グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]

            宮之浦岳(1936m)

1.2003年5月26日~29日

2.単独行

3.飛行機 羽田―鹿児島:JAS573 鹿児島―屋久島:JAC08111670

  バス  屋久島空港―合庁前―紀元杉¥1550

  タクシー相乗り 雲水峡―宮之浦¥600

  バス  宮之浦―屋久島空港¥510

  飛行機 屋久島―鹿児島:JAS11670  鹿児島―羽田:JAS582

4.宿泊  淀川小屋、高塚小屋、民宿:たんぽぽ¥6000

  文化センター¥500

地図:国土地理院1:25000宮之浦岳

    昭文社・山と高原地図59屋久島

5月26日(月)

 7時、16キロのリュックを担いで行く。既に出勤者が多くなって山手線も空席はない。

 8時、羽田JASカウンターに行き、座席14Gにアサインされる。12番カウンターで日本エアコミューターの切符も買え、6番で屋久島まで荷物を預けられた。セキュリティを通って3番ゲートで待つ。団体のオバちゃんが占拠していた。

 8時45分、搭乗開始。機材はA300。鹿児島の天候は着陸に問題なかった。乗務員はジャンプシートに座る前に丁寧なお辞儀をしている。若い方は、非常口や棚のドアがキチット閉まっているか指差し確認していた。隣のビジネスマンは結局寝っぱなしだった。

 10時38分、着陸。次の出発まで時間があるので、一度階段を降りて出発階に向かう。土産店には屋久島杉の 特別販売をやっていた。奄美や種子島の観光案内もある。

 11時35分、搭乗開始。1台のバスで少し先の小型機に向かう。飛行機備え付けのステップを登って機内に入る。通路を隔てて1席と2席がついていた。

客室乗務員は1人、ドアを閉めてからアナウンスを始める。窓から直ぐ見えるプロペラが回り出し滑走路を走る。ピンポンと鳴って右折、ブーンという震動音と共に飛び立つ。電動マッサージを受けている感じだった。巡航高度3000m、時速480キロで雲上飛行。客室乗務員は旅客22名に、絵はがきと飴を配る。次にルートマップも配布。帰りは船を予定しているので、皆もらっておく。

 12時過ぎ、約1400万年前に花崗岩が隆起して出来た島が見えた。波が荒い。

 12時28分、岸壁の上にある滑走路に着陸。

DSC00080.JPG屋久島空港

 荷物を待つ間に登山届を書いて出しておく。土産店でガスボンベを500円で買う。 隣に座っていた夫婦もバスを待っていた。神奈川から来ており、今日は尾之間温泉で泊まり、明日は1周観光バス、翌日は雲水峡に行くと言う。ここから小瀬田前岳などが見えた。

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 13時35分、合庁前からタクシーを覚悟していたら、紀元杉行きバスが待っていた。貸切りで県道592号線を登っていく。運転手がいろいろと話してくれる。

「船が遅れるとバスも遅れる。昨日まで雨で通行出来なかった。10年前に神戸からやって来て、シーズンになると観光バスも運転する。運転でこわいのは雷雨。同僚が崖崩れで立ち往生して助けに行ったことがある」

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道路には電話線が架設されているだけだった。太忠岳の高さ60mある岩柱が見えた。

DSC00083.JPG太忠岳

ヤクスギランドを過ぎる。観光バスが2台停まっていた。1車線になり、段々険しくなってくる。

 14時30分、紀元杉を過ぎたところで停まる。荷物代270円も払って降りる。バッグを置いて戻り、順路に従って紀元杉の周りを歩く。樹齢3000年、赤みを帯びた木肌に圧倒される。長命なのは樹脂の油分が多いので腐りにくいからだ。大蟻を見つける。

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DSC00086.JPG紀元杉

                     紀元杉蟻一匹の這へる幹 

 石楠花が着生していた。団体が記念写真を撮っている。バスに「志津川旅行会ご一行」と書いてある。気仙沼に近い人々で3泊4日のツァーだった。紀元命水という湧水が道を隔てて流れ出していて、一口飲む。離れて見ると紀元杉の頭部はもぎれていた。

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 15時前、バッグを担いで舗装道路を歩いて行く。左手に川上杉が見えた。樹齢2000年、高さ27m、周囲8.9m。

