グランパの山歩き [登山mountaineering]
雷山(955.3m)
1.2016年10月26日2.単独3.交通機関:レンタカー4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山、国土地理院・2万5000分の1雷山
はじめに
魏志倭人伝や邪馬台国に関わる場所を旅する中で、神功皇后が登られたという層々岐山(雷山)を登ることにした。皇后は糸島市前原から伸びている県道564に沿った三坂神社で休まれた後、山に向かい、下山後も休まれたことが伝えられている。私は前日、吉野ヶ里遺跡を訪れ、温泉で汗を流した後、松梅街道で三瀬峠を越えて三坂から同じルートを走行、前夜、国際キャンプ場の先、標高約570mで車内泊した。
10月26日(水)晴
5時40分、薄明るくなり、小用を兼ねて周囲を歩くと広場があった。車を移動させ、ウーロン茶を飲みながらオニギリ一つとミカンを食べる。
6時35分、ストックをリュックに差して出発。道路を歩くこと15分、標高約670m地点で全面通行禁止の看板の先は道路が陥没していた。
左手に梯子が出来ていたので昇り、歩いて、梯子を降りて進む。崖陥落工事のキャタピラーはレンタルだった。
7時18分、左手に登山口があり、杉林の中を一気に高度を上げる。
5分後、雷神社上宮に出る。石の祠が3つ、主祭神は層々岐明神。
中宮には水火雷電神を祀っているので、山名がついたのだろうか。
雷山自然歩道と合流しているが、下の分岐点近くにある千如寺は、
インド僧清賀上人が建立したという。ピークハンターの癖というか
時間の都合で諦める。
標識には「山頂まで524m」とか自然歩道への距離を案内していた。
木段に白い茸が群生。
出発後、1時間経ったところで5分休む。ガスっているので葉の雫が落ちて来る。
苔のついた岩と熊笹の間を歩き、稜線に出て間もなく頂上が見えた。
8時、登頂。ガスの中、大きな岩の傍に座ってオニギリ、チョコバーを食べる。
標識には西の長野峠、東の井原山(いわらやま)を案内している。
車で来なければ縦走したいルート。20分後、ストックを伸ばして下山。
15分後、登山口。歩いていると眼下に糸島市が見える。
崩落ヶ所を除けて通った先に「危険」案内の看板が立っていた。車に戻り、アンダーシャツとパンツを着替える。
9時、出発。雷山国際キャンプ場が見え、来た道を下りて、魏志倭人伝に出て来る伊都国について学ぶため歴史博物館に向かう。
グランパの山歩き [登山mountaineering]
基山(きざん)(404.5m)
1.2016年10月23日(日)
2.単独
3.交通機関:レンタカー
4.資料:分県登山ガイド39福岡県の山・山と渓谷社
国土地理院2万5000図・二日市
はじめに
元気な内に北部九州の歴史探索の旅に出た。古代人の遺跡巡りや魏志倭人伝に出てくる史跡を辿るのが趣旨。その中で663年、白村江の戦で敗れた大和朝廷は、山城の大野城と対にして基山にも朝鮮式の山城を築いた。偶々、近くの小郡市に住む友人の家に泊まったので、登ることにした。山名は「きざん」と呼ぶが、町名などは「きやま」と呼んでいる。
10月23日(日)晴 丸林コース
8時20分、朝食をいただいてから出発。国道3号を北上して基山駅手前を左折、線路下を通過して信号のある秋光を右折、県道300を走行し宮浦ICの下を通過して丸林集落を通過して登山口「基肄城水門跡」に着く。
8時55分、出発。水門は城の南側にあり、高さ1.4m、幅1m、奥行き9mある。樹齢約240mのタブノキがあり、その上の広場には高さ8.5m、長さ26mの石垣があった。
ルートを歩いていると右手に水場があったので口を濯ぎ飲んで行く。
6分後、分岐点にさしかかり、右手の史跡めぐりコース歩道を歩く。脇の藪にはジョロウグモが幾つも蜘蛛の糸を張り、頭上にもあった。18分後、案内地図があり、木段の登山道に入る。
桧植林の中を進み、丸尾礎石群、礎石群の石を眺めていく。
倒木に茸が群がっていた。
切り株の縁に群がる白茸
9時38分、北帝門跡への標識を通過すると視界が開け、山頂が見える。基肄椽城跡の
碑が立っていた。
辿り着き、汚れた方位盤で山名を確かめる。先端に立つ塔まで行く。途中、右手の眼下に 草スキー場と標高320mの登山口が見えた。15分前後で登れてしまう。「いものがんき」という標識が立っていた。
防衛上、尾根を切り取っている。塔は1933年に建立した、太宰府防衛の為この山城構築を命じた天智天皇の欽定之碑だった。
眺めていると、中年男性がやって来て
脇の大岩について説明してくれる。霊(たま)々石と呼ばれ、荒穂神社のご神体で神が降臨する岩だった。
南側にぼんやり見えたのは普賢岳だった。
筑紫野に住んでいて、時間がとれると山に来ている。真っ直ぐ降りる道を教えてくれて別れる。
10時、折り畳みストックを伸ばして下山。只管足元を見ながら降りて行く。高度330mで水の音が聴こえた。
25分後、分岐点に戻り5分後、車に戻る。
グランパの登山日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
焼岳と乗鞍岳の山旅②
乗鞍岳(3025.6m)
地図:国土地理院1:25000乗鞍岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
10月8日(火)
1時30分、トイレに行くと年配者が来ていた。頭上にはカシオペア座が輝いている。
5時30分、目覚ましで起きる。洋式トイレが空いているので排便を済ます。洗面を終えて外に出たら、朝焼けにうろこ雲が一瞬赤く染まっていた。車に戻って撮ろうとした時には消えかかっていた。
束の間の赤く染まりし鱗雲
隣りの車の爺さんと話す。桑名からで、ここに来るまで白馬の栂池に行って来た。2泊3日ぐらいが丁度良く、疲れがとれたら又出かけている。お粥と茹で卵を温めて食べ、コーヒーパックにお湯を注いで飲む。隣りの爺さんは早々とバス停に向かう。仕度して料金所の前に並んでいる人の後ろに立つ。
6時50分、料金所が開き、片道切符を買い、並んで待つ。既に荷物を置いていた。
アルピコ社のシャトルバスがやってきた。切符を渡して乗り込み、進行右手の窓側に座る。5席空いて定刻出発。途中、休暇村でカップルが乗ってくる。いずれもカメラマン。ジグザグに登って高度を上げていくと、紅葉した木々が現れる。案内テープが流れる。反対側の平湯からの乗鞍スカイラインは第2次大戦中、陸軍による高所での航空実験所建設のために敷かれた軍用道路だった。長野側の道は、戦後、自衛隊が造ったのが始まりで段々と整備して昭和38年に完成。10年前から一般車は三本滝まで延びていた。
位ヶ原山荘でカメラを持った男が10数人降りていく。既にウェアを着込んだカメラマンが道端を歩いていた。バンをチャーターしていた。
7時47分、肩の小屋入口でも10数人降りていく。3分後、畳平。公衆トイレに行っておく。
小さな鶴ヶ池を左手に見ながら歩いて、前回行かなかった富士見岳へ登る。ザレた道なので、靴を直角におろして進む。12分で着いてしまう。
風が強く、ストックを2本にして直ぐ降りていく。
8時40分、肩の小屋。20人が集まっていた。年齢も様々。コロナ観測所が右手に見えている。ザレた斜面を登って行く。歩荷(ボッカ)が追い越していく。朝日岳を越えて鞍部に出ると権現池が見えた。
