グランパの山歩き
1.2016年6月15~16日
2.同行者:I
3.交通機関:I車(三菱アウトランダーPHEV)
4.宿泊:丹沢湖畔・落合館 一泊二食¥7560 電話0465-78-3190
5.資料:昭文社・山と高原地図28丹沢
6.諸経費:¥12000
大室山(1587m)山梨百名山
大野山(723.1m)関東百名山
6月15日(水)曇 用木沢登山口=犬越路=西の肩=大室山 23172歩
4時20分、起床。お湯を沸かしてポットに入れ、オニギリを食べる。
5時15分、出発。既に明るいのに街灯は点いたままだった。地下鉄南北線のホームの時刻表は古く、ネット情報の方が信頼できた。27分発、日吉行きに乗車。座って行く。シャツの肩に義塾のシンボルマークをつけた高校生、端の席で爆睡していた。車内のポスターに浦和レッズや埼玉スタジアムがあるのは埼玉県赤羽岩淵からだろう。
5時48分、麻布十番で降りて4番出口に向かう。エスカレーターには「手すりにおつかまりください」の案内の下に黄色いマークに黒く書いた「抗菌」が張ってあった。外に出て近くの「りそな銀行」前で待つ。Iは既に着いていたが、近くに交番があるので私が現われてからやって来る。出発後、高樹町で乗ろうとしたが、見つからず、そのまま首都高速の下を走行。三軒茶屋から入る。反対側は既に混みだしていた。東名高速の料金所を通過。
7時13分、大井松田で降りて国道255から246を走行、単線の御殿場線に沿って走る。東山北駅は無人だった。コンビニがないので県道76を走行。「DAILY STORE」を見つけて弁当を買い、トイレにも行っておく。窓側に食事できるスペースがあり、外では野菜売り場を営業していた。
山北駅の前を通る。
山北駅
246に戻り、幾つかのトンネルを通過。清水谷で右折して県道76に入る。河内川に沿って北上。神尾田トンネルを越えると丹沢湖に出て永歳橋を渡り、右折して中川に沿って走行。西丹沢自然教室を通過、分岐点にある看板を良く見ないまま右に行ってしまう。
8時半、ゲートがあり、外して更に車を進める。どうもおかしい。道に迷った場合の原則通り、元に戻る。私有地だった。1時間ロス。分岐点から別のルートを行くとゲート前に用木沢登山口(標高610m)があり、2台、駐車していた。登山靴に履き替える。
↓大室山
9時45分、出発。このルートは犬越路まで東海自然歩道でもあり、良く整備されていた。ブナ林の中を歩いて行く。鉄製階段を上がって川を渡り、大きな砂防ダムの脇を歩く。
沢にかかった木橋を何度も渡る。四万十川の沈下橋を思い出しながら、Iが渡り終える頃に進む。
15分後、大きな沢と別れて杉林の中を上って行く。
せせらぎの音も消え、ひたすら足元に注意しながら登る内、鎖がある所もあったがストックを使うだけで良かった。鹿から植生を保護する網が張られ、網を越える梯子があった。
オールグリーンの中、前方を見ると霧がかかっている。
犬越路に出て右に取る。
11時20分、避難小屋に入って休む。快適だった。ドアは自動的に閉まる。奥にはトイレもあった。
10分休んでおいて良かった。その後、17分、急登が続く。登り終えた所に三角点があったので大杉丸(標高1169m)だろう。ブナの森の中、鶯やオオルリらしき鳥が鳴いていた。
12時、降りて登り返す。花には縁がなかったが、一か所に山ツツジが咲いていた。
タフそうな男が前からやって来た。始めて人に会ったという。10分後、チェーンのある所を登りきると、待っていた男に会う。神奈川県指導員のラスターをかけている。ルートチェックを自由に選んで歩き、年10回やっている。
途中、5分間一本立てる。倒木にサルノコシカケ科の茸が生えていた。いたるところ、土嚢で道が崩れないようにしている。
丹沢や鹿除け網延々と
ドウダンツツジが咲いていた。
大きな薊とバイケイソウの葉が一緒に見え出す。
13時35分、加入道山との分岐点「西の肩」に出る。
広場には大きなテーブルが二つある。休むことなく大室山に向かう。
13時45分、登頂。広々としており、山梨百名山の標識と、標高を書いた標識があった。
木の根っこに腰を下ろしてウーロン茶を飲みながら食べる。いつも用意したコーヒー・スティックなどのセットを忘れていた。25分後、ストックを2本にして出発。種が混じった糞を見つける。分岐点からは遅れを取り戻すべく、一気に降りて行く。
梅雨時の降られぬ内の山下り
15時5分、避難小屋で休んでいると、中年女性がやって来た。横浜からで専ら単独で登っていた。トイレに行っている間、先に行く。30分後、崖の上の道でチェーンが続いている所は慎重に歩く。
渓流まで戻り、橋から眺める。
足の疲労も出てきてスピードが落ち、最後には、さっきの女性に抜かれる。バスの時刻に間に合うようにしていた。
16時23分、車に戻る。靴を履き替えた頃、近くに車が来た。釣り師で、釣り許可の桃色カードを後ろに付けていた。許可料千円。マスを釣りに川に向かう。出発して間もなく彼女に会ったが、同乗不要と言われて別れる。確かにバス停まで、近かった。
丹沢湖に出て永蔵橋を渡って直ぐに宿泊所があった。
17時5分、近くの駐車場に停めて落合館に入る。2階の「大室」に案内される。8畳の他、テーブルと4つの椅子があってゆとりがあり、窓から丹沢湖が見える。風呂に入って汗を流す。温泉ではないが、ブラックシリカという鉱石を通していて遠赤外線を放出、身体に良いという。
18時過ぎ、食堂に行くと6人の作業員が食べに来る。ここではご飯やお茶などはセルフサービス。我々はビールを2本飲みながら食べる。彼等がやるように皿にご飯とカレーをかけて食べる。大画面のテレビでは舛添知事辞職のことを報道していた。
食後、部屋に戻り、持ち寄った焼酎のお湯割りと摘みを食べながら議論。縄文に始まる歴史教科書の取り扱い、アメリカ大統領選挙、イギリスのEU離脱問題、消費税延期、軽減税率と続く。学生の時、経済政策を学んだ仲、大所高所から分析する。
21時半、時間切れで寝る。
6月16日(木)曇り 大野山 6497歩
5時、起床。Iはトイレに行っていた。
5時40分、1人で散歩。旅館の前に異形の樹が保存されていた。ここの二代目石田左近が南アルプスで見つけて1987年7月に移設。「丹こぶ栂(つが)」と命名している。
永代(蔵)橋を渡る。三保ダムや、これから行く大野山が見える。
橋のたもとには東電の変電所があった。帰りは反対側を歩いて記念館の脇にある「三保の家」を眺める。
家の手前に三保ダム建設で水没した水車ランオー(出力3210kw)、更に、2012年8月5日、ロンドンオリンピックに出場した地元の尾崎好美選手が丹沢湖マラソンで使った靴型の碑がある。
ダムで水没する三保村から移住した家々を見ながら戻る。旅館にはガスボンベを搭載した小型トラックが駐車していた。
電線を伝ふ子鴉覚束な
6時10分、朝食。一組は既に食べ終わろうとしていた。川魚の煮物、ハム卵生野菜の皿の他、納豆用だろうか生卵がついている。大き目の茶碗にご飯をそそぎ、味噌汁を2人分持ってテーブルに行く。彼も来たところでテレビの前で食べる。日本の熊、フロリダの鰐に子どもが襲われたことがニュースになっていた。食後、部屋の向い側にある洋式トイレに入ると、自動的に蓋があいた。TOTO WASHLET。蓋に触れない清潔さと節電、日本ならではだが、昔なら怪奇ととられるだろう。
7時過ぎ、出発。まだ疲れが残っているのか、行き先を間違えて落合トンネルを越えて町立キャンプセンターに行ってしまい、戻る。トンネルを通ったことを覚えているので思いこんでいた。カーナビに谷峨駅にセットしたので国道246に出て別ルートに行ってしまう。地図を良く見れば合流するので問題なかった。大野山入口も良く確認しておけば良いのに樋口橋の手前を左折と頭に入れていたので、トンネルの前で左折すべきなのに、トンネルを越えてから左折。おかしいので地元の人に確認して戻り、行き先が書いてあるのを確認して行く。道は狭いが舗装道路、この時間に利用するのは我々だけだった。案内に従って駐車場に車を入れて歩く。8分で到着。山の標識は奥にあり、手前、盛り土したような所には石段になった祠がある。山北町観光協会長と神奈川県松田警察署長の連名で「祈安全登山」と書いていた。隣りに方位盤がある。見にくいが西に富士山、南に小田原市などとある。右下に小さく「2004年、小田原城北工業高校製作」とある。
山名を書いた標識まで行って写真を撮る。
トイレの他、雨宿りできる円形の休憩所があり、そこで休む。
落合館、5代目の女将、石田栄里子さんの話を聞く。1978年、ダム湖が出来るまで三保村落合で酒屋と宿屋を営んでいた。
9時5分、出発。駐車場へ戻り、臨時トイレで排尿。脇道をちょっと歩くと木彫り作品が並んでいた。標識の下に置かれた小鹿と同じく、どこかの学校が製作したものだろうか。
10分後、カーナビに大井松田ICとセットして、来た道を戻る。延命水のある水場や、山の中のボクシングジムを通過。国道246に出て走行、指示通り籠場インターで右折。そこで小田原方面と出ていたので、ここでも勘違い。246に戻ってしまう。再度、確認しても戻る信号もない。トラックと一緒に走行。堀川入口で右折して県道62号に入る。桜並木が続いていた。何故か「出雲大社」がある。
10時、秦野中井ICで高速に入る。東上空に黒い雲があり、雨がぱらつくこともあった。30分後、海老名SAでトイレや買い物で20分過ごす。コンシェルジュに聞くと、東京まで渋滞情報はなかった。
順調に飛ばして首都高速に入り、高樹町で降りて、外車ナンバーの車の後について六本木ヒルズへ右折、麻布十番の地下鉄乗り口で別れる。
11時47分発、地下鉄南北線に乗って家に帰る。
終わりに
今年、初めての山行。同行者にお任せして参加したせいもあり、ドライブを含めて道迷いに気づかなかった。 次回は階段歩きなど筋力トレ以外に、頭の体操をして備えたい。
グランパの山歩き
1.交通機関:上中里―大宮¥388 JTB・上信バス
2.集合場所:大宮駅西口ソニックシティビル脇
3.昼食・入浴:国民宿舎「やまびこ荘」
4.地図:昭文社・山と高原地図21西上州
5.参加費用:¥3000
はじめに
今年は墜落事故から30年を迎えたこともあり、日航OB会が案内していたので久しぶりに応募。日頃、ホームページ作成などで教えてもらっているHさんも同行できた。結局OB会はバス2台、当日はスチュワーデスOG会がバス5台、更にスチュワーデス新人研修生20人も同行していた。前回は専ら被害者の冥福を祈り、登山道の清掃が目的だった。今回は遺族の方々の想いに寄り添って歩くことにした。
2015年10月2日(金)晴
7時15分、出発。京浜東北線上中里駅に向かう。寒くなったのか、ペット犬がウェアを着ている。
7時26分、大宮行きに乗る。南浦和駅では階段に近いのか車内のドアに向かって並んで降りて行く。25分後、大宮に着く前、緊急停止発信のため停まる。折り返し電車が出るのを待つ。8時過ぎ到着。ここの駅は広い。陸橋に出てからジョギングしてパレスホテルまで行く。同じ紙を持った人と一緒に行く。2号車の前でHさんが待っていた。一緒に最後部の席に座る。湘南ラインが人身事故で遅れており、予定より10分遅れて出発。添乗員、ドライバーの紹介があり、車内でオニギリ2個とお茶のペットボトルが配られる。東京外環自動車道から関越自動車道に出て、高坂SAで20分休憩。端には犬用の散歩道が出来ていた。
トイレの帰りに顔なじみに会う。羽鳥さんは関連会社でも一緒だった。4年前から介護士の資格をとって3か所を担当している。
9時50分、出発後、左手に富士山が見えた。
10時25分、藤岡ICを降りて国道462を走行。神流川に沿って走る。上野村の標識が見えて間もなく道路もくねくねと曲がり、一度は曲がり切れず先の広場で方向を変えていく。
