グランパの日記Akihata' diary [登山mountaineering]

            カムイエクウチカウシ山(1979m)

1.2010年8月24日~28日
2.地図:国土地理院1:50000札内川上流
3.交通:JAL1151便/AUG24羽田/帯広07:45-09:20¥11900 
      JAL1158便/AUG28帯広/羽田20:25-22:05(スーパー先得料金)
      レンタカー(JR北海道)5日間¥40660(WEB割引基本料金+免責補償)
      車種:ニッサンTIIDA  走行距離255キロ ガソリン25ltl¥3200
4.宿泊:東横イン・ツイン¥8480  国民宿舎・新嵐山荘2人¥16230
5.忠類ナウマン象記念館¥300  小泉淳作美術館¥500  帯広百年記念館¥400
 
8月24日(火)晴  十勝観光:忠類ナウマン象記念館、池田町ワイン城
6時55分、羽田空港第一ビルでIと待ち合わせる。チェックイン時、ライターは携帯用に1個持ち込めた。帯広空港に定刻着陸。機外は雨が止んだところ。預けたリュックをとり、空港レンタカー受付で待ち、トムラウシ登山の夫婦と一緒に迎えのリムジンに乗って近くの事務所で手続きする。車は未だ走行千キロ代だった。
日高山脈山岳センターに電話すると23日からの大雨で沢の渡渉は出来ない。一昨年は9月中旬に挑戦、三股まで行く前に別の沢に入ってしまい、時間切れで退却。去年はフェリーでお互いの車で入ったが、悪天候で中止。その時トムラウシで8名遭難していた。三度目になる。
先ず、国道236に出て南下、中札内のホームセンターモリタで山使用のガスカートリッジを調達。ラーメンを食べてから忠類ナウマン象記念館に向かう。

CIMG1133.JPGCIMG1130 (1).JPG

12時40分、ナウマン象記念館。1988年竣工、第一回北海道建築賞を受賞。上から見るとナウマン象の形で、外壁を肌に似せて小石を埋め込んだ建物に入る。1969年7月、農道工事をしていた細木尚之氏が2mの牙を発見、その後キバは黒く変色してしまう。ホール中央に象の骨格レプリカが立つ。象は思ったほど大きくなく、泥炭地にはまり込んで死んでいった。
道道15号を北上して30キロ以上走行、幕別町から十勝川を渡り、池田町のワイン城に入る。

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屋上からの眺めは十勝平野を一望でき、近くの釧路線と駅が旅情を誘う。遠く日高山脈が見えた。ワインの瓶詰めや2000樽の貯蔵室を見る。1階で白ワインを試飲。バンクーバーオリンピック銀メダリスト長島圭一郎選手のサインが飾ってあった。
15時45分、出発。帯広駅近くの東横インにチェックイン。部屋は狭いがズボンプレッサー等もありビジネス客向け。シャワーを浴びた後、湯を沸かし、焼酎のお湯割りを飲む。夕食は「平和園」。徒歩7分、ビールを飲みながら焼肉を食べる。山に入ると早く起きなければならないので早く寝る。


 8月25日(水)晴
5時、起床。洗面を済ませてから山の仕度。
7時前、階下で新聞を読む。大雨で各地に土砂崩れが発生、車が川に転落して一人亡くなっていた。定刻にバイキングスタイルでオニギリ3種と味噌汁、漬物を食べる。
7時半、出発。道路は明治時代の開拓時に火防線として幅22m強にして碁盤目に造っていた。国道236で中札内村に入り、セイコーマートで弁当、オニギリと水2ℓ調達。上札内で右折、西に向かう。
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9時、山岳センターで中札内村観光協会の人に状況を伺う。途中、ダムを過ぎて札内川が見えるので、川の水の量と流れを見てから行くことを勧められる。登山計画を提出して出る。ゲートに着くと、リムジンに乗って帰る人がいた。青森と東京の人で、七の沢からの渡渉が危険なので諦めてきた。我々は午後まで待つことにする。北開水コンサルタントのリムジンや開発庁の車がゲートを開けて行く。ダム関係の人は、今日は七の沢迄行ってそこでテント泊を勧める。林野庁、帯広開発局などの車が奥に入って行く。水量や水深を測ったところ、普段80cmが1m40cmあるのでボートを屋根に載せていた。やがて開発局の車が戻って来た。水深1mになりボートは使わなかったという。北開水コンサルタント会社の海藤氏と話す。開発局に37年勤務、来年が定年になる。「これから七の沢まで行って午前中に帰るので状況を伝える」と言って車に乗っていく。
11時25分、海藤氏が戻って来て、「水量は減ってきた。これから七の沢まで行くので送っていく」と言う。
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ゲートからリュックを担いで2時間かかるところを15分で七の沢に着いてしまう。仕事場まで車が戻っていくのを見送ってから、木陰で弁当を食べる。熊蜂が寄ってきた。


