グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年12月24日
2.単独行
3.交通手段:電車 博多―宮地¥3150特急券\2290 タクシー 宮地―仙酔山\1950
ロープウェー 火口西―阿蘇山西\410 バス 阿蘇山西―阿蘇駅\540
阿蘇駅―熊本自衛隊前\1190 自衛隊前―福岡天神
4.地図:国土地理院1:25000阿蘇山、根子岳
昭文社・山と高原地図56阿蘇・九重
12月24日(日)
6時20分、福岡西鉄グランドホテル脇の停留所から博多駅前までバスで行く。駅ビル入り口で2人のストリートミュージシャンがギターを弾きながら歌い、女の子達がしゃがんで聞いていた。西鹿児島行き、つばめ1号は7両編成、自由席に座る。車両の真中に大きな荷物収納用のスペースがあった。
6時57分、車掌の検札が終わってから休んで、熊本に着く前に高菜弁当を食べる。熊本で阿蘇1号を待つ。10分後、同じホームに3両編成でやってきた。
9時、立野駅でしばらく停まる。スウィッチバック方式で登った後、大きなカルデラの中を走っていく。阿蘇駅ではデイバッグを担いだ人達がどっと降りていく。ここからは噴火口近くまでバスが出ている。宮地駅で降りたハイカーは私だけだった。
9時35分、仙酔山までタクシーに乗る。前方に阿蘇の山々がたたずんでいた。阿蘇は、「アソオマイ」「噴煙をあげて燃える山、火の山」の意味。約30万年から2万5千年前まで噴火を繰り返し、九州一帯に溶岩を噴き上げて陥没、東西20km、南北28kmのカルデラとなっている。運転手が教えてくれる。
「左の根子岳が頭、中央の高岳が胸、右端の往生岳が足になった女性の寝姿に見えます」確かにそう見える。噴煙をあげている所は、腹の下部にあたるだろうか。東側を指す。
「あの先は波野村、オウム真理教がおったところ。数千万円で買い、立ち退き料を9億円払っています」今は何も見えなかった。牧場の脇を通って登っていくと白い仏舎利塔が立っていた。これも新興宗教が建てたようだが残っている。
「5月になると、この辺一帯はミヤマキリシマのツツジが咲きます」
ロープウェー乗り場の先にある駐車場で降りる。バスは3年前から廃止されていた。
9時50分、記帳後、近くに登山口があったので、登って行く。しばらく登っていくとロープウェーに沿っているので、仙酔尾根とは違うことに気づく。そのまま、整備された道を登ることにする。1時間弱で展望台に達する。
小雪がチラチラし出した。ロープウェーでやって来た観光客が寒そうにしている。「ぜん息、気管支疾患、心臓障害のある方は立ち入り禁止」と書いた看板が立っている。火口はガスで見えない。二酸化硫黄の臭いが少しする。手袋をし、フードを被り、休まずに中岳に向う。風が強い。石と枯草に霧氷が付いていて滑りやすい。足を踏ん張って、ゆっくり登る。
11時15分、高度1506mの中岳に登頂。高岳がそびえ、反対側に火口が見えた。ガスが残っているがヘリコプターが飛んでいた。
クリスマス阿蘇中岳に一人立つ
薄白い高岳の中腹で道なりに登っていたら、火口原に出てしまう。時差ボケだろうか。無人の避難所から左折、黄色の目印を頼りに鞍部まで登り、岩屑ばかりの高岳にたどり着く。
頂上を降りた所に年配のハイカーが座っていた。熊本から車で仙酔山まで来て仙酔尾根を登って来ている。側に座って食事をしながら話を聞く。御年77歳、市役所勤務、関連会社を勤めあげた65歳から登山をはじめ、阿蘇山は年30回登っている。大晦日も天気が良ければ登る。熊本の登山クラブに所属している他、福岡に本店のあるアミューズトラベルを使って百名山も残り6つという。ここから見える山の話になる。根子岳の岩登りは60代にやっており、祖母山は5回登っている。いずれも良く見えた。「天気がもっと良いと韓国岳も見えます」「山に登るようになってから風邪一つ引かなくなりました」
それでも2回ほど危ない目にあっている。下山後、車を溝に入れて足を折り、ひと月入院したこと。下山時、足を挫いたこと。頂上での写真を撮ってもらった後、お返しに写真を撮って差し上げたいと申し上げたが「写真は、整理が大変で家内から差し止められています」と言われる。熊本を経由するなら車で送ってあげると言われたが、今まで歩いた道を戻ることになるので、丁重にお断りする。一緒に、中岳に行く道を降りる。途中、間違えた分岐点を通る。
12時40分、中岳登り口で別れ、火口西に出るまでの道案内をしていただく。英文の登山案内書では火口西からのルートしか紹介していないそうだ。
尾根伝いは冷たい風が吹き、フードをかぶる。崖を降りていくと青年と会う。
13時30分、涸れ川を渡ると広大な砂原になる。異次元の世界に人と犬の足跡が続いていた。砂千里を通って急ぎ足でロープウェー乗り場に行き、阿蘇山西に着く。
バスを待つ間、近くの京大観測所に行ってみる。誰もいなかった。
14時18分、バス運転手の後ろに座ったところで出発。近くの道端にヘリコプターが降りてきた。20分、4800円で火口見物できる。草千里乗り場で、かなりの人の乗り降りがあった。ここには火山博物館、オルゴール饗和国の他、池まで乗馬できる施設があった。
バスは一路かって有料道路だった道を曲がりくねりしながら走っていく。左手に、かわいいお椀型の山、米塚が見えた。昔、阿蘇の神の米を積んだのが山となり、一つまみ摘んだあとが窪みとなったという伝説通り、頂はへこんでいた。一面、放牧場のようで道の両側に木組みの柵が続く。
赤牛や柵外探す阿蘇枯野
14時55分、今度は熊本行き快速バスに乗って国道57号線を走る。
立野でのこと。乗る人が待っているのに、最後部の若者2人は一向に現われない、のんびりと降りていく。クリスマスのせいか車が多い。渋滞中、有馬記念をテレビ放映していた。熊本空港に寄っていく。途中、巨大サイロが2棟見える。この辺りは、5、6月に小麦収穫の後、米を栽培するという。サイロは収穫した小麦の倉庫だった。
空港では誰も乗ってこなかった。
熊本市内に入り、博多行き高速バスが市内で停まる中から、自衛隊前にして降りる。16時17分のバスが遅れること13分、西鉄バスがやってくる。高速は順調だったが、降りてから30分かかって天神バスセンターに着く。
Asozan(1592.4m) in Kumamoto pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Fukuoka/Hakata station→Kumamoto→Miyaji byJR
Miyaji station→Sensuikyo by taxi
AsosanNishi→Kumamoto→Fukuoka by Kyushu sangyou koutuuBus
(096-325-8303)
2. Information:Aso city(0967-22-3111)
3.Season:Mar to Nov
Records:Dec24 Sensuikyo route & Aso crater west
9:50-11:15 Walk from Sensuikyo(900m)and climb from AsosanHigashi to Nakadakeseiryou Tenboujyo, Nakadake(1508m).
11:20-11:35 Down and up to Takadate(1592.4m).
