グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

                          巻機山(1962m)

1.2000年10月13~14日

2.ツアー:アミューズトラベル 費用18500円+保険金¥500(救援者費用100万円、死亡・後遺障害1754万円等)

3.地図:国土地理院1:25000巻機山

    昭文社・山と高原地図⑮越後三山

10月13日 (金)                                       

  22時半、新宿駅西口。中央口の地下を降りていく。通路は人・人・人、流れに入って動く。京王電鉄口の方から階段を上がると安田生命ビルが見えた。街角で「アミューズ・トラベル巻機山」と書いた看板を持っている女性に会う。名前を申し出る。中型のワインカラーバスがやってきた。皆について乗り込む。座席表の6番窓側に名前が書いてあった。今回は満席で男10名、女12名。

 23時、定刻に出発。山本さんがマイクを持って、ガイド、運転手の紹介に続き、スケジュールを伝える。

「三吉パーキングで休憩。その後、車内を消灯。六日町ICで降り、1時頃コンビ二前に駐車。トイレのある桜坂駐車場で朝食をとっていただいた後、出発します」

その後ビデオでNHK百名山「巻機山」を放映。一般道路に出て、車が曲がったり、停まったりしたせいか、目を覚ます。外は雨だった。

10日14日(土)雨のち曇り

4時過ぎ、バスがしばらく停まり、更に動いてから停まった。桜坂駐車場に着く。

4時半、山本さんが話す。

「雨が降っていますので、登山口までやってきました。予定より30分遅れて出発します。これより朝食を済ませて下さい。昼食の弁当を配ります」

弁当は袋の中にはオニギリ2つ、アンパン1つ、ビタミンゼリー1つ入っていた。用意した朝飯と変わらない。ウーロン茶を飲みながら、腹に詰め込んでおく。レインウェアを着て、スパッツをつけ、着替えやサンダルを袋に入れてバスに置いていく。外は思ったより寒くない。ヘッドランプをつけてトイレに行き、小用を済ます。

5時半、小市ガイドの掛け声で準備体操。薄明、小雨の中を出発する。行き先に近かった為、ガイドの後ろ、女性2人の後について歩く。40分歩いて休憩。泥々の山道を黙々と登っていく。所々で動物の排尿の臭いがした。井戸の壁を登る。

          薄明や枯葉踏みゆく越後山

7時、5合目の焼松展望台で休憩。雨も止んできた。見晴らしの良い所だが、米子沢の滝の音が聞こえるだけだった。

2000101406.JPG米子沢

 雨やみて滝音高き五合尾根

 7時50分、6合目の展望台で休憩。黄葉と桃色の実を見ながら登る。ゆっくりと、確実に登って行く。ブナ、カエデの葉が淵の方から黄色くなり、笹の葉に鳥の糞がついていた。女性ハイカーは相変わらず姦しい。登山経験を次々と披露している。ダケカンバ、ミズナラの林の中を進む。低木帯の急斜面を登る。

 8時40分、檜穴の段で休憩。ここから先は紅葉がはじまっていたが、赤い色はダケカンバの実だけだった。

2000101405.JPG

七合目の物見平(1564m)を通過。丸太棒で階段にした井戸尾根を登っていく。

9時20分、前巻機山(1861m)登頂、9合目だった。風が冷たいので、写真を撮ったら直ぐ出発する。

2000101408.JPG前巻機山

 

                                                                  

9時40分、避難小屋に降りてトイレタイム。ここから笹原をぬって木道を登り、頂上をめざす。

2000101402.JPG

分岐点では、先行した3人組がリュックをデポしていた。なだらかな登りの後、下る。ガイドが止まり「頂上を過ぎているようですので戻ります」。百名山なのに、標識も三角点もなかった。

2000101411.JPG頂上

10時20分、植生保護のマークがある所に戻る。ボランティアが行政と連携をとりながら植生保護に努めていた。丁度、雲が切れて八海山の尖った峯峰があらわれ、右手に駒ケ岳の一部が見えた。

2000101409.JPG

牛ヶ岳の右下にダム湖がある。奥利根湖だろうか。反対側には割引山。避難小屋の方は草紅葉のジュータン。斑が入った皮が敷かれているようだった。3つの池糖が見える。小市ガイドが案内する。

「左の小さな池が、かって一番大きかった。雪が運んだ土が溜まっていき、20年後には埋まってしまうと言われています」

2000101407.JPG

     草紅葉緑かすかに残しをり

 11時20分、避難小屋に戻って昼食をとる。別のグループがベンチを占拠しており、草原に座って食べる。ここは頂上より暖かい。山本さんがココアをペーパーカップに入れて皆にサービス。熱くておいしかった。頭上は天気回復の症候、層積雲が高くたなびいていた。秋だ。

