グランパの山歩き

             御巣鷹慰霊②

1.交通機関:上中里―大宮¥388 JTB・上信バス

2.集合場所:大宮駅西口ソニックシティビル脇

3.昼食・入浴:国民宿舎「やまびこ荘」

4.地図:昭文社・山と高原地図21西上州 

5.参加費用:¥3000

はじめに

 今年は墜落事故から30年を迎えたこともあり、日航OB会が案内していたので久しぶりに応募。日頃、ホームページ作成などで教えてもらっているHさんも同行できた。結局OB会はバス2台、当日はスチュワーデスOG会がバス5台、更にスチュワーデス新人研修生20人も同行していた。前回は専ら被害者の冥福を祈り、登山道の清掃が目的だった。今回は遺族の方々の想いに寄り添って歩くことにした。

2015年10月2日(金)晴

 7時15分、出発。京浜東北線上中里駅に向かう。寒くなったのか、ペット犬がウェアを着ている。

 7時26分、大宮行きに乗る。南浦和駅では階段に近いのか車内のドアに向かって並んで降りて行く。25分後、大宮に着く前、緊急停止発信のため停まる。折り返し電車が出るのを待つ。8時過ぎ到着。ここの駅は広い。陸橋に出てからジョギングしてパレスホテルまで行く。同じ紙を持った人と一緒に行く。2号車の前でHさんが待っていた。一緒に最後部の席に座る。湘南ラインが人身事故で遅れており、予定より10分遅れて出発。添乗員、ドライバーの紹介があり、車内でオニギリ2個とお茶のペットボトルが配られる。東京外環自動車道から関越自動車道に出て、高坂SAで20分休憩。端には犬用の散歩道が出来ていた。

DSC03262.JPG

DSC03261.JPG

 トイレの帰りに顔なじみに会う。羽鳥さんは関連会社でも一緒だった。4年前から介護士の資格をとって3か所を担当している。

 9時50分、出発後、左手に富士山が見えた。

DSC03259.JPG

 10時25分、藤岡ICを降りて国道462を走行。神流川に沿って走る。上野村の標識が見えて間もなく道路もくねくねと曲がり、一度は曲がり切れず先の広場で方向を変えていく。

 11時40分、慰霊の園。事故現場の方向に立つ慰霊塔の前で1人ずつ線香を1本いただいてロウソクで火を点け、手で払って焼香する。

DSC03266.JPG

 塔の中の納骨堂には身元が判明しなかったご遺体があるという。ガイドの案内で全員集合写真を撮る。8.12連絡会が遺族の文集を編集した本が2005年と2015年に発行されており、一通り目を通して来たし、1枚のリーフ紙にメモしている。名前を確認し、遺族の人が書いたことを想いながら合掌する。碑銘がアイウエオ順なので、わかりやすい。123便の乗務員、同僚だった波多野純チーフパーサーに語る。展示室には遺品の他、皇太子が行啓された様子の写真があった。スチュワーデス研修生も見学していた。

DSC03272.JPG展示室

 12時、バスに乗って登山口に向かう。崖の下やトンネルを通っていく。対向車が来ると自分の車ではきつい。登山口にはバスがどんどんやって来る。登山用の杖が用意されていた。

 12時40分、高度1355mからスタート。入山者数計器に指を押して行く。

DSC03273.JPGDSC03274.JPG

 10分後、山守地蔵を通過。道は広く歩きやすい。

DSC03276.JPG

「すげの沢のささやき」には碑が立っていた。その先に鐘があり「熊よけ鐘鳴らしてください」と書いてある。

DSC03279.JPG

 迷彩柄の服を着た男達が降りてくる。陸上自衛隊宇都宮駐屯地からだった。

DSC03280.JPG

 最初に墜落地点を発見した米空軍輸送機の乗員が深夜の救助をしなかった政府及び自衛隊機の人命軽視の対応を指摘している。しかしヘリが巻き起こす風で周囲の熱風を煽るので撤退した経緯がある。8.12連絡会事務局長美谷島邦子さんが指摘しているように、ここは一歩一歩踏みしめながら安全を願う聖地になっている。国民の安全と迅速な救命を担う自衛隊員に見てもらうことはありがたい。

