グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
北信州3山の山旅②
苗場山(2145m)
地図:国土地理院1:25000苗場山
昭文社・山と高原地図⑯谷川岳
8月26日(木)晴
4時45分、起床。エンジンかけて外気温をチェックすると13度だった。朝飯を食べ仕度してから登山口の近くに駐車。
6時5分、3合目から登る。
杉の大木の根に注意しながら行く。標識には30分で4合目とあり、4合目に着くと5合目まで20分とあった。5分ほど早く着いて休む。4合目の先の下に水場があり、喉を潤す。6合目まで25分、7合目まで15分と続く。湿気が多いせいか羊歯や白い茸、苔が生えていた。山腹を巻くように登っていく。7合目から鎖が幾つか用意されていた。8合目になると一気に登る。笹が多くなる。
8時20分、9合目の坪場。視界が開け木道を歩く。冷風が吹いて疲れも吹っ飛ぶ。
開山人、松井半四郎の碑が頂上の見える所に立つ。池塘の近くに小さな花が僅か残っていた。
木道を過ぎ、樹林の中、ごろごろ置かれた岩を通っていく。「鳥獣保護地域」の看板があり、狩猟者は1年以下の懲役又は30万円以下の罰金と書いてある。再び木道を歩く。右手に鳥甲山の赤茶けた山肌が見えた。
赤倉山からの道と合流して左折、レリーフの先に苗場山自然交流センターがあった。岩の上に役行者と書かれている。
人の気配がない。木道を歩いて直ぐ、遊仙閣の隣りに標識が立つ。幕末の越後商人鈴木牧之が「北越雪譜」に書いていた小屋はどこだろうか。
9時、頂上に着いた感覚がない。ストックをかけて写真に撮る。
遊仙閣の先に出ると、できたての雲が迫ってきたので戻る。
墓のような石に大山祇命とか天照大神と彫られていた。岩のある樹林で4名のパーティに出会う。同じコースだった。木道で夫婦がやって来たので、和山温泉口との分岐標識で写真を撮ってもらう。
坪場でリンゴ、バナナ、オニギリを食べる。
下りでは夫婦や4人組、単独行に会う。単独者に「コンニチハ」と声をかけても頭を下げるだけ。既に頭上が明るいのに人は暗かった。花や茸を撮りながら降りる。
11時15分、5合目で一服。ゴゼンタチバナの実が残っていた。
45分後、登山口に戻ると車が7台駐車していた。靴やストックを洗ってから出発。小赤沢に出て、昨日寄った店で山菜ソバを食べる。オバサンはここの生まれで中学生の時から苗場に登っていた。息子が栄村の役場に勤めている。冬は津南で過ごす。漬物をサービスしてくれた。携帯電話が使えたので、民宿かじか荘に連絡したら断られ、秀清館はOK。場所は川沿いにあった。2階の眺めの良い部屋に案内される。真下の池には鯉がいて、スイカが冷やされていた。
早速、展望風呂に入って2日分の汗を流し、髭を剃り、衣類を洗う。透明だが硫黄の臭いがする。平家落人のいにしえを想いながら湯に浸かる。さっぱりしたところで、サンダルを借りて鳥甲山登山口を確認しに行く。中津川では釣師3人が別々に立っていた。俳句の本を読みながら坂を歩いていると、サイクリスト2人に会う。隣りに駐車していたプラドがやって来た。さっき風呂場にいた2人がいる。これから切明温泉に向かう。
お墓は山田家が多い。民俗資料館に寄ったが誰もいない。電話の音が鳴り放しだった。集落の道から99年版「志賀高原・草津」地図を見ながら歩いていく。前方で木々が揺れていた。秋山林道に出る。右手にトンネルがあり、左手に赤い線が続く。丁度、車がやって来てハイカーの格好をしていたので聞いてみる。昔、ここに住んでいる人だった。地図の赤い線を見たが登山口らしい案内は見なかったと言う。お礼を言って別れる。さっき木を揺らしていたのは猿。丸々と太っていた。道には下りて来ない。
地図を見ながら歩いたが「山の神」も「入山ポスト」もない。「鳥甲山近道」と書いた看板があった。
脇に獣道のようなのがあったが、人が通った跡がない。更に歩いてみたが、地主による立入禁止看板や東京電力の水路立入禁止看板があるだけだった。諦めて戻る。民俗資料館の近くで2人のお婆さんが話していた。ダメモトで聞いて見る。「トンネルを越えた所にある」と教えてくれた。地図が古かった。1人は資料館の山田さん。主人は友人が倒れたので救急車について行ったので不在だった。ここの集落には山田姓は半分以上いるという。
16時20分、館に戻り、未だ新しい足湯に入る。熱すぎた。
露天風呂に足を浸けて本を読む。同宿者が散歩していた。1時間後、もう一度風呂に入る。
18時、食堂に行く。1人分用意されたテーブルにつく。ビールを飲んでいたら、向かい側の6人の内の1人から聞かれる。「登山口わかりましたか」さっき尋ねた人だった。地図が間違えていたことを伝える。40数年前、23歳から2年、東電の保守管理の仕事で住んでいた。他に何もすることがないので、鳥甲や佐分流の山々に取り付いた。当時、道らしい道はどこもない。ここの主人関谷さんとは当時からの馴染み。同行者は会社の同僚、2年先輩は野反池(当時は湖と言わなかった)を囲む山を登っていた。尾根を歩く時は曲がった木の下を通るようにしていたという。
料理は山菜とヤマメ料理、馬肉サシミ、テンプラ等あり、久しぶりに満腹になる。窓に雨があたって来た。先に失礼して午後7時のニュースの後の天気予報を観る。明日の長野、新潟地方は晴マーク。雨も上がり、蛍光灯にトンボがいた。捕まえて外に出す。明日は行けるところまで行くことにする。
Naebasan(2145m) border of Nagano Pref. and Niigata Pref.
100Famous mountains in Japan.1.Access:Car is essential. Kanetsu expressway ShiosawaIshizuchiIC→Pref road28,National road17,353,117,405,turn left to logging road at Koakazawa until starting point.
2.Accomodation:Naeba-so(025-767-2136)one night two meals 6500yen
3.Season:Jun to Oct
Records:Aug26 Koakazawa route
6:05-6:50 From 3rd stage(1300m), climb and take water at 4th stage and to 5th stage.
6:55-7:35 climb to 7th stage.
7:40-8:20 climb using chain and among low striped bamboo to Tsuboba.
8:25-9:00 walk to summit.
9:15-11:15 back to 5th stage.
11:20-12:00 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
北部信州3山の旅①
雨飾山、苗場山、鳥甲山
1.2004年8月24~27日
2.単独行
3.自家用車 773キロ 中央自動車道:八王子―甲府昭和¥2400
北陸自動車道:糸魚川―上越¥1000
関越自動車道:渋川―練馬¥3000
4.屋敷温泉・秀清館¥10500
雨飾山(1963m)
地図:国土地理院1:25000雨飾山
昭文社・山と高原地図⑱妙高・戸隠・雨飾
8月24日
21時、家を出て中央高速道路を走行。空いていた。
22時40分、甲府昭和ICで降り、国道20号を走る。高速道路のサービスステーションは午後8時には自動販売機しか使えないが、国道だと終夜営業のコンビニがあり、道の駅でトイレが使える。トラックが走っていないと時速80キロ出せたが、平均60キロで走る。上諏訪駅の前を午前零時に通過。
8月25日(月)
峠を登って降り、塩尻で国道19号を右折。ローソンでオニギリ等を調達。レジにいた女性は店長だった。7年で店長になっている。白馬への道を確認しておく。国道147号、大町で148号を走行。深夜だが、オリンピック実況中継をやっていて飽きない。
2時、「白馬道の駅」で駐車。休憩。
4時に起きてトイレに行き、カーナビに従って走行。トンネルを過ぎて直ぐ、小谷温泉方面の道を右折、次第に高度を上げていく。
5時、雨飾高原キャンプ場。キャンプカーの隣りに駐車して車内でお湯を沸かして朝食。その間に車がやって来てオッサンが登っていく。タクシーで4人のハイカーがやって来た。
5時50分、中年夫妻と歩き出す。滋賀県からで山田旅館に泊まり、この後、妙高山に向かう。木道を過ぎ、急な登りに入る。その内、差がついて見えなくなる。ブナ林の根っこに気をつけながらジグザグに登る。40分後、一息入れる。その後、下りになる。突然、雨飾山の鋭鋒が現れた。百名山に相応しい。
7時10分、荒菅沢に出る。水をかぶり、口に入れる。美味い。150m降りた分登り返し、更に高度を上げて行く。
尾根に出て、ロープや梯子を使って登って行く。
左手に布団菱の崖が見えた。ひたすら前に足を運ぶ。一時、小雨がぱらついた。
高度1890mまで登ったところでクマ笹の原っぱに出る。
8時40分、梶山への分岐点。大きな標識が立つ。
休むことなく頂上に向かう。笹の間の道を登っていくと花畑に出る。ウスユキソウやハクサンフウロが咲いていた。岩に幼虫が動いている。
リンドウ等が咲いている。
岩場を登っていくと、祠と石仏4体が並んでいる北峰に出た。
9時、南峰に登頂。晴れていれば日本海が見えるそうだが、ガスがかかっている。2人がインスタントラーメンを食べながら話しこんでいた。しばらくして滋賀夫妻がやって来る。
写真を撮りあったが、雨が降り出す。レインウェアを着て傘を差してからオニギリを食べる。夫妻はマットを敷いていたが、食べるのを諦めて先に降りて行く。続々とハイカーがやって来た。本降りになり、足元に気をつけながら降りる。ラプラドール犬を連れて登ってくる人がいた。
9時50分、「ふりかえれば荒菅沢」と書いた板があった。
荒菅沢で滋賀夫妻と年の離れた夫妻に会い、先に行く。雨も止んだ。
12時30分、キャンプ場に戻る。靴とズボン、シャツを履き替え、濡れたものを洗い、マットに置いて乾かす。滋賀夫妻も帰り、隣りの車にやって来た。休憩舎の中には若夫婦がガスを用意していた。一緒にラーメンを食べる。主人は若い時から登山をやっており千葉から前夜に来ていた。ラプラドールを連れていた人はキャンプカーの人だった。食後、洗い物を車に入れて仕度する。
14時前、ナビをセットして出発。国道148号を北上。糸魚川ICから北陸自動車道を走行。ここは片道2車線でトンネルが続く。上越ICで降り、国道18、8、253号と走って行く。一向に秋山郷に繋がる405号の方に案内しない。途中、スーパーに寄って果物、パン等を買う。儀明峠トンネルを通過、国道353号に合流、松之山温泉でようやく405号に入る。津南町から中津川を遡って秋山郷に向かう。
18時、小赤沢で営業中の看板を出した店で食事をしようとしたら、オバサンが「おしまい」という。登山口への道を確認して薄暗くなった道を登って行く。後ろから軽自動が迫ってきた。先に行ってもらう。道路工事のところで止まっていた。工事人夫の車のロックはずしにやって来ていた。大きな広場の先に登山口があり、入山記録を書いておく。トイレのある方に戻って駐車。電池式ライトを点けながら、お湯を沸かして味噌汁に昨日のオニギリを入れて食べる。NHKテレビは8チャネルだった。
一寝入りして、トイレに行く。星空で南十字星が見えていた。
Amakazariyama(1963m) border of Niigata Pref. and Nagano Pref.
