発3分前に改札口が開いて4Dに座る。前後の客はゴルフ談義。飯能で8人が一緒に降りていく。残った客は座席を反対側にしていた。ここで向きが変わって出発。横瀬駅に停まって武甲山を見ると、石灰岩で削られた崖が段差をつけて植物らしき緑色をしていた。
8時58分、定刻に西武秩父駅に到着。駅員に確認して6番バス乗り場に行く。外人女性が座っていた。未だ時間があるので観光案内所に寄ってバス時刻表をもらう。
9時10分、秋晴れだが、雨の予報のせいか我々2人だけを乗せて出発。彼女の名前はメラニー、ベルギーのブラッセル出身。10日間の日本旅行で、大輪で降りて三峰神社に行く。既に日光や富士山を眺めに河口湖に行き、この後、鎌倉に行く。案内の紙に英語でマークしていたが、日本語は通じない。
2年前、三峰神社で嘉悦短期大学のK教授と俳句同好会の生徒と一緒に句会に参加、妙法ヶ岳に登り、翌日、神官に案内されて清浄の滝での禊ぎを体験して大輪まで降りたことがある。思い出しながらルートを解説する。英語の他、全然使っていなかったフランス語も浮かんできたので、話すと通じた。ブールージュに行った時のことを話す。
途中、登ったことのある熊倉山が良く見えた。
三峰口駅前で時間調整している間、ドライバーが山の状況を教えてくれる。最近、熊が出没。特に5月、桜の実を食べに麓にも現われると言う。神官が禊ぎに行く途中で熊に襲われて怪我したこともあり、熊狩りをしていた。メラニーに伝え、前方の道が曲がっていたり、坂を登り終える前には、声を出すように言う。ソニーの一眼デジカメで私を撮り、送りたいというので、メールと携帯番号を書いた名刺を渡し、何か困ったことがあれば連絡するように言って大輪で別れる。
バスは一方通行のトンネル前で2分間停車。ドライバーの後ろに座って話す。彼は時計バンド作成の会社勤務の後、タクシー運転手となり、今の仕事に就いて6年になる。週末や観光シーズンになると利用者も多く、臨時バスを運行することもある。三峰神社の方で、路線の赤字を補填していた。年輩者の利用が多いせいか車内の携帯電話や財布の忘れ物が多いと言う。二瀬ダムを渡り、ジグザグに登って行く。秩父湖の水は僅かだった。ヘリポートを通過して広いバス乗り場に着く。神社内の興雲閣に泊まっていた年配者のグループが待っていた。ここから正面に和名倉山が見える。
秋空や予報外れの山日和
階段を上がると左手に雲取山、右手に飛竜山が見える。
今年4月27日にリニューアルしたビジターセンターに寄る。動植物を案内していた。奥秩父には鹿、猿、猪、狐、狸、熊の他、穴熊、がいる。時間があるので前回行かなかった秩父宮記念三峰博物館に入る。ニホンオオカミの毛皮を展示、秩父宮殿下が焼かれた菓子皿や蒔絵絵箱、資料がある。神社では神様のお使いとして狼を祀っていた。三峰とは、前回登った妙法ヶ岳と、これから行く白岩山、雲取山のことだった。参道を歩いて行くと、杉の苗木を30万、5万と寄進した人の碑が並んでいる。本殿には寄らずに日本武尊の銅像に挨拶してから戻って登山口に行く。
役行者が修業して以来、宗教的な自然感覚が続いていて、参道を通って鳥居を過ぎてから雲取山への道に入る。
杉林の中、妙法ヶ岳への分岐点を右にとり、徐々に登っていく。
栗のイガは落ちているのに実が見当たらない。熊の可能性もあるので、鈴を鳴らし、ストックを1本延ばしていく。
11時45分、二股桧にテーブルとベンチがあり、一本立てる。15人のパーティが降りて来た。先に行くと左手に炭窯跡がある。土と石で造り、白炭を焼いていた。
烟(けむり)たえてやく人もなき炭がまの跡のなげきを誰かこるらむ 藤原信頼
少し登ったところで平坦な道に戻る。45分後、地蔵峠に出て登って行く。
秩父宮ご夫妻のレリーフが岩壁にあった。
その先へ行くと、秩父宮命名の霧藻ヶ峰に出る。休憩舎とトイレがあり、見晴らしが良いので昼食にする。
両神山が良く見えた。
休憩舎一帯には、サラサドウダンの木がある。
13時、出発。雲が多くなる。お清平を通過。
白岩山まで登って降りてきた年配者に会う。足元に苔や茸、3cm位のムカデみたいなヤスデがいた。
14時、前白岩の肩。コメツガの木が生えていた。20分後、前白岩山。
前方に白岩山が見える。良い山だ。高度50mほど降りて登り返す。白岩小屋を通過。
15時15分、白岩山登頂。テーブルとベンチがあり、この先は11月から4月にかけて路面凍結による滑落事故が多発しているという注意の看板が立っていた。
降りていくと木段が続く。脇にトリカブトやゴマナの花が咲いていた。
コメツガは鹿にやられないように網で巻いていた。大ダワで日原からの道に合流。日原からのルートは崩壊により通行止めになっていた。
ここにもテーブルとベンチ等ハイキング向けにグループで休める施設を用意していた。
16時、陽の当たらない緩やかな道を登っていくと、倒木に苔と茸が生えていた。
先方に団体がいる。「山歩きブナの会」の人達で1人が足を攣っていた。「山荘に18人が遅れると伝えてください」と言われて先に行く。雲取ヒュッテを上に見ながら歩いていく。
テントで休んでいる青年に会う。テント場代300円で水とトイレを使えるのは安い。大きなテントも設営されていた。
16時半、雲取山荘に10年振りにチェックイン。
女将さんに1泊2食代を支払う。2階の3-1号室。今のところ1人だが、予約なしでやって来る人が泊まるかも知れないという。単独者用の部屋は十畳あり、屋根が高く、真ん中に炬燵があって温かい。足を揉んでおく。
端にザックを置いて、言われたように布団を敷いておく。階下のロビーには、皇太子殿下と雅子妃殿下が来られた平成7年11月9日の写真と皇太子殿下が来られた平成19年10月22日の写真が壁に飾られていた。
皇太子ご夫妻と新井信太郎氏(雅子妃の左)
何れにも新井信太郎主人が写っている。主人は77歳、山荘には来なくなっている。明日の日の出は5時45分、朝食は5時と案内している。部屋で持参の焼酎に、余ったお湯を入れて摘まみながら飲む。
18時、食堂。団体以外のテーブルに案内されて座る。隣りは横浜と東京のOL。年輩者男2人に励まされてやって来た。サラダ、山菜、ハンバーグ等に味噌汁とご飯。ご飯はお代わりできる。女将さんと青年2人で応対。
食後、外に出て水場で歯を磨く。トイレは男性用にも洋式便座が2つあった。タオルに水を湿らして全身の汗を拭いておく。部屋は結局1人で使うことになった。山小屋で、これほど広い部屋を使うのは初めてだった。消灯20時半前に寝る。
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年9月11日~12日
2.単独行
3.長距離バス:名古屋=福井¥5250 JR福井―越前大野¥650