12:20-14:15 Back to Nakadake and down and walk sand field to crater west, AsosanNishi bus station.Take bus to Kumamoto and Fukuoka.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年3月22日(木)
2.単独行
3.レンタカー\9660 駐車場\410 走行距離94キロ
4.地図:国土地理院1:25000韓国岳
昭文社・山と高原地図67霧島・開聞岳
6時に起きて出発。
7時30分、モノレールの最後部車両に座る。向い側には携帯電話で話しながらOLが座ってきた。出発しても一向に止めない。車内放送で使わないよう案内があるのに、聞いていないので効果がない。一反終わったが、ピリピリ鳴り出し、携帯を使おうとする。「電源切ったら」という。恐れをなしたのか「後で連絡する」と言って終わる。池内紀「湯めぐり歌めぐり」を読む。天空橋に着くと「スイマセン」と声をかけられ、「先程は失礼しました」と言って降りていく。
8時、日本航空カウンターに行くと鹿児島行き393便の32Gにアサインされる。セキュリティで小型ナイフを預ける。昨年の10月から厳しくなった。12番ゲートでB777機に乗り込む。巡航高度になって休もうとしたら、後ろで父親に抱かれた幼児がテーブルを出したり閉まったりして休めない。後ろの空席に移って休む。鹿児島空港に着陸して前に向い、通路に並ぶ。丁度34Gの後ろに立ったところで父親が「先程はお騒がせしました」と誤ってくる。「どういたしまして」
若い人達も自分のやっていることに気づく感性はあるようで、ホッとする。制限品が届くまで携帯を使ってニッサンレンタカーに連絡、国際線近くで迎えに来てくれることになった。場所は空港ビルの向い側だった。6時間分の料金を支払い、ナビゲーションを「えびの高原」にセットしてもらってから11時前に出発。
国道223号線を走って牧園町を通過、霧島温泉郷に入ると湯煙をたてていた。ゆるやかな登りが続き、えびの高原温泉のバス停を過ぎる。
霧島の横断歩道鹿渡る
もっと近づけないかと走っている内に赤松千本原の方に降りてしまう。途中、露天風呂があった。元に戻って道脇に駐車。本など不用なものを車に置いていく。
11時58分、快晴の下、石畳を登っていく。まず硫黄山に行き、左折して丸太棒で石が崩れるのを防いだ道を登る。
賽の河原に出てジグザグに登り、雑木林を過ぎ、急登が続く。
12時30分、5合目。中高年の団体が休んでいる。リーダーが案内していた。「長くいると冷え込みますから、そろそろ出かけます。調子悪くなったら何時でも私か、最後にいる何某に知らせて下さい」お先に登っていく。右手には大浪池が噴火口の中に見えた。
左手の足下も噴火口で、こちらは池になっていない。直径800m、深さ300mの火口内は草も生えない瓦礫だった。
大浪池の火口内には木々が生えている。その違いが風景を一変させているようだ。前方頭上には東南アジアに向う飛行機がジェット雲を作りながら飛んでいく。
13時、頂上に立つ。
新燃岳、高千穂峰が見えたが、桜島は見えなかった。
高校生達が下で食事をとっていた。大阪の明星高校で、船で宮崎まで来て高千穂峰から縦走している。明日は開聞岳を登る。風が冷たいのでレインウェアを着る。近くでオニギリを食べていたら、先程の団体がやってきた。羽田から今朝8時の飛行機でやってきている。毎日新聞のツァーで明日、開聞に登る。
20分後、下山。ストックがないので慎重かつ急いで降りていく。
14時、車に戻り、高千穂河原に向う。30分後、有料駐車場に車を停めて登る。尾羽の長いエナガという青い鳥がチーチーチー、チャッチャッと鳴いていた。石畳の道のあるところは、公園風で木々の名前が書いてある。ヤマザクラ、タンナサワタギ、ヤマハンノキ、アオハタ等。展望場を過ぎると歩きにくくなる。日差しが強いところに出て水を飲んでいたら、青年2人が登っていく。火山灰で足をとられて登りにくい。踏み固められたところを選んで登る。やがて青年が後ろから追い越していく。さっきの2人と同じグループの様子。
15時15分、御鉢の尾根に着く。彼らは休みが終り、歩き出す。火口には落書きが残っていた。
半周したところで、犬を連れた女性ハイカー2人に出会う。犬は風に毛をなびかせ、気持ちよさそうだった。尾根では、まともに風にあたり寒い。吹き飛ばされないように気をつける。御鉢から一反下り、登り返す。足元は一層登りにくくなる。
今度は、一応、登山道が出来ていた。
15時40分、高千穂峰登頂。強風の中、青年達と写真を撮りあう。
彼らは福岡から車でやってきた。途中、祖母山に登っている。2人は韓国岳から縦走、1人は既に経験しているので韓国岳の後、車を運転して高千穂河原に駐車してきている。風が強い上、寒くてじっとしていられない。天の逆鉾を写真に撮っただけで、小石を記念にピックアップして降りる。遠くに韓国岳が見えた。
御鉢に向けて降りていく。
注意しながら降りたが、一度、足をとられ後ろに倒れる。その折、背中に石が当たる。更に慎重に降りていく。
16時50分、駐車場に戻る。序にビジターセンターを訪れる。火山や自然についての情報をパノラマやビデオ、音声で紹介していた。
17時34分、霧島神宮に参拝。ここの桜は蕾だった。神官が明後日には咲くでしょうと言っていた。展望台から桜島や開聞岳が見えるようだが、霞んでいて見えなかった。事務所の奥で横笛の練習をしていた。
霞たる神宮に笛澄みわたる
満開の菜の花畑を見ながら、空港に向う。温泉に入りたかったが、空港まで無事に運転する自信がなかった。暗くなる前に着けるように運転する。
18時40分、空港に着き、三菱石油のガソリンスタンドで満タンにして戻る。94キロ走っていた。超過時間を1時間にして払い、空港まで送ってくれる。398便も空席があり、最後部の窓側に座る。
22時過ぎ、羽田に着陸。
Karakunidake(1700m) border of Kagoshima pref. and Miyazaki pref.
100Famous mountains in JapanTakachihonomine(1574m) border of Kagoshima pref. and Miyazaki pref.
200Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Kagoshima airport→national road504,pref.56,national 223,pref1,
National223,Ebino kougen →pref.road1,104,Takachihokawara
2. Information::Ebino city(0984-35-1111)for Karakunidake
Takahara town office(0984-42-2111)for Takachihonomine
3. Season:all year
4. Records:Mar22
12:00-13:00 Climb from Ebinokougen(1180m) to Karakunidake. You can see crater lake Ohnamiike.
13:20-14:00 Back to starting point. Drive to Takachihokawara.
14:30-15:40 Climb from Takachihokawara(980m) to Ohachi(1408m) and peak where Sakahoko is standing.