遠くに白山も見える。蚕玉岳まで登ると、前方に剣ガ峰が見えた。
頂上小屋を通過。店開きの準備をしている。さっきの歩荷が、まだ慣れていない男にハッパをかけていた。更に左手の岩場を登っていく。
9時30分、乗鞍岳登頂。ここからの眺めも良い。北には槍ヶ岳の他、鷲羽岳、野口五郎岳なのが見える。南には御嶽がどっしりとかまえていた。
東南方向には南アルプス。北岳の左に富士らしき形が小さく見えた。
標識と一緒に写真を撮ってもらう。乗鞍本宮奥宮には若い宮司が土産の販売やお祓いを担当、足元の石を整えていた。
岐阜県の丹生川(ニュウカワ)町の神社から来ている。自動車道路が出来る前から修行の道ができていたが、観光地になって以来、修行は行われていない。ここには天照皇大神(日の神)、大山津見神(山の神)、五十猛(イソタケル)大神(木の神)、淤加美(カカミ)大神(水の神)が祀られていた。
ストックを2本使って、蚕玉岳下をかすめ、左側の登山道を一気に降りていく。ザレ場で、
さっきハッパをかけられた男がルートを整備していた。「雨が降ると小石が登山道にずれて来る」という。
10時20分、肩の小屋。冷たい飲み物でも飲もうかと思ったが、営業していなかった。10分後、岩場の端を降りていく。30分でバス道路に出る。道を渡り、トイレに行く。外の手洗いで水を補給。登山道に行こうとしたら、背の高い青年が下から登って来た。三本滝からという。更に乗鞍岳頂上に向かう。
11時10分、沢を降りていく。左手に登山道が出来ていた。
10分後、別の沢に移って降りる。カップルの他、3人組のオバンが先にいた。彼女達が立ち止ったところからの紅葉の景色に足が止まる。
毎月来ているというオジンカメラマンに会う。3日前にはピンク色だったナナカマドの葉が今朝は紫色という。
途中、バス通りを渡って直ぐに登山道があったり、しばらくバス通りを歩いてから「入口」と書いたところを降りていく。
12時10分、位ヶ原山荘。道脇に座って休む。いろんな人が出会っていた。
先に降り口があり、再び別世界に入る。良く見るとナナカマドは葉が緑色の間に赤い実をつけていた。
今度は何度もバス通りを横切って降りていき、冷泉小屋の脇を通ってしばらくバス通りを降りてクロイ沢を渡る。カメラマンが近くの滝と紅葉を撮っていた。
沢に沿って降りていく。植生が変わり、シラビソなど針葉樹の中を行く。足元にゴゼンタチバナや羊歯を見つける。
沢から離れ、バス通りに出る。
13時15分、摩利支天。道路が曲がっていく手前から登山道に入る。沢を渡る。少し降りると幅広い道で参道だったようだ。
しかし15分後には普通の山道になる。
13時40分、倒木に座ってパンとチーズを補給。カメラマンがやって来た。豊橋からで、ここに来るのに中央高速から松本経由で来るか、北陸自動車から高山経由で来るか微妙だった。
15分後、出発。三本滝への分岐点には「滝まで0.8キロ」と標識に書いてある。戻るように一気に降りていく。整備されていない所があった。橋から滝が見えてきた。
日本100名滝が見える。右手のクロイ沢からのが一番大きく、高さ50m以上、黒い溶岩を舐めるように落ちている。
本流の小大野川からの真ん中の滝の岩が鮮やかな茶色をしている。
左手は水量が少なく、高いところから木の間越しに落ちていた。
右手の滝に落ちた水で頭を洗う。
14時25分、バス乗り場の方に行く。緩やかな登りが続き20分後、三本滝レストランに出る。
循環バスでも観光センターまで千円かかるので、歩いて東大ヒュッテ口を目指す。スキー場の「子りすの径」を歩く。
熊笹とオオシラビソの原生林の下は枯葉の絨毯で気持ち良く歩く。
15時20分、東大ヒュッテ口に出たが、登山ルートを見失い、バス道路を歩いて遠回りして行く。
熊除けの鈴をつけ、再び登山道に入って森の中を歩き、休暇村に出て善五郎の滝への道をとる。
以前に通っているが、逆方向なので新鮮に感じる。白樺の木が多かった。
16時5分、滝に出て一息入れる。落差22m、幅8mの整った滝で見飽きない。
滝見台には寄らずに紅葉しかかった広葉樹の林の中を通って別荘のある道に出て観光センターの大駐車場に戻る。トイレに寄ってシャツや登山用ロングパンツなどを履きかえる。
17時5分、出発。教わった温泉への道は車で行けなかった。前川渡で国道158へ右折、トンネル内で渋滞。道路工事をしていた。35分後、新島々の直販店でシナノスィーツりんご一箱(3300円)買って車に積み込む。松本ICの近くのセルフGSで20リットル補給。リッター148円だった。
18時20分、松本ICに入り、時速100~110キロペースで走行。1時間10分後、双葉SAでゴミを処理し、天ソバを食べて一休みする。
20時30分、出発。トラックも乗用車も少ない。談合坂SAで少し時間をつぶして22時1分前に八王子料金所に着く。手前の脇にトラックが並んでいた。後ろに停めて待つ。
22時丁度、トラックが料金所を通り、後につく。首都高速に入り、C2の地下道は時速100キロで通過、50分後、帰宅。
Norikuradake(3025.6m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better.Nagano expressway MatsumotoIC→national road158、pref.
road84 to tourist center
2.Bus from tourist center to Tatamidaira bothway 2400yen(one way1400yen)
3.Information:Matsumoto city Azumi branch(0263-94-2301)
Norikura nature center(located opposite side of tourist center,free charge)exhibits
volcanic activity of Mt.Norikura, alpine plants and animals,life and culture.
4. Season:Jul to Oct
Records:Oct8
7:00-7:50 take shuttle bus from tourist center(1483m) to Tatamidaira(2702m).
8:00-8:40 up to Mt.Fujimi(2817m) and down to Kata lodge(2760m).
8:40-9:30 climb to Mt.Norikura(3026.3m).
9:40-10:20 down to Kata lodge.
10:30-11:00 down to Kata lodge gate(2616m).
11:10-12:10 down valley to Kuraigahara cottage(2350m).
12:15-13:15 down to Marishiten along stream of Kuroisawa.
13:15-14:15 down to Sanbontaki(three waterfalls)(1800m).
14:25-15:20 up and walk to TodaiHut gate.
15:20-16:05 walk to Zengoro fall(1500m).
16:10-16:50 back to tourist center.