             熊蜂まとはる掃へ掃へども


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13時25分、行けるところまで行くことにして、2年前と同じルートを進む。蕗の葉が邪魔だった。沢に出ると孔雀蝶とキベリタテハが飛んでいるのを見つける。
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14時15分、広い渡渉地点に出る。流れも速く、一度、リュックを置いて中ほど迄行ってみた。膝上まで浸かる。流木を2人で移動させてみたが、効果ない。Iの足が短く、ストックが一本だと不安定。先ずリュックを背負って渡りきりリュックを置いてから戻り、彼のリュックを背負って渡る。彼は棒とストックで私の後ろをついて来た。


             夏の雨集めて早き沢渡る


その後、厳しい渡渉はなかったが、藪こぎが続く。
16時35分、中州に出た。札内川本流を渡ってテントを張るべく先まで行って渡渉地点を探したが、どこも川の一か所は勢いがあって危険。40分後、諦めて戻り、2年前と同じ場所にテント設営。
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水を汲んでガスで湯を沸かし、ご飯とカレーのレトルトを温めて食べる。ネギとニンニクを入れた味噌汁を飲み、最後は紅茶でしめる。容器を洗い、明日の仕度をしてから就寝。


8月26日(木)晴
3時、外に出て離れたところで排尿。川水をくんで湯を沸かし、朝食用カレーを温め、コーヒーを飲みながら、味噌汁を乾燥米パックに入れて封をする。残りの湯はポットに入れる。Iは極力荷物を減らす。10cmほど水域が低くなっていたが、本流の勢いは昨夕と余り変わらず、渓流靴を履いて明るくなる迄待つ。
4時半、やや下流に、勢いは変わらないが、川幅が広くて凪いだ箇所を渡る。浅いところを選びルートを決めてから足元に集中、一歩一歩、流れに逆らうように踏ん張って進む。一か所、身体を持っていかれそうになるが気合いを入れる。荷物が軽い分、助かった。急流のところでIを助けてホッとした時、足元をすべらせ、上体を水に浸けてしまう。
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5時5分、専らテープを頼りに河床や樹林の中を通り、枯れ沢を越えて行く。沢ではケルンが目印。2人で確かめながら進む。沢の奥にカムエクが聳えていた。
8時、足跡のあるルートを辿ったが、テープが見当たらず戻る。テープのある所から先頭に立って一気に高度をあげる。雪渓の残りの脇を通過。滝の右側を登る。

9時10分、枯れ沢で一本立てる。三股が見えた。

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胸ポケットのカメラで撮ろうとしたら、画面がボンヤリ。水にやられていた。三股中央の滝の右手をとる。

CIMG1156.JPGCIMG1155.JPG

ロープを掴み、滑りやすい一枚岩を横切ったり、竹藪の中を潜り、木に頭をぶつけたりしながらも目標を目指す。どうやらブヨに刺されたらしいが、無視してガレた沢を登りきる。視界が開けた。
9時45分、八の沢カール。高山植物の花が迎え、紋白蝶が飛んでいた。


             紋白蝶交尾の秋を迎へをり


大岩の影に休んでオニギリを食べ、登山靴に履き替え、福岡大の学生3人の慰霊プレートが埋め込まれた岩の前に渓流靴をデポする。1970年7月、彼らはここでヒグマの犠牲になった。
CIMG1138.JPG八の沢カール

10時10分、ピラミッド峰の方角に向かい、大きくジグザグに登ってから稜線に出る。

CIMG1141.JPGピラミッド峰

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ハイマツの藪の中を通り、小ピークを越えて更に一登りする。右手下に、八の沢が一直線に伸びていた。

