グランパの山歩き [登山mountaineering]



            雷山(955.3m)

1.2016年10月26日2.単独3.交通機関:レンタカー4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山、国土地理院・2万5000分の1雷山

はじめに

 魏志倭人伝や邪馬台国に関わる場所を旅する中で、神功皇后が登られたという層々岐山(雷山)を登ることにした。皇后は糸島市前原から伸びている県道564に沿った三坂神社で休まれた後、山に向かい、下山後も休まれたことが伝えられている。私は前日、吉野ヶ里遺跡を訪れ、温泉で汗を流した後、松梅街道で三瀬峠を越えて三坂から同じルートを走行、前夜、国際キャンプ場の先、標高約570mで車内泊した。 

10月26日(水)晴

 5時40分、薄明るくなり、小用を兼ねて周囲を歩くと広場があった。車を移動させ、ウーロン茶を飲みながらオニギリ一つとミカンを食べる。

 6時35分、ストックをリュックに差して出発。道路を歩くこと15分、標高約670m地点で全面通行禁止の看板の先は道路が陥没していた。

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 左手に梯子が出来ていたので昇り、歩いて、梯子を降りて進む。崖陥落工事のキャタピラーはレンタルだった。

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 7時18分、左手に登山口があり、杉林の中を一気に高度を上げる。

DSC08129.JPG登山口

 5分後、雷神社上宮に出る。石の祠が3つ、主祭神は層々岐明神。

中宮には水火雷電神を祀っているので、山名がついたのだろうか。

雷山自然歩道と合流しているが、下の分岐点近くにある千如寺は、

インド僧清賀上人が建立したという。ピークハンターの癖というか

時間の都合で諦める。

DSC08130.JPG雷神社上宮

 標識には「山頂まで524m」とか自然歩道への距離を案内していた。

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 木段に白い茸が群生。

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 出発後、1時間経ったところで5分休む。ガスっているので葉の雫が落ちて来る。

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 苔のついた岩と熊笹の間を歩き、稜線に出て間もなく頂上が見えた。

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 8時、登頂。ガスの中、大きな岩の傍に座ってオニギリ、チョコバーを食べる。

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 標識には西の長野峠、東の井原山(いわらやま)を案内している。

 車で来なければ縦走したいルート。20分後、ストックを伸ばして下山。

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15分後、登山口。歩いていると眼下に糸島市が見える。

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崩落ヶ所を除けて通った先に「危険」案内の看板が立っていた。車に戻り、アンダーシャツとパンツを着替える。

 9時、出発。雷山国際キャンプ場が見え、来た道を下りて、魏志倭人伝に出て来る伊都国について学ぶため歴史博物館に向かう。

DSC08148.JPG雷山国際キャンプ場






グランパの山歩き [登山mountaineering]



基山(きざん)(404.5m)



1.2016年10月23日(日)



2.単独



3.交通機関:レンタカー



4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山・山と渓谷社



     国土地理院2万5000図・二日市





はじめに



 元気な内に北部九州の歴史探索の旅に出た。古代人の遺跡巡りや魏志倭人伝に出てくる史跡を辿るのが趣旨。その中で663年、白村江の戦で敗れた大和朝廷は、山城の大野城と対にして基山にも朝鮮式の山城を築いた。偶々、近くの小郡市に住む友人の家に泊まったので、登ることにした。山名は「きざん」と呼ぶが、町名などは「きやま」と呼んでいる。



10月23日(日)晴 丸林コース



 8時20分、朝食をいただいてから出発。国道3号を北上して基山駅手前を左折、線路下を通過して信号のある秋光を右折、県道300を走行し宮浦ICの下を通過して丸林集落を通過して登山口「基肄城水門跡」に着く。

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 8時55分、出発。水門は城の南側にあり、高さ1.4m、幅1m、奥行き9mある。樹齢約240mのタブノキがあり、その上の広場には高さ8.5m、長さ26mの石垣があった。

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 ルートを歩いていると右手に水場があったので口を濯ぎ飲んで行く。

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 6分後、分岐点にさしかかり、右手の史跡めぐりコース歩道を歩く。脇の藪にはジョロウグモが幾つも蜘蛛の糸を張り、頭上にもあった。18分後、案内地図があり、木段の登山道に入る。

DSC07808.JPGDSC07812.JPG登山口

 桧植林の中を進み、丸尾礎石群、礎石群の石を眺めていく。

DSC07814.JPG丸尾礎石群

DSC07816.JPG礎石群

 倒木に茸が群がっていた。

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    切り株の縁に群がる白茸



 9時38分、北帝門跡への標識を通過すると視界が開け、山頂が見える。基肄椽城跡の

碑が立っていた。

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DSC07822.JPG基肄椽城跡

 辿り着き、汚れた方位盤で山名を確かめる。先端に立つ塔まで行く。途中、右手の眼下に    草スキー場と標高320mの登山口が見えた。15分前後で登れてしまう。「いものがんき」という標識が立っていた。

DSC07824.JPG眼下の登山口

DSC07826.JPGいものがんぎ

 防衛上、尾根を切り取っている。塔は1933年に建立した、太宰府防衛の為この山城構築を命じた天智天皇の欽定之碑だった。

DSC07829.JPG天智天皇の欽定之碑

 眺めていると、中年男性がやって来て

脇の大岩について説明してくれる。(たま)々石と呼ばれ、荒穂神社のご神体で神が降臨する岩だった。

DSC07828.JPG霊々石

 南側にぼんやり見えたのは普賢岳だった。

DSC07831.JPG左上、普賢岳

 筑紫野に住んでいて、時間がとれると山に来ている。真っ直ぐ降りる道を教えてくれて別れる。



10時、折り畳みストックを伸ばして下山。只管足元を見ながら降りて行く。高度330mで水の音が聴こえた。

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25分後、分岐点に戻り5分後、車に戻る。




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