グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.出発日:2000年10月9日
2.単独行
3.交通: 新幹線:仙台―郡山(自由席¥2520)仙台―猪苗代¥2940
タクシー:.猪苗代―登山口¥1890
4.温泉:裏磐梯高原ホテル¥700
5.地図:国土地理院1:25000磐梯山、猪苗代湖、中ノ沢
昭文社・山と高原地図⑪磐梯・吾妻
10月9日(月)雨ときどき曇
5時の天気予報では、午前中迄雨それから回復するというので決行する。
5時45分、仙台駅前吉野家で納豆朝食を食べる。中の客は女の子だけだった。駅で新幹線の切符を買う。自動改札では、切符2枚一緒に入れる。ホームで自由席と反対方向に行ってしまい、車両に乗り込んでから向かう。
6時5分動き出す。グリーン車は座席も広く、2階席やビデオのある個室もあった。誰もいない。指定席にいる人の大半が食べたり、食べる用意をしていた。これから海外に行くのか既に出国カードを書いている人もいた。
6時54分、郡山駅。乗り換え口に行き、2番ホームへ降りて行く。会津若松行きに乗り込む。3両編成だった。
6時59分、出発。奥羽大学の前を走っていく。猪苗代駅には7時40分定刻に着く。磐梯高原行きバスは40分後に出るので、国際スキー場から登るのは止めて、猪苗代スキー場から登ることにしてタクシーを使う。ゲレンデ前の温泉場で降りる。
8時30分、レインウェアを着て登山口を出る。静岡から来た初老ハイカーが降りてきた。視界が悪いし、滑るので戻ってきた。しばらく作業道を歩く。ゲレンデを横断してから登山道を登る。紅葉が鮮やかだった。休業中のレストランを過ぎ、ゲレンデに沿って登っていく。鹿だろうか、尿の臭いがした。黄葉した樹林帯の中を登っていく。雨は止んだが、視界が悪くなっていく。
9時55分、沼ノ平で一休み。「ガスに注意」の看板が立っていた。
再び雨が降り出したのでガレ場を登る。30分後、火口尾根に着く。風が強い。噴火百周年記念の杭が立っていた。1888年7月7時45分の大噴火により、小磐梯山が吹き飛び、その時の泥流で11の集落を埋没させ、460人が亡くなっている。一方、渓流が堰きとめられて300以上の湖沼が出来た。尾根伝いに歩き、天狗岩を過ぎ、弘法清水小屋から一気に急坂を登る。清水を飲んでいる余裕はなかった。
11時15分、登頂。石祠には皇高天原命が祀られていた。
オニギリを食べ、お茶を飲む。弘法清水まで来た道を戻り、岡部小屋で一服してから左に降りていく。樹林帯に入ると、赤、緑、オレンジ、黄色と雨で洗われた葉の色が瑞々しかった。
振り向けば五色の紅葉山覆ふ
空はどんよりとしているが、黄色の葉と地に落ちた茶色の枯葉が辺りを明るくしていた。
13時10分、中ノ湯分岐点で北に向う。穏やかな道になった。
13時45分、銅沼(アカヌマ)に出た。赤錆びた色の岩が点在した沼で自然の庭園だった。1人たたずみ、景色を堪能する。
引き続き降りていくと、左手に沼がある。澄んだ水の下に藻が映っていて、その藻が動いていた。
スキー場に出る。刈り取った草原を一気に降りていく。既にゲレンデのチェーンが動いている。スキーシーズンの前に試運転をしているようだ。落石防止の壁工事で、絶壁をクライマーのようにぶら下がっている。裏磐梯スキー場ロッジを右手に見ながら歩いていく。振り向くと磐梯山が見えた。
国道459号線に出る前、テニスコートの方から裏磐梯高原ホテルに行く。手前に弥六沼があった。
風呂に入れるか聞くと、午後3時まで使えた。靴を履いたまま、タオルをもらって入る。露天ではないが、弥六沼が見え、先に磐梯山が見えた。風呂からあがってビールを飲み、バスに乗る。
15時40分、出発。桧原湖に出て、裏磐梯噴火記念館前で止まり、五色沼入り口、川上温泉、国際スキー場を通って猪苗代営業所に16時15分到着。
16時31分、出発。45分後、郡山駅に着き、ホームで立ち食いソバを食べる。
17時36分、4両編成の電車が出発。途中、館腰駅で車両故障が発生したため、大河原駅で停車。仙台に戻ったのは20時30分だった。
Bandaisan(1819m) in Fukushima pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Inawashiro station -Gate by taxi
Bandaikougen-Kouriyama by Fukushima koutuu bus(024-943-1651Kooriyama)
2.Information:Inawashiro tourist assciation (0242-62-2048)
3.Season:midMay to Oct
Records:Oct6
8:30-9:55 Climb from gate(690m)to Numanodaira(1380m).
10:00-10:30 Climb to Kakouone.
10:30-11:15 Climb ridge and pass Tengudake,Kouboushimizu lodge(1630m),climb the steep slope to peak.
11:50-13:10 Back to Kouboushimizu lodge,turn left,Okabe lodge,down the steep lope and ridge to Nakanoyu(1290m).
13:15-13:45 Down to Akanuma (1105m)where is beautiful scenery.
13:50-14:50 Walk to Urabandaikougen hotel(1000m) and take bath.
15:40-17:16 Walk to Bandaikougen bus station and take bus .
