グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
大菩薩岳(2056.9m)
1.出発日:2000年4月26日
2.同行者:H、MA、MI
3.車:MI車 ¥7200
4.塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」¥600(市外者)
5.地図:国土地理院1:25000大菩薩峠、柳沢峠
昭文社・山と高原地図24大菩薩連嶺
6時、新宿南口でセフィーロ車に乗り、高速を走って勝沼で降りる。青梅街道に出て、雲峰寺を右折、ロッヂ長兵衛手前の駐車場に車を停める。
7時50分、車道を歩いていく。「福ちゃん荘」の前で落葉松尾根を登っていく。
ダケカンバやブナの樹林帯から唐松に変り、ジグザグになる。1時間で稜線に出る。曇天の中、更に登っていく。
9時過ぎ、雷岩に出る。
別名、神成岩、雨乞いの祈祷所でもあった。左折する。
9時15分、ツガの原生林の中に頂上の標識があった。雌のルリビタキだろうか、2羽の小鳥が近くの枝にやってきた。小さく切ったパンを手の平に置いてかざすと、ついばんで行く。
小鳥飛ぶ大菩薩嶺春を待つ
雷岩に戻り、大菩薩峠に向う。稜線を昇り降りする。
9時55分、きれいな避難小屋で食事をとる。
小さな石が転がっていた。この一帯は賽の河原と呼ばれ、かって人馬が往来していたところだ。食後、歩いて20分、大菩薩峠に出る。
中里介山自筆の供養塔には「上求菩提 下化衆生」と刻まれている。介山荘がひっそりと建っていた。笹原を一気に降りていく。途中、ブナの樹林帯の中、勝緑荘や富士見山荘を通っていく。
11時30分、車に戻る。靴やストックを洗ってから車に乗り、烈石の雲峰寺に寄っていく。杉の大木の間の石段を登ると本堂が見えた。
745年、行基建立の寺で、武田家の祈願所。宝物殿の前に立つ樹齢700年といわれる桜に咲く花は見事だった。
近くの塩山市交流保養センター「大菩薩の湯」に行く。露天風呂に入って、山からの水を集めた重川のせせらぎの音を聴きながら、身体をほぐす。
14時30分、風呂から上がる。ここには直売所があり、トマト、シイタケ、マイタケを買う。時間があるので勝沼ワイナリーの万寿園に寄って帰る。
Daibosatsudake(2056.9m) in Yamanashi pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway KatsunumaIC→national road20,411,pref.201,LodgeChoubee
2.Information:Koushuu city office(0553-32-2111)
Daibosatsunoyu(0553-32-4126)
3.Season:Apr to Jun Oct to Nov
Records:Apr26
7:50-9:00 Climb from LodgeChoubee to Kaminari rock.
9:05-9:15 Climb to peak.
9:25-9:55 Down to refuge lodge and take meal.
10:30-10:50 Walk to Daibosatsu pass(1897m).
10:55-11:35 Back to starting point and enjoy hot spa at Daibosatsunoyu.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年5月13~14日
2.単独行
3.車 首都高速¥700 三鷹¥600 中央高速:勝沼¥1800 雁坂トンネル:¥710
皆野寄居¥410 関越自動車道:花輪―練馬¥1800 走行155キロ
4.甲武信小屋1泊2食¥7000
5.地図:国土地理院1:25000雁坂峠、金峰山
昭文社・山と高原地図26金峰山・甲武信
5月13日(日)
6時30分、出発。日曜日なので首都高速は空いている。東相模湖で、雪の富士山が手前の山々から少し浮き立っていた。快晴の下、順調に走り勝沼インターで降りる。山梨市を通り、途中、コンビニで食糧を調達、国道140号線に出て右折、笛吹川を遡っていく。
広瀬湖に出ると、前面に木賊(とくさ)山が見えた。西沢峡谷入り口を右折、駐車場に入る。一杯で、2段構え下の奥、スペースぎりぎりの所に駐車する。
9時、歩き出す。家族やカメラ撮りの人達と歩いて行く。峡谷散策で身軽な格好をしている。20分後、入山届用紙を持って立派なトイレに入り、便器に座りながら書く。
昨日、甲武信小屋に電話した際に教わった通り、近丸新道登山口の先300mに登山口があった。靴の紐を締めなおして入っていく。丁度、青年達が下山してきたのでルートを確認、徳ちゃん新道を登っていく。山ツツジの淡い紫の花が両脇に咲き、足元に落ちたばかりの桜の花びらが点在していた。65キロになった身体を運んでいく。40分毎に5分休む。休憩時、財布や長袖シャツをリュックに入れたり、水にビタミン粉を入れる。ブナの木にツガ等の針葉樹が混じってきた。石に鹿の毛らしいものが引っかかっていた。見晴らしの良いところで休む。広瀬湖が見えた。
11時25分、高度1770mに達し、降りて登り返す。石楠花の蕾が一部咲き出していた。尾根を登り、高度1800mを越えると石楠花は咲かず、代わりに林の中に残雪を見かける。
石楠花や七合目より蕾なり
12時、下山者に会う。朝4時半から登ってきた。頂上も寒かったが、麓も6度だった。靴は雪で濡れていた。シラビソやコメツガの林の中を登っていく。1キロ太ったせいなのか、昨日の朝バンコクから帰ったばかりだからか、身体に切れがない。日帰りハイカーに追い抜かれる。大木の根に座ってオニギリを食べ、お茶を飲む。リュックも軽くなった。残雪を踏みしめて登る。
14時、木賊山。林の中、標識が雪に半分埋もれて立っていた。
降りるところも雪が積もり、ズボっと足をとられる。
14時20分、甲武信小屋に着く。小屋下にテントが張られ、小屋の前の真新しい木組みスペースのベンチに中年男性が座っていた。話し振りから先生で、下に居る生徒達を引率しているようだ。小屋を覗いたが、誰もいない。先生が「いま居ません」と教えてくれる。
一息ついてからリュックを置いて、カメラと水とストックを持って甲武信ヶ岳に向う。
丁度、青年が登っていくので、後につく。頂上で写真を撮り合う。
富士山は見えなかったが、金峰山と瑞牆山が近くに雪を残して見え、奥に雪の八ヶ岳が見えた。地図を見ながら両神山も確かめる。眼下に甲武信小屋と木賊山が見えた。
青年は埼玉から来ており、今日中に降りるという。夜に備えてヘッドランプを持ってきていた。青年がビールを出したところで先に降りる。小屋に戻り、中を覗いていると、後ろから声がかかり「泊まりですか」。髭面のオッサンは小屋の主人、山中徳治さんだった。
「18時に夕食、5時半に朝食。靴は、あそこに入れて。寝るのは2階」とぶっきらぼうな言い方で説明を受ける。板敷きの広場で他の人達と日光浴しながら雑談する。桧の板で、子どもが通れない間隔で柵を作り、屋根もつけるという。日の出は4時48分、今月中に雪はなくなる。