DSC00093.JPG川上杉

 これにも石楠花が着生していた。鶯の声を聞きながら進む。

 15時20分、登山口に出る。車が7台、バスが1台駐車していた。

DSC00095.JPG登山口

 トイレに行ってから出発。木段を慎重に登っていく。道には砂が撒かれて、ぬかるみにならないようにしてあった。苔を触ると水っぽい。オブジェのような枯れ木の背後に淡桃色の桜ツツジが咲いていた。昇り降りを繰り返す。苔に被われた切り通しを過ぎ、松林を歩くと海岸にいるような錯覚を覚える。大きな三脚を持ったカメラマン2人や、花之江を往復したハイカーに会う。

 16時5分、淀川小屋。軽装の団体が広場を占拠していた。小屋には3組が入っている。隅にバッグを置いて整理する。外に出たら、団体はいなかった。近くの川で下着と靴下を洗い、水を汲んで夕食の準備をする。お湯を沸かしてカレーライスに缶詰の鮭を入れて食べる。町田からの若夫婦はビールを飲んで食べていた。食後、淀川にかかる鉄橋に行って見る。

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                  淀川小屋

 清水が川に淀んでいた。透き通っていて水がないようだ。蚊が出てきたので戻る。

 小屋のベランダで食事していた太目の男性の向かいでブランディを飲みながらノートをとる。福岡のカメラマンで、明日は黒味岳に登って花と山を撮る。続々とハイカーが小屋に入っていく。暗くならない内に明日の支度をして床について寝ようとしたが、話し声がうるさい。イヤホンでラジオを聴く。韓国語放送が多い。明日の天気は良好。ラジオを止めたら、鼾がうるさい。ラジオで童門冬二の歴史講話を聞く。寝たのは23時を過ぎていた。

5月27日(火)晴のち曇のち雨               

 5時、マットやシュラフをたたみ、外に出て昨晩の残飯を食べ、味噌汁を飲む。日帰り組が2組通り過ぎる。

 6時、出発。橋を渡ってからジグザグに登り、町田夫婦に追いついたところで、中年組がやって来た。一緒に追い抜く。新潟から来ており、長年登山をやっている。大木の写真を撮ったので離れたが、登っていくとリュックが置いてあった。奥でしゃがんでいた。「スミマセン」と声がする。「ごゆっくり」と言って通り過ぎる。道の水たまりには蚊が群舞していた。

        溜まり水山路にありて藪蚊舞ふ

 6時45分、高盤岳展望所に出る。巨大花崗岩の本高盤岳が近くに見えていた。

DSC00106.JPG本高盤岳(1711m)

 潅木に交じって白骨化した杉が立つ。 老夫婦と写真を撮り合う。苫小牧からの人だったので、歩きながら話がはずむ。王子製紙の人で昭和35年の冬季オリンピックでアイスホッケーの日本代表選手。当時は氷川丸で2週間かけてバンクーバーに入った。帰りは日本航空だったが、ウェーキ島に寄ったのを覚えている。奥さんは王子病院の看護師 。息子2人もホッケーをやっており、1人は国土開発で横浜におり、1人は王子製紙。会社にいる頃はゴルフしかやらなかったが、今は夫婦で登山を楽しんでいる。20日からパジェロを舞鶴までフェリーに乗せ、大山を登り、津和野に泊まり、鹿児島からフェリーでやって来た。屋久島の天気が悪かったので枕崎の温泉に入り、開聞岳にも登ってきた。帰りは別府から四国に入り登山、岡山の友人に会ってから来月10日に帰る。

 7時15分、花之江河。自然の庭園だった。湿原にかかる木橋を通ってから先に登っていく。

DSC00108.JPG花之江河

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 今朝方、小屋を通り過ぎたカップルに追いつき一緒に登る。彼氏は北フランス出身、神戸から安房に移り住んで5年になる。「バロン」という店を空港の近くに持っていた。

稜線に出ると、屋久島石楠花が咲いていた。黒味岳が見える。

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 白骨樹が残っている岩場を進む。足元にも白い石楠花が咲いていた。

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 水場を探したが、見つからない。彼女、この辺なら飲めると言って飲む。2人より遅れて石楠花を観賞しながら歩く。

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花崗岩が至るところで露出していた。5分咲きの赤い石楠花も多い。

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    宮之浦石楠花の路頂へ

 1人、やたらと大きなリュックを置いて休んでいた。横浜から何度も来て写真を撮っており、昨日は岩屋でテントを張っていた。「今日は鹿之沢小屋に泊まる。来年には銀座で個展を開くので観に来てください」と言って、住所氏名を書いてよこす。筑紫岳、安房岳、翁岳の西斜面を巻いていく。

 9時40分、巨岩の栗生岳に出る。日帰り組が降りてきた。あと一登りと励まされる。北からガスが覆い、ポツポツと降ってきたのでレインウェアを着る。ジグザグに登って木道を通る。