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
西吾妻山(2035m)
1.2000年7月17日
2.単独
3.交通:新幹線 仙台=福島(06:05-06: 50 )福島=米沢(07:01-07:48)バス 米沢=白布湯元(08:00-08:41) ゴンドラ&リフト湯元駅=天望台(09:00-09:30) バス 白布温泉=上杉神社(15:53-16:25)新幹線 米沢=山形(17:40-18:13)快速 山形=仙台(18:27-19:41)
費用:新幹線:仙台―福島¥3070 JR:福島―米沢¥740 ゴンドラ・リフト:湯元―展望台¥1500 バス:白布温泉―上杉神社¥700 新幹線:米沢―山形¥2620
4.温泉ほか:西屋旅館の湯¥400 上杉記念館¥310
5.地図:国土地理院1:25000吾妻山、天元台、白布温泉
昭文社・山と高原地図⑪磐梯・吾妻
7月17日(月)
4時50分起床、トイレで頑張ったが排便出来ずに出発。街には若者が屯していた。
5時半、仙台発特急北斗号は全席寝台で福島に行くだけでも8千円以上かかるので新幹線にする。5時50分に改札オープン。自由席のある車両に向かう。途中、伯養軒でオニギリセットとウーロン茶を買う。6時5分発やまびこ110号は、車庫停電のため遅れるとの案内。その間、続々とビジネスマンがやってきて並んで待っている。月曜の朝、単身赴任者が出勤する姿。15分遅れで出発。二つ目の福島には6時50分に着く。
一反、改札を出て米沢迄の切符を買い、5番線に行く。2両編成。各自、外からボタンを押してドアを開け閉めする。車内冷房の電力節減に協力している。
7時1分、定刻に出発。複線だった。うっそうと繁った緑の中、駅は雪や風除けのためかドーム状になっている。長いトンネルを過ぎたところで「峠」という駅につく。いかにも峠の雰囲気。電車は直ぐ降って行く。快晴だった天気も、トンネルを幾つか越えると曇ってしまう。
米沢駅は新しいが簡素。駅内のコンビニで食糧を調達。他の電車から来た通学生がどっと出てきて列をなして歩いて行く。
8時5分、白布湯元駅行きのバスが出る。上杉神社の近くを過ぎ、単線の米坂線を越えて行く。「興譲館」口では、英語教師らしき白人女性が女生徒と一緒に降りて行く。
8時48分、湯元駅。ロープウェイのある建物に入り、トイレに行っておく。
9時、切符を買って乗り込む。16人乗って出発。高度差350mを5分でつく。
天元台ホテルは廃業していた。次のリフトは、3回乗る。夏場のリフトでは最長という。トンボと一緒に動いていく。下に植えている草木に名前のプレートがついていた。「うらじろようらくつつじ」「のりうつぎ」「おおしらびそ」「くまのみずき」・・朝露が少し残っていた。
9時20分、2回目のリフトは、2人用の席。ゆったりと登って行く。ハクサンチドリの花が咲き、樅の木が増えてきた。次のリフトでは、バーを卸して動き出す。高さ7mを動くので安全上必要だ。
石楠花が下に咲いていた。
空気も一段と冷えてきた。スキーコースを越えて行く。
9時45分、高度1820mの北望台に着く。登山用の道に行く人はいない。昨日迄雨だったせいか、所々ぬかるみになっている。オオシラビソ林の中を登って、かもしか展望台に出る。石の上を歩きながら展望の良い所を探したが、ガスが下から吹き上がってきて駄目だった。再び登山道に戻り、木道を歩く。山茶花、コバイケソウの花が咲き、蜂がコバイケソウの花に群がっていた。孔雀蝶が休んでいる。
脚立をセットして写真を撮っている人達は、アングルや光線がピッタリする迄じっと見つめていた。
コバイケソウ吾妻湿原独り占め
雪渓を渡ると、遠くに一切経山の雄姿が見えた。ワタスゲ、チングルマやイワカガミの花も咲いている。反対側、グランデスキーの方に車を置いて登って来た夫婦に会う。東吾妻山を近くに見ながら登って行く。梵天岩の脇を通り、吾妻神社の見える岩場天狗岩に出る。
神社前で2人と別れ、西吾妻山に向かう。しばらくすると、ぬかるみがひどくなる。ストックを持ちスパッツをつけて歩く。
11時30分、西吾妻山登頂。あっけなかった。
これでは登山にならない。オオシラビソの林の中でパンを食べ、水を飲んでいたら、忽然と女性ハイカーが現れる。福島から車で天元台迄やってきて、これから西大巓迄行って帰る。あそこ迄行くと桧原湖等が見え見晴らしが良いという。
「若女平(ワカメタイラ)コースは一度行きましたが、単調で長いですよ」
西大巓が近くに見えてきた。木道を歩き、西吾妻小屋手前のT字路で別れる。
右折して林の中に降りて行く。登山道は小川のようになっていて、ひたすら石と泥と根っこの上を降りて行く。延々と同じ動作を続け、修行気分で足元を見ながら1時間。潅木の中を歩いていると、小鳥の動きで足がとまる。ウィチーチー、ウィチーチーと鳴いている。
梅雨明け前蜘蛛糸わけて一人行く
13時、曇ってしまい、お化けでも出そうな森の中だったが、木洩れ日が差してくると気分も心地よい。汗の臭いで虻が近づいてきたので、虫除けスプレーを首と手にかける。(翌日からアレルギーが出てしまう)
14時、広場に出る。後ろに西吾妻山が見えたが、特徴のない山容だった。登頂迄が簡単だったが、滑りやすい下りを続けたせいか償いは終えた気持ちになる。途中、行動食をとっていたので、昼食をとらずに歩く。風景はブナ林に変わり、道もゆるく、ぬかるみもない。しかし湿気が増えてきた。途中、見晴らしの良い所が一ヶ所あり、そこからさっき通った天元台の建物が見えた。
その後、鬱蒼とした杉林に入る。殺伐とした風景に羊歯や下草が生命の証を見せていてほっとする。
15時過ぎ、川を渡る際、小さな滝があった。
今朝、バスで通った道に出、温泉に向かう。バス停留所の近くに西屋旅館があった。
丁度そこから箱を持って出てきた男性に一風呂浴びられるか聞くと大丈夫。荷物を玄関に置き、靴を履いたまま中庭に入り、男湯 に入る。脱衣して露天風呂かと思い、外に出たが見つからない。丁度2階の部屋から顔を出していた客に聞く。お風呂は脱衣場の向かい側にあった。時計をつけていく。1人の年配客が湯に浸かっていた。温泉巡りをして楽しんでいる隠居。湯は熱い。じっとしてる。滝湯をすすめられる。仕切られた奥に3本の湯が屋根近くから落ちていた。