11時50分、出発しようとしたら、大パーティがやってきた。川崎市民登山80名。待っている内、巻機山が見えてきた。なだらかな山容で草紅葉が鮮やかだった。

2000101401.JPG巻機山

 駒ケ岳から見て黄金色に輝いていたというのもわかる。歩きながら鑑賞する。カメラが趣味の男2人は、盛んにシャッターを押している。割引山の方は、雲の出入りが激しい。全貌が見えたのは一瞬で写真に収まらなかった。

 同じ道を戻っているのに景色が違う。紅葉真っ盛りの所を降りて行く。

2000101404.JPG

 7合目迄の井戸尾根は、庭園のようだった。何度か足を止めて写真を撮る。

2000101403.JPG

 天狗岩は切り立っており、人を寄せ付けない。途中、50分毎に休みながら降りていく。7合目以降は樹林帯の中。足元がすべりやすく尻餅をついている人が出てくる。山本ガイドやカメラマン達と山や写真の情報交換をする。アミューズトラベルは福岡に本社があり、東京地区は未だ新しい。スタッフも5人だけでやりくりしている。海外登山は各地区から参加するので、直ぐ一杯になってしまう。「キリマンジャロは12月と2月に予定していますが、20人単位、既に一杯です」序に状況を聞いておく。今まで無事故で、70歳の女性も完登している。

 15時15分、駐車場に戻る。汚れた靴やレインウェアをトイレ近くの水場で洗い落としに行く。一つの蛇口では時間がかかるので、ビニール袋をもらって靴を入れ、バスに乗る。

 15時35分、出発。臨席のA氏と湯沢温泉に着く迄、酒を飲みながら話す。会津出身の山男で現在稲城市に住んでいる。百名山の内76座登頂、尾瀬には福島県側から50回程行っている。小学生の頃、朝日連峰に登るのに身体を浄め、米を持って山の神社に奉納するといった話から、熊肉を食べたことや、道に迷ったハイカーを救助したこと、「八甲田山死の彷徨」と同じような経験を吾妻山でしたこと等、尽きなかった。

 16時15分、温泉に入る。汗を流し、着替えて、ビールを飲み、富士見酒店で自家製の吟醸酒「巻機」を買ってバスに戻る。福岡出身の女性ハイカーは、風呂に入らず、馴染みの酒店に行って「越しの寒梅」を仕入れてきた。

 17時、定刻に出発。途中、高坂ICでトイレタイム。再びスランバーマスクに耳栓をして休む。高速を降りてから目がさめる。

 20時半、予定より30分早く、新宿駅西口につく。

付記:百名山巡りに熱中しだした頃、アクセスが便利なので一度、ツァーを利用してみた。偶々、2009年7月のトムラウシ、今回(2012年)の「万里の長城」遭難を起こした会社を利用したことになる。

上記したように、事前調査をしていないので頂上がどこかわからなかった。このレベルですんだし、終了後、集合写真を送っていただいている。ガイドの質に問題があるのは確かだが、生存者は防寒具を用意している。利用者は自己責任という気持ちで、体調を整え、携行品を準備して、不明な点は自分で確認する態度が必要と思っている。

Makihatayama(1967m)  in Niigata pref.   100Famous mountains in Japan

1.  Amuse travel Tour

2.     InformationMinamiUonuma city Shiozawa branch(025-782-0250) 

3.SeasonJun to Oct

RecordsOct13

23:00-4:05    Shinjyuku-Sakurazaka by Tour bus.

Oct14

4:30-5:30    Take breakfast and stretch.

5:30-7:00    Climb from Sakurazaka(740m)40minutes and take rest to 5th stage.

7:10-7:50    Climb to observatory.

8:00-8:40    Climb to 7th stage(1564m).

8:45-9:20    Climb to MaeHataoriyama(1861m).

9:20-9:40    Down to refuge lodge.

9:45-10:20   Climb to peak.

10:45-11:20  Back to refuge lodge and take meal.

11:50-15:15  Back to starting point.

15:35-20:30  Back to Shinjyuku by Tour bus.


グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

                                   大菩薩岳(2056.9m)

1.出発日:2000年4月26日

2.同行者:HMAMI

3.車:MI ¥7200

4.塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」¥600(市外者)

5.地図:国土地理院1:25000大菩薩峠、柳沢峠

    昭文社・山と高原地図24大菩薩連嶺

6時、新宿南口でセフィーロ車に乗り、高速を走って勝沼で降りる。青梅街道に出て、雲峰寺を右折、ロッヂ長兵衛手前の駐車場に車を停める。

20004261.JPGロッヂ長兵衛

7時50分、車道を歩いていく。「福ちゃん荘」の前で落葉松尾根を登っていく。

fukuchansou.JPG福ちゃん荘

ダケカンバやブナの樹林帯から唐松に変り、ジグザグになる。1時間で稜線に出る。曇天の中、更に登っていく。

9時過ぎ、雷岩に出る。

kaminariiwa.JPG雷岩

別名、神成岩、雨乞いの祈祷所でもあった。左折する。

9時15分、ツガの原生林の中に頂上の標識があった。雌のルリビタキだろうか、2羽の小鳥が近くの枝にやってきた。小さく切ったパンを手の平に置いてかざすと、ついばんで行く。

20004262.JPG

    小鳥飛ぶ大菩薩嶺春を待つ

 雷岩に戻り、大菩薩峠に向う。稜線を昇り降りする。

9時55分、きれいな避難小屋で食事をとる。

20004263.JPG

小さな石が転がっていた。この一帯は賽の河原と呼ばれ、かって人馬が往来していたところだ。食後、歩いて20分、大菩薩峠に出る。

20004264.JPG

中里介山自筆の供養塔には「上求菩提 下化衆生」と刻まれている。介山荘がひっそりと建っていた。笹原を一気に降りていく。途中、ブナの樹林帯の中、勝緑荘や富士見山荘を通っていく。

fujimisansou.JPG富士見山荘

11時30分、車に戻る。靴やストックを洗ってから車に乗り、烈石の雲峰寺に寄っていく。杉の大木の間の石段を登ると本堂が見えた。

20004265.JPG20004267.JPG

745年、行基建立の寺で、武田家の祈願所。宝物殿の前に立つ樹齢700年といわれる桜に咲く花は見事だった。

20004266.JPG

近くの塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」に行く。露天風呂に入って、山からの水を集めた重川のせせらぎの音を聴きながら、身体をほぐす。

daibosatunoyu.JPG大菩薩の湯

14時30分、風呂から上がる。ここには直売所があり、トマト、シイタケ、マイタケを買う。時間があるので勝沼ワイナリーの万寿園に寄って帰る。

20004268.JPG万寿園

Daibosatsudake(2056.9m)  in Yamanashi pref. 

              100Famous mountains in Japan

1.AccessCar is better.Chuo expressway KatsunumaICnational road20,411,pref.201,LodgeChoubee

2.InformationKoushuu city office(0553-32-2111) 

                 Daibosatsunoyu(0553-32-4126)

3.SeasonApr to Jun  Oct to Nov

RecordsApr26

7:50-9:00    Climb from LodgeChoubee to Kaminari rock.

9:05-9:15    Climb to peak.

9:25-9:55    Down to refuge lodge and take meal.

10:30-10:50  Walk to Daibosatsu pass(1897m).

10:55-11:35  Back to starting point and enjoy hot spa at                            Daibosatsunoyu.


グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

            甲武信ヶ岳(2475m)

1.2001年5月13~14日

2.単独行

3.車 首都高速¥700 三鷹¥600 中央高速:勝沼¥1800 雁坂トンネル:¥710

    皆野寄居¥410 関越自動車道:花輪―練馬¥1800 走行155キロ

4.甲武信小屋1泊2食¥7000

5.地図:国土地理院1:25000雁坂峠、金峰山

     昭文社・山と高原地図26金峰山・甲武信

5月13日(日)

 6時30分、出発。日曜日なので首都高速は空いている。東相模湖で、雪の富士山が手前の山々から少し浮き立っていた。快晴の下、順調に走り勝沼インターで降りる。山梨市を通り、途中、コンビニで食糧を調達、国道140号線に出て右折、笛吹川を遡っていく。