100 Famous mountain in Japan
1.Access:Car is better.Chuo and Nagano expressway ToyoshinaIC→national road147, 148,Otani onsen guchi,pref.114,Amakazari-so
2.Accommodation:Amakazari-so(0261-85-1607) one night two meals¥9550
3.Information:Otani village tourist section (0261-82-2001)
4.Season:Jun to Oct
Records:Aug25
Otani onsen route
5:50-7:10 From Amakazari kogen camp site(1127m), walk tree way and climb among beech woods to Arasugesawa(1448m).
7:20-8:40 down 150m and climb to ridge and bamboo field(1894m).
8:40-9:00 climb to north and south peak.
9:10-12:30 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2004年8月9~11日
2.単独行
3.自家用車 走行距離:314km
高速料金:練馬―高崎¥2600 館林―浦和¥1350
4.庚申山荘¥2000 かじか荘入浴料¥600
5.施設:富弘美術館¥300
8月9日(月)曇のち雨
5時30分、出発。一般道路を走って30分、関越自動車道に入る。順調だったので途中、上里SAで30分休憩。高崎ICで降り、県道27、40号から小島田町で国道50号を走り、西久保で県道73号、大間々で国道122号に出た後は渡良瀬川を遡っていく。
9時、富弘美術館の看板があったので駐車したが、人気がない。その先に移っていた。星野富弘氏の文章が中学国語教科書に載っていた。初めてサインペンを口にくわえて書いた文字が壁に書いてあり、詩画が展示されていた。薊と朝顔の描写が良い。「ひまわりの中から甲子園の歓声が聞こえる」ビデオを見てから庭に出る。草木湖の上に、10年前に皇太子夫妻が行啓された時の記念碑が立っていた。
花壇には作品に描かれた花が多く、ひまわりも咲いていた。一応、庚申山荘管轄の足利役場に電話しておく。管理人はいないと言う。
10時30分、出発。切幹で左折、県道293号を走行。時折、狭くなる。銀山平公園に寄ってみたが、店には誰もいない。町営国民宿舎「かじか荘」に駐車。レストランで生ビールにモツ定食をとって力をつける。スタッフに聞いた通り、上の広場に駐車。
12時、通行止めゲートの脇から舗装道路を歩いて行く。水場にいたハイカーに聞くと、午後から雷雨になるというので庚申山を登って帰ってきた。曇ってきたので歩きやすい。天狗の投石は、そこだけ瓦礫が積み重なっていて不思議な光景だった。
12時55分、一の鳥居に出る。赤い鳥居の真ん中に猿田彦神社と書いてあった。
水場で一息入れてから登り出す。参拝道のせいか道や橋が良く整備されている。40分後、鏡岩で休む。後からやって来たオッサンは66歳、桐生からきてここから戻る。雷の音が遠くからするので、ザックカバーを付けて歩く。直ぐ降り出した。登山道は川になってしまう。脇道をとったら、カップルが降りてきた。彼等も庚申山だけだった。スパッツを持ってこなかったので靴の中が濡れてしまう。昭和21年に焼失した猿田彦神社の跡を左に分けて行く。
14時30分、庚申山荘。階段を登ってドアを開け、声をかけたが誰もいない。
2千円を料金箱に入れ記帳する。8月になって6人目だった。一通り濡れたものを洗って乾す。炊事場の水の2つは泥水、1つはきれいだった。一度雨が止んだが、直ぐ降り出す。山荘は2階建て、1階の畳部屋に荷物を運ぶ。80人は収容できる。大きなテーブルと椅子が8つあるコーナーの壁には、名前を書いた庚申講の奉納板がかけてある。昭和28年から平成4年まであった。炊事場でカレーライスを作り、海草サラダと一緒に食べる。窓を開けても虫は入って来ない。小川の音が聞こえるだけ。部屋で動いているのは、掛け時計の針と出しっぱなしの水だけだった。
19時、横になったが、2時間後、起きてしまう。雷雨が続いていた。携帯ラジオで天気予報をチェック。明日も山岳方面に雷雨が発生するという。雷が光ると雑音が入る。明日が気になって良く寝られない。24時前になっても雷の音は聞こえないが光っていた。明日は行けるところまで行くことにする。
8月10日(火)曇のち雨 庚申山、皇海山
2時過ぎ、小用をもよおし、外に出る。三日月の夜空にW型のカシオペア座、柄杓の小熊座が見えた。これなら行ける。布団に入ったが、ウトウトするだけだった。
3時30分、お湯を沸かしてポットに入れ、焼きオニギリを食べ、未だ乾いていないズボンとTシャツを乾したままにし、コッフエルやガスを袋に入れて、レインウェアのズボンをはいて出る。林の中は薄暗かったが、どんどん明るくなってヘッドランプは要らなかった。
登りだして直ぐ滝に出会う。朝シャンのように飛沫を受けながら通る。南総里見八犬伝に出てくる「胎内くぐり」の大岩の間を抜けていくと、お山巡りへの道に繋がっていた。一歩一歩、岩場を登っていく。
5時50分、庚申山に登頂。
約1200年前、勝道上人が開山し、猿田彦命を祀ったところだ。視界は利かない。その先に展望台があり、行って見ると皇海山が近くに見え、日光白根山や男体山まで見えた。
目標がはっきりし、尾根を歩く。御岳山からは笹ヤブを漕いで行く。木の根や石でつまずかないようにストックを使い、足元を見ながら歩く。茸が結構生えていた。
6時40分、駒掛山。
再びヤブ漕ぎ、今度は身の丈あった。ルートを間違えないように慎重に進む。渓雲山、地蔵岳と続き、大きく下降して登り返す。
7時30分、薬師岳。山場に備え、パンを食べ、コーヒーを飲む。石楠花や樅の木が多くなっていた。
ストックをしまい、鎖とロープ、梯子を使って降りて登る。
8時25分、熊野岳。15分後、左側から剣ノ山に出る。
いよいよ鋸山が目の前に現れ、鎖を使って降り、岸壁の左手から取り付く。
冷や汗をかいているので、風がくると気持ちいい。
8時55分、鋸山。雲が少しずつ皇海山を通って行く。
下りもロープが幾つかあり、思ったより時間がかかった。40分後、不動沢のコルに出る。登ってきた鋭鋒が見えた。
気合を入れ直して皇海山に向かう。皇海橋から登って来たハイカーが7人別々に降りて来る。登山口で車内泊していた。
10時30分、皇海山登頂。写真を撮った後、靴下を乾かし、大きなオニギリを食べる。
1人登って来た。宇都宮の人で庚申山には今月1日に登っており、今回は林道を通って来た。三脚を持って撮影場所を探すが、視界は良くない。ゆっくり出来ないので別れる。一気に降りて登り返す。ロープを使って登っていると鶯が近くで鳴いていた。
12時40分、鋸山に戻る。下からどんどん雲が上がって来た。雷が出る前に降りた方がいい。20分後、雨が降り出した。レインウェア、ザックカバーで武装して降りて行く。笹が刈り取ってあり、通りやすい。走るように降りていく。
13時30分、六林斑峠に出る。小降りになり、山の中腹をくねくねと歩く。単調なので沢を渡る回数を数える。4回目の渡渉で左足を滑らせドボン。靴下を絞って履き直す。雨も上がりレインウェアを脱ぐ。5回目の沢は、丸太棒三本並んでいた。ロープが横に張ってあり無事通過。ブナ林から雑木林になり、ダケカンバが交じっていた。11回目の沢では、直ぐ上に大きな岩が今にも崩れてくる。頭に木が生えていてどこかユーモラスだった。15回、沢を超えて、ようやく「天下の見晴」への分岐を通る。
16時30分、山荘に戻る。誰もいなかった。このまま帰るのも惜しくなり、泊まることにする。レインウェアや靴下を洗っていたら、ドアが開く音がする。2人に近づくと「管理人さんですか」と聞かれる。「いいえ」「良かった」
無銭宿泊者だった。1人は上尾のオッサン。足尾電鉄に乗り最寄りの駅からタクシーでやって来た。もう1人は京都。車で通行止めの手前で駐車。2人でやって来た。京都人は30歳からはじめて20年、百名山は70を超えている。昨日から6日間休みで、次は女峰山を登る。一段落したところでコースの注意点、感想を伝える。
17時30分、夕食準備。味噌汁にオニギリの残りを入れて炊き込む。上尾氏は火を使わず、缶詰めとパック入り酒。缶ビールを一口いただく。無料講習を受けるのが趣味で、沢や岩や雪山のレッスンを受けている。今回も20mのロープを持ってきていた。還暦前で髪の毛は少ない。管理人の仕事を3人で交代してやっている。話は登山から関東人と関西人の違いになる。関西では整列乗車はしないし、他人のすることに口出ししないが陰で言うらしい。