11時40分、慰霊の園。事故現場の方向に立つ慰霊塔の前で1人ずつ線香を1本いただいてロウソクで火を点け、手で払って焼香する。
塔の中の納骨堂には身元が判明しなかったご遺体があるという。ガイドの案内で全員集合写真を撮る。8.12連絡会が遺族の文集を編集した本が2005年と2015年に発行されており、一通り目を通して来たし、1枚のリーフ紙にメモしている。名前を確認し、遺族の人が書いたことを想いながら合掌する。碑銘がアイウエオ順なので、わかりやすい。123便の乗務員、同僚だった波多野純チーフパーサーに語る。展示室には遺品の他、皇太子が行啓された様子の写真があった。スチュワーデス研修生も見学していた。
12時、バスに乗って登山口に向かう。崖の下やトンネルを通っていく。対向車が来ると自分の車ではきつい。登山口にはバスがどんどんやって来る。登山用の杖が用意されていた。
12時40分、高度1355mからスタート。入山者数計器に指を押して行く。
10分後、山守地蔵を通過。道は広く歩きやすい。
「すげの沢のささやき」には碑が立っていた。その先に鐘があり「熊よけ鐘鳴らしてください」と書いてある。
迷彩柄の服を着た男達が降りてくる。陸上自衛隊宇都宮駐屯地からだった。
最初に墜落地点を発見した米空軍輸送機の乗員が深夜の救助をしなかった政府及び自衛隊機の人命軽視の対応を指摘している。しかしヘリが巻き起こす風で周囲の熱風を煽るので撤退した経緯がある。8.12連絡会事務局長美谷島邦子さんが指摘しているように、ここは一歩一歩踏みしめながら安全を願う聖地になっている。国民の安全と迅速な救命を担う自衛隊員に見てもらうことはありがたい。
「参拝道・尾根迄500米」と書いた石標が立つ。清水が穴から流れ落ちていた。
13時、トイレのある山小屋の下に碑銘があった。下段は読み取れる。「さよならも言えずに旅立ったあなたたち やすらかに永遠の祈りをささげます 遺族有志」
御巣鷹尾根の案内図が立ち、多くの方が亡くなったスゲノ沢への道を急ぎ足で行く。
慰霊小屋の先に風車が並んでいた。
慰霊小屋には遺影の両脇に千羽鶴が飾られている。折り重なるように立つ墓標の近くに、文を寄せた田川康子さんの夫の墓標もあった。
ここで生存者が見つかっている。1人は私の配下だったこともある。貴重な証言を残している。限られた時間なので一人ひとり合掌出来ずに戻る。水道が引かれたところに2リットル入りペットボトルが用意されていて、お墓に水をかけられるようにしている。一本水を入れていく。
Hさんに追いついて苔が脇に生えている道を登ると視界が開ける。
13時10分、標高約1500mの「昇魂之碑」の前に出る。ここは事故当時、ヘリポートとして使われた。機体接触のU字溝を眺めると、どことなく小さくなっている。21分で登った女性もいた。
13時半、松山元OB会長が代表して献花、皆で黙祷する。
終わったところで「教官」という声。約40年前の教え子2人が来ていた。
後で話すことにして、前回行かなかった所へ登っていく。遺族の碑の隣りに520名を書いた慰霊碑がある。
近くにも遺影写真を飾った慰霊小屋があった。御巣鷹茜観音像そして10A番地の先を登っていく。
いろんな形のお墓があった。
高天原、大蛇倉山と書いた標識があり、バスに同乗した人に会う。一帯は高天原と呼ばれていたが、事故後、御巣鷹尾根になったという。気合いを入れて登っていくと、少し広くなったところに出る。高天原だろうか、高度計では標高1690m。
大蛇倉山(1962m)は諦めて一気に降りる。昇魂之碑からは道が広いので、急ぎ足で降り、研修生を抜いていく。
登山口前でガイドに会い、バスに乗る。Hさんはスゲノ沢と昇魂之碑の小石を持ってきて、家で鎮魂する。
14時25分、出発。20分後、国民宿舎「やまびこ荘」。まず風呂に入って汗を流し、1番バスに乗った後輩Tと湯に浸かる。大広間で、ビールを頼んで飲みながら食べる。隣りは宍戸前OB会長。一度組合関係で縁があった。食後、顎ひげの梅澤龍吉氏が「御巣鷹山」と題した漢詩を吟ずる。
16時15分、出発。隣りのMさんと話す。60歳。5年前、退職。富士ドリーム航空で乗務していた。静岡空港を拠点にしており、以前ハワイベースの機長も勤務していたので覚えている。(彼とはタイ人スチュワーデスとの結婚式で主賓の祝辞を述べたほど仲が良かったが、アメリカ本土に行ってしまい、音沙汰ない)今は春秋航空日本の機長を務めている。機材はB737。専ら成田から広島、高松、佐賀を飛んでいる。すごいのはIpad。SPRING JAPANと書いてあり、会社支給。GPSを使った最新気象情報、風向きなど高度ごとにわかる。乗務前に飛行情報を確認してプランを立てる必要がない。
16時50分、下仁田ICから高速に入り、赤城山を見ながら関越自動車道を走行。高坂SAで20分のトイレタイム。予定より30分早く大宮駅前の到着場所に着く。ここで2人と別れ、T夫妻と駅まで歩きながら話して別れる。湘南新宿線で赤羽まで行くのが早いが、行きと同じく座って帰る。少なくとも後、一回は慰霊しなくてはいけないと思った。
完
グランパの山歩き
1.2015年6月1~2日
2.同行者:I、A
3.交通機関:I車(三菱アウトランダー)
4.宿泊:六合(くに)村・応徳温泉「花まめ」一泊夕食¥8023電話0279-95-3650
5.資料:国土地理院2万5千分の1地形図・長野原
昭文社・山と高原地図⑰志賀高原
横田昭二「ぐんま百名山」上毛新聞社
6.経費¥5000
高間山(たかまやま)(1341.7m)、王城山(おうじょうさん)(1123.2m)
6月1日(月)晴 14410歩
6時、出発。上中里駅まで歩いて17分発の京浜東北線に乗って王子駅で降りる。
6時半、三井住友銀行の裏でI車に乗る。助手席に座ってナビを担当する。王子北から首都高速の川口線を走行、東京外環自動車に出る。大泉付近は渋滞していた。関越自動車道に出ると空いていた。
7時55分、上里SA。EV QUICK POINTに車を停めて充電。その間トイレに行っておく。カーナビに宿泊先をセットして出発。
8時50分、渋川伊香保ICで降りて国道353を走行。コンビニに寄って昼食を買う。カーナビに宿泊先の電話番号をセットしたが、登山口に近い長野原町にセットすれば良かった。ナビが示すように中之条町から引き続き国道353を走行、折田で県道55へ左折して行く。山間地域に入り、沢渡温泉を通過。日本ロマンチック街道を走っていた。ナビには、目標の「高間山」の字が見えていた。標高1088mの暮坂峠では若山牧水の詩碑「枯野の旅」が立ち、牧水の歌碑が続く。彼が訪れた時季と違って新緑。すべての樹木の葉が同じ色をしている。六合村の小雨地区に出て国道292を左折、白砂川に沿って降りていく。こちらからだと標識が見つからず、通り過ぎてしまう。橋脚工事している所で年配者に確認、戻ると「広池遺跡」と書いた小さな看板があった。
10時50分、広池地区から入って行く。集落を離れ、崖下を通過。途中、T字路に高間山への標識があり、右にとって峠に向かう。樹林帯を過ぎて十字路を右折。引き続き舗装道路を登っていくと25分後、峠(1160m)に着く。右手に車3台停められるスペースがあった。
高間山登山口
11時半、標識のある登山口から唐松林と熊笹の中を一直線に登っていく。
最初は蛙かと思った。春蝉が一帯を鳴き響かせている。小さいのでどこにいるのかわからなかった。
唐松の全山響く蝉時雨
中間点の標識には英語も書かれていた。山ツツジが咲いている。
やや傾斜がきつくなった所を登ると30分で頂上に着いてしまう。
弁当を食べ、ポットのお湯を使って2人に飲み物を渡す。
12時25分、ストックを2本にして下山。リュックも軽くなり、22分で戻る。今度は南に向かって王城山に向かう。
ゲートで閉鎖されたコンクリ道を歩く。振り向くと、高間山が見えた。
ゆるやかに下ってからカーブして降りていくので、近道を降りて行くと、大きな石が横たわっていて、雨宿りできるスペースがある。道路上の案内板には「あみだ石」と呼ばれ、阿弥陀様の寝姿に似ているということから名づけられたようだ。
あみだ石
13時5分、コンクリ道が終わり、駐車できる大広場にベンチがあり、一本立てる。
登山道を上って行くと、崖上の脇にロープが張られていて、木段を上がっていく。鶯が鳴いていた。王城山神社の奥宮があった。日本武尊が東夷(トウイ)を征討した折りに、ここにとどまったことから祀られている。
作業小屋まで降りて登り返す。
13時50分、王城山登頂。なぜか日章旗が立っている。
案内板によると、戦国時代には、ここに砦があったので地元の人は王城山古城と呼んでいる。ウスバシロチョウだろうか、枝に止まっていた。足元に小さな祠が三つある。
ウスバシロ蝶 石祠
20分後、下山。通ってきた里が見えた。
30分で広場に戻る。コンクリ道が出来ない前の山道を歩いて帰る。
15時10分、峠。今日は誰にも会わなかった。Iが靴を履きかえてから出発。長野原に向かう。国道145に出て、道の駅「八ッ場」に行く。
コンビニYショップに寄ってオニギリセットを買う。ここには英語と中国語を入れた「長野原・外国語観光ガイド」パンフを置いてあった。
戻って国道292を北上。
16時50分、道の駅「六合」にある旅館「花まめ」に着く。Iは「六合山荘」と呼ばれていた頃に来ていた。
新館の方に入って2階の「のぞりきすげの間」に案内される。和室と洋室でダブルベッドが2台ある。早速、風呂に入って汗を流す。白濁の内湯と露天風呂があった。
今日は東北大学職員組合退職者の会ご一行が泊まっていた。
18時、階下で夕食。ビール4本開けて食べる。
食後、部屋で冷蔵庫に冷やしておいた「おこし酒」とIが持ってきた慶應義塾の酒「陸の王者」を飲む。「おこし酒」は、飯舘の村おこしを進めるため、喜多方産の酒米を使って前月に醸造したばかりのもので、さっぱりしていた。Iから、ふるさと納税により宿泊が無料になった経緯を聞く。
20時、就寝。
八間山(はちけんざん)(1934.5m)
6月2日(火)晴 13059歩
3時、一度、トイレに行く。
4時、起床。洗面、支度後、和室でお茶を飲みながらオニギリセットを食べる。食後、裏の景色を眺める。既に明るかった。
先に降りて行くと、白髪の支配人に会う。2年前から赴任。ここには熊の他、日本鹿、猿、狐、狸が棲んでいた。横須賀出身なので話がはずむ。小泉純一郎の選挙応援に駆り出されていた。ただ地元還元には無頓着。富津との間の海底トンネル案もアクアラインが出来て頓挫していた。
5時、出発。国道405を北上、野反峠に向かう。早いので対向車に会うこともなくジグザグ道を上っていく。30分で駐車場に停める。残雪があるように未だ寒い。
5時45分、レインウェアを着て、トイレに寄ってから登山口に向かう。展望台では野反湖が一望できた。
ここは関東富士見100景の1つであり、浅間山も見えるようだが、両坐とも同定できなかった。道路を渡って登山口(1561m)から登っていく。足元に岩鏡が咲いていた。
他にもアカモノなどが咲いていた。
アカモノ
振り向くと白根山や横手山が良く見える。
右・横手山、中央左・白根山
6時10分、イカイワの肩で水を補給し、レインウェアを脱ぐ。ここの標識も英語で書かれていた。なだらかな八間山が見えた。
群馬県花のレンゲツツジとミツバツツジが咲いていた。
レンゲツツジ ミツバツツジ
足元には小さな黄色や白い花が咲き、鶯が近くで鳴いている。
ウラジオヨウラクが咲き、初めてコヨウラクツツジを見つける。
「イカイワの頭」の標識は字が見えなくなっていた。高度15mほど降りて、登り返す。
葉の縁が赤いアカヤシオを見つける。
奇怪な大木の下を通っていくと、足元にミツバオウレンが咲いていた。
ミツバオウレン
7時10分、八間山登頂。
朽ちた避難小屋の奥に白砂山が見える。
樹間から鳥甲山が小さく見えた。11年前に丸一日かけて登っており、昔の恋人に会えた気分になる。尾根が長い岩菅山も登っていた。