 広瀬湖に出ると、前面に木賊(とくさ)山が見えた。西沢峡谷入り口を右折、駐車場に入る。一杯で、段構え下の奥、スペースぎりぎりの所に駐車する。

 9時、歩き出す。家族やカメラ撮りの人達と歩いて行く。峡谷散策で身軽な格好をしている。20分後、入山届用紙を持って立派なトイレに入り、便器に座りながら書く。

 昨日、甲武信小屋に電話した際に教わった通り、近丸新道登山口の先300mに登山口があった。靴の紐を締めなおして入っていく。丁度、青年達が下山してきたのでルートを確認、徳ちゃん新道を登っていく。山ツツジの淡い紫の花が両脇に咲き、足元に落ちたばかりの桜の花びらが点在していた。65キロになった身体を運んでいく。40分毎に5分休む。休憩時、財布や長袖シャツをリュックに入れたり、水にビタミン粉を入れる。ブナの木にツガ等の針葉樹が混じってきた。石に鹿の毛らしいものが引っかかっていた。見晴らしの良いところで休む。広瀬湖が見えた。

200151301.JPG広瀬湖

 

 11時25分、高度1770mに達し、降りて登り返す。石楠花の蕾が一部咲き出していた。尾根を登り、高度1800mを越えると石楠花は咲かず、代わりに林の中に残雪を見かける。

         石楠花や七合目より蕾なり

200151302.JPG西破風山

 12時、下山者に会う。朝4時半から登ってきた。頂上も寒かったが、麓も6度だった。靴は雪で濡れていた。シラビソやコメツガの林の中を登っていく。1キロ太ったせいなのか、昨日の朝バンコクから帰ったばかりだからか、身体に切れがない。日帰りハイカーに追い抜かれる。大木の根に座ってオニギリを食べ、お茶を飲む。リュックも軽くなった。残雪を踏みしめて登る。

 14時、木賊山。林の中、標識が雪に半分埋もれて立っていた。

200151303.JPG木賊山頂上

 降りるところも雪が積もり、ズボっと足をとられる。

 14時20分、甲武信小屋に着く。小屋下にテントが張られ、小屋の前の真新しい木組みスペースのベンチに中年男性が座っていた。話し振りから先生で、下に居る生徒達を引率しているようだ。小屋を覗いたが、誰もいない。先生が「いま居ません」と教えてくれる。

200151304.JPG甲武信小屋と甲武信岳

 一息ついてからリュックを置いて、カメラと水とストックを持って甲武信ヶ岳に向う。

丁度、青年が登っていくので、後につく。頂上で写真を撮り合う。

200151305.JPG甲武信岳頂上

200151306.JPG左、金峰山

 富士山は見えなかったが、金峰山と瑞牆山が近くに雪を残して見え、奥に雪の八ヶ岳が見えた。地図を見ながら両神山も確かめる。眼下に甲武信小屋と木賊山が見えた。

200151307.JPG

  青年は埼玉から来ており、今日中に降りるという。夜に備えてヘッドランプを持ってきていた。青年がビールを出したところで先に降りる。小屋に戻り、中を覗いていると、後ろから声がかかり「泊まりですか」。髭面のオッサンは小屋の主人、山中徳治さんだった。

200151308.JPG小屋の中

「18時に夕食、5時半に朝食。靴は、あそこに入れて。寝るのは2階」とぶっきらぼうな言い方で説明を受ける。板敷きの広場で他の人達と日光浴しながら雑談する。桧の板で、子どもが通れない間隔で柵を作り、屋根もつけるという。日の出は4時48分、今月中に雪はなくなる。

 生徒が着ているジャケットに「所沢・山の道化師・山岳部」と書いてある。積雪を整え、思い思いに料理を作っていた。ベンチでは、高野豆腐を煮込んで料理していたが、余り美味しく出来なかったようだ。陽が落ちてきたので、小屋に入って2階で荷物を整理していると、徳さんから「酒のみませんか」と声がかかる。ブランディを持って下に降りる。

 入り口でオッサンが入ってきた。「山中さーん、お客さん」と声をかける。

 食事をとるところに座る。手伝いというか居候している2人がいた。名古屋から来たT青年は、来月から十文字小屋で働き、夏は聖岳で働く。Aさんは、土日に来て手伝っていたようだ。土曜は20人以上泊まっていた。150人収容でき、それ以上はことわることにしている。

 焼酎のお湯割りをいただく。ツマミはキャベツと魚のマヨネーズ和え、胡椒が効いて美味かった。やがてオッサンもやって来る。雁坂小屋に泊まり、残雪に苦労してきた。避難小屋で休んでいたら、下から道に迷って登ってきた青年に会う。(水を調達に行っただけのよう)埼玉の人でボソボソと聞きづらい話し方で、登山暦2年目と言うが、知識の方は10年、マナーは1ヶ月といった感じ。人の話を聞かず、道に迷わないかどうか同じことを繰り返す。疲れる。頃合いにカレーライスが出てくる。グレープフルーツにナタデココ入りのヨーグルトも用意されていた。