バス:越前大野―勝原¥540 JR勝原―福井¥820
4.宿泊:福井プラザホテル一泊¥5000
9月11日(火)
台風15号は前日に東海から関東を通過していた。今日の午前中、羽田空港は閉鎖されていた。ホノルルからの83便では日本付近でも揺れなかった。伊豆半島を過ぎると駿河湾が見えてきたが、富士山は見えない。安部川、富士川の河口から土砂が流れて海が濁っている。しかし深いところは紺青色をしていた。予定より50分早く着陸。空港からホテルまでの配車の中で、名鉄バスセンターに電話、福井まで予約しておく。
17時50分、指定ホテルに着く。731号室に入ってシャワーを浴び、登山の仕度をしてから出る。時間に余裕があるので地下鉄で行き、名鉄バスセンターの4階窓口で申し出る。19時の出発まで20分あったので、地下の食品売り場に行って出来たて弁当を買う。出発5分前にバスが来て、係員が乗り口で切符を回収、座席2Bに座る。乗客は15人ほどで、後ろは空いていた。早速、弁当を食べて休む。携帯ラジオを聴いていると東海、関東の道路が寸断していた。台風16号が沖縄に向っていた。バスは名神一宮から東名高速に入り、米原から北陸自動車道に出る。途中、賤ヶ岳SAで休憩。外は止んだばかりで、トイレに行っておく。武生と鯖江で数人、降りていった。福井は雨。レインウェアを着てJR駅に向う。駅近くの福井プラザホテルに入ると、泊まれるので現金を払う。201号に荷物を置いて傘を借り、駅に行く。越前大野までの切符を買い、明朝6時発の電車のホームを確認しておく。駅の中には、ホテルや仮眠施設があった。地下道で歌っている青年の声が聞こえていた。
部屋に戻り、シャワーを浴びてテレビを見る。ニューヨークの世界貿易センターにハイジャック機が突っ込み炎上、更に崩壊したニュースを放映。その後にペンタゴンも同時テロで炎上していた。
目覚まし時計をセットしようとしたら電池切れ。部屋には冷蔵庫があるが、お湯がない。ポットを持って下に行く。お湯を沸かしてもらっている間にコンビニに行って電池を買って帰る。しばらく女将さんとテロの話をしてから、福井地震のことになる。戦災で焼け野原になり、戦後3年後のことでバラックが総崩れ、映画館も潰れて、中の情景は凄惨だった。そこにタクシーで乗りつけた酔っ払いが入ってくる。女将が運転手にお金を払っていた。テルモスにお湯を入れてもらって部屋に戻り、しばらくテレビを見てから寝る。
荒島岳(1523.5m)
地図:国土地理院1:25000荒島岳
昭文社・山と高原地図43白山
9月12日(水)
5時に起きてしまう。テレビをつけるとアメリカ全土で飛行停止。政府専用機2機を千歳から羽田に待機させるという。明日の飛行はない模様。準備してローソンでオニギリとビニール傘を買って駅に行く。2番線ホームで待っていると1両の電車がやってきた。
6時、出発。乗客は他に女子高校生1人で運転手と馴染みの様子。美山で対向電車を待つ。55分後、越前大野に着く。通勤通学客が並んで待っていた。出たところにバス停があった。トイレに行っておく。出て振り返ると福井行きの電車は3両になっていた。鳩ヶ湯行きバスは2分遅れでやってくる。
おばあさんが1人、そしてもう1人乗ってくる。2人とも終点から1時間ほど山に入り、薬草やマイタケを採りにいく。1人は長靴を履いていた。1人は山小屋に置いてある。この辺の山は蝮と熊が出没するという。運転手は、予定より遅れた場合の帰りのバス時刻を教えてくれる。
高度265mの勝原駅で降りて、国道158号線に向う。近道を通っていたら、工事請負人の溜まり場に出る。道を確認して舗装道路を登っていく。後ろからピックアップカーがやってきて「荒島岳に登るなら乗りなさい」と言われ、荷物台に乗る。国道からスキー場の広場に出て、登山届のあるところで止まり「届けを出すかい」と言われる。大丈夫と答える。コンクリート製の急坂を登り、工事中のところで止まる。30分は短縮できた。降りてお礼と共に、折りたたみ袋を差し上げる。
登山道の一部が土砂崩れをしており、キャタピラで整地していた。リフトの下を通り、ゲレンデを登っていく。
石ころが多く歩きにくい。リフト最高所からブナ林に入る。大木が林立し、樹林帯の中を登っていく。
9時30分、レインウェアを着たハイカーが上から降りてきた。
「上は雨が降っている。滑りやすいから気をつけて」
登りは順調だった。やがて雨に遭遇。傘を差し、ストックを1本にして登る。シャクナゲ平に出て中出ルートと合流。ここから1時間かかる。一度、降りたところで佐開ルートに出会い、次々と尾根を越えていく。
ロープや鎖は濡れているので使わずに登る。
10時45分、登頂。石塔と荒島大権現が祀ってあった。
近くに電波反射板が立っていた。下りは慎重に降りる。往きに目をつけていた花を撮っていく。ナナカマドの赤い実がなっていた。
秋霖や虫鳥獣眠らせり
ノリウツギ、タテヤマリンドウ、竜胆が咲いていた。
雨があがると虫が動き出し、コオロギがピョンピョン飛んで逃げていく。
同じ方向なので、こちらも付き合う。その内、疲れたのか停まってしまう。蛙もいた。陽が差す道にはトンボが飛び交い、ウラギンシジミが休んでいた。
道は階段になっていたり、ポリプロピレン製の土のうが坂に敷かれて滑り止めになっていたり、ブナの根が張り巡らされていたりしている。
13時、ゲレンデ最高点に戻る。板張りに座ってオニギリを食べる。大野盆地は晴れているが、雨雲が荒島岳へと続いていた。九頭竜川が蛇行しているのが見える。石ころ道を降りていく。バッタが道々で飛び出していく。
13時50分、工事現場に戻り、作業している人に挨拶して帰る。 登山口に水場があり、靴やスパッツを洗ってから国道に出る。シェルターの手前で北陸電力マークをつけたミニカーや電気屋の車が止まって頓首していた。トンネルの照明装置のことだった。駅前の店でビールを買って待合室で飲む。
14時47分、電車1両がトンネルから現われた。後ろから乗り込み、整理券をとって座る。電車はトンネルに入り、あとは盆地の中を川と道路と一緒に一直線に走る。田野、大野を通過して16時前に福井駅に着く。
駅前通りを歩いてバスセンターに行く。出発まで地下のレストランでカレーうどんを食べてから乗る。指定席の隣りに客がいたので、後ろの席に移る。定刻16時30分に出発。高速に入り、敦賀で日本海、米原付近で琵琶湖を見、伊吹山を見ながら帰る。名古屋駅には19時定刻に着いた。
Arashimadake(1523m) in Fukui pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:From Fukui station to Kadohara station by Etsumihoku line.