鳥甲山 岩菅山
帰りは、撮り残した花や景色を撮っていく。
ヤマアジサイ
四万温泉らしき所以外、原野が続いていた。
顔にブヨやアブより小さな虫がまといつくので手で払う。途中、シニア夫婦、若者グループ、カップルが登って来た。一度、野反湖を眺めながら休む。
9時、駐車場。群馬の他、埼玉県ナンバーの車が多い。15分後、出発。高度差800m、エンジンブレーキを利用して降りていくとリチウムイオン電池に充電されるという。車はどんどん進化していた。久々戸から国道145に入り、長野原めがね橋を通過する。
一路、国道145を走行。中之条で国道353へ入る。
10時45分、道の駅「おのこ」で野菜購入。
再び渋川伊香保ICから関越自動車道に入る。
12時15分、高坂SA。30分、車に電気充電する間に、食べて精算する。川口から首都高速に入り、荒川を渡るとスカイタワーが見えた。
14時、王子駅で解散。時間があるので駅前の北トピアに寄って最上階のプラネタリウムを見ようとしたが、既に多目的ホールに変わっていた。 完
グランパのwalking
東京・鶴見案内
はじめに
今年の1月8日から3月9日までタイに滞在、中でも1月31日から3月1日まで東北タイのブリラム県ランプライマットにあるウィチャン校に滞在して、日本語と日本文化を話題に、生徒の質問に応えながらの授業をしてきた。その校長がソンクラーンというタイ正月を利用してテー夫人及び次男チュー君と一緒に東京にやって来た。チュー君は日本語を習っていて一人で秋葉原、高井戸と自分の行きたい所に夢中。ウィチャン氏は、かねてから禅のほか築地魚市場に関心があった。これは滞在中、3日間ご夫妻を案内した記録です。
4月14日(火)曇のち小雨のち曇 築地、皇居 12264歩
9時前、総武線両国駅西口近くのパールホテル両国に行く。
スカイタワーが見えた。
ここには東北から来た中学校の修学旅行生やニトリが泊まっていた。ロビーにいるとウィチャン夫妻が現れる。忘れずにタイ語で書かれた地下鉄路線図2部を渡す。最近出来たばかりで東京の名所も載っている。国技館、江戸東京博物館の前を歩く。
国技館
江戸東京博物館
地下鉄大江戸線の駅に降りて、築地市場駅まで行く。改札口近くに片岡球子の浮世絵2点を大型陶板にしたものが壁にあり、2人に彼女について説明。他に富士山シリーズの絵もあり文化勲章(order of culture)を受賞していることを伝える。
ウィチャン夫妻 片岡球子作品
9時45分、A1から外に出て魚市場に向かう。巨大な建物へは小型運搬車「ターレー」に注意しながら歩く。夫人は、早々と1つ千円のワサビを買う。
山葵
漬物やマグロ荒ら節を機械で削り節にして売っていた。淡泊だと言う。
鮪荒ら節と機械
寿司屋には行列ができていた。一皿4千円台のは一人分とわかり、諦める。
早朝のセリは終わって、観光客の中にはフランス語を話す人たちが目立つ。新鮮な魚を見る目つきが違う。魚、貝類がハッポウスチロールの箱に入っている。
生牡蠣を6杯買うと氷を入れてくれた。
10時40分、野菜・果物市場に行く。白苺「雪うさぎ」や熱帯果物、キワノ、アテモノなどは初めて見る。完熟マンゴー「太陽のタマゴ」は宮崎産だった。野菜は豆、ピーマンなどがある。
10分後、大通りに戻る。雨が降っているのでタクシーはつかまらない。幸いに、道を隔てた先に朝日新聞社があり、よく見るとタクシーが並んでいた。乗り込んで皇居に行く。晴海通りに出て途中、歌舞伎座を通る。
二重橋前で降りる。助手席にいた夫人が払ってしまう。雨は殆ど降っていなかった。観光客と一緒に石橋、更に二重橋を撮る。
ウィチャンは高層ビルと皇居との対比に関心を払う。2人といると、その気づきが新鮮だった。二重橋濠を眺めてから砂利の上を歩いて坂下門に行く。
近づくと宮内庁の職員がうさんくさそうに見ている。車が来て身元を確認してから通させていた。我々は和田倉門から地下道を歩いて東京駅に向かう。壁に世界各地の観光地を写真で案内している。その中にタイの保養地ホアヒンがあった。
駅の案内デスクに行って寿司屋を教えてもらう。「築地 寿司清」に並んで入り、カウンターで食べる。3人の板前が声を掛け合っていた。夫人は生魚を受け付けないので穴子5個食べる。待っている内に後から座った客に出すので、問いただすと忘れていた。「あがり」もこちらから言わないと持ってこない。
12時25分、ここも御馳走になって出る。早く来た京浜東北線に乗って秋葉原駅で降りる。総武線船橋方面乗り場の最後部まで行ってから別れる。
4月15日(水)晴 渋谷、原宿、代々木 12302歩
9時前、両国駅西口に行く。横綱の大きな額を飾っていた。
改札口の手前で会う。昨日、伝えた通り、1人220円払って切符を買っていた。代々木駅で山手線に乗り換えて渋谷駅最後部で降りて、渋谷のシンボル、ハチ公像に行く。デート・スポットであること、東京帝国大学教授だった飼い主が亡くなってからも8年待ち続けていたことを話す。外国人も来ていて写真を撮っている。
10時、都電車両に入って座席に座ってパンフを読む。英語の「city newsSHIBUYA」やNHKスタジオパークの案内書が置いてあった。待ち合わせ場所の桜ヶ丘の喫茶店「ルノアール」まで歩いていく。NKG東京第二ビルにあった。
10時半過ぎ、ノージェス氏と内海昭徳氏がやって来た。全員揃ったところで、私がジェス氏の話を英語で、内海氏が日本語でウィチャン氏の話をジェス氏に通訳する。
まずウィチャン校でスピリチュアルをベースとしたカリキュラムの内容と生徒の質問力の高さについて体験したことを紹介、ご両人の共通点として宇宙観であるヒトツ学(oneness)、教育者、そしてアセアンを含めたアジアにルネッサンスをもたらすビジョンを持っていること、何よりも天才同士の出会いから、新たな発想、企画が生まれることを期待できると述べる。
ノージェス氏は最近まで韓国での集中研修を行った結果、80人中、50人が覚醒していること、6月19日からの研修に是非招待したいと提案する。1週間レベルで滞在可能かどうか検討することになった。今後、ジェス氏の著作、特に「日本の和と心」の英訳が完成すれば、タイ、シンガポールを手始めに浸透させていけると提言する。
ウィチャン氏は瞑想により内なる知恵を、数学と問題解決方法により外なる知恵を育てていた。アセアンルネッサンスへのメッセージとして「お互いに尊敬(respect)し合う」ことが大事と指摘する。12年前からの教育研修を通して国内1万人の教員が受講を終えていたので、このネットワークを活用できた。知識人は問題解決するが、天才は問題を未然に防ぐことを実感できた。
右から内海氏、NohJesu氏、Wichian夫妻
11時半、別れて東急プラザで食べようと行ってみたが、再建中だった。近くの讃岐うどんの店「はなまるうどん」に入って食べる。セルフサービス式で具も好きなだけ入れられる。スープがさっぱりしていた。食後、原宿駅で降りる。対称性を感じ取ってもらう為、先に表参道からラホーレで左折して竹下通りを歩いて戻る。好奇心旺盛なテーさんは盛んにスマホで撮っていた。24種類のクレープに圧倒される。
竹下通り
ナイキ社のサッカー用品店が出来ていた。
12時40分、明治神宮の大鳥居を通るときに「ここから別世界」と宣言する。係員が玉砂利の南参道に落ちた葉を吹き飛ばしていた。
ここは1915年、朝鮮、台湾を含め全国から12万本植えている。右手に日本酒の樽が奉納、左手にブルゴーニュ地方の醸造元からワイン樽が奉納されていた。
うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ 明治天皇
天皇みずから静寂の世界を感じ取っていた。鳥居を通って広場に出て、左手の手水舎で手と口を清める。本殿に向かう手前、両側に大きな楠が立つ。ご神木の夫婦楠には女性が縁結びだろうか祈っていた。
お参りの仕方が英語でも書かれていた。夫妻も2礼2拍手1礼する。
13時15分、武道場・至誠館に向かう。人が途絶え、森林の中を歩く。NHKスペシャル「明治神宮・不思議の森」によると、本多静六・林学博士たちによって針葉樹と常緑広葉樹を競わせて究極の森を100年後に実現させていた。
視界が開けて左手の建物に寄って、見学できるか尋ねると、弓道の訓練をしていると教えてもらい、竹棒で塞がれている所を外して通り、元の状態にして観覧席に座る。3人の女性が、1人ずつ白足袋を履き、弓矢を持って隙のない動作で並ぶ。20メートルほど先の3つの的に向かって一人ずつ射る。1回目は全員外れたが、3回目には当たり、1人は中心に刺さる。
部屋には香取神宮、鹿島神宮と書いた掛け軸や、睦仁様の書があった。
訓練終了後、辞去。宝物館に行く。入場料金500円払って見学する。建物は奈良・正倉院の校倉造りを模している。
館内は写真撮影禁止。明治天皇の事跡、御祭神にゆかりの深い御物、日常に使われた机、文房具、書籍、厳かな馬車、その他の調度品を陳列。他に宮廷装束が特別展示されていた。 館外に出ると日章旗が立ち、国歌で歌われている細(さざれ)石が置かれていた。
細石 日章旗
北池の前の芝生広場には亀石がある。パワースポットとして知られている。近くでカップルが休んでいた。
一通り歩いたので、北池を渡って北口を出て俗界に戻る。山手線に沿って代々木駅に入り、秋葉原駅の総武線船橋方面のホームで別れる。
4月17日(金) 曇り後、晴 鶴見・総持寺 10215歩
今回は両国駅で東京駅までの切符を買ってもらってから改札口を通ってもらう。9時前、予定より早く現れる。秋葉原で京浜東北線に乗り換えて、そのまま鶴見駅まで行く。品川駅で3人一緒に座られた。9時40分、鶴見駅で降りて総持寺に向かう。分岐点を左手にとり上がって行くと工事中で通れない。人に聞いて左手の階段を降りて行くと、正門に出る。出だしの道が間違っていた。三門の両脇に金剛力士像が睨みをきかせている。
開祖は瑩山、1322年、後醍醐天皇から紫衣を拝領して曹洞宗の大本山になった。明治時代の焼失により、1911年、能登からここに移っている。境内には学校があり、生徒が行き来している。右手には開祖と2祖峨山禅師の御両尊大遠忌引法会の看板が立っている。
その先に建つ香積台(こうしゃくだい)という総受付に行く。「おさすり大黒」像があり、一さすりで福を招き、二さすりで徳を授かり、三さすりで満足を戴くという。
靴を下駄箱に入れて、檀家だろうか年配グループの後ろについて行く。廊下を何度か通り、説明を聞く。迎賓館や檀家の人と接見する「相見の間」、茶室、禅師の住まいを案内していた。床の間に達磨禅師の絵が飾ってあった。
本堂客殿の太祖堂に辿り着く。20人の内9人は椅子に座り、我々は一般席に座る。シャンデリヤのような煌びやかな飾りが中央天井から下がっている。永平寺もそうだが、高祖道元禅師が見たら、どう思うだろうか。
風が線香を立てる灰を吹きあげていたのでドアを閉める。あわてて黒装束の若僧がやって来て手伝い、窓も閉める。50人ほどの僧侶が脇に整列した後、桐の紋が入った僧衣を着た江川辰三貫首がお付きを従えて現れる。僧侶全員、腹の底からの斉唱(ここでは相承というらしい)が、大広間に響き渡る。法要後、貫首が先に、僧侶達は来たところに帰っていく。檀家集団と共に帰ろうとしたが、どこかで接待されるようで、僧侶が我々を出口まで案内する。ここには鶴見大学があり、生涯学習セミナーでは源氏物語、百人一首、論語、歌舞伎、俳句の他、外国語、ヨガを講習していた。
境内を歩いていた若僧に坐禅道場の場所を聞くと、「ついて来てください」と言われ、廊下を歩いていく。他に誰もいないことを確かめてから禅堂を見せてくれた。一畳が生活の場でもあり、前に丸い座蒲(ざふ)後ろに棚があって食べられる。
彼の出身は福島県伊達市で3年修行、後2年居る。合掌して玉兎門から別れる。