生徒が着ているジャケットに「所沢・山の道化師・山岳部」と書いてある。積雪を整え、思い思いに料理を作っていた。ベンチでは、高野豆腐を煮込んで料理していたが、余り美味しく出来なかったようだ。陽が落ちてきたので、小屋に入って2階で荷物を整理していると、徳さんから「酒のみませんか」と声がかかる。ブランディを持って下に降りる。
入り口でオッサンが入ってきた。「山中さーん、お客さん」と声をかける。
食事をとるところに座る。手伝いというか居候している2人がいた。名古屋から来たT青年は、来月から十文字小屋で働き、夏は聖岳で働く。Aさんは、土日に来て手伝っていたようだ。土曜は20人以上泊まっていた。150人収容でき、それ以上はことわることにしている。
焼酎のお湯割りをいただく。ツマミはキャベツと魚のマヨネーズ和え、胡椒が効いて美味かった。やがてオッサンもやって来る。雁坂小屋に泊まり、残雪に苦労してきた。避難小屋で休んでいたら、下から道に迷って登ってきた青年に会う。(水を調達に行っただけのよう)埼玉の人でボソボソと聞きづらい話し方で、登山暦2年目と言うが、知識の方は10年、マナーは1ヶ月といった感じ。人の話を聞かず、道に迷わないかどうか同じことを繰り返す。疲れる。頃合いにカレーライスが出てくる。グレープフルーツにナタデココ入りのヨーグルトも用意されていた。
徳さんは、自動車のブレーキ部品製造技術者だった。19年前にここの3代目に就任。小屋は4月末に入り、11月末に閉める。冬場はトラック運転などの仕事をする。
食後、NHK放映の「オーイ日本、埼玉県」を鑑賞。荒川源流を辿る番組で、長瀞から大滝に入り、女性アナウンサーが徳さんと一緒に渓谷を登っていく。4人のスタッフと共に、熊や鹿が通る道や撮影風景は絵になる所を選んでおり、本当の源流とは異なっていた。源流水をボトルに入れてNHKに持ち寄り、飲んでいた。水がやや甘いと言っていた。
もう1本、奥秩父風景のビデオを見る。小屋のイベントは8月第1土曜日の水祭。秩父のソバの達人がやってきてソバを賞味出来る。Aさんの好きなルートは、千曲川源流遊歩道から登り、十文字峠に降りる。私の登山計画を披露。60代まで、いろんな山を登り、70になったら自分の山を決めたい。「それなら、ここの甲武信ヶ岳を選んで下さい」と薦められる。徳さんは従業員用の風呂に行く。トイレに行く途中の小屋だった。小用を済ませ、更に酒に誘われたが、ブランディを献呈して休む。
5月14日(月)
4時、隣りのオッサンが起き出し、目を覚ます。既に高校生達は、出発準備。トイレに行くと、先生が「木賊山を登って8時までに雁坂峠、10時に広瀬の麓でバスが待っている」と案内していた。合計39人が出発していく。
4時半、赤い太陽が半分、雲の中に見えた。
頭上には半月が白く見える。
奥には、奥秩父遭難者慰霊碑が建っていた。
ベンチでメモをとっていると、徳さんが窓から顔を出し、「朝飯ができている」と声をかけてきた。オッサンと2人で味噌汁定食を食べる。彼は登頂してから徳ちゃん新道を通って下山する。徳さんは写真の方も興味があり、コンテストを主催している。彼の富士山を撮った作品もなかなかのものだった。記念に徳さんとの写真をT青年に撮ってもらってから出発する。
木賊山をトラバースして、既に足の跡がついた雪道を歩く。視界が開け、笹原を歩いていくと避難小屋に出る。
富士山がはっきり見える。
一息ついて富士山の形をした山、西破風山を登る。幾度か、あそこを登り切れば頂上と思いながら急登を続ける。振り向けば、木賊山、甲武信ヶ岳、三宝山が見える。
7時30分、西破風山登頂。かって破不山とも言われた山梨百名山。
破風というのは、合掌型切妻尾根の三角の側面を言う。確かに似ていた。石楠花の木々が生え、心地よい風が吹いていた。尾根を歩いて30分後、東破風山に達する。
風が強くなってきた。笛吹川の沢が幾つか見える。金峰山、瑞牆山の奥に南アルプスが続いていた。
右手に富士山を見ながら、清々しい朝の山行。やはり泊まって良かった。鞍部に下り登り返す。
8時50分、雁坂嶺。高度2289m。後は緩やかに下っていく。雁坂峠には40分で着く。日本三大峠(他は北アルプス針ノ木峠、南アルプス三伏峠)で高度2082m。日本書記景行記には、日本武尊が蝦夷の地平定のために利用した道とされている。日本最古の峠道と書いてある。
木の芽風吹きあがりし雁坂峠
富士山に変化があらわれた。7合目の東方に雲が溜まってきた。西風が強そうだ。広瀬に向けて背の低い笹原をジグザグに降りていく。日差しが強い。四角い白標識が道脇にあった。ほっとしたせいか、突然チャイコフスキー「悲愴」のメロディーが浮かんでくる。
10時15分、峠沢の川に出る。歯を磨き、顔を洗ってスッキリする。幾度か川を渡り、細道を通っていくと、1人の中年女性ハイカーに出会う。ほかに誰にも会わなかった。
11時、私設の舗装道路に出る。残りの飲み物や、栄養ジェリーを口に入れながら照り返しの強い道を歩く。有料道路の上を登り返したところで、猿が1匹道路を横切り、草むらに消えていった。
12時、蒟蒻館に入ってお土産と蒟蒻入りアイスクリームを買う。店員に奥の喫茶室に案内される。中年夫婦が話し掛けてきた。三郷からで石和温泉にある養護ホームに見舞いに行っての帰り、西沢峡谷を散歩してきた。店員がキムチ入り蒟蒻(こんにゃく)をサービスしてくれる。
駐車場まで歩く。月曜日だが、観光バスが2台駐車していた。車は無事だった。帰りは国道140号線で長い雁坂トンネルを通り、中津川に沿って走り、秩父市を通過、皆野から寄居へのバイパスを使う。花輪インターで関越自動車道に入り、途中、食事してから帰る。
15時30分、帰宅。
Kobushigadake(2475m) border of Yamanashi pref. ,Nagano pref.,Saitama pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway KatsunumaIC→national road20,pref.34.38,national140,Nishizawakeikoku gate
2.Accommodation:Kobushi lodge(0494-55-0955)one night two meals
7000yen
3.Information:Yamanashi city Mitomi branch(0553-39-2121)
4.Season:Jun to Oct
Records:May13
9:00-9:20 Walk from Nishizawakeikoku gate(1100m) to gate.
9:20-14:00 Climb Tokuchan new route to Tokusayama(2468.6m)
14:00-14:20 Down to Kobushi lodge(2400m).
14:30-14:50 Climb to peak.
15:00-15:15 Back to lodge and stay.
May14
5:40-7:30 Walk to Nishihahuuyama(2318m).
7:35-8:05 Down and up to Higashihahuuyama(2260m).
8:05-8:50 Down and up to Karisakamine(2289m).
