グランパのwalking

鎌倉散策2017 

  1. 12月2日(土) 晴 

  2. 主な案件:御成小学校昭和29年卒6組同級会参加

  3. 交通機関 山手線:駒込駅→新橋駅、横須賀線:新橋駅→北鎌倉駅

         横須賀線:北鎌倉駅→大船駅、東海道線:大船駅→上野駅

  4. 費用:交通費(Suica)¥1836

       鎌倉山下飯店¥2600

行程: 葛原ヶ岡ハイキングース、源氏山公園、高浜虚子墓、鎌倉山下飯店、あら珠 15737

 今回は、いつもの時間に朝食をとってから行く。横須賀線には新橋から乗ることにする。ホームへは地下深く降りて行く。北鎌倉駅の出口は先頭にあるので、15両の1両目で待つ。9時3分発は空いていた。14分後、多摩川を渡る。釣り師が結構いた。普段、乗る山手線と違って、一駅の距離が長く、真っすぐなのでスピードが違う。北鎌倉に着く前、スピードが落ち、停まる。車内放送で前の電車が駅を出ていないと案内。結局、5分遅れて着く。

DSC00481.JPG前の電車が出た北鎌倉駅ホーム

 ホームには未だ前の電車から降りた人でいっぱい。皆、円覚寺方面なので端を歩いて線路を渡り、トイレに寄ってから改札口を出る。

DSC00483.JPG北鎌倉駅

 10時7分、出発。鎌倉街道の車道も車が渋滞していた。東慶寺の前を過ぎ、雪堂美術館では小野田雪堂の書と画による「金子みすず・山頭火の世界」を展示している。明月院の角に「五山第四・浄智寺」と「鎌倉・江の島七福神」の標識が立っていて、浄智寺の方に右折する。

 寺案内によると臨済宗円覚寺派で、北条時頼の三男宗政が29歳で亡くなり、菩提を弔うために創建。1966年に国指定史跡になっている。反橋の脇を通り、「寶(ほう)所在近」と書かれた惣門を進む。「宝のある所は近くに在る。立派な僧侶になるための努力をせよ」と諭している。2007年再建の鐘楼門を過ぎてから脇のハイキングコースを歩く。

DSC00486.JPGDSC00490.JPG鐘楼門

 右手、境内の銀杏や紅葉が色づいていた。左手は孟宗竹が続く。

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 舗装道路から、ゆるい石段になり、登山道を行く。中高年グループを抜き、昇り降りして天柱峰(標高97m)に出る。ルート標識があった。

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 ここには浄智寺を開いた一人、宋出身の竺僊梵僊(ごったんふねい)和尚の顕彰碑と五重塔が立っていた。

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     顕彰碑           五重塔

 分岐点に立つ標識には日・英・韓の文字で書かれている。階段を降りる。ここでも他のグループがいた。10時40分、こもれび広場に出ると大きな銀杏が立っていた。

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こもれび広場から眺める。

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 葛原岡神社に行く。後醍醐天皇に仕え、建武の中興を計画した日野俊基が北条高時に捉えられ1332年6月3日に斬首された地で、明治天皇の思し召しにより明治21年、創建されている。辞世の歌を詠んでいた。

 

   秋を待たで葛原岡に消ゆる身の露のうらみや世に残るらん

DSC00502.JPG葛原岡神社の鳥居

DSC00504.JPG右、男石、左、女石

男石と女石があり、縁結びの神様でもあった。帰り道で宮下翠舟の句碑を撮る。

DSC00505.JPG葛原岡神社

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     鎌倉に雪ふる雛の別れかな  翠舟

 

 日野俊基の墓を通って行く。葛原ヶ岡公園では太極拳のレッスンを始めていた。

DSC00512.JPG日野俊基の墓

 ここから先頭が濃緑色の旗を掲げたグループが大仏へのルートをとり、私は化粧坂をゆるやかに降りて行く。「吾妻鏡」(1251年)には「気和飛坂」(化粧坂)と書かれていて、交通の要衡であり、境界の葬送の地であった。幹回り2m80の楠を通る。源氏山公園の中に源頼朝像が立っていた。1180年10月、頼朝が鎌倉入りして800年を記念して建立したもの。