休館の立札がある宝物館の手前に、坐禅中の僧と、その後ろで警策(きょうさく)を構えた僧、更に編笠をかぶった3人の虚無僧が立つ青銅像があった。
広場の先、神社を探しに三宝大荒神の旗が続いている階段を上っていく。
途中、ラッド博士の碑があった。(帰宅してネットで調べると、アメリカの心理学者で明治期、帝国大学での講演の他、伊藤博文への助言者、教育者として朝鮮やインドで講演活動している。遺族によって遺灰の一部がここに埋葬されていた)
更に大きな観音像が立っている。山折哲雄の銘文によると、2008年、北村西望の原型に基づいて造られた聖観世音菩薩だが、東日本大震災により現貫首が被災地方向を望む丘に再建して「平成救世観音」と命名。被災物故者への慰霊供養と復興祈願をこめていた。
平成救世観音像
三宝殿の前に立つ。仏・法・僧の三宝を守護する三宝大荒神を祀っていた。これでウィチャン氏に日本の神仏習合の姿を案内できた。大きな鐘は1913年に鋳造されたものだった。
帰りは総門から駅に向かう。街に入ると、学僧だろうか、僧衣を着たまま歩いていた。駅ビルのシアル鶴見に行って屋上に行く。エレベーターを出たところの壁に水を流して清涼感を出していた。
日本庭園「清風苑」と奥の枯山水「坐月庭」を案内する。総持寺で修行した桝野俊明という禅僧が作庭したもの。京都竜安寺の石庭とは比較にならないが、空の雲との対比はここならではのものだった。
6階に降りてレストラン街をチェック。蕎麦屋「永坂更科」に入る。同じ店が高校時代、学校の近くにあり良く食べに行っていた。220年の歴史があり、今や全国に22店舗あった。お品書きから2人は天蕎麦を注文。私は消化の良い玉子とじうどんにする。「昨日、一日置いた生牡蠣があたって今朝は絶食していた」と言うと、ウィチャン氏はリュックから薬袋を出し、タイの胃腸薬IOREDAを勧める。いただいて食後、飲む。ウィチャン氏がコーヒーを飲みたいというのでドートルに寄る。その間、テオさんはどこかに行っていた。待っていると現れる。袋からタイ産マンゴー6個を見せて「どうぞお土産です」という。
13時41分発の快速に乗り秋葉原駅で降りて両国方面のホームで別れる。完
グランパのwalking
山の手一周ウォーク35キロ
2015年4月29日(水)
7時15分、食後、筋肉痛用の漢方薬ツムラ芍薬甘草湯を服用してから出発。ツツジが満開、ジャスミンの花も咲いていた。
左、ジャスミン
去年と違うのは、両脇に聖学院の運動場がある坂道を、小学校敷地を使って幅1m以上の歩道を設けている。生徒の安全もあるだろうが、住民もありがたい。
コンビニに寄ってオニギリを買い、駒込駅に行く。ホームの両脇もツツジが満開だった。
次の田端駅では、後方との間隔が開いているので1分余り時間調整する。
7時45分、上野駅で降りて公園側の改札口を出ると、日本万歩クラブの旗を持った係員が誘導、国立西洋美術館の方から向かう。正岡子規記念球場では既に試合をしていた。
上野恩賜公園開園130周年に建てられた句碑があった。解説によると子規は「打者」「走者」「直球」などの訳語を作っていた。
集合場所は清水観音堂前で、日航健保のデスクに行き、名簿に記入、参加費を払う。
ガイドマップとバンダナをもらって4番グループに集まる。前のグループは既に出発していた。
8時、去年は不忍通りからだったが、山手線の外側に行く。係員にルート変更の理由を聞くと、警察からのクレイムがあったためだった。幅広いパンダ橋を渡り、昭和通りを北上する。
近くの宿泊施設からだろうか中国語を話すグループがカート付きケースを転がして上野駅に向かっていた。都道452を渡って行くと古びた鶯谷総武館があり、合気道を主に居合、杖、柔拳法を教えている。15分後、入谷で交差点を渡ってから言問い通りへ左折。道をへだてて入谷鬼子母神が見えた。
この一帯は毎年7月上旬になると朝顔市が開かれる。先行者が根岸小学校前歩道橋を渡っていたので、ついていく。
尾久橋通りに入り、西日暮里に向かう。この時間、道角にゴミ袋が山と積まれている。道をへだてて、国際理容美容専門学校の高いビルが見えた。なぜか日本語学校が近くに二つある。
高架線の日暮里・舎人ライナーに沿って歩き、常磐線や京成本線の下を通って道灌山通りに出て左折。西日暮里駅手前には荒川区在住の彫刻家、平野千里氏の童子像「飛翔」が建っていた。
駅の下を通過、開成高校を右手に見ながら進む。
8時50分、不忍通りに出て渡ってから右折。前回と同じコースを歩く。動坂下からゆるやかに上り、上富士前で本郷通りを渡る。
9時過ぎ、グリーンコート広場のトイレで排尿。小石川高校では生徒たちが集まっていた。白山通りを渡って行くと、良く家族で食べに行っている「かごの屋」の前で、交通警察官たちがデスクを置いて調査している。我々のことだろうか。
護国寺前を過ぎ、少し南に入ってから信号のあるところで道路を渡って戻り、首都高速5号線の下を通って目白通りに出る。
途中、歩きながらアミノバイタルゼリーを飲んで水分補給。歩き方の良い人の後についてリズムを整える。深呼吸して脳に酸素を補給、背筋を伸ばし、腰を前に出すようにして行く。ランニングハイはあるが、ウォーキングハイもあるのだろうか。気持ちよく歩く。上下はともかく前後左右に目配りして歩くのも慣れてきた。千登勢橋に出て階段を降りて都電荒川線に沿って明治通りを歩く。両側にツツジが咲いていた。
学習院下の駅を過ぎ、ビッグカメラ本部のビルが道をへだてて見える。
10時16分、新宿5丁目東。35キロAコースと20キロBコースの分岐点で未だ11.4キロしか歩いていない。これといって異常がないので行けるところまで行く。
係員に誘導されて5丁目から明治通りに戻る。13分後、レディスファッションのFOREVER21というビルの端に巨大な女性が描かれていて目を引く。その先にシネマコンプレックスが見えた。
右手に伊勢丹本店そして国道20号線を渡って高島屋を見ながら行くとNTT代々木ビルを通る。このビルは、登山の帰り、首都高速4号線を走行中に見え、東京に帰って来たと実感させる。セコムの前に涼しげなビルが見えた。
NTT代々木ビル
新宿を通り過ぎ、千駄ヶ谷も通過。竹下口からラフォーレの方の道は人、人、人。こちら側ではイベントなのか女子中高生が300人ほど並んでいた。
表参道の歩道も原宿駅の方は身動きできない。
そそくさと表参道を渡って渋谷に向かう。宮益坂を超え、ヒカリエに行く。バルーンロボット宇宙飛行士が浮かび、スペースシップが丸い星の上にいる。ゴールデンウィークの中の4日間、2つのレバーを同時に引くとスペースシップが宇宙へ上昇するという。
首都高3号線の下にある陸橋を渡って行く。地図を確認しながら歩き、次なる交差点、渋谷橋に出る。ここでも係員が誘導していた。
都道305を歩いて恵比寿に向かう。やや上がって行き、恵比寿ガーデンプレイスの前に出る。左手の公園で奥さんを待っていたウォーカーはここで一緒に休む。くすのき通りを歩いて山手線の外に出て左折。住宅街を歩く。左手のHDSと書いた黒く細長いビルは日の丸自動車学校だった。
恵比寿ガーデンプレイス 日の丸自動車学校
目黒駅手前の交差点で堂々とした犬に会う。犬にも風格があった。アトレ目黒2のチェックポイントで判子を押してもらう。現在33番目だった。ノンストップの中、ジョギングして先に行った参加者以外、抜かれたことがなかった成果だろうか。殺伐とした道の脇に癒しの空間があった。
山手線・埼京線に沿って一方通行の道を歩いて行く。
五反田駅の手前で山手線の中に入り、駅前で陸橋を上がって八ツ山の坂に向かう。
12時10分、御殿山ガーデンシティ。銀杏並木の新緑が鮮やかだった。
三菱グループのクラブへ行く人が今回も正装して入って行く。ネットによると、旧岩崎家の別邸でジョサイア・コンドルが設計していた。彼はニコライ堂や旧古河庭園も設計している。
再び水補給を兼ねて漢方薬ツムラを飲み、後半のルートに備える。品川プリンス・ホテルの先、車道を超える陸橋を上って降りる。品川まで女性と同行していたウォーカーが、「駅から帰っていったので、同行させて下さい」と言う。大宮の人で6回目、今朝は10分早く出ていた。第一京浜の歩道は広いので並んで行ける。「カラー」の鮮やか黄色に目が止まる。慶応仲通り商店街を横に見ながら三田を通過する。
増上寺の手前、大門を通過。段々と足裏に豆ができ、筋肉痛症状が現れる。足をソフトに踏んで、信号待ちでは片方ずつバンテリン・ゲルを使って脛の前後を中心に塗る。
新橋のガード下では係員が立っていて、挨拶して行く。
13時20分、銀座8丁目から歩行者天国になっていた。
気分も変わり、人や店を眺めながら歩く。松坂屋は未だ建っていなかった。中国語を話す人が多い。ホテル備え付けの自転車に乗った中国語の男2人が、両脇にずっと黄色い旗で描かれている自転車走行禁止を無視して走っていた。身勝手な行動は政府と変わらない。
取材を受けている人、写真を撮る人と様々。
銀座4丁目の手前にはベンチもある。同行者は去年、木村屋總本店のアンパンをお土産にしたが、一つ300円していたので不評。他の店を探しながら歩く。
京橋の交差点は東京駅に向かう道のせいか信号が動いていた。ツムラビルの角に彫刻家安藤泉氏が造った麒麟像が立つている。
ヨーロッパ風の高島屋を通り、日本橋を通過。ここは写真を撮る人が多い。
三越本店では神田祭の準備で忙しい。ライオン像は御祭礼の提灯の下で大人しくしていた。信号が赤でも車が通らないと、渡ってしまう。万世橋で神田川を渡ってからは、ひたすら足を前に出すだけでデジカメを使う余裕はなかった。信号待ちでは、足をストレッチして
いた。
秋葉原電気街の雑踏は、ペースが狂うので車道の端を進む。段々ペースが落ちて相棒ともう一人が先に行く。見たことのない2人にも抜かれる。最後に、しっかりとバンテリンを塗り、気合を入れ直して進む。ゴール地点は公園の入口にあり、並んだ後、14時30分と着いた時間を記入して認定証をもらう。裏に34と書いてあった。
くじ引きは今年も外れ、参加賞と缶入り茶をもらう。万歩計ではコース区間43186歩、歩いた。係りの人の話では約千人が参加、Aコースは350人。35キロに参加しても大体、休みながら歩いていることになる。2人が腰かけている所に行って、オニギリをぱくつく。2個目では一度足をストレッチしてから食べる。
再会を期して別れ、90歳代の足取りで取っ手のある坂を上って清水観音堂に行き、大道芸を観ることなく近道を通って上野駅に行く。池袋方面の山手線にヨタヨタと乗り込んだせいか、家族の中の若い娘が席を譲ってくれた。好意に感謝して「ありがとう」と言って座る。西日暮里駅で、もっと高齢のお婆さんが乗って来た。「もうすぐ降りますので」と言って交代する。
前回と同じく、コンビニで果物入りアイスクリームを買い、歩幅を小さくして歩いていると、同じマンションに住む奥さんに会い、一緒に帰る。今回は最後まで同行者に会って無事、帰ることができた。家に着くと、万歩計は47637と出ていた。完
グランパのwalking
2013年12月6日 晴
施設:小田原城・歴史見聞館 ¥600
松永記念館 一般¥500(JAF会員¥400)
8時35分、出発。山手線に乗って東京駅で降り、7番線に行く。快速アクティに乗る。
9時15分、出発。隣りに座ったオバサンは新聞のナンバープレースに取っ組んでいた。文庫本「人生の道を拓く言葉130」を読みながら、心に残る章句をノートに書く。26分後、横浜駅。大船の観音様を見る。かっての畑には高層マンションで埋まっていた。藤沢駅でオバサンが降りる。平塚から国府津と停まって行く。
10時26分、小田原駅。トイレに寄って改札口を出る。お城通りを歩いて旭丘高校に出て、右手を回って城の北口から入って行く。娘がしゃがんで猫2匹を眺めていた。古めかしいトイレには「殿」と「姫」と書いてある。