15:45-16:50 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
薩摩富士巡り
1.2000年5月8日 ~9日
2.交通:羽田JL393便(08:30―10:10)
バス:鹿児島空港―山川桟橋¥2400
3.宿泊:国民宿舎「かいもん荘」(2007年閉館)
4.施設:フラワーガーデン¥1200
5月8日(月)快晴
6時30分、前日に購入した携帯電話を胸ポケットに入れて出かける。
7時40分、羽田でチェックイン。機内には高齢の登山客が多い。スランバーマスクに耳栓をして休む。着陸前のベルトサインがつく迄グッスリ休む。鹿児島空港に着いて山川桟橋行きのバスを探す。
10時5分、空港案内所で聞いて指宿行き乗場に向かう。切符を買って乗り込んだ途端出発してしまう。高速に入ってしばらくしてから止まり、空港迄戻る。20分発のところを早発してしまった。13人乗ってくる。 バスは幾つかのトンネルを通って鹿児島に行く。
11時過ぎ、皇徳寺で1人降りた。この辺は住宅街、マンションも多い。日差しが強く、道端に花が咲き、新緑がまぶしい。市内に入り、産業道路を走っていく。港に近い卸団地で8人降りていった。 テトラポットより大きいのを作っている。
大東エンジニアリング、IHI等の工場が続いた後、海岸線を走る。日石石油基地の近くに中名駅があり、その前でビジネスマンが降りていく。同乗の客も少なくなってきた。
広島で22歳の孫の出来ちゃった結婚に参列してきた老夫婦がいる。御殿場の妙見堂住職夫婦は、指宿を観光した後、隼人の妙見温泉に泊まる。岩崎ホテルを通り、山川駅で止まる。ここは日本最南端の有人駅だった。
12時33分、開聞行きJRバスが出る。県立山川高校が丘の上に建ち、そこを過ぎると客も少なくなっていた。空港から一緒で前に座った年配の人は93歳、曾孫の節句祝いの為、群馬、栃木を旅して羽田まで送ってくれた。徳光で降りていく。
フラワーガーデンでバスを降りて、時間をつぶす。入場料を払って歩いていくと、オランウータンを連れた飼育係りの女性に会う。
入り口の門ではオウム2羽に上から迎えられる。開運をよぶ白蛇やサボテン、フラミンゴ、猿、金魚を眺める。
13時30分、チンパンジーショーが始まる。さっき会ったチンパンジー「ミッキー」が棒高跳び、ダンクシュート、クッキング、裁縫を演じていた。15分で終り、しばらく園内を歩く。海岸に出ると開聞岳が右手にどっしりと構えていた。左手に長崎鼻の灯台が見える。長崎鼻は薩摩半島の最南端だった。
開聞は「海門(かいもん)」から名づけられているようだが、日本から東南アジアに向かう時の空の通過点でもある。赤い小型バスに乗り、開聞温泉前で降りる。150mほど奥に行くと古ぼけた共同浴場がある。中には老男老女がつかっていた。入らずに海岸を歩く。波打つ音が気持ち良い。トンビが大きな羽を伸ばして悠然と頭上を飛んでいた。
海鳥が沖で海面に突っ込み魚を捕っている。浜辺では鳥の足跡が残り、その近くに魚のハラワタだけ消えた死体が残っていた。
15時30分、裏から国民宿舎「かいもん荘」に入る。304号室に入ったところで携帯電話が鳴る。携帯を持ってはじめての受信。鹿児島のKさんからだった。産後、産婦人科に行っていた。明日、下山後、会うことにする。
外に出て散歩。明日のためにバス停留所を確認し、さつまいもやカボチャ畑を通る。川尻小学校を過ぎると酒屋があった。薩摩焼酎「薩摩の香り」を買い、雑貨屋で明日の登山に備え、水と行動食を買う。魚が豊富なせいだろうか、猫が多い。宿舎に戻って露天風呂に入る。鉄分が多い。開聞岳を近くに眺めながら湯につかる。
五月晴れ開聞浮かす温泉湯
露天風呂山をかぶせしよしずばり
18時、食堂で夕食。食後、部屋でテレビを観ながら寝てしまう。深夜、テレビの音で目を覚ましスィッチを消す。夜空に飛行機の赤い光が点滅しながら通り過ぎていく。闇夜に開聞岳の形が見え、波の音しか聞こえなかった。いよいよ明日、東南アジアに向かう航路から良く眺めていた山へ登るので寝つけなかった。
開聞岳(922m)
地図:国土地理院1:25000開聞岳、長崎鼻
昭文社・山と高原地図58霧島・開聞岳
5月9日(火)
6時、目覚まし時計で起きる。小鳥の鳴き声が波の音より姦しい。朝食をとり、テルモスにお湯を入れておく。
7時21分、赤いJRバスに乗り、運転手の直ぐ後ろに座る。初老の男性がリュックを背負って乗ってきた。奥さんが見送っている。指宿で落ち合うという。新潟三条市の「おいらく会」事務局長をしており、千メートル台の山を登っている。往復必ず同じルートをとり、調子が悪い時は留まり、戻るようにしている。運転手曰く、今月中旬でこのルートの運行は廃止される。これだけ少ない客では、廃止も仕方がない。
7時半、開聞中学前で降りる。ここから山が二段構えになっているのがわかる。
自動車道を歩いて20分、ふれあい公園の中にある登山口に出る。斎藤茂吉の歌碑が建っていた。
開聞は園かなる山とわたつみの中より直に天に聳えけれ 斎藤茂吉
アオキ、イヌビワ、サカキ、モミなどの常緑広葉樹林の中を徐々に登っていく。途中、山猫に出会う。45分後に5合目通過。苔が樹木を覆っていた。
6合目あたりから岩が出てくる。9時、ベンチのある7合目を過ぎると、大岩が積み重なってくる。
この山は885年の噴火でコニーデ型の火山の上にトロイデ型の火山が重なって出来ている。この辺からトロイデ部分のようだ。ハゼの木だろうか低くなった樹間から太平洋が見えてくる。
時計回りに巻いて登り、山伏の修行場である仙人洞を過ぎ、岩場を登る。鳥居と祠があった。
9時50分、開聞岳登頂。
池田湖や鰻池は良く見えるが、対岸の大隈半島になると霞んでいた。77歳のハイカーは今朝、鹿児島から自家用車でやってきた。他に、沖縄で失業し、千葉の実家に単車で帰る途中の青年は、この後、宮崎に出てフェリーに乗るという。ここには枚聞(ひらきき)神社奥宮の祠と鳥居、そして昭和63年7月20日に皇太子殿下が登頂された記念の碑があった。石碑は開聞岳の形をしている。
オニギリにお茶で腹ごなししてから降りる。枕崎に行く途中の町「えい」の小学生が登ってきた。
開聞岳遠足の列続きをり
最初の3人から30分の間隔で続いていた。5合目で一息ついていたら、赤ヘルメットをかぶり、リュックの下に小さなバケツを下げた青年がやってきた。京大大学院生で、桜島と開聞岳の火山活動調査をしている。手には土を掘り起こす道具を持っていた。885年の爆発で現在の山容が出来ているが、その後の爆発は起きていないと言う。
11時40分、登山口に戻る。水を補給していたら、中年ハイカー夫妻がいて、山川駅に帰るところだった。松戸の自営業者で登山暦7年、既に百名山を58登頂している。一緒に歩いていく。バス停の前のお墓は立派な上、花が供えられていた。山川駅行きバスに乗ったら、朝のバスに乗っていた高校生に会う。学校帰りで、卒業後は働きに出るという。
山川駅、12時45分発。西鹿児島駅、14時15分着。中央郵便局に向かう。白髪の女性が私の名前を呼んでわかった。Kさんのお母さん。バスで来ると思っていたらしい。赤ちゃんは姉が面倒見ている。まず長島美術館に向かう。途中、お墓を通る。ここも花で一杯。美術館からは桜島を一望できた。館内には焼き物、大島紬が展示されている。次に南に走る。ラサール高校を通り、大きなレストランに入り、キビナゴの天ぷらとケイハン(鶏飯)を食べる。食事中、Kさんの名前のことが話題になる。ご両親が熱心なキリスト者及び教育者で、聖書の詩篇23編に「いこいのみぎわ」とあり、そこから「みぎわ」と名づけた。久しぶりにキリスト教の話になる。復活の意味が解けたようだ。イエスは神の道に化けたのだ。
道化なるキリストの春復活せり
再び街に戻って、念願のドバラダ門の前に立つ。
鹿児島刑務所の門。高校同期生が「ドバラダ門」という本を書き、ここでピアノを弾いている。彼の祖父が建築家で、日本の5大監獄を設計、その内の一つ。その刑務所だったところが、今はアリーナになっていた。近くの甲突(こうつき)川は7年前に堤防が決壊しており、堤防が頑丈かつ高く築かれていた。
次に西郷隆盛像の前を通る。上野公園とは違って太い眉が凛々しく跳ね上がっていた。車が止まったところは、隆盛が城山で立てこもった洞窟だった。
薩摩切子の店では桂石から七色の作品に仕上がるまでの経緯が展示されていた。最後に島津別邸、神社、尚古集成館、フランシスコ・ザビエル上陸記念碑を周っていく。桜島を車内から眺める。噴煙は見えなかった。
18時20分、2人に挨拶して空港行きのバスに乗る。棕櫚の並木を通って空港へ行く。未だ陽が落ちていない。
20時にチェックイン。JL398便はB777機材。機内でぐっすり休んだ。
Kaimondake(2544m) in Kagoshima pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Airport→Yamakawa station→KaimonTozanguchi by Kagoshima koutuu bus(0993-22-2211)
2.Information:Kaimon tourist center (0993-32-2677)
3.Season:Jan to Oct, Aug to Dec
Records:May9
7:50-8:40 Walk from gate(in Fureai park160m)and climb to 5th stage(520m).