CIMG1142.JPG八の沢

 CIMG1146.JPG最後の登り
12時25分、登頂。遂に辿り着いた。ここを初登頂したのは同じルートから1928年、慶応義塾大学山岳部が達成している。山名はアイヌ語で「熊が崖から転げ落ちるほど球春な山」という意味。

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展望を楽しみながらオニギリとリンゴを食べる。北方にエサオマントッタベツ岳、西側は手つかずの山が続き、日高の山の奥深さを感じ、我々が通って来たルート以外、ここには来られないことを実感。カールに熊はいなかった。日差しが強いのでどこかに休んでいるのだろうか。
20分後、下山。稜線を下り出すとミヤマキンポウゲの花に孔雀蝶がとまっていた。近くでナキウサギが鳴く。氷河期の生き残り、彼らの棲みかは岩場だが、今は草を食べているのか、我々が縄張りに入ってきたので鳴いているのだろう。

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時間も迫ってきたので急ぐ。カールの遭難碑で渓流靴に履き替えたのが間違いだった。Iのは新しく頑丈なものだが、右靴の踵がはがれ、かつ滑り易くなっていた。

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高度1600mからの急坂では石ころが崩れやすいので、Iとの間隔を開けてストックで慎重に降りていく。七曲がり竹の藪では、竹を踏んで尻もちをつく。他でも靴が滑ってしまう。
16時30分、高度660m。暗くなるまで休まずに行く。それでもテープとケルンを確認するのに時間がかかった。テープがあっても、その先がわからないので迷ったり、往きの感覚を頼りに雑木林を突破するとルートに出たりした。
18時、ヘッドランプをつけて歩く。樹林帯では足元の他、周囲を確認しながら進む。赤テープを見つけるとホッとするが、次が中々わからない。一度、川辺に出てからおかしくなる。テープが見つからないまま樹林帯に入って道らしきところを歩く。再び川に出た。Iには待ってもらって探索。ところどころ深いので足元を確認して進む。月明りで風景はわかるが、見覚えはない。少なくともこの先、川を渡るのは危険だった。
19時30分、ビバークすることに決める。歩いて来た道は草むらの中だったので、川に近い道で少し広いところにする。2人の食料を確認したところ、Iは飴や菓子だけ。オニギリと味噌汁入りご飯があったので半分渡す。お湯ポットは大事をとって朝にする。


            道失せて野宿するのも晩夏行


20時45分、レインウェアを着こみ、靴下を履いて靴カバーをつける。ラジオを点けっぱなしにして、水入りパックを枕にして、虫除けのネットを被って寝る。


8月27日(金)
1時半、尿意で目覚め、ストックを使って川辺まで行く。満月。雨の心配はないが冷えてきた。60リットル用のザックカバーで上体を包む。
4時15分、起床。手持ちのパンとチーズを半分に分け、ポットのお湯を使って紅茶を飲む。
5時、遭難時の鉄則、来たところへ戻る。ちゃんとした道を歩いていた。しばらくして対岸に赤テープ発見。結局、それが見えなかった為、真っすぐ進んでいた。渡渉してからテープとケルンを確認しながら行く。未だ、かなりの距離を残していた。
6時半、膝上まで浸かりながら渡渉を終えてテントに着く。荷物を軽くすべくラーメンに具をたくさん入れて食べる。食後、水気をとったテントをたたみ、彼の荷物2袋を私のリュックに入れてバランスをとる。渡渉靴の剥がれたところを紐でしばる。
7時45分、出発。中州にあるケルンに向かって歩き、渡渉してからは山路を行く。


            笹藪の蜘蛛の巣払ふ山路かな


沢に出ると赤テープを目印に進む。早くも日差しが強くなる。6594.JPG

青空に白雲が尾根の上から現れて繋がっていた。


            夏の雲尾根上に峰立ちあげり


8時55分、倒木に座って休憩。1時間後、ガイドと高齢夫婦に会う。ガイドは腰にザイルを持ち、夫婦は大きなカラビナを付けていた。今回、水量の多い川の渡渉だったが、天気には恵まれていた。このルートは、渡渉に始まり、笹や竹藪、ハイマツの中を潜り、沢、ロープ、雪渓、遭難碑、リッジがあり、熊の棲む世界を通っていく。これ以上挑戦しがいのある山を知らない。
10時5分、七の沢出会い。靴を履き換えて20分後、出発。しばらくして5人組に会う。2人のガイドがついていた。1時間後、夫恋(ツマゴイ)トンネルの中で休憩。この名がついたのは、1971年7月、札内川渡渉中、水死した夫を悼んだもの。