19時30分、一部屋一緒に寝る。上尾氏はイビキをかきだす。耳栓をして寝る。
8月11日(水)
4時30分、ガサコソと音がして目覚める。トイレに行っておく。2人は5時20分に出て行く。上尾氏は枝2本持っていた。散歩がてら「天下の見晴」に行こうとしたが、靴が乾いていなかった。お粥にお茶で朝飯を済ませ、朝日を浴びながら階段に座って池内紀「一人旅は楽し」を読む。共感することが多い。トンボが手すりに並んで日向ぼっこしていた。
7時、靴も乾いたので水だけ持って出る。20分で「天下の見晴」に着いてしまう。最後に新しい鎖を使って登る。
庚申山の絶壁、鋸山から袈裟丸山に続く尾根、小法師岳、原野が鬱蒼としていた。
尾根下から既に雲が湧き上がっている。岩には2mはある蛇が日向ぼっこしていた。山の神様に出会った。
山荘に戻り、排便してから出発。仁王門や夫婦蛙岩を通る。
往きの風景とは異なり、鏡岩の手前まで川の水は流れていなかった。隠居組の男1女4のパーティや夫婦に出会う。庚申山を目指していた。
庚申七滝に寄り、一つを見ておく。
一の鳥居からストックをしまい、「一人旅」を読みながら歩く。車は来ないし時間はたっぷり。しかし一昨日の豪雨で2ヶ所、土砂が道をふさいでいた。日差しを浴びながら読んでいると、トンボがページに止まる。
10時30分、広場に戻る。靴とズボンを履き替えてから「かじか荘」に行く。入浴代払って風呂に入る。全身を洗い、歯を磨き、髭を剃ってから内湯そして露天風呂に入る。虻が来るので蝿叩きが置いてあった。とまったところを叩いたが、いずれも失敗。下半身を浸かりながら本を読み終える。レストランで天ぷら定食にジョッキビール。食後、休憩室で一休みする。
12時40分、隣りの話し声で目を覚ます。お茶を飲んでから出る。国道122号に出て、富弘美術館の近くのドライブインで水沼特産のうどんを買う。県道78号から国道50号、354号に出て館林ICから東北自動車道を走行。浦和料金所から再び国道122号を走って帰る。
17時過ぎ、家に着いてシャワーを浴びて出たら、家内に背中の3ヶ所が赤くなっているといわれる。虻に刺されていた。
Sukaisan(2144m) border of Tochigi Pref. and Gunma pref.
100Famous mountains in Japan
Mt.Koshinzan route
1.Access:Car is better. Kanetsu expressway TakasakiJCT→Kitakanto expreeway OotakiryuIC,National road122(Omama),Pref road293, Kajika-so at Ginzandaira
2.Accomodation:Koshinsanso(Kajika-so0288-93-3420)no meal 2000yen
3.Information:Kajika-so risky in rain weather
4.Season:Jun to Oct
Records:Aug9
12:00-12:55 walk from gate to No1 gate (Torii)of shrine.
13:05-13:45 climb to Kagamiiwa.
13:55-14:30 climb to Koshin lodge and register note,pay 2000yen.
Aug10
4:50-5:50 walk looking waterfall,through big rocks and climb to Mt.Koshinzan(1892m).
5:55-6:40 down and up over ridges to Mt.Kurakakeyama.
6:45-7:30 down and up Mt.Ukigumoyama,Mt.Jizodake,Mt.Yakushidake.
7:40-8:55 down and up to Mt.Kumanodake,Mt.Nokogiriyama (1998m)using chain,rope,ladder .
9:00-9:40 down to Fudosawa col.
9:45-10:30 climb to Mt.Sukaisan.
11:00-12:40 back to Mt.Nokogiriyama.
12:45-13:30 down to Rokurinpan pass.
13:30-16:30 walk and cross valley river 15 times to Koshin lodge.
Aug 11
7:00-7:40 viewing at Tenka no Miharashi(observatory).
8:00-10:30 back to starting point. You can enjoy spa at Kajika-so(600yen).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2004年9月14~16日
2.同行者:会社OB3人
3.交通費:高速料+ガソリン代1人¥6000 バス&ロープウェー:駒ヶ根―千畳敷¥1980
タクシー:三本木地蔵―駒ヶ根1人分¥700
4.宿泊ほか:宝剣山荘1泊2食+弁当¥9000
木曽殿山荘1拍2食+弁当¥8500
こまくさ湯¥500
9月14日(火)
5時58分、新宿駅南口着。改札口に出るとHが待っていた。M車に乗り込む。首都高速から中央自動車道を走る。料金所のESCコーナーではスピードを落して通過。便利だ。駒ヶ根ICで降り、菅の台バス停脇の駐車場に入る。一日400円。千畳敷までのバスとロープウェーの通し切符も買う。
8時42分過ぎ、バスに20人位乗り込む。車内放送を聞きながら窓を眺める。太田切川を遡り、中電取入れ口を過ぎると中御所渓谷をジグザグに登って行く。しらび平には観光バスが駐車していた。Hはバス酔いで気持ち悪くなる。
9時20分、20分置きに出ているロープウェーは団体客と一緒になり一杯。急角度に登って行く。黄葉した木が所々にあり、細い滝があった。千畳敷は雨。レインウェアを着てスパッツを装着してから雨が止むのを待つ。オニギリを食べる。一個250円。ここにはホテルがあった。店には簡易カッパやリュックカバーを売っている。
10時過ぎ、小降りになったところで出発。冬に来たことがあるHが先行したが、剣ケ池に向かっていた。戻って駒ケ岳神社にお参りしてから八丁坂を登って行く。サンダルでも登れそうに整備されていた。雨もあがり、傘をたたむ。Hが遅いのでゆっくり登る。乗越浄土に出て左手に行くと直ぐに宝剣山荘に出る。
11時10分、山荘にチェックイン。しばらく待ってから2階の部屋5番に入る。
12時、リュックを置いて出かける。巻き道は危険ということで中岳まで登って降り、頂上山荘の脇を通っていく。
12時46分、木曽駒ケ岳登頂。視界が悪く風が冷たい。
追い抜いた夫婦もやって来た。荻窪の人で駒ヶ根に泊まり、この後は帰る。コマウスユキソウが枯れかけていた。
13時35分、山荘に戻る。敷き布団と毛布に羽根布団が5セット用意されていた。4つ敷いて休む。
16時、トイレに行く。自然浄化式で清潔。夕食まで階下で飲む。やがて視界が良くなり、宝剣山や伊那前岳が見えてきた。
17時30分、指定席に座って食べる。日持ちのするものばかりだった。35、6人いる。ご飯は少なめだったのでお代わりする。スタッフは若手ばかり。食後、日没を見に行く。宝剣山が夕陽を浴びていた。
雲海に太陽が沈んでいく。その上を2本のジェット雲が白く出来ていた。フリースでは寒い。
19時のNHKニュースを観る。ストーブに張り付いているのは単独者やゴム靴にランニング姿の精悍な白髪男、グループハイカー達。今時、若いハイカーは居ない。弁当をピックアップ、トイレに行ってから寝る。
9月15日(水)
5時、外は快晴。トイレの後、外に出る。霜が降りていた。
浅間山の噴煙が西から東に流れていた。蓼科山、八ヶ岳、甲斐駒から続く南アルプス、真ん中の左に富士が見える。既に宝剣山に向かうハイカーがいた。木曽駒に向かう道にカメラマンが待機していた。急いで向かう。
5時25分、日の出は伊那前岳の左手から現れる。
南アルプスから出るところには間に合わなかった。山荘の裏手には「彦傯霊神」「具績霊神」と書いた石碑が並んでいた。予定より15分遅れて朝食が始まる。昨晩よりテーブル2つ分少ない。食後、ふんばって排便しておく。
6時35分、出発。トップをとって登る。岩場になると、丁度いいところに鎖があった。振り向けば御嶽さんの全貌が見えた。