1本は耐えられる熱さだが、他のは我慢できなかった。早々に出て上半身裸のままで玄関に戻り、丸首シャツを着て缶ビールをグビグビ。パンフをみたら、湯滝の宿で茅葺き入り母屋造りで2百年以上の歴史がある。NHKで雪の中を放映していた所だ。太い梁や黒光りした柱が歴史を感じさせた。
15時53分、バスがやってきた。最前席にハイカーが座っていた。反対側に座って話す。宇都宮から来た定年過ぎの人で、昨日、天元台で宿泊、中大巓と東大巓を歩いてきた、これから福島に出て新幹線で帰るという。
予定通り登山を終え、時間に余裕ができたので、上杉神社に寄っていく。城の脇では博物館を建てていた。
米沢城の堀に出て左折、上杉記念館に入る。17時迄開館、上杉鷹山の資料展示や大広間を見て歩く。居間の廊下から庭を見ていたら、彫像の下に犬がいる。裏側から入ってきたようで、主人に彫像のことを聞く。米沢市政に貢献した人だそうだが、場違いの感じだった。
次に堀の橋を渡っていく。鷹山の銅像が右手の公園にあり、左手の案内版には、鷹山の文章が書かれていた。
なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなり
神社に参拝する。大正8年の米沢大火で焼失したが、4年後、明治神宮や平安神宮を設計した地元出身の伊東忠太博士の設計で再建している。
17時前、社務所の人が閉所の準備をしていた。お堀には大きな鯉が口をパクパクさせて餌をねだっている。残っていたパンをちぎって落とす。側に鳩がやってきた。手の平にパンを置いて差し出すとチョコっと嘴ではさみ呑み込む。
駅に行くバスは40分に来る。時間があるので街の中心になる道を歩く。閑散としていて、歩く人は殆どいない、車か自転車が行き交っている。
17時40分前、駅について駅員に山形に行く特急に乗りたいのだがと聞く。ホームには既に山形新幹線が着いていた。急げば間に合うからと臨時入場券を渡される。階段を昇り降りして走り込む。間に合った。車掌から仙台迄の切符と特急券を買う。16、17号車が自由席になっており喫煙車の方が空いていた。座って残飯を食べ、ワインを飲む。赤湯を過ぎるとビニールハウスが麓を被っている。近くのハウスをよく見ると葡萄栽培だった。蔵王山は中腹までしか眺められない。
18時13分、山形駅着。7番線に移り、快速仙台行きの3両編成に乗り込む。
18時27分、出発。山寺駅に停まる。左手に大きな岸壁も見えた。緑深い山間を走っていく。段々と疲れが出て終点迄休む。
Nishiazumayama(2035m) border of Yamagata pref. and Fukushima pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Yonezawa-ShirabuOnsen by bus YamagataKoutu (0238-22-3392)
2.Information:Yonezawa city office(0238-22-5111)
3.Season:Jun to midNov
Records:Jul17
9:00-9:45 Take lift from ShirabuOnsen to Tengudai,Hokuboudai(1820m)
9:45-10:05 Climb to Kamoshika observatory(1940m).
10:05-11:30 Walk tree way, ridge,pass Tenguiwa(2005m) to peak.
11:35-13:00 Down to Wakametaira.
13:10-15:05 Down to ShirabuOnsen(850m) and enjoy Spa at NishiyaRyokan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1999年7月11日(日)
2.単独行
3.交通:特急名古屋―中津川¥2430 バス:中津川―川上スケートセンター¥500
快速中津川―名古屋¥1280
4.地図:国土地理院1:25000恵那駒場、中津川
昭文社:山と高原地図42木曽駒・空木岳
7時10分、特急しなの一号の自由席に乗って名古屋駅を出発。中津川に43分で着く。駅から恵那山がどーんと見えた。日曜日、好天気なのにハイカーは他にいないので、タクシーで相乗りできない。バスにする。
8時5分発のバスには他に1人、市役所清掃に行くオバサン。市役所の近くには、救世教だの世界文明某だの新興宗教の建物があった。オバサンが降りると貸切りになる。この路線は集落の人が市役所に行くのに使われるのが主だという。
8時27分、川上スケートセンター前で降り、中津川を11キロ遡っていく。川原に車を乗り入れてキャンプしている家族がいた。ハイカーが運転する車が次々と過ぎていく。右手に本流の太い響き、左手に小さな滝の音が聞こえていた。
9時40分、水場に出る。美味い。ところどころに駐車している車は、岩魚釣りに来ている人達のだった。朝3時に起きてやってきて岩魚5匹釣ってきた人が帰っていく。林道の脇には、山苺が実をつけていた。
10時35分、黒井沢登山口。2人の蝶採集家が大きな捕蝶網を持って歩いていた。つい同行して川に沿って歩いてしまう。気が付いて戻り、営林署小屋前から登山道に入る。
曇っていて歩きやすい。桧、樅、栂といった針葉樹とミズナラ、コナラといった落葉樹が混ざった林の中を登る。木々に名前が書いてあるのでわかりやすい。
11時30分、休憩小屋でアンパンを食べる。6時前から登ってきた人に会った。上は雨だという。50分後、一服。しかし蚊に追い立てられてジグザグに登る。深田久弥がこのルートで登っている。
山登り汗かき藪蚊まといつく
しばらくして野熊ノ池に出る。池は澄んでいて倒れた木が見えた。
雨が降ってきたので、スパッツを付けて歩く。更に50分後、倒木に座って休み、リュックカバーを付ける。