「参拝道・尾根迄500米」と書いた石標が立つ。清水が穴から流れ落ちていた。

13時、トイレのある山小屋の下に碑銘があった。下段は読み取れる。「さよならも言えずに旅立ったあなたたち やすらかに永遠の祈りをささげます 遺族有志」

DSC03281.JPGDSC03286.JPG 

 御巣鷹尾根の案内図が立ち、多くの方が亡くなったスゲノ沢への道を急ぎ足で行く。

DSC03287.JPG

 慰霊小屋の先に風車が並んでいた。

DSC03288.JPGDSC03290.JPG

 慰霊小屋には遺影の両脇に千羽鶴が飾られている。折り重なるように立つ墓標の近くに、文を寄せた田川康子さんの夫の墓標もあった。

DSC03292.JPGDSC03294.JPG

 ここで生存者が見つかっている。1人は私の配下だったこともある。貴重な証言を残している。限られた時間なので一人ひとり合掌出来ずに戻る。水道が引かれたところに2リットル入りペットボトルが用意されていて、お墓に水をかけられるようにしている。一本水を入れていく。

DSC03296.JPGDSC03318.JPG

 Hさんに追いついて苔が脇に生えている道を登ると視界が開ける。

 13時10分、標高約1500mの「昇魂之碑」の前に出る。ここは事故当時、ヘリポートとして使われた。機体接触のU字溝を眺めると、どことなく小さくなっている。21分で登った女性もいた。

DSC03301.JPG 

 13時半、松山元OB会長が代表して献花、皆で黙祷する。

DSC03302.JPG

 終わったところで「教官」という声。約40年前の教え子2人が来ていた。

DSC03304.JPG

 後で話すことにして、前回行かなかった所へ登っていく。遺族の碑の隣りに520名を書いた慰霊碑がある。

DSC03306.JPGDSC03307.JPG

 近くにも遺影写真を飾った慰霊小屋があった。御巣鷹茜観音像そして10A番地の先を登っていく。

DSC03309.JPGDSC03308.JPG

 いろんな形のお墓があった。

DSC03310.JPG

DSC03312.JPG

 高天原、大蛇倉山と書いた標識があり、バスに同乗した人に会う。一帯は高天原と呼ばれていたが、事故後、御巣鷹尾根になったという。気合いを入れて登っていくと、少し広くなったところに出る。高天原だろうか、高度計では標高1690m。

DSC03316.JPG高天原?

 大蛇倉山(1962m)は諦めて一気に降りる。昇魂之碑からは道が広いので、急ぎ足で降り、研修生を抜いていく。

DSC03321.JPG

 登山口前でガイドに会い、バスに乗る。Hさんはスゲノ沢と昇魂之碑の小石を持ってきて、家で鎮魂する。

 14時25分、出発。20分後、国民宿舎「やまびこ荘」。まず風呂に入って汗を流し、1番バスに乗った後輩Tと湯に浸かる。大広間で、ビールを頼んで飲みながら食べる。隣りは宍戸前OB会長。一度組合関係で縁があった。食後、顎ひげの梅澤龍吉氏が「御巣鷹山」と題した漢詩を吟ずる。

DSC03324.JPGT夫妻と

 16時15分、出発。隣りのMさんと話す。60歳。5年前、退職。富士ドリーム航空で乗務していた。静岡空港を拠点にしており、以前ハワイベースの機長も勤務していたので覚えている。(彼とはタイ人スチュワーデスとの結婚式で主賓の祝辞を述べたほど仲が良かったが、アメリカ本土に行ってしまい、音沙汰ない)今は春秋航空日本の機長を務めている。機材はB737。専ら成田から広島、高松、佐賀を飛んでいる。すごいのはIpad。SPRING JAPANと書いてあり、会社支給。GPSを使った最新気象情報、風向きなど高度ごとにわかる。乗務前に飛行情報を確認してプランを立てる必要がない。

 16時50分、下仁田ICから高速に入り、赤城山を見ながら関越自動車道を走行。高坂SAで20分のトイレタイム。予定より30分早く大宮駅前の到着場所に着く。ここで2人と別れ、T夫妻と駅まで歩きながら話して別れる。湘南新宿線で赤羽まで行くのが早いが、行きと同じく座って帰る。少なくとも後、一回は慰霊しなくてはいけないと思った。 

                                   完




この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。