グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
北アルプス4座①
烏帽子岳、野口五郎岳、鷲羽岳、水晶岳
1.2001年8月27~30日
2.同行者:MH、MN、MK、
3.自動車:MK車
4.費用:烏帽子小屋、水晶小屋、晴嵐荘1泊2食¥8500×3
タクシー:七倉=高瀬ダム¥3800車+飲食¥5200
烏帽子岳(2628m)
地図:国土地理院1:25000烏帽子岳
昭文社:山と高原地図36鹿島槍・黒部湖
8月27日(月)晴
今朝は始発5時の山手線で新宿に向う。途中、池袋で3分停車したが、新宿には集合20分前に着く。Hの出迎えを受け、車に乗り込む。今回は4人、リーダーのHはスクウヮットで足腰を鍛えていたが、腰痛になって不参加。代わりにMHがリーダーを務めることになった。前夜、打ち合わせと称して飲み会をやっていた。
中央高速に出てから休んでおく、諏訪で休憩。豊科ICから大町を通り、蔦温泉から七倉に着く。8時40分だった。
タクシーを待つ間、トイレに行っておく。入り口に東電の小屋があり、通行人の管理をしていた。名鉄タクシーがやってきて乗り込む。トンネルを通り、ダムをジグザグに登っていく。ドライバーがダムについて講釈。
「ここは8万個の石を使って造ったダム。揚水発電で500mの落差を使っている。年間128万キロワット、東洋一」
9時15分、高瀬ダムから烏帽子岳に向う。
トンネルは半分通ったところから狭くなっていた。外に出ると係員がいて、午後6時以降、トンネルに発破をかけるという。不動沢にかかる吊橋を渡る。川の両脇に土砂が積み上げられていた。後でわかったことだが、上流は土砂になりやすい地質で一山分崩れている。25年前にダムができた時には100年持つと言われたが、このまま土砂で埋まっていくと、後25年持たない。そこで今まで4トントラックで土砂を運んでいたのを10トントラックで運べるようトンネルを拡張している。
登山入り口に標識「北アルプス裏銀座登山口」と水場があった。ここは北アルプス三大急登の一つで、小屋まで6時間かけて登っていく。
花は咲いていないが、色々な実をつけた草を足元に見ながら登る。ゴゼンタチバナの赤い実、ウドの黒い実、青やオレンジの実はなんだろうか。
稜線まで12の番号札があり、30分前後で休みながら一つ一つ減らしていく。ブナとシラビソの樹林帯が続く。花芯が黄色く花弁が白いミヤマコゴメグサの花が咲いていた。
週末登山を終えたハイカーが続々と降りてきた。今日は頂上も曇っているようだ。尾根に出ると登りも少しゆるくなる。一度、ポツポツ雨が降ってきた。レインウェアを着たが、暑いので脱ぎ、傘を差して登る。鎖も梯子もなく登りやすかった。しかし長い道のりだった。
14時、烏帽子小屋に着く。
手続きを済ませ、リュックを置いてデイパックにレインウェアと水を入れて烏帽子岳に向う。まず、ニセ烏帽子岳を登る。
頂上に立つと、前方に烏帽子岳が雲の切れ間に見えた。スイスのエギュー・デ・ミディ鋭鋒とまでいかないが、屹立した花崗岩の山は名山に相応しい。
燕岳に行く道に似て白い砂礫に花崗岩が点在していた。右脇から攻めて登る。雨がやみ、荷物がないので鎖があっても気楽だった。岩をよじ登り、山名を書いた板の隣りに立つ。一人ずつしかスペースがなかった。
帰りに、往きに目をつけていたクロウスゴの黒紫色の実を食べる。ブルーベリーより小さく、味は淡白だった。砂礫にはイワツメクサとコマクサが咲いていた。イワツメクサの花は5弁だが、二つに裂けて10弁に見える。葉が細くとがっていて鳥の爪に似ている。コマクサといい、可憐さがたまらない。池塘は底に黒い苔があるようで黒々としていた。
16時、小屋に戻って外で酒を飲む。
夕食は17時から。我々4人の他、6人のパーティとカップル、そして単独行2人だった。
Eboshidake(2628m) border of Nagano pref. and Toyama pref.
200Famous mountains in Japan1. Access:car is better. Chuo ,Nagano expressway ToyoshinaIC→pref.road57,147,326
Taxi from Nanakura to Takase dam.
2. Accommodation:Eboshi lodge(090-3149-1198)one night two meals 8500yen
3. Information:: Taxi between Nanakura and Takase dam:Meitetsu(0261-23-2323)
4. Season:Jul to Oct
Records:Aug27
9:15-14:00 Start from Takase dam and pass suspension bridge, climb following 20 numbers to reach ridge and Eboshi lodge.
14:20-15:00 Walk ridge to peak.
15:15-15:55 Back to lodge.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
赤石岳、悪沢岳の山旅②
悪沢岳(3141m)
地図:国土地理院1:25000赤石岳
昭文社・山と高原地図44塩見・赤石・聖岳
9月27日(水)晴
4時過ぎに起き、食事場所でお湯を沸かして雑炊を食べる。カメラマン達は既に出かけて撮影ポイントにカメラをセットしていた。東の空が少し明るくなって富士山の形が見えてきた。少し離れて撮ったが、フラッシュが効かないので早々に引き上げる。
フリースに手袋をしていても、じっとしていると寒かった。
5時30分、出発。Y氏は喜多郎の音楽をかけて見送ってくれる。ライトは要らなかった。昨日通った道を戻り、6時に小赤石岳に登る。高度3081m。
小赤石岳
富士山の左手から朝日が昇る。太陽が明るくならない前に写真を撮る。
左手には恵那山から中央アルプスの全貌が見えていた。大聖寺平についた時に見た富士は、霊峰らしい風情。雲の形が、昔の絵草紙に出てくる雲に似ていた。稜線から斜めに降りていく。
7時15分、荒川小屋。既に閉鎖していた。ここからの富士の眺めも良い。
水場で洗面を済ませ、水を補給。しばらく緩やかな道を歩いたあと、高度差300mを一気に登る。コルに出て更に登る。
三脚をリュックの上に乗せたハイカーと擦れ違う。手前に塩見岳、ずっと先に仙丈ケ岳まで見えた。
9時30分、荒川中岳。3083mある。
荒川中岳
風が強くなってきた。白いタオルを顔に巻きつけた2人の中年ハイカーに会う。この先、道幅が狭く、風に煽られるので注意した方がいいと教えてくれる。再び降りて登り返す。
淡紫色のタカネマツムシソウが一輪咲き残っていた。コウロギも健在だった。
たまたま風が凪いでいる間に稜線を通り過ぎ、ジグザグに登っていく。頭上にある山まで達しても次々に山が現われてくる。赤紫色の岩が増えてきたところでようやく東岳に達する。高度3141m。
荒川東岳
風を避けてお湯を沸かし、食事にする。ここでも三脚を持った年配に会い、標識を背に写真を撮って差し上げる。Mが雷鳥を見つけた。ハイマツの近くの岩場に5羽、すでに下半分は白い羽になって冬支度に入っていた。
11時30分、下りは瓦礫。緑青色の岩の上を降りていく。次は丸山、形が丸いからだろう。余り登らずに頂上に出る。それでも高度は3032mあった。ふたたび痩せた稜線を降りて行く。
13時、千枚岳。2880m。
千枚岳
既に赤石岳には雲がかかり、富士山は見えなくなっていた。この辺にはハハコヨモギが多い。高度270m降りて千枚小屋に着く。ビールを外で飲んでから、2階の上段に陣取り、酒を飲む。そこにOさんが現われ、日本酒を持って参加する。彼は電気会社の総務を担当、定年後、関連会社に5年勤めたあと隠居している。学生の時から聖山や荒川岳を登っており、当時は井川ダムから歩いていき、二軒小屋から伝付峠を越えて早川に出ていた。奥さんの親の介護のことがあり、最近は交代で遊んでいる。奥さんも登山と写真が趣味で、椹島ロッジに作品が展示されている。このあと、11月に彼がヒマラヤトレッキング、奥さんが12月にニュージーランドへ行く。
17時、夕食。同宿者は、他に夫婦一組と個人客が5人いる。夫婦と若い女の子2人が手伝っていた。関西弁丸出しで、主人は頭にタオルを巻き、口と顎に髭を生やしている。食後、18時55分からの天気予報と19時のニュースを放映。しかしNHKニュースは山梨と静岡から受信しても画面がブレテ駄目。結局見えなかった。MI、MAはOさんと介護保険や散骨のことを話していた。この小屋は東海パルプが提供した土地に県が建て、東海フォレストが運営している。
20時、引き上げて休む。
9月28日(木)雨のち曇
4時15分、トイレに行く。東空に明けの明星が輝き、オリオン座も見えた。予定を早め、5時、ライトを点けながら降りて行く。焦点に向って足を運ぶと集中力が出ていい。稜線の樹林帯を通っていく。
6時、木場道に出る。昔、馬車で運んだ道で凹型になった道で歩きやすかった。シラビソ樹林が続く。7時にパンを食べる。雨が降ってきた。傘をさし、リュックにカバーをかける。梯子を降りていく。
8時15分、林道に出る。ロッジまではまだまだ。3人のハイカーが登ってきた。しばらくすると、登山道が閉鎖され脇道を登り返す。枯草が積もっていて歩きやすかった。下りになって、枝に積もっていたところにストックを置くと、ズボっと入ってしまう。やがて崖崩れで道が切れているところを見る。吊り橋を渡り、本流の脇を歩く。
丸い大きなフジアザミの花が下に向いて咲いていた。
ロッジに行く小道の手前で見かけたハイカーに会う。昨日タオルを巻いて赤石岳に向っていた人だった。ロッジに戻る。千枚小屋の主人も来ていた。林道に車を置いていたようだ。早速、事務所の壁にかけてあるO夫人の写真を探す。北岳から撮った富士山だった。
10時20分発のバスに乗って、畑薙ダムに行き、無事MI車で帰る。
Akusawadake(3141m) in Shizuoka pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Toumei expressway SimizuIC, national road1,pref.79
HatanagiNo1dam. Tokai forest bus (0547-46-4717)to Sawarajima lodge free for user.