8:55-9:30 Down to Karisaka pass(2082m)
9:35-12:20 Down to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
英彦山(1199.6m)
1.2000年1月23日
2.交通:電車・博多―英彦山¥1250 バス・英彦山―神社下¥340
電車・英彦山―田川後藤 バス・田川後藤―天神¥13503.地図:国土地理院1:25000英彦山
昭文社:山と高原地図55・福岡の山々
1月23日(日)曇、霧
5時起床、雨の中を博多駅まで歩く。6時11分、若松行きの電車に乗り、7時11分、新飯塚で乗り換える。7時27分出発、23分で田川後藤寺に着く。8時9分に発ち、35分で英彦山駅に着く。同じ電車から白人青年が降りてバス乗り場に立つ。サンフランシスコから来た小倉高校の英語教師で、友人の家に呼ばれており、友人の車を待つ。その間に神社下行きバスがやってきたので乗り込む。
9時15分、神社下に着き、石段を登っていく。杉並木の階段を登ると奉幣殿に出る。1616年、小倉藩主細川忠興が再建のため寄進した国宝。桃山建築様式の大講堂で、表参道に向う団体が雨合羽を着て出ていった。こちらは玉屋神社に向う。
霊山の一人瞑想冬の道
ゆるやかな登りを辿っていくと、汗ばんできたのでスウェーターを脱ぐ。再び登っていくと、頭上に鹿が見下ろしていた。尻が白く、他は焦げ茶色をしている。カメラを出した時には消えていた。杉林を昇り降りする。杉田久女「谺して山ほととぎすほしいまゝ」の句を思う。俳句を友人から教わりながら始めたが、やる気になったのは、この句に出会ってからだった。後でわかったことだが、彼女は下5を得るために毎日のように英彦山に通ったが、句にならず、家に帰ってしばらく経った夜中に思いついたという。山もそうだが、汗をかいてこそ達成感を味わえる。
10時30分、玉屋神社に出る。般若岩という大岩の下に建てられていた。
神社の横の窟から清水が流れている。
更に30分歩いて大南神社に着く。ここは岸壁から半分、社が出ている。天火明命を祀っている。次に鬼杉に向う。樹齢1200年、周囲12.4m、高さ38mの巨木だ。以前は80mあったという。
石段を一歩一歩登っていくと、材木石に出会う。火山で噴出したマグマが急に冷えて固まった安山岩の柱状節理。
鬼杉伝説では、鬼が社を建てようとして刈りだした材木の残りとなっている。更に鎖を使って登っていくと雪が残っていた。
12時45分、南岳登頂。ここには彦山大権現が奉ってあり、その奥に三角点の白い木が立っていた。
「英彦山綜合年表」によれば、最初、日の神の子の山であることから日子山と呼ばれていたが、弘仁3(812)年、4代目法蓮が嵯峨天皇の勅を受けて彦山と改め、享保14(1729)年、霊元法皇の院宣で現在の英彦山となった。太陽信仰の霊山で出羽の羽黒山、奈良の大峰山と並ぶ日本三大霊山。南側にあるコンクリート製の避難所には展望所が設けてあるが、霧で何も見えない。一度降りて上る。
13時10分、中岳(1188m)に着く。久留米からきた団体が神社上宮を占拠していたので北岳に向う。修験者が通った道で、ブナ林の中を歩く。
雨降りて英彦山霧氷滴なり
13時45分、北岳(1192m)。ここは最も聖なる奥の院だった。奇岩の脇を通り、果てしなく続く石段を降りていく。
高住神社に出る。聖牛像があった。豊前坊という寺院の名前の旗が立っているところからして神仏習合の社だろう。ここは天狗の棲み家とされてもいた。英彦山修験では、豊前坊の石と最初に通った玉屋窟の水を壺に入れて護摩を焚く秘伝があるという。浄水場で水補給し、神社下バス乗り場まで急ぎ足で降りていく。途中、駐車場の迂回道を通り、杉林の歩道を歩いていく。
別所駐車場を目標に複雑にからまった道をショートカットして歩いている内、舗装道路に出たので、そのまま歩いて行く。様子がおかしい。民家があったので聞くと、北坂本の方で旧参道を歩いていた。駅まで3km、里山風景を満喫しながら林道を降りていく。別所川内川に沿って車も人も通らない道で日本3大修験の霊峰の麓もひっそりとしていた。修験道とは、見える自然と歴史の世界と見えない自然と山岳信仰の世界を歩くことかと思った。振り返って山を眺めると、種田山頭火の句が浮かんでくる。
すべってころんで山がひっそり
英彦山駅に出る。
田川後藤寺に出て、天神バスセンター行きの特急バスに乗って帰る。
Hikosan(1200m) in Fukuoka pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access:Railway Hakata→Iiduka→TagawaGotouji→Hikosan station
Hikosan→Jinjyashita by Soeda town bus
2.Accommodation:government institution Hikosan(0947-85-0121)
one night two meals6000yen~3.Information:Soeda town office(0947-82-1231)
4.Season:Sep to Apr
Records:Jan23
9:15-10:30 Walk from Jinjyashita(630m)road stair approaching to Hikosan shrine (720m)and Tamaya shrine.
10:35-11:15 Walk to Ohminami shrine.
11:20-12:45 Walk to Onisugi(devil cedar)and climb to Minamidake(1200m).
12:50-13:45 Walk to Nakadake(1180m) and Kitadake.
13:50-14:20 Down to Takasumi shrine.
14:20-16:00 Walk to Jinjyashita and take bus to Hikosan station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年4月20日
2.単独行
3.交通手段:高速バス(東京―筑波山)¥1730 バス(筑波山=筑波神社)¥440 バス(筑波山―土浦)\820 JR(土浦―駒込)¥1110
4.地図:国土地理院1:25000筑波
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
4月20日(金)
東京駅南口高速バスセンターで切符を買い、2番乗り場で一列になって並ぶ。
7時20分、出発。通勤客や研究者風の人達で座席が埋まっていく。外人もやってきた。高速6号から常磐道を走る。反対車線は渋滞していた。ウトウトしていたら土浦を過ぎていて、客が殆どいなかった。
9時、筑波駅に着く前に神社行きのバスが出ていってしまう。次のバスを待つ間、JRの時刻表を見ておく。筑波山が良く見えた。
頂上の電波塔も。常陸風土記によると、春と秋に諸国の男女が東の峰に登って歌を掛け合って楽しんでいた。由緒ある山だ。信仰する以前から登られている。
9時25分、一緒に来た中年ハイカーと乗り込む。10分後、筑波神社前で降りてから一緒に登る。船橋の人で、天気が良いので休みをとって花の写真を撮りに来た。長年の経験から草花を熟知していて、ウラシマ草、タチツボスミレ、帰化植物のショカツサイ、スミレ草と教えてくれる。見つけるのも早い。ヤマブキの花は、わかる。暑くなってきたので、先に行ってもらい、着替える。追いついた時は、三脚を使って蝮蛇草を撮っていた。
まむし草蛇色の茎立ち上る
鎌首をあげている形は確かに絵になる。今度は先に登っていく。桜塚を過ぎるとコナラやモミ、更に杉の大木が残っていた。虹色の顔つきをした蛇が隠れてしまう。ケーブルカーが左手に走っていた。中の茶屋を過ぎ、ホイホイ登っていくうちに道が狭くなり、笹を分けていく。おかしいなと思いつつ、登る。一息ついて地図を見ると、登山道は左手の道だった。女体山に向っていた。半袖のシャツだったので、藪の中を登っていたら、腕の内側を少し切っていた。
11時、ロープウェイ乗り場。時間があるので男体山に向う。小学生のグループが黄色い声をあげて動いている。御幸ヶ原に降りていく途中、カタクリの花やスミレ科の花が咲いていた。
男体山神社でイザナギの神に向かって合掌する。
1902年創立の日本最初の山岳気象観測所があった。今度は青年グループがやってきた。埼玉県警察学校の生徒達70人。挨拶を欠かさない。自然研究路を少し歩いて立身石に行く。高さ5mの石の上に立つ。
ここには2つの伝説が残っていた。親鸞上人がここに苦しむ餓鬼を救ったこと。伊奈村出身の間宮林蔵が13歳の頃、ここで出世を祈った。後に測量、算数の大家になり、樺太探検を敢行している。
11時50分、ベンチに座って食べる。春の日差しを受け、ポカポカしている。土産物店でガマの油を300円で売っていた。幸せを迎えるというので、6匹の蛙をかたどったものなど値段を抑えていた。
靄晴れて筑波山頂春来たり
12時30分、女体山に登頂。遠景は靄がかかっていて、富士山や日本アルプスは見えない。筑波石だろうか、大きな石が積み重なっていた。本殿に向かってイザナミの神に合掌。昔、イザナギ、イザナミの神の下で恋の成就を願いながら歌垣したことを想う。
つつじが丘方面に降りていく。往路、ロープウェイでやってきたカップルがコワゴワと降りていた。奇岩が続く。立身岩。ここで13歳の間宮林蔵が立身出世を祈って樺太が島であることを発見するに至ったと言われている。
ガマ石、大黒岩、出船・入船、母の胎内潜りを通る。「弁慶七戻り」は、弁慶が頭上の大岩が落ちそうなので七回も逡巡したという。
北斗星のように決して動かない岩がそびえたつ。
弁慶茶屋で、つつじヶ丘のツツジが咲いていないことを確認してから、神社方面の道を降りていく。鳥居を通過。
神社本殿では太鼓の音がする。男性がお祓いの後、お神酒を飲んでいた。この神社は、江戸時代に将軍家の祈願所として保護を受けていた。手入れが良いのか立派なツツジが咲いていた。
14時2分、バスが動き、15分後に筑波駅に着く。14時20分発のバスは5分遅れで出発、次のバスで土浦駅に着いたのは15時10分だった。JRで上野まで行く。
「筑波の丘は高く雲の中に聳え、西の峰、男体山は険しく高く、雄の神といって登らせない」常陸風土記
「筑波嶺のみねより落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」陽成院
Tsukubasan(1295m) in Ibaragi pref. 100Famous mountains in Japan
1.Access:Bus is available from Tokyo station south (Highway bus callcenter03-3844-1950)to Tsukuba station. From Tsukuba station to Tsuka shrine station by Kantou tetsudou(029-866-0510)
2.Information:Tsukuba city tourist center (029-855-8155)
3.Season:Apr to Nov
Records:Apr20
7:20-9:00 Take bus from Tokyo highway bus center to Tsukuba station.