8:45-9:10 Climb to 7th stage(about680m).
9:10-9:50 Climb to peak. There is momument of prince Naruhito.
10:15-11:40 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1999年8月10日~11日
2.単独行
3.交通:広島―米子(特急)¥4940+¥1150 バス:米子=大山¥1720 米子―広島¥3800
4.宿泊:ホテル真田¥4000
5.地図:国土地理院1:25000伯耆大山
昭文社・山と高原地図53大山・蒜山高原
8月10日(火)
宿泊所広島プリンスホテルは、6日の原爆記念日式典に参加した小渕首相が泊まっていた。5年前、宇品島の中に建ち、橋一つで繋がっているので警備上、安全なリゾート風ホテル。
13時半にチェックイン。シャワー、洗濯をすませる。20分置きに出ているバスに乗って広島駅に向う。八丁堀など市内の目抜き通りを走っていくので時間がかかった。
16時、駅前に着き、取りあえず近距離最長切符を買って入る。10分、快速スーパーらびっと号四両編成は7番線ホームに入ってきた。三原駅までノンストップ、検札の時に米子までの追加料金を支払う。
17時50分、福山で、孫2人を連れたお祖母さんが隣に座ってきた。兄妹は仲良くタコ焼きを食べ、ポカリスウェットを飲み、お祖母さんは「午後の紅茶」を飲みながら岡山までの駅名を延々と教えている。岡山からバスに乗って孫たちをジジババの家に連れて行く。倉敷駅で降りて新見まで鈍行に乗り継ぐ。待つ間に米子駅近くの宿泊先に電話、グリーンホテル米子は満室、ホテル真田には一室残っていたので予約する。各駅電車は通勤用で通勤、通学客で一杯だった。リュックを網棚に置き、何とか座らしてもらう。耳栓をつけて本を読む。夜の一人旅は、景色に誘われることなく読書に集中できる。途中、対向車や特急の通過を待つ。
夜汽車乗り一人書を読む夏の旅
20時11分、新見駅。電車は折り返し岡山に向う。5分後に特急「スーパーやくも25号」がやって来た。お客は殆ど休んでいる。走る響きが心地よい。
21時17分、米子駅に着き、大通りに面したホテル真田に入る。部屋は奥にあり、テレビ、バス、トイレ付きで山小屋より格段に良い。缶ビールを飲んで休む。
8月11日(水)
7時、チェックアウト。駅に行って大山寺行きのバスを確認する。
2つの会社が運営していて7時40分発があった。駅内のコンビニで登山用の食糧を買い、ざるソバを食べる。鮭寿司が売りの店「米吾」に入って昼食用に鮭寿司を買っておく。バスに乗り込むと、年配のハイカーが前に座る。東京発の夜行バスで7時に着き、登山後は玉造温泉に入って帰る。日本の山と温泉を歩きまわっておられる。利尻から屋久島まで、いろいろと顛末を聞く。バスは国道24号線を走っていく。
8時40分、大山寺。先輩と別れ、広島行き高速バスの時刻を確認しておく。米子発は15時30分と18時10分があった。観光センターに寄って登山情報を得、序に洗面具や本をバッグに入れて預からしてもらう。
9時、出発。旅館街を抜け、川を渡り、石畳の参道に入る。志賀直哉が「暗夜行路」を執筆した場所、蓮浄院は荒れていた。
参詣道に入っていく。左側の水路に水はけがよくなるように道が傾斜していた。杉林の中、学生が山に向って走っていく。合宿で運動しているようだ。行者谷からはブナ林をジグザグに登っていく。1時間後に見晴らしの良いところに出る。
眼下では砂防工事を大々的にやっていた。家族が多い。小学生の女の子が「オハヨウゴザイマス」と挨拶する。福山から祖父母と一緒にやって来たという。6合目避難所を通るとホソバノヤマハハコや薊、紫陽花の花が咲いていた。
11時5分、8合目を過ぎると尾根に出る。高度1600m、冷風が気持ち良い。
見慣れぬ花がどんどん現れる。おばさんハイカーに名前を聞く。「どっちだったかしら」と迷っていたら、避難小屋からオジサンがマイクを使って教えてくれる。「紫色のがウツボグサ、白がホソバノヤマハハコ、黄色がコオトハナ」
木道が山頂まで続いていて自然が保護されている。ダイセンキャラボクという樅に似たイチイの変種の木が地を這うように枝を伸ばし青々としていた。かって山頂一帯が禿山になって雨水による侵食が進み、地元の人が登山者に呼びかけて麓から石や苗木を山頂に運ぶ「一木一石運動」を展開した成果だ。
11時35分、弥山に登頂。雲海の上に立ち、清々しい。
剣が峰への道は通行止めだった。
蜻蛉が気持ち良く飛び交っている。停まる姿は、尾を高くあげているのもいたり、いろいろだった。
雲上の伯耆富士山蜻蛉舞ふ
背中にあてたタオルを絞ったら、汗水がドッと出てくる。気圧のせいでパック入りインスタントソバがパンパンに膨らんでいた。お湯を入れて食べる。
12時半、出発。今度は石室を経由して降りる。梵字ヶ池は枯れあがっていた。右も左も瓦礫、下からガスが立ち込めてきた。元の道に戻る。バスで一緒だった先輩が休んでいた。
夜行で来たので、やはりかなり疲労している様子だった。ストックを使って降りる。
5合目で行者コースをとる。木棒で出来た階段が続く。ハイカーは、いなくなる。その内、堰堤工事現場に着く。
ここには元谷避難小屋もある。炎天下から見上げた風景は、上高地から望む穂高連峰に似ていた。ブナ林を降りていく。一息ついて横になって休む。空というキャンパスに無数の葉が埋まっていた。
昼寝時ブナの葉模様天に画く
大神山神社が下に見えてきた。
遠回りして「僧人コース」を降りていく。参道には「日本一長い自然石の参道」と書いてあった。参道の土産店でビールを買って飲んでいたら、福山から来た家族に会う。
14時40分発のバスに乗り込む。米子発15時30分に間に合うかどうか、運転手に聞くと、上手くいっても丁度その時に着くので無理という。諦めて途中の米子市美術館前で降りる。ところが水曜日は閉館。近くの米子市立山陰歴史館に入る。ここは15年前まで市庁舎だった。米子城の築城から代々の城主のことや、明治時代の人力車やだるま式自転車が陳列してあった。館長がかってミャンマー日本人学校に赴任していたため、ミャンマーの資料も展示されていた。面白かったのは大日本金満家リスト。明治36年では、大関に小西新右衛門、本間光郷。関脇に三井源右衛門、三井守之助。別格に毛利、前田、島津など元大名家の名前が書いてある。昭和4年になると、横綱は岩崎家、大関に住友家、小結が野村徳七。2.26事件の西田税は米子市の出身だった。
外に出て、星座をあしらった街路を歩いて駅に行く。広島バスセンターで切符を買っておく。食事を済ませトイレでシャツを着替え、バスの中で汗臭さがないようにしておく。
18時15分、予約客が乗ってから出発。座席は倒せるし、居心地が良い。しばらく川に沿って登っていく。2時間近く一般道路を走ってから中国自動車高速道路に入る。七塚原サービスエリアで10分休憩。その間にキツネソバを掻きこむ。
21時25分、広島バスセンター着。タクシーでホテルに戻る。
Daisen(1709.4m) in Tottori pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus: from Yonago station to Ohyamaji.
2. Information:Ohyama town Ohyama branch(0859-53-3311)
3.Season:May to Nov
Records:Aug11
8:45-9:00 Walk from Ohyamaji bus station(770m) to gate.
9:00-10:20 Climb to 6th stage(1411m).
10:25-11:05 Climb to 8th stage.
11:05-11:35 Climb tree way among Daisen taxus cuspidata to peak and take meal.