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横浜から先得割引の飛行機とレンタカーでやって来た夫婦に会う。同じパターンだ。
12時5分、駐車場。レンタカーとおぼしき札幌ナンバーの車が続いていた。15分後、Iは寝不足だったので私が運転。山岳センターに行き、下山届を書く。Iは食堂で食べ、私はキャンプ場でラーメンを作って食べる。近くにミニゴルフコースがあり、電動芝刈り機を作動していた。残ったカートリッジガスを、託送するIに渡す。
14時半、出発。携帯が使えるところで、新嵐山荘に連絡、通常の1500円割り増しだが広い部屋を予約。55分後、到着。209号室に入る。早速、パンツを着替え、浴衣を着て1階の浴場に行く。日帰り入浴の人が入っていた。全身を洗う。両足には生傷がそこかしこ、足の爪は内出血で変色。顔を見ると、ブヨで額はデコボコ、瞼、目の下、耳が腫れあがっている。大風呂の他、セラミック風呂に入って出る。部屋でムヒを顔に、ヒスタミンを傷口に塗ってから休む。
17時半、目覚ましで起き、ドテラを着て2階のレストラン「コロボックル」に行く。アイヌ語で「蕗の下にいる人」という意味。生ビールで乾杯、刺身から手をつける。山菜、地鶏、ジャガイモ、天ぷらとたいらげる。ご飯とスープを取り、デザートを食べ満腹。抗生物質トミロンを飲んで部屋に戻り、そのまま休む。


8月28日(土)晴  予備日:花畑牧場、小泉淳作美術館、帯広百年記念館
6時10分、起床。
7時半、ビュッフェ朝食。最初にコーヒー、ミルク、サラダ、ロールをトレーに置いて食べ、次に納豆に生卵、海苔を入れて撹拌、味噌汁、梅干し、にご飯を食べる。後ろに座った爺さん達はアメリカ各地を旅していた。ここ十勝平野は牧畜と農業で豊かなところで家を見ても立派だし、冬には色んな旅をしているようだ。部屋に戻る途中、帯広岐阜県人会の看板が出ていた。開拓時代、本土から移民した人の子孫だろうか。
9時45分、Iが運転。コスモスの花が満開。カウンターで聞いた花畑牧場の電話番号をセットして行ったが、近くに来たのに農事研究所の先でカーナビは「目的地に着いた」と言う。道の駅「なかさつない」に戻って案内図と電話番号を教えてもらって行く。

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11時、花畑牧場。牧場やラベンダー畑、色んな建物の中を見て売り場で生キャラメル、ティラミス、モッツァレラを買い、別室でソフトクリームを食べる。いかにもギャルが好みそうな内装だった。チーズ工場を見て出る。
中札内美術村は国道236を右折して直ぐだった。広大な駐車場の木陰に停めて行く。野外の彫刻作品を見ながら歩いて小泉淳作美術館に入る。

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「称名の滝」「男鹿半島」「鳥海山」「黒部の山」「大山」の他、風景画に「桜島の朝」があった。加山又造の作品より小さく噴火煙、朝日、鳥を描き加えていた。彼の技が発揮されているのは静物画。「ひまわり」「冬瓜」「筍」「白菜」「夏蜜柑」と一点一点じっと観る。

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彼の凝視が生み出した作品には迫力がある。「絵を描き終えるか否かは関所を通れるか」という気持ちに共感。今秋登る飯盛山から見た八ヶ岳も関心をひく。最後に建長寺の双龍図の下絵を見る。カウンターの女性に何故ここに美術館があるのか尋ねた。
「六花亭の主人が長年版画を収集していました。双龍図の大作を描くのに中札内の小学校の体育館を使っています」
他に小泉の友人が洋画家相原求一朗であること、六花亭の包装紙を農民画家坂本直行が描いているという縁でそれぞれ記念館を「六花の森」に建てていた。
13時、レストラン「ポロシリ」。途中の道は廃線の枕木を使っていた。冷やしトロロウドンを食べていると、携帯が鳴る。新嵐山荘からで私の鍵が部屋に置き忘れていた。早速、戻り、カウンターで鍵をもらう。Iの提案で街中の帯広百年記念館に行く。