上っていくと、左手下で「御用米曲輪」という庭園だった史跡を整備していた。
地図には駐車場とある。切符売り場で歴史見聞館とのセットを買って、城に向かう。日本100名城の写真を撮る。
石段を上がって切符を見せて、中の展示物を眺める。藩主大久保家の紋章と鯱瓦が続く。
2階では一弦琴、二弦琴、月琴、琵琶。旅に出る時に使う小型算盤、硯箱の他、弁当箱がかわいい。外郎家の説明によると、元が滅んで外郎という薬の官職にあった陳宗敬が日本に帰化。咳や痰に効く薬を伝授。その子宗奇は足利義満に招かれ、家伝の薬を作り外郎と呼んでいる。薬を粉末状にする道具を展示していた。小田原提灯なるものを初めて見る。旅人が携帯できるように畳めるもので、童謡「お猿のかごや」を思い出す。開元通宝から洪武通宝まで唐から明に至る25種の貨幣を見る。3階に行く。城主北条早雲は生前、伊勢盛時と呼ばれ、太閤記によると備中の地方武士に過ぎなかった。いろんな鎧、甲をつけた武士が立ち並ぶ。4階には土産物を売っていて、天守閣の外を一周する。豊臣秀吉が対峙した笠懸山は近くにあった。秀吉が総石垣の城を築いたので石垣山と呼ばれている。一夜城と呼ばれているが、実際は約80日かけていた。奥に箱根の山が見える。
真鶴半島、ぼんやりと大島、そして丹沢山系が見えた。
城を降りていくと、群馬から来た団体に出会う。広場で武士や姫の衣装を着て写真を撮っている外人がいた。東京に住んでいる夫婦とカリフォルニア、ユタから来た家族だった。これから箱根に行って温泉に浸かるという。
1971年に復元された常盤木門を通る。
お堀だった本丸車堀跡まで降りて行く。
歴史見聞館に入る。北条5代の軌跡だが見るべきものはなく、10分間の放映では小田原評定を再現させていた。
外に出るとシニアが働いている。レンタル自転車、駐車場などを分担していた。イヌマキの巨樹の下ではガイドが説明している。高さ約20m、幹回り4.5m。ねじれあがっているが、屋久島の縄文杉の木肌を思い出す。
無料の郷土文化館に行く。ここにもどっしりした樹木が枝を伸ばしていた。
1階では戦前の小学校の机や椅子、教科書などを見学、2階に行くと縄文時代の地図、大きな埴輪、戦前の生活道具、農具が雑然と置かれている。始めて見る扇風機は籾柄を飛ばすためのものだった。
埴輪 扇風機
明治時代の小田原街道風景の写真も貴重だった。
城内に御用邸があったことも知る。ここでは学術誌を発行していた。これから行く松永記念館のパンフが置いてある。建物と敷地が小田原市に寄贈されて松永記念館は小田原市郷土文化館の分館だった。外に出ると南堀がある。2階に蚊が多かったのも堀池のせいだった。ここには大賀ハスが群生している。1951年、大賀一郎植物学博士が千葉・検見川厚生農場の泥炭層から掘り出した約2千年前の蓮の実を開花させたので名づけられている。
国道1号に出て右折。歩いていくと「幸福の科学」の建物が左手にある。山角町で「日本橋まで85キロ」と書いた標識が立っている。タチウオの味りん乾しやカマボコを売っている。居神神社の先を右折、東海道線、新幹線の下を通る。道脇に秋葉山火防祭と書いた赤い旗を立てかけている。下には名前を書いていた。ボンジュールベーカリーに入って女性にラーメン屋を教えてもらい、少し戻ってトマト麺のラーメンを食べる。午後1時過ぎていたが、後から客がどんどん入ってくる。食後、ベーカリーに寄って非常食用にカステラ入りパンと店特製のパンを買う。この店は創業8年、彼女は小さい頃から火祭りに行っていた。
午後3時までの時間を松永記念館で過ごす。案内版に従って右折、香林寺の手前を左折して入る。
本館2階の「ルネ・ラリック ガラスの煌き―金唐紙と織りなす花鳥風月の浪漫―」を観る。箱根ラリック美術館からの作品と、日本で唯一金唐紙を手掛ける上田尚氏の作品とのコラボレーションで、ガラスと和紙のなせる技を楽しむ。休憩コーナーで景色を眺める。別館を眺め、平安時代のものと言われている長安寺石橋を渡って池を一周する。
松永安左ヱ門(耳庵)が60歳になってから住んだ老欅(ろうきょ)荘(そう)に行く。大きな欅と黒部からの大石のある所を通っていく。
丁度、紅葉を終えた葉が散りだしていた。
石段を登っていくと、段々と幅が狭くなり曲がったところに数寄屋造りの家が建っていた。中に入ると翁の像があった。夫人の部屋は十畳、近くに婦人向けトイレがある。4畳半の茶室や広間、和室の方にもトイレがある。
戻って行くと南天の赤い実にビニール袋をかぶせている。鳥が食べないようにしていた。
14時40分、近くの量覚院に向かう。右折して行くと綿菓子を作っていた。
門を通る。
左手に「48世山主・山本倶徳」が書いた案内版がある。
「本尊秋葉大権現は717年泰澄大師の開創で、秋葉山上に防火の神として祀られ、1590年には徳川家康が小田原城主大久保忠世に管理を命じ、一月坊法印によって秋葉山上より御本尊を小田原に奉遷され、以来関東山伏の目付役としての役割を任ぜられます。毎年12月6日、各地から山伏が参加し火渡りの荒行等が行われ火難消滅、無病息災を祈願致します」
宿泊所には関東地区から山伏が集まっていた。祭りのために紙垂(かみしで)を四方に垂らした神式行場があり、中央の祭壇に鏡を祀っている。
本堂まで上がって賽銭箱にコインを入れて三拝する。降りて行くと、山伏姿のWさんに会う。
「ここは明治維新前からの行事を守っている。明治26年から毎年12月6日に開催。神々の饗宴に参加する」
15時、本堂前に30人の山伏が集まり、勤行を始める。般若心経以外は良くわからない。オンヒラヒラテンノウソワカ・・ランダカンマクウンタラタ。女性4人。法螺を4人が吹く。中には富士山の村山古道で一緒だった白髪女性Tさん、白髪男性Sさん、埼玉のHさんがいた。
広場の神式行場に移り、副住職が祭壇に向かってマイクを使って六根清浄、天清浄内・・と祝詞をあげる。
笹束を湯釜に突っ込んで観客に振りまく。餅つきが始まる。大久保藩主の家紋を背中に、胸の両脇に秋葉山と書いた印半纏を来た地元の人が交代しながらつく。般若心経を唱えながら、天女を描いた紙札をばらまく。ヒカクマンザイチョウジュ・・オンガミクダテセーカラ。山伏も参加して、ついた餅をまぶして千切り、参拝者に配る。まだ温かい。大きな赤い杯に菊の花びらを入れたお神酒をいただく。
15時45分、終了。散会する。笹は1年のお祓いで仏壇や神棚に供える。割烹着を着たオバサンは台所に立つ者として火の神様の笹を持って帰るのが習わしと言う。端で外国人に説明している人に近づく。
「祭壇の前に立てた柱は柱源(はしらもと)神法(しんぽう)と言って天と地を合体させる意味で再生を示す儀礼がされる。」只ものではない。
「この宇宙観は室町末から伝えられている。75とは沢山あるという意味で、山中にいる日数であった。羽黒山では15日しか修行しないのは嘆かわしいと言っている人もいる。75という数字は胎内にいることと関係している。中国古代から烏は太陽の使い、兎は月の使いと言われているが、日本でも太陽と月を祀っている」
序でに伺う。水行も麓で75日やるのが正式。お墓に水をかけるのは、死者の喉を潤すものだった。同行の人はフランスとインドネシアから来た女性。挨拶して名前を伺う。Sさん。(後日、慶應義塾大学の研究室に伺う。日本山岳修験学会会長でもあった)
広場の先、「天地帰命」「相模修験会」の旗が立つ奥の広場には既に火渡り用に四方に木を積み重ねていた。
山伏姿の女性Aさんは水上からで催眠術師でもあった。Aさんがやって来て、この寺が秋葉山である由来を話す。静岡県秋葉山から御真躰が遷座された可睡斎は、明治時代以降、日本唯一の「火防(ひぶせ)パワースポット」で、日本唯一の御真躰をお祀する火防霊場という。東京の秋葉原はこの「秋葉」で、今の秋葉原に鎮火神社を祀ったことからだった。「得度してしまえば、さまになって来ます」と勧められる。彼自身は、たこ焼きの工場を須走と秦野で経営していた。
17時30分、H氏が私服でやって来た。京都から宮城泰年聖護院門跡も見えていると言う。
18時、本堂で勤行が始まった。勤行は専ら般若心経を唱えていた。
火渡りの方で待つ。50分後、松明を持った2人が裸足で来て、焚き木の山に火をつける。
5分後には燃え上がり、顔が熱(ほて)る。
銀杏の葉が燃えそうだったが、防火木だけある。その内、マイクを使って行事を案内する。日常生活に必須の水と火を祀ること、毎年旧暦12月15日から16日に東北関東中部からの人が集まる。火渡りの後、お餅が配られるそうだ。
19時12分、山伏達がやって来た。広場の手前で問答が始まる。不動明王、錫杖などの言葉が聴こえる。山伏は四角く歩き回って足袋を脱いで座る。
山口先達によるお祓い行事では天清浄、死清浄、六根清浄を唱えていた。埼玉の斎藤先達は鞘から刀を取出し、「本来無一物」と言いながら刀を剣道のように振って、太鼓の音に合わせて唱和する。埼玉の長谷川先達は大きな斧を使って火に向かって振り下ろす。斎藤先達は弓を持ち、角で矢を空に向かって放ち、最後に火元に放つ。
山本倶徳山主の声明が始まったところで、帰り時間となった。
急ぎ、板橋駅に向かい、20時2分発の箱根登山鉄道に乗る。新松田行き4両だった。4分後、小田原で降りてJRに行くと、20時14分発の湘南ライナーが遅れていて20時19分発東京行きに乗る。
21時30分、川崎駅手前で止まる。「非常ボタンが押された」のが理由という。トイレで間違って押したためとわかり5分後、出発。
21時58分、東京駅着。
グランパの山歩き
今倉山(いまくらやま)、二十六夜山(にじゅうろくやさん)、菜畑山(なはたけうら)の旅
1.2014年10月2日~3日
2.同行者:I
3.交通手段:I車
4.宿泊:民宿「北の勢堂」0554-52-2102一泊二食¥6804
5.地図:国土地理院1:25000都留
昭文社・山と高原地図27高尾・陣馬
6.ガイドブック:新・分県登山ガイド山梨県の山
参考文献:田中澄江「新・花の百名山」(二十六夜山)
7.総経費:¥14000
10月2日(木)曇のち晴 今倉山、二十六夜山
ルート 道坂トンネル(1000m)9:00→10:30今倉山(1470.3m)10:45→11:30松山(1450m)11:40→12:50二十六夜山(1297.3m)13:20→14:20道坂トンネル
6時、四ツ谷駅3番出口の北でI車に乗り、中央自動車道を走行、談合坂SAでトイレ休憩を兼ねて30分充電する。
7時55分、都留ICで降りて、道志に向かう。一度、国道139号から左折仕損じ、戻って県道24を走行、くねくね道を上って行く。
8時50分、道坂トンネルの手前にある駐車スペースに車を停める。
10分後、登山口から広葉樹と赤松の恩賜林の中を登って行く。小さな花が咲き、茸を見つける。
15分で尾根に出る。
御正体山へのルートと反対の道を取って引き続き急登を行く。ここは都留市と道志村の境界線になる。
ブナと栗の木が多くなっているのが、どんぐりと栗の実でわかる。
行く秋や手をひろげたる栗のいが 芭蕉
ミミズがいた。その先から猪が土を掘った後が続く。花や苔を撮りながら登って行く。
キバナアキギリ リンドウ
9時55分、標高1300m地点で一本立てる。
足元にはホタルブクロが、頭上には赤い実が生っていた。
ホタルブクロ
稜線に出た。右に行くと直ぐに今倉山の東峰に出る。山梨百名山と書いた標識に立って写真を撮り合う。
15分後、稜線を歩いて西峰に向かう。樹林の中、木漏れ日が差してきた。
15分で西峰登頂。僅かではあるがロープを使って降りて稜線を進む。ここでもいろんな花が咲き、赤い実をつけていた。
高度90m降りて西ヶ原に出る。10年前の「山と高原地図」には記載されていなかったが、ここからパラジマ沢に沿ってルートが出来ていた。
登り返して行く。マムシグサは赤い実がとれると黒くなっていた。