20分で登頂。岩場で絶景を楽しむ。ベテラン2人がやって来た。これから三ノ沢岳に向かうと言う。10分後、岩場を慎重に降りて行く。見通しがきくので鎖を使いながらスンナリ降りられた。南アルプスの峰々が雲海の上に連なる。
三ノ沢岳への分岐、千畳敷へ分岐する極楽平を過ぎ、登り返す。年配のハイカーが降りて来た。膝を痛め、戻って来た。
8時過ぎ、濁沢大峰。岩とハイマツの危険箇所をゆっくり通過。Mが雉打ちのためハイマツ林に入る。Hも未だ調子が良くない。私にピッタリついてくるTは大丈夫。キベリタテハが日を浴びていた。
11時、檜尾岳。標高2728m。ここでオニギリ弁当を食べる。
真下に避難小屋があり、登山道が尾根伝いに見えた。食べている間にハイカーが結構やって来た。30分後、出発。日差しを受けながら幾つかの山を巻いたり、頂上を越しながら進む。左後方になった三ノ沢岳がいい形をしていた。前方には空木岳が近づいていた。巨岩を越えていく。
12時55分、熊沢岳。西の方は雲が張り出して来た。あんまりゆっくり出来ない。ほどほどに休んで降りる。
高度50~100mの昇り降りを5回やって東川岳に達する。ガレ道を一気に降りていく。
14時45分、木曽殿山荘に着く。長かった。リュックを2階に上げる。一人休み、一人は本を読んでいた。着替えと歯ブラシ、2ℓ入り容器を持って水場に行く。脇道を延々と歩き、大丈夫かなと不安になった頃、「もうすぐ」の案内板があった。木曽義仲の力水は岩場から流れていた。夫婦が居たので、タオルを濡らしてから奥の道で身体を拭き取り、下着を替える。水場に戻って頭を水に浸け、コップで飲む。美味い。たっぷり水を容器に入れて戻る。
15時40分、奥のテーブルに座り缶ビールで乾杯。小鯵の干物を摘む。一通り今日の反省をしてから、アメリカ、ロシア、中国について議論。その間、続々と到着する。壁には百名山完登記念の写真が飾ってあった。顔面蒼白のハイカーに主人が特製スープを飲ませていた。
17時15分、夕食。おでんに澄まし汁を40人が黙々と食べる。食後、主人澤木隆治さんが寝床の案内をする。2階には一畳に2人の幅で布団が2列に敷かれ、名前が呼ばれると位置を教えられる。18時のNHKニュースを見、トイレに行っておく。午後8時消灯なのでアイマスクをし、耳栓を入れてから寝る。
22時、鼾の音で目覚める。その後、寝付けなくなる。
9月16日(木)
4時前から出かけていく人あり。しばらくしてフリースを着てトイレに行く。東方は少し明るかったが、未だ満天の星が輝いていた。登山道に出て、あおむけになって眺める。
5時15分、朝食。ご飯にフリカケをかけ、海苔を巻いて食べる。食後、主人から案内。空木岳登山、駒ヶ根への下山ルートについての注意点や、三本木地蔵までタクシーが来てくれるので連絡先を教えてくれる。空木岳から南駒ケ岳、越百(コスモ)山へ行くルートについても解説してくれた。
2階に上がって仕度。壁には岩崎元郎が4年前の9月29日に泊まったサインが残っていた。下に降りると主人が初老2人の靴底をテープでぐるぐる巻きつけていた。靴底が剥がれていた。高齢者ハイカーが無理して来ている人が多くなっている。
6時、出発。グループが先に登っているので、ゆっくり行く。昨日歩いて来たところが良く見える。ジグザグに登っていく。足元にはウスユキソウが残っており、左手の方は黄葉した稜線がうねをなしていた。段々と岩場が増え、鎖を使って登る。御嶽山が近くなった。
50分後、第1ピークに達する。一息入れて第2ピークに取り付く。すぐ後ろにいたTが頭を岩にゴツンと音を立ててあたる。余り近づかない方がいいことを、身をもって知る。オバサンが多いグループを抜いて登っていく。第2から第3ピークは問題なかった。
7時30分、第3ピークを過ぎると空木山の標識が見える。今日も絶景。
浅間山の噴煙が一段と大きくなり、関東地方に伸びていた。妙高山まで見えた。南駒ケ岳の先に恵那山が良く見える。
岩燕が飛んでいる。木曽駒から同じルートをとっていた単独行の60代後半の女性は気持ちが高揚したのか良くしゃべる。鹿島槍、五竜のツアーでは年配のガイドにせっつかれて往生したことを事細かく言う。どうやらタクシー同行者を探していた様子で我々が4人パーティとわかって、降りて行く。
7時45分、グループがやって来たので下山。日差しが強くなったのでサングラスをつける。工事中の駒峰ヒュッテを通っていく。一帯は石灰岩が散りばめられていた。ハイマツの中の道を通る。金峰山の五丈岩のような駒石を通って行く。一息いれていたら、宝剣山荘でストーブに張り付いていたハイカーが抜いていく。空木避難小屋からの合流点の手前からダケカンバ樹林の中を降りていくので涼しくなる。石楠花の木も交じっていた。尾根を降りていくので高度は余り下がらなかったが、尾根をはずれ、アルミ梯子を一気に降りていく。小地獄、大地獄は橋や梯子で整備されていた。マセナギの頭の脇を通る。高度2千を切ると熊笹が増え、1800m台になると、羊歯と白樺林になる。
11時20分、広葉樹林の中にある池山小屋に着く。
清水が汲み上げられて桶に注がれていてコップが置いてあった。丁度、テーブルと椅子があり、ここで昼食をとる。
30分後、だらだらとした道を行く。
12時55分、林道に出た。携帯でタクシー会社に連絡し、小屋で待つ。25分後、やって来た。今や殆ど利用していると言う。途中、猿やニホンカモシカに出会う。
崖に立ち我等眺めしカモシカよ
古城公園、別荘地を通って駐車場まで行く。
14時、近くの「こまくさ」湯に行き、タオル、着替え、歯ブラシ、髭剃りを持って入る。一通り洗ってから内湯、露天、ジャグジーを楽しむ。風呂からあがって、地ビールで乾杯、ザルソバを食べる。出口で蒼白だったハイカーに会う。休まず食べずに降りて来たという。
15時30分、出発。Tが運転。次の目標八ヶ岳が良く見えた。双葉SAでトイレタイム。高井戸では渋滞にあったが他は順調だった。
18時30分、新宿で別れる。
Kisokomagatake(2841m) in Nagano Pref.
100famous mountains in Japan
Utsugidake(2864m) in Nagano Pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access :
TokyouSinjyuku
→Komagane→Shirabidaira →Senjojiki
by bus and cablecar ShinjyukuKosokuBusCenter (03-5376-2222)
Recommend to use internet for reservation,especially roundtrip including Shirabidaira, Senjyojiki cablecar10000yen for only climbing Mt.Kisokoma
Komagane→Sinjyuku by Ina bus(0265-83-0007) 3650yen
2.Accomodation:Senjojiki hotel(0265-83-3844)one night two meals11500yen(week day)
3.Season:May to Nov Better to watch weather forecast for enjoy climbing.
Records
Sep14
8:42-9:10 Komagane→Shirabi Daira byBus
9:20-9:28 ShirabiDaira(1661.5m)→Senjojiki(2611.5m)byCablecar
10:00-11:10 climb to Hokensanso.
12:00-12:46 climb to Kisokomagatake(2956.3m).
13:00-13:35 back to lodge.
Sep15
6:35-8:05 climbHokendake(2931m)using chain,cross rock area to Dakusawaohmine.
8:35-11:00 climb to Hinokidake(2728m)and take meal.
11:30-12:55 down and up to Kumasawadake(2778m).
13:00-14:45 down and up to KisodonoSanso and stay.
Sep26
6:00-6:50 climb to No.1 Peak.
6:55-7:30 climb to Utsugidake(2864m).
7:45-9:30 down to Jigoku(hell)area.
9:40-11:20 down using aluminum ladder carefully and walk to IkeyamaGoya.
11:50-12:55 walk to logging road.