9:25-9:35 Take bus from Tsukuba station to Tsukuba shrine.
9:40-11:00 Climb to Ropeway station.
11:00-12:00 Walk to weather station,climb to Nantaisan and take meal.
12:20-12:30 Walk to Nyotaisan.
12:35-13:10 Down to Benkeichaya.
13:10-14:00 Back to Tsukuba shrine station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年6月29日
2.単独
3.自家用車 ①ガソリン代:¥3290 ②高速代:¥2750(練馬-前橋)
4. 地図:国土地理院1:25000赤城山
昭文社・山と高原地図⑳赤城・皇海・筑波
6月29日(木)
4時半、出発。関越自動車道に入るのに手間取った。その後、時速100キロ以上で走行。高崎ICを過ぎて、前面に赤城山系がドーンと鮮明に見えてきた。
6時前、前橋ICから県道4号線に入って間もなくセブンイレブンを見つける。大事をとって食糧を調達。赤城大鳥居を潜り、一気に高度1400m迄登っていく。展望台を過ぎると大沼が見えた。地図を頼りに運転、ビジターセンターの手前を左折、湖畔に沿って走る。直ぐ、啄木橋が見えた。一度、そこの駐車場に行ったが、観光客が通る所なので、先の方の駐車場に行く。木陰の所に停めて準備していたら、初老夫婦ハイカーが歩き去っていく。
7時10分、出発。5分で黒檜山北登山口に出る。看板には「頂上迄1時間半、高度差450m」と書いてある。樹林の中を登っていく。20分で猫岩を通過。膝を庇って、枝や根、岩を掴んで登る。頭上の林から日がちらちらと見えてきた。羽虫や虻が多い。鳥や蜩が鳴いている。見晴らしが良い所に出ると火口湖大沼が箱庭のように見える。
空の青、水の青、ミズナラの葉の緑が眩しい。山ツツジが咲き、樅の新芽が伸びている。
8時25分、尾根に出、左に向かい10分後、登頂。石祠と「御黒檜大神」と書いた鳥居が立つ。黒檜(くろび)山と言われていることがわかる。山岳信仰のご神体の山であった。
さっきの夫婦が休んでいた。神奈川からやってきており、2回目で前回、天気が良くなかったのでやって来た。今年既に百名山14座踏破している。「百名山には、こだわっていない」と言っているが、そうは思わない。 九州、中国、近畿とドライブしながら、一日で2座(大山と大台ガ原)を登ったりしている。 東側は雲海。頂上からは、見晴らしは良くない。ザックを置いて展望台に向かう。スパッツをつけたが、膝上の方に笹や枝葉の水滴がかかり、ビショビショになる。笹に覆われた道を歩いて行く。残雪の谷川岳と右手に朝日岳が見えた。
9時10分、戻ってみるとザックにマダラヒカゲ蝶が止まっていたので、離れるまで待つ。
次に駒ヶ岳に向かう。木の葉にアサギマダラが休んでいた。
木製の階段を降りて、笹と樹木の大ダルミという鞍部を通過、少し登って駒ヶ岳(1685m)に出る。
10時、下山。尾根を降りてから右に曲がり、樹林帯の中に入って鉄製の階段を3回降りてジグザグの道を通り、県道に出る。大沼に向かい、朱塗りの橋を渡って小鳥ヶ島に行く。
赤城神社に寄り、拝殿で無事登頂したことを感謝する。昭和45年に移築されていた。
大沼には鴨の親子が水面をのんびりと泳いでいる。
11時30分、車に戻り、時間があるので覚満淵という高層湿原に寄る。覚満淵という名前は、平安時代の比叡山高僧覚満がここで仏教を説いたからと言われている。車をビジターセンターの駐車場に停めて木道を歩いて一周する。
羊歯類が繁茂していた。
12時20分、センターに戻り、鳥居峠で覚満淵風景を眺める。
県道14号を走って赤城神社の大鳥居を通過、国道462号から本庄児玉ICに出て関越自動車道に入って帰る。
Akagiyama(1827.6m) in Gunma pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better. Kanetsu expressway MaebashiIC→Pref. road4,gate of
Kurobisan.
2.Information:Fujimi tourist association(027-288-2211)
3.Season:May to Nov
Records:Jun29
7:10-8:35 Climb to peak.
9:10-9:55 Down and up to Komagatake(1685m).
10:00-11:30 Down ridge and take iron steps to road and walk back to gate.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2000年6月16日(金)
2.単独行
3.自家用車
4.地図:国土地理院1:25000両神山
昭文社・山と高原地図25雲取山・両神山
3時半、起床。4時過ぎ、出発。八王子まで高速道路を使い、国道16号線を北上、多摩川を渡っていく。トラックが連なり、排気ガスが漂っている。小谷田で左折、国道299号線に入り、飯能を通過、西武池袋線に沿って谷あいを登って行く。正丸トンネルを過ぎると、下りになり秩父三四ヶ所の8番寺を通って街に入る。秩父鉄道、荒川を越えて尾田薪のコンビ二でオニギリ等食糧を調達、両神小鹿野線道路を遡っていく。どんよりした天気で山は見えない。山里の村を次々と通過して日向大谷に着く。
7時25分、民宿「両神山荘」の脇から登っていく。「山頂迄5.6キロ」「犬は連れ込まないで下さい」という表示があった。森の中に入ると右手に鳥居と観蔵行者像が奉られていた。石像や石碑が続く。足元を見ながら歩いていると、蝮が半分、道に出ていた。ツツジが咲いていた。
七滝沢分岐点を過ぎると、川に出る。冷風が気持ち良い。
山腹に切った道が斜めになっており、昨日迄降っていた雨のせいで滑りやすい。朝の日差しが段々と強くなってきた。
8時半、ハイカーが降りてきた。「ツツジの花は咲き終わっている。人が来ないので気持ちいい」序に休みをとる。その間に下から登ってきたハイカーが通り過ぎる。風のせいか動物なのか、ザワザワした音が谷の奥から聞こえてきた。再び登りだすと、杉の大木が道に沿って立ち、修験道の趣きだった。仏法僧の鳴き声が響き渡る。
9時10分、「弘法の井戸」に着く。パイプから水がチョロチョロ出ていた。急登もジグザグになっているので登りやすい。「ブッポウソウ」と鳴くコノハズクの声が聞こえてきた。20分後、清滝小屋に出る。
清滝小屋
先行したハイカーは、今朝前橋から白井差口から登ろうとしたが、所有者の事情により閉鎖されていたので、日向大谷まで車でやってきたという。登山者のためのトイレを県と環境庁に申請したが、受け入れられなかったためだそうだ。鎖場が続く。
9時50分、一位ガタワの尾根に出る。ここに「白井差への道を廃止するー土地所有者:山中豊彦」と書いた看板がかけてあった。
羽虫のまといつきたる顔の汗
蛇のごと土より這ひし樹根かな
尾根伝いに歩いていき、左手に「のぞき岩」への道を降りていく。絶壁の下には原生林が山稜を覆い、はるか下からセセラギの音が耳に届いてくる。山ツツジの花をはじめて見る。ホウノキや栂の樹林の中を歩いて両神神社奥社を通り過ぎる。狼の狛犬像が一対座っていた。
前方に関越自動車道から見えた両神山が現れる。
一反、降りて富士見坂を登る。更に鎖場を登って頂きに達する。
岩に立つ石碑や、奥の院の銅製祠があった。ここにも狼信仰の名残、狛犬が立つ。遠く、残雪の富士山が霞んで見えた。手前に雲取、甲武信の尾根が続いている。狭い頂上でオニギリを食べながら、太田から来たハイカーの話を聞く。三四ヶ所巡礼を3回に分けて成就、その締めくくりとしてやって来た。
12時5分、年配のハイカーや若者がやってきたところで下山。しばらくして駐車場にいたカップルに会う。両神神社の先、鈴ヶ坂から七滝沢道を降りていく。最初に現われた滝で、水しぶきを浴びながら水筒に水を補給、頭を突き出し、汗をふき取り、さっぱりする。鎖を使って断崖を降りる。
苔茂る岩肌に水が滴っている。絶壁を滝が飛び降りるように細長く落ちていく。