グランパの登山日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2013年10月6~8日
2.単独
3.自家用車:走行564キロ
4.バス:乗鞍エコーライン片道¥1400
5.温泉:中の湯旅館¥700
6.地図:国土地理院1:25000焼岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
はじめに
丁度10年前に家内と旅をしながら両座を登っている。その時の記録は残っているが、写真がない。そこで300名山の記録の最後を締めるために、車内泊しながらの旅となった。
10月6日(日)
13時、出発。中央高速道を走行。日曜日、車も少ない。諏訪湖SAでトイレタイム。コンシェルジュに平日のETC割引を問い合わせ、帰りは八王子料金所を午後8時か10時以降にする。ここの標高は806mだった。
15時55分、松本ICで降り、国道158号線で上高地に向かう。帰りの対向車が多い。新島々の直販店でリンゴ、柿、葱、胡瓜を買う。
16時45分、道の駅「風穴の里」に行き、一番奥に停める。ここのレストランは午後4時まで。キャンピングカーや観光バスが寄ってトイレを使った後、出ていく。
ハッチバックを開けて、久しぶりに自炊。まず湯を沸かし、カレーとご飯のパックを温める。ビールを飲みながら胡瓜に、ここの店で買った野菜タレをつけて食べる。葱をたっぷり用意してラーメンに入れて食べ、リンゴを食べ、明朝のお粥パックを温めておく。使った容器を手洗い場で洗う。車内の後部座席を倒してマットを膨らまして寝袋の中に入って休む。窓から星が見えていた。
焼岳北峰(2399m)、焼岳南峰(2455.4m)の頂上登山禁止
地図:国土地理院1:25000焼岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
10月7日(月)
4時前、起きてトイレに行き、洗面を済まして出発。急カーブが多い。外気温は12℃。トンネルではスピードを出す。幾つか越え、坂巻温泉の標識を過ぎる。上高地への釜トンネル前で左折。上高地方面はまだ閉鎖されていて車が並んで待っていた。200mほど走った後、中の湯方面と書いた標識を右折、ジグザグに登って10曲がりしたところに登山口があった。既に5~6台停まっていて隣りに駐車。もう一休みする。
5時30分、起きてオジヤとリンゴを食べて仕度。夏に富士山を登り、砂走りを降りた時に腰を痛めているので、大事をとって腰にコルセットを装着する。
6時5分、ストック1本使って出発。しばらく歩いた後、急登25分。ブナ、トチノキの樹林帯を登っていく。年輩の2人組みを抜いたが、青年に抜かれる。倒木が多い。
6時45分、高度1830mで窪地に降りて行き、登り返す。
一帯は下に笹、上にシラビソの木。笹が多ければ熊がいるだろう。カメラを持った身軽な男が朝日を浴びている森林を撮って行く。
30分後、分岐点に出る。北峰と南峰がそびえていた。
青空の下、灰色の岩、ハイマツの緑、黄色のダケカンバと紅葉したナナカマドの色合いが鮮やかで圧倒される。
天高し錦繍の山仰ぎけり
林を通り、笹とイワヒゲが咲く道を登っていく。視界が開け、右手は下堀沢の崖だった。
ジグザグに岩場を登っていくと、南峰は近寄りがたい。
コルに出ると、火口湖正賀池が下に見えた。
8時25分、出発。ガスを噴出している脇を通って北峰に向かう。
噴煙の脇を登っていく。硫黄が付着していた。
8時50分、登頂。先に登り終えたオバサンに写真を撮ってもらう。
彼女は裾野出身、富士山は10回以上登っている。しかし世界遺産になって人が増えたので、他の山にシフトしていた。近くの愛鷹山はツツジが咲く頃とか大野山は秋の紅葉が良いと教えてくれる。
明日、登る乗鞍岳はハイマツに囲まれているせいか若々しい。北アルプスも色づいていた。
ここの火山活動は約3万年前からといわれ、1915年の噴火で大正池が出来た。1962年の噴火で負傷者が出た時から29年、入山禁止した歴史がある。
撮影の邪魔にならないよう、やや下がったところに座ってオニギリを一つ食べていたら、隣りに岐阜県古川から来た中年男が小型ガスでお湯を沸かしてラーメンを食べる。ゼミの後輩で高山のK代議士の話を聞く。大蔵大臣を務めた父親の構想だった安房トンネルを実現させていた。3代目は父親の秘書を務めているが、地元では出来が悪いとの評判だった。
9時40分、先に下山。6歳若いが白髪の男は良く来るようで、今年は噴煙振りや硫黄の花が大きくなっているという。日差しも強いので、コルで半ズボンにしてからストックを2本にして降りる。古川の人が先に行く。30分後、朝、抜き去った老夫婦に会う。酒田からで、この後、平湯に泊まり、明日、乗鞍岳に行く。その後、恵那山を予定しているので、コースを案内する。
その後も次々と登山者が現われ、その度に待つか、別のルートをとる。その内、若い白人6人が現れる。女性3人はミズーリとサウスダコダからで自然愛好派だった。分岐点で塩尻から来た親子と休む。軽めのヘルメットをかぶった男が現れる。北アでは、この夏から落石に備えてヘルメット着用を推奨していた。
12時前、追い抜かれるようになり、シャリバテを感じたのでオニギリを食べる。
12時45分、登山口。靴を履きかえて出発。10年前に宿泊した「中の湯」旅館に行き、日帰り入浴代払って男場に行く。
誰もいなかったので、写真を撮っておく。内湯は42℃と45℃がある。階段を降りて露天風呂に浸かる。ここもかなり熱い。穂高岳と明神岳がよく見えた。
風呂あがりに缶コーヒーを飲み、係員に白骨温泉経由の乗鞍高原への道を確認、国道158に戻って行くことを勧められる。
前川渡まで行ってトンネルを過ぎてUターンしてから前川渡大橋を渡って乗鞍岳線を走る。トンネルを越えて大きくジグザグに登っていく。乗鞍観光センターの先にある広い駐車場でトイレから離れていないところに駐車。駐車場の奥にある自然保護センターまで行って時間をつぶす。同じように見学していたKさんと話す。昭和14年生まれ。恵那在住で奥さん、娘と婿と来ている。彼自身は6人の姉の後、生まれた。娘2人がいる。今日は乗鞍岳に登り、位ヶ原まで紅葉を見ながら歩いてから、バスに乗って帰って来た。3人は夕方まで休んでいる。現役の時は、社内の人と山スキーやテニスもしたが、今は野球一筋。岐阜マスターズトーナメントに出場したりしている。少年野球のコーチをしているが、3度注意しても直さないとビンタをくらわしている熱血漢。奥さんはテレビCMが流れている時は足腰を鍛えている。無料のかけ流し温泉を教わって別れる。
17時30分、車を奥に移動させて夕食を作って、焼酎のお湯割りを飲みながら食べて寝る。
Yakedake(2544m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better.Nagano expressway MatsumotoIC→national road158
No car:Sinjyuku-Nakanoyu by bus. If you stay NakanoyuRyokan,car picks you up,otherwise climb 40mnts.
2. Information:Matsumoto city Azumi branch(0263-94-2301)
3.Onsen:Nakanoyu Ryokan(0263-95-2407)700yen
4.Season:Jun to Oct
Records:Oct7
6:05-7:15 climb from parking area(1609m) to junction(around2000m).
7:20-8:25 climb zigzag to col.
8:30-8:50 pass through and climb rocks to north peak(2394m).you can enjoy
beautiful landscape of north Japan alps,Kamikouti,Norikuradake.
9:40-11:05 back to junction and take snack.