熊のこと忘れさせりし鳥の声
石仏を通り、笹の茂るカラマツ林を歩く。
15時、恵那山登頂。
潅木と笹に囲まれていた。避難小屋に戻って休む。
置いてあるノートに記帳。ここから富士山を見たことが書いてあった。外は本降りとなり、傘をさして降りていく。野熊ノ池も水量が増えていた。次第に雨が止み、静寂な原生林の中を黙々と歩く。ミヤマシオガマが群落していた。
17時40分、登山口に戻る。丁度、頂上で会ったハイカーが車で帰るところだったのでバス停まで乗せてもらう。岡崎の人で運送会社勤務、1人は百名山に挑戦していた。道路にも水が溢れていて、ゆっくり走る。停留所まで30分かかった。お礼を言って別れる。
18時30分発のバスでは、お婆さんと一緒。隣りの村から嫁いで50年、ここのことは知り尽くしていた。
「昔は青年団が協力して道を造成したもの。スケート場は、かって田んぼの水が凍って、そこで滑っていたところ。三菱製糖が施設を造ってくれた。出来たときにはさ、バス80台連ねてきたものさ。上空にはヘリコプターで取材していたさ。恵那山には恵那神社から三ノ宮、二ノ宮、一ノ宮と登っていったもの。かって九州からきたハイカーが雪の中で遭難、春になって`野熊の池`近くで遺体が発見されたことがあるよ。この川は土砂崩れがひどくてね、日本3大土砂災害地域に指定されているさ」
ほかに国策パルプだった製紙工場が本州製紙、王子製紙と変わっていったことや電力のこと、石原慎太郎の母親はここの救世教の信者だのと聞いている内に駅に着く。
19時22分発の快速名古屋行きに乗って帰る。隣りの人は、他の山からの帰りだった。
Enasan(2189.8m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:Nagoya-Nakatsugawa byJR
Nakatsugawa-Kawakami by Kitaenabus(0573-66-4649)
2.Information:Nakatsu city office tourist branch(0573-66-1111)
3.Season:Apr to Jun, Sep to Nov
Records:Jul 11
8:30-10:35 Walk 11km from Kawakami skate center to Kuroisawa gate(1170m).
10:45-11:30 Climb to rest hut.
11:40-15:00 Climb to peak.
15:15-17:15 Back to gate.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
南木曾岳(1676.9m)
1.1998年8月15日(土)
2.単独行
3.交通機関 名古屋―南木曾¥1620+特急自由席¥1150
おんたけ交通バス:南木曾―尾越¥500
4.地図:国土地理院1:25000南木曽岳
6時35分、名古屋駅から特急に乗って行く。
8時15分、南木曾駅で保神行きバスに乗る。
フリーターで満席だった。妻篭宿から国道256号を走り、ホテル木曽路や木工芸館を通っていく。20分で尾越に着き、歩き出す。遊歩道を歩いていると鶴が飛んでいた。
峡谷に入り、砂防ダムを通って行く。南木曾キャンプに出た。お爺さんが杖をついて降りてきた。91歳、色つやも良い。
「若い頃は良く登って、避難小屋に泊まっていた」
川沿いの林道を歩く。釣り師がいた。
橋下や釣り人二人夏の川
10時、登山道に入る。
アスナロ、桧などの高木が生い茂っている。谷を埋める大きな岩の下に大きな穴があった。「金時の洞窟」だった。急登になり、鎖場を過ぎると、見晴らしが良くなり、恵那山がうっすらと見えた。
更に登り、森に突き出たカブト岩を通っていく。
一帯は徳川尾張藩の領地として厳しく管理されていたところだ。やや緩やかな登りになった。
12時10分、登頂。潅木に囲まれていて展望はきかない。ここは昔、御岳や木曾駒ケ岳と並んで木曾三岳と言われ、修験者の山だった。南木曽大明神が祀られている。木曾義仲も若い時に登っている。別名「なきびそ岳」と言われるくらい雨が多い。
30分程、オニギリを食べたりしていたら、雨が降り出した。傘を差して降りていく。お爺さんが言っていた避難小屋があったので寄ってみる。
熊笹に半身沈めいく木曾の夏
女岩(おんないわ)の分岐点を左折、熊笹と原生林の間をひたすら降りていく。雨もやみ、一休みする。
ブナや樫、ミズナラの巨木が続き、大木が倒れてもいた。
雨の滴がポタポタと傘に落ちてくる。周囲4m、3つに枝分かれした巨木の姿は泰然としていた。
「上野原」という標識に従って降りる。お化け茸が足元に見えた。桧林になると、土は黒々としている。送電線の下を2回歩いていくと緩やかになってきた。ハクサンシャジンが咲いていた。
15時30分、林道に出る。雨もやみ、狭い舗装道路を歩く。等覚寺の門には1985年に建てた仁王像が立っている。三留野の集落がある中山道を歩く。シャボン玉をあげている子供達がいた。
16時43分に快速がやってきたが、特急通過のため7分後に出発。
Nagisodake(1676.9m) in Nagano pref.
300Famous mountains in Japan
1.Access:Train Nagoya-Nagiso by Chuouhonsen
Bus Nagiso-Ogoshi by OntakeKoutu(0264-57-2346)
2.Information:Nagiso town office(0264-57-2001)
3.Season:May to Nov
Records:Aug15
8:40-10:00 Walk from Ogoshi to gate.
10:00-12:10 Climb among forest steep slope by chain to peak and take meal.
12:40-15:30 Down to logging road.