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15時10分、緑が丘公園の中の駐車場に車を停め、係員の推薦で2階のアイヌ民族文化情報センター「リウカ」から見学。2階の廊下は熊と鹿の足跡が点々と書かれて興味をもたせていた。リウカとはアイヌ語で「橋」。
ブヨの生態について調べたがわからない。池田学芸員が教示。渓流に生息、メスのみが吸血する。抗ヒスタミン剤かムヒを塗っておくと2、3日で治る。夏場には山には行かないそうだ。帯広畜産大学で昆虫を研究していたのでダンゴ虫について聞く。コンクリートの近くにいるのは殻作りに必要だった。十勝には外来のワラジ虫が入って来ている。飛べない虫は種類毎に研究すると環境のデータになる。飼料の発酵熱を求めて甲虫がやって来る。車道で引き殺されたエゾリスを標本にしている。彼の出身は狩場山の麓だった。アイヌ語地名について一番正確なのは山田秀三の研究、我々が辿った札内川とは「冬になると消えてしまう」川だった。同じ部屋で小学生が工作していた。
1階の常設展示室に行く。マンモスのジオラマから始まり、十勝の自然と開拓の歴史を展示。静岡県松崎町で結成された開拓団「晩成社」のことを始めて知る。入植して50年で解散していた。他、明治時代から戦前までの実物、蓄音器やステレオがあった。
外に出て公園を歩く。記念館の中央広場に開基100年記念として「後世へ贈る1982.10に埋め2030.10に発掘」と書いた石碑があった。
帯広百年記念館
17時15分、出発。40分後、レンタカー事務所。Iはここからリュックを搬送する。
18時15分、空港。チェックイン開始まで残りの焼酎を水割りで飲む。搭乗券を手にして、2階の中華レストランでビールに餃子、ラーメンを食べ、今までの精算を済ます。
20時、機内。後ろにミラノ出身の夫婦が座っていた。片言のイタリア語で始まり、あとは英語と日本語で話す。「北海道は北イタリアと比べると高度が低いので景色は見劣りする。ここでキツネをたくさん見た。あちらには鹿や狼や熊がいる」羽田に近づくと成田空港やアクアラインが良く見えた。
22時過ぎ、羽田着陸。荷物を預けていないIとは、座席で別れる。

Kamuiekuutikausi-yama(1979m)Hokkaido 200Famous mountains in Japan
1. Access:car and expert are essential.
You can order tour guide start from Obihiro station. Power zone(052-788-7575)
2. One night two days in summer time.
3. Condition:good weather.
4. Route information : Hidakasanmyaku mountains center(0155-69-4378)
You can stay,but no meal service or camp.
Records
Aug25
Stay Toyoko inn(0155-27-1045)near Obihiro station. one night morning buffet\4500~
Aug26
07:30-09:00 obihiro station to hidakasanmyaku mountains center.
09:10-09:20 wait for quantity of river decreased at gate.
13:25-16:35 cross river and walk in the bush from shichinosawa to hachinosawa
camped
Aug27
04:25-09:00 cross river and follow up red tape(marker) and cairn.
09:10-09:45 climb along with waterfall,climb to hachinosawa curl(bear residence area)
09:55-12:25 climb to ridge and pass in creeping pines.
12:25-12:45 summit
12-45-18:00 back to same route.
18:00-19:30 hard to find red tape in the dark,finaly bivouacked.
Aug28
04:15-05:00 wake up and take emergency foods(bread and cheese).
05:00-06:30 back and find red tape other side of a river and back to tent.
07:45-10:05 hachinosawa to shichinosawa
10:25-12:05 walk to gate.
12:20-15:25 drop over center and drive to shinranzanso(communal lodge) and stay.


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MATO


いつまでも何かを待ってるだけで未来は変わらんだろjk。今のままの人生に満足してるのか?

ちょっとは行動してみる気、ある?
QOL(Quality of Life)上げたいなら試してみれば
http://8afz7sc.nippon.charitie.info/8afz7sc/
by MATO (2011-04-03 03:43) 

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