11:15-12:35 back to starting point. I recommend to take onsen at NakanoyuRyokan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年10月13~14日
2.ツアー:アミューズトラベル 費用18500円+保険金¥500(救援者費用100万円、死亡・後遺障害1754万円等)
3.地図:国土地理院1:25000巻機山
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
10月13日 (金)
22時半、新宿駅西口。中央口の地下を降りていく。通路は人・人・人、流れに入って動く。京王電鉄口の方から階段を上がると安田生命ビルが見えた。街角で「アミューズ・トラベル巻機山」と書いた看板を持っている女性に会う。名前を申し出る。中型のワインカラーバスがやってきた。皆について乗り込む。座席表の6番窓側に名前が書いてあった。今回は満席で男10名、女12名。
23時、定刻に出発。山本さんがマイクを持って、ガイド、運転手の紹介に続き、スケジュールを伝える。
「三吉パーキングで休憩。その後、車内を消灯。六日町ICで降り、1時頃コンビ二前に駐車。トイレのある桜坂駐車場で朝食をとっていただいた後、出発します」
その後ビデオでNHK百名山「巻機山」を放映。一般道路に出て、車が曲がったり、停まったりしたせいか、目を覚ます。外は雨だった。
10日14日(土)雨のち曇り
4時過ぎ、バスがしばらく停まり、更に動いてから停まった。桜坂駐車場に着く。
4時半、山本さんが話す。
「雨が降っていますので、登山口までやってきました。予定より30分遅れて出発します。これより朝食を済ませて下さい。昼食の弁当を配ります」
弁当は袋の中にはオニギリ2つ、アンパン1つ、ビタミンゼリー1つ入っていた。用意した朝飯と変わらない。ウーロン茶を飲みながら、腹に詰め込んでおく。レインウェアを着て、スパッツをつけ、着替えやサンダルを袋に入れてバスに置いていく。外は思ったより寒くない。ヘッドランプをつけてトイレに行き、小用を済ます。
5時半、小市ガイドの掛け声で準備体操。薄明、小雨の中を出発する。行き先に近かった為、ガイドの後ろ、女性2人の後について歩く。40分歩いて休憩。泥々の山道を黙々と登っていく。所々で動物の排尿の臭いがした。井戸の壁を登る。
薄明や枯葉踏みゆく越後山
7時、5合目の焼松展望台で休憩。雨も止んできた。見晴らしの良い所だが、米子沢の滝の音が聞こえるだけだった。
雨やみて滝音高き五合尾根
7時50分、6合目の展望台で休憩。黄葉と桃色の実を見ながら登る。ゆっくりと、確実に登って行く。ブナ、カエデの葉が淵の方から黄色くなり、笹の葉に鳥の糞がついていた。女性ハイカーは相変わらず姦しい。登山経験を次々と披露している。ダケカンバ、ミズナラの林の中を進む。低木帯の急斜面を登る。
8時40分、檜穴の段で休憩。ここから先は紅葉がはじまっていたが、赤い色はダケカンバの実だけだった。
七合目の物見平(1564m)を通過。丸太棒で階段にした井戸尾根を登っていく。
9時20分、前巻機山(1861m)登頂、9合目だった。風が冷たいので、写真を撮ったら直ぐ出発する。
9時40分、避難小屋に降りてトイレタイム。ここから笹原をぬって木道を登り、頂上をめざす。
分岐点では、先行した3人組がリュックをデポしていた。なだらかな登りの後、下る。ガイドが止まり「頂上を過ぎているようですので戻ります」。百名山なのに、標識も三角点もなかった。
10時20分、植生保護のマークがある所に戻る。ボランティアが行政と連携をとりながら植生保護に努めていた。丁度、雲が切れて八海山の尖った峯峰があらわれ、右手に駒ケ岳の一部が見えた。
牛ヶ岳の右下にダム湖がある。奥利根湖だろうか。反対側には割引山。避難小屋の方は草紅葉のジュータン。斑が入った皮が敷かれているようだった。3つの池糖が見える。小市ガイドが案内する。
「左の小さな池が、かって一番大きかった。雪が運んだ土が溜まっていき、20年後には埋まってしまうと言われています」
草紅葉緑かすかに残しをり
11時20分、避難小屋に戻って昼食をとる。別のグループがベンチを占拠しており、草原に座って食べる。ここは頂上より暖かい。山本さんがココアをペーパーカップに入れて皆にサービス。熱くておいしかった。頭上は天気回復の症候、層積雲が高くたなびいていた。秋だ。
11時50分、出発しようとしたら、大パーティがやってきた。川崎市民登山80名。待っている内、巻機山が見えてきた。なだらかな山容で草紅葉が鮮やかだった。
駒ケ岳から見て黄金色に輝いていたというのもわかる。歩きながら鑑賞する。カメラが趣味の男2人は、盛んにシャッターを押している。割引山の方は、雲の出入りが激しい。全貌が見えたのは一瞬で写真に収まらなかった。
同じ道を戻っているのに景色が違う。紅葉真っ盛りの所を降りて行く。
7合目迄の井戸尾根は、庭園のようだった。何度か足を止めて写真を撮る。
天狗岩は切り立っており、人を寄せ付けない。途中、50分毎に休みながら降りていく。7合目以降は樹林帯の中。足元がすべりやすく尻餅をついている人が出てくる。山本ガイドやカメラマン達と山や写真の情報交換をする。アミューズトラベルは福岡に本社があり、東京地区は未だ新しい。スタッフも5人だけでやりくりしている。海外登山は各地区から参加するので、直ぐ一杯になってしまう。「キリマンジャロは12月と2月に予定していますが、20人単位、既に一杯です」序に状況を聞いておく。今まで無事故で、70歳の女性も完登している。
15時15分、駐車場に戻る。汚れた靴やレインウェアをトイレ近くの水場で洗い落としに行く。一つの蛇口では時間がかかるので、ビニール袋をもらって靴を入れ、バスに乗る。
15時35分、出発。臨席のA氏と湯沢温泉に着く迄、酒を飲みながら話す。会津出身の山男で現在稲城市に住んでいる。百名山の内76座登頂、尾瀬には福島県側から50回程行っている。小学生の頃、朝日連峰に登るのに身体を浄め、米を持って山の神社に奉納するといった話から、熊肉を食べたことや、道に迷ったハイカーを救助したこと、「八甲田山死の彷徨」と同じような経験を吾妻山でしたこと等、尽きなかった。
16時15分、温泉に入る。汗を流し、着替えて、ビールを飲み、富士見酒店で自家製の吟醸酒「巻機」を買ってバスに戻る。福岡出身の女性ハイカーは、風呂に入らず、馴染みの酒店に行って「越しの寒梅」を仕入れてきた。
17時、定刻に出発。途中、高坂ICでトイレタイム。再びスランバーマスクに耳栓をして休む。高速を降りてから目がさめる。
20時半、予定より30分早く、新宿駅西口につく。
付記:百名山巡りに熱中しだした頃、アクセスが便利なので一度、ツァーを利用してみた。偶々、2009年7月のトムラウシ、今回(2012年)の「万里の長城」遭難を起こした会社を利用したことになる。
上記したように、事前調査をしていないので頂上がどこかわからなかった。このレベルですんだし、終了後、集合写真を送っていただいている。ガイドの質に問題があるのは確かだが、生存者は防寒具を用意している。利用者は自己責任という気持ちで、体調を整え、携行品を準備して、不明な点は自分で確認する態度が必要と思っている。
Makihatayama(1967m) in Niigata pref. 100Famous mountains in Japan
1. Amuse travel Tour
2. Information:MinamiUonuma city Shiozawa branch(025-782-0250)
3.Season:Jun to Oct
Records:Oct13
23:00-4:05 Shinjyuku-Sakurazaka by Tour bus.