13:20-14:00 take taxi to spaKomakusa.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2004年12月19~20日
2.地図:国土地理院1:25000猪丸
昭文社・山と高原地図23奥多摩
3.交通:M車:スバル・アウトバック 同行4人
JR青海―駒込¥890
4.宿泊:レイクサイド奥多摩¥6000
12月19日(日)
8時、新宿駅南口集合だったが20分前に着いてしまう。Mの車も既に着いていた。中央高速に出て走る。前方に富士山が見えた。天気予報では雨模様だったのが、良いほうに変わっていた。HとKが話しをしている内、八王子ICを通過してしまう。東相模湖で降り戻ろうとしたら上野原まで行かなければならない。国道20号を戻る。千葉を出る時にカーナビを使わないと言った手前、躊躇したが使ってもらう。高尾から多摩丘陵に向けて左折する。ウォーカーの団体が歩いていた。五日市線に沿って走り、秋川渓谷から檜原街道に出て、都民の森の駐車場に車を停める。高度1000mと書いてあった。
10時、森林館の脇を登っていく。スポーツ歩道は通行止め。鞘口(さいぐち)峠まで22分で登り、尾根を西に向かって登る。見晴し小屋に出て行き先を確認。一反降りてから登り返す。ブナの路を辿り、東峰はパスして登る。
11時40分、中央峰に登頂。三ツ峰峠は見えたが、富士山は霞んでいた。
反対側には鷹ノ巣山と、下に奥多摩湖が見えた。
いろんな人達が来ている。シニアの団体、家族、カップル、犬連れ。ドイツ人も居た。在日3年で片言の日本語を話す。ナイフで小枝を切って杖を作っていた。ベンチに座ってインスタントラーメンを食べる。
12時25分、山梨県との県境を降りて行き、ムシカリ峠からブナの路を行く。枯れ木しかないが、イタヤカエデ、シオジ、カツラ、トチノキと言った名札がかかっていてわかり易い。ジグザグに降りて行くと水の音がする。一度、川になっていたが見えなくなり、ふたたび清流となって現れた。休憩所で一息入れて三頭の大滝に向かう。平成元年3月に出来た滝見橋に行くと落差35mある滝が一望出来た。
水量が少ないので迫力はないが、橋が高いのでスリルがある。ヒノキのチップが敷かれた道を歩いて森林館に出る。序に中に入る。生息する動植物を展示。駐車場にある案内所に入る。甘酒を飲みながら、清掃のお婆さん2人と話す。1日6400円、地元の人と交代でやっている。この後、木材工芸センターに行くと言って別れる。
14時、出発。奥多摩周遊道路を走り、奥多摩湖に出て三頭橋、深山橋を渡り、麦山の浮橋に行く。プラスチック製の樽が両脇に繋がれていた。水道源のせいか澄んでいる。
小河内ダムが見えるレイクサイド奥多摩湖に駐車。
中に入ると、今年9月16日に皇太子殿下が鷹ノ巣山を登って降りて来られた際、ここに寄られ、その時の写真が幾つか飾られていた。
今日は我々しか宿泊しない。2階の見晴しの良い部屋に荷物を置き、風呂に入る。汗を流して浴衣に着替え、ビールと酒を飲みながらMがCDRをパソコンに接続して今年登った山記録を見る。槍ヶ岳から大キレット、北穂高と登ったのと、木曽駒ケ岳から空木岳まで縦走していた。
18時、階下に降りて食堂で食べる。ヤマメの刺身、田楽、テンプラ、寄せ鍋、最後はネギと手打ちうどんを鍋に入れて食べる。その間15本の酒を飲む。
12月20日(月)
7時過ぎ、起きて見ると雨はやんでいたが冷え込んでいた。奥多摩湖を眺める。
8時、朝食。手打ちソバ入り味噌汁が美味かった。食後、ソファに座ってコーヒーを飲みながら駄弁る。
10時過ぎ、車に乗って青梅街道を走る。
10時35分、青梅駅前で別れる。5分後、東京行き特別快速に乗って帰る。
Mitosan(1531m) border of Tokyo to and Yamanasi pref.
300Famous mountains in Japan
1.Access :Car Chuo highway HatioujiIC→National road144→Hinohara road→
Tominnomori
Bus From JRMusasiItukaiti station to Tominnomori
2.Information:Okutama town office(0428-83-2111)
3.Season:all year
Records:Dec26
10:00-11:40 From Shinrinkan,climb to Saiguchi toge,climb ridge to peak(Chuohmine).
12:25-13:50 Down to Mushikari toge,Mito big waterfall and Shinrinkan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
大分の山旅②
両子山(721m)
地図:国土地理院1:25000両子山
3月26日(土)晴
6時過ぎ、水場で口をそそぎ、カフェラテを飲みながらパンを食べる。道路に面した茅葺の天念寺講堂は閉まっていた。橋を渡ると、長岩屋川に突き出した大岩に仏像が3体、真ん中に不動明王が刻まれていた。
水害を防ぐ願いが込められており、手前の離れ小島まで石橋が繋がっていて、島の上に小さな祭壇がある。川べりの遊歩道を歩いてみる。大きな梅の木が満開だった。
川中の不動明王梅香る
見上げると屹立した岩峰が連なり、一ヶ所、峰と峰に太鼓橋のような無明橋がかかっている。青空にかかった天空橋だった。
昨晩走った道を戻る。途中、大きな駐車場にトイレがあったので用を済ます。序にソケットにコードを差し込み、デジカメのバッテリーを充電。吉名川悲話についての案内版が立っていた。ここの川べりも整備されている。
峯入り行の起点、熊野磨崖仏に向う。道には、著名なお寺や行き先の標識が見えるのでカーナビは不要だった。
8時前、胎蔵寺前の広場に駐車。熊野磨崖仏に行く手前でオジサンに会い、入場料は帰りに払うことで先に石段を登っていく。両側に手摺りが出来ていた。句碑が幾つか立っている。小学生も四季折々に異なることを書いていた。
よう来たと汗をねぎらう磨崖仏 凡柳
磨崖仏千年が過ぎ蝶が過ぐ 清行
鬼が積みし石段を登らば現われむ岩に刻まれし大いなる仏よ
鬼が一夜で築いたという石段は丸みを帯びていた。枯れ川には白旗が両側に立ててある。
赤い旗になったところから直ぐ先の左手に崖が見えてきた。日本最大級という磨崖仏が現れる。右手に大日如来、左手に不動明王、いずれも顔がくっきりと彫られていた。
藤原時代末期の作とされているが、良く保存されている。ここの不動明王はユーモラスな顔をしている。一休みしてから、更に石段を登りきると熊野権現神社が右手に建っていた。
一気に降りていき、オジサンに200円払う。
「白旗が続いていましたが、あれは聖なる川を意味しているんですか」
「崩壊防止工事の測量棒です。工事が始まったら脇道を使ってもらいます」
「浩宮生誕祝いの碑がありましたが、いずれお越しいただくといいですね」と言ったら、アルバムを出して来て訪問時の写真を見せてくれた。32歳の時で未だ痩せておられた。序に胎蔵寺に寄ってみる。入り口の両脇に石造りの仁王像が立つ。寺の屋根は民家のようだった。車に戻ると鶯が鳴いていた。
真木大堂に行く。右手に大きな駐車場があり、土産品の屋台まであった。入場料払って、靴を脱いで大堂に入る。案内テープが流れる。真ん中の阿弥陀如来坐像の四隅、東西南北には武神が鬼の上に立っていた。
左手には跪いた白牛に大威徳明王が跨っていた。よく見ると火焔を背に顔、腕、足が六つあり、憤怒の表情をしている。右手は不動明王が火焔を背に立ち、童子が両脇に立つ。川中不動と同じ構造。外に出て、庭を歩く。ここはかって六郷満山の中核だった馬城山伝乗寺があったところで、奥に展望台への階段があった。庭には庚申塔などの石像がまとめられていた。
県道655号を走って富貴寺に行く。車を停めて、階段を上がり、両脇に仁王像を納めた門を通って入場料を払い、更に階段を登っていく。
見慣れた阿弥陀堂が現れる。平山郁夫の画の通りだった。宇佐神宮大宮司の氏寺として一本の榧(かや)の巨木で建てられた国宝。靴を脱いで縁側に上がり脇から堂内に入る。同じ巨木で作られた阿弥陀如来坐像が安置され、奥の壁に極楽浄土が描かれていた。用意されていた懐中電灯で照らして見たが、判別できない。坐像の左に勢至菩薩、右に観世音菩薩が立つ。
1人で鑑賞する贅沢を味わってから出る。外壁を掌で触ってみると屋久島縄文杉に触れた時と同じように木目柔らかで、ぬくもりを感じた。
千年の榧ぬくかりし阿弥陀堂
境内には国東塔や笠塔婆が立つ。
大きな銀杏の木の近くのベンチに座って眺めていたら、団体客がやって来たので、階段を降りていく。桃色に白い縁取りした椿の花が咲いていた。左目が充血している係員に「椿の花が東京にはない種類ですね」と声をかけると、脇のお寺の庭に咲く椿を見せてくれた。バラの花のようだった。
9時40分、県道29号線に戻り、屋山に向って走る。中腹の駐車場に車を停め、階段を登って行く。宝物館には鍵がかかっていた。近くの家に行ってみたが人の気配がないので、更に石段を登って薬師岩屋まで行ってみる。大きな国東塔が立っていた。帰りは途中の脇道を歩き、工事中のお宮に寄ってみる。棟梁に聞いてみると、神殿に奉納する舞台造りだった。木工一筋に誇りをもっていた。宝物殿には声をかければ開けてくれると言う。
戻ってそうしたら、お婆さんが現れ、鍵を持って開けてくれた。中に入ってから入場料を払う。重要文化財の太郎天像と2つの童子立像について解説してくれる。榧の木の一木造りで1130年の作。奥には銅版の法華経がガラスケースに入れられていた。今でも充分わかる漢字が彫られていた。立て板に水というかテープが回っているように話す。一通り終わり、お礼を含めて図入り般若心経を買う。
元気婆さんは天念寺からここに嫁いでいた。主人は36代目。息子に良い嫁さんが来てもらうために福岡の私立歯科大学に通わせる。入学に6千万かかった。借金を返すのに、民宿をやったり、役場に勤めたりしていた。息子は今、別府の歯科医院で働いていて、小学生の孫がいる。話はつきない。近所に住んでいて今、京都にいる家族がやって来たので、失礼する。
29号線に出て走る。途中、並石ダムの脇を通り、標識に従っていく。
11時過ぎ、両子寺手前に車を停め、入山料100円を払って書院客殿と護摩堂の間を通り、舗装道を登る。途中でハイカーが降りてきた。先には誰もいないと言う。杉林の中をジグザグに登る。尾根に出ると厳重に囲われた巨大な電波塔が立っていた。道は最後まで舗装されていた。45分で両子山登頂。小さな一等三角点が石に囲まれていた。2階建ての展望台に上がって眺める。