2. Information::Ohno city Izumi branch(0779-78-2225)
3. Season:May to Oct
Records:Sep12
8:00-8:30 Walk from Kadohara station(265m) to gate.
8:30-8:40 Pickupcar driver rode me to lift(670m).
8:40-9:55 Climb to Shakunage daira(1204m).
10:00-10:45 Climb to Sabiraki and peak.
11:00-12:30 Down to lift and take meal.
13:10-14:20 Back to station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1998年8月30日(月)
2.単独行
3.地下鉄:淀屋橋―天王寺¥230 近鉄長野線:阿倍野橋―富田林¥470 金剛バス:富田林―ロープウェイ前¥530
南海高野線:紀美峠―新今宮¥790
4.地図:国土地理院1:25000御所、五條
昭文社:山と高原地図49金剛山・岩湧山
6時過ぎ、ロイヤルホテルを出て淀屋橋まで歩く。阪大の敷地や日本生命の研究所を通る。ここに入って勉強したことがある。住友生命の本社ビルは35年変わっていなかった。地下鉄では心斎橋で乗客がどっと降りて座られた。
7時4分、阿倍野橋から準急に乗る。藤井寺から各駅停車になる。
7時36分、富田林駅。駅を出て金剛山方面のバスを捜したがない。リュックを担いでウロウロしていたら、バス乗場のベンチに座っていたオッサンが「山に行くなら反対側に行かんと」と教えてくれる。踏み切りを渡っていくと、風景は旧市街。金剛バスがたくさん並んでいた。定期券窓口で金剛山へのバスを聞き、2番乗場で待つ。今日は月曜日、土日祭日になると増発していた。駅にはバスから降りた出勤客が続々と改札口に向っていた。新聞買ったり、ミルクとパンを口に入れていた。
8時5分、ロープウェイ行きバスが出る。登山客は8人。同好会グループで奥日光や富士山に登っていて、幹事が写真を渡していた。皆、慣れているようでザックも軽そうだった。バスは千早川が流れる峡谷を走っていく。電波塔が目立つ。
8時50分、登山口で半分が降りる。残りは先のロープウェイを使うようだ。駐車場にトイレがあるのでスッキリしておく。一緒に降りたオバサン、ウーロン茶の名前が入った箱を担いでいく。休憩小屋まで運びあげる。「年とりました」と言いながら頑張っている。
千早城址跡や楠木正成首塚の脇の階段を登っていく。
途中、一本木茶屋を通り、尾根道を登って1時間後に広場に出る。金剛練成会員50回以上の登拝者名札が500名程並んでいた。先には100回以上、更に200回、500回以上の名札があり、最高は8500回以上の平野次男氏。捺印所では10回捺印出来るカードを売っていた。山頂の葛木神社の宮司が考案したという。転法輪寺が建ち、御本尊は役ノ行者が祀った法起大菩薩だった。広場の右に金剛牛王像、階段下に金剛不動の明王像が立っている。左のヒサゴ池は1585年、秀吉が参詣した折りに造ったもので、瓢箪のかたちをしている。中の島は亀のかたちをしていて、弁財天を祀っていた。山頂に立つ。
左手の道を歩く。ブナ林を過ぎると仁王杉が聳え立つ。葛木神社を過ぎ、今やダイヤモンドトレールになっている修験道を降りていく。
杉林の中を歩くと、大群衆の中を歩いていくような気分になる。曇天で眺めはないが、歩くには絶好。ストックを使って一気に降りていく。途中、展望台やピクニック広場は通り抜けていく。伏見峠から杉林の中を登り返す。
11時25分、中葛城山(965m)。
奈良県側の平野とゴルフ場が見えた。左手に熊笹と右手に欅林の間を歩く。尾根伝いに高谷山を越え、熊笹を見ながら丸太階段を降りる。
12時5分、杉林の中、千早峠に出る。
ここは明治維新5年前に、大楠公の遺志を受け継ぐ天誅組が歓心寺から奈良の五條の代官所に討ち入る時に超えた峠だ。高度784mある。再び登り出し、小さな祠のある神福山を過ぎ、見晴らしのいいベンチで昼食にする。堺からきた中年夫婦が休んでいた。しばらく山の話をする。行者杉峠に降りるとダイトレ(ダイヤモンドトレール)の案内が書いてあった。
奈良県と大阪府が49キロを共同開発して1969年にオープンしている。ここは和歌山県との境でもあった。杉林の中は限りなく静かだった。
音もなし曇空の山夏終る
西ノ行者堂でストックをリュックに入れていたら、蚊に襲われる。トレールを足早に登っていく。尾根伝いを歩くと風が気持ちいい。葉のザワメキが霊を感じさせる。鉄塔を過ぎ、丸太の階段を一気に降りていく。
14時55分、山ノ神。ここから山腹の道を下っていく。柿畑の中を通過。既に実をつけ、垂れ下がっていた。落ちた柿を食べてみる。いける。紀美峠では人家の中を歩く。
川向こうには分譲地が開発されていた。景色を眺めながら歩いていたら、駅の方向からずれてしまい、住んでいる人に聞いて戻る。
15時45分、国民宿舎紀伊見荘の前を通過。川を渡って紀美峠駅に出る。
15時54分、急行に乗って新今宮駅で乗り換え、地下鉄で福島まで行き、ホテルに戻った。
Kongousan(1125m) in Nara pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access: KongouBus(0721-23-2286) from Tondabayashi station to Ropeway staion Kimitouge station-Nanba by NankaiRailway Kouya line
2.Information:Chihayaakasaka village office(0721-72-1447)
3.Season:Sep to May
Records:Aug30
9:00Kongou gate-10:15Kongousan,Tenpourintemple-10:55Fushimi pass-11:25NakaKatsuragiyama(930m)-12:05Chihaya pass-14: 55 Yamanokami-15:45Kokuminshukusha-15:50Kimitouge station(Nankai dentetsu railway).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年12月24日
2.単独行
3.交通手段:電車 博多―宮地¥3150特急券\2290 タクシー 宮地―仙酔山\1950
ロープウェー 火口西―阿蘇山西\410 バス 阿蘇山西―阿蘇駅\540
阿蘇駅―熊本自衛隊前\1190 自衛隊前―福岡天神