谷向いの山は絶壁で、原生林が岩にまといついていた。この道は今日一日人間が通っていなかったようで、蜘蛛の糸に引っかかる。
蜘蛛の糸はらいて降りし山一人
14時、木々を切り開いた広場に出る。真新しい木製テーブルとベンチが置いてあった。天武将尾根を仰ぎ見る。一服して、ぐんぐん下降する。「増水時、悪天候時は通行禁止」という看板が立っていた。確かに雨が降ったら、この道は通れない。ベージュ色の蛙以外、生き物には会わなかった。
14時45分、再びベンチに出る。周囲は原生林。残っているチョコ、チーズを食べ、水を飲む。リュックも軽くなった。杉林に変わったところで会所に戻る。
15時20分、駐車場。汗を拭き、靴下や衣類を着替えて出発。帰りは三峰口の方に行き、国道140号線に出て長瀞から熊谷を通り、国道17号線で家に帰る。途中、周波数1620で高速情報を聴くと関越自動車道が渋滞していたからだが、17号線も混んでいて、家に着いたのは20時を過ぎていた。
*山名の由来
イザナギ、イザナミの両神を祀った山説。日本武尊が東征の折り、この山を8日間も見ながら旅を続けたところから「八日見山」と名づけ、宗教的な竜王と結びつけ竜神となり、両神に転化した説がある。
Ryokamisan(1723m) in Saitama pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Car is better.Chuo expressway HachioujiIC→national road16,299,pref.279,Hyugaooya
2.Information: Ryougami tourist association(0494-79-1100)
3.Season:Apr to Nov
Records:Jun16
7:25-9:10 Climb from Hyugaooya (630m) to Koubounoido.
9:10-9:50 Climb to Kiyotaki lodge(1280m) and Ichiigatawa.
10:00-11:15 Down and up ridge to peak and take meal. You can see Mt.Fuji if it’s fine.
12:05-15:20 Down to Ryougami shrine and to Kiyotaki using chain,
take Nanatakisawa route and back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
雲取山の山旅②
雲取山(2017.1m)
1.地図 国土地理院1:25000雲取山、武蔵日原,奥多摩湖
昭文社・山と高原地図23奥多摩
2.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑫東京都の山
3.交通:JR奥多摩15:43-16:23青梅16:26-16:57立川17:02-17:39新宿17:42-18:00駒込¥1210
10月12日(金)
4時過ぎ、物音で目覚める。水場付近のテーブルにテント場の人が集まって湯を沸かしていた。外に出ると三日月と星が瞬いていた。
オリオン座と北斗七星は直ぐわかった。洗面の後、排便を踏ん張って済ます。
5時に食堂へ行くと皆集まっていた。若いカップルの隣りに座って食べる。生卵、沢庵、海苔、梅干し、フリカケに味噌汁とご飯。女将さんは、ご飯のお代わりを待つ間、雪が積もった時、アイゼンを使って歩くのが楽しいと言う。どこか田部井淳子さんに似た明るい性格で我々を元気づける。お湯サービスがあったのでテルモスに入れる。食後、寝具を整え、ザックと靴を持って階下に降りて、ご来迎を待つ。地平上に雲がかかっていた。
5時50分、雲間から赤い太陽が見えた。
ほどなく階段を上がり、原生林の中を登っていく。
ジグザグに登った後、鎌仙レリーフルートをとる。鎌仙とは富田新道の先駆者で1959年に亡くなるまで雲取山荘の主人でもあった、富田治三郎の愛称。岸壁にレリーフがはめ込まれていた。
頂上に向かうと、身軽な青年が先に行く。
6時25分、雲取山登頂。テントの青年もやって来た。土日出勤もあるので、来ることが出来たという。富士や和名倉を眺め、撮り、空気を吸う。
10分後、団体が現われたので、避難小屋に降りる。ここには便所もあった。
ストックを使って降りていく。富士見の通りだった。
足元にヤスデが群れをつくっている。異臭を出すので踏まないように行く。
富田新道分岐点から富士に向かって一気に降りて樹林帯に入る。鳥獣保護区域なので鳥が多い。青い羽根の小鳥ルリビタキが前にいたが、藪の中に消えていく。
7時15分、奥多摩小屋では富士の下に雲が湧き出て来て、覆われてしまうのも時間の問題だった。
ヘリポートにもヤスデが群れていた。
ブナ坂で鴨沢に降りていく道と分かれて登っていく。
標高100mほど登っていくと七ツ石山に達する。三角点はヤスデが占拠していた。
天高し三角点にやすで群れ
雲取山を眺めていると、反対側から男がやって来る。昨夕、奥多摩駅から峰谷行き最終便に乗り、暗闇の中を登り、鷹ノ巣山避難小屋に泊まってやって来た。巻道を勧められる。降りて行くと、左手に七ツ石神社と大きな石がある。七つあるのだろうか。
巻道をとり、高丸山をパス。ずっと笹の脇を歩く。鳥の巣箱を幾つか木にかけている。
テンナンショウが実をつけていた。赤くなる前のは始めて見た。
真新しい木橋がかかっていた。
途中、日陰名栗峰へのルートに近づいたので登って行く。尾根ルートは幅広く木々が刈り取られていて防火帯になっている。羊歯は枯れているが、苔は朝露で生き生きしている。頂上でも大きな木を切ったばかりだった。
鷹ノ巣山が近くに見えてきた。
高度170m降りて巻道と合流する。
9時50分、鷹ノ巣山避難小屋。新しいが、ここの水場は200m離れている。
登って行くと、日原から登って来た男に会う。小屋迄行って戻るという。25分後、鷹ノ巣山に登頂。風が冷たいのでレインウェアを着る。
爽籟や頂に立ち羽織るもの
降りたところから水根山、ブナ林の中の城山と尾根を歩く。カラ沢尾根に入る手前で、さっきの男に会い、ルートを間違えないように後を追って右に急角度で降りていく。標識が出ていてホッとする。なだらかな道に出て大股で歩き、再び一気に下り、尾根の左手下を、彼を追って速歩で進む。薊が咲いていた。
11時40分、六ツ石山への分岐点。予定より30分早いので、昼食にする。
食後、ザックを置いて山へ登る。5分で着いてしまう。
12時10分、六ツ石山の頂上は原っぱ。ツガの木が周りを囲んでいた。
曇って来て視界が良くないので降りる。さっき夢中で降りて来たせいか、左足がおかしくなっていた。ストック2本を使い、ザックを担いで石尾根を歩く。ずっと防火帯が続いていた。大事をとって林道に出る道を選ぶ。杉の森の中へジグザグに降りて高度1000m台になってから延々と真っ直ぐ歩く。杉は間伐されていた。
13時35分、高度950m、森の中にあるベンチで、残りの稲荷寿司を食べ、お茶を飲む。再びジグザグに降りて杉の森を抜け出て木橋を超えると、また杉森。トロッコ用の一本線路に沿って杉の中を降りていく。
14時15分、高度770mで林道に出る。トロッコの終点だった。
眼下遠くに車が走っている。御前山が良く見えた。
歩いて行くと右手に奥多摩駅の表示があったので、再び山道を降りていく。
足は限界。これが最後と気合いを入れて進む。道は狭いが、迷いやすいところには案内版が立っていた。
舗装道路に出て曲がって行くと工事現場に出る。作業員に確認すると、奥多摩駅まで徒歩20分。ひたすら足を運ぶ。坂を降りて行くと、駅まで7分と書いた近道があった。駅に出て電車の出発時刻を確認してから、看板の出ている「もえぎの湯」を探す。聞いてみると徒歩10分。諦めた。この駅は1944年に開業、1971年まで氷川駅と呼ばれていて貨物列車で石灰石を輸送していた。木造2階建て、山小屋風で風情がある。
青梅行きの最前列の車両に乗り、人がいない所で長袖下着を脱いでタオルで汗を拭いてから着替える。
15時43分、出発。御岳駅でもハイカーが乗り込む。青梅駅で同じホームの立川行きに乗り換え、更に快速東京行きに乗って18時に帰る。
秋嶺に日の暮れて行く街の駅
Kumotoriyama(2017.1m) border of Tokyo to, Saitama pref. ,Yamanashi pref.