姫島がぼんやり見え、手前に文殊山があった。
次回に登ることにして降りていく。途中から奥の院への道を歩く。山道の方が歩きやすい。「鬼の背割」では大きな岩と岩が迫っている間を通る。
「針の穴」は足から滑り降りるようにして穴を通る。観音石像が並んでいた。
岩盤を半ば抉って建てた奥の院には十一面千手観音が安置されていた。降りていく途中の崖に磨崖碑が彫られていた。大講堂に寄ってみる。未だ新しい。
13時10分、文殊仙寺に向う。一度、道を間違えてしまい、県道652から544と遠回りして着いた。40分かかった。両脇の仁王像に見下ろされながら石段を登っていく。脇には、拾円と名前を彫った石が並ぶ。
登りきり、寺の脇の木にあった黄色いテープを頼りに登っていく。ロープを使って見晴らしのきく岩場に出る。
頂上に笠塔婆が立っていた。しかし、その先には何の標識もない。このルートはトレッキング用に設定されたようだ。文殊山は未だ先の方なので諦めて戻る。奥の院の奥にある岩屋に入ってみたが、「知恵の水」は出ていない。
15時、「堂の下」林道から県道544そして31号を走り、30分で国見温泉「あかね郷」に駐車。階段を登ると「いたゞきのしぐれにたゝずむ」と書いた山頭火の句碑が立っていた。
今日は26日、フロの日ということで入浴料300円が100円。その上、1人出た後は誰もいない。身体を洗い、内湯で温まってから露天風呂に入る。富士山に似た山が見えていた。家族が入って来た。川内から文殊のお祭を見にやってきた祖父と空港近くの安岐町に住む父と3歳の女の子。息子が祖父の背中を洗ってあげていた。
17時、レストランで生ビールを飲みながら14日目の大相撲を観戦。爺さん達もやって来た。ここで法事会があるのだろうか住職も来た。地魚定食を食べながら、酒「西の鶴」を飲む。癖がない。デザートにゴマアイスクリームを食べる。宿泊代を浮かした分、しっかり食べておき、土産も買っておく。
19時前、トイレに行ってから車に戻り、休む。深夜、冷えてきたのでレインウェアを着てシュラフに入る。
参考:六郷満山峰入りについて
能行が825年から31年間、修業したルート。熊野磨崖仏を出発点として150キロの山と里の道を4日間かけて歩き、約60の霊跡を拝み、5日目は両子寺の結願護摩に臨む。
今回の旅では熊野磨崖仏、胎蔵寺、真木大堂、富貴寺、長安寺、無明橋、文殊仙寺、両子寺が該当していた。
3月27日(日)晴
6時前に起き、トイレと洗面を済ましてから国見に向う。海岸に出ると姫の島が直ぐ近くに見えた。
国道213号を走る。かって永井龍男は未舗装だったこの道を通り、伊美の港から島を訪れている。2車線のトンネルの脇に車1台通れるトンネルが残っていた。芝生にソニーと植木で浮き上がらせている工場を通過すると空港が見えてきた。
7時に着いたが、ガソリンスタンドは未だ開いていない。脇に駐車してオレンジを食べながら待つ。今日は日曜日だった。
7時30分、スタッフがやって来てロープをはずし、満タンにする。レンタカーに行くと行きに応対した人が車の異常の有無を確認、そのまま借りた車を運転して空港で別れる。始発の1780便は空席が100あり、直ぐチェックイン。預けるリュックは3キロ減っていた。関サバ寿司と干物を買い、ゴボウ天を食べる。
8時25分、定刻に出発。新聞配布で大分合同新聞をピックアップする。50分後、左手に雪を被った富士山が見えた。
駿河湾の先、南アルプスにも雪が残っている。
9時40分、着陸。モノレールでは浜松町経由山手線区間は500円。JRがモノレールを吸収してからどんどん良くなっていた。
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2005年3月25~27日
2.単独行
3.日産レンタカー:キューブ 2日間¥13860 走行距離274km:21ltl¥3072
高速:別府―院内¥950 宇佐神宮駐車場:¥400
4.施設:熊野磨崖仏¥200 胎蔵寺¥200 富貴寺¥200 岩屋寺宝物殿¥200
両子寺¥100
「あかね郷」¥100(26日フロの日)
鶴見岳(1375m)
地図:国土地理院1:25000別府西部
3月25日(金)
6時過ぎ、家を出て浜松町からモノレールを使って羽田第1ターミナルで降りる。JL1783便は百席ほど空いていた。セキュリティでビタミン剤を溶かしたポットが引っかかり、油性のものか検査できる機械を使って通る。ゲート1番から乗り込む。機材はMD81。隣りには大柄の青年がやって来た。荷物も大きく収納スペースがない。反対側のストレッジに毛布がたたんであったので脇にずらしてあげる。オーディオ設備がなく、本を読んで過ごす。青年は千葉からで4人で湯布院に行くという。
定刻に大分空港に着陸。預けたリュックはビニール袋に包んであった。レンタカーのカウンターに行き、申し出る。カップルと一緒にリムジンに乗って事務所に行く。既にサインをすれば良いようになっていた。カーナビの操作方法を教わっておく。
10時30分、出発。国道213号を走る。高速を使わない道を選択すると、到着時刻が11時53分。杵築市守江を通過。
住吉浜はゴルフ場になっていた。杵築城を通過。
八坂川の橋を渡った所にコンビニがあり、水やオニギリを調達。
国道10号に入り、別府湾に沿って走ってから、九州横断道路へ右折する。道路標識に「鶴見峠はチェーン着用」と出ていた。別府ロープウェー乗り場を過ぎ、右手の鳥居から入って登っていく。トイレのある広場に駐車。誰もいなかった。
12時、フリースを着て登って行ったが、直ぐ脱ぐ。登山届のボックスがあり、記帳。ノートでは今朝9時40分、堺市から1人登っていて、その前は5日前だった。昨日降った雪が残っていて足跡がついていた。
残雪の踏み跡辿る鶴見岳
枯れ木にも雪が積もっていた。倒木に氷柱が残っている。
枝に積もった雪を口に入れる。ヒノキやカエデ、リョウブの林を登り、猪ノ瀬戸林道を横切る。落葉広葉樹の中をジグザグに登る。一気登山の距離と時間を書いた標識が出ていた。海岸から頂上まで12キロを走る。ひたすらジグザグに登っていくとロープウェーとの分岐点に出る。踏み跡はロープウェーに向っていたが、左手の雪道を登っていく。頭上の雲の動きからして風が強そうだが、山の反対側から吹いていたので風もなく体感温度も寒くなかった。ミヤマキリシマの木々の間をジグザグに登っていくと、遊歩道に出た。階段を登っていくとテレビ塔が見えた。
13時30分、「阿蘇くじゅう国立公園鶴見岳・標高一三七五米」と書いた赤い標識に立つ。名古屋からやって来た親子と写真を撮り合う。
雪景色の由布岳や別府湾が見えた。
風が強いので早々に引き上げる。帰りに七福神が祭られた遊歩道を通っていく。
霧氷が枝に取り付いていた。
ストックを2本使って、やって来た道をホイホイ降りて行く。段々と雪が融けてぬかるんでいた。途中、ベンチに座って、カップヌードルにお湯を入れて食べる。
うっそうとした御嶽権現社に近づくと、未だ雪が残っていた。
社務所から広場に戻り、トイレを使ったが水は出ない。鶴見岳が見えた。
15時30分、宇佐神宮にカーナビをセットして出発。別府ICから高速に入り、日出ジャンクションを北九州方向に走っていく。車が少ないので時速120キロ出して走る。料金所が混んでいたので脇の院内出口を使う。途中、宇佐風土記の丘を通る。
16時20分、宇佐神宮の駐車場。閑散としていた。朱色の大きな鳥居を通って行く。
左手に機関車が展示されていた。26号機で1916年3月から約50年、宇佐参宮線で運行されていたものだった。
赤い欄干のある橋を渡って西参道を真っ直ぐ歩いていく。
宝物殿は午後4時までだった。右手の放生池の鯉の餌を売っている。手水舎で手を洗う。「皇族下乗」の札があった。ここまで勅使の車が入れるようだ。
玉砂利広場の左手の鳥居は工事中。緩やかな階段を登り終えると、工事の概要が書いてあった。今年が10年に一度の勅使祭になり、それに備え3億5千万円かけて耐震などの修理をする。本殿に行く。
手前に一之御殿があり応神天皇が、真ん中の二之御殿には比売(ひめ)大神、奥の三之御殿に神功皇后が祀られていて、夫々大きな賽銭箱が置いてあった。
板葺き屋根のある真ん中で賽銭を入れてから二礼、四拍手、一礼をする。出雲大社と並んで格式が高く、ここは神仏発祥の宮で、八幡神は仏法の守護神だった。東大寺の廬舎那仏の建造を助け、その折り、宇佐から奈良まで御神体を運んだ輿は御神輿の原型となっている。国家鎮護と武の神八幡神を祀り、全国約4万ある八幡宮の総本宮らしく清新さがあった。
帰りは南参道を歩き、能舞台に寄っていく。右上の壁に愛子内親王ご誕生祝いの奉納板がかけられている。平成14年10月24日、ここで能や狂言が奉納されていた。菱形池には枯れた蓮の茎が水面から出ている。
駐車場に戻り、トイレに行ってから出発。国道10号を走り、豊後高田の街中で右折、大分銀行の駐車場に車を停める。閑散とした商店街を散歩、ビールや果物を買っておく。昭和以前の建物が幾つか残っていた。
鉄板焼きの店に入って野菜炒め定食を食べる。地元の人が一杯やりに来たり、お好み焼きを頼んでいた。食後、車内でカーナビを天念寺にインプットしてみたが、上手くいかない。地図画面と県道路地図を頼りに走る。今晩は満月だった。
適当に走ってみたが、道路地図にない地名が出てきて迷ってしまう。県道29号に出て、これで大丈夫と思ったら逆に戻っていた。車は殆ど走っていない。スピードを出していたら、天念寺方向を通り過ぎてしまう。疲れが出ていた。
548号線を走り、ようやく天念寺の前に出た。隣りにある歴史資料館の駐車場に車を停める。車内でビールを飲んで休んだが、すぐ起きてしまう。ニッポン放送でワールドカップアジア最終予選の対イラン戦実況中継を聞く。雑音が入って聞きにくい。結局、2対1で負けてしまう。資料館にいた人々も軽自動車で帰っていった。
Tsurumidake(1375m) in Ohita Pref. 300Famous mountains in Japan
1.Access:Car is essencial. Nagano expresswayMatsumotoIC→national road147,148,
pref.322Kurobishidaira
2.Information:Beppu city office(0977-21-1111)
3.Season:Apr to Nov
Records:Mar25
12:00-13:30 climb zigzag to peak.