Oct14
4:30-5:30 Take breakfast and stretch.
5:30-7:00 Climb from Sakurazaka(740m)40minutes and take rest to 5th stage.
7:10-7:50 Climb to observatory.
8:00-8:40 Climb to 7th stage(1564m).
8:45-9:20 Climb to MaeHataoriyama(1861m).
9:20-9:40 Down to refuge lodge.
9:45-10:20 Climb to peak.
10:45-11:20 Back to refuge lodge and take meal.
11:50-15:15 Back to starting point.
15:35-20:30 Back to Shinjyuku by Tour bus.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
大菩薩岳(2056.9m)
1.出発日:2000年4月26日
2.同行者:H、MA、MI
3.車:MI車 ¥7200
4.塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」¥600(市外者)
5.地図:国土地理院1:25000大菩薩峠、柳沢峠
昭文社・山と高原地図24大菩薩連嶺
6時、新宿南口でセフィーロ車に乗り、高速を走って勝沼で降りる。青梅街道に出て、雲峰寺を右折、ロッヂ長兵衛手前の駐車場に車を停める。
7時50分、車道を歩いていく。「福ちゃん荘」の前で落葉松尾根を登っていく。
ダケカンバやブナの樹林帯から唐松に変り、ジグザグになる。1時間で稜線に出る。曇天の中、更に登っていく。
9時過ぎ、雷岩に出る。
別名、神成岩、雨乞いの祈祷所でもあった。左折する。
9時15分、ツガの原生林の中に頂上の標識があった。雌のルリビタキだろうか、2羽の小鳥が近くの枝にやってきた。小さく切ったパンを手の平に置いてかざすと、ついばんで行く。
小鳥飛ぶ大菩薩嶺春を待つ
雷岩に戻り、大菩薩峠に向う。稜線を昇り降りする。
9時55分、きれいな避難小屋で食事をとる。
小さな石が転がっていた。この一帯は賽の河原と呼ばれ、かって人馬が往来していたところだ。食後、歩いて20分、大菩薩峠に出る。
中里介山自筆の供養塔には「上求菩提 下化衆生」と刻まれている。介山荘がひっそりと建っていた。笹原を一気に降りていく。途中、ブナの樹林帯の中、勝緑荘や富士見山荘を通っていく。
11時30分、車に戻る。靴やストックを洗ってから車に乗り、烈石の雲峰寺に寄っていく。杉の大木の間の石段を登ると本堂が見えた。
745年、行基建立の寺で、武田家の祈願所。宝物殿の前に立つ樹齢700年といわれる桜に咲く花は見事だった。
近くの塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」に行く。露天風呂に入って、山からの水を集めた重川のせせらぎの音を聴きながら、身体をほぐす。
14時30分、風呂から上がる。ここには直売所があり、トマト、シイタケ、マイタケを買う。時間があるので勝沼ワイナリーの万寿園に寄って帰る。
Daibosatsudake(2056.9m) in Yamanashi pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway KatsunumaIC→national road20,411,pref.201,LodgeChoubee
2.Information:Koushuu city office(0553-32-2111)
Daibosatsunoyu(0553-32-4126)
3.Season:Apr to Jun Oct to Nov
Records:Apr26
7:50-9:00 Climb from LodgeChoubee to Kaminari rock.
9:05-9:15 Climb to peak.
9:25-9:55 Down to refuge lodge and take meal.
10:30-10:50 Walk to Daibosatsu pass(1897m).
10:55-11:35 Back to starting point and enjoy hot spa at Daibosatsunoyu.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年5月13~14日
2.単独行
3.車 首都高速¥700 三鷹¥600 中央高速:勝沼¥1800 雁坂トンネル:¥710
皆野寄居¥410 関越自動車道:花輪―練馬¥1800 走行155キロ
4.甲武信小屋1泊2食¥7000
5.地図:国土地理院1:25000雁坂峠、金峰山
昭文社・山と高原地図26金峰山・甲武信
5月13日(日)
6時30分、出発。日曜日なので首都高速は空いている。東相模湖で、雪の富士山が手前の山々から少し浮き立っていた。快晴の下、順調に走り勝沼インターで降りる。山梨市を通り、途中、コンビニで食糧を調達、国道140号線に出て右折、笛吹川を遡っていく。
広瀬湖に出ると、前面に木賊(とくさ)山が見えた。西沢峡谷入り口を右折、駐車場に入る。一杯で、2段構え下の奥、スペースぎりぎりの所に駐車する。
9時、歩き出す。家族やカメラ撮りの人達と歩いて行く。峡谷散策で身軽な格好をしている。20分後、入山届用紙を持って立派なトイレに入り、便器に座りながら書く。
昨日、甲武信小屋に電話した際に教わった通り、近丸新道登山口の先300mに登山口があった。靴の紐を締めなおして入っていく。丁度、青年達が下山してきたのでルートを確認、徳ちゃん新道を登っていく。山ツツジの淡い紫の花が両脇に咲き、足元に落ちたばかりの桜の花びらが点在していた。65キロになった身体を運んでいく。40分毎に5分休む。休憩時、財布や長袖シャツをリュックに入れたり、水にビタミン粉を入れる。ブナの木にツガ等の針葉樹が混じってきた。石に鹿の毛らしいものが引っかかっていた。見晴らしの良いところで休む。広瀬湖が見えた。
11時25分、高度1770mに達し、降りて登り返す。石楠花の蕾が一部咲き出していた。尾根を登り、高度1800mを越えると石楠花は咲かず、代わりに林の中に残雪を見かける。
石楠花や七合目より蕾なり
12時、下山者に会う。朝4時半から登ってきた。頂上も寒かったが、麓も6度だった。靴は雪で濡れていた。シラビソやコメツガの林の中を登っていく。1キロ太ったせいなのか、昨日の朝バンコクから帰ったばかりだからか、身体に切れがない。日帰りハイカーに追い抜かれる。大木の根に座ってオニギリを食べ、お茶を飲む。リュックも軽くなった。残雪を踏みしめて登る。
14時、木賊山。林の中、標識が雪に半分埋もれて立っていた。
降りるところも雪が積もり、ズボっと足をとられる。
14時20分、甲武信小屋に着く。小屋下にテントが張られ、小屋の前の真新しい木組みスペースのベンチに中年男性が座っていた。話し振りから先生で、下に居る生徒達を引率しているようだ。小屋を覗いたが、誰もいない。先生が「いま居ません」と教えてくれる。
一息ついてからリュックを置いて、カメラと水とストックを持って甲武信ヶ岳に向う。
丁度、青年が登っていくので、後につく。頂上で写真を撮り合う。
富士山は見えなかったが、金峰山と瑞牆山が近くに雪を残して見え、奥に雪の八ヶ岳が見えた。地図を見ながら両神山も確かめる。眼下に甲武信小屋と木賊山が見えた。
青年は埼玉から来ており、今日中に降りるという。夜に備えてヘッドランプを持ってきていた。青年がビールを出したところで先に降りる。小屋に戻り、中を覗いていると、後ろから声がかかり「泊まりですか」。髭面のオッサンは小屋の主人、山中徳治さんだった。