2. Accommodation:Senmai lodge(0547-46-4717)one night two meals7500yen
3. Information::Shizuoka city Aoi ku Ikawa branch(054-260-2211)
4. Season: midJun to midOct
Records:Sep27
5:30-6:00 Climb to Koakaishidake(3081m).
6:05-7:15 Down to Daishoujidaira(2720m)and Arakawa lodge(2610m).
7:40-9:30 Climb ridge to Nakadake(3083m).
9:35-10:50 Down and up ridge to peak, take meal.
11:30-13:00 Down and up to Maruyama(3032m),Senmaidake(2880m).
13:00-13:15 Down to Senmai lodge(2610m) and stay.
Sep28
5:00-8:15 Down among Veitch’s silver fir woods, using ladder to logging road.
8:20-9:40 Cross suspension bridge and pass Takimibashi. Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
赤石岳、悪沢(荒川)岳の山旅①
1.2001年9月25~28日
2.同行者:H、MI、MA
3.自動車:¥12000 高速代:¥11300
4.宿泊:椹島(サワラジマ)ロッジ一泊二食¥8000 赤石避難小屋¥4500
千枚小屋¥7500
9月25日(月)晴
今回は東名高速を使うので東京駅で会うことになった。
6時15分、八重洲北口の国際観光会館手前でMI車に乗る。清水ICで高速を降り、国道1号線に入って県道79号で安倍川を遡っていく。川べりには釣り人が既に棹を持って立っている。井川五郎ダムを通り、湖に沿って走行。田代温泉は、のどかな風景の中にあった。山間を走っていくと、ヘリポートがあった。
10時30分、畑薙第一ダムを越えてバス停の前に駐車。
他に7台駐車していた。関東地区のほか尾張小牧ナンバー。ベンチ小屋の前に行方不明者の案内がある。1999年8月6日、68歳の男性が聖平小屋から消息を絶っていた。今年も1人行方不明になっている。しばらくするとミニバスがやってきて、登山帰りのハイカーが降り、車に乗って帰っていく。ヘリがドラム缶や四駆自動車を奥地に運んでいた。腹ごしらえした後、しばらくベンチに横になって休む。
11時50分、東海フォレストのミニバスがやってきた。バスは椹島ロッジ、二軒小屋ロッジ、百間洞山の家、千枚小屋、荒川小屋、赤石小屋、熊の平小屋の内どれかで1泊2食利用した場合、無料となる。3000円前払いする。他に1人年配のハイカーが乗っていた。東京から新幹線で静岡に来て、このバスでやってきた。同じコースをたどる。10分走った後、降りて5分ほど歩く。台風15号により、道の一部が崩壊して車が通れなくなっていた。
さっき見たヘリ運搬の理由がわかった。崖崩れ地を過ぎたところにミニバスが待っていた。川辺には流木が取り残されていた。
12時25分、椹島ロッジ。かって飯場だった3棟をロッジにしているようだ。事務所で、1泊2食と弁当分代として残りの金額5900円を払う。朝食が6時から始まるので弁当にしてもらう。部屋の壁には写真を展示していた。消防山岳警備隊の部屋もある。奥の部屋2室に分散して泊まる。登山口を確かめがてら散歩に出る。赤石岳が見えた。
戻って早速、酒盛りを始める。私は一休みする。
17時、夕食。味噌汁とご飯はお代わりができた。入浴も16時から3時間可能だったが、行ってみると家庭用の風呂場。今日は汗をかいていないので入らない。床についたが、2時間熟睡したので21時には起きてしまう。それから1時間置きに時計をチェック、23時にトイレに行ってからしばらくしてようやく寝られた。
赤石岳(3120.1m)
地図:国土地理院1:25000赤石岳
昭文社・山と高原地図44塩見・赤石・聖岳
9月26日(火)晴
4時20分、Hが起きていた。気圧は高い。天気は良さそうだ。オニギリを食べておく。水をメ一杯入れておく。
5時30分、外は既に薄明るい。登山口に向う。白犬が鉄階段まで先導していく。杉林の中を登っていく。川の音が聞こえていた。昨日、バスで一緒だったO氏が先行する。
6時40分、高度1500mで休憩。シラビソ林の中を、ひたすら登る。高度2350mから左手に赤石岳が見えてきた。
今度はO氏が、後になる。カメラの三脚をリュックの上に乗せていた。20歳前から登山を始めており、ゆっくりとペースを守っていた。
10時5分、赤石小屋。ここの小屋の看板は写真家白旗史朗が書いていた。
屋外のテーブルで山菜うどんを食べる。800円。ここから聖岳の雄姿を一望できた。来年の目標とする。
11時35分、富士見平。ハイマツの台地だった。富士山は見えないが、荒川岳や前方に黄葉した赤石岳が見える。裂け目がいくつかあり、滝になっていた。稜線から山腹を歩いていく。少し降りたところに水場があった。そこに女性ハイカーがやってきた。「この先にもありました」という。黄色のザックカバーを付けたリュックが覆い被さるように背中についていた。ハンパなハイカーでないことが直ぐわかる。MIと先の水場に行って水を補給する。富士山の8合目からみた風景が頭上にあり、一歩一歩登っていく。足元にウスユキソウが咲いていた。
高度3000mを越えたところで分岐点に着く。風が冷たい。長袖シャツを着て登る。赤い石が増えてきた。
13時35分、赤石岳を登頂。
寒いので写真を撮ったら早々に避難小屋に入る。
ストックを外に置いて中に入る。冬場は外から2階に入れる。築6年、まだ新しい。リュックをベンチの奥に、炊事道具を棚に置く。小屋番はY氏。ここに3ヶ月いる。趣味はシンセサイザー。喜多郎ファン。彼のCDを全て持っていた。御殿場出身で最期の強力並木宗二郎さんのことを良く知っていた。今、彼はブルドーザーを運転して富士に登っているという。今月中に小屋を閉める。手伝いに来ているカメラマンへのサービスとしてポタージュを我々にもご馳走。「ここだけにして下さい」
この仕事は5年やっているが、今夏、希望に反して一方的にアサインされ、船窪山荘にいる彼女との約束が果てせず怒り心頭、今年で辞めるつもりだと言う。
「伊藤忠のN社長も山好きで山小屋運営に協力的だった。一度ここで高山病になり、松本からヘリを呼んだが150万円かかった」
高度3000m以上の小屋で喜多郎の「THINKING OF YOU」や「天と地」を聴く。坂本龍一が喜多郎を評価していないことも話題になる。
標高三千喜多郎聴きし小屋の秋
やがてカメラマン達が集まってきた。O氏も一緒になって、写真談義が始まる。快晴でなく、曇っていて光線が変わっていく時の表情を写すのが腕の発揮のしどころだそうだ。ぶれさせないように、重さ5キロある三脚に石を吊るしたりする。白髪のカメラマンが盛んにOさんと言っていたが、富士山の写真集を出版している大山行男氏のことらしい。
17時、スープをいただきながら食べる。今日は夕日が出ないまま終った。カメラマン達は朝夕、富士に向ってシャッターチャンスを狙っていた。食後、別室で寝袋の上下に毛布を敷いて休む。高度が高いせいか良く寝られなかった。
Akaishidake(3120.1m) border of Shizuoka pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan1. Access:car is better. Toumei expressway SimizuIC, national road1,pref.79
HatanagiNo1dam. Tokai forest bus (0547-46-4717)to Sawarajima lodge free for user.