13:35-15:10 walk Sitifukujin route and down to starting point.
Ropeway information by Beppu ropeway(503m-1300m) Tel0977(22)2278
9:00-17:00 1400yen
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2005年5月26~27日
2.交通:I車 同行3人
3.宿泊:喜楽荘1泊2食¥7000 総経費¥14000
守門岳(1537m)
地図:国土地理院1:25000守門岳、穴沢
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月26日(木)晴のち雷雨
5時10分、予定より早くI車が家の近くの集合場所に着き、落ち合う。首都高速5号線から外環に入り、関越自動車道を走行。前方の空は曇っていた。Y氏とは始めてなので車内で登山歴や現状を話し合う。
7時、赤城高原SAで20分、休憩。その間、天ぷらソバとオニギリを食べる。清水トンネルを抜けると残雪の山々が見えてきた。
8時15分、小出ICを降りたが、右折したためルートを見失い、地元の人に聞きながら国道252号に出る。破間川とJR只見線に沿って山間に入っていく。水田は田植が終ったばかりだった。窓に雨粒があたってきた。大白川で左折し、大原スキー場の2つのゲレンデの脇を通り、除雪間もない狭道を走って登山口に出る。丁度、雨は止んでいた。ライトバンと長岡ナンバーの軽自動が駐車していた。西側の空は雨雲に覆われている。
9時40分、レインウェアを着、スパッツを着けて先頭を歩く。放牧場からブナ林の中を登る。20分後、通り雨にあったが、段々と明るくなってくる。2mはある蛇が隠れていく。汗をかいたので、レインウェアとウールの長袖シャツを脱ぐ。岩鏡が咲き誇っていた。
緊張がほぐれ、便意が強くなり、大きな岩場の陰で済ます。ブナ林の先には残雪深い渓谷が見えた。鶯が鳴いている。
老鶯(オウ)の真近に鳴いて山深し
高度1130mでアイゼンを装着して登る。雪の重みで横倒しになった木や折れた木が多い。太い幹を跨ごうとしたら、ネズミ捕りのように幹が跳ね上がる。稜線を登り終え雪原に出る。雪庇を避けて内側を歩く。潅木の下にリュックが2つデポしてあった。やがて上半身裸の青年と中年男が降りてきた。武蔵村山からライトバンを運転、三条市の青年登山家と佐武流山、白砂山を登ってきていた。今朝は雨にだいぶ降られていた。この先はアイゼン不要と言う。
12時30分、ガスを使える場所でお湯を沸かし、若布等の具にニンニク、鶏肉缶詰を入れたⅠ特製のラーメンを食べる。
13時25分、ストック1本持ち、Ⅰの折りたたみリュックにポットを入れてもらって出発。
足跡のついた雪上を歩いた後、タムシバの花を眺め、足元にカタクリやキクザキイチゲが咲く道を登る。
14時、守門岳登頂。北側は日本海がぼんやり見え、青雲岳、大岳が少しずつ高度を下げて連なっていた。
明日登山予定の浅草岳は、ネズモチ平の方は雪で覆われていた。方位盤で見える山々を確認する。
八海山や巻機山も見えていた。キアゲハが飛んで来る。
14時25分、下山。20分でデポ地に戻る。遠くの雷鳴が聞こえたので休まずに降りて行く。残雪の上を降りていくのは、方向が定まらず、苦労する。さっきの2人が見え、アイゼンを外すところで追いつく。東電で働いていて、青年は越後の山に精通、年配者は大企業の自家用発電機材や、離島の設備にも立ち会っていた。今度はブナ林の中を先に降りていく。
布引ノ滝に行く分岐点エデンで一息入れていたら、現われ、コシアブラの新芽を差し出す。天プラにすると美味いという。
雷の音が近くなって来た。ストックを使って一気に降りる。牧場に出たところで雨に降られ、傘を指して車に駆け込む。
16時40分、ピカッと光り、ドスンと響く。近くに落ちた。大粒の雨が雹に変わる。それでも10分過ぎると小止みになったので出発。元の道を戻り、携帯で大白川の民宿、喜楽荘に連絡しておいてから、浅草岳の登山口まで行ってみる。雪除けシェルターの中を走り、破間川ダム湖の奥にある大自然館まで行く。その先は通行止めになっていた。雪崩の危険があるからだそうが、先に施設がないと山開きするまで仕方がないようだ。予定を変更、明日は巻機山の前衛、金城山に登ることにする。
17時30分、民宿に入り、2階の大部屋に案内され、風呂に入る。顔と首筋が焼けていた。浴衣に着替えて別室に用意された山菜づくしの料理を食べる。他にヤマメの塩焼き、天ぷら、豆腐、椎茸の煮込みなど盛り沢山。ご飯はたっていた。金曜の夜、建設業界の集いがあり、家族以外にお手伝いに来てもらっていた。残った焼きオニギリを部屋に持っていく。部屋でブランディを飲みながらしゃべっている内、就寝予定9時を大幅に過ぎてしまう。あわてて布団にもぐりこむ。
金城山(1369m)
地図:国土地理院1:25000六日町
昭文社・山と高原地図⑮越後三山
5月27日(金)
5時5分、弁当をピックアップして出発。只見線に、乗客ゼロの2両が山間に向けて走っていた。曇り空の下、小出ICから関越自動車道に入り、八海山を眺める。六日町ICで降り、魚野川を渡って大月トンネルを抜けてT字路に出る。金城山登山口の案内板があり、右折して行けるところまで走行。杉林に入ったところに軽自動車が2台停まっていた。車内で弁当を食べていたら、隣りに中年夫婦が駐車して来た。周りの山菜を採ってからリュックを背負って滝入コースを歩いていく。
7時、登山道案内図で確認してから歩き出す。狭い鉄橋を渡り、皆沢川に沿って行く。
山菜夫婦に会うと既にリュックを膨らませていた。2合目を過ぎると雪解け水が二股の滝となって豪快に落ちている。
その内、残雪が登山道を覆ってしまい、ルートがわかりにくい。山菜夫婦について行く。夫婦は小千谷市に住んでおり、花火のことや、山菜のことを聞く。巻いた新芽でも毒のあるものもあって素人には無理だった。ワラビ、ゼンマイ、ウドなどを見せて食べ方まで教えてくれる。雪渓の上には泥や枯れ枝があってアイゼンがなくても歩けた。流れのある川を岩伝いに渡ったり、枝を頼りによじ登り、地震で崩れた道を進む。滝の傍を通ると冷風にあたり気持ちいい。
山道を登りだして直ぐ、鹿の毛と頭の骨とヒズメが散らばっていた。熊の餌食になったようだ。沢向いでは、別のヒトが山菜採りをしていた。ゼンマイは束になっていることを教わったので、後から来たお母さんに確認すると当たっていた。ブナやナラの森の中、主のようなブナが立っていた。半分は削られているが、瘤をつくり彫刻のように存在感があった。
8時50分、5合目に出る。高度は未だ700m。一息入れて急登に取りつく。鎖を使いながら30分かけて6合目まで登りつめる。ここは大月からの道との分岐点だった。日差しを受け、尾根に沿って歩いていくと、足元に釣鐘の形をした赤薄紫色のホタルブクロがひっそりとたれていた。
Yはデジカメでショウジョウバカマ、サンカヨウといった花に近づいて撮っていく。石楠花も咲いていた。
7合目の先の木陰にリュックをデポして登る。8合目から、小屋のような岩のある頂上が見えた。未だ先がある。
10時35分、9合目で山菜夫婦に追いつく。リュックに入りきらずビニール袋を腰に下げていた。出発前に食べたのがオニギリ1つでシャリバテ気味だったが、羊羹とポカリスウェットを飲んで休んだら息を吹き返す。イワウチワが咲いていた。
200m強の高度を、鎖や枝を頼りに登る。
岩峰群の一角に辿り着いてみると金城山登山道頂上と書いた標識が立っていた。
11時15分。切り立った岸壁の下からガスが立ち込め、その中から残雪の巻機山が現れていた。
山菜夫婦は一旦降りて登り返した先にある避難小屋で食事して水無コースを辿るようで、手を振って別れる。足元に注意しながら降りていくと、前橋から来た3人組や単独行に会う。8合目から六日町一帯が良く見えた。
デポに戻り1時間かけて焼きソバを食べる。
13時20分、出発。雪渓も柔らかくなって、滑らずに降りて行けた。クーラーの効いた部屋にいるようだ。遠くに黒犬だか熊が死んでいるように見えたが、近づくと雪穴。一息入れ、融けたばかりの清水を飲み、タオルを水につけて頭に巻く。あとは一気に降りて行く。鉄橋手前で川に靴を浸して汚れをとり、汗をぬぐう。
15時20分、車に戻り仕度して出る。六日町でガソリンを補給、高速に入り、途中、赤城高原SAで休憩。精算を済ませ、同じ道を走って帰る。
Sumondake(1537m) in Niigata pref. 200Famous mountains in Japan
1.Access:Kanetsu expresswayKoideIC→national road17,252,pref346,Ohshirakawa
2.Accommodation:family run Saishichi(02579-6-2540)one night two meals6000yen
3.Information:Sumon village(02579-7-2311)
4.Season:May to Oct
Records:May26 need crampon on May~Jun
9:40-10:40 climb to Eden
10:50-12:30 climb to Kogarasubousi
12:30-13:25 take meal
13:25-14:00 climb to peak.