12:30-14:30 Down to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年9月18日 (月)
2.単独行
3.交通 鉄道:上中里―土合¥2940 ロープウェー:往復\1900+リフト¥400
バス:土合―水上温泉\650
4.温泉:ホテル松葉屋¥800
5.地図:国土地理院1:25000茂倉岳、水上
昭文社・山と高原地図⑯谷川岳
9月18日(月)
台風17号が過ぎ去り、今日は快晴の予報だった。
4時45分、家を出る。新聞配達の自転車が動いている。空は東から明るくなってきた。上中里駅の営業は6時からなので、自動販売機で高崎迄買っておく。
5時2分、大宮行きの電車に乗り、赤羽で高崎線のホームに移る。頭上に月が輝いていた。20分後、通勤用電車に乗る。途中、車掌が通ってきたので土合迄の乗り越し手続きをする。
6時54分、高崎着。ホームの立ち食い食堂で掻揚げ蕎麦を食べる。
7時13分、水上行き出発。8時16分、水上着。8時23分、長岡行き出発。
8時32分、土合に着いた。トンネルの中から急いで462階段を登り切ったが、39分発のバスに乗り遅れ、歩いて行く。
滋賀バスや乗用車が続々と通り過ぎていく。
9時10分、土合口から天神平までのロープウェーに乗る。東京からの女子大生3人と同乗。10分後、天神峠(1502m)迄リフトを使う。展望台から谷川岳が一望できた。
9時半、出発。雨上がりの柔らかい道を歩いていく。天神平からの道と合流してからは木道になる。ブナや石楠花の樹林帯を通っていく。
雨やみて秋風運ぶ木の香り
熊穴沢の避難小屋に出る。左側の道は谷川温泉への道、右の道を歩くと急坂になる。親子バッタが道端でジットしていた。
第一見晴らしに出る。福岡から来たハイカー2人と写真を撮りあう。
彼らは羽田からレンタカーでやってきて昨日、雨の榛名山を登ってきたという。更に急登に挑戦、ガレ道を登る。木組みの岩道には両側にロープが張ってあった。ガスと共に冷風が吹き降りてきて気持ち良い。
谷川尾根片や秋晴れ片や雲
11時20分、肩の小屋。ベンチに座ってコーヒーを飲み、パンを食べる。笹原の間に出来た道を登って山頂トマの耳に達する。
マチガ沢の方から滝の音が聞こえた。人が多いので引き続き、オキの耳に向かう。
12時、ハエマツやダケカンバを見ながら登頂。1977m。
こちらには人も少ない。一の倉岳に向かう道端に座って食事をとる。
この辺にも虫や蝿がいた。向い側の白毛門山から湯桧曽川にそそぐ松の木沢はガレになっていて岩肌が白い。眼下はるかに駐車場が見えた。
トマの耳の方を見ると、耳に瘤付き岩があり、その下から絶壁になっている。
30分後、元の道を下山。
14時15分、ロープウェーまで戻る。ロープウェーの足元の換気孔から涼風と渓流の音が聞こえてきた。
15時5分、上毛高原駅行きのバスに乗って30分後、水上温泉駅前で降りる。近くの観光協会で入浴できる場所を確かめ、ホテル松葉屋まで歩いていき、風呂に入る。利根川になったばかりの川が側を流れている。オッサンが1人入っていた。ここに宿泊しており、奥利根館に行って露天風呂に浸かってきた。1人になったので本を持ち込んで脚立に座って読む。身体全体に汗が滲み出したところで汗を流して出る。
16時55分、上野行き電車が出発。車内は下校の高校生で一杯だった。高崎まで利根川に沿って走る。夕焼け雲は未だ積乱雲だった。
19時33分、赤羽に着き、京浜東北線に乗り換えて帰る。
Tanigawadake(1977m) border of Gunma pref. and Niigata pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Doaiguchi station-TenjinTouge by ropeway(0278-72-3575)
2. Information:Minakami town tourist&commerce/indusry (0278-62-2111)
3.Season:midJun to Oct
Records:Sep18
8:32-9:10 Walk from Doai station to Doaiguchi(746m).
9:10-9:30 Take ropeway to TenjinTouge(1321m).
9:30-11:20 Climb to Katanokoya(1950m).
11:20-12:00 Climb to Tomanomimi(1963m) and Okinomimi(1977m).
12:30-14:15 Down to ropeway.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.出発日:2000年10月9日
2.単独行
3.交通: 新幹線:仙台―郡山(自由席¥2520)仙台―猪苗代¥2940
タクシー:.猪苗代―登山口¥1890
4.温泉:裏磐梯高原ホテル¥700
5.地図:国土地理院1:25000磐梯山、猪苗代湖、中ノ沢
昭文社・山と高原地図⑪磐梯・吾妻
10月9日(月)雨ときどき曇
5時の天気予報では、午前中迄雨それから回復するというので決行する。
5時45分、仙台駅前吉野家で納豆朝食を食べる。中の客は女の子だけだった。駅で新幹線の切符を買う。自動改札では、切符2枚一緒に入れる。ホームで自由席と反対方向に行ってしまい、車両に乗り込んでから向かう。
6時5分動き出す。グリーン車は座席も広く、2階席やビデオのある個室もあった。誰もいない。指定席にいる人の大半が食べたり、食べる用意をしていた。これから海外に行くのか既に出国カードを書いている人もいた。
6時54分、郡山駅。乗り換え口に行き、2番ホームへ降りて行く。会津若松行きに乗り込む。3両編成だった。
6時59分、出発。奥羽大学の前を走っていく。猪苗代駅には7時40分定刻に着く。磐梯高原行きバスは40分後に出るので、国際スキー場から登るのは止めて、猪苗代スキー場から登ることにしてタクシーを使う。ゲレンデ前の温泉場で降りる。
8時30分、レインウェアを着て登山口を出る。静岡から来た初老ハイカーが降りてきた。視界が悪いし、滑るので戻ってきた。しばらく作業道を歩く。ゲレンデを横断してから登山道を登る。紅葉が鮮やかだった。休業中のレストランを過ぎ、ゲレンデに沿って登っていく。鹿だろうか、尿の臭いがした。黄葉した樹林帯の中を登っていく。雨は止んだが、視界が悪くなっていく。
9時55分、沼ノ平で一休み。「ガスに注意」の看板が立っていた。
再び雨が降り出したのでガレ場を登る。30分後、火口尾根に着く。風が強い。噴火百周年記念の杭が立っていた。1888年7月7時45分の大噴火により、小磐梯山が吹き飛び、その時の泥流で11の集落を埋没させ、460人が亡くなっている。一方、渓流が堰きとめられて300以上の湖沼が出来た。尾根伝いに歩き、天狗岩を過ぎ、弘法清水小屋から一気に急坂を登る。清水を飲んでいる余裕はなかった。
11時15分、登頂。石祠には皇高天原命が祀られていた。
オニギリを食べ、お茶を飲む。弘法清水まで来た道を戻り、岡部小屋で一服してから左に降りていく。樹林帯に入ると、赤、緑、オレンジ、黄色と雨で洗われた葉の色が瑞々しかった。
振り向けば五色の紅葉山覆ふ
空はどんよりとしているが、黄色の葉と地に落ちた茶色の枯葉が辺りを明るくしていた。
13時10分、中ノ湯分岐点で北に向う。穏やかな道になった。
13時45分、銅沼(アカヌマ)に出た。赤錆びた色の岩が点在した沼で自然の庭園だった。1人たたずみ、景色を堪能する。
引き続き降りていくと、左手に沼がある。澄んだ水の下に藻が映っていて、その藻が動いていた。
スキー場に出る。刈り取った草原を一気に降りていく。既にゲレンデのチェーンが動いている。スキーシーズンの前に試運転をしているようだ。落石防止の壁工事で、絶壁をクライマーのようにぶら下がっている。裏磐梯スキー場ロッジを右手に見ながら歩いていく。振り向くと磐梯山が見えた。
国道459号線に出る前、テニスコートの方から裏磐梯高原ホテルに行く。手前に弥六沼があった。
風呂に入れるか聞くと、午後3時まで使えた。靴を履いたまま、タオルをもらって入る。露天ではないが、弥六沼が見え、先に磐梯山が見えた。風呂からあがってビールを飲み、バスに乗る。
15時40分、出発。桧原湖に出て、裏磐梯噴火記念館前で止まり、五色沼入り口、川上温泉、国際スキー場を通って猪苗代営業所に16時15分到着。
16時31分、出発。45分後、郡山駅に着き、ホームで立ち食いソバを食べる。
17時36分、4両編成の電車が出発。途中、館腰駅で車両故障が発生したため、大河原駅で停車。仙台に戻ったのは20時30分だった。
Bandaisan(1819m) in Fukushima pref.