15:30-14:20 Walk to Nagiso station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
御嶽(3067m)
1.1999年8月28日
2.単独行
3.交通手段:JR 名古屋―木曾福島¥3890 バス 木曾福島―田ノ原¥2150、中の湯―木曾福島¥1520 木曾福島―千種¥2210+特急券¥1150(木曾福島-中津川)
4.地図:国土地理院1:25000御嶽山
昭文社・山と高原地図39御嶽山
8月28日(土)
6時、起床。名古屋駅に行き、「しなの号1号」自由席を買う。10番線、5・6号車乗り口に並ぶ。
8時、乗車開始。窓側に座る。近くのオバサン達は弁当を出し、既にビールを飲みだす。耳栓をしても聞こえる。上松に着く前でトイレを使う。中はオムツを取り替えられるスペースがあった。
8時33分、木曾福島駅で降りる。隣に座っていた娘は、彼氏に迎えられて、手をつないで消えていく。バス乗り場は直ぐだった。御岳ロープウェイ案内所で田ノ原までの切符を買い、乗り込む。日差しが強いので帽子を被る。
9時、バス出発。木曾病院に停まり、木曽川を越えていく。木曾ダム貯水湖の脇を走る。更に黒沢を左折、御岳湖に沿って走り、王滝村に入る。御岳高原を登っていき、田ノ原終点に着いたのは10時30分前。武蔵国の行者、普寛によって開かれ、江戸時代から道者の登る山として道が整備されている。大きな鳥居をくぐって登りだす。
5分ほどで頂上奥社遥拝所を通過。大江権現から木の階段になる。石道になったところで金剛童子に出る。白い旗が立っていた。
昭和30年頃迄は、ここから草鞋を新しいものに履き替えて登っていた。孔雀蝶が秋薊にとまって羽根を伸ばしている。
ロープ伝いに登っていく。
11時20分、8合目を通過。岩場を登っていくと、雨合羽を着た女の子が一人、神妙に座っていた。棒が2本置いてあるので待っている様子だった。
20分過ぎに、その家族が現われた。「まだ居ないね」「もっと先よ」と言っていた。家族に伝える。9合目を過ぎると鉄分を含んだ岩になってくる。中央不動尊を過ぎると、雨がパラツキだす。
12時10分、武尊大神の祠に出る。硫黄の臭いがし、風も強くなってきた。御岳神社の礼拝所の中に入って一休みする。ハイカーが食事をとっていたので座って軽食をとる。白装束の行者が三人やってきて参拝後、お祓いを受けていた。
霧雨や御嶽行者登りつく
雨用もゴアテックスのズボンをはいて裏手から剣が峰に行く。
12時45分、御嶽山登頂。
火口は何も見えない。覚明が埋葬されている霊堂から一気に降りて黒沢口に向う。
ここは尾張の行者、覚明が開拓したルートだった。1時間後、石室山荘を通過。岩だらけの道が朽ちつつある木の階段に変わる。金剛堂、女人堂を通過。かって山頂は女人禁制で女性はここまでしか登れず、明治になって解かれた。霊神碑が林立していた。
7合目に達する。ここでケーブル行きと別れる。ハイマツからダケカンバになる。
15時30分、日野製薬出張所を通る。ここで胃腸に効く百草丸を製造していた。「中の湯」バス乗り場に着き、切符売り場の中に入ってビールを飲む。店のT夫妻がツマミに漬物と梅を持ってきてくれる。
ここでは長野製薬の百草丸を売っていた。昔、山伏が作っていたものだ。
16時10分、バスがやってきた。運転手の煙草休憩時間が終わってから出発する。百軒滝、松尾滝などを通過、霊神碑の石塔を置いている石材店があった。このバス路線は9月から休んでしまう。ついていた。
17時5分、木曾福島駅に着く。
17時12分発の特急に乗り、途中、中津川で降りて駅内で天ぷらソバを食べる。次に快速電車に乗って千種駅で降り、地下鉄に乗って栄町のホテルに帰る。
Ontake(3067m) border of Nagano pref. and Gifu pref.
100Famous mountains in Japan1. Access:From Nagano station to Kisofukushima station by JR Chuou line.
Kisofukushima-Tanohara by Outaki bus(0264-22-4287)
2. Information::Ohtaki Kankou sougou office(0264-48-2257)
3. Season:Jun to Oct
Records:Aug28
10:30-11:20 Climb from Tanohara(2200m) to 8th stage(2470m).
11:25-12:10 Climb to Outaki peak(2937m).
12:10-12:45 Climb to peak.
12:50-13:50 Down to Ishimuro lodge.
13:55-15:20 Down to 7th stage.
15:20-15:30 Down to 6th stage:Nakanoyu.