4.地図:国土地理院1:25000阿蘇山、根子岳
昭文社・山と高原地図56阿蘇・九重
12月24日(日)
6時20分、福岡西鉄グランドホテル脇の停留所から博多駅前までバスで行く。駅ビル入り口で2人のストリートミュージシャンがギターを弾きながら歌い、女の子達がしゃがんで聞いていた。西鹿児島行き、つばめ1号は7両編成、自由席に座る。車両の真中に大きな荷物収納用のスペースがあった。
6時57分、車掌の検札が終わってから休んで、熊本に着く前に高菜弁当を食べる。熊本で阿蘇1号を待つ。10分後、同じホームに3両編成でやってきた。
9時、立野駅でしばらく停まる。スウィッチバック方式で登った後、大きなカルデラの中を走っていく。阿蘇駅ではデイバッグを担いだ人達がどっと降りていく。ここからは噴火口近くまでバスが出ている。宮地駅で降りたハイカーは私だけだった。
9時35分、仙酔山までタクシーに乗る。前方に阿蘇の山々がたたずんでいた。阿蘇は、「アソオマイ」「噴煙をあげて燃える山、火の山」の意味。約30万年から2万5千年前まで噴火を繰り返し、九州一帯に溶岩を噴き上げて陥没、東西20km、南北28kmのカルデラとなっている。運転手が教えてくれる。
「左の根子岳が頭、中央の高岳が胸、右端の往生岳が足になった女性の寝姿に見えます」確かにそう見える。噴煙をあげている所は、腹の下部にあたるだろうか。東側を指す。
「あの先は波野村、オウム真理教がおったところ。数千万円で買い、立ち退き料を9億円払っています」今は何も見えなかった。牧場の脇を通って登っていくと白い仏舎利塔が立っていた。これも新興宗教が建てたようだが残っている。
「5月になると、この辺一帯はミヤマキリシマのツツジが咲きます」
ロープウェー乗り場の先にある駐車場で降りる。バスは3年前から廃止されていた。
9時50分、記帳後、近くに登山口があったので、登って行く。しばらく登っていくとロープウェーに沿っているので、仙酔尾根とは違うことに気づく。そのまま、整備された道を登ることにする。1時間弱で展望台に達する。
小雪がチラチラし出した。ロープウェーでやって来た観光客が寒そうにしている。「ぜん息、気管支疾患、心臓障害のある方は立ち入り禁止」と書いた看板が立っている。火口はガスで見えない。二酸化硫黄の臭いが少しする。手袋をし、フードを被り、休まずに中岳に向う。風が強い。石と枯草に霧氷が付いていて滑りやすい。足を踏ん張って、ゆっくり登る。
11時15分、高度1506mの中岳に登頂。高岳がそびえ、反対側に火口が見えた。ガスが残っているがヘリコプターが飛んでいた。
クリスマス阿蘇中岳に一人立つ
薄白い高岳の中腹で道なりに登っていたら、火口原に出てしまう。時差ボケだろうか。無人の避難所から左折、黄色の目印を頼りに鞍部まで登り、岩屑ばかりの高岳にたどり着く。
頂上を降りた所に年配のハイカーが座っていた。熊本から車で仙酔山まで来て仙酔尾根を登って来ている。側に座って食事をしながら話を聞く。御年77歳、市役所勤務、関連会社を勤めあげた65歳から登山をはじめ、阿蘇山は年30回登っている。大晦日も天気が良ければ登る。熊本の登山クラブに所属している他、福岡に本店のあるアミューズトラベルを使って百名山も残り6つという。ここから見える山の話になる。根子岳の岩登りは60代にやっており、祖母山は5回登っている。いずれも良く見えた。「天気がもっと良いと韓国岳も見えます」「山に登るようになってから風邪一つ引かなくなりました」
それでも2回ほど危ない目にあっている。下山後、車を溝に入れて足を折り、ひと月入院したこと。下山時、足を挫いたこと。頂上での写真を撮ってもらった後、お返しに写真を撮って差し上げたいと申し上げたが「写真は、整理が大変で家内から差し止められています」と言われる。熊本を経由するなら車で送ってあげると言われたが、今まで歩いた道を戻ることになるので、丁重にお断りする。一緒に、中岳に行く道を降りる。途中、間違えた分岐点を通る。
12時40分、中岳登り口で別れ、火口西に出るまでの道案内をしていただく。英文の登山案内書では火口西からのルートしか紹介していないそうだ。
尾根伝いは冷たい風が吹き、フードをかぶる。崖を降りていくと青年と会う。
13時30分、涸れ川を渡ると広大な砂原になる。異次元の世界に人と犬の足跡が続いていた。砂千里を通って急ぎ足でロープウェー乗り場に行き、阿蘇山西に着く。
バスを待つ間、近くの京大観測所に行ってみる。誰もいなかった。
14時18分、バス運転手の後ろに座ったところで出発。近くの道端にヘリコプターが降りてきた。20分、4800円で火口見物できる。草千里乗り場で、かなりの人の乗り降りがあった。ここには火山博物館、オルゴール饗和国の他、池まで乗馬できる施設があった。
バスは一路かって有料道路だった道を曲がりくねりしながら走っていく。左手に、かわいいお椀型の山、米塚が見えた。昔、阿蘇の神の米を積んだのが山となり、一つまみ摘んだあとが窪みとなったという伝説通り、頂はへこんでいた。一面、放牧場のようで道の両側に木組みの柵が続く。
赤牛や柵外探す阿蘇枯野
14時55分、今度は熊本行き快速バスに乗って国道57号線を走る。
立野でのこと。乗る人が待っているのに、最後部の若者2人は一向に現われない、のんびりと降りていく。クリスマスのせいか車が多い。渋滞中、有馬記念をテレビ放映していた。熊本空港に寄っていく。途中、巨大サイロが2棟見える。この辺りは、5、6月に小麦収穫の後、米を栽培するという。サイロは収穫した小麦の倉庫だった。
空港では誰も乗ってこなかった。
熊本市内に入り、博多行き高速バスが市内で停まる中から、自衛隊前にして降りる。16時17分のバスが遅れること13分、西鉄バスがやってくる。高速は順調だったが、降りてから30分かかって天神バスセンターに着く。
Asozan(1592.4m) in Kumamoto pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Fukuoka/Hakata station→Kumamoto→Miyaji byJR
Miyaji station→Sensuikyo by taxi
AsosanNishi→Kumamoto→Fukuoka by Kyushu sangyou koutuuBus
(096-325-8303)
2. Information:Aso city(0967-22-3111)
3.Season:Mar to Nov
Records:Dec24 Sensuikyo route & Aso crater west
9:50-11:15 Walk from Sensuikyo(900m)and climb from AsosanHigashi to Nakadakeseiryou Tenboujyo, Nakadake(1508m).