100Famous mountains in Japan1.Access:Seibu Ikebukuro-Seibu Chichibu by Seibu railway
Seibu Chichibu-Mitsumine Jinjya by SeibuKanko bus(0494-22-1635)
Okutama-Oume-Tachikawa-Shinjyuku by JR
Escape route of Kumotoriyama-Kamosawa
Kamosawa-Okutama by NishiTokyo bus(0428-83-2126)
2.Accommodation:Kumotori Sansou( 0494-23-3338)one night two meals7500yen
3.Information:Ootaki tourist association(0494-55-0707)
Okutama town office (0428-83-2111)
4.Season:Jul to midOct
Records:Oct11
11:10-12:35 Climb from gate to Kirimogamine(1523.1m) and take meal.
13:00-14:20 Climb ridge to MaeShiroiwayama(1776m).
14:25-15:15 Down and up to Shiroiwayama(1921.2m).
15:20-16:30 Down and up to KumotoriSanso(1840m) and stay.
Oct12
5:55-6:25 Climb to Kumotoriyama.
6:35-7:15 Down to Okutama lodge(1813m).
7:15-8:00 Down and up to Nanatsuishiyama(1757.3m)
8:05-10:15 Down and take easy route and up to Takanosuyama(1736.6m).
10:20-11:40 Down ridge and steep slope and walk to below Muttsuishiyama
and take meal.
12:05-12:10 Climb to Muttsuishiyama(1478.8m).
12:15-13:35 Down and walk below Mitsukidoyama and take rest 950m high.
13:45-15:30 Down to Okutama station(343m).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
雲取山の山旅①
三峰神社・白岩山から雲取山荘へ
1.2012年10月11日~12日
2.単独
3.交通:西武池袋―西武秩父レッドアロー号7:30-8:58¥1370
西武観光バス 西武秩父―三峰神社9:10-10:25¥900
4.宿泊:雲取山荘1泊2食¥7500
5.地図:国土地理院1:25000雲取山、三峰
昭文社・山と高原地図25奥秩父1
6.ガイドブック:新・分県登山ガイド⑫東京都の山
雲取山へは12年前、「三条の湯」を経由して水無尾根から登頂、同じルートを戻っている。今回は三峰神社からのコースを登り、奥多摩の石尾根を下りて奥多摩駅に出ることにした。
10月11日(木)
前日の天気予報では雨だったが、降っていない。それでも雨仕度をして、靴も雨でも問題ないものを履いて出る。コンビニで非常食や昼食を買う。駒込駅のスタンドでは日経かスポーツ新聞を並べていた。
6時59分、山手線内回りに乗る。既に通勤客で混んでいて、ザックを下ろして立つ。池袋駅の地下道では人が足早に動いていく。西武池袋線のホームに電車が着くと、若い女性が走り、他の人は堰が開いた川の流れのように改札口に向かって行く。特急乗り場は別にあった。
7時24分、特急到着。
お客は別の改札口に行き、係員が車内のカーテンを直した後、座席方向を隔列毎に自動操作で反転。出発3分前に改札口が開いて4Dに座る。前後の客はゴルフ談義。飯能で8人が一緒に降りていく。残った客は座席を反対側にしていた。ここで向きが変わって出発。横瀬駅に停まって武甲山を見ると、石灰岩で削られた崖が段差をつけて植物らしき緑色をしていた。
8時58分、定刻に西武秩父駅に到着。駅員に確認して6番バス乗り場に行く。外人女性が座っていた。未だ時間があるので観光案内所に寄ってバス時刻表をもらう。
9時10分、秋晴れだが、雨の予報のせいか我々2人だけを乗せて出発。彼女の名前はメラニー、ベルギーのブラッセル出身。10日間の日本旅行で、大輪で降りて三峰神社に行く。既に日光や富士山を眺めに河口湖に行き、この後、鎌倉に行く。案内の紙に英語でマークしていたが、日本語は通じない。
2年前、三峰神社で嘉悦短期大学のK教授と俳句同好会の生徒と一緒に句会に参加、妙法ヶ岳に登り、翌日、神官に案内されて清浄の滝での禊ぎを体験して大輪まで降りたことがある。思い出しながらルートを解説する。英語の他、全然使っていなかったフランス語も浮かんできたので、話すと通じた。ブールージュに行った時のことを話す。
途中、登ったことのある熊倉山が良く見えた。
三峰口駅前で時間調整している間、ドライバーが山の状況を教えてくれる。最近、熊が出没。特に5月、桜の実を食べに麓にも現われると言う。神官が禊ぎに行く途中で熊に襲われて怪我したこともあり、熊狩りをしていた。メラニーに伝え、前方の道が曲がっていたり、坂を登り終える前には、声を出すように言う。ソニーの一眼デジカメで私を撮り、送りたいというので、メールと携帯番号を書いた名刺を渡し、何か困ったことがあれば連絡するように言って大輪で別れる。
バスは一方通行のトンネル前で2分間停車。ドライバーの後ろに座って話す。彼は時計バンド作成の会社勤務の後、タクシー運転手となり、今の仕事に就いて6年になる。週末や観光シーズンになると利用者も多く、臨時バスを運行することもある。三峰神社の方で、路線の赤字を補填していた。年輩者の利用が多いせいか車内の携帯電話や財布の忘れ物が多いと言う。二瀬ダムを渡り、ジグザグに登って行く。秩父湖の水は僅かだった。ヘリポートを通過して広いバス乗り場に着く。神社内の興雲閣に泊まっていた年配者のグループが待っていた。ここから正面に和名倉山が見える。
秋空や予報外れの山日和
階段を上がると左手に雲取山、右手に飛竜山が見える。
今年4月27日にリニューアルしたビジターセンターに寄る。動植物を案内していた。奥秩父には鹿、猿、猪、狐、狸、熊の他、穴熊、がいる。時間があるので前回行かなかった秩父宮記念三峰博物館に入る。ニホンオオカミの毛皮を展示、秩父宮殿下が焼かれた菓子皿や蒔絵絵箱、資料がある。神社では神様のお使いとして狼を祀っていた。三峰とは、前回登った妙法ヶ岳と、これから行く白岩山、雲取山のことだった。参道を歩いて行くと、杉の苗木を30万、5万と寄進した人の碑が並んでいる。本殿には寄らずに日本武尊の銅像に挨拶してから戻って登山口に行く。
役行者が修業して以来、宗教的な自然感覚が続いていて、参道を通って鳥居を過ぎてから雲取山への道に入る。
杉林の中、妙法ヶ岳への分岐点を右にとり、徐々に登っていく。
栗のイガは落ちているのに実が見当たらない。熊の可能性もあるので、鈴を鳴らし、ストックを1本延ばしていく。
11時45分、二股桧にテーブルとベンチがあり、一本立てる。15人のパーティが降りて来た。先に行くと左手に炭窯跡がある。土と石で造り、白炭を焼いていた。
烟(けむり)たえてやく人もなき炭がまの跡のなげきを誰かこるらむ 藤原信頼
少し登ったところで平坦な道に戻る。45分後、地蔵峠に出て登って行く。
秩父宮ご夫妻のレリーフが岩壁にあった。
その先へ行くと、秩父宮命名の霧藻ヶ峰に出る。休憩舎とトイレがあり、見晴らしが良いので昼食にする。
両神山が良く見えた。
休憩舎一帯には、サラサドウダンの木がある。
13時、出発。雲が多くなる。お清平を通過。
白岩山まで登って降りてきた年配者に会う。足元に苔や茸、3cm位のムカデみたいなヤスデがいた。
14時、前白岩の肩。コメツガの木が生えていた。20分後、前白岩山。
前方に白岩山が見える。良い山だ。高度50mほど降りて登り返す。白岩小屋を通過。
15時15分、白岩山登頂。テーブルとベンチがあり、この先は11月から4月にかけて路面凍結による滑落事故が多発しているという注意の看板が立っていた。
降りていくと木段が続く。脇にトリカブトやゴマナの花が咲いていた。
コメツガは鹿にやられないように網で巻いていた。大ダワで日原からの道に合流。日原からのルートは崩壊により通行止めになっていた。