 徳さんは、自動車のブレーキ部品製造技術者だった。19年前にここの3代目に就任。小屋は4月末に入り、11月末に閉める。冬場はトラック運転などの仕事をする。

 食後、NHK放映の「オーイ日本、埼玉県」を鑑賞。荒川源流を辿る番組で、長瀞から大滝に入り、女性アナウンサーが徳さんと一緒に渓谷を登っていく。4人のスタッフと共に、熊や鹿が通る道や撮影風景は絵になる所を選んでおり、本当の源流とは異なっていた。源流水をボトルに入れてNHKに持ち寄り、飲んでいた。水がやや甘いと言っていた。

 もう1本、奥秩父風景のビデオを見る。小屋のイベントは8月第1土曜日の水祭。秩父のソバの達人がやってきてソバを賞味出来る。Aさんの好きなルートは、千曲川源流遊歩道から登り、十文字峠に降りる。私の登山計画を披露。60代まで、いろんな山を登り、70になったら自分の山を決めたい。「それなら、ここの甲武信ヶ岳を選んで下さい」と薦められる。徳さんは従業員用の風呂に行く。トイレに行く途中の小屋だった。小用を済ませ、更に酒に誘われたが、ブランディを献呈して休む。

5月14日(月)

 4時、隣りのオッサンが起き出し、目を覚ます。既に高校生達は、出発準備。トイレに行くと、先生が「木賊山を登って8時までに雁坂峠、10時に広瀬の麓でバスが待っている」と案内していた。合計39人が出発していく。

 4時半、赤い太陽が半分、雲の中に見えた。

200151404.JPG

 頭上には半月が白く見える。

200151402.JPG

 奥には、奥秩父遭難者慰霊碑が建っていた。

200151401.JPG奥秩父遭難者慰霊碑

 ベンチでメモをとっていると、徳さんが窓から顔を出し、「朝飯ができている」と声をかけてきた。オッサンと2人で味噌汁定食を食べる。彼は登頂してから徳ちゃん新道を通って下山する。徳さんは写真の方も興味があり、コンテストを主催している。彼の富士山を撮った作品もなかなかのものだった。記念に徳さんとの写真をT青年に撮ってもらってから出発する。

200151403.JPG甲武信小屋前

木賊山をトラバースして、既に足の跡がついた雪道を歩く。視界が開け、笹原を歩いていくと避難小屋に出る。

200151406.JPG避難小屋

 富士山がはっきり見える。

200151405.JPG

一息ついて富士山の形をした山、西破風山を登る。幾度か、あそこを登り切れば頂上と思いながら急登を続ける。振り向けば、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が見える。

200151407.JPG木賊山

7時30分、西破風山登頂。かって破不山とも言われた山梨百名山。

200151408.JPG西破風山頂上

破風というのは、合掌型切妻尾根の三角の側面を言う。確かに似ていた。石楠花の木々が生え、心地よい風が吹いていた。尾根を歩いて30分後、東破風山に達する。

200151409.JPG東破風山頂上

風が強くなってきた。笛吹川の沢が幾つか見える。金峰山、瑞牆山の奥に南アルプスが続いていた。

200151410.JPG南アルプス

右手に富士山を見ながら、清々しい朝の山行。やはり泊まって良かった。鞍部に下り登り返す。

8時50分、雁坂嶺。高度2289m。後は緩やかに下っていく。雁坂峠には40分で着く。日本三大峠(他は北アルプス針ノ木峠、南アルプス三伏峠)で高度2082m。日本書記景行記には、日本武尊が蝦夷の地平定のために利用した道とされている。日本最古の峠道と書いてある。

         木の芽風吹きあがりし雁坂峠

200151411.JPG

 富士山に変化があらわれた。7合目の東方に雲が溜まってきた。西風が強そうだ。広瀬に向けて背の低い笹原をジグザグに降りていく。日差しが強い。四角い白標識が道脇にあった。ほっとしたせいか、突然チャイコフスキー「悲愴」のメロディーが浮かんでくる。

10時15分、峠沢の川に出る。歯を磨き、顔を洗ってスッキリする。幾度か川を渡り、細道を通っていくと、1人の中年女性ハイカーに出会う。ほかに誰にも会わなかった。

11時、私設の舗装道路に出る。残りの飲み物や、栄養ジェリーを口に入れながら照り返しの強い道を歩く。有料道路の上を登り返したところで、猿が1匹道路を横切り、草むらに消えていった。