「18時に夕食、5時半に朝食。靴は、あそこに入れて。寝るのは2階」とぶっきらぼうな言い方で説明を受ける。板敷きの広場で他の人達と日光浴しながら雑談する。桧の板で、子どもが通れない間隔で柵を作り、屋根もつけるという。日の出は4時48分、今月中に雪はなくなる。
生徒が着ているジャケットに「所沢・山の道化師・山岳部」と書いてある。積雪を整え、思い思いに料理を作っていた。ベンチでは、高野豆腐を煮込んで料理していたが、余り美味しく出来なかったようだ。陽が落ちてきたので、小屋に入って2階で荷物を整理していると、徳さんから「酒のみませんか」と声がかかる。ブランディを持って下に降りる。
入り口でオッサンが入ってきた。「山中さーん、お客さん」と声をかける。
食事をとるところに座る。手伝いというか居候している2人がいた。名古屋から来たT青年は、来月から十文字小屋で働き、夏は聖岳で働く。Aさんは、土日に来て手伝っていたようだ。土曜は20人以上泊まっていた。150人収容でき、それ以上はことわることにしている。
焼酎のお湯割りをいただく。ツマミはキャベツと魚のマヨネーズ和え、胡椒が効いて美味かった。やがてオッサンもやって来る。雁坂小屋に泊まり、残雪に苦労してきた。避難小屋で休んでいたら、下から道に迷って登ってきた青年に会う。(水を調達に行っただけのよう)埼玉の人でボソボソと聞きづらい話し方で、登山暦2年目と言うが、知識の方は10年、マナーは1ヶ月といった感じ。人の話を聞かず、道に迷わないかどうか同じことを繰り返す。疲れる。頃合いにカレーライスが出てくる。グレープフルーツにナタデココ入りのヨーグルトも用意されていた。
徳さんは、自動車のブレーキ部品製造技術者だった。19年前にここの3代目に就任。小屋は4月末に入り、11月末に閉める。冬場はトラック運転などの仕事をする。
食後、NHK放映の「オーイ日本、埼玉県」を鑑賞。荒川源流を辿る番組で、長瀞から大滝に入り、女性アナウンサーが徳さんと一緒に渓谷を登っていく。4人のスタッフと共に、熊や鹿が通る道や撮影風景は絵になる所を選んでおり、本当の源流とは異なっていた。源流水をボトルに入れてNHKに持ち寄り、飲んでいた。水がやや甘いと言っていた。
もう1本、奥秩父風景のビデオを見る。小屋のイベントは8月第1土曜日の水祭。秩父のソバの達人がやってきてソバを賞味出来る。Aさんの好きなルートは、千曲川源流遊歩道から登り、十文字峠に降りる。私の登山計画を披露。60代まで、いろんな山を登り、70になったら自分の山を決めたい。「それなら、ここの甲武信ヶ岳を選んで下さい」と薦められる。徳さんは従業員用の風呂に行く。トイレに行く途中の小屋だった。小用を済ませ、更に酒に誘われたが、ブランディを献呈して休む。
5月14日(月)
4時、隣りのオッサンが起き出し、目を覚ます。既に高校生達は、出発準備。トイレに行くと、先生が「木賊山を登って8時までに雁坂峠、10時に広瀬の麓でバスが待っている」と案内していた。合計39人が出発していく。
4時半、赤い太陽が半分、雲の中に見えた。
頭上には半月が白く見える。
奥には、奥秩父遭難者慰霊碑が建っていた。
ベンチでメモをとっていると、徳さんが窓から顔を出し、「朝飯ができている」と声をかけてきた。オッサンと2人で味噌汁定食を食べる。彼は登頂してから徳ちゃん新道を通って下山する。徳さんは写真の方も興味があり、コンテストを主催している。彼の富士山を撮った作品もなかなかのものだった。記念に徳さんとの写真をT青年に撮ってもらってから出発する。
木賊山をトラバースして、既に足の跡がついた雪道を歩く。視界が開け、笹原を歩いていくと避難小屋に出る。
富士山がはっきり見える。
一息ついて富士山の形をした山、西破風山を登る。幾度か、あそこを登り切れば頂上と思いながら急登を続ける。振り向けば、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が見える。
7時30分、西破風山登頂。かって破不山とも言われた山梨百名山。
破風というのは、合掌型切妻尾根の三角の側面を言う。確かに似ていた。石楠花の木々が生え、心地よい風が吹いていた。尾根を歩いて30分後、東破風山に達する。
風が強くなってきた。笛吹川の沢が幾つか見える。金峰山、瑞牆山の奥に南アルプスが続いていた。
右手に富士山を見ながら、清々しい朝の山行。やはり泊まって良かった。鞍部に下り登り返す。
8時50分、雁坂嶺。高度2289m。後は緩やかに下っていく。雁坂峠には40分で着く。日本三大峠(他は北アルプス針ノ木峠、南アルプス三伏峠)で高度2082m。日本書記景行記には、日本武尊が蝦夷の地平定のために利用した道とされている。日本最古の峠道と書いてある。
木の芽風吹きあがりし雁坂峠
富士山に変化があらわれた。7合目の東方に雲が溜まってきた。西風が強そうだ。広瀬に向けて背の低い笹原をジグザグに降りていく。日差しが強い。四角い白標識が道脇にあった。ほっとしたせいか、突然チャイコフスキー「悲愴」のメロディーが浮かんでくる。
10時15分、峠沢の川に出る。歯を磨き、顔を洗ってスッキリする。幾度か川を渡り、細道を通っていくと、1人の中年女性ハイカーに出会う。ほかに誰にも会わなかった。
11時、私設の舗装道路に出る。残りの飲み物や、栄養ジェリーを口に入れながら照り返しの強い道を歩く。有料道路の上を登り返したところで、猿が1匹道路を横切り、草むらに消えていった。
12時、蒟蒻館に入ってお土産と蒟蒻入りアイスクリームを買う。店員に奥の喫茶室に案内される。中年夫婦が話し掛けてきた。三郷からで石和温泉にある養護ホームに見舞いに行っての帰り、西沢峡谷を散歩してきた。店員がキムチ入り蒟蒻(こんにゃく)をサービスしてくれる。
駐車場まで歩く。月曜日だが、観光バスが2台駐車していた。車は無事だった。帰りは国道140号線で長い雁坂トンネルを通り、中津川に沿って走り、秩父市を通過、皆野から寄居へのバイパスを使う。花輪インターで関越自動車道に入り、途中、食事してから帰る。
15時30分、帰宅。
Kobushigadake(2475m) border of Yamanashi pref. ,Nagano pref.,Saitama pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway KatsunumaIC→national road20,pref.34.38,national140,Nishizawakeikoku gate
2.Accommodation:Kobushi lodge(0494-55-0955)one night two meals
7000yen
3.Information:Yamanashi city Mitomi branch(0553-39-2121)
4.Season:Jun to Oct
Records:May13
9:00-9:20 Walk from Nishizawakeikoku gate(1100m) to gate.
9:20-14:00 Climb Tokuchan new route to Tokusayama(2468.6m)
14:00-14:20 Down to Kobushi lodge(2400m).
14:30-14:50 Climb to peak.
15:00-15:15 Back to lodge and stay.
May14
5:40-7:30 Walk to Nishihahuuyama(2318m).
7:35-8:05 Down and up to Higashihahuuyama(2260m).
8:05-8:50 Down and up to Karisakamine(2289m).