松山(赤岩)に出る。
樹林の上に今倉山が僅かに見えた。
展望盤には、富士、南ア、北ア、八ヶ岳、雲取山、箱根・金時、丹沢そして御正体山などが案内されていた。「リニア実験線」まで書かれている。中央自動車道にかかる所はガスで見えなかったが、眼下に少し見えた。
リニア実験線
二十六夜山は低かった。
富士は見えない。再びロープを使って降りる。
ブナやミズナラの中、鳥がピー、ピッ、ピッ、ピーと鳴いている音だけ聴こえる。先月、飯舘村農地の放射線測量で荒れた畔を歩いた時に何度も野バラの棘で苦労していたので、野バラは直ぐ目に入り、除けて行く。ツキヨタケや、足元にギンリョウソウを見つける。
ツキヨタケギンリョウソウ
12時35分、舗装道に出る。
標識に従って右手に100m歩いてから登山道に入る。こちらでも茸や菫の花がある。
15分で二十六夜山に着いてしまう。田中澄江がこの山を「新・花の百名山」に選んだ理由に菫を挙げているが、彼女が述べているように唐沢尾根の方こそ、花の百名山に相応しい。
ここで昼食をとり、30分後、戻る。樹木の下に猪の糞らしきものが溜まっていた。
林道に出て降りて行く。崖を13か所、コンクリで堅め、パイプの穴を幾つも出していた。すぐ詰まってしまうのか、一か所しか水や泥が出ていない。雇用対策なのか無駄な税金が使われているところを歩いて行く。
萩や黄色の花が咲いている。
萩の花
トラック一台が峠に向う。南西斜面の樹木を刈り取って栽培した後が残っている。工事中の為、通行止めにしたゲートの脇を通って県道24に出る。
14時20分、駐車場。未だ時間があるので、明朝、挑戦するルートを下見する。唐沢から国道413に出て曙橋から左折、舗装道を上って行く。養豚場を通ると、作業している夫婦がいたので、確認する。急な曲がりなので一回で通れないところが多い。その内、岩が落ちていたり、枯木の大きな根が道脇にあって、動かして通れるようにする。曙橋から高度500mほど上ったところにテレビ中継塔があり、広場になっていた。
ここから山頂まで35分で着いてしまう。今から登ると、帰りの道は暗くなって危険。明朝は6時半に出発して明るくなった頃に上り、途中、標高1000m付近にあった車が交差できるようにしたスペースに駐車してから登ることにする。帰りも岩のある箇所は私が降りて誘導する。
16時半、民宿「北の勢堂」専用の駐車場に停めて入る。
女将の山口かおるさんに迎えられる。先月末から来る筈が週間天気予報で3回目に実現した。2階の奥、一番眺めの良い8畳の部屋に案内される。窓から刈入れ前の黄金色の田んぼが見える。
歯磨きなどアメニティはない。我々だけのせいか娘さんが浴衣を持ってきてくれた。
まず身体と髪を洗って風呂に入る。パイプからミネラル湯が勢いよく出てくるので、足裏やフクラハギにあてると疲れがとれた。部屋に戻りコタツに座って、持ち寄った焼酎を飲み、ツマミを食べる。夕食までコイン入りのテレビを見て明日の天気を確認、新たに発生した台風12号は5日頃まで問題なかった。
18時、1階の大広間には長押に、「伊香保」「天橋立」「足尾銅山」と書いた色とりどりの提灯を飾っていた。
ビールを飲みながら、我々だけで食べる。ネットにも出ていたが、横浜市の中学生が体験学習に使われていて田植えなどをやっている。裏の長押には杉並区井萩小学校の少年野球部や横浜市立平戸中、新田中、大綱中など中学2年生が寄せ書きした色紙を飾っていた。
食後、部屋で明日の仕度をした後、ボランティア活動からゼミ仲間のこと、現代経済学と続く。21時になるので、打ち切って寝る。
10月3日(金)晴 菜畑山
ルート 駐車場(1000m)7:00→7:20登山口(1130m)→8:00菜畑山(1283.3m)8:35→9:00登山口 →9:20駐車場9:35→9:50曙橋
5時、起床。青空が見える。洗面を済ませた後、布団を畳んで押入れに仕舞い、テレビや炬燵のコードを外して食堂に行く。朝食が用意されていた。ご飯と味噌汁はお代わり、漬物は食べないが他の料理はきれいに食べ終える。精算を済ませ、ここの流儀に沿ってトレーに乗せて厨房に持っていく。
部屋でお茶を飲んでから、先にリュックを担ぎ、カバンを持って降りて車に荷物を入れてから玄関に行く。壁に女将についての新聞の切り抜きなどが展示していた。2008年、農村漁家民宿おかあさん百選に選ばれていた。
隣りに建つ茅葺の家に行く。ここには囲炉裏もある。
庭には苔で覆われた石に水が流れていた。庭の角、木々に囲まれた中に立派な碑が立っていた。日露戦争に参戦した山口豊吉陸軍一等兵で、裏には良く読めないが乃木大将の名が刻まれている。
6時半、見送られて出発。昨日、辿った道を上って行く。前回の学習から曲がるのも大きくハンドルをとって一回で回り、30分で着く。登山口に履き替えて出発。20分でテレビ塔。樹林帯の中、登山道を登って行く。
急登から始まり、マムシグサの実やサワシロギクの花を見つけながら登る。
13分後、ゆるやかになる。生徒が作った巣箱が木にかかっていた。いづれも生徒がかけているので、鳥が使うのには低すぎるようだが。
再び急登になって足元の花を見ながら登る。
セキヤノアキチョウジ
登りきると、標識があり、右手に東屋が見えた。
後ろを振り向くと富士山が見える。朝日を浴びていた。
山梨百名山と書いた標識に立つ。
東側には山梨百名山の大室山で、何れ登ることになる。
ここに来た甲斐があった。朝日山へのルートの方にも巣箱がかかっていた。
持ってきたポットからコーヒーをIに、私はお茶にして飲みながら眺める。30分余り楽しんだところで戻る。リュックにスズメ蜂がとまっていた。大きな薊にもいる。
降りて行くと、往きでは気が付かなかったが、何度も配線が見える。良く見ると最初はコンクリートでカバーされていた。
アナログテレビで使われていたのが、デジタル式になってテレビ塔が敷設されて不要になったのではないか。名前がわからない花がある。
登山口から駐車場へと歩いて戻る。途中にも花が咲いていた。
帰りの運転も緊張の連続だったが、無事、通過。曙橋に着いたところで、Iの奥さんから電話、ホームに入っている92歳の母堂が心臓発作で入院されていた。
医者に任せるしかないが、10分程やりとりしてから出発。都留はリニアと学園の街を標榜していた。 10時半、都留ICから中央自動車道に入る。陸橋はリニア線で車両が停まっていた。
談合坂SAで30分充電する間に、トイレに行き、無料お茶を飲みながら精算を済ませ、野菜売り場で買って車に乗り込む。八王子過ぎて高円寺以降の渋滞が2キロ、新宿―三宅坂が11キロ渋滞だった。しかし順調に走行、新宿から少し渋滞したが予定通り外苑で降りて四ツ谷の出発地に戻る。
グランパの登山日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
焼岳と乗鞍岳の山旅②
乗鞍岳(3025.6m)
地図:国土地理院1:25000乗鞍岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
10月8日(火)
1時30分、トイレに行くと年配者が来ていた。頭上にはカシオペア座が輝いている。
5時30分、目覚ましで起きる。洋式トイレが空いているので排便を済ます。洗面を終えて外に出たら、朝焼けにうろこ雲が一瞬赤く染まっていた。車に戻って撮ろうとした時には消えかかっていた。
束の間の赤く染まりし鱗雲
隣りの車の爺さんと話す。桑名からで、ここに来るまで白馬の栂池に行って来た。2泊3日ぐらいが丁度良く、疲れがとれたら又出かけている。お粥と茹で卵を温めて食べ、コーヒーパックにお湯を注いで飲む。隣りの爺さんは早々とバス停に向かう。仕度して料金所の前に並んでいる人の後ろに立つ。
6時50分、料金所が開き、片道切符を買い、並んで待つ。既に荷物を置いていた。
アルピコ社のシャトルバスがやってきた。切符を渡して乗り込み、進行右手の窓側に座る。5席空いて定刻出発。途中、休暇村でカップルが乗ってくる。いずれもカメラマン。ジグザグに登って高度を上げていくと、紅葉した木々が現れる。案内テープが流れる。反対側の平湯からの乗鞍スカイラインは第2次大戦中、陸軍による高所での航空実験所建設のために敷かれた軍用道路だった。長野側の道は、戦後、自衛隊が造ったのが始まりで段々と整備して昭和38年に完成。10年前から一般車は三本滝まで延びていた。
位ヶ原山荘でカメラを持った男が10数人降りていく。既にウェアを着込んだカメラマンが道端を歩いていた。バンをチャーターしていた。
7時47分、肩の小屋入口でも10数人降りていく。3分後、畳平。公衆トイレに行っておく。
小さな鶴ヶ池を左手に見ながら歩いて、前回行かなかった富士見岳へ登る。ザレた道なので、靴を直角におろして進む。12分で着いてしまう。
風が強く、ストックを2本にして直ぐ降りていく。
8時40分、肩の小屋。20人が集まっていた。年齢も様々。コロナ観測所が右手に見えている。ザレた斜面を登って行く。歩荷(ボッカ)が追い越していく。朝日岳を越えて鞍部に出ると権現池が見えた。
遠くに白山も見える。蚕玉岳まで登ると、前方に剣ガ峰が見えた。
頂上小屋を通過。店開きの準備をしている。さっきの歩荷が、まだ慣れていない男にハッパをかけていた。更に左手の岩場を登っていく。
9時30分、乗鞍岳登頂。ここからの眺めも良い。北には槍ヶ岳の他、鷲羽岳、野口五郎岳なのが見える。南には御嶽がどっしりとかまえていた。
東南方向には南アルプス。北岳の左に富士らしき形が小さく見えた。
標識と一緒に写真を撮ってもらう。乗鞍本宮奥宮には若い宮司が土産の販売やお祓いを担当、足元の石を整えていた。
岐阜県の丹生川(ニュウカワ)町の神社から来ている。自動車道路が出来る前から修行の道ができていたが、観光地になって以来、修行は行われていない。ここには天照皇大神(日の神)、大山津見神(山の神)、五十猛(イソタケル)大神(木の神)、淤加美(カカミ)大神(水の神)が祀られていた。
ストックを2本使って、蚕玉岳下をかすめ、左側の登山道を一気に降りていく。ザレ場で、
さっきハッパをかけられた男がルートを整備していた。「雨が降ると小石が登山道にずれて来る」という。
10時20分、肩の小屋。冷たい飲み物でも飲もうかと思ったが、営業していなかった。10分後、岩場の端を降りていく。30分でバス道路に出る。道を渡り、トイレに行く。外の手洗いで水を補給。登山道に行こうとしたら、背の高い青年が下から登って来た。三本滝からという。更に乗鞍岳頂上に向かう。
11時10分、沢を降りていく。左手に登山道が出来ていた。
10分後、別の沢に移って降りる。カップルの他、3人組のオバンが先にいた。彼女達が立ち止ったところからの紅葉の景色に足が止まる。
毎月来ているというオジンカメラマンに会う。3日前にはピンク色だったナナカマドの葉が今朝は紫色という。
途中、バス通りを渡って直ぐに登山道があったり、しばらくバス通りを歩いてから「入口」と書いたところを降りていく。
12時10分、位ヶ原山荘。道脇に座って休む。いろんな人が出会っていた。
先に降り口があり、再び別世界に入る。良く見るとナナカマドは葉が緑色の間に赤い実をつけていた。
今度は何度もバス通りを横切って降りていき、冷泉小屋の脇を通ってしばらくバス通りを降りてクロイ沢を渡る。カメラマンが近くの滝と紅葉を撮っていた。
沢に沿って降りていく。植生が変わり、シラビソなど針葉樹の中を行く。足元にゴゼンタチバナや羊歯を見つける。
沢から離れ、バス通りに出る。
13時15分、摩利支天。道路が曲がっていく手前から登山道に入る。沢を渡る。少し降りると幅広い道で参道だったようだ。
しかし15分後には普通の山道になる。
13時40分、倒木に座ってパンとチーズを補給。カメラマンがやって来た。豊橋からで、ここに来るのに中央高速から松本経由で来るか、北陸自動車から高山経由で来るか微妙だった。