 10時、左側から登頂。大きな岩に囲まれていた。着いて見ると、あっけない。視界ゼロ。苫小牧夫婦と写真を撮り合う。あさって雲水峡に向かうと言うので再会を期して別れる。

DSC00119.JPG宮之浦岳山頂

 神戸から来ていた青年はバッグをデポして、往復1時間半かかる永田岳に行く。ここは日本中から人を集める。広島からの青年がやって来た。この後、グループがやって来て新高塚小屋に泊まると言うので、その先の高塚小屋に泊まることにする。

 10時30分、出発。焼野三叉路では止んでいたので食事をとっておく。スパッツも付け、完全武装してから降りる。時間に余裕があるので、石楠花が近くに咲いていると立ちどまってしまう。

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 平石を過ぎたところで鹿の抜け毛と糞と足跡を見つける。本降りになった。

風も出て来た。大石の下で雨宿りする。強風注意と書いた看板が立っていた。ヒメシャラの根が岩にからみついている。

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 12時30分、突然、ヤク鹿が現れた。登山道の脇にも居た。第2展望台さらに1時間後、第1展望台をそのまま通過する。

 14時、新高塚小屋。近くの水場で水を補給してから、小屋のベランダにバッグを置く。青年が2人休んでいた。お湯を沸かしながら話す。1人は自転車旅行を兼ねていた。小屋の下は木製の広場でテントが張れる。そこに鹿が現れる。餌狙いだった。白髪のオッサンが現れた。専ら自画自賛、高塚小屋まで行く予定だったが止め、ここに泊まるという。

 14時20分、淀川小屋で一緒だったM夫婦が辿り着いたところで挨拶して出る。雨は一向に止まない。1年間で平地は4000mm、山間部では8000mm降るのだから仕方がない。段々と大木が増えて来る。赤茶けたツルツルの木肌のヒメシャラが倒木に覆い被さってうねっていた。天城山のより大きい。アップアンドダウンを繰り返し急坂を降りる。

 15時20分、高塚小屋に出る。ドアが開いていた。 中には、一昨日会ったカメラマン達がいた。靴下や下着を脱ぐと湯気がたつ。レインウェアをかけマットを敷いて一段落したところで、2人と話す。北海道テレビの撮影クルーだった。世界遺産シリーズで20日から滞在、山頂には行かないが、各地を撮影して明後日帰る。一度、外に出て水場を探したが、トイレの奥のバケツに溜まり水があるだけだった。戻って上段で休んでいた青年に聞く。

「いい水がないので縄文杉で水を確保した方がいい」

 傘を差し、半ズボン姿で容器を持って行く。後ろ向きになって階段を降りたり、滑らないように慎重に行く。小屋を過ぎ、木段を降りて行くと木製広場の脇に縄文杉が現れた。堂々として風格がある。幹の周囲6m。白っぽくて、いかにも老体だ。推定樹齢7200年。大きなコブが盛り上がっていた。

DSC02918.JPG縄文杉

 しばし圧倒された後、階段を降りてパイプから出てくる水を2ℓ容器に入れて戻る。

 16時50分から30分かけて食事。ラジオを聞くと、台風4号が沖縄に近づいていた。休む前にトイレに行っておく。小屋の手前で夫婦が立っている。新高塚小屋が一杯なのでやって来た。動きからして経験豊かなようで蛍光ランプを使って静かに作業、隣りに寝る。結構歩いたのに寝つきは悪かった。

5月28日(水)曇のち雨

 4時、2階がガサゴソする。未だ乾いていない靴下やズボンをザックの中に入れて温める。

 5時過ぎ、テレビチームはガスを点けて器材を暖めている。残飯を食べて出発。雨は相変わらず降っている。縄文杉を過ぎ、中味が抉られた大木を通る。歩きながらでは観られない。夫婦杉は直ぐわかった。2本の巨木が太い枝で繋がっている。写真が撮れない。湿気にやられていた。樹齢3千年の大王杉は大木の上から枝が開いていた。蛙が動き、鳥が鳴く。

         一人居る原生林に日雀啼く

 7時45分、ウィルソン株にやって来た。植物学者アーネスト・ヘンリー・ウィルソンが発見したことに因んでいる。壮大な舞台だった。樹齢4千年、400年前に切られたと伝えられる株の中に入って木魂(きだま)神社の祠の脇に座る。十畳くらいの大きさの窓から雨空を眺める。かって天に向かって伸び続けた姿を想うと木霊が漂ってくる。ハイカーがやって来たところで立ち上がる。次に現れた翁杉は、木の真中に穴が開いていた。