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 紅葉したモミジの下を歩いていくと、ヘルメットを被ったグループが集まっている。「かまくら・緑のレンジャー」と書いたベストを着た男達が伐採や下草を刈り取っていた。

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 11時15分、太田道灌の墓があった。水戸徳川の子孫・英勝寺住職が再建していた。

DSC00522.JPG太田道灌の墓

 約束の時間が近づいていたので、急ぎ足で寿福寺に出る。ここは頼朝が亡くなった翌年、妻の北条政子が栄西を開山に招いて建立している。

DSC00525.JPGDSC00526.JPG寿福寺

 一度、山門を出て近くの人に高浜虚子の墓を聞いて、戻り、寺の脇の緩い坂道を歩いて左折し、突き当たって右折して行くと広い墓場に出る。作業員に確認すると、親切に虚子の墓まで案内してくれた。今年から句会に入ったこともあり、墓前で合掌する。

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DSC00529.JPG高浜虚子の墓

 15分後、わき目もふらず速足で駅に向かい、線路下の通路から東口に出て若宮大路に行き左折してホテル鎌倉moriビルの地下に降りて山下飯店に集合時間丁度、間に合った。中に入って探したが、いないので係員に聞くと個室に案内される。入ろうとしたら、大学ゼミ同期生H が声をかける。歩く会で来ていた。部屋を間違ったせいで奇遇を楽しめた。

 参加者は5人。私は欠席者リストに載っている。来る筈のTを待ったが、20分経っても来ないので頼んでおいたレディース・コースを持って来てもらう。隣りのNさんと老酒を一緒に飲むので徳利一本温めてもらう。心臓血栓の手術後でストックを持つA幹事が参加者リストを配布。欠席者の消息を教えてもらう。フカヒレスープから始まり、選んだ料理を食べる。白菜と貝柱の煮物、牛肉とチンゲン菜の炒めに、あんかけ焼きそば。デザートは、いちご豆乳プリン。接客してくれた女性は昭和29年生まれの御成小学校卒だった。これも奇遇と言える。今は進学校として気合いが入っているという。

 戦後の給食に出た脱脂粉乳やロースハム、ジャガイモが多いコーンビーフが話題になる。Fの先祖は度会一族で伊勢神宮の外宮の祠官を世襲していた。Sと高校同級生Nが慶応義塾大学コーラス部で一緒だったことや、つながりの話が続く。稲村ケ崎在住のSが8月19日に催行した七里ガ浜夏祭り40回記念50mリレーについて話す。8時間以内で1485人参加を達成、ギネス担当者から認定されて新聞に載っていた。

 午後2時半、時間となり、来年の予約をして別れる。Nさんの作品展示会を見に行く。若宮大路を歩いていると変わった自動車が渋滞で止まっていた。

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 雪の下の季節料理店「あら珠」の入口にはNさんの個展を案内している。

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 中に入り、店の主人に案内されてN文人画家の作品を鑑賞する。「紫富士」。「山中湖凧のあがれる小春かな 素十」の句と大富士の素描を見て、高野素十の「凧の糸一筋よぎる伽藍かな」を思い出す。

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 床の間にかけた二幅と兜と陶磁器の取り合わせ、インド布を使った額装に書を描いた作品と続く。

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 書画一致の精神を存分に楽しんでいた。

 北鎌倉まで歩くことにして別れ、鎌倉街道に出て鶴岡八幡宮の脇を通る。道元禅師顕彰碑がここにあるのが不思議で、階段の先に「只管打座」と彫った石碑が立っていた。県立近代美術館鎌倉別館は休館中。巨福呂坂(こぶくろ)坂トンネルを歩く。

DSC00565.JPG曹洞宗高祖・道元禅師顕彰碑

DSC00567.JPG居福呂坂トンネル   

 電車通過のため踏切が降りて待たされるので、近くの建仁寺まで行って外から眺める。

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 線路に沿って歩いてから渡って改札口からホームに行って電車に乗ったが満員だった。大船で東海道線に乗り換えて座り、本を読む。上野駅で降り、山手線で駒込まで行って帰る。満月だった。

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おわりに

 年一回の小学校同窓会を機に鎌倉を歩いているが、今回は同級生との座談や、文人画家の作品を鑑賞しながら対話を楽しむことができた。参加人数も減り、物故者も増えていく中、なんとか続けていきたい。

 


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