15分後、出発。三本滝への分岐点には「滝まで0.8キロ」と標識に書いてある。戻るように一気に降りていく。整備されていない所があった。橋から滝が見えてきた。
日本100名滝が見える。右手のクロイ沢からのが一番大きく、高さ50m以上、黒い溶岩を舐めるように落ちている。
本流の小大野川からの真ん中の滝の岩が鮮やかな茶色をしている。
左手は水量が少なく、高いところから木の間越しに落ちていた。
右手の滝に落ちた水で頭を洗う。
14時25分、バス乗り場の方に行く。緩やかな登りが続き20分後、三本滝レストランに出る。
循環バスでも観光センターまで千円かかるので、歩いて東大ヒュッテ口を目指す。スキー場の「子りすの径」を歩く。
熊笹とオオシラビソの原生林の下は枯葉の絨毯で気持ち良く歩く。
15時20分、東大ヒュッテ口に出たが、登山ルートを見失い、バス道路を歩いて遠回りして行く。
熊除けの鈴をつけ、再び登山道に入って森の中を歩き、休暇村に出て善五郎の滝への道をとる。
以前に通っているが、逆方向なので新鮮に感じる。白樺の木が多かった。
16時5分、滝に出て一息入れる。落差22m、幅8mの整った滝で見飽きない。
滝見台には寄らずに紅葉しかかった広葉樹の林の中を通って別荘のある道に出て観光センターの大駐車場に戻る。トイレに寄ってシャツや登山用ロングパンツなどを履きかえる。
17時5分、出発。教わった温泉への道は車で行けなかった。前川渡で国道158へ右折、トンネル内で渋滞。道路工事をしていた。35分後、新島々の直販店でシナノスィーツりんご一箱(3300円)買って車に積み込む。松本ICの近くのセルフGSで20リットル補給。リッター148円だった。
18時20分、松本ICに入り、時速100~110キロペースで走行。1時間10分後、双葉SAでゴミを処理し、天ソバを食べて一休みする。
20時30分、出発。トラックも乗用車も少ない。談合坂SAで少し時間をつぶして22時1分前に八王子料金所に着く。手前の脇にトラックが並んでいた。後ろに停めて待つ。
22時丁度、トラックが料金所を通り、後につく。首都高速に入り、C2の地下道は時速100キロで通過、50分後、帰宅。
Norikuradake(3025.6m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better.Nagano expressway MatsumotoIC→national road158、pref.
road84 to tourist center
2.Bus from tourist center to Tatamidaira bothway 2400yen(one way1400yen)
3.Information:Matsumoto city Azumi branch(0263-94-2301)
Norikura nature center(located opposite side of tourist center,free charge)exhibits
volcanic activity of Mt.Norikura, alpine plants and animals,life and culture.
4. Season:Jul to Oct
Records:Oct8
7:00-7:50 take shuttle bus from tourist center(1483m) to Tatamidaira(2702m).
8:00-8:40 up to Mt.Fujimi(2817m) and down to Kata lodge(2760m).
8:40-9:30 climb to Mt.Norikura(3026.3m).
9:40-10:20 down to Kata lodge.
10:30-11:00 down to Kata lodge gate(2616m).
11:10-12:10 down valley to Kuraigahara cottage(2350m).
12:15-13:15 down to Marishiten along stream of Kuroisawa.
13:15-14:15 down to Sanbontaki(three waterfalls)(1800m).
14:25-15:20 up and walk to TodaiHut gate.
15:20-16:05 walk to Zengoro fall(1500m).
16:10-16:50 back to tourist center.
グランパの登山日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2013年10月6~8日
2.単独
3.自家用車:走行564キロ
4.バス:乗鞍エコーライン片道¥1400
5.温泉:中の湯旅館¥700
6.地図:国土地理院1:25000焼岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
はじめに
丁度10年前に家内と旅をしながら両座を登っている。その時の記録は残っているが、写真がない。そこで300名山の記録の最後を締めるために、車内泊しながらの旅となった。
10月6日(日)
13時、出発。中央高速道を走行。日曜日、車も少ない。諏訪湖SAでトイレタイム。コンシェルジュに平日のETC割引を問い合わせ、帰りは八王子料金所を午後8時か10時以降にする。ここの標高は806mだった。
15時55分、松本ICで降り、国道158号線で上高地に向かう。帰りの対向車が多い。新島々の直販店でリンゴ、柿、葱、胡瓜を買う。
16時45分、道の駅「風穴の里」に行き、一番奥に停める。ここのレストランは午後4時まで。キャンピングカーや観光バスが寄ってトイレを使った後、出ていく。
ハッチバックを開けて、久しぶりに自炊。まず湯を沸かし、カレーとご飯のパックを温める。ビールを飲みながら胡瓜に、ここの店で買った野菜タレをつけて食べる。葱をたっぷり用意してラーメンに入れて食べ、リンゴを食べ、明朝のお粥パックを温めておく。使った容器を手洗い場で洗う。車内の後部座席を倒してマットを膨らまして寝袋の中に入って休む。窓から星が見えていた。
焼岳北峰(2399m)、焼岳南峰(2455.4m)の頂上登山禁止
地図:国土地理院1:25000焼岳
昭文社・山と高原地図38乗鞍高原
10月7日(月)
4時前、起きてトイレに行き、洗面を済まして出発。急カーブが多い。外気温は12℃。トンネルではスピードを出す。幾つか越え、坂巻温泉の標識を過ぎる。上高地への釜トンネル前で左折。上高地方面はまだ閉鎖されていて車が並んで待っていた。200mほど走った後、中の湯方面と書いた標識を右折、ジグザグに登って10曲がりしたところに登山口があった。既に5~6台停まっていて隣りに駐車。もう一休みする。
5時30分、起きてオジヤとリンゴを食べて仕度。夏に富士山を登り、砂走りを降りた時に腰を痛めているので、大事をとって腰にコルセットを装着する。
6時5分、ストック1本使って出発。しばらく歩いた後、急登25分。ブナ、トチノキの樹林帯を登っていく。年輩の2人組みを抜いたが、青年に抜かれる。倒木が多い。
6時45分、高度1830mで窪地に降りて行き、登り返す。
一帯は下に笹、上にシラビソの木。笹が多ければ熊がいるだろう。カメラを持った身軽な男が朝日を浴びている森林を撮って行く。
30分後、分岐点に出る。北峰と南峰がそびえていた。
青空の下、灰色の岩、ハイマツの緑、黄色のダケカンバと紅葉したナナカマドの色合いが鮮やかで圧倒される。
天高し錦繍の山仰ぎけり
林を通り、笹とイワヒゲが咲く道を登っていく。視界が開け、右手は下堀沢の崖だった。
ジグザグに岩場を登っていくと、南峰は近寄りがたい。
コルに出ると、火口湖正賀池が下に見えた。
8時25分、出発。ガスを噴出している脇を通って北峰に向かう。
噴煙の脇を登っていく。硫黄が付着していた。
8時50分、登頂。先に登り終えたオバサンに写真を撮ってもらう。
彼女は裾野出身、富士山は10回以上登っている。しかし世界遺産になって人が増えたので、他の山にシフトしていた。近くの愛鷹山はツツジが咲く頃とか大野山は秋の紅葉が良いと教えてくれる。
明日、登る乗鞍岳はハイマツに囲まれているせいか若々しい。北アルプスも色づいていた。
ここの火山活動は約3万年前からといわれ、1915年の噴火で大正池が出来た。1962年の噴火で負傷者が出た時から29年、入山禁止した歴史がある。
撮影の邪魔にならないよう、やや下がったところに座ってオニギリを一つ食べていたら、隣りに岐阜県古川から来た中年男が小型ガスでお湯を沸かしてラーメンを食べる。ゼミの後輩で高山のK代議士の話を聞く。大蔵大臣を務めた父親の構想だった安房トンネルを実現させていた。3代目は父親の秘書を務めているが、地元では出来が悪いとの評判だった。
9時40分、先に下山。6歳若いが白髪の男は良く来るようで、今年は噴煙振りや硫黄の花が大きくなっているという。日差しも強いので、コルで半ズボンにしてからストックを2本にして降りる。古川の人が先に行く。30分後、朝、抜き去った老夫婦に会う。酒田からで、この後、平湯に泊まり、明日、乗鞍岳に行く。その後、恵那山を予定しているので、コースを案内する。
その後も次々と登山者が現われ、その度に待つか、別のルートをとる。その内、若い白人6人が現れる。女性3人はミズーリとサウスダコダからで自然愛好派だった。分岐点で塩尻から来た親子と休む。軽めのヘルメットをかぶった男が現れる。北アでは、この夏から落石に備えてヘルメット着用を推奨していた。
12時前、追い抜かれるようになり、シャリバテを感じたのでオニギリを食べる。
12時45分、登山口。靴を履きかえて出発。10年前に宿泊した「中の湯」旅館に行き、日帰り入浴代払って男場に行く。
誰もいなかったので、写真を撮っておく。内湯は42℃と45℃がある。階段を降りて露天風呂に浸かる。ここもかなり熱い。穂高岳と明神岳がよく見えた。
風呂あがりに缶コーヒーを飲み、係員に白骨温泉経由の乗鞍高原への道を確認、国道158に戻って行くことを勧められる。
前川渡まで行ってトンネルを過ぎてUターンしてから前川渡大橋を渡って乗鞍岳線を走る。トンネルを越えて大きくジグザグに登っていく。乗鞍観光センターの先にある広い駐車場でトイレから離れていないところに駐車。駐車場の奥にある自然保護センターまで行って時間をつぶす。同じように見学していたKさんと話す。昭和14年生まれ。恵那在住で奥さん、娘と婿と来ている。彼自身は6人の姉の後、生まれた。娘2人がいる。今日は乗鞍岳に登り、位ヶ原まで紅葉を見ながら歩いてから、バスに乗って帰って来た。3人は夕方まで休んでいる。現役の時は、社内の人と山スキーやテニスもしたが、今は野球一筋。岐阜マスターズトーナメントに出場したりしている。少年野球のコーチをしているが、3度注意しても直さないとビンタをくらわしている熱血漢。奥さんはテレビCMが流れている時は足腰を鍛えている。無料のかけ流し温泉を教わって別れる。
17時30分、車を奥に移動させて夕食を作って、焼酎のお湯割りを飲みながら食べて寝る。
Yakedake(2544m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Car is better.Nagano expressway MatsumotoIC→national road158
No car:Sinjyuku-Nakanoyu by bus. If you stay NakanoyuRyokan,car picks you up,otherwise climb 40mnts.