100Famous mountains in Japan
1.Access:Inawashiro station -Gate by taxi
Bandaikougen-Kouriyama by Fukushima koutuu bus(024-943-1651Kooriyama)
2.Information:Inawashiro tourist assciation (0242-62-2048)
3.Season:midMay to Oct
Records:Oct6
8:30-9:55 Climb from gate(690m)to Numanodaira(1380m).
10:00-10:30 Climb to Kakouone.
10:30-11:15 Climb ridge and pass Tengudake,Kouboushimizu lodge(1630m),climb the steep slope to peak.
11:50-13:10 Back to Kouboushimizu lodge,turn left,Okabe lodge,down the steep lope and ridge to Nakanoyu(1290m).
13:15-13:45 Down to Akanuma (1105m)where is beautiful scenery.
13:50-14:50 Walk to Urabandaikougen hotel(1000m) and take bath.
15:40-17:16 Walk to Bandaikougen bus station and take bus .
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
西吾妻山(2035m)
1.2000年7月17日
2.単独
3.交通:新幹線 仙台=福島(06:05-06: 50 )福島=米沢(07:01-07:48)バス 米沢=白布湯元(08:00-08:41) ゴンドラ&リフト湯元駅=天望台(09:00-09:30) バス 白布温泉=上杉神社(15:53-16:25)新幹線 米沢=山形(17:40-18:13)快速 山形=仙台(18:27-19:41)
費用:新幹線:仙台―福島¥3070 JR:福島―米沢¥740 ゴンドラ・リフト:湯元―展望台¥1500 バス:白布温泉―上杉神社¥700 新幹線:米沢―山形¥2620
4.温泉ほか:西屋旅館の湯¥400 上杉記念館¥310
5.地図:国土地理院1:25000吾妻山、天元台、白布温泉
昭文社・山と高原地図⑪磐梯・吾妻
7月17日(月)
4時50分起床、トイレで頑張ったが排便出来ずに出発。街には若者が屯していた。
5時半、仙台発特急北斗号は全席寝台で福島に行くだけでも8千円以上かかるので新幹線にする。5時50分に改札オープン。自由席のある車両に向かう。途中、伯養軒でオニギリセットとウーロン茶を買う。6時5分発やまびこ110号は、車庫停電のため遅れるとの案内。その間、続々とビジネスマンがやってきて並んで待っている。月曜の朝、単身赴任者が出勤する姿。15分遅れで出発。二つ目の福島には6時50分に着く。
一反、改札を出て米沢迄の切符を買い、5番線に行く。2両編成。各自、外からボタンを押してドアを開け閉めする。車内冷房の電力節減に協力している。
7時1分、定刻に出発。複線だった。うっそうと繁った緑の中、駅は雪や風除けのためかドーム状になっている。長いトンネルを過ぎたところで「峠」という駅につく。いかにも峠の雰囲気。電車は直ぐ降って行く。快晴だった天気も、トンネルを幾つか越えると曇ってしまう。
米沢駅は新しいが簡素。駅内のコンビニで食糧を調達。他の電車から来た通学生がどっと出てきて列をなして歩いて行く。
8時5分、白布湯元駅行きのバスが出る。上杉神社の近くを過ぎ、単線の米坂線を越えて行く。「興譲館」口では、英語教師らしき白人女性が女生徒と一緒に降りて行く。
8時48分、湯元駅。ロープウェイのある建物に入り、トイレに行っておく。
9時、切符を買って乗り込む。16人乗って出発。高度差350mを5分でつく。
天元台ホテルは廃業していた。次のリフトは、3回乗る。夏場のリフトでは最長という。トンボと一緒に動いていく。下に植えている草木に名前のプレートがついていた。「うらじろようらくつつじ」「のりうつぎ」「おおしらびそ」「くまのみずき」・・朝露が少し残っていた。
9時20分、2回目のリフトは、2人用の席。ゆったりと登って行く。ハクサンチドリの花が咲き、樅の木が増えてきた。次のリフトでは、バーを卸して動き出す。高さ7mを動くので安全上必要だ。
石楠花が下に咲いていた。
空気も一段と冷えてきた。スキーコースを越えて行く。
9時45分、高度1820mの北望台に着く。登山用の道に行く人はいない。昨日迄雨だったせいか、所々ぬかるみになっている。オオシラビソ林の中を登って、かもしか展望台に出る。石の上を歩きながら展望の良い所を探したが、ガスが下から吹き上がってきて駄目だった。再び登山道に戻り、木道を歩く。山茶花、コバイケソウの花が咲き、蜂がコバイケソウの花に群がっていた。孔雀蝶が休んでいる。
脚立をセットして写真を撮っている人達は、アングルや光線がピッタリする迄じっと見つめていた。
コバイケソウ吾妻湿原独り占め
雪渓を渡ると、遠くに一切経山の雄姿が見えた。ワタスゲ、チングルマやイワカガミの花も咲いている。反対側、グランデスキーの方に車を置いて登って来た夫婦に会う。東吾妻山を近くに見ながら登って行く。梵天岩の脇を通り、吾妻神社の見える岩場天狗岩に出る。
神社前で2人と別れ、西吾妻山に向かう。しばらくすると、ぬかるみがひどくなる。ストックを持ちスパッツをつけて歩く。
11時30分、西吾妻山登頂。あっけなかった。
これでは登山にならない。オオシラビソの林の中でパンを食べ、水を飲んでいたら、忽然と女性ハイカーが現れる。福島から車で天元台迄やってきて、これから西大巓迄行って帰る。あそこ迄行くと桧原湖等が見え見晴らしが良いという。
「若女平(ワカメタイラ)コースは一度行きましたが、単調で長いですよ」
西大巓が近くに見えてきた。木道を歩き、西吾妻小屋手前のT字路で別れる。
右折して林の中に降りて行く。登山道は小川のようになっていて、ひたすら石と泥と根っこの上を降りて行く。延々と同じ動作を続け、修行気分で足元を見ながら1時間。潅木の中を歩いていると、小鳥の動きで足がとまる。ウィチーチー、ウィチーチーと鳴いている。
梅雨明け前蜘蛛糸わけて一人行く
13時、曇ってしまい、お化けでも出そうな森の中だったが、木洩れ日が差してくると気分も心地よい。汗の臭いで虻が近づいてきたので、虫除けスプレーを首と手にかける。(翌日からアレルギーが出てしまう)
14時、広場に出る。後ろに西吾妻山が見えたが、特徴のない山容だった。登頂迄が簡単だったが、滑りやすい下りを続けたせいか償いは終えた気持ちになる。途中、行動食をとっていたので、昼食をとらずに歩く。風景はブナ林に変わり、道もゆるく、ぬかるみもない。しかし湿気が増えてきた。途中、見晴らしの良い所が一ヶ所あり、そこからさっき通った天元台の建物が見えた。
その後、鬱蒼とした杉林に入る。殺伐とした風景に羊歯や下草が生命の証を見せていてほっとする。
15時過ぎ、川を渡る際、小さな滝があった。
今朝、バスで通った道に出、温泉に向かう。バス停留所の近くに西屋旅館があった。
丁度そこから箱を持って出てきた男性に一風呂浴びられるか聞くと大丈夫。荷物を玄関に置き、靴を履いたまま中庭に入り、男湯 に入る。脱衣して露天風呂かと思い、外に出たが見つからない。丁度2階の部屋から顔を出していた客に聞く。お風呂は脱衣場の向かい側にあった。時計をつけていく。1人の年配客が湯に浸かっていた。温泉巡りをして楽しんでいる隠居。湯は熱い。じっとしてる。滝湯をすすめられる。仕切られた奥に3本の湯が屋根近くから落ちていた。
1本は耐えられる熱さだが、他のは我慢できなかった。早々に出て上半身裸のままで玄関に戻り、丸首シャツを着て缶ビールをグビグビ。パンフをみたら、湯滝の宿で茅葺き入り母屋造りで2百年以上の歴史がある。NHKで雪の中を放映していた所だ。太い梁や黒光りした柱が歴史を感じさせた。