8:55-9:30 Down to Karisaka pass(2082m)
9:35-12:20 Down to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
英彦山(1199.6m)
1.2000年1月23日
2.交通:電車・博多―英彦山¥1250 バス・英彦山―神社下¥340
電車・英彦山―田川後藤 バス・田川後藤―天神¥13503.地図:国土地理院1:25000英彦山
昭文社:山と高原地図55・福岡の山々
1月23日(日)曇、霧
5時起床、雨の中を博多駅まで歩く。6時11分、若松行きの電車に乗り、7時11分、新飯塚で乗り換える。7時27分出発、23分で田川後藤寺に着く。8時9分に発ち、35分で英彦山駅に着く。同じ電車から白人青年が降りてバス乗り場に立つ。サンフランシスコから来た小倉高校の英語教師で、友人の家に呼ばれており、友人の車を待つ。その間に神社下行きバスがやってきたので乗り込む。
9時15分、神社下に着き、石段を登っていく。杉並木の階段を登ると奉幣殿に出る。1616年、小倉藩主細川忠興が再建のため寄進した国宝。桃山建築様式の大講堂で、表参道に向う団体が雨合羽を着て出ていった。こちらは玉屋神社に向う。
霊山の一人瞑想冬の道
ゆるやかな登りを辿っていくと、汗ばんできたのでスウェーターを脱ぐ。再び登っていくと、頭上に鹿が見下ろしていた。尻が白く、他は焦げ茶色をしている。カメラを出した時には消えていた。杉林を昇り降りする。杉田久女「谺して山ほととぎすほしいまゝ」の句を思う。俳句を友人から教わりながら始めたが、やる気になったのは、この句に出会ってからだった。後でわかったことだが、彼女は下5を得るために毎日のように英彦山に通ったが、句にならず、家に帰ってしばらく経った夜中に思いついたという。山もそうだが、汗をかいてこそ達成感を味わえる。
10時30分、玉屋神社に出る。般若岩という大岩の下に建てられていた。
神社の横の窟から清水が流れている。
更に30分歩いて大南神社に着く。ここは岸壁から半分、社が出ている。天火明命を祀っている。次に鬼杉に向う。樹齢1200年、周囲12.4m、高さ38mの巨木だ。以前は80mあったという。
石段を一歩一歩登っていくと、材木石に出会う。火山で噴出したマグマが急に冷えて固まった安山岩の柱状節理。
鬼杉伝説では、鬼が社を建てようとして刈りだした材木の残りとなっている。更に鎖を使って登っていくと雪が残っていた。
12時45分、南岳登頂。ここには彦山大権現が奉ってあり、その奥に三角点の白い木が立っていた。
「英彦山綜合年表」によれば、最初、日の神の子の山であることから日子山と呼ばれていたが、弘仁3(812)年、4代目法蓮が嵯峨天皇の勅を受けて彦山と改め、享保14(1729)年、霊元法皇の院宣で現在の英彦山となった。太陽信仰の霊山で出羽の羽黒山、奈良の大峰山と並ぶ日本三大霊山。南側にあるコンクリート製の避難所には展望所が設けてあるが、霧で何も見えない。一度降りて上る。
13時10分、中岳(1188m)に着く。久留米からきた団体が神社上宮を占拠していたので北岳に向う。修験者が通った道で、ブナ林の中を歩く。
雨降りて英彦山霧氷滴なり
13時45分、北岳(1192m)。ここは最も聖なる奥の院だった。奇岩の脇を通り、果てしなく続く石段を降りていく。
高住神社に出る。聖牛像があった。豊前坊という寺院の名前の旗が立っているところからして神仏習合の社だろう。ここは天狗の棲み家とされてもいた。英彦山修験では、豊前坊の石と最初に通った玉屋窟の水を壺に入れて護摩を焚く秘伝があるという。浄水場で水補給し、神社下バス乗り場まで急ぎ足で降りていく。途中、駐車場の迂回道を通り、杉林の歩道を歩いていく。
別所駐車場を目標に複雑にからまった道をショートカットして歩いている内、舗装道路に出たので、そのまま歩いて行く。様子がおかしい。民家があったので聞くと、北坂本の方で旧参道を歩いていた。駅まで3km、里山風景を満喫しながら林道を降りていく。別所川内川に沿って車も人も通らない道で日本3大修験の霊峰の麓もひっそりとしていた。修験道とは、見える自然と歴史の世界と見えない自然と山岳信仰の世界を歩くことかと思った。振り返って山を眺めると、種田山頭火の句が浮かんでくる。
すべってころんで山がひっそり
英彦山駅に出る。
田川後藤寺に出て、天神バスセンター行きの特急バスに乗って帰る。
Hikosan(1200m) in Fukuoka pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access:Railway Hakata→Iiduka→TagawaGotouji→Hikosan station
Hikosan→Jinjyashita by Soeda town bus
2.Accommodation:government institution Hikosan(0947-85-0121)
one night two meals6000yen~3.Information:Soeda town office(0947-82-1231)
4.Season:Sep to Apr
Records:Jan23
9:15-10:30 Walk from Jinjyashita(630m)road stair approaching to Hikosan shrine (720m)and Tamaya shrine.
10:35-11:15 Walk to Ohminami shrine.
11:20-12:45 Walk to Onisugi(devil cedar)and climb to Minamidake(1200m).
12:50-13:45 Walk to Nakadake(1180m) and Kitadake.
13:50-14:20 Down to Takasumi shrine.