2. Information:Matsumoto city Azumi branch(0263-94-2301)
3.Onsen:Nakanoyu Ryokan(0263-95-2407)700yen
4.Season:Jun to Oct
Records:Oct7
6:05-7:15 climb from parking area(1609m) to junction(around2000m).
7:20-8:25 climb zigzag to col.
8:30-8:50 pass through and climb rocks to north peak(2394m).you can enjoy
beautiful landscape of north Japan alps,Kamikouti,Norikuradake.
9:40-11:05 back to junction and take snack.
11:15-12:35 back to starting point. I recommend to take onsen at NakanoyuRyokan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年10月13~14日
2.ツアー:アミューズトラベル 費用18500円+保険金¥500(救援者費用100万円、死亡・後遺障害1754万円等)
3.地図:国土地理院1:25000巻機山
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
10月13日 (金)
22時半、新宿駅西口。中央口の地下を降りていく。通路は人・人・人、流れに入って動く。京王電鉄口の方から階段を上がると安田生命ビルが見えた。街角で「アミューズ・トラベル巻機山」と書いた看板を持っている女性に会う。名前を申し出る。中型のワインカラーバスがやってきた。皆について乗り込む。座席表の6番窓側に名前が書いてあった。今回は満席で男10名、女12名。
23時、定刻に出発。山本さんがマイクを持って、ガイド、運転手の紹介に続き、スケジュールを伝える。
「三吉パーキングで休憩。その後、車内を消灯。六日町ICで降り、1時頃コンビ二前に駐車。トイレのある桜坂駐車場で朝食をとっていただいた後、出発します」
その後ビデオでNHK百名山「巻機山」を放映。一般道路に出て、車が曲がったり、停まったりしたせいか、目を覚ます。外は雨だった。
10日14日(土)雨のち曇り
4時過ぎ、バスがしばらく停まり、更に動いてから停まった。桜坂駐車場に着く。
4時半、山本さんが話す。
「雨が降っていますので、登山口までやってきました。予定より30分遅れて出発します。これより朝食を済ませて下さい。昼食の弁当を配ります」
弁当は袋の中にはオニギリ2つ、アンパン1つ、ビタミンゼリー1つ入っていた。用意した朝飯と変わらない。ウーロン茶を飲みながら、腹に詰め込んでおく。レインウェアを着て、スパッツをつけ、着替えやサンダルを袋に入れてバスに置いていく。外は思ったより寒くない。ヘッドランプをつけてトイレに行き、小用を済ます。
5時半、小市ガイドの掛け声で準備体操。薄明、小雨の中を出発する。行き先に近かった為、ガイドの後ろ、女性2人の後について歩く。40分歩いて休憩。泥々の山道を黙々と登っていく。所々で動物の排尿の臭いがした。井戸の壁を登る。
薄明や枯葉踏みゆく越後山
7時、5合目の焼松展望台で休憩。雨も止んできた。見晴らしの良い所だが、米子沢の滝の音が聞こえるだけだった。
雨やみて滝音高き五合尾根
7時50分、6合目の展望台で休憩。黄葉と桃色の実を見ながら登る。ゆっくりと、確実に登って行く。ブナ、カエデの葉が淵の方から黄色くなり、笹の葉に鳥の糞がついていた。女性ハイカーは相変わらず姦しい。登山経験を次々と披露している。ダケカンバ、ミズナラの林の中を進む。低木帯の急斜面を登る。
8時40分、檜穴の段で休憩。ここから先は紅葉がはじまっていたが、赤い色はダケカンバの実だけだった。
七合目の物見平(1564m)を通過。丸太棒で階段にした井戸尾根を登っていく。
9時20分、前巻機山(1861m)登頂、9合目だった。風が冷たいので、写真を撮ったら直ぐ出発する。
9時40分、避難小屋に降りてトイレタイム。ここから笹原をぬって木道を登り、頂上をめざす。
分岐点では、先行した3人組がリュックをデポしていた。なだらかな登りの後、下る。ガイドが止まり「頂上を過ぎているようですので戻ります」。百名山なのに、標識も三角点もなかった。
10時20分、植生保護のマークがある所に戻る。ボランティアが行政と連携をとりながら植生保護に努めていた。丁度、雲が切れて八海山の尖った峯峰があらわれ、右手に駒ケ岳の一部が見えた。
牛ヶ岳の右下にダム湖がある。奥利根湖だろうか。反対側には割引山。避難小屋の方は草紅葉のジュータン。斑が入った皮が敷かれているようだった。3つの池糖が見える。小市ガイドが案内する。
「左の小さな池が、かって一番大きかった。雪が運んだ土が溜まっていき、20年後には埋まってしまうと言われています」
草紅葉緑かすかに残しをり
11時20分、避難小屋に戻って昼食をとる。別のグループがベンチを占拠しており、草原に座って食べる。ここは頂上より暖かい。山本さんがココアをペーパーカップに入れて皆にサービス。熱くておいしかった。頭上は天気回復の症候、層積雲が高くたなびいていた。秋だ。
11時50分、出発しようとしたら、大パーティがやってきた。川崎市民登山80名。待っている内、巻機山が見えてきた。なだらかな山容で草紅葉が鮮やかだった。
駒ケ岳から見て黄金色に輝いていたというのもわかる。歩きながら鑑賞する。カメラが趣味の男2人は、盛んにシャッターを押している。割引山の方は、雲の出入りが激しい。全貌が見えたのは一瞬で写真に収まらなかった。
同じ道を戻っているのに景色が違う。紅葉真っ盛りの所を降りて行く。
7合目迄の井戸尾根は、庭園のようだった。何度か足を止めて写真を撮る。
天狗岩は切り立っており、人を寄せ付けない。途中、50分毎に休みながら降りていく。7合目以降は樹林帯の中。足元がすべりやすく尻餅をついている人が出てくる。山本ガイドやカメラマン達と山や写真の情報交換をする。アミューズトラベルは福岡に本社があり、東京地区は未だ新しい。スタッフも5人だけでやりくりしている。海外登山は各地区から参加するので、直ぐ一杯になってしまう。「キリマンジャロは12月と2月に予定していますが、20人単位、既に一杯です」序に状況を聞いておく。今まで無事故で、70歳の女性も完登している。
15時15分、駐車場に戻る。汚れた靴やレインウェアをトイレ近くの水場で洗い落としに行く。一つの蛇口では時間がかかるので、ビニール袋をもらって靴を入れ、バスに乗る。
15時35分、出発。臨席のA氏と湯沢温泉に着く迄、酒を飲みながら話す。会津出身の山男で現在稲城市に住んでいる。百名山の内76座登頂、尾瀬には福島県側から50回程行っている。小学生の頃、朝日連峰に登るのに身体を浄め、米を持って山の神社に奉納するといった話から、熊肉を食べたことや、道に迷ったハイカーを救助したこと、「八甲田山死の彷徨」と同じような経験を吾妻山でしたこと等、尽きなかった。
16時15分、温泉に入る。汗を流し、着替えて、ビールを飲み、富士見酒店で自家製の吟醸酒「巻機」を買ってバスに戻る。福岡出身の女性ハイカーは、風呂に入らず、馴染みの酒店に行って「越しの寒梅」を仕入れてきた。
17時、定刻に出発。途中、高坂ICでトイレタイム。再びスランバーマスクに耳栓をして休む。高速を降りてから目がさめる。
20時半、予定より30分早く、新宿駅西口につく。
付記:百名山巡りに熱中しだした頃、アクセスが便利なので一度、ツァーを利用してみた。偶々、2009年7月のトムラウシ、今回(2012年)の「万里の長城」遭難を起こした会社を利用したことになる。
上記したように、事前調査をしていないので頂上がどこかわからなかった。このレベルですんだし、終了後、集合写真を送っていただいている。ガイドの質に問題があるのは確かだが、生存者は防寒具を用意している。利用者は自己責任という気持ちで、体調を整え、携行品を準備して、不明な点は自分で確認する態度が必要と思っている。
Makihatayama(1967m) in Niigata pref. 100Famous mountains in Japan
1. Amuse travel Tour
2. Information:MinamiUonuma city Shiozawa branch(025-782-0250)
3.Season:Jun to Oct
Records:Oct13
23:00-4:05 Shinjyuku-Sakurazaka by Tour bus.
Oct14
4:30-5:30 Take breakfast and stretch.
5:30-7:00 Climb from Sakurazaka(740m)40minutes and take rest to 5th stage.
7:10-7:50 Climb to observatory.
8:00-8:40 Climb to 7th stage(1564m).
8:45-9:20 Climb to MaeHataoriyama(1861m).
9:20-9:40 Down to refuge lodge.
9:45-10:20 Climb to peak.
10:45-11:20 Back to refuge lodge and take meal.
11:50-15:15 Back to starting point.
15:35-20:30 Back to Shinjyuku by Tour bus.