12時、蒟蒻館に入ってお土産と蒟蒻入りアイスクリームを買う。店員に奥の喫茶室に案内される。中年夫婦が話し掛けてきた。三郷からで石和温泉にある養護ホームに見舞いに行っての帰り、西沢峡谷を散歩してきた。店員がキムチ入り蒟蒻(こんにゃく)サービスしてくれる。

駐車場まで歩く。月曜日だが、観光バスが2台駐車していた。車は無事だった。帰りは国道140号線で長い雁坂トンネルを通り、中津川に沿って走り、秩父市を通過、皆野から寄居へのバイパスを使う。花輪インターで関越自動車道に入り、途中、食事してから帰る。

15時30分、帰宅。

Kobushigadake(2475m)  border of Yamanashi pref. ,Nagano pref.,Saitama pref.

                                                   100Famous mountains in Japan

1.AccessCar is better.Chuo expressway KatsunumaICnational road20,pref.34.38,national140,Nishizawakeikoku gate

2.AccommodationKobushi lodge(0494-55-0955)one night two meals

                               7000yen

3.InformationYamanashi city Mitomi branch(0553-39-2121) 

4.SeasonJun to Oct

RecordsMay13

9:00-9:20    Walk from Nishizawakeikoku gate(1100m) to gate.

9:20-14:00   Climb Tokuchan new route to Tokusayama(2468.6m)

14:00-14:20  Down to Kobushi lodge(2400m).

14:30-14:50  Climb to peak.

15:00-15:15  Back to lodge and stay.

May14

5:40-7:30   Walk to Nishihahuuyama(2318m).

7:35-8:05   Down and up to Higashihahuuyama(2260m).

8:05-8:50   Down and up to Karisakamine(2289m).

8:55-9:30   Down to Karisaka pass(2082m)

9:35-12:20  Down to starting point.


グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

                                  英彦山(1199.6m

1.2000年1月23日

2.交通:電車・博多―英彦山¥1250 バス・英彦山―神社下¥340 

         電車・英彦山―田川後藤 バス・田川後藤―天神¥1350 

3.地図:国土地理院1:25000英彦山

   昭文社:山と高原地図55・福岡の山々

1月23日(日)曇、霧

5時起床、雨の中を博多駅まで歩く。6時11分、若松行きの電車に乗り、7時11分、新飯塚で乗り換える。7時27分出発、23分で田川後藤寺に着く。8時9分に発ち、35分で英彦山駅に着く。同じ電車から白人青年が降りてバス乗り場に立つ。サンフランシスコから来た小倉高校の英語教師で、友人の家に呼ばれており、友人の車を待つ。その間に神社下行きバスがやってきたので乗り込む。

 9時15分、神社下に着き、石段を登っていく。杉並木の階段を登ると奉幣殿に出る。1616年、小倉藩主細川忠興が再建のため寄進した国宝。桃山建築様式の大講堂で、表参道に向う団体が雨合羽を着て出ていった。こちらは玉屋神社に向う。

          霊山の一人瞑想冬の道

 ゆるやかな登りを辿っていくと、汗ばんできたのでスウェーターを脱ぐ。再び登っていくと、頭上に鹿が見下ろしていた。尻が白く、他は焦げ茶色をしている。カメラを出した時には消えていた。杉林を昇り降りする。杉田久女「谺して山ほととぎすほしいまゝ」の句を思う。俳句を友人から教わりながら始めたが、やる気になったのは、この句に出会ってからだった。後でわかったことだが、彼女は下5を得るために毎日のように英彦山に通ったが、句にならず、家に帰ってしばらく経った夜中に思いついたという。山もそうだが、汗をかいてこそ達成感を味わえる。

 10時30分、玉屋神社に出る。般若岩という大岩の下に建てられていた。

200012301.JPG社殿200012302.JPG玉屋神社

神社の横の窟から清水が流れている。

tamayashrine.JPG

 更に30分歩いて大南神社に着く。ここは岸壁から半分、社が出ている。天火明命を祀っている。次に鬼杉に向う。樹齢1200年、周囲12.4m、高さ38mの巨木だ。以前は80mあったという。