2. Accommodation:Sawarajima lodge(054-260-2370)one night two meals8000yen Akaishi refuge lodge(0547-46-4717)no meal4500yen
3. Information::Shizuoka city Aoi ku Ikawa branch(054-260-2211)
4. Season: midJun to midOct
Records:Sep26
5:30-6:40 Climb from Sawarajima lodge(1123m) to 1500m high.
6:50-10-05 Climb every 50minutes and 10minutes rest to Akaishi lodge(2540m) and take Udon.
10:40-11:30 Climb to Fujimidaira(2720m).
11:40-13:35 Climb to peak.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年10月14~15日
2.単独行
3.自家用車
4.宿泊:鳳凰小屋1泊1食¥6500
地図:国土地理院1:25000鳳凰山
昭文社:山と高原地図41北岳・甲斐駒
10月14日(日)晴
6時前に出発、中央自動車道を走り、韮崎ICで降り、国道20号線に出て右折、途中、コンビニに寄って食糧を調達。ロッジを左折して林道を走行。対向車は1台だけだった。砂利道が続き、ところどころに水がたまっている。ミニバスが先行していた。携帯電話通話可能の標識があったので車を止めて鳳凰小屋に電話、宿泊を申し込んでおく。
8時45分、青木鉱泉に駐車。仕度をして出かける。次々とハイカーが降りてきた。ツリバナが実をつけている。ドンドコ沢を遡っていく。
その内、バスを使って登っていたハイカーに追いつく。岡山に住んでおり、大阪で長距離バスを使って韮崎まで来た中年男性。いつも単独行、仕事が空調関係で夏は休めなく秋山を楽しんでいる。帰りは夜叉神峠に出て芦安で温泉に入って甲府に行く。しばらく一緒に歩き、休憩後は先に行く。最初に「南精進の滝」に出会う。紅葉の中に上から水が落ちていた。
南精進の滝
沢に沿って登っていく内、道を間違え、枯れ木と乾いた苔の中に入ってしまう。浮石に気をつけながら登る。
滝の音沢で聞き入り道迷ふ
崖淵を登っていくときは、かなり緊張した。天気もいいので戻らずに上を目指して登る。
11時、人声と共に登山道に出てホッとする。沢を渡ると大きな羊歯が群生していた。今度は「鳳凰の滝」が見えた。
デジカメよりビデオの方が滝の動きを捉えられる。途中、オニギリを食べ、登り出したら「白糸の滝」に出る。
更に30分登ると「五色の滝」入り口に来た。
愛知から来た青年3人と同じようにリュックを置いて滝口まで降りていく。滝は3層に分かれて落ちていた。
他に周りの崖からも水が滴り落ちていた。風が冷たく早々に戻る。
14時過ぎ、広々とした峡谷に出た。地蔵岳のオベリスクが見える。
20分程、高度2300m台を歩き、しばらく登ったところに鳳凰小屋があった。主人がドラム缶でお湯を沸かしていた。一泊一食分払う。地蔵岳まで行きたかったが、5時から夕食だからと言われて諦め、缶ビールを飲む。テーブルと椅子は新しく、防腐液の匂いがする。水はふんだんに出ていた。福島から来たハイカーがいた。同じルートで来ており、天気が良ければ金峰、瑞牆も登るという。青年達は近くでテントを張っていた。
アシスタントのオッサンに説明を受けながら2階の奥に案内される。「毛布3枚と布団、シュラフを枕に使える。リュックは汚れるから下に置く。飲食は談話室」一休みする。
17時、夕食はカレーライス、味噌汁と漬物。お代わりも出来た。11人いた。食後、トイレを済ませ、ブランディを持って談話室に行き、一緒に炬燵に入る。6人が炬燵を囲んでいた。単独行の青年、滋賀の教育者たちと八王子に住む猛者2人。話は八王子が仕切っていた。
「丹沢で猪を捕ってきた人に会い、鍋料理に誘われた。ところが毛皮にダニがウヨウヨいて、すり潰しているのを見てゲンナリする。林道を走っていたら、熊が岩を登っていた。後ろ足を前足の前に置いて尺取虫のように体を移動していた。突然現われた車にびっくり、転げ落ちて一目散に逃げていった。」
主人が入ってきて、客をどかせて入り口が見えやすく壁に背をもたせかけられる位置に陣取る。岡山のオッサンも入ってくる。北アルプスだと関西人が多いが、こちらは関東勢が多い。慣れないところにいて、何かと聞いてくる。
「富士山に連れてってというオバサンがいるんだけど、どうしたら」「乗鞍岳にでも連れてって高度順応できるか試したら」ほか滑落ケース、遭難ケースが話題になる。
19時前、主人がアシスタントに消灯を指示すると直ぐ小屋の電気が消されてしまう。あわてて2階にいく。
10月15日(月)
4時30分、ゴソゴソしながら寝具をたたみ、仕舞いこむ。トイレを済ませる。外は東側に月と一番星が、薄明るくなった空に輝いていた。
ライトを頭に付けて歩いてみたが、沢の方は行かれそうもない。小屋に戻って明るくなるまで待つ。お湯を沸かしオニギリを食べて出直す。
5時40分、朝日が出た時は樹林帯の中で写真は撮れなかった。ジグザグに登っていく内、再び正規のルートからはずれ、賽の河原に向う。崩れやすい石が多くて登りにくい。霜が降りて堅くなっているところを登っていく。河原に辿り着いたとき、既に地蔵岳には青年2人と岡山の人がオベリスクの下に立っていた。
リュックを置いて、交代するかのようにオベリスク下まで登る。青いザイルがあった。昨夜、危ないと聞いていたので、登らずに戻る。河原には、子宝を願う信者が念願成就して持ち込んだ地蔵が置かれていた。甲斐駒をバックに写真を撮る。
富士山の眺めも格別だった。南アルプス、八ヶ岳を鑑賞してから観音岳に向う。
アカヌケ沢の頭に出て振り返る。
尾根を降りていくと、小屋から真っ直ぐ登ってきた高年ハイカーに会う。昨日、小屋で一緒だった。先に登っていく。北岳の岩肌が真近に迫り、白峰三山が連なり、苦労して登った記憶が蘇る。紅葉した山間が日差しを受けて陰影をつけ迫力があった。
右から北岳、中白峰、間ノ岳、農鳥岳
8時20分、観音岳に登頂。
山梨百名山と書いた標識で写真を撮ってもらおうとしたら、既にデジカメの許容量を越えていた。
秋晴の南アルプス一望す
薬師岳の方からも続々とやって来た。薬師岳小屋は混んでいて布団1枚に2人寝かされたという。富士山に向って花崗岩の尾根を歩く。25分で薬師岳に着く。白い砂礫が敷き詰められていた。ここにもオベリスクがあった。岩に「青木」と書いた方向に降りていく。樹林帯の中、紅葉した風景を見ながら爽やかな空気を吸って歩くのは気持ち良い。
山紅葉したる真っ只中にあり
しばらくすると一際大きな岩があった。岩自体に「御座石の岩」とペンキで書いてある。高さ5m、幅10mはある。静寂の中、独り降りていく。大体、高度200m降りたところで水を補給し、時々口笛を吹きながら、ひたすらカラマツ林を降りる。高度2000m、笹原になった。一休みした後、降りていくうち、木の根っこを踏んで滑り転ぶ。膝を擦りむき、腰を打った。膝に血が滲んでいたが、他に痛みがなかった。
今度は足元を良く見ながら降りる。林道を横切り、木洩れ日の下ジグザグに降りていく。やがてセセラギの音がはっきり聞こえてきた。高度1315mに水場があった。汗を拭き、水を飲む。うまい。すぐに九沢第四床固と書いた堰提に出た。市営林道小武川線を歩いていく。コンクリトラックが埃を巻き上げて通過していく。車道は大回りしていくので、途中、ショートカットして降りていく。「青木鉱泉」の標識に従って川に出た。増水した場合には渡れないと書いてあった通り、渡れそうなところがなかった。100mくらい遡って、ようやく見つける。ストックを使って川を飛び越える。堤防を登ると見覚えのあるところに出た。
青木鉱泉は昨日と同じく人気がなかった。風呂に入るのは止める。車の状態を確認してから、近くのキャンプ場に行き、お湯を沸かしてラーメンや缶詰を食べる。水場で洗面を済ませてから車に乗り込む。
13時30分、出発。途中、何台かトラックがやってきた。丁度、スペースがある時だったので無事通過。国道20号線は空いていた。ぶどう直販場で安売りの巨峰を買う。ガソリンを補給、窓を拭いてもらう。登ってきた山とオベリスクがはっきり見えた。前面に富士山を見ながら走る。低山の奥、霞んだところから浮かび上がっていた。塩崎には日本航空高校がある。甲府昭和から中央高速に入り、時速120キロで帰る。
16時30分、帰宅。
Houousan(2840m) in Yamanashi pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Chuo expressway NirasakiIC→national road20,logging road,
Aoki kousen
2. Accommodation:Houou lodge(0551-27-2018)one night& dinner 6500yen
3. Information::Nirasaki city office(0551-22-1111)
4. Season:May to Oct
Records:Oct14
9:00-11:00 Walk to Houou fall.