11:20-11:35 Down and up to Takadate(1592.4m).
12:20-14:15 Back to Nakadake and down and walk sand field to crater west, AsosanNishi bus station.Take bus to Kumamoto and Fukuoka.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年3月22日(木)
2.単独行
3.レンタカー\9660 駐車場\410 走行距離94キロ
4.地図:国土地理院1:25000韓国岳
昭文社・山と高原地図67霧島・開聞岳
6時に起きて出発。
7時30分、モノレールの最後部車両に座る。向い側には携帯電話で話しながらOLが座ってきた。出発しても一向に止めない。車内放送で使わないよう案内があるのに、聞いていないので効果がない。一反終わったが、ピリピリ鳴り出し、携帯を使おうとする。「電源切ったら」という。恐れをなしたのか「後で連絡する」と言って終わる。池内紀「湯めぐり歌めぐり」を読む。天空橋に着くと「スイマセン」と声をかけられ、「先程は失礼しました」と言って降りていく。
8時、日本航空カウンターに行くと鹿児島行き393便の32Gにアサインされる。セキュリティで小型ナイフを預ける。昨年の10月から厳しくなった。12番ゲートでB777機に乗り込む。巡航高度になって休もうとしたら、後ろで父親に抱かれた幼児がテーブルを出したり閉まったりして休めない。後ろの空席に移って休む。鹿児島空港に着陸して前に向い、通路に並ぶ。丁度34Gの後ろに立ったところで父親が「先程はお騒がせしました」と誤ってくる。「どういたしまして」
若い人達も自分のやっていることに気づく感性はあるようで、ホッとする。制限品が届くまで携帯を使ってニッサンレンタカーに連絡、国際線近くで迎えに来てくれることになった。場所は空港ビルの向い側だった。6時間分の料金を支払い、ナビゲーションを「えびの高原」にセットしてもらってから11時前に出発。
国道223号線を走って牧園町を通過、霧島温泉郷に入ると湯煙をたてていた。ゆるやかな登りが続き、えびの高原温泉のバス停を過ぎる。
霧島の横断歩道鹿渡る
もっと近づけないかと走っている内に赤松千本原の方に降りてしまう。途中、露天風呂があった。元に戻って道脇に駐車。本など不用なものを車に置いていく。
11時58分、快晴の下、石畳を登っていく。まず硫黄山に行き、左折して丸太棒で石が崩れるのを防いだ道を登る。
賽の河原に出てジグザグに登り、雑木林を過ぎ、急登が続く。
12時30分、5合目。中高年の団体が休んでいる。リーダーが案内していた。「長くいると冷え込みますから、そろそろ出かけます。調子悪くなったら何時でも私か、最後にいる何某に知らせて下さい」お先に登っていく。右手には大浪池が噴火口の中に見えた。
左手の足下も噴火口で、こちらは池になっていない。直径800m、深さ300mの火口内は草も生えない瓦礫だった。
大浪池の火口内には木々が生えている。その違いが風景を一変させているようだ。前方頭上には東南アジアに向う飛行機がジェット雲を作りながら飛んでいく。
13時、頂上に立つ。
新燃岳、高千穂峰が見えたが、桜島は見えなかった。
高校生達が下で食事をとっていた。大阪の明星高校で、船で宮崎まで来て高千穂峰から縦走している。明日は開聞岳を登る。風が冷たいのでレインウェアを着る。近くでオニギリを食べていたら、先程の団体がやってきた。羽田から今朝8時の飛行機でやってきている。毎日新聞のツァーで明日、開聞に登る。
20分後、下山。ストックがないので慎重かつ急いで降りていく。
14時、車に戻り、高千穂河原に向う。30分後、有料駐車場に車を停めて登る。尾羽の長いエナガという青い鳥がチーチーチー、チャッチャッと鳴いていた。石畳の道のあるところは、公園風で木々の名前が書いてある。ヤマザクラ、タンナサワタギ、ヤマハンノキ、アオハタ等。展望場を過ぎると歩きにくくなる。日差しが強いところに出て水を飲んでいたら、青年2人が登っていく。火山灰で足をとられて登りにくい。踏み固められたところを選んで登る。やがて青年が後ろから追い越していく。さっきの2人と同じグループの様子。
15時15分、御鉢の尾根に着く。彼らは休みが終り、歩き出す。火口には落書きが残っていた。
半周したところで、犬を連れた女性ハイカー2人に出会う。犬は風に毛をなびかせ、気持ちよさそうだった。尾根では、まともに風にあたり寒い。吹き飛ばされないように気をつける。御鉢から一反下り、登り返す。足元は一層登りにくくなる。
今度は、一応、登山道が出来ていた。
15時40分、高千穂峰登頂。強風の中、青年達と写真を撮りあう。
彼らは福岡から車でやってきた。途中、祖母山に登っている。2人は韓国岳から縦走、1人は既に経験しているので韓国岳の後、車を運転して高千穂河原に駐車してきている。風が強い上、寒くてじっとしていられない。天の逆鉾を写真に撮っただけで、小石を記念にピックアップして降りる。遠くに韓国岳が見えた。
御鉢に向けて降りていく。
注意しながら降りたが、一度、足をとられ後ろに倒れる。その折、背中に石が当たる。更に慎重に降りていく。
16時50分、駐車場に戻る。序にビジターセンターを訪れる。火山や自然についての情報をパノラマやビデオ、音声で紹介していた。
17時34分、霧島神宮に参拝。ここの桜は蕾だった。神官が明後日には咲くでしょうと言っていた。展望台から桜島や開聞岳が見えるようだが、霞んでいて見えなかった。事務所の奥で横笛の練習をしていた。
霞たる神宮に笛澄みわたる
満開の菜の花畑を見ながら、空港に向う。温泉に入りたかったが、空港まで無事に運転する自信がなかった。暗くなる前に着けるように運転する。
18時40分、空港に着き、三菱石油のガソリンスタンドで満タンにして戻る。94キロ走っていた。超過時間を1時間にして払い、空港まで送ってくれる。398便も空席があり、最後部の窓側に座る。
22時過ぎ、羽田に着陸。
Karakunidake(1700m) border of Kagoshima pref. and Miyazaki pref.