 8時20分、大株歩道入口に出る。雪渓のように白くなった川が音をたてて流れていく。ストック1本しまい、傘を出してトロッコ軌道の間の板を歩く。次々と観光客がやって来た。その都度、脇に寄って歩く。学生達も来た。100人位通り過ぎてからバタッと途切れる。川を渡り、3代杉を通る。1200年前の木の中から1000年前の木が伸び、更に250年前の木が上に伸びていた。周りは苔で覆われて生命力を感じる。

 突然、トロッコが降りてきた。運転していたのは無愛想なオッサン。仮設トイレが6台設置されていた。確かに必要な設備だ。

 9時30分、楠川参道分岐で林道と分かれて登山道に入る。再び登っていくので息切れして来る。岩をヒノキゴケが覆っていた。

          屋久島や雨又雨の山登り

 太鼓岩の下で雨宿りする。辻峠には1時間以上かかってしまった。ストックを使って降りて行く。白人が登って来た。ボストン出身、大阪で英語教師をしている。同じ地図を持っていた。今日は新高塚小屋に泊まる。「雨が降り続いているので水が道を塞いでしまいかねないから気をつけて」と言って別れる。

 鬱蒼とした樹木と苔の世界に入って行く。枝まで苔で覆われていた。千葉からの青年2人が佇んでいる。軽装で、自転車を別府まで運び、鹿児島の港まで走って、やって来た。

 再び1人歩いて行く。白谷小屋の脇を通る。鹿が1匹、餌を待っていた。この島は昔から「猿2万、鹿2万、人2万」と数えられていたことを思い出す。くぐり杉を過ぎ、楠川歩道を歩く。この歩道は300年前から屋久杉運搬のために出来ており、今でも、その時の石道が使われている。水の勢いのある川を渡る。普通の靴ではとても無理だった。ストックを使って滑らないように足を運ぶ。更に歩いて行くと軽装のカップルに会う。この先は無理と言っておく。楠川歩道からジグザグに降りて飛流橋を渡って広場に向かう。行きの飛行機で一緒だった夫婦に会う。しばらく顛末を話してから別れる。

 12時過ぎ、広場に出て休憩舎で食事にする。案内所の夫婦に水場を教わり、容器に入れて舎でお湯を沸かしてラーメンを食べる。淀川小屋で一緒だった伊勢組3人中年女性が降りて来た。タクシーを頼んで待つ間、話す。レンタカーで淀川登山口に車を止めてあり、宮之浦の事務所に出て車をピックアップしに行く。宮之浦なら分乗して費用を割り勘にすることになった。それまでに食べ終え、バッグを整理しておく。

 13時50分、タクシーがやって来た。高度800mから一気に降りていく。運転手は観光バスも運転しており、伊能忠敬の測量や地域によって業者の縄張りが出来ていることなど教えてくれる。途中、14時40分発のバスと擦れ違う。道路工事中のところもあった。麓は晴れていたが、風が吹いている。

 14時30分、オリックスレンタカー事務所前で降りて3人組と別れる。近くにワインカラーの民宿「たんぽぽ」が見えた。入ってみる。きれいなママが現れる。

「1時間前にフェリーが出てしまった。お客さんも予定を早めて帰って行った。明日は運航できるかわからない。泊まるなら荷物を置いて17時以降に来てほしい」

 近くの旅行代理店に寄って飛行機の予約状況を聞くと、6月1日まで満席だった。明日の朝、8時に鹿児島港を出航すれば昼からの船で帰れる。そうでなければ、朝1番のバスで空港に行き、空席待ちを狙うことにする。

 15時20分、案内カウンターでバスの時刻、明日帰れなかった時に泊まるところを確認する。

 17時、「たんぽぽ」に戻り、203号室に入る。2階の角部屋、静かで広かった。荷物を整理しておく。

 17時30分、別棟にある風呂に入る。お湯は半分しか溜まっていなかった。衣類や靴下を洗い、身体を洗い、髭を剃っている内に丁度良くなる。気持ち良かった。扇風機で衣類を風にあてる。体重は2キロ減っていた。人夫風のオッサンが入って来る。さっき通った道路工事をしていた。食堂で隣り合わせになる。同僚も鹿児島川之江にある会社から派遣されていた。三岳という芋焼酎を預けていた。

 ビールを飲みながら刺身、海老巻、里芋等を食べる。ご飯はお代わりする。部屋に戻ってテレビで天気を確認。台風4号が近づいていた。明日帰れなければ31日まで待つことになる。布団に入ったら直ぐ寝てしまう。

5月29日(木)