16:10-17:05 Take bus to Kisofukushima station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
伊吹山(1377m)
1.1996年10月10日
2.単独行
3.JR名古屋―近江長岡¥1090 湖国バス:近江長岡―伊吹登山口¥280
山頂駐車場―関が原¥1020 JR関が原―名古屋¥930
貸自転車(関ヶ原駅)5時間¥400 歴史民俗資料館¥200
4.地図:国土地理院1:25000関ヶ原、長浜、美束
昭文社・山と高原地図44御在所・霊仙・伊吹
10月10日(木)快晴
8時15分、地下鉄東山線に乗る。休日だと、この時間は風景が違う。バックパックを背負った中高年、スポーツウェアの人、ヒビノサッカーチームの少年達がいた。名古屋駅の6番ホームに走りこみ、大垣行きの電車に乗る。大垣に9時過ぎに着く。1番ホームで米原行きの電車を待つ。
9時17分、大垣を出発。途中、関が原から伊吹山の雄姿が見えた。
9時55分、近江長岡に着く。50人以上のハイカーが降りていた。
10時10分、ミニバスが満員の客を乗せて出る。車内は関西弁が飛び交う。大阪セメント工場への引き込み線の脇を走る。コスモスや黄色い花が道脇に咲いていた。12分で登山口(標高230m)に着く。
登山口
三ノ宮神社の境内を通り抜けて、登山道に入る。先に登っていた人がジャケットを脱いでいる間、先頭になる。1合目は標高400m。ハングライダーの基地があり、マイクで指導していた。4人家族のお父さんがいて「これは24万円する。良く事故が起きるんや」という。大きな日本犬が太い紐に繋がれて見晴らしの良い所に座り、辺りを睥睨していた。近くに立つと、近寄って股間を嗅いできた。秋の七草やコスモスが咲いているところを登っていく。
11時に一服して登る。視界が広がり、伊吹高原ホテルを過ぎる。近くに、大正3年にスキー場を開設した中山再次郎の胸像が立っていた。ゲレンデ監視所で水を飲む。花々には蝶がつきもの。シジミ蝶、モンシロ蝶が飛び、芒の原っぱでは鈴虫が鳴いていた。
頂上の方からガスが降りてきた。5合目から笹原になる。バスで一緒だった団体は、ここまでリフトを使ってきた様子。6合目(標高990m)を過ぎると、琵琶湖がハッキリ見えてきた。風を利用してハングライダーが上空を登っていく。
ハングライダー
微風が気持ち良い。ジグザグに登る。8合目(標高1220m)を過ぎると、石灰岩のゴロゴロした道になる。
奥に琵琶湖
9合目で柵に囲まれた花畑の中を歩く。石灰岩の土壌を好む植物が花を咲かせていた。植物は凡そ1300種、薬草は280種あり、国の天然記念物に指定されている。車でやってきた人の服装は街中の格好をしていた。
13時20分、伊吹山山頂。
測候所近くに三角点があり、頂上に日本武尊像がある。大正元年10月に地元の人達が建てている。日本書紀によると、山の神の毒気に当てられたことになっているが、雹に打たれて体調を崩している。冬の季節風で大雪になる所でもあった。
ここからは鈴鹿山脈が良く見える。双眼鏡で琵琶湖を眺めると舟が見えた。
鈴鹿山脈
琵琶湖方面
ビールを飲んでからバス駐車場に降りていく。300台位、車が駐車していた。
駐車場
反対側の山は紅葉の一歩手前で茶色くなっている。
14時20分、バスが出る。こちらは空席があった。上りの道では、延々と車が並んで待っている。原生林の中を走っていく。琵琶湖は日光で輝いていた。最後部に座ったので、バスを追い越せない車が続いているのが見える。関ヶ原駅で降りる。伊吹山が良く見えた。
そのままよ月もたのまし伊吹山 芭蕉
自転車を借りて歴史民俗資料館に入る。関ヶ原の戦いを解説していた。慶長5年9月15日午前8時、戦闘開始。石田光成は大垣城から移動して作戦を立てる。午後1時、小早川秀秋の寝返りで西軍が劣勢になり、午後2時、決着。数日後、石田光成は伊吹山の洞穴に隠れていたところを見つかり、10月1日、処刑される。
事前学習が終わったところで、広いバイパス道路の脇を走って決戦地跡に行く。3人が車で乗り付けていた。
関ヶ原決戦地
奈良時代からある「不破の関」に向かう。スーパーを出たところにいる人に聞くと「ついてきなさい」と言って野菜、果物を籠に入れて、ゆっくり走っていく。国道21号に出て坂を上り降りたところに資料館があった。お礼を言って別れる。しかし午後4時に閉館していた。福島正実の陣地跡である春日神社に行ってから帰る。
春日神社
駅で清掃のオバサンと話す。女性トイレがひどい。煙草の投げ捨てや生理の汚物を自宅から持ってきて捨てるのもいる。JR東海になってから、駅員も「お客様は神様」と思うように変身しているという。
17時41分、4両編成の快速浜松行きが出発。大垣駅で乗務員が交代していた。
Ibukiyama(1377m) in Shiga pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access:Kokoku bus(0749-55-4545) is available from Ouminagaoka station to Ibukitozanguchi.
2.Information:Maibara city Ibuki chousha (0749-58-1121)
3.Season:Apr to Dec
Records:Oct10
10:25-11:00 Climb from gate(230m) to Ibuki kougen hotel.
11:05-12:20 Climb to 6th stage.
12:25-13:20 Climb zigzag to peak.
14:20 Take bus to Sekigahara station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
四阿山(2333m)
1. 1999年5月12日
2. 同行者:H、M
3. ガソリン代:一人¥1200
4. 地図:国土地理院1:25000四阿山
昭文社・山と高原地図⑰志賀高原
6時、高田馬場広場に集合。関越自動車道に乗り、上信越自動車道の上田菅平ICで降り、あずまや高原ホテルに行く。
8時50分、登山口を出発。
快晴の下、牧場の柵の脇を登っていき、シャツ一枚になる。馬糞の臭いがきつい。牧場を過ぎて熊笹の中を30分以上歩き、瓦礫の坂道を登っていく。
10時35分、根子岳(2207m)登頂。
目指す山は、未だ遠くに見える。気を取り直して降りていく。
十ヶ原の鞍部から登り返して樹林帯に残る雪の中を登る。
11時40分、登頂。
若者2人が上半身裸になって食べていた。我々もマットを敷いて昼飯を食べる。北アルプスが遠くに連なり、雨飾山、妙高山が続いていた。八ヶ岳や浅間山も近くに見える。中央、南アルプスまで見えた。ここには日本武尊等の神々が祀られていた。
12時30分、根子岳に向って降りて行く。
15時10分、登山口に戻る。町営温泉「ふれあいさなだ館」に入って汗を流して帰る。
Azumayasan(2354m) border of Nagano pref. and Gunma pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Kanetsu,Jyoushietsu expressway UedaSugadairaIC→national road144,406,Azumaya kougen hotel
2.Information:Ueda city office(0268-22-4100)
Spa:Fureaisanadakan(0268-72-2500)400yen
3.Season:May to Nov
Records:May12
8:50-10:35 Walk Sugadaira ranch and climb to Nekodake(2207m).
10:40-11:40 Down and up to peak and take meal.