ここにもテーブルとベンチ等ハイキング向けにグループで休める施設を用意していた。
16時、陽の当たらない緩やかな道を登っていくと、倒木に苔と茸が生えていた。
先方に団体がいる。「山歩きブナの会」の人達で1人が足を攣っていた。「山荘に18人が遅れると伝えてください」と言われて先に行く。雲取ヒュッテを上に見ながら歩いていく。
テントで休んでいる青年に会う。テント場代300円で水とトイレを使えるのは安い。大きなテントも設営されていた。
16時半、雲取山荘に10年振りにチェックイン。
女将さんに1泊2食代を支払う。2階の3-1号室。今のところ1人だが、予約なしでやって来る人が泊まるかも知れないという。単独者用の部屋は十畳あり、屋根が高く、真ん中に炬燵があって温かい。足を揉んでおく。
端にザックを置いて、言われたように布団を敷いておく。階下のロビーには、皇太子殿下と雅子妃殿下が来られた平成7年11月9日の写真と皇太子殿下が来られた平成19年10月22日の写真が壁に飾られていた。
皇太子ご夫妻と新井信太郎氏(雅子妃の左)
何れにも新井信太郎主人が写っている。主人は77歳、山荘には来なくなっている。明日の日の出は5時45分、朝食は5時と案内している。部屋で持参の焼酎に、余ったお湯を入れて摘まみながら飲む。
18時、食堂。団体以外のテーブルに案内されて座る。隣りは横浜と東京のOL。年輩者男2人に励まされてやって来た。サラダ、山菜、ハンバーグ等に味噌汁とご飯。ご飯はお代わりできる。女将さんと青年2人で応対。
食後、外に出て水場で歯を磨く。トイレは男性用にも洋式便座が2つあった。タオルに水を湿らして全身の汗を拭いておく。部屋は結局1人で使うことになった。山小屋で、これほど広い部屋を使うのは初めてだった。消灯20時半前に寝る。
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年9月11日~12日
2.単独行
3.長距離バス:名古屋=福井¥5250 JR福井―越前大野¥650
バス:越前大野―勝原¥540 JR勝原―福井¥820
4.宿泊:福井プラザホテル一泊¥5000
9月11日(火)
台風15号は前日に東海から関東を通過していた。今日の午前中、羽田空港は閉鎖されていた。ホノルルからの83便では日本付近でも揺れなかった。伊豆半島を過ぎると駿河湾が見えてきたが、富士山は見えない。安部川、富士川の河口から土砂が流れて海が濁っている。しかし深いところは紺青色をしていた。予定より50分早く着陸。空港からホテルまでの配車の中で、名鉄バスセンターに電話、福井まで予約しておく。
17時50分、指定ホテルに着く。731号室に入ってシャワーを浴び、登山の仕度をしてから出る。時間に余裕があるので地下鉄で行き、名鉄バスセンターの4階窓口で申し出る。19時の出発まで20分あったので、地下の食品売り場に行って出来たて弁当を買う。出発5分前にバスが来て、係員が乗り口で切符を回収、座席2Bに座る。乗客は15人ほどで、後ろは空いていた。早速、弁当を食べて休む。携帯ラジオを聴いていると東海、関東の道路が寸断していた。台風16号が沖縄に向っていた。バスは名神一宮から東名高速に入り、米原から北陸自動車道に出る。途中、賤ヶ岳SAで休憩。外は止んだばかりで、トイレに行っておく。武生と鯖江で数人、降りていった。福井は雨。レインウェアを着てJR駅に向う。駅近くの福井プラザホテルに入ると、泊まれるので現金を払う。201号に荷物を置いて傘を借り、駅に行く。越前大野までの切符を買い、明朝6時発の電車のホームを確認しておく。駅の中には、ホテルや仮眠施設があった。地下道で歌っている青年の声が聞こえていた。
部屋に戻り、シャワーを浴びてテレビを見る。ニューヨークの世界貿易センターにハイジャック機が突っ込み炎上、更に崩壊したニュースを放映。その後にペンタゴンも同時テロで炎上していた。
目覚まし時計をセットしようとしたら電池切れ。部屋には冷蔵庫があるが、お湯がない。ポットを持って下に行く。お湯を沸かしてもらっている間にコンビニに行って電池を買って帰る。しばらく女将さんとテロの話をしてから、福井地震のことになる。戦災で焼け野原になり、戦後3年後のことでバラックが総崩れ、映画館も潰れて、中の情景は凄惨だった。そこにタクシーで乗りつけた酔っ払いが入ってくる。女将が運転手にお金を払っていた。テルモスにお湯を入れてもらって部屋に戻り、しばらくテレビを見てから寝る。
荒島岳(1523.5m)
地図:国土地理院1:25000荒島岳
昭文社・山と高原地図43白山
9月12日(水)
5時に起きてしまう。テレビをつけるとアメリカ全土で飛行停止。政府専用機2機を千歳から羽田に待機させるという。明日の飛行はない模様。準備してローソンでオニギリとビニール傘を買って駅に行く。2番線ホームで待っていると1両の電車がやってきた。
6時、出発。乗客は他に女子高校生1人で運転手と馴染みの様子。美山で対向電車を待つ。55分後、越前大野に着く。通勤通学客が並んで待っていた。出たところにバス停があった。トイレに行っておく。出て振り返ると福井行きの電車は3両になっていた。鳩ヶ湯行きバスは2分遅れでやってくる。
おばあさんが1人、そしてもう1人乗ってくる。2人とも終点から1時間ほど山に入り、薬草やマイタケを採りにいく。1人は長靴を履いていた。1人は山小屋に置いてある。この辺の山は蝮と熊が出没するという。運転手は、予定より遅れた場合の帰りのバス時刻を教えてくれる。
高度265mの勝原駅で降りて、国道158号線に向う。近道を通っていたら、工事請負人の溜まり場に出る。道を確認して舗装道路を登っていく。後ろからピックアップカーがやってきて「荒島岳に登るなら乗りなさい」と言われ、荷物台に乗る。国道からスキー場の広場に出て、登山届のあるところで止まり「届けを出すかい」と言われる。大丈夫と答える。コンクリート製の急坂を登り、工事中のところで止まる。30分は短縮できた。降りてお礼と共に、折りたたみ袋を差し上げる。
登山道の一部が土砂崩れをしており、キャタピラで整地していた。リフトの下を通り、ゲレンデを登っていく。
石ころが多く歩きにくい。リフト最高所からブナ林に入る。大木が林立し、樹林帯の中を登っていく。
9時30分、レインウェアを着たハイカーが上から降りてきた。
「上は雨が降っている。滑りやすいから気をつけて」
登りは順調だった。やがて雨に遭遇。傘を差し、ストックを1本にして登る。シャクナゲ平に出て中出ルートと合流。ここから1時間かかる。一度、降りたところで佐開ルートに出会い、次々と尾根を越えていく。
ロープや鎖は濡れているので使わずに登る。
10時45分、登頂。石塔と荒島大権現が祀ってあった。
近くに電波反射板が立っていた。下りは慎重に降りる。往きに目をつけていた花を撮っていく。ナナカマドの赤い実がなっていた。
秋霖や虫鳥獣眠らせり
ノリウツギ、タテヤマリンドウ、竜胆が咲いていた。
雨があがると虫が動き出し、コオロギがピョンピョン飛んで逃げていく。
同じ方向なので、こちらも付き合う。その内、疲れたのか停まってしまう。蛙もいた。陽が差す道にはトンボが飛び交い、ウラギンシジミが休んでいた。
道は階段になっていたり、ポリプロピレン製の土のうが坂に敷かれて滑り止めになっていたり、ブナの根が張り巡らされていたりしている。
13時、ゲレンデ最高点に戻る。板張りに座ってオニギリを食べる。大野盆地は晴れているが、雨雲が荒島岳へと続いていた。九頭竜川が蛇行しているのが見える。石ころ道を降りていく。バッタが道々で飛び出していく。
13時50分、工事現場に戻り、作業している人に挨拶して帰る。 登山口に水場があり、靴やスパッツを洗ってから国道に出る。シェルターの手前で北陸電力マークをつけたミニカーや電気屋の車が止まって頓首していた。トンネルの照明装置のことだった。駅前の店でビールを買って待合室で飲む。
14時47分、電車1両がトンネルから現われた。後ろから乗り込み、整理券をとって座る。電車はトンネルに入り、あとは盆地の中を川と道路と一緒に一直線に走る。田野、大野を通過して16時前に福井駅に着く。
駅前通りを歩いてバスセンターに行く。出発まで地下のレストランでカレーうどんを食べてから乗る。指定席の隣りに客がいたので、後ろの席に移る。定刻16時30分に出発。高速に入り、敦賀で日本海、米原付近で琵琶湖を見、伊吹山を見ながら帰る。名古屋駅には19時定刻に着いた。
Arashimadake(1523m) in Fukui pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:From Fukui station to Kadohara station by Etsumihoku line.