15時53分、バスがやってきた。最前席にハイカーが座っていた。反対側に座って話す。宇都宮から来た定年過ぎの人で、昨日、天元台で宿泊、中大巓と東大巓を歩いてきた、これから福島に出て新幹線で帰るという。
予定通り登山を終え、時間に余裕ができたので、上杉神社に寄っていく。城の脇では博物館を建てていた。
米沢城の堀に出て左折、上杉記念館に入る。17時迄開館、上杉鷹山の資料展示や大広間を見て歩く。居間の廊下から庭を見ていたら、彫像の下に犬がいる。裏側から入ってきたようで、主人に彫像のことを聞く。米沢市政に貢献した人だそうだが、場違いの感じだった。
次に堀の橋を渡っていく。鷹山の銅像が右手の公園にあり、左手の案内版には、鷹山の文章が書かれていた。
なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは人のなさぬなり
神社に参拝する。大正8年の米沢大火で焼失したが、4年後、明治神宮や平安神宮を設計した地元出身の伊東忠太博士の設計で再建している。
17時前、社務所の人が閉所の準備をしていた。お堀には大きな鯉が口をパクパクさせて餌をねだっている。残っていたパンをちぎって落とす。側に鳩がやってきた。手の平にパンを置いて差し出すとチョコっと嘴ではさみ呑み込む。
駅に行くバスは40分に来る。時間があるので街の中心になる道を歩く。閑散としていて、歩く人は殆どいない、車か自転車が行き交っている。
17時40分前、駅について駅員に山形に行く特急に乗りたいのだがと聞く。ホームには既に山形新幹線が着いていた。急げば間に合うからと臨時入場券を渡される。階段を昇り降りして走り込む。間に合った。車掌から仙台迄の切符と特急券を買う。16、17号車が自由席になっており喫煙車の方が空いていた。座って残飯を食べ、ワインを飲む。赤湯を過ぎるとビニールハウスが麓を被っている。近くのハウスをよく見ると葡萄栽培だった。蔵王山は中腹までしか眺められない。
18時13分、山形駅着。7番線に移り、快速仙台行きの3両編成に乗り込む。
18時27分、出発。山寺駅に停まる。左手に大きな岸壁も見えた。緑深い山間を走っていく。段々と疲れが出て終点迄休む。
Nishiazumayama(2035m) border of Yamagata pref. and Fukushima pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Yonezawa-ShirabuOnsen by bus YamagataKoutu (0238-22-3392)
2.Information:Yonezawa city office(0238-22-5111)
3.Season:Jun to midNov
Records:Jul17
9:00-9:45 Take lift from ShirabuOnsen to Tengudai,Hokuboudai(1820m)
9:45-10:05 Climb to Kamoshika observatory(1940m).
10:05-11:30 Walk tree way, ridge,pass Tenguiwa(2005m) to peak.
11:35-13:00 Down to Wakametaira.
13:10-15:05 Down to ShirabuOnsen(850m) and enjoy Spa at NishiyaRyokan.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1999年7月11日(日)
2.単独行
3.交通:特急名古屋―中津川¥2430 バス:中津川―川上スケートセンター¥500
快速中津川―名古屋¥1280
4.地図:国土地理院1:25000恵那駒場、中津川
昭文社:山と高原地図42木曽駒・空木岳
7時10分、特急しなの一号の自由席に乗って名古屋駅を出発。中津川に43分で着く。駅から恵那山がどーんと見えた。日曜日、好天気なのにハイカーは他にいないので、タクシーで相乗りできない。バスにする。
8時5分発のバスには他に1人、市役所清掃に行くオバサン。市役所の近くには、救世教だの世界文明某だの新興宗教の建物があった。オバサンが降りると貸切りになる。この路線は集落の人が市役所に行くのに使われるのが主だという。
8時27分、川上スケートセンター前で降り、中津川を11キロ遡っていく。川原に車を乗り入れてキャンプしている家族がいた。ハイカーが運転する車が次々と過ぎていく。右手に本流の太い響き、左手に小さな滝の音が聞こえていた。
9時40分、水場に出る。美味い。ところどころに駐車している車は、岩魚釣りに来ている人達のだった。朝3時に起きてやってきて岩魚5匹釣ってきた人が帰っていく。林道の脇には、山苺が実をつけていた。
10時35分、黒井沢登山口。2人の蝶採集家が大きな捕蝶網を持って歩いていた。つい同行して川に沿って歩いてしまう。気が付いて戻り、営林署小屋前から登山道に入る。
曇っていて歩きやすい。桧、樅、栂といった針葉樹とミズナラ、コナラといった落葉樹が混ざった林の中を登る。木々に名前が書いてあるのでわかりやすい。
11時30分、休憩小屋でアンパンを食べる。6時前から登ってきた人に会った。上は雨だという。50分後、一服。しかし蚊に追い立てられてジグザグに登る。深田久弥がこのルートで登っている。
山登り汗かき藪蚊まといつく
しばらくして野熊ノ池に出る。池は澄んでいて倒れた木が見えた。
雨が降ってきたので、スパッツを付けて歩く。更に50分後、倒木に座って休み、リュックカバーを付ける。
熊のこと忘れさせりし鳥の声
石仏を通り、笹の茂るカラマツ林を歩く。
15時、恵那山登頂。
潅木と笹に囲まれていた。避難小屋に戻って休む。
置いてあるノートに記帳。ここから富士山を見たことが書いてあった。外は本降りとなり、傘をさして降りていく。野熊ノ池も水量が増えていた。次第に雨が止み、静寂な原生林の中を黙々と歩く。ミヤマシオガマが群落していた。
17時40分、登山口に戻る。丁度、頂上で会ったハイカーが車で帰るところだったのでバス停まで乗せてもらう。岡崎の人で運送会社勤務、1人は百名山に挑戦していた。道路にも水が溢れていて、ゆっくり走る。停留所まで30分かかった。お礼を言って別れる。
18時30分発のバスでは、お婆さんと一緒。隣りの村から嫁いで50年、ここのことは知り尽くしていた。
「昔は青年団が協力して道を造成したもの。スケート場は、かって田んぼの水が凍って、そこで滑っていたところ。三菱製糖が施設を造ってくれた。出来たときにはさ、バス80台連ねてきたものさ。上空にはヘリコプターで取材していたさ。恵那山には恵那神社から三ノ宮、二ノ宮、一ノ宮と登っていったもの。かって九州からきたハイカーが雪の中で遭難、春になって`野熊の池`近くで遺体が発見されたことがあるよ。この川は土砂崩れがひどくてね、日本3大土砂災害地域に指定されているさ」
ほかに国策パルプだった製紙工場が本州製紙、王子製紙と変わっていったことや電力のこと、石原慎太郎の母親はここの救世教の信者だのと聞いている内に駅に着く。
19時22分発の快速名古屋行きに乗って帰る。隣りの人は、他の山からの帰りだった。
Enasan(2189.8m) border of Gifu pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:Nagoya-Nakatsugawa byJR
Nakatsugawa-Kawakami by Kitaenabus(0573-66-4649)
2.Information:Nakatsu city office tourist branch(0573-66-1111)
3.Season:Apr to Jun, Sep to Nov
Records:Jul 11
8:30-10:35 Walk 11km from Kawakami skate center to Kuroisawa gate(1170m).