200012303.JPG鬼杉

石段を一歩一歩登っていくと、材木石に出会う。火山で噴出したマグマが急に冷えて固まった安山岩の柱状節理。

200012304.JPG材木石

鬼杉伝説では、鬼が社を建てようとして刈りだした材木の残りとなっている。更に鎖を使って登っていくと雪が残っていた。

12時45分、南岳登頂。ここには彦山大権現が奉ってあり、その奥に三角点の白い木が立っていた。

200012305.JPG彦山大権現

200012306.JPG南岳山頂

「英彦山綜合年表」によれば、最初、日の神の子の山であることから日子山と呼ばれていたが、弘仁3(812)年、4代目法蓮が嵯峨天皇の勅を受けて彦山と改め、享保14(1729)年、霊元法皇の院宣で現在の英彦山となった。太陽信仰の霊山で出羽の羽黒山、奈良の大峰山と並ぶ日本三大霊山。南側にあるコンクリート製の避難所には展望所が設けてあるが、霧で何も見えない。一度降りて上る。

13時10分、中岳(1188m)に着く。久留米からきた団体が神社上宮を占拠していたので北岳に向う。修験者が通った道で、ブナ林の中を歩く。

          雨降りて英彦山霧氷滴なり

13時45分、北岳(1192m)。ここは最も聖なる奥の院だった。奇岩の脇を通り、果てしなく続く石段を降りていく。

200012307.JPG

高住神社に出る。聖牛像があった。豊前坊という寺院の名前の旗が立っているところからして神仏習合の社だろう。ここは天狗の棲み家とされてもいた。英彦山修験では、豊前坊の石と最初に通った玉屋窟の水を壺に入れて護摩を焚く秘伝があるという。浄水場で水補給し、神社下バス乗り場まで急ぎ足で降りていく。途中、駐車場の迂回道を通り、杉林の歩道を歩いていく。

別所駐車場を目標に複雑にからまった道をショートカットして歩いている内、舗装道路に出たので、そのまま歩いて行く。様子がおかしい。民家があったので聞くと、北坂本の方で旧参道を歩いていた。駅まで3km、里山風景を満喫しながら林道を降りていく。別所川内川に沿って車も人も通らない道で日本3大修験の霊峰の麓もひっそりとしていた。修験道とは、見える自然と歴史の世界と見えない自然と山岳信仰の世界を歩くことかと思った。振り返って山を眺めると、種田山頭火の句が浮かんでくる。

          すべってころんで山がひっそり

 英彦山駅に出る。

200012308.JPG英彦山駅

田川後藤寺に出て、天神バスセンター行きの特急バスに乗って帰る。

     Hikosan(1200m) in Fukuoka pref.  

                      200Famous mountains in Japan

1.AccessRailway HakataIidukaTagawaGotoujiHikosan station

            HikosanJinjyashita by Soeda town bus

2.Accommodationgovernment institution Hikosan(0947-85-0121)

                one night two meals6000yen               

3.InformationSoeda town office(0947-82-1231)

4.SeasonSep to Apr

RecordsJan23

9:15-10:30  Walk from Jinjyashita(630m)road stair approaching to Hikosan shrine (720m)and Tamaya shrine.

10:35-11:15 Walk to Ohminami shrine.

11:20-12:45 Walk to Onisugi(devil cedar)and climb to Minamidake(1200m).

12:50-13:45 Walk to Nakadake(1180m) and Kitadake.

13:50-14:20 Down to Takasumi shrine.

14:20-16:00 Walk to Jinjyashita and take bus to Hikosan station.


グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

             筑波山(875.9m)

1.2001年4月20日

2.単独行

3.交通手段:高速バス(東京―筑波山)¥1730 バス(筑波山=筑波神社)440 バス(筑波山―土浦)\820 JR(土浦―駒込)¥1110 

4.地図:国土地理院1:25000筑波

     昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波

4月20日(金)

 東京駅南口高速バスセンターで切符を買い、2番乗り場で一列になって並ぶ。

7時20分、出発。通勤客や研究者風の人達で座席が埋まっていく。外人もやってきた。高速6号から常磐道を走る。反対車線は渋滞していた。ウトウトしていたら土浦を過ぎていて、客が殆どいなかった。

9時、筑波駅に着く前に神社行きのバスが出ていってしまう。次のバスを待つ間、JRの時刻表を見ておく。筑波山が良く見えた。

頂上の電波塔も。常陸風土記によると、春と秋に諸国の男女が東の峰に登って歌を掛け合って楽しんでいた。由緒ある山だ。信仰する以前から登られている。

9時25分、一緒に来た中年ハイカーと乗り込む。10分後、筑波神社前で降りてから一緒に登る。船橋の人で、天気が良いので休みをとって花の写真を撮りに来た。長年の経験から草花を熟知していて、ウラシマ草、タチツボスミレ、帰化植物のショカツサイ、スミレ草と教えてくれる。見つけるのも早い。ヤマブキの花は、わかる。暑くなってきたので、先に行ってもらい、着替える。追いついた時は、三脚を使って蝮蛇草を撮っていた。