100Famous mountains in JapanTakachihonomine(1574m) border of Kagoshima pref. and Miyazaki pref.
200Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Kagoshima airport→national road504,pref.56,national 223,pref1,
National223,Ebino kougen →pref.road1,104,Takachihokawara
2. Information::Ebino city(0984-35-1111)for Karakunidake
Takahara town office(0984-42-2111)for Takachihonomine
3. Season:all year
4. Records:Mar22
12:00-13:00 Climb from Ebinokougen(1180m) to Karakunidake. You can see crater lake Ohnamiike.
13:20-14:00 Back to starting point. Drive to Takachihokawara.
14:30-15:40 Climb from Takachihokawara(980m) to Ohachi(1408m) and peak where Sakahoko is standing.
15:45-16:50 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
薩摩富士巡り
1.2000年5月8日 ~9日
2.交通:羽田JL393便(08:30―10:10)
バス:鹿児島空港―山川桟橋¥2400
3.宿泊:国民宿舎「かいもん荘」(2007年閉館)
4.施設:フラワーガーデン¥1200
5月8日(月)快晴
6時30分、前日に購入した携帯電話を胸ポケットに入れて出かける。
7時40分、羽田でチェックイン。機内には高齢の登山客が多い。スランバーマスクに耳栓をして休む。着陸前のベルトサインがつく迄グッスリ休む。鹿児島空港に着いて山川桟橋行きのバスを探す。
10時5分、空港案内所で聞いて指宿行き乗場に向かう。切符を買って乗り込んだ途端出発してしまう。高速に入ってしばらくしてから止まり、空港迄戻る。20分発のところを早発してしまった。13人乗ってくる。 バスは幾つかのトンネルを通って鹿児島に行く。
11時過ぎ、皇徳寺で1人降りた。この辺は住宅街、マンションも多い。日差しが強く、道端に花が咲き、新緑がまぶしい。市内に入り、産業道路を走っていく。港に近い卸団地で8人降りていった。 テトラポットより大きいのを作っている。
大東エンジニアリング、IHI等の工場が続いた後、海岸線を走る。日石石油基地の近くに中名駅があり、その前でビジネスマンが降りていく。同乗の客も少なくなってきた。
広島で22歳の孫の出来ちゃった結婚に参列してきた老夫婦がいる。御殿場の妙見堂住職夫婦は、指宿を観光した後、隼人の妙見温泉に泊まる。岩崎ホテルを通り、山川駅で止まる。ここは日本最南端の有人駅だった。
12時33分、開聞行きJRバスが出る。県立山川高校が丘の上に建ち、そこを過ぎると客も少なくなっていた。空港から一緒で前に座った年配の人は93歳、曾孫の節句祝いの為、群馬、栃木を旅して羽田まで送ってくれた。徳光で降りていく。
フラワーガーデンでバスを降りて、時間をつぶす。入場料を払って歩いていくと、オランウータンを連れた飼育係りの女性に会う。
入り口の門ではオウム2羽に上から迎えられる。開運をよぶ白蛇やサボテン、フラミンゴ、猿、金魚を眺める。
13時30分、チンパンジーショーが始まる。さっき会ったチンパンジー「ミッキー」が棒高跳び、ダンクシュート、クッキング、裁縫を演じていた。15分で終り、しばらく園内を歩く。海岸に出ると開聞岳が右手にどっしりと構えていた。左手に長崎鼻の灯台が見える。長崎鼻は薩摩半島の最南端だった。
開聞は「海門(かいもん)」から名づけられているようだが、日本から東南アジアに向かう時の空の通過点でもある。赤い小型バスに乗り、開聞温泉前で降りる。150mほど奥に行くと古ぼけた共同浴場がある。中には老男老女がつかっていた。入らずに海岸を歩く。波打つ音が気持ち良い。トンビが大きな羽を伸ばして悠然と頭上を飛んでいた。
海鳥が沖で海面に突っ込み魚を捕っている。浜辺では鳥の足跡が残り、その近くに魚のハラワタだけ消えた死体が残っていた。
15時30分、裏から国民宿舎「かいもん荘」に入る。304号室に入ったところで携帯電話が鳴る。携帯を持ってはじめての受信。鹿児島のKさんからだった。産後、産婦人科に行っていた。明日、下山後、会うことにする。
外に出て散歩。明日のためにバス停留所を確認し、さつまいもやカボチャ畑を通る。川尻小学校を過ぎると酒屋があった。薩摩焼酎「薩摩の香り」を買い、雑貨屋で明日の登山に備え、水と行動食を買う。魚が豊富なせいだろうか、猫が多い。宿舎に戻って露天風呂に入る。鉄分が多い。開聞岳を近くに眺めながら湯につかる。
五月晴れ開聞浮かす温泉湯
露天風呂山をかぶせしよしずばり
18時、食堂で夕食。食後、部屋でテレビを観ながら寝てしまう。深夜、テレビの音で目を覚ましスィッチを消す。夜空に飛行機の赤い光が点滅しながら通り過ぎていく。闇夜に開聞岳の形が見え、波の音しか聞こえなかった。いよいよ明日、東南アジアに向かう航路から良く眺めていた山へ登るので寝つけなかった。
開聞岳(922m)