 6時30分、テレビで天候概況を把握、屋久島ジェットフェリーは全便欠航となった。野外放送ではフェリーも欠航となった。

 7時、朝食をとる。ママが台所で支度しながら話す。

「ここの天気はあてにならない。5月はずっと晴れることもあるし、梅雨の晴れ間もある。雨が降らないと電力会社は赤字になってしまう。波の高さが6mになると船は運航停止。空の方は風向きが良ければ大丈夫です」

 山尾三省のことを聞く。

「気さくな人で家の前を通ると、話かけてくれた。弟さんが近くのラーメン屋をやっています。一湊の白川山(しらこやま)に住んでいらした。一帯は何軒か建つ別天地みたいでした。お会いになったら、話がはずんだと思います」

 支払いを済ませ、バッグを担いで出る。

 8時30分、3人と一緒に空港で降りる。既に長蛇の列をなしていた。予約待ち167番。今日帰れなくなった場合に備えて空港近くの素泊まり「止まり木」に予約を入れてから、青年の隣りの椅子に座る。千葉から来ており、エコツァーを利用、楠川歩道入り口まで車で行き、雲水峡まで歩いたという。

「ガイドの良し悪しがあるようだが良かった。来月2日から調査会社に入社することになっており、今朝、宮之浦からタクシーを使って来た。既に並んでいて待ち番号31。その後旅行代理店の人が70名の予約をとっていた。ジェットフェリーが欠航になったので、急遽飛行機に乗り換えることになった。昨日は予約待ち200番まで乗れた」

 9時40分、第2便は26番で打ち切りとなる。伊勢組が空港に現れた。夕方の出発で予約済み、運航しているかどうか確認に来ていた。次にM夫婦が現れる。昨日は荒川口からタクシーで永田に行って泊まった。晴れていて口永良部島も見えたという。

 臨時便が出ていた。更に3便目は機材もSAABからYS11になり、収容能力が2倍になる。帰れる可能性が出て来た。千葉の青年と別れ、山尾三省「屋久島の森のメッセージ」を読む。ふと顔をあげると、北海道テレビのスタッフが立っている。14時5分の飛行機に乗り、羽田経由で今日中に帰る。

 13時55分、遅れていた飛行機が無事に着陸。お客が一斉に拍手していた。予約待ち番号は100を超えていた。レストランに行って食べておく。ここでも予約番号の案内が聞えるので、本を読みながら待つ。安房小学校の生徒が鹿児島から帰って来た。今になってデジカメが作動する。

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 次の飛行機も着陸。客が降りてくる。

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 15時30分、遂にお呼びがかかる。JALカードで支払い、バッグを預ける。余ったガスは処理してもらう。座席は1A。フェリーで帰る予定だったのは大阪の高校生だった。

 16時、飛行機に乗り込む。ドアが閉まり移動したが、着陸機を待ってから離陸。鹿児島には17時に着く。17時30分発羽田行きは満席。最終便も予約で一杯。名古屋、大阪、福岡行きの飛行機は空いている。他にバスや特急を使って福岡か大阪に出ることも考えた。JR時刻表を案内カウンターで借りて検討する。

 18時30分、もう一度JALカウンターに行って空席状況を聞いたら、直ぐチェックインできた。家に電話してからレストランで地ビールを飲みながら食べる。定刻に出発。

21時40分、モノレールに乗って帰る。家に帰って体重計を量ったら、元に戻っていた。いろんなヒトや生き物に出会ったが、紀元杉で出会った蟻に一番感動した。  

  

Miyanouradake(1936m) in Yakushima(Kagoshima pref.)

                         100Famous mountains in Japan

1.    AccessYakushima koutuBus(0997-46-2221) Rishiri airportKigensugi 1180yen

2.    FacilitiesYodokawa lodge  free of charge, no meal

          Takatsuka lodge  freeof charge,no meal

3.    Information:Yakushima tourist association(0997-49-4010)

4.    SeasonApr to Jun ,Sep to Nov

Records

May26

13:35-14:30  from airport to Kigensugi(1180m) by bus.

14:35-15:20  walk to gate.

15:20-16:05  walk to Yodogawa lodge.

May27

6:00-6:45    climb to observatory.

6:50-7:15    climb to Hananoegou.

7:20-9:40    climb to Kuriodake(1867m).

9:40-10:00   climb to peak.

10:30-14:00  down to Takatsuka lodge.

May28

5:45-7:45    down to Wilson stump.

8:00-8:20    walk to Ohkabu(big stump).

8:20-9:30    walk to Kusukawa junction.

9:35-10:30   climb to Tsuji pass.

10:40-12:00  down to Shiratani Unsuikyo(800m) and take taxi.


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