           まむし草蛇色の茎立ち上る

鎌首をあげている形は確かに絵になる。今度は先に登っていく。桜塚を過ぎるとコナラやモミ、更に杉の大木が残っていた。虹色の顔つきをした蛇が隠れてしまう。ケーブルカーが左手に走っていた。中の茶屋を過ぎ、ホイホイ登っていくうちに道が狭くなり、笹を分けていく。おかしいなと思いつつ、登る。一息ついて地図を見ると、登山道は左手の道だった。女体山に向っていた。半袖のシャツだったので、藪の中を登っていたら、腕の内側を少し切っていた。

 11時、ロープウェイ乗り場。時間があるので男体山に向う。小学生のグループが黄色い声をあげて動いている。御幸ヶ原に降りていく途中、カタクリの花やスミレ科の花が咲いていた。

200142001.JPG

 男体山神社でイザナギの神に向かって合掌する。

200142002.JPG男体山神社

 1902年創立の日本最初の山岳気象観測所があった。今度は青年グループがやってきた。埼玉県警察学校の生徒達70人。挨拶を欠かさない。自然研究路を少し歩いて立身石に行く。高さ5mの石の上に立つ。

200142003.JPG200142004.JPG

 ここには2つの伝説が残っていた。親鸞上人がここに苦しむ餓鬼を救ったこと。伊奈村出身の間宮林蔵が13歳の頃、ここで出世を祈った。後に測量、算数の大家になり、樺太探検を敢行している。

 11時50分、ベンチに座って食べる。春の日差しを受け、ポカポカしている。土産物店でガマの油を300円で売っていた。幸せを迎えるというので、6匹の蛙をかたどったものなど値段を抑えていた。

           靄晴れて筑波山頂春来たり

12時30分、女体山に登頂。遠景は靄がかかっていて、富士山や日本アルプスは見えない。筑波石だろうか、大きな石が積み重なっていた。本殿に向かってイザナミの神に合掌。昔、イザナギ、イザナミの神の下で恋の成就を願いながら歌垣したことを想う。

200142005.JPG

つつじが丘方面に降りていく。往路、ロープウェイでやってきたカップルがコワゴワと降りていた。奇岩が続く。立身岩。ここで13歳の間宮林蔵が立身出世を祈って樺太が島であることを発見するに至ったと言われている。

200142006.JPG立身岩

ガマ石、大黒岩、出船・入船、母の胎内潜りを通る。「弁慶七戻り」は、弁慶が頭上の大岩が落ちそうなので七回も逡巡したという。

200142007.JPGガマ石

200142008.JPG母の胎内潜り

北斗星のように決して動かない岩がそびえたつ。

DSC02878.JPG北斗岩

弁慶茶屋で、つつじヶ丘のツツジが咲いていないことを確認してから、神社方面の道を降りていく。鳥居を通過。

200142009.JPG

神社本殿では太鼓の音がする。男性がお祓いの後、お神酒を飲んでいた。この神社は、江戸時代に将軍家の祈願所として保護を受けていた。手入れが良いのか立派なツツジが咲いていた。

200142010.JPG筑波山神社

200142011.JPG

14時2分、バスが動き、15分後に筑波駅に着く。14時20分発のバスは5分遅れで出発、次のバスで土浦駅に着いたのは15時10分だった。JRで上野まで行く。 

「筑波の丘は高く雲の中に聳え、西の峰、男体山は険しく高く、雄の神といって登らせない」常陸風土記

「筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」陽成院

Tsukubasan(1295m) in Ibaragi pref.  100Famous mountains in Japan

1.AccessBus is available from Tokyo station south (Highway bus    callcenter03-3844-1950)to Tsukuba station. From Tsukuba station to Tsuka shrine station  by Kantou tetsudou(029-866-0510)

2.InformationTsukuba city tourist center (029-855-8155)              

3.SeasonApr to Nov

RecordsApr20

7:20-9:00    Take bus from Tokyo highway bus center to Tsukuba station.

9:25-9:35    Take bus from Tsukuba station to Tsukuba shrine.

9:40-11:00   Climb to Ropeway station.

11:00-12:00  Walk to weather station,climb to Nantaisan and take meal.

12:20-12:30  Walk to Nyotaisan.

12:35-13:10  Down to Benkeichaya.

13:10-14:00  Back to Tsukuba shrine station.


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