12:30-15:10 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
白根三山縦走②
間ノ岳(3189.3m)、農鳥岳(3025.9m)
地図:国土地理院1:25000間ノ岳、夜叉神峠、奈良田
昭文社・山と高原地図43甲斐駒・北岳
8月17日(火)
4時30分に起き、残飯とフリカケ、ニンニクと水で朝食。取りあえず間ノ岳に向かう。
5時40分、出発。霧と風の中、ゆるやかな登りを歩いて平坦な中白峰山(3055m)に達する。
7時半、間ノ岳に登頂。ここも広々としている。
視界不良、一番左手の尾根を降りていく。急登の疲れと予定変更となった失望のせいか、身体がだるく腰が重い。
山登り腰痛かかえ冷えし汗
ガレ場を時たま現われる赤丸印を頼りに黙々とガスの中を歩く。三国平への分岐点を過ぎ、ハイマツの間を通って9時前、赤い屋根の農鳥小屋につく。
小憩後、再び厳しい登りが続く。
10時10分、西農鳥岳(3051m)。更に稜線を登り降りしていく。草付きの斜面が続いていた。
10時50分、農鳥岳登頂。
ここで昼食。岩石の間に大町桂月の歌碑が建っていた。
酒のみて高根の前に吐く息はちりて下界のあめとなるらん
ハイマツの道から岩礫の広い斜面を歩く。大門沢への道標と鐘があり、鐘を突いて降りていく。
鉄製の道標に、昭和40年代の冬に遭難した時の碑文が書かれていた。ハイマツ帯の斜面、専ら根や石ころを見ながら歩く。ダケカンバの樹林帯が続く。天気も良くなり、渓流に出たところで、身体を拭いてサッパリする。
16時、大門沢小屋。テント敷地利用料を払って、テントを初めて張る。ここから鳳凰三山や富士山がかすかに見えた。
8月18日(水)
朝、テントから出ると谷間に富士山の威容が見えた。
6時30分、山の中、森林浴しながら降りていく。八丁坂は急な下りとなる。丸太橋を渡り、3回、吊橋で渓流を渡る。
途中、岩が濡れていて左足がすべり、倒れてしまう。既にコスモスの花が咲き、ススキの穂が出ている。
雨あがり岩取りつきし苔茂り
9時10分、林道に出た。早川開発株式会社の慰霊碑があり、発電所建設で亡くなった人達を弔っていた。舗装された林道が早川本流に出ると第一発電所があった。左折すれば広河原に行く。車道を歩いて奈良田に着く。「かぎや」と書いた茅葺の家があった。氏神の鍵を預かっていたという。
白旗史朗記念館に寄り、大きな写真による山岳風景を鑑賞する。
バスの出発時間を確認してから、近くの「奈良田の里温泉」に入る。奈良田では昔、孝謙天皇(女帝)が温泉治療していた。
14時5分、身延駅行きバスがやってきた。地元の年配者のために前方の席を空けておく。
15時40分、身延駅。雨の中の縦走になったが、4人無事だった。
Ainodake(3189.3m) border of Yamanashi pref. and Shizuoka pref.
100Famous mountains in Japan
Noutoridake(3025.9m) border of Yamanashi pref. and Shizuoka pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access :the same as Kitadake
2.Accommodatiom:Noutori lodge(0556-48-2533)one night two meals7000yen
Daimonsawa lodge(0556-48-2648) one night two meals7000yen
3.Information:Hayakawa town office(0556-45-2511)
4.Season:Jul to midOct
Records:Aug17
5:40-7:20 Climb from Kitadake lodge(3000m)to Ainodake.
7:30-8:50 Down and walk ridge Noutori lodge.
9:00-10:10 Walk and climb to NishiNoutoridake(3051m).
10:10-11:50 Down and climb to Noutoridake.
12:00-16:00 Down to Daimonsawa lodge(1710m) and stay in tent.
Aug18
6:30-9:10 Down and cross suspension bridge three times to logging road.
9:20-11:40 Walk to Narata(around800m) and visit Photographer Shirai Memorial Museum and take spa.
14:05-15:40 Take bus to Minobu station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
白根三山縦走①
北岳・間ノ岳・農鳥岳
1.1999年8月15~18日
2.同行者:H、M兄弟
3.交通機関:JR新宿―甲府 バス:甲府―大樺沢出会¥1910
4.宿泊:白根御池小屋 素泊まり¥3300 北岳山荘 素泊まり¥3500
大門沢小屋 テント¥400
8月15日(日)
6時前、起床。ポットにお湯を入れるとザックは20kg越えていた。
7時5分、新宿駅6番線で待つ。「あずさ1号は満席、自由席も錦糸町で満席となりました」とアナウンスがある。28分、4号車に乗り込んで3人と会う。八王子から雨が降り出す。17分遅れで甲府に着く。トイレに行ってから昼食用弁当とお茶を買っておく。
10時5分、広河原行きの山梨交通バスが出る。車内で料金を払う。1時間程、アイマスクを使って休み、鳳凰三山への登山口で目を覚ます。未だ雨が降っていた。
12時5分、広河原。トイレに行き、食事をとってから出発。雨が降りだす。登山道が川になっていたりして、瓦礫の端を歩いていく。日曜日のせいか、降りてくるハイカーが多い。分岐を右にとり、若い2人連れと抜きつ抜かれつしながら樹林帯の中を登っていく。
15時40分、ホースから出てくる水が美味かった。
16時、村営の白根御池小屋(2236m)に着く。外で自炊開始、カレーライスを食べる。雨が降り出したのでテントは止めて素泊まりにする。今年5月の雪崩で崩壊、今は仮小屋なので乾燥室がなかった。
夏の雨テントしまひて小屋泊まる
北岳(3192.4m)
地図:国土地理院1:25000仙丈ヶ岳、鳳凰山、間ノ岳
昭文社・山と高原地図43甲斐駒・北岳
8月16日(月)