地図:国土地理院1:25000開聞岳、長崎鼻
昭文社・山と高原地図58霧島・開聞岳
5月9日(火)
6時、目覚まし時計で起きる。小鳥の鳴き声が波の音より姦しい。朝食をとり、テルモスにお湯を入れておく。
7時21分、赤いJRバスに乗り、運転手の直ぐ後ろに座る。初老の男性がリュックを背負って乗ってきた。奥さんが見送っている。指宿で落ち合うという。新潟三条市の「おいらく会」事務局長をしており、千メートル台の山を登っている。往復必ず同じルートをとり、調子が悪い時は留まり、戻るようにしている。運転手曰く、今月中旬でこのルートの運行は廃止される。これだけ少ない客では、廃止も仕方がない。
7時半、開聞中学前で降りる。ここから山が二段構えになっているのがわかる。
自動車道を歩いて20分、ふれあい公園の中にある登山口に出る。斎藤茂吉の歌碑が建っていた。
開聞は園かなる山とわたつみの中より直に天に聳えけれ 斎藤茂吉
アオキ、イヌビワ、サカキ、モミなどの常緑広葉樹林の中を徐々に登っていく。途中、山猫に出会う。45分後に5合目通過。苔が樹木を覆っていた。
6合目あたりから岩が出てくる。9時、ベンチのある7合目を過ぎると、大岩が積み重なってくる。
この山は885年の噴火でコニーデ型の火山の上にトロイデ型の火山が重なって出来ている。この辺からトロイデ部分のようだ。ハゼの木だろうか低くなった樹間から太平洋が見えてくる。
時計回りに巻いて登り、山伏の修行場である仙人洞を過ぎ、岩場を登る。鳥居と祠があった。
9時50分、開聞岳登頂。
池田湖や鰻池は良く見えるが、対岸の大隈半島になると霞んでいた。77歳のハイカーは今朝、鹿児島から自家用車でやってきた。他に、沖縄で失業し、千葉の実家に単車で帰る途中の青年は、この後、宮崎に出てフェリーに乗るという。ここには枚聞(ひらきき)神社奥宮の祠と鳥居、そして昭和63年7月20日に皇太子殿下が登頂された記念の碑があった。石碑は開聞岳の形をしている。
オニギリにお茶で腹ごなししてから降りる。枕崎に行く途中の町「えい」の小学生が登ってきた。
開聞岳遠足の列続きをり
最初の3人から30分の間隔で続いていた。5合目で一息ついていたら、赤ヘルメットをかぶり、リュックの下に小さなバケツを下げた青年がやってきた。京大大学院生で、桜島と開聞岳の火山活動調査をしている。手には土を掘り起こす道具を持っていた。885年の爆発で現在の山容が出来ているが、その後の爆発は起きていないと言う。
11時40分、登山口に戻る。水を補給していたら、中年ハイカー夫妻がいて、山川駅に帰るところだった。松戸の自営業者で登山暦7年、既に百名山を58登頂している。一緒に歩いていく。バス停の前のお墓は立派な上、花が供えられていた。山川駅行きバスに乗ったら、朝のバスに乗っていた高校生に会う。学校帰りで、卒業後は働きに出るという。
山川駅、12時45分発。西鹿児島駅、14時15分着。中央郵便局に向かう。白髪の女性が私の名前を呼んでわかった。Kさんのお母さん。バスで来ると思っていたらしい。赤ちゃんは姉が面倒見ている。まず長島美術館に向かう。途中、お墓を通る。ここも花で一杯。美術館からは桜島を一望できた。館内には焼き物、大島紬が展示されている。次に南に走る。ラサール高校を通り、大きなレストランに入り、キビナゴの天ぷらとケイハン(鶏飯)を食べる。食事中、Kさんの名前のことが話題になる。ご両親が熱心なキリスト者及び教育者で、聖書の詩篇23編に「いこいのみぎわ」とあり、そこから「みぎわ」と名づけた。久しぶりにキリスト教の話になる。復活の意味が解けたようだ。イエスは神の道に化けたのだ。
道化なるキリストの春復活せり
再び街に戻って、念願のドバラダ門の前に立つ。
鹿児島刑務所の門。高校同期生が「ドバラダ門」という本を書き、ここでピアノを弾いている。彼の祖父が建築家で、日本の5大監獄を設計、その内の一つ。その刑務所だったところが、今はアリーナになっていた。近くの甲突(こうつき)川は7年前に堤防が決壊しており、堤防が頑丈かつ高く築かれていた。
次に西郷隆盛像の前を通る。上野公園とは違って太い眉が凛々しく跳ね上がっていた。車が止まったところは、隆盛が城山で立てこもった洞窟だった。
薩摩切子の店では桂石から七色の作品に仕上がるまでの経緯が展示されていた。最後に島津別邸、神社、尚古集成館、フランシスコ・ザビエル上陸記念碑を周っていく。桜島を車内から眺める。噴煙は見えなかった。
18時20分、2人に挨拶して空港行きのバスに乗る。棕櫚の並木を通って空港へ行く。未だ陽が落ちていない。
20時にチェックイン。JL398便はB777機材。機内でぐっすり休んだ。
Kaimondake(2544m) in Kagoshima pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Airport→Yamakawa station→KaimonTozanguchi by Kagoshima koutuu bus(0993-22-2211)
2.Information:Kaimon tourist center (0993-32-2677)
3.Season:Jan to Oct, Aug to Dec
Records:May9
7:50-8:40 Walk from gate(in Fureai park160m)and climb to 5th stage(520m).
8:45-9:10 Climb to 7th stage(about680m).
9:10-9:50 Climb to peak. There is momument of prince Naruhito.