14:25-16:35 back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
東北:山、温泉、歴史の旅⑪
七ツ岳(1636m)
地図:国土地理院1:25000糸沢、針生
昭文社・山と高原地図⑬日光
7月3日(日)晴
4時50分、湯を沸かしパンを食べコーヒーを飲む。
5時30分、出発しようとしたら、ライトバンがやって来る。道の駅「たじま」で車内泊して来た夫婦だった。お先に歩く。シラカバ林の中、幅広の道を歩き、標識に従っていく。足元に名も知らぬ小さな花が咲いていた。
道が狭くなり、川に2本の丸太がかかっていて蟹スタイルで渡る。平滑沢と言う名前の通り、傾斜のある岩肌に滑らかに水が流れていた。靴底がしっかりしているので、水流の中でも歩けた。
滑沢を過ぎても足元に注意しながら沢を登っていき、水が見えなくなって間もなく左手にルートがあった。ブナ林の中を登り続け、ロープを使い、枝や根っこを掴みながら高度をあげていく。石楠花が現れ岩場を越えていくと視界が開けた。犀の河原というガレ場に出て見晴らしを楽しみながら登る。
8時10分、七ツ岳登頂。ここは一番岳と呼ばれ、稜線が続いていた。
サラサドウダンやベニサラドウダンが満開だった。
景色の良い場所に移ってオニギリを食べお茶を飲む。
ライトバンの夫婦もやって来た。花の名前を教わる。可憐な白い花はツバメオモトだった。
9時になったので下山。軽装の年配ハイカーは頂上に行ってから直ぐ降りて追い抜いていく。沢下りではストック2本使い、ロープに助けられて無事だった。
11時に戻ると、さっきのハイカーがシャツを着替えていた。良く見るとそんなに老けていなかった。大宮ナンバーの車で帰っていく。こちらも着替え、靴を履き替えて出発。道の駅「たじま」に寄り、百合とデルフィニウムの花束を買う。国道121号を走行、川治温泉にやって来た。温泉場を探している内に通り過ぎてしまう。鬼怒川温泉では左手の道をとり、鬼怒川公園岩風呂に行く。日曜日で混んでいた。身体を洗い内湯で温まってから岩風呂に入る。岩に囲まれて湯加減も丁度良い。湯上り後、休憩室で30分ほど横になる。
13時30分、出発。今市の「つけもの村」で昼食、漬物を2点買う。後は新国道4号に出て南下。CDモーツァルト、ピアノ曲全集24曲も終わりに近づいた。一路ナビにしたがって運転、18時30分に帰宅。
Nanatsugatake(1636m ) in Fukushima pref. 300Famous mountains in Japan
1.Access:Car is essencial. Tohokuexpressway NishinasunoShiobaraIC→ national road400,352,Nanatsugatake rindo
2.Accommodation:Mitakionsen Ryokan(0241-66-2313)without meal9150yen
3.Information::Tajima town office(0241-62-6200)
4.Season:Jun to Oct
Records:Jul 3
05:35-08:10 Walk in the silver birch woods, cross river at Hiranamesawa.Climb
in the beech forest, use rope to peak.
09:00-11:00 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
東北・山、温泉、歴史の旅⑩
荒海山 (1581m)
地図:国土地理院1:25000荒海山
昭文社・山と高原地図⑬日光
7月2日(土)雨のち曇
4時30分、起床、パンとコーヒーを飲んでから車を走らせ、八総鉱山跡の道脇に停める。
5時40分、歩き出す。雲が北から南に動いていた。林道の中央に群馬ナンバーの軽自動車が停まっている。登山者はこんなことしない、山菜採りだろうか。荒海川にかかる橋を渡っていくと、右手に登山口があった。
雨が降る中、沢を登っていく。崩壊寸前といった箇所を幾つか通っていく。落ちた岩や大木の一部が道をふさいだり、脇にあった。途中に標識があるのでわかりやすい。45分後、雨がやんだのでレインウェアを脱ぎ、一息いれる。登りだしたら又雨が降る。3回ロープを使って急登に取り付く。
6時55分、尾根に出た。左に折れ、ブナやナラの樹林帯を進む。小さな登り降りを繰り返す。口を開けると虫が入ってくるので口を閉じ、ひたすら進む。足跡がないので道をふさいでいた車の持ち主は登山者ではなかった。ブナの大木にアスナロがからまるように根を張っていた。
足元に注意しながら登っていくと、視界が開け頂上が見えた。ロープや枝、石を頼りに登る。石楠花が多くなり、雨量観測所だった南稜小屋を左手に見ながら進むと山頂だった。
9時20分、登頂。田島町長渡部宥が書いた石碑に「大河の一滴ここより生る 阿賀野川水源之標」とある。
標識には荒海山の下に太郎山、更にARAKAIZANと書いてある。
雲の下に那須連峰や眼下の原始林が見える。
オニギリを食べ、お茶を飲む。虻、蜂、蜻蛉が舞い、下から蟻が上がってくる。
9時55分、下山。視界が更に良くなっているが、足元に集中して降りる。
サラサドウダンの花が一面に落ちていた。ここの蛙は小さい。樹林帯に入る。
11時30分、アディダスウェアで軽装したハイカーに出会う。黒磯から来て、10時から登りだしていた。刺激を受け、スピードをあげる。20分後、尾根先に出、ストックを使って一気に降りていく。林道では軽自動車も消えていた。
12時50分、車に戻る。乾しているウェアに蝶が止まる。
会津高原駅に行き、ぶっかけソバを食べる。土曜日、団体がバスに乗っていく。すっかり晴れて日差しも強くなっていた。食後、近くの三滝温泉に行く。喪服の人達がいる先、滝見荘に入る。入浴料金を受け取ったオバサンに教えてもらう。
「ここは日露戦争の負傷兵が川に流れてくる湯を集め、足を浸けたら治ったという。田島町では最初の温泉場で、3つの滝があったので温泉の名前がついている。夢の湯は8年前から営業しているが回転式湯、ここは掛け湯です」
内湯に入って汗を流し、洗濯もしておく。爺さんが入って来た。栃木県根津上から奥さんと駒止湿原の花を見てやって来た。ここはなじみの場所だった。
七ガ岳登山口を目指したが、行き過ぎてしまい、登山口駅に行き、案内看板で確認する。七森橋を渡り、左折してくねくねと登っていく。林道分岐を左にとり、章吾橋を渡ると右手に羽塩登山口があった。向かい側に駐車。宇都宮ナンバーの車が2台駐車していた。
未だ日が出ているので靴やウェアを乾かす。沢に出て缶ビールをビニール袋に入れて冷やし、頃合いをみて引き上げて飲む。夕食はカレーライスに味噌汁。食べた後、容器を川辺に持っていき、洗う。
18時40分、若夫婦が道路を歩いて来た。沢下りが危ないので縦走して道路を2時間かけて歩いてきたと言いながら帰っていく。15分後、中年夫婦が同じく道路を歩いて帰ってきた。車に入って寝る。
Arakaisan(1581m ) border of Fukushima pref. and Tochigi pref.
300Famous mountains in Japan1.Access:Car is essencial. Tohokuexpressway NishinasunoShiobaraIC→ national road400,352,along Arakai river,YasouKouzan ato
2.Accommodation:Mitakionsen Ryokan(0241-66-2313)without meal9150yen
3.Information::Tajima town office(0241-62-6200)
4.Season:Jun to Oct
Records:Jul2
05:40-06:55 Walk logging road to gate, climb hard slope to ridge.
07:05-09:20 Up and down to peak, using rope,branch of tree,stone.
09:55-12:50 Back to starting point. Recommend to take spa at Takinohara Onsen.