目を覚ましたら、未だ午前0時30分。もう一休みする。3時、小屋を出ていく人がいた。4時、起床。5時30分、出発。
薊が咲く山腹を登っていく。久しぶりに晴れたせいか、蝶が飛び回っている。白根御池の原っぱにはテントが5つ張ってあった。
草滑りルートは急登だった。水蒸気が山頂に向かっていく。シーハー、息を吐き、ハヒフヘホと喘ぎながら登る。海底であったところが隆起して出来た山にしてはきつい。ミヤマキンポウゲが咲いていた。
標高差500mを3時間かけて登り、更に30分かけて「肩の小屋」につく。
ここで料理を作って食べる。水1ℓ100円だった。
10時過ぎ、霧の中、急俊な岩場を登る。
10時50分、北岳登頂。東京から来た若いカップルと写真を撮りあう。
11時20分、歩き出して直ぐ大粒の雨が降りだす。岩礫の斜面を降りると吊尾根分岐点に出る。左手は池山吊尾根、南斜面はキタダケソウの花が咲く所だが、何も見えない。岩のペンキ印を頼りに歩く。
12時15分、北岳山荘。今日も小屋に泊まる。雨で濡れたものを乾燥室に入れ、時間つぶしに酒を飲む。17時過ぎ、ようやく排便。ラジオによる天気予報では天候が回復しないので、明日、間ノ岳から塩見岳に向かう距離が長いので農鳥岳に向かうことにする。一畳分使って寝られた。深田久弥が「日本百名山」で北岳を「謙虚」で「高い気品を備え」「凛とした気概をもって立つ」と書いていたが、眺めることが出来た場合のみであることが良くわかった。
Kitadake(3192.4m) in Yamanashi pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Shinjyuku-Koufu byJR Koufu station-Ohkanbanosawa by Yamanashi koutu bus(055-223-0811)
2.Accommodation:Shiraneoike lodge( 090-3201-7683)one night two meals7800yen
Hirokawara lodge(090-2677-0828) one night two meals7700yen
KitadakeKatanokoya(090-4606-0068)one night two meals7500yen
Kidadake lodge(090-0529-4947) one night two meals7900yen
3.Information:MinamiAlps city office (055-284-1111)
4.Season:Jul to midOct
Aug15
13:00-16:00 Climb from Hirokawara(1500m) to ShiraneOike lodge(2236m).
Aug16
5:30-9:00 Climb to Katanokoya( 3010m).
9:10-10:50 Climb to peak.
11:00-12:15 Down to Kitadake lodge(3000m) and stay.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
南アルプス2名山の旅②
駒ヶ岳(2965.6m)
地図:国土地理院1:25000甲斐駒ケ岳、仙丈ヶ岳
昭文社・山と高原地図43甲斐駒・北岳
7月19日(日)
5時にテント場を出る。
沢に沿ってシラビソ林の中を登っていく。左手に堰堤が続いていた。途中、仙水小屋の脇を通り、岩礫の上を歩く。
6時、仙水峠に出た。岩に座って休憩。原口国秋君の碑があった。
右手に魔利支天を見ながら登っていく。再び樹林帯に入り、一気に高度を稼ぐ。息が荒くなる。ハイマツ帯になって更に登っていくと駒津峰に出る。
今度は狭い岩尾根を降り、登り返す。
六方石の下から左手の急登のルートをとる。
少し登っては息を整えていくが、ハーハーしてきつい。ヘルニアにかかって余命いくばくもない犬のようだった。岩また岩そして白ザレの急登が続く。
9時50分、駒ヶ岳頂上に辿りつく。石の祠の前に立ち、三角点を触る。
下りは魔利支天に向って降りていく。Hは先に進み、魔利支天に行こうとしたが、時間がかかるので直ぐ戻ってくる。
六方石までは、団体がやってきて道がふさがれてしまう。駒津峰に戻ってから、ハイマツ帯を降りて双児山を登る。
11時45分、双児北峰登頂。
ここで昼食にする。ガスっていて視界不良だった。更に南峰を登り返してから降りていく。ザックも軽くなり、ホイホイ降りて13時前に北沢峠に出る。ハイカーがミニバスに乗るため列をつくっていた。長衛小屋近くの岩肌に竹沢長衛の胸像レリーフがある。南アルプス北部の登山道を整備した人に挨拶する。
テントに戻って、荷造りをする。隣りには学生パーティのテントが5つ、奥に大テントが張ってあった。
14時、出発。バス停留所で20分待ってピストン輸送のバスに乗る。途中、無線を使って対向してくるバスと連絡しながら一車線の道を交差する。広河原の駐車場は車で一杯だった。広河原ロッジに泊まる。204号室に入って、まずビールを飲む。風呂場は狭く6人入って一杯になる。身体を洗うだけで出る。
18時、食堂で夕食。山菜を固形燃料で温めて食べながら熱燗を飲む。部屋のテレビは衛生放送しか受信しなかった。布団を敷いて寝る。
7月20日(月)
6時、起床。既に泊まり客の大半は山に向っていた。
7時30分、朝食に出てきた15人は帰るところだった。
8時20分、車で出発。長いトンネルの途中には車が交差できるスペースがあった。国道20号線に入る手前の川沿いは公園になっていて、武田信玄時代の遺跡が残っていた。中央高速に入ってからは時速100キロで走っていく。
11時30分、新宿駅南口で降りて、別れる。
Kaikomagatake(2965.6m) border of Yamanashi pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan1.Access,Accommodation,Information,Season:the same as Senjyougatake
Records:Jul19
5:00-6:00 Climb to Sensui lodge,conglomerate,Sensui pass(2264m).
6:05-7:50 Climb to Komatsumine(2752m).
8:00-9:50 Down and climb steep slope to peak.
10:10-11:45 Down to Futagoyama(2649m) and take meal.
12:20-12:55 Back to tent.