10:45-11:30 Climb to rest hut.
11:40-15:00 Climb to peak.
15:15-17:15 Back to gate.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
南木曾岳(1676.9m)
1.1998年8月15日(土)
2.単独行
3.交通機関 名古屋―南木曾¥1620+特急自由席¥1150
おんたけ交通バス:南木曾―尾越¥500
4.地図:国土地理院1:25000南木曽岳
6時35分、名古屋駅から特急に乗って行く。
8時15分、南木曾駅で保神行きバスに乗る。
フリーターで満席だった。妻篭宿から国道256号を走り、ホテル木曽路や木工芸館を通っていく。20分で尾越に着き、歩き出す。遊歩道を歩いていると鶴が飛んでいた。
峡谷に入り、砂防ダムを通って行く。南木曾キャンプに出た。お爺さんが杖をついて降りてきた。91歳、色つやも良い。
「若い頃は良く登って、避難小屋に泊まっていた」
川沿いの林道を歩く。釣り師がいた。
橋下や釣り人二人夏の川
10時、登山道に入る。
アスナロ、桧などの高木が生い茂っている。谷を埋める大きな岩の下に大きな穴があった。「金時の洞窟」だった。急登になり、鎖場を過ぎると、見晴らしが良くなり、恵那山がうっすらと見えた。
更に登り、森に突き出たカブト岩を通っていく。
一帯は徳川尾張藩の領地として厳しく管理されていたところだ。やや緩やかな登りになった。
12時10分、登頂。潅木に囲まれていて展望はきかない。ここは昔、御岳や木曾駒ケ岳と並んで木曾三岳と言われ、修験者の山だった。南木曽大明神が祀られている。木曾義仲も若い時に登っている。別名「なきびそ岳」と言われるくらい雨が多い。
30分程、オニギリを食べたりしていたら、雨が降り出した。傘を差して降りていく。お爺さんが言っていた避難小屋があったので寄ってみる。
熊笹に半身沈めいく木曾の夏
女岩(おんないわ)の分岐点を左折、熊笹と原生林の間をひたすら降りていく。雨もやみ、一休みする。
ブナや樫、ミズナラの巨木が続き、大木が倒れてもいた。
雨の滴がポタポタと傘に落ちてくる。周囲4m、3つに枝分かれした巨木の姿は泰然としていた。
「上野原」という標識に従って降りる。お化け茸が足元に見えた。桧林になると、土は黒々としている。送電線の下を2回歩いていくと緩やかになってきた。ハクサンシャジンが咲いていた。
15時30分、林道に出る。雨もやみ、狭い舗装道路を歩く。等覚寺の門には1985年に建てた仁王像が立っている。三留野の集落がある中山道を歩く。シャボン玉をあげている子供達がいた。
16時43分に快速がやってきたが、特急通過のため7分後に出発。
Nagisodake(1676.9m) in Nagano pref.
300Famous mountains in Japan
1.Access:Train Nagoya-Nagiso by Chuouhonsen
Bus Nagiso-Ogoshi by OntakeKoutu(0264-57-2346)
2.Information:Nagiso town office(0264-57-2001)
3.Season:May to Nov
Records:Aug15
8:40-10:00 Walk from Ogoshi to gate.
10:00-12:10 Climb among forest steep slope by chain to peak and take meal.
12:40-15:30 Down to logging road.
15:30-14:20 Walk to Nagiso station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
御嶽(3067m)
1.1999年8月28日
2.単独行
3.交通手段:JR 名古屋―木曾福島¥3890 バス 木曾福島―田ノ原¥2150、中の湯―木曾福島¥1520 木曾福島―千種¥2210+特急券¥1150(木曾福島-中津川)
4.地図:国土地理院1:25000御嶽山
昭文社・山と高原地図39御嶽山
8月28日(土)
6時、起床。名古屋駅に行き、「しなの号1号」自由席を買う。10番線、5・6号車乗り口に並ぶ。
8時、乗車開始。窓側に座る。近くのオバサン達は弁当を出し、既にビールを飲みだす。耳栓をしても聞こえる。上松に着く前でトイレを使う。中はオムツを取り替えられるスペースがあった。
8時33分、木曾福島駅で降りる。隣に座っていた娘は、彼氏に迎えられて、手をつないで消えていく。バス乗り場は直ぐだった。御岳ロープウェイ案内所で田ノ原までの切符を買い、乗り込む。日差しが強いので帽子を被る。
9時、バス出発。木曾病院に停まり、木曽川を越えていく。木曾ダム貯水湖の脇を走る。更に黒沢を左折、御岳湖に沿って走り、王滝村に入る。御岳高原を登っていき、田ノ原終点に着いたのは10時30分前。武蔵国の行者、普寛によって開かれ、江戸時代から道者の登る山として道が整備されている。大きな鳥居をくぐって登りだす。
5分ほどで頂上奥社遥拝所を通過。大江権現から木の階段になる。石道になったところで金剛童子に出る。白い旗が立っていた。
昭和30年頃迄は、ここから草鞋を新しいものに履き替えて登っていた。孔雀蝶が秋薊にとまって羽根を伸ばしている。
ロープ伝いに登っていく。
11時20分、8合目を通過。岩場を登っていくと、雨合羽を着た女の子が一人、神妙に座っていた。棒が2本置いてあるので待っている様子だった。
20分過ぎに、その家族が現われた。「まだ居ないね」「もっと先よ」と言っていた。家族に伝える。9合目を過ぎると鉄分を含んだ岩になってくる。中央不動尊を過ぎると、雨がパラツキだす。
12時10分、武尊大神の祠に出る。硫黄の臭いがし、風も強くなってきた。御岳神社の礼拝所の中に入って一休みする。ハイカーが食事をとっていたので座って軽食をとる。白装束の行者が三人やってきて参拝後、お祓いを受けていた。
霧雨や御嶽行者登りつく
雨用もゴアテックスのズボンをはいて裏手から剣が峰に行く。
12時45分、御嶽山登頂。
火口は何も見えない。覚明が埋葬されている霊堂から一気に降りて黒沢口に向う。
ここは尾張の行者、覚明が開拓したルートだった。1時間後、石室山荘を通過。岩だらけの道が朽ちつつある木の階段に変わる。金剛堂、女人堂を通過。かって山頂は女人禁制で女性はここまでしか登れず、明治になって解かれた。霊神碑が林立していた。
7合目に達する。ここでケーブル行きと別れる。ハイマツからダケカンバになる。
15時30分、日野製薬出張所を通る。ここで胃腸に効く百草丸を製造していた。「中の湯」バス乗り場に着き、切符売り場の中に入ってビールを飲む。店のT夫妻がツマミに漬物と梅を持ってきてくれる。
ここでは長野製薬の百草丸を売っていた。昔、山伏が作っていたものだ。
16時10分、バスがやってきた。運転手の煙草休憩時間が終わってから出発する。百軒滝、松尾滝などを通過、霊神碑の石塔を置いている石材店があった。このバス路線は9月から休んでしまう。ついていた。
17時5分、木曾福島駅に着く。
17時12分発の特急に乗り、途中、中津川で降りて駅内で天ぷらソバを食べる。次に快速電車に乗って千種駅で降り、地下鉄に乗って栄町のホテルに帰る。
Ontake(3067m) border of Nagano pref. and Gifu pref.
100Famous mountains in Japan1. Access:From Nagano station to Kisofukushima station by JR Chuou line.
Kisofukushima-Tanohara by Outaki bus(0264-22-4287)
2. Information::Ohtaki Kankou sougou office(0264-48-2257)
3. Season:Jun to Oct
Records:Aug28
10:30-11:20 Climb from Tanohara(2200m) to 8th stage(2470m).
11:25-12:10 Climb to Outaki peak(2937m).
12:10-12:45 Climb to peak.
12:50-13:50 Down to Ishimuro lodge.
13:55-15:20 Down to 7th stage.
15:20-15:30 Down to 6th stage:Nakanoyu.
16:10-17:05 Take bus to Kisofukushima station.