14:20-16:00 Walk to Jinjyashita and take bus to Hikosan station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年4月20日
2.単独行
3.交通手段:高速バス(東京―筑波山)¥1730 バス(筑波山=筑波神社)¥440 バス(筑波山―土浦)\820 JR(土浦―駒込)¥1110
4.地図:国土地理院1:25000筑波
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
4月20日(金)
東京駅南口高速バスセンターで切符を買い、2番乗り場で一列になって並ぶ。
7時20分、出発。通勤客や研究者風の人達で座席が埋まっていく。外人もやってきた。高速6号から常磐道を走る。反対車線は渋滞していた。ウトウトしていたら土浦を過ぎていて、客が殆どいなかった。
9時、筑波駅に着く前に神社行きのバスが出ていってしまう。次のバスを待つ間、JRの時刻表を見ておく。筑波山が良く見えた。
頂上の電波塔も。常陸風土記によると、春と秋に諸国の男女が東の峰に登って歌を掛け合って楽しんでいた。由緒ある山だ。信仰する以前から登られている。
9時25分、一緒に来た中年ハイカーと乗り込む。10分後、筑波神社前で降りてから一緒に登る。船橋の人で、天気が良いので休みをとって花の写真を撮りに来た。長年の経験から草花を熟知していて、ウラシマ草、タチツボスミレ、帰化植物のショカツサイ、スミレ草と教えてくれる。見つけるのも早い。ヤマブキの花は、わかる。暑くなってきたので、先に行ってもらい、着替える。追いついた時は、三脚を使って蝮蛇草を撮っていた。
まむし草蛇色の茎立ち上る
鎌首をあげている形は確かに絵になる。今度は先に登っていく。桜塚を過ぎるとコナラやモミ、更に杉の大木が残っていた。虹色の顔つきをした蛇が隠れてしまう。ケーブルカーが左手に走っていた。中の茶屋を過ぎ、ホイホイ登っていくうちに道が狭くなり、笹を分けていく。おかしいなと思いつつ、登る。一息ついて地図を見ると、登山道は左手の道だった。女体山に向っていた。半袖のシャツだったので、藪の中を登っていたら、腕の内側を少し切っていた。
11時、ロープウェイ乗り場。時間があるので男体山に向う。小学生のグループが黄色い声をあげて動いている。御幸ヶ原に降りていく途中、カタクリの花やスミレ科の花が咲いていた。
男体山神社でイザナギの神に向かって合掌する。
1902年創立の日本最初の山岳気象観測所があった。今度は青年グループがやってきた。埼玉県警察学校の生徒達70人。挨拶を欠かさない。自然研究路を少し歩いて立身石に行く。高さ5mの石の上に立つ。
ここには2つの伝説が残っていた。親鸞上人がここに苦しむ餓鬼を救ったこと。伊奈村出身の間宮林蔵が13歳の頃、ここで出世を祈った。後に測量、算数の大家になり、樺太探検を敢行している。
11時50分、ベンチに座って食べる。春の日差しを受け、ポカポカしている。土産物店でガマの油を300円で売っていた。幸せを迎えるというので、6匹の蛙をかたどったものなど値段を抑えていた。
靄晴れて筑波山頂春来たり
12時30分、女体山に登頂。遠景は靄がかかっていて、富士山や日本アルプスは見えない。筑波石だろうか、大きな石が積み重なっていた。本殿に向かってイザナミの神に合掌。昔、イザナギ、イザナミの神の下で恋の成就を願いながら歌垣したことを想う。
つつじが丘方面に降りていく。往路、ロープウェイでやってきたカップルがコワゴワと降りていた。奇岩が続く。立身岩。ここで13歳の間宮林蔵が立身出世を祈って樺太が島であることを発見するに至ったと言われている。
ガマ石、大黒岩、出船・入船、母の胎内潜りを通る。「弁慶七戻り」は、弁慶が頭上の大岩が落ちそうなので七回も逡巡したという。
北斗星のように決して動かない岩がそびえたつ。
弁慶茶屋で、つつじヶ丘のツツジが咲いていないことを確認してから、神社方面の道を降りていく。鳥居を通過。
神社本殿では太鼓の音がする。男性がお祓いの後、お神酒を飲んでいた。この神社は、江戸時代に将軍家の祈願所として保護を受けていた。手入れが良いのか立派なツツジが咲いていた。
14時2分、バスが動き、15分後に筑波駅に着く。14時20分発のバスは5分遅れで出発、次のバスで土浦駅に着いたのは15時10分だった。JRで上野まで行く。
「筑波の丘は高く雲の中に聳え、西の峰、男体山は険しく高く、雄の神といって登らせない」常陸風土記
「筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」陽成院
Tsukubasan(1295m) in Ibaragi pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus is available from Tokyo station south (Highway bus callcenter03-3844-1950)to Tsukuba station. From Tsukuba station to Tsuka shrine station by Kantou tetsudou(029-866-0510)
2.Information:Tsukuba city tourist center (029-855-8155)
3.Season:Apr to Nov
Records:Apr20
7:20-9:00 Take bus from Tokyo highway bus center to Tsukuba station.
9:25-9:35 Take bus from Tsukuba station to Tsukuba shrine.
9:40-11:00 Climb to Ropeway station.
11:00-12:00 Walk to weather station,climb to Nantaisan and take meal.
12:20-12:30 Walk to Nyotaisan.
12:35-13:10 Down to Benkeichaya.
13:10-14:00 Back to Tsukuba shrine station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年6月29日
2.単独
3.自家用車 ①ガソリン代:¥3290 ②高速代:¥2750(練馬-前橋)
4. 地図:国土地理院1:25000赤城山
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
6月29日(木)
4時半、出発。関越自動車道に入るのに手間取った。その後、時速100キロ以上で走行。高崎ICを過ぎて、前面に赤城山系がドーンと鮮明に見えてきた。
6時前、前橋ICから県道4号線に入って間もなくセブンイレブンを見つける。大事をとって食糧を調達。赤城大鳥居を潜り、一気に高度1400m迄登っていく。展望台を過ぎると大沼が見えた。地図を頼りに運転、ビジターセンターの手前を左折、湖畔に沿って走る。直ぐ、啄木橋が見えた。一度、そこの駐車場に行ったが、観光客が通る所なので、先の方の駐車場に行く。木陰の所に停めて準備していたら、初老夫婦ハイカーが歩き去っていく。
7時10分、出発。5分で黒檜山北登山口に出る。看板には「頂上迄1時間半、高度差450m」と書いてある。樹林の中を登っていく。20分で猫岩を通過。膝を庇って、枝や根、岩を掴んで登る。頭上の林から日がちらちらと見えてきた。羽虫や虻が多い。鳥や蜩が鳴いている。見晴らしが良い所に出ると火口湖大沼が箱庭のように見える。
空の青、水の青、ミズナラの葉の緑が眩しい。山ツツジが咲き、樅の新芽が伸びている。
8時25分、尾根に出、左に向かい10分後、登頂。石祠と「御黒檜大神」と書いた鳥居が立つ。黒檜(くろび)山と言われていることがわかる。山岳信仰のご神体の山であった。
さっきの夫婦が休んでいた。神奈川からやってきており、2回目で前回、天気が良くなかったのでやって来た。今年既に百名山14座踏破している。「百名山には、こだわっていない」と言っているが、そうは思わない。 九州、中国、近畿とドライブしながら、一日で2座(大山と大台ガ原)を登ったりしている。 東側は雲海。頂上からは、見晴らしは良くない。ザックを置いて展望台に向かう。スパッツをつけたが、膝上の方に笹や枝葉の水滴がかかり、ビショビショになる。笹に覆われた道を歩いて行く。残雪の谷川岳と右手に朝日岳が見えた。
9時10分、戻ってみるとザックにマダラヒカゲ蝶が止まっていたので、離れるまで待つ。
次に駒ヶ岳に向かう。木の葉にアサギマダラが休んでいた。
木製の階段を降りて、笹と樹木の大ダルミという鞍部を通過、少し登って駒ヶ岳(1685m)に出る。
10時、下山。尾根を降りてから右に曲がり、樹林帯の中に入って鉄製の階段を3回降りてジグザグの道を通り、県道に出る。大沼に向かい、朱塗りの橋を渡って小鳥ヶ島に行く。
赤城神社に寄り、拝殿で無事登頂したことを感謝する。昭和45年に移築されていた。
大沼には鴨の親子が水面をのんびりと泳いでいる。
11時30分、車に戻り、時間があるので覚満淵という高層湿原に寄る。覚満淵という名前は、平安時代の比叡山高僧覚満がここで仏教を説いたからと言われている。車をビジターセンターの駐車場に停めて木道を歩いて一周する。
羊歯類が繁茂していた。
12時20分、センターに戻り、鳥居峠で覚満淵風景を眺める。
県道14号を走って赤城神社の大鳥居を通過、国道462号から本庄児玉ICに出て関越自動車道に入って帰る。
Akagiyama(1827.6m) in Gunma pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Kanetsu expressway MaebashiIC→Pref. road4,gate of
Kurobisan.
2.Information:Fujimi tourist association(027-288-2211)
3.Season:May to Nov
Records:Jun29
7:10-8:35 Climb to peak.
9:10-9:55 Down and up to Komagatake(1685m).
10:00-11:30 Down ridge and take iron steps to road and walk back to gate.