2. Information::Ohno city Izumi branch(0779-78-2225)
3. Season:May to Oct
Records:Sep12
8:00-8:30 Walk from Kadohara station(265m) to gate.
8:30-8:40 Pickupcar driver rode me to lift(670m).
8:40-9:55 Climb to Shakunage daira(1204m).
10:00-10:45 Climb to Sabiraki and peak.
11:00-12:30 Down to lift and take meal.
13:10-14:20 Back to station.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.1998年8月30日(月)
2.単独行
3.地下鉄:淀屋橋―天王寺¥230 近鉄長野線:阿倍野橋―富田林¥470 金剛バス:富田林―ロープウェイ前¥530
南海高野線:紀美峠―新今宮¥790
4.地図:国土地理院1:25000御所、五條
昭文社:山と高原地図49金剛山・岩湧山
6時過ぎ、ロイヤルホテルを出て淀屋橋まで歩く。阪大の敷地や日本生命の研究所を通る。ここに入って勉強したことがある。住友生命の本社ビルは35年変わっていなかった。地下鉄では心斎橋で乗客がどっと降りて座られた。
7時4分、阿倍野橋から準急に乗る。藤井寺から各駅停車になる。
7時36分、富田林駅。駅を出て金剛山方面のバスを捜したがない。リュックを担いでウロウロしていたら、バス乗場のベンチに座っていたオッサンが「山に行くなら反対側に行かんと」と教えてくれる。踏み切りを渡っていくと、風景は旧市街。金剛バスがたくさん並んでいた。定期券窓口で金剛山へのバスを聞き、2番乗場で待つ。今日は月曜日、土日祭日になると増発していた。駅にはバスから降りた出勤客が続々と改札口に向っていた。新聞買ったり、ミルクとパンを口に入れていた。
8時5分、ロープウェイ行きバスが出る。登山客は8人。同好会グループで奥日光や富士山に登っていて、幹事が写真を渡していた。皆、慣れているようでザックも軽そうだった。バスは千早川が流れる峡谷を走っていく。電波塔が目立つ。
8時50分、登山口で半分が降りる。残りは先のロープウェイを使うようだ。駐車場にトイレがあるのでスッキリしておく。一緒に降りたオバサン、ウーロン茶の名前が入った箱を担いでいく。休憩小屋まで運びあげる。「年とりました」と言いながら頑張っている。
千早城址跡や楠木正成首塚の脇の階段を登っていく。
途中、一本木茶屋を通り、尾根道を登って1時間後に広場に出る。金剛練成会員50回以上の登拝者名札が500名程並んでいた。先には100回以上、更に200回、500回以上の名札があり、最高は8500回以上の平野次男氏。捺印所では10回捺印出来るカードを売っていた。山頂の葛木神社の宮司が考案したという。転法輪寺が建ち、御本尊は役ノ行者が祀った法起大菩薩だった。広場の右に金剛牛王像、階段下に金剛不動の明王像が立っている。左のヒサゴ池は1585年、秀吉が参詣した折りに造ったもので、瓢箪のかたちをしている。中の島は亀のかたちをしていて、弁財天を祀っていた。山頂に立つ。
左手の道を歩く。ブナ林を過ぎると仁王杉が聳え立つ。葛木神社を過ぎ、今やダイヤモンドトレールになっている修験道を降りていく。
杉林の中を歩くと、大群衆の中を歩いていくような気分になる。曇天で眺めはないが、歩くには絶好。ストックを使って一気に降りていく。途中、展望台やピクニック広場は通り抜けていく。伏見峠から杉林の中を登り返す。
11時25分、中葛城山(965m)。
奈良県側の平野とゴルフ場が見えた。左手に熊笹と右手に欅林の間を歩く。尾根伝いに高谷山を越え、熊笹を見ながら丸太階段を降りる。
12時5分、杉林の中、千早峠に出る。
ここは明治維新5年前に、大楠公の遺志を受け継ぐ天誅組が歓心寺から奈良の五條の代官所に討ち入る時に超えた峠だ。高度784mある。再び登り出し、小さな祠のある神福山を過ぎ、見晴らしのいいベンチで昼食にする。堺からきた中年夫婦が休んでいた。しばらく山の話をする。行者杉峠に降りるとダイトレ(ダイヤモンドトレール)の案内が書いてあった。
奈良県と大阪府が49キロを共同開発して1969年にオープンしている。ここは和歌山県との境でもあった。杉林の中は限りなく静かだった。
音もなし曇空の山夏終る
西ノ行者堂でストックをリュックに入れていたら、蚊に襲われる。トレールを足早に登っていく。尾根伝いを歩くと風が気持ちいい。葉のザワメキが霊を感じさせる。鉄塔を過ぎ、丸太の階段を一気に降りていく。
14時55分、山ノ神。ここから山腹の道を下っていく。柿畑の中を通過。既に実をつけ、垂れ下がっていた。落ちた柿を食べてみる。いける。紀美峠では人家の中を歩く。
川向こうには分譲地が開発されていた。景色を眺めながら歩いていたら、駅の方向からずれてしまい、住んでいる人に聞いて戻る。
15時45分、国民宿舎紀伊見荘の前を通過。川を渡って紀美峠駅に出る。
15時54分、急行に乗って新今宮駅で乗り換え、地下鉄で福島まで行き、ホテルに戻った。
Kongousan(1125m) in Nara pref.
200Famous mountains in Japan
1.Access: KongouBus(0721-23-2286) from Tondabayashi station to Ropeway staion Kimitouge station-Nanba by NankaiRailway Kouya line
2.Information:Chihayaakasaka village office(0721-72-1447)
3.Season:Sep to May
Records:Aug30
9:00Kongou gate-10:15Kongousan,Tenpourintemple-10:55Fushimi pass-11:25NakaKatsuragiyama(930m)-12:05Chihaya pass-14: 55 Yamanokami-15:45Kokuminshukusha-15:50Kimitouge station(Nankai dentetsu railway).