10:15-11:40 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1999年8月10日~11日
2.単独行
3.交通:広島―米子(特急)¥4940+¥1150 バス:米子=大山¥1720 米子―広島¥3800
4.宿泊:ホテル真田¥4000
5.地図:国土地理院1:25000伯耆大山
昭文社・山と高原地図53大山・蒜山高原
8月10日(火)
宿泊所広島プリンスホテルは、6日の原爆記念日式典に参加した小渕首相が泊まっていた。5年前、宇品島の中に建ち、橋一つで繋がっているので警備上、安全なリゾート風ホテル。
13時半にチェックイン。シャワー、洗濯をすませる。20分置きに出ているバスに乗って広島駅に向う。八丁堀など市内の目抜き通りを走っていくので時間がかかった。
16時、駅前に着き、取りあえず近距離最長切符を買って入る。10分、快速スーパーらびっと号四両編成は7番線ホームに入ってきた。三原駅までノンストップ、検札の時に米子までの追加料金を支払う。
17時50分、福山で、孫2人を連れたお祖母さんが隣に座ってきた。兄妹は仲良くタコ焼きを食べ、ポカリスウェットを飲み、お祖母さんは「午後の紅茶」を飲みながら岡山までの駅名を延々と教えている。岡山からバスに乗って孫たちをジジババの家に連れて行く。倉敷駅で降りて新見まで鈍行に乗り継ぐ。待つ間に米子駅近くの宿泊先に電話、グリーンホテル米子は満室、ホテル真田には一室残っていたので予約する。各駅電車は通勤用で通勤、通学客で一杯だった。リュックを網棚に置き、何とか座らしてもらう。耳栓をつけて本を読む。夜の一人旅は、景色に誘われることなく読書に集中できる。途中、対向車や特急の通過を待つ。
夜汽車乗り一人書を読む夏の旅
20時11分、新見駅。電車は折り返し岡山に向う。5分後に特急「スーパーやくも25号」がやって来た。お客は殆ど休んでいる。走る響きが心地よい。
21時17分、米子駅に着き、大通りに面したホテル真田に入る。部屋は奥にあり、テレビ、バス、トイレ付きで山小屋より格段に良い。缶ビールを飲んで休む。
8月11日(水)
7時、チェックアウト。駅に行って大山寺行きのバスを確認する。
2つの会社が運営していて7時40分発があった。駅内のコンビニで登山用の食糧を買い、ざるソバを食べる。鮭寿司が売りの店「米吾」に入って昼食用に鮭寿司を買っておく。バスに乗り込むと、年配のハイカーが前に座る。東京発の夜行バスで7時に着き、登山後は玉造温泉に入って帰る。日本の山と温泉を歩きまわっておられる。利尻から屋久島まで、いろいろと顛末を聞く。バスは国道24号線を走っていく。
8時40分、大山寺。先輩と別れ、広島行き高速バスの時刻を確認しておく。米子発は15時30分と18時10分があった。観光センターに寄って登山情報を得、序に洗面具や本をバッグに入れて預からしてもらう。
9時、出発。旅館街を抜け、川を渡り、石畳の参道に入る。志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した場所、蓮浄院は荒れていた。
参詣道に入っていく。左側の水路に水はけがよくなるように道が傾斜していた。杉林の中、学生が山に向って走っていく。合宿で運動しているようだ。行者谷からはブナ林をジグザグに登っていく。1時間後に見晴らしの良いところに出る。
眼下では砂防工事を大々的にやっていた。家族が多い。小学生の女の子が「オハヨウゴザイマス」と挨拶する。福山から祖父母と一緒にやって来たという。6合目避難所を通るとホソバノヤマハハコや薊、紫陽花の花が咲いていた。
11時5分、8合目を過ぎると尾根に出る。高度1600m、冷風が気持ち良い。
見慣れぬ花がどんどん現れる。おばさんハイカーに名前を聞く。「どっちだったかしら」と迷っていたら、避難小屋からオジサンがマイクを使って教えてくれる。「紫色のがウツボグサ、白がホソバノヤマハハコ、黄色がコオトハナ」
木道が山頂まで続いていて自然が保護されている。ダイセンキャラボクという樅に似たイチイの変種の木が地を這うように枝を伸ばし青々としていた。かって山頂一帯が禿山になって雨水による侵食が進み、地元の人が登山者に呼びかけて麓から石や苗木を山頂に運ぶ「一木一石運動」を展開した成果だ。
11時35分、弥山に登頂。雲海の上に立ち、清々しい。
剣が峰への道は通行止めだった。
蜻蛉が気持ち良く飛び交っている。停まる姿は、尾を高くあげているのもいたり、いろいろだった。
雲上の伯耆富士山蜻蛉舞ふ
背中にあてたタオルを絞ったら、汗水がドッと出てくる。気圧のせいでパック入りインスタントソバがパンパンに膨らんでいた。お湯を入れて食べる。
12時半、出発。今度は石室を経由して降りる。梵字ヶ池は枯れあがっていた。右も左も瓦礫、下からガスが立ち込めてきた。元の道に戻る。バスで一緒だった先輩が休んでいた。
夜行で来たので、やはりかなり疲労している様子だった。ストックを使って降りる。
5合目で行者コースをとる。木棒で出来た階段が続く。ハイカーは、いなくなる。その内、堰堤工事現場に着く。
ここには元谷避難小屋もある。炎天下から見上げた風景は、上高地から望む穂高連峰に似ていた。ブナ林を降りていく。一息ついて横になって休む。空というキャンパスに無数の葉が埋まっていた。
昼寝時ブナの葉模様天に画く
大神山神社が下に見えてきた。
遠回りして「僧人コース」を降りていく。参道には「日本一長い自然石の参道」と書いてあった。参道の土産店でビールを買って飲んでいたら、福山から来た家族に会う。
14時40分発のバスに乗り込む。米子発15時30分に間に合うかどうか、運転手に聞くと、上手くいっても丁度その時に着くので無理という。諦めて途中の米子市美術館前で降りる。ところが水曜日は閉館。近くの米子市立山陰歴史館に入る。ここは15年前まで市庁舎だった。米子城の築城から代々の城主のことや、明治時代の人力車やだるま式自転車が陳列してあった。館長がかってミャンマー日本人学校に赴任していたため、ミャンマーの資料も展示されていた。面白かったのは大日本金満家リスト。明治36年では、大関に小西新右衛門、本間光郷。関脇に三井源右衛門、三井守之助。別格に毛利、前田、島津など元大名家の名前が書いてある。昭和4年になると、横綱は岩崎家、大関に住友家、小結が野村徳七。2.26事件の西田税は米子市の出身だった。
外に出て、星座をあしらった街路を歩いて駅に行く。広島バスセンターで切符を買っておく。食事を済ませトイレでシャツを着替え、バスの中で汗臭さがないようにしておく。
18時15分、予約客が乗ってから出発。座席は倒せるし、居心地が良い。しばらく川に沿って登っていく。2時間近く一般道路を走ってから中国自動車高速道路に入る。七塚原サービスエリアで10分休憩。その間にキツネソバを掻きこむ。
21時25分、広島バスセンター着。タクシーでホテルに戻る。
Daisen(1709.4m) in Tottori pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus: from Yonago station to Ohyamaji.
2. Information:Ohyama town Ohyama branch(0859-53-3311)
3.Season:May to Nov
Records:Aug11
8:45-9:00 Walk from Ohyamaji bus station(770m) to gate.
9:00-10:20 Climb to 6th stage(1411m).
10:25-11:05 Climb to 8th stage.
11:05-11:35 Climb tree way among Daisen taxus cuspidata to peak and take meal.
12:30-14:30 Down to starting point.