11:05-11:35 Climb to Goshiki fall.
11:50-14:30 Climb to Houou lodge and stay.
Oct15
5:40-6:35 Climb to Sainokawara(means purgatory).
6:40-8:20 Climb ridge and to peak.
8:25-8:50 Down and up to Yakushidake(2780m).
9:00-12:10 Down to Aokikousen.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
山梨2名山の旅②
瑞牆山(2230m)
地図:国土地理院1:25000瑞牆山
昭文社:山と高原地図26金峰山・甲武信
11月1日(木)晴
3時、一度ブランディを飲んで喉を潤すと、休めた。
5時37分、物音で目を覚ます。5時には起きる筈だった。急いで布団と毛布をたたみ、リュックを背負って降り、トイレを済ませる。既に明るくなっていた。
5時55分、出発。昨日、歩いた道なので歩きやすい。昨日、行った花崗岩が見える。
分岐点の先で、フリースを脱ぎ、パンとチーズそして紅茶を飲む。朝焼けの富士は美しい。
八ヶ岳連峰が朝日を浴びて赤くなっていた。雲海に浮かぶ山々も目を覚ましつつある。どんどん降りていくと、学生ハイカーがやってきた。大日小屋にテントを張って泊まっていた。女の子が多い。15分後、テントを担いだ青年4人に会う。
7時20分、大日岩で一本立てる。リュックも軽くなったせいか、歩きやすい。やがて続々とハイカーに会う。瑞牆山荘からやってきた人達。1時間後、富士見小屋に戻る。学生達一団が瑞牆山に向っていた。お湯を沸かして残りのパンを食べ、コーヒーを飲む。
8時45分、瑞牆山を目指す。シラビソの森の中、女性3人組を追い抜き、ヤナギ坂まで降りて天鳥川を越え、登り返す。沢の途中、ロープの手前で洗面をしておく。白い腹、青い頭の小鳥が雑木林の中を飛び交っていた。
やがて学生達に追いつき追い抜く。彼らは遠足気分で、富士が見えれば大声をあげていた。岩場をジグザグに登っていく内、本道からはずれて登っていき、オベリスク風の大岩の下に出る。右に回っていくと本道に出てホッとする。パピエル(フランス語で蝶)という犬を連れたハイカーが降りてきた。小柄なわりに大きな耳をしている。どことなく緊張していた。岩の間を巻いて鉄梯子を登っていく。
10時30分、登頂。花崗岩の巨大な一枚岩。再び富士山を鑑賞する。
昨日と違う風景と言えば、野辺山高原。黄葉林が島のように高原に点在していた。
腰を下ろしてパンとコーヒーを口に入れる。学生がやってきたところで、降りる。金峰山小屋で一緒だった人達もいた。長野から来た青年が、あっという間に登り降りしていた。この後、増富温泉に入り、山梨特産「ほうとう」を食べて帰るという。静岡、世田谷組も登ってきた。
12時10分、富士見小屋に戻る。休まずに降りる。枯草を踏みしめながら、ジグザグに降りていく。
落ち葉踏む音の乾きてきこへたり
12時40分、瑞牆山荘に出る。タクシー運転手に増富温泉の入浴場所を聞くと、「ニュー東温泉」を教えてくれる。途中の道は、紅葉真っ盛り。登山家木暮理太郎の胸像を見ることもなく、峡谷をぬって走る。カメラマンが多かった。
「ニュー東」は温泉を流してしまっていた。少し戻って「増富の湯」に行く。武田信玄が金を掘らせていた時に発見されたラジウム温泉。第2駐車場に車を停めて入る。薬草湯、ジャグジー湯、打たせ湯を使う。風呂後、「ほうとう」を土産に買い、食堂で生ビールを飲み、定食を食べる。アイスコーヒーがついていた。
14時30分、出発。県道23号線は途中、通行止めになっていて、戻り、日向神社の脇を通ってから塩川トンネルを通過、茅が岳山麓広域農道を突っ走っていく。韮崎からは国道20号線を走り、甲府昭和ICから高速に入る。高井戸まで、すんなり走り、首都高速が渋滞していたので、新宿で降りて一般道路で帰る。
Mizugakiyama(2230m) in Yamanashi pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Chuo expressway SudamaIC→national road141,pref.31,23
Mizugaki lodge
2. Accommodation:Mizugaki lodge(0551-45-0521)
3. Information::Hokuto city office(0551-42-1111)
4. Season:May to midNov
Records:Nov1
5:55-7:20 Down to Dainichiiwa.
7:25-8:20 Down to Fujimi lodge and take snack.
8:45-10:30 Down to Yanagaizaka ,cross Amadori river and climb to peak.
10:40-12:10 Back to Fujimi lodge.
12:10-12:40 Back to Mizugaki lodge(1520m).
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
山梨県2名山の旅①
金峰山、瑞牆山
1.2001年10月31日~11月1日
2.単独行
3.交通機関:自家用車 走行距離371キロ ガソリン¥3812
高速料金:首都高速\600+中央高速\2850(須玉)
4.宿泊:金峰山小屋1泊1食¥6000
温泉:増富の湯¥700
金峰山(2599m)地図:国土地理院1:25000金峰山、瑞牆山
昭文社:山と高原地図26金峰山・甲武信
10月31日(水)晴
5時30分、出発。中央高速を突っ走る。サービスエリアに寄らず、須玉ICで降り、国道141号線を北上する。高速道路のガードを超えて右折、県道31号線から23号線を走っていく。ガソリンスタンドはあるがコンビニはなかった。比志村に入り、塩川ダムの手前に雑貨屋が開いていた。オニギリを作ってもらう。待つ間にトイレを使わしてもらう。店の前に並んでバスを待っていた人は、通院客だった。車は地元の軽自動車だけ僅かに動いていた。黒森で右折、村の細道を通ってから本谷釜瀬林道を走る。キャンプ場を通過、瑞牆山荘に着いたのは8時。高度は既に1510mあった。手前の駐車場に車を止めてオニギリを食べておく。金峰山小屋に携帯電話で連絡したが通じなかった。
8時30分、出発。前方に大きな駐車場があった。山荘スタッフが犬を連れて散歩していたので、つられて林道の方を歩いてしまう。地図を確認、遠回りだが行けるとわかり、そのまま歩いていく。雲一つない青空の下、白樺やクヌギ、カラマツの林の中を歩くだけで気持ちいい。20分後、登山道に入り、中年夫婦の後をついていく。長袖シャツを脱いでから追い抜く。黄葉したミズナラ林の中を只管ジグザグに登っていく。富士見平小屋が見えてきたところで、脇に水場があり、寄っていく。
9時15分、小屋に着く。人気はない。
休まずに右側の大日小屋への道を登っていく。小鳥の声しか聞こえない。身体が火照っても、冷気にあたると気持ちいい。飯森山を巻いて樹林の中を登っていく。金峰山小屋に泊まった4人組に会う。「見晴らし良く、小屋も空いていた。これから瑞牆山を登って帰る」という。同じルートだ。途中、左手に鷹見岩への道が通じていた。再びハイカーに会う。初老夫婦で、瑞牆山には寄らず、のんびり降りていくという。
10時15分、大日小屋の上に出る。ここも人気がなかった。
霜が降りていたので日差しのある石に座って一服する。一部ロープを使って岩を登っていく。
霜降りて大岩の下ひと滴
大日岩の脇の稜線は、広々としてベンチも用意されていた。樹林の中を少しずつ登っていく。メジロが道に居座っていた。こちらの動きに気づいて近くの枝に飛び、消えていく。「砂払いの頭」に立つ。近くの瑞牆山が低いので、単なる岩山でしか見えない。隣に小川山という丹精な山が高く連なっている。瑞牆は、百名山にしては味気なかった。奥に八ヶ岳、左手に南アルプスが良く見えた。
富士山は三千メートル以上迄雪が積もっていた。
更に稜線を登っていく。岩場を越えていくと、「千代の吹上」という絶壁に出る。前方に屹立した岩が見えた。金峰山だ。左手のハイマツ帯に金峰山小屋の屋根が見えていた。窪地に陣取って昼食にする。お湯を沸かし、しめじを入れたラーメンを食べる。烏が頭上を飛び、岩に止まって睥睨していた。食後、分岐点を左折して小屋に向う。
13時30分、金峰山小屋。小屋番の青年は2階にいて作業中だった。宿泊の挨拶をしてからリュックを置いて金峰山に登っておく。
岩山を20分で登頂。
ここも烏が舞っていて糞を落としていた。大弛峠の方から女性ハイカーが登ってきたので写真を撮りあう。静岡に住んでいて、年齢は66歳、とても見えない。4年前から百名山を登っている。それまではスキー専門だった。世田谷から母と息子、母の友人の3人組がやってきた。彼等も同じルートだった。
五丈岩に行ってみる。地図には北面から登れると書いてあったが、風もあり、一人だったので途中で断念する。
南側の日当たりの良い岩下で富士と対峙する。手前の低山の先は霞んでいて空と同じ色になっている。その上にコンモリした雲が浮かんでいて、更に、その上から富士が浮かんでいた。
霊峰や秋の雲海従がへり
山肌が午後3時の日光に照らされて蟹の甲羅のように見えてきた。頂上の両端が高い分が目玉に似ていて、こちらを見ている。風が冷たくなってきたので、ノートと俳句の本をしまい、花崗岩の上を慎重に降りていく。斜面一面に岩塊が広がっていた。明日登る瑞牆山と来年登る八ヶ岳を再確認する。
小屋に戻り、炬燵に入って手続きをする。2階の8番に荷物を運ぶ。布団が新しい。就寝前の仕度をし、一休みしてから階下に降りて炬燵に入る。4人、既に入っていた。3人は東京から遠回りして川端下から登ってきた。山談義を聞いた後、苗場山情報を聞く。11月半ばになれば、雪が積もりだし、道も深いので、今年はやめることにする。外に出て夕焼けを眺める。
18時、合計10名が肩を寄せ合ってカレーライスを食べる。静岡と世田谷の人と食べる。女性がゆっくり食べている間、お代わりして食べた。食後、トイレに行ってから休む。しかし、22時には起きてしまい、それからはウトウトしていた。高度2400mを越えているせいか寝苦しかった。
Kinpusan(2599m) border of Yamanashi pref. and Nagano pref.
100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Chuo expressway SudamaIC→national road141,pref.31,23
Mizugaki lodge
2. Accommodation:Kinpusan lodge(0267-99-2030)one night& dinner 6000yen
3. Information::Hokuto city office(0551-42-1111)
4. Season:May to Oct
Records:Oct31
8:30-9:15 Climb from Mizugaki lodge(1520m) to Fujimidaira lodge(1813m).
9:15-10:15 Climb to Dainichi lodge.
10:20-11:05 Walk ridge.
11:05-13:30 Climb and take lunch and to Kinpusan lodge(2420m).
13:35-13:55 Climb to peak.You can see Mt.Fuji well.
14:30-14:45 Back to lodge and stay.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
四国百名山の旅②
剣山(1955m)
地図:国土地理院1:25000剣山
昭文社:山と高原地図62四国剣山
11時19日(月)
4時前に起きてしまう。ザックを担いで食堂に降りると、弁当とインスタント味噌汁が用意されていた。ポットにお湯を入れ、お茶を飲んでから外に出る。
満天の星に獅子座流星群がピュッピュッと突っ切っていく。上から下が多いが、別の方向に走っていくのもある。山の上に何やら薄明るいところがあった。四角になっていた。車は一発でエンジンがかかりホッとする。しばらくエンジンを暖めている間、窓から流星を眺める。こんな宇宙ショーは始めて。
5時前に出発。路面は凍っていなかったが、慎重に走る。この時間に対向車が現われた。よさこい峠に出て右折、くねくね曲がりながら降りていく。見上げると絶壁だった。日本列島の中央構造線が通っていることを実感する。両脇には枯葉が寄せられていた。
分岐点に出る。車を停めて確認。夜空には未だ流星が見えたが、頻度は減っていた。名野川から吉野川になった川に沿って走る。集落を過ぎ、ダムの脇を走る。ライトアップして走っていたら対向車にまた会う。やがて橋に出る。渡ってしばらく走らせると少し登っていく。不審に思い、橋まで戻り、別の道を走る。しかし余り使われた道ではなかった。その内、橋を渡った地点に戻る。オニギリを食べて一息つく。看板があり、大森山中継所と書いてあり、脇に長沢ダムまで8.4キロとある。今度は安心して走る。次第に明るくなってきた。ダムから更に走っていくと、国道194号線に出た。予定より30分遅れてしまった。
本川トンネル、更に寒風山トンネルを越えていくと、下りになる。2車線なので思いっきり飛ばせる。更に29キロ走って国道11号線に出る。右折して7キロ、「いよ西条」から高速に入る。7時。すっ飛ばす。
時速100キロ、更に下りになると120キロになる。左手は瀬戸内海。川之江に近づくと3本の大きな煙突から白煙が真っ直ぐ立っている。無風。川之江ジャンクションで徳島自動車道に入る。今度はトンネルが多くなり、片側一車線になる。幸、車が通らないので、ここも目一杯走っていく。池田地区に入ると霧がかかっていたが、更に長いトンネルを過ぎると晴れていた。吉野川を渡り、美馬ICで降りる。剣山まで43キロ。
8時5分、吉野川を渡り、国道438号線を走行。途中、ガソリンを満タンにしておく。貞光町を過ぎると、段々と山間に入る。道も狭くなり、トラックが来ると、交差できるところまでバックする。一宇村の幾つかの集落を通り、貞光川を遡っていく。木屋平村に行く道と分かれ、剣山に向う。葛籠では剣山への登山道があった。第2ヘヤピンではキャタピラーが道をふさいでいた。若者が運転台に乗り、道を開けてくれる。どんどん高度をあげていく。第7ヘヤピンの後、スキー場を過ぎる。更に登って尾根に出ると、前方に雪をかぶった剣山が見えた。
見ノ越に降りていく。リフト乗場の駐車場に車を停める。バスに乗ってやってきた小学生のグループが先生に引率されて注意事項を聞いたあと、リフトに向っていた。
9時30分、剣神社の階段を登っていく。参拝してから登山道を歩く。リフトの下を潜っていく。丸亀からきた夫婦を追い抜き、リフトに沿って登っていく。マイクからの解説と音楽がうるさい。ブナ林の中を歩く。
霊山のマイク騒がし秋の空
西島神社の下を通り、リフト終点の西島駅に出る。小学生の遠足組が、真っ直ぐ山を目指していた。大剣神社への脇道を行く。日が差さないせいか雪が残り、霧氷が続く。ダケカンバ、ウラジロモミ、コメツガなどの枯枝が凍り付いていた。細道にカメラマンが三脚を立てて、朝日が霧氷を照らす光景を待っていた。
10時40分、大剣神社に出る。奥に御神体である石灰岩がそそり立っていた。
毛糸帽をとって参拝。厄除けの御神酒は無料だった。90m下に行ったところに名水百選の御神水があるが、汗をかいていないのでパス。顎に黒髭をはやした青年神官に聞く。「[天涯の花]のモデルはいらっしゃるのですか」「おりません。あれは小説です。宮尾登美子さんは、ここに3回取材に見えました」
ここから四国の山々が一望できた。乾燥注意報が出ているので雲一つない。神官が教えてくれる。「手前の山は三嶺、右奥に遠く見えるのが石鎚山です」
昨日はガスっていて見えなかったのが見えた。登っていくと雲海荘の下を通り、頂上ヒュッテの脇の階段を登ると高原に出た。
平家の馬場。昔、屋島の戦に敗れた平家の落武者が兵馬の調練をしていたところだ。その時、士気を鼓舞するため大岩の上に安徳天皇の剣をのせたので、太郎笈(ぎゅう)山から剣山と改められたという。原っぱの上の木道を歩いて剣山山頂につく。絶景だった。
三嶺の左奥に土佐湾岸が見え、南側は次郎笈山。そこに向って2人の中年女性ハイカーが座って食事をとっていた。頂上には石が丸く積まれており、端に背を向けて、ロッジで作ってくれたオニギリを食べる。やがて小学生達がやってきた。麓の木屋平(こやだいら)小学校分校生徒全員15名と先生達。
ヒュッテの管理人が解説していた。
「ここには年間10万人やって来ます。この積石は、凍った土が溶けると土が崩れてしまうので高さを保つために石を積み、注連縄で囲っています。この馬場にはコトギリ草、キリン草、マイズル草やリンドウがあります。あの建物は測候所です。気象衛星が発達したので、今年の3月に廃止されました。50年務めました。植生を保護するために張ってありますが、このロープは1年で切れてしまいます。雪が凍り付いて重くなり、風が吹いて擦り切れてしまうのです」
寒いので生徒の中で、おしっこが我慢できなくなって立ち上がって出ていく。話しが続く。
「昭和41年、見ノ越への道が出来てから生態系が乱れています。ツキノワグマは3頭発見されているだけになりました。テンが増えたため兎が激減しました。オジサンが若い頃は木屋平から穴吹川を遡って一ノ森山を経由して登りました。それから8時間かけて、あの三嶺に行きました。昭和36年から山の生活をしていますが、一番の思い出は電気がついたことです。四国電力が地下ケーブルで麓から8キロ繋げています。モーターを回して水が運べるようになりました」
ほか、小学校に講演に行ったときの質問をもとに、小学生が興味をもつことを話していく。一番こわいのは雷、動物では人間などなど。終ったところで、生徒達と一緒にお礼の挨拶をする。一行は測候所の日当たりの良い場所に並んで昼食をとる。丸亀からの夫婦に再会、車で2時間半かかると聞き、猪熊弦一郎現代美術館に寄っていきたくなる。しかし、松山空港に戻るときには暗くなり、不測の事態が起きると間に合わなくなるので諦める。
今度は、真っ直ぐ下山。途中、リフト乗場に出、料金を聞いてみる。片道千円。ストックを使ってホイホイ降りていく。
13時、神社の登山口に水場があり、靴とストックを洗う。車に戻り、足腰をストレッチしてから運転。「みどりの一里塚」まで烏が頭上を舞っていた。名古屋ナンバーの車についていく。一宇村では、道にお婆さんがいるので止まって通り過ぎるのを待つ。トラックが来ると広いところまで戻る。それでも一気に高度240mまで降りた。美馬ICから高速に入る。
14時50分、吉野川オアシスに入り、残飯を食べトイレに行く。
平均時速100キロで走る。1300ccの車でも、一人だと軽いせいかスピードが出る。車は今まで2万キロ走っており快調だ。「いよ西条」を過ぎ、石鎚山SAで再び休憩。遠く石鎚山が、反対側は瀬戸内海が見えた。
松山に近づくと車が増えてスピードが落ちる。高速を降りて国道33号に入る。空港への道を走っていったが、肝心のレンタカーを返す場所がはっきりしない。一度、空港に出て携帯電話を使ってやりとりしながら事務所に着く。近くのコスモ石油でガソリンを満タンにし、満タン証明のハンコを押してもらって戻る。
17時10分、空港まで車で送ってもらう。2階のレストランでビールを飲み、小魚をすり身にしたジャコテン定食をとる。食後、カウンターに行ってチェックイン。168便は20時5分に出発、ぐっすり休む。羽田空港では沖止めに駐機、バスに乗ってターミナルビルに行く。
Tsurugisan(1955m) in Ehime pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Tokushima Expreeway MimaIC→national road438,Minokoshi
2. Accommodation:TsurugisanChoujyouHut(Unkaisou)(088-623-4533)one night two meals7500yen
3. Information::Naga town Kizawa branch(0884-65-2111)
4. Season:May to Nov
Records:Nov19
9:30-10:40 climb from lift parking(1400m) to Ootsurugi shrine(1784m).
10:50-11:30 climb to TsurugisanChoujyouHut and peak.
12:20-12:50 down to Katanagake no matsu and back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2001年11月18日~19日
2.単独行
3.交通機関:マツダレンタカー1300cc 2日間¥13000走行距離:498キロ 高速料金:いよ西条―美馬¥2250 美馬―松山¥3300
ガソリン代:¥2997
4.宿泊:白石ロッジ1泊2食¥7500
石鎚山(1982m)
地図:国土地理院1:25000石鎚山、面河渓
昭文社:山と高原地図③
11月18日(日)
6時20分、羽田空港に着き、カウンターに行く。混んでいて受け付け3番目、荷物は持ち込み、セキュリティを通って8番ゲートで待つ。エコノミーの最前席に座る。機内では寝不足を解消しておく。
8時20分、定刻に松山空港に着陸。到着ロビーのレンタカー専用電話を使って呼び出し出口で待つ。ほどなく迎えの車が来て、レンタカーの事務所にいく。費用はカードで支払い、石鎚山への道を確認して出発。距離的には、国道11号線から行った方が近いが、道路状況から国道33号線から遠回りして行く。まずコンビニに入って食料を調達してから、高度600mまで登って降りていく。久万町を過ぎると「石鎚スカイライン」の標識があらわれてきた。落合で左折、美川村の御三戸でも左折、石鎚スカイラインを走っていく。面河(おもご)川を遡っていくと紅葉真っ盛り、通りの名前も「もみじ通り」と書いてあった。モミ、ツガ、イロハカエデなどの暖地性の樹木が、ここの森を構成している。やがて左手前方に石鎚の鋭鋒が現われた。1500万年前の噴火で出来たものだ。
車が繋がっていた。先頭はバス。土小屋まで、のんびり登っていく。ロータリーに沿った階段の上に岩黒レストハウスと白石ロッジが並んで建っていた。
手前で駐車、階段を登って挨拶しておく。登り終えて主人に挨拶していた人がロッジの下に駐車していた車に乗って帰っていく。その後に車を停める。
11時20分、バスでやってきた20人の団体より先に行く。神社の下を通る舗装道から登山口に入っていく。頂上まで4.6キロ。ウラジロモミの中を歩いていくと、国民宿舎への道と合流する。笹原に立つブナの林の中を歩く。尾根に出ると休憩地があった。休むことなく歩く。2人の軽装中年男性を追い抜き、登っていく。笹に雪が残っていた。
小学生を連れた家族や若い女性2人を追い抜く。つるつるした幹のリョウブが立っていた。階段を降りるのでストックを使う。随所に木製の階段や橋が出来て歩きやすい。それも行き交う幅になっていた。
霧氷が枝から落ちて音をたてていた。針葉樹「シラベ」だった。頂上はガスっていて見えない。
12時45分、二つ鎖小屋でオニギリを食べる。鎖場のある方は滑りやすいので、迂回道を登っていく。残り500m。雪が積もり、凍っていて滑りやすい。道脇にあるロープや鎖を頼りに登っていく。家族は諦めて戻ってきた。
13時20分、弥山に登頂。その先は神域で撮影禁止になっていた。
山名を書いた標識はない。近くにヘリで運んだ建設用の小型トラクターやキャタピラーそして砂利袋が15個置いてあった。山頂小屋を建てていた。かって石鎚山岳信仰としての面影は何もない。一度降りてから、よじ登って登頂する。2人立つのがやっと。ここは「日本霊異記」にも書いてあるように神霊として崇められていた。
雪積もる石鎚峰に鏡あり
弥山に戻り、高知から来た4人と写真を撮りあう。
ガスの中、鎖場を降りて岩稜尾根を一歩一歩降りていく。鎖場を降り、はいつくばって天狗岳に辿り着く。小さな祠があるだけ。寒く、何も見えないので直ぐ戻る。弥山にも誰もいない。降りていく。中年男が1人登ってきた。「あとどのぐらい」日本語が覚束なかった。釜山から来ていた。知っている韓国語を使い、元気つけて別れる。雪を少しかぶった地蔵さんに合掌。
15時、青空が一部見えた。五葉松は片側が枯れていた。今回は生物と言えば小さなベージュ色の蛾しか見なかった。前に歩く団体を追い越していく必要もないので、ゆっくり歩く。
休憩地で団体が休んでおり、先に歩く。高度1700mを切ると、下界が見えてきた。その内、雨が降り出し、傘を差しながら降りていく。
16時15分、土小屋に戻る。ロッジの玄関ではクライマーがザイルをたたんでいた。石鎚山北壁を登る人がザイルを使って、ここの屋根を修理していた。中に女性1人おり、これから松山に帰っていく。まず、食堂で暖かい甘酒をいただく。残った2人とロッジの主人に明日のルートを相談する。早明浦ダム脇の道は崖崩れが多く通行禁止になっていることが多いし、国道439号線も山道、そこで西条から高速に乗り、徳島自動車道の美馬から国道438号線で見ノ越に出ることにする。生ビールを飲み終わったところで風呂に入る。3階の2号室に荷物を置いてタオルと着替えを持っていく。
1階まで降り、大風呂の奥、角を仕切った中にステンレス製の家庭用風呂に入る。湯加減は丁度良かった。入浴後、部屋で大相撲を観戦。
18時、食堂に行く。若者が食堂を手伝っていた。同宿者は年配の画家。しばらくして隣りのテーブルにやってきた。長らく法政一高校の美術教師を務め、定年後、画家として作品を出している。現在、秦野に住んでいるが、実家が宇和にあり、松山の画廊に石鎚山の絵を出品する。白髪、温厚な人で、話は長谷川潔、岡鹿之助から猪熊弦一郎、福井良之助と続く。山の絵として高橋俊雄の作品を持っていると言ったら、彼のことを知っていた。山の画家として足立源一郎と金山平三を教えてもらう。「今は川合玉堂のような描写ではなく、高山辰雄のように個性がないと評価されない」
食事は山の幸が多い。岩茸(いわたけ)は岸壁に張り付くもので乾燥すると黒くなっていた。山女の佃煮や野菜の煮物を食べる。デザートは大きな伊予蜜柑だった。
毛糸のベレー帽をかぶり、髪を肩から前に出している若者も面白かった。地元の高校を卒業。東京の美容学校に通ったが、銀座のバーでアルバイトをしている内、辞めてしまう。7年前から、ここの手伝いをしている。29歳、釈迦が解脱した年にインドを旅する。ホテルに泊まろうとしたらドライバーの家に連れていかれ、泊まらせられる。その内、下痢になりアメーバ赤痢になって10キロ痩せて帰り、知合いの医者から抗生物質をもらって治す。
「ここのところ毎年、パタヤに行っています。月8千バーツのアパートに住んでタイ人と生活。パタヤから全国にバスが行っているので旅をする。いつも行くところはドイステープ。大麻を吸うと感覚が自由になり、次々と妄想が広がっていく」
段々話しが取り留めなくなっていく。時計は8時を過ぎていた。電話がかかってきたところで腰をあげる。部屋は6畳、電気炬燵があるので布団を出し、足を炬燵に入れて寝る。
Ishizuchisan(1982m) in Ehime pref. 100Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Matsuyama airpoirt→national road33,pref.12,Ishizuchi skyline,
Tsuchigoya
2. Accommodation:Kokuminshukusha Ishizuchi(0897-53-0005)no meal 2550yen
3. Information::Saijyo city(0897-56-5151)
4. Season:midJun to Oct
Records:Nov18
11:20-12:45 walk from Shiraishi lodge to FutatuKusari lodge(1810m).
12:50-13:20 Climb to Misen (1974m)using chain.
13:25-13:50 Down and up to peak.
13:55-14:15 Back to Misen.
14:25-16:15 Back to starting point.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
1.2002年3月30日(土)
2.同行者:I、T
3.交通機関:駒込―武蔵五日市¥890
タクシー:五日市―大岳鍾乳洞¥3320 つるつる温泉―五日市¥2800
4.つるつる温泉入浴料¥800
地図:国土地理院1:25000武蔵御岳、奥多摩湖
昭文社:山と高原地図23奥多摩
雨は未だ降っていた。東京駅中央本線のホームはエスカレーターで登ったところにある。
6時前に行くと、Ⅰが来ていた。ところが新宿駅での人身事故で電車がストップ。鈍行の高尾行きが動き出したので、そちらに乗って中野あたりで乗り換えることにした。しかし、表示板で他の電車も動き出した。特別快速は8分遅れで出発。三鷹を過ぎると、青空が見え出す。立川には10分早く着いていた。2番線ホームに移動、南武線でやってきたTと合流。
7時20分、出発。30分で五日市に着く。タクシーで大岳鍾乳洞に向う。雨上がりの秋川渓谷を走行。幾つかのキャンプ場、釣り場を通っていく。鱒釣り一日4500円。採石場に向うトラックの後について走ってから、トンネルを越え、分岐点で降りる。土産店のお婆さんがいた。挨拶する。何でも税金でとられるとブツブツ言っていた。
8時30分、出発。
川沿いに舗装道路を歩き、鍾乳洞への標識を見ないまま杉林に入っていく。ここはオリンピック記念植樹だった。真っ直ぐに緩やかに登っていく。「関東ふれあいの道」と書いてある。大滝に出た。
大滝の下から脇の鉄梯子を登る。更に登る。尾根まで700m地点で5分休み、スパッツと長袖シャツを脱ぐ。近くに毒性の強いハシリドコロの花が咲いていた。
その後、急登になる。
9時55分、馬頭刈尾根に出た。
右前方に大岳山を見ながら尾根を歩いていく。突然、左手に雪富士が見えた。
ベンチも置いてある。尾根伝いに歩き、鋸山に出る道と分け右手の山腹を歩く。大岳山荘と大岳神社のある広場から露岩まじりの階段を登っていく。
10時50分、登頂。御前山、三頭山の奥多摩三山が繋がっていた。
右手奥に雲取山が見える。未だ雪渓が残っていた。左手は丹沢山系。ここにはハイカーが、いろんなルートでやってきた。写真を撮ってから降りる。尾根伝いに歩いて芥場峠に出る。御岳山に向う。道は山腹を徐々に降りていく。地図に載っている水場に小屋が建っている。中でハイカーが1人食事を食べ終わっていた。我々も食事にする。湯を沸かして、ヤキソバとドリップコーヒーに使う。ヤキソバに、刻みニンニクとネギ、高野豆腐を入れたものを食べる。美味い。Ⅰが持ってきたウィスキーをコーヒーに入れて飲む。シーズンになると、ここはハイカーで一杯になる。レモンをかけてパパイヤを食べる。食べ終わった頃にチビッコがやってきた。Tが菓子袋をあげると「アリガト」と小さく答えていた。
13時、出発。チビッコ達が母親と一緒にいた。親に礼を言われる。さっきは大人しかったが、色々聞いてくる。
「オジサン、なぜ山に登るの」「そこに山があるから」ストックを指して聞く。
「これは何に使うの」「滑ってケガしないように」
お爺さんと聞かれなくてホッとする。道は広く、散歩コースのよう。御岳山の参拝道に出る。
講中の碑が両脇に立っていた。日本武尊創建の神社には行かずに日の出山に向う。道は住居や畑の邪魔にならないように脇にあった。
14時10分、日の出山に出る。
新宿副都心が霞んで見えた。
一息入れてから降りていく。振り返ると御岳山と山腹を通った鍋割山が見えた。
杉と桧の植林の中、単調で、IもTも、丸太に足をとられてすべってしまう。30分後、顎掛岩に出る。日本武尊が蝦夷征伐の帰りに岩に顎をかけて関東平野を見渡したそうだ。
滝本に出ると、舗装道になる。大通りに出て温泉の方に登り返す。最後に登るのはきつい。
町営の「つるつる温泉」に入る。家族連れが多い。ゆっくり浸かり、ビールを飲んでからタクシーに乗って五日市に戻る。肝要の里・つるつる温泉行きの観光バスがあった。
駅付近にはレストランがないので、拝島行きに乗り、立川で下車。ルミネ8階の「そじ坊」で夕食をとって帰る。
Oodakesan(1267m) in Tokyo 200Famous mountains in Japan
1.Access:car is better. Chuou expressway Hachiouji IC, national road 411,Cable
Actual:Istukaichi line Musashi Itsukaichi station→Oodake limestone cave by taxi
2.Information::Oume city commerce,indusryl&tourist section(0426-22-1111)
3.Season: Mar to Nov
Records:May25
8:25-9:55 walk to camp site and Ootaki, climb to Mazukari ridge.
10:00-10:50 climb to Oodake lodge and peak.
11:05-12:20 down to Akuba pass,Ontakesan(929m)and take lunch.
13:00-14:10 walk to Hinodeyama(902m).
14:20-16:00 down to Tsurutsuru Onsen(347m) and enjoy spa.
グランパの日記Akihata's Diary [登山mountaineering]
毛無山(1945m)
地図:国土地理院1:25000人穴
昭文社:山と高原地図31富士山
5月26日(日)
4時、目覚ましが鳴る。洗面を済ませ、弁当をピックアップ。オバサンが冷えたヤクルトを冷蔵庫から出してきた。テルモスにお湯を入れてもらう。
4時35分、出発。富士山がスッキリ見えた。朝霧高原を走り、グリーンパークを右折、麓に向う。車を停めて写真を撮っている人が一仕事終えていた。突き当たったところは作業場で駐車できるところがない。反対側に行ってみるとベンチとトイレがあった。脇に停め、ベンチで朝飯をとる。リュックを担いで行くと、牛糞肥料の山からの臭いに襲われる。畑で働いている人がいた。
5時40分、案内板のある登山口を出発。
川堰を過ぎると一気に登っていく。左手に滝が見えていた。一度、Jのキジ打ちのため休む。ジグザグというより真っ直ぐに高度をあげて行く。三つ目の滝を過ぎて峠が近くに見えているのに、30mほど降りて沢を渡り、登り返す。枝や岩に捕まりながら登っていくと水の音が聞こえなくなった。代りに鳥の声が聴こえる。オレンジ色のツツジが咲いていた。
囀りや急登続きし山路かな
7時55分、地蔵峠。標高差600m登ったことになる。富士の頂上に小さな笠雲がついていた。一服して残り400m、県境尾根を登る。中年夫婦と追いつ抜かれつしながら行く。新緑の木々の間から富士を見、爽やかな風を受けながら登っていくので苦にならない。
五月晴れ笠雲かぶる富士の峰
三つ葉ツツジの薄桃色の花が満開だった。
3人とも余り水分は取らずに歩く。途中、北岳・駒ケ岳展望の案内板が木にかかっていた。更に「北アルプス見える」とある。岩を登って眺める。残雪の南アルプスは良く見え、八ヶ岳の輪郭はわかったが、北アルプスまで見えなかった。
分岐点を過ぎて15分、9時40分に頂上に達する。毛無山という山は全国に19あり、その中では最も高い。2組が食事をとっていた。富士の眺めは最高で、正面の大沢崩れは雪が残って白かった。静岡から来た人に4人一緒の写真を撮ってもらう。
荷物を置いて、500m先の大見岳に行く。富士を眺めながら気持ち良く歩く。行者ニンニク採集のオッサン達と擦れ違う。大見岳には標識がなかった。高度計が1960mを示した所(1964m)から戻る。足元に花が咲いていた。
10時半、下山。一気に降りる。日差しが上から照りつけて来る。幾人か登ってきた。環境調査のワッペンを腕に巻いた青年は静岡市から来ている。捕虫網を持っていた。その内、近畿ツーリストの団体20人に会う。先頭と最後に青年が居た。朝、新宿で集合。バスをチャーターして来ている。かなりの年配者もいて、時間がかかっている。1時間後、5分休んで降りて行く。
12時半過ぎ、昼食。今度はヤキソバ。お湯を沸かして入れ3分待って食べる。単独行の女性が降りてきた。しばらく話していく。
13時15分、出発。しばらくして不動の滝が現われる。落差100m、細長く二段構えの雄大な滝が新緑の中に見える。岩澤重夫が描く世界だった。
ベンチがあり、休める。後の祭りだが、ここで食事にすれば良かった。カメラをバッグの上に乗せて登っていく青年に会う。トレーニングだと言う。これだけ急峻な登りなら良い訓練になる。分岐点に戻り、川に沿って歩いて行く内、登山道を過ぎてしまう。Ⅰが先に車をピックアップしに行き、案内板の前で待つ。今日も冷えたビールにありつく。139号線に出て富士宮道路を走り、北山インターチェンジを降りる。無料だった。469号線に出て、日蓮宗大石寺が経営しているという「天母の湯」に向う。標識のあるところを左折、きれいな道を登っていく。大きなクリーニングビルの反対側、平屋に入る。昨日より小さいが温度43度の露天風呂に浸かる。駿河湾は良く見えなかった。
16時過ぎ、一時間以内で湯から出る。469号線を走っていく途中、富士宮市内の方に行ってしまう。戻ってみたら鋭角になっていた。林道のような一車線になったり、迷いやすい。富士ICだと市内に入り、時間がかかるからと裾野ICにしたのだが。
富士サファリパークを通り、無事、裾野ICから東名高速に入る。富士山の裾野を一周したことになる。ホッとしたせいか寝てしまう。足柄でトイレタイム。雷が鳴っていた。
春雷の横に聴きつつ東名道
大井松田まで順調に走ったが、所要時間「横浜90分、東京100分」の案内が出ていた。横浜と東京の間が10分ということは、横浜ICに集中していることになる。厚木までは渋滞していた。海老名SAには車が続々と入っていく。海老名を過ぎると空いてきた。横浜ICも何事もない。246号線から環状7号を走行。都立大学駅前に寄ってSが降りる。20時40分、大森駅前で降りて別れる。
Kenashiyama(1945m) border of Yamanashi pref. and Shizuoka pref.
200Famous mountains in Japan
1. Access:car is better. Chuou expressway Kawaguchiko IC, national road 139,
turn right at Greenpark gate, Reizan no ie
2. Information::Shimobe town industry&tourist section(0566-36-0011)
3. Season: Apr to Nov
Records:May25
5:40-7:55 walk and climb to Jizou pass.
8:00-9:40 climb ridge to Maruyama(1880m) and gently climb to peak. check to Oomidake(1964m)and back. Good view of Mt.Fuji
10:30-11:30 down to Asagiri kougen junction and turn left to Fudou fall and take meal.
13:15